• 冷めた硬貨 ③

    2018-01-20 19:024

    只今続き物を書いています。
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    ―――――――――――――――――――――


    後ろから肩を触られた時、
    後ろめたい気分を微塵でも心の中に覚えたなら、
    その背中は罪を抱えて生きている。

    テレビのドキュメンタリーだった。
    昔に億の金額を盗んだ事のある人間がもう年老いて、
    盗み、逃亡、逮捕、獄中、出所までの全ての経験を話す珍しいもので、
    俺はその番組に釘付けだった。

    忘れられ無いのはその男が逃亡中の話だった。
    誰かに後ろから肩を掴まれたら無意識に心臓がバクバクと急ぎ、
    振り返る事すら恐ろしかったという。
    それは心の内に巣食う罪への後ろめたさが原因だと本人が語っていたが、
    その時は「なんて嫌な事だ」と彼を憐れむように思った。

    まさか自分がその立場になろうとは。

    隣の男性に肩を掴まれた時に異様な恐ろしさを感じた。
    知らずに抱えていた泥がいきなり弾けたような感覚で、
    俺の目がこれでもかとかっぴらいて男性を見ただろう。
    目の端が伸びきってたわむ感触があった。

    玉が落ちたのは赤の十四。
    その間、ルーレットチップを盤に出す程の心の余裕は無かった。

    「二倍にしとけ。」
    「……。」
    「……日本人だろ?」
    「……誰ですか?」
    「俺か?俺も日本人だ。」
    「……時間の事は」
    「そんなにヒソヒソ話さなくても大丈夫。
     ここで日本語がスラスラ判る白人なんて滅多に居ない。」

    誰かが勝って、誰かが負けた。
    卓に出されたチップが回収されて、または払い戻されて。
    俺と隣の男性は完全にその輪から外れた空気を醸し出し、
    ディーラーがチラと横目で様子を伺っているようだった。

    「今いくら稼いだんだ。一千万は下らないだろ。」
    「二千万ない位です。」
    「一旦切り上げないか?」
    「えっ?」
    「俺と話をしたくないか?
     したくない場合にしたってここを離れたいだろう。
     俺を怪しんで離れる為に席を立つ、
     俺と喋る為にも他の客の迷惑になるから席を立つ。
     どうだ。」

    どうだ、と言われて考える事は出来なかった。
    だが遠目で見てくれていた通訳の人が異常を察してきてくれて、
    「どうしましたか?」と言ってくれた時にやっと頭が回り出した。

    「や、大丈夫です、ちょっとこの人と話が合って、
     ここでだべるのも迷惑だから席を立とうとしてて、
     あ、日本語喋る方なんで、大丈夫です、大丈夫です。」

    カラーアップ。
    ルーレット専用のチップを全て元のカジノチップに戻して席を立つ。
    もう賭け事が出来る状態ではない。冷静に時間を巻き戻せない。
    この横に座っていた男性との今後のやり合いによっては、
    最悪もうこのままこの国から逃げかえる。

    「おい」
    「はい?」
    「俺に肩を掴まれた時どう思った。」
    「えっ……ちょっとドキっとしました。」
    「じゃあもう止めとけ。日本から来たのか?」
    「そうです」
    「じゃあもう日本に帰れ。」

    男性の声は押し込めるような威圧感があった。
    このカジノ空間はこんなにも広々としているのに、
    まるで親の仇の家に放り込まれているような気分に一変、
    だが俺としてはその意識の本当の在処が判らなかったので、

    「まだ帰れないっすね」

    と返した。

    「一億稼ぐまでか?」
    「金額は決めてません。」
    「決めてない程の金を稼いでどうする?」
    「取り敢えず会社を辞めるつもりです。」
    「それで?」
    「それからの事ですか?それはその時に考えます。」
    「やめとけ。」

