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竹田恒泰ブロマガ第五号「教育勅語はなぜ世界で認められたか?」その5
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竹田恒泰ブロマガ第五号「教育勅語はなぜ世界で認められたか?」その5

2012-12-04 19:35
    竹田恒泰
        ブロマガ「日本はなぜ世界で一番人気があるのか」   ▼第五号 
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                           平成24年12月4日                         
    お題「教育勅語はなぜ世界で認められたか?」
                                    その5
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    明治の二大ベストセラー作家といえば、福沢諭吉と中村正直です。

    福沢諭吉は現在でも有名ですが、
    中村正直も当時は超一流の知識人です。
    スマイルズの翻訳で『西国立志編』を出版し、
    100万部売れたほどで、当時の日本の3,000万人強という
    人口から考えれば恐ろしいほどの売れ行きでした。

    前回は、井上毅が、その中村正直にも教育勅語を任せられないと
    判断したところまでやりました。

    続いてどうなったかというと、
    井上毅は一人で書くとなるとやはり少し荷が重いと考えます。
    しかも、文語調で書かねばならないということで、
    元田永孚(もとだ・ながさね)に協力を求めたのです。

    元田は儒教学者であり、漢学者であり、
    中国の古典にも非常に精通しています。
    そういう事情もあって、井上毅は元田永孚と一緒に取り組む
    ことになたのです。

    この時、井上毅は47歳。元田永孚は73歳です。
    歳の差はかなりありましたが、この二人が一緒になって
    教育勅語を起草することになりました。

    様々な宗教を信じている人が誰でも一様に、
    「これは天皇陛下の本心が語られてたものだ」
    と感じるものでなければいけない。

    明治天皇の「命令」ではなくて、
    あくまでも、天皇個人のお考えが表現されたものでなくてはならず、
    またて、宗派や思想に関係なく、日本人全員が自然と共鳴するものであって、
    「こういうことだったら実践していきたいな」
    と自然に思えるものでなくてはならない・・・
    と、二人は、細心の注意を払って進めました。
     
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