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“α-Synodos”  vol.246(2018/6/15)
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“α-Synodos”  vol.246(2018/6/15)

2018-06-15 15:48
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     “α-Synodos” 
    vol.246(2018/6/15)
    特集:「自己本位」で考える
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    ○はじめに
    1.福田充「危機管理学」とはどんな学問か
    2.山本貴光「「自己本位」という漱石のエンジン」
    3.寺本剛「高レベル放射性廃棄物と世代間倫理」
    4.高田里惠子「ちゃんとアメリカの言うことを聞いたら「大学生の教育」はもっとよくなる」
    5.絵:齋藤直子、文:岸政彦「沼から出てきたスワンプマン」

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    〇はじめに

    いよいよ梅雨、という空模様の東京ですが、みなさまは元気にお過ごしでしょうか? ぼく(芹沢)はじめじめした湿気が苦手なので、夏が待ち遠しいです。昨今の夏は暑すぎて、それはそれで大変ですが。さて、「αシノドス」246号のご案内です。

    最初の記事は新しい企画です。「新・学問のすすめ」と題して、これから最先端の学問をインタビュー形式でわかりやすく伝えていきたいと考えています。第一弾は「危機管理学」をご専門とする日本大学危機管理学部教授の福田充氏にお話を伺いました。

    「安全保障」や「治安対策」という言葉自体に忌避意識を持つ方もいます。おそらくそこに権力の悪しき作動をかぎつけるからだと思うのですが、そしてそれは健全な批判意識の発露ですが、しかし、どうも法や制度が導入されるときに騒ぐだけ騒いで、あとは知らない、という態度が多すぎるように思います。しかし問題はその後、法や制度をどう「民主的」に運用するかです。「リベラルな危機管理、民主的な危機管理というアプローチがあるんだ」という福田氏の言葉にどうぞ耳を傾けてください。

    つぎに最近、『文学問題(F+f)+』にて夏目漱石の文学論を分析した山本貴光氏に、「漱石と明治という時代」というテーマでご寄稿をお願いしました。漱石が生きたのは、「恰も一身にして二生を経るが如く一人にして両身あるが如し」といわれた時代、つまり価値観が従来とは一変した時代です。そうした時代に漱石が自らの思考の礎としたのは何だったのか? 「二生」以上の変転を要請される現代にあっても、漱石のスタンスは重要な指針となるはずです。

    ついで環境倫理学を専門とする寺本剛氏に、「高レベル放射性廃棄物」をテーマにご寄稿いただきました。現代社会では原発が不可欠のものとされていますが、原発は10万年以上もの長期にわたって危険であり続ける放射性廃棄物、いわゆる「核のごみ」をともないます。つまり、たとえいま全原発の稼働を止めたとしても、われわれは10万年以上もの長期にわたる世代にこの負債を押し付けねばなりません。このような「世代間の不正」を環境倫理学はどう考えるのか、寺本氏にご解説いただきました。

    そして「今月のポジだし」。今回はドイツ文学の研究者、高田里惠子氏に「ポジだし」をお願いしました。高田氏はぼくのもっとも好きな書き手のひとりで、主著の『文学部をめぐる病い―教養主義・ナチス・旧制高校』は本当に面白いので、ぜひ手に取ってみてください。今回の記事も、高田氏の「面白さ」の一端が、その文体からもわかるかと思います。αシノドスをお読みいただいている皆さんには、「読書の楽しみ」とその重要性は自明なものかと思いますが、これからの若者たちにどうその魅力を伝えていけばよいのか、大袈裟に言えばここには「文明の岐路」ともいうべきものがかかっていると思います。

    最後に毎月連載、齋藤直子氏のイラストと岸政彦氏のエッセイによる「Yeah! めっちゃ平日」。いつも感情の「機微」に触れてくる岸氏の文章ですが、今回は爆笑しました。いつもハッピーな気持ちにさせてくれる齋藤氏のイラストともにお楽しみください!
     
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