    やめとけ。
    この男性からあと何回やめとけと言われるだろうか。

    「夢の中で時間の巻き戻し方を教わったんだろう。」
    「……ええ、そうです……えっ?あなたもですか?」
    「俺はそんなとんでもない力は持ってない。
     ちなみにお前にその力を教えた奴はどんな格好をしてた。」
    「とにかくイケメンでした」
    「イケメン?」
    「顔つきが男前って事です。
     あとスーツでしたね。」
    「小奇麗な感じか」
    「そうです。」
    「お前はそいつを何だと思った?」
    「え?いや…こんな力を教えてくれるんだから、神様か天使だろうかと」
    「そいつは悪魔だ」
    「……マジすか?」
    「お前、日本では仕事があるんだろ?」
    「え?ええまぁ」
    「住む家もちゃんとあるか?」
    「はい」
    「それに金に困ってるわけじゃないだろう?」
    「ええ」
    「そんな不自由無い奴に神か天使が時間を巻き戻すなんて凄い力を授けると思うのか?」
    「……さぁ……判りません。自分、神や天使じゃないんで。」
    「事足りてる人間に余計な力を与える奴らが居る。
     それが悪魔だ。
     その目的は何だと思う。」
    「……人間を駄目にする為ですか?」
    「ほう!思いのほか頭の回る奴だ、安心したよ。」

    それまで険悪な雰囲気を醸し出していた男性が初めて明るい顔を見せた。

    「人間には個別にバランスがある。金も同じで、
     大金を手にしてバランスを崩さない人間もいれば、
     金をコントロール出来ずに駄目になる奴もいる。
     悪魔は決まって駄目になるであろう人間に余計な力を授けるんだ。
     もう、やめとけ。」

    そう言った男性はじっと俺の目を見たまま喋り続けていた。
    女の子と目を合わせるのはやぶさかじゃない。
    けれど、こんな中年のオッサンと目を合わせるなんて。
    そんな事を思いながらも不思議と目を逸らせずに、
    こちらもじっと見つめたままだった。

    約三秒、お互い黙ったままだったが、
    相手の男性が肺に溜めていた息を一気に吐き出して空気が変わった。

    「いや、ごめんね。」
    「えっ?」
    「ここまでは乱暴になっても言おうって決めてるんだ。
     やっぱりほら、なんだコイツ、と思ってどっか行っちゃう人もいるからさ。
     だから最初にここまでは乱暴にも言い切る事にしてるんだ、ごめんね。」
    「え?い、いえ、こちらこそすいません……」
    「え?」
    「え?」
    「いや、なんで謝られたのかなと思って」
    「え?あ、いやぁ……あはは…職業病みたいなもんですかね。」
    「はは、いやな職業病だ。」

    男性は、名前を秋山さん。秋山コウジさん。
    そう名乗られて、こちらも名乗り返した。

    「言われた言葉は頭に残るでしょ、多かれ少なかれ。
     もしあるふとした瞬間に、あの変な男がそう言えばこう言ってたなって、
     そう思い出してくれるだけでかなり変わるから。」
    「あなた、誰なんですか?」
    「俺はね、君みたいな楽してお金を稼ごうとする人達を止める役だね。」
    「……すいません、どうして俺が時間を巻き戻せると判ったんです?」
    「俺は君達みたいな人間が近づくと痒くなるのよ」
    「かゆく?」
    「熱いものを触ると熱いと思うでしょ。
     臭いものを嗅ぐと臭いと思うみたいな感じで、
     君達みたいな悪魔が人生に横槍を入れた人間が近づくと、痒くなる。」
    「じゃあ今も?」
    「ああ、凄く痒い。」

    秋山さんは一人でこういう事をしているのではなく、
    何人かの仲間と連携で「悪魔のカモ」を捕まえているらしかった。
    一人予知夢を見る女性が各地の仲間に連絡をとり、
    今回は俺がその「網」に引っ掛かった塩梅らしい。
    無事に捕まって何より、と言って良いのだろうか。

    「だけど皆が皆こっちの都合通りいくわけじゃない。
     話をしている最中で怒りながらどこかにいく人もかなりいる。
     お金が手に入るんだからアンタにとやかく言われる筋合いはないとか言ってね。」

    その秋山さんの言葉に頭の中がくすぐられた。

    少し前の話である。
    仕事で使う材料を買ってくる事になり秋葉原まで繰り出した。
    散策した所使えそうな商品が二つある。
    そこで上司に電話で相談した所、

    「今回は予算が厳しいから安い方を買って来て」

    と言われて安い方を購入したのだが、
    肝心の現場で規格が合わないのか使い物にならなかった。
    その時に明道さんが言ったのが、

    「やっぱり安物じゃダメやったか、
     ケチらずに最初から高くて良い物買ってりゃよかったな。
     安いモンと旨い話には裏があるもんやから。」

    という言葉だった。

    時間が一分だけ巻き戻せるこの力。
    この力が俺の心の中で絶え間なく囁き続けてくる。
    いいよ、そんな目の前のオッサン無視してたんまり稼ごうぜ。
    金さえあれば家や女や欲しいもの、人生全てが楽勝なんだから。

    「まぁ、金はいつでも稼げますから、今となっては」

    明道さんの言葉がはやる心をねじ伏せた。
    金は、確かに欲しい。あればあるだけ便利なのは確かだろう。
    だが、今は急がなくとも良い、力に目がくらまなくても、いい。
    俺の言葉が余程意外だったのか秋山さんが少し笑った。

    「冷静だね、君。」
    「いえ、肩を触られた時に判ったんですよ。
     秋山さんに肩掴まれた時、
     子供の頃に親から捕まった様な感じがしたんですよね。
     そういう時って決まって俺が悪い事をした時でした。
     もし、あのまま俺が一億とか稼いでいても、
     帰りの飛行機の中でこれでいいのかなとか考えちゃったと思うんですよ。
     そういうのを総合的に考えた時、
     今回そんなに稼がなくても、
     本当に大金が必要になった時にまた来ればいいなって、
     そう思っただけなんです。」

    一杯奢るよ。
    そう言う秋山さんに連れられて向かったのはドリンクカウンターだった。
    俺は君みたいな力が無いからお金ないからね、と笑いながらいう秋山さんだから、
    「じゃあコーラ」と笑いながら注文した。

    コーラとオレンジジュース。
    アルコールは入って無い。
    君はお金をコントロール出来ると思うかね、と秋山さんに聞かれて、
    正直無理だろうと答えた。
    大金を手にして退職しても暫く寝るだけの生活を送るだろうし、
    それからまともな生活に復帰できても相当時間がかかると思う。
    そう答えると、

    「悪魔はそういう人間に力を与えて怠け殺すんだよ。」

    とコップを傾けながら秋山さんが呟いた。
    お金はコントロール出来ない、じゃあその力はどうだね、
    時間を巻き戻す力はコントロールできると思うか?
    秋山さんから重ねて尋ねられた言葉は少し答え辛かった。
    何せ現状、自分でも判っているのだ、
    この力を完全に持て余している事に。

    「あら、時間が巻き戻せるの?」

    カウンターで二人しかいないと思っていた。
    日本語が判る人間の数だ。
    しかし少なくとももう一人いたらしく、
    隣のブロンドの女性が俺の左側から話しかけてきた。

    「ニホンジン?」
    「えっ?」
    「私昔日本に七年住んでたのよ。今でも日本のテレビ見てるわ。」

    「へぇー」と秋山さんが右奥から相槌を打つ。

    「ねぇ、時間が巻き戻せるの?」
    「えぇと……」
    「そうなんだよ、この男が時間を巻き戻せるんだ」
    「ちょ、秋山さん?」
    「ワァオ!素敵ね!ラスベガスには何しにきたの?」
    「……ちょっと遊びに」

    時間を巻き戻してお金を稼ぎに、とは言えなかった。
    カジノの経営にこの人ズルしてるわ、と突き出されるのが怖かったからじゃない。
    時間を巻き戻してお金を稼ぐ、と言葉にするのが不思議と恥ずかしかったんだ。

    「ねぇ、私も時間を戻せるようになるかしら?」
    「……う~ん?」
    「無理?」
    「無理……ですかねぇ。」
    「三年前に巻き戻したいの。」
    「いや、でも俺は一分しか戻れないんですよ。」
    「一分?ワンミニッツ?それでも私はそのアビリティが欲しいわ。」
    「一分時間を戻して何をするんですか?」
    「ジョージのプロポーズの言葉を何度でも聞き直すわ。
     ジョージが私に僕と結婚してくれ、世界で一番愛してるんだって、
     そう言い終わった時に一分戻して同じ言葉を聞くわ。
     飽きるまで聞いて、飽きても聞くの。
     凄くグッドアイディアじゃない?」
    「あはは」
    「その愛しのジョージは今ポーカーでもしてるのかい?」

    秋山さんがそう尋ねると、一つ笑顔を作って女性が言った。

    「今はきっと、天国でブラックジャックしてるわ。
     三年前にね、キャンサーだったの。」
    「きゃんさー?」
    「癌だね。」
    「そう、癌ね。
     一分時間を戻せるならジョージのプロポーズを何回も聞きたかったわ。
     飽きても聞いて、それでも聞いて、夢の中にまで出てくる程聞くの。
     そうしたら今でもジョージに愛してるって言って貰えるでしょ?
     私も時間を巻き戻したかったわ……。
     ごめんなさい、あなた奥さんは居るの?」
    「いえ、まだ」
    「そう、ラスベガスは綺麗な人が多いわよ、良い出会いを楽しんでいって!
     じゃあね、おっと、お金は楽しんで使うものよ、使い過ぎないで。
     ジョージをなだめるのに私いつも苦労したんだから、じゃあね!」

    女性がブロンドをたなびかせて去った後、
    思わず俺の口から言葉が零れた。

    「秋山さん。今、本当に信じる事が出来ましたよ。」
    「なにを?」
    「俺に力を与えたのは本当に悪魔なんですね。
     神様なら、俺じゃなくてあの女の人に力を与えていた筈ですよ。」
    「  そうだね……。
     あのね、今なら俺の話をもっと聞いてくれると思ってしたい話があるんだけど、
     いいかな?」
    「勿論です、ジュースも奢って貰っちゃったし、聞かせて下さい。」
    「コインがあるだろ?25セントでもいい、百円でもいい。
     触ったらどうだい?冷たいだろう?
     でもね、コインってのは温かくなる瞬間があるんだよ、どんな時だと思う?
     折角だ、ちょっと歩きながら話そうか、あっちに行こう。」



    ―――――――――――――――――――――
    この続きを待っていてくれたんですか?
    どうもありがとう、本当に嬉しいです。
    このオハナシを書きながら少しずつ、
    今私の心に溜まっている澱の様なものが剥がれ落ちているような気がします。
    少し牛歩な進み具合になるかも知れませんが、
    最後までお付き合い頂けると感謝です。
    けんいちろうでした。

    ④をお待ちあれ。
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  • 冷めた硬貨 ②

    2018-01-12 21:09

    只今続き物を書いています。
    →前のオハナシ←
    ―――――――――――――――――――――


    会社を辞めたいと上司である明道さんに伝えた。
    自分がしでかした悪い事を親に言いに行った幼き日の事を思い出す。
    しかしあの頃と決定的に違う点は、俺は別に悪い事をしていないという事だ。

    退職を言い出すという事はただ「会社を辞めます」と言うだけに終わらない。
    当然、いつ会社を辞めるのかまで決めねばならない。

    「ところでいつまでに辞めたいとかあるんか?」

    と明道さんに聞かれ、こんな返事をしてしまった。

    「……いつ辞めたらいいですかね?」
    「そんなん、僕は知らんよ」

    もう、アタシ達別れましょ。
    ええ…君が言うなら仕方ないけど…いつ別れるの?
    ええっと…いつ別れたらいいかしら。
    知らんよ。

    明道さんの言葉にううん、と唸ってしまったのは間抜けな話だった。

    何か重大な事が起こるのでそれに合わせて退職する、という訳ではない。
    次の転職先があったなら、
    その先方の事情とすり合わせて時期を決める事もあったろうに、
    転職先も何もあったものではないので「じゃあこの日で」と言う時が無い。
    決めている事と言ったら、ゴールデンウイークにラスベガスに行くという事だけ。

    「例えばゴールデンウイークまでに退職したり出来ますかね」
    「え!ゴールデンウイーク?」
    「ゴールデンウイーク……」
    「もう一か月も無いやん、それはちょっと僕も困るなぁ」
    「そうですよね、すいません。えーとじゃあ……」
    「なぁ、こういうのはどうやろ。
     取りあえず、君が会社を辞めたいと僕に言った事は部長にも伝えとく。
     でも、いつ辞めるかはそんなに急いで決めんでええんなら、
     取りあえずそういう意思があるって事だけ、伝えとくで。
     要するに意思はあるけど迷ってる、
     場合によっては会社に残る、
     そうした方が多分お互いにもええんやないかな。」
    「んん……」
    「なんや、それとも僕と一緒に働くのがそんなに嫌なんか!?」
    「ええ!?」
    「もう、こんな上司、やってられませーん!みたいな」
    「そんな訳ないじゃないですか、
     明道さんと働いててめっちゃ楽しいですよ、
     たまにイラっとすることありますけど!」
    「なんやと!少し前まで車の運転も覚束なかったくせに!」
    「あー言いましたね!なんなら今事故らせますよ!死にますよ二人で!」
    「ふざけんな勘弁してくれ、嫁が家で待っとるんやから!」

    明道さんと話していると毎回こんな感じになる。
    一通りいつものワイワイをやり終えたと思ったらふいに明道さん、

    「ところでゴールデンウイークに何かあるんか?」

    と聞いてきた。
    ええ、ラスベガスで時間巻き戻して大金稼いでくるんですよ。
    そんな言葉を言うか言わないかは別にして、頭に一瞬通り抜けていった。

    「いえ、丁度連休だから、そこで終わらせられないかなって、
     そう思っただけなんです、すいません。」
    「謝ることやない。まぁ君も改めて考えてみてくれ。
     それで本当にもう辞めたいという事になったら、
     その時に時期と合わせて改めて話を聞かせてくれ。」

    明道さんにそう言われた言葉を胸に思いながら四月を過ごした。
    思えば時間を巻き戻せるようになるまでは、
    退職しようなんて考えていなかったのが本音だ。

    ただ、労働が過ぎて身体が疲れてるな、とか、
    貯金が無駄に溜まっていくな、とか、
    結婚したいと思う相手も今はいないのにこのお金どうしよう、とか、
    とか、
    とか、
    とか。

    「とか」は朧げ、ぼやけてる。

    何かが見えそうなんだけど、見えそうで見えない。
    色んな「とか」が寄り集まって形になるも、はっきりした輪郭にはならない。
    何か『嫌な感覚』を覚えるがそれだけ。
    決定的な感情には至らなかった。

    その点「時間を巻き戻す力」は強かった。
    時間を巻き戻すという現象がすぐに「お金」という言葉に繋がり合って、
    そのタッグが「退職」という明瞭なイメージまで風穴を開けた。
    「とか」なんて弱気な響きはどこにもなく、
    結局、「とか」に塗れたそれまでの時間は、何かが弱かっただけなんだ。

    今はまだ時間を巻き戻す力しか手元に無い。
    だからきっと退職する事にも若干弱腰なんだ。
    お金まで手に入れたらきっともっと強く退職したくなるに違いない。
    そう思う俺は迎えたゴールデンウイーク、
    飛行機に乗ってラスベガスへ旅立った。

    マッカラン国際空港への着陸が長い空の旅を締め括り、
    飛行機を降りて雇った通訳の人と無事合流を果たし、
    バスで移動し荷物をホテルに預けてその足でカジノへ向かった。

    カジノの入り口を抜けた今成すべき事はただ一つ、大金を頂く。
    目的の場所はルーレット。
    カジノ用に持参した金五十万円余りをたった一枚の茶色のチップに替え、
    チップケースも受付のお姉さんが渡してくれた。
    たった一枚のチップの下に不釣り合いな大きさの緑のケースを突き出され、

    「帰る時には中身一杯にして戻って来てね」

    と笑顔混じりのウインクで送り出してくれた。
    そんな素敵な事を言ってくれるなんて、
    確かにここはアメリカ、夢の国。

    その後カジノの中を歩いている最中に通訳の人は気を利かせてくれたのか、

    「私はちょっと離れた場所から見てますから、
     なにかあったら声をかけて下さい。
     何か困ったような様子でもこちらから声をかけに行きますね。」

    と私から離れていった。
    いざ一人になって向かう狩場はルーレット。

    初めて来たカジノの中は上品に賑やかなものだった。
    パチンコ店のような耳の奥から痛くなる五月蠅さは無い。
    誰かが誰かと喋っている話し声、それに混じる笑い声。
    チップが鳴るカチャカチャという音はとても控えめで煩わしくない、
    チップ達が楽しんでいる人間に遠慮しているようだ。

    ルーレットゾーンへ赴くと外人が多い。
    いや、違う、俺がこの国では外人だ。
    どこの席にも俺にとっては外人が座っている。
    日本は日本人が多かったからこの逆環境は慣れないものがある。
    少しばかりキョロキョロとしていると、
    偶然アジア系の顔つきをしている男性を見つけた。
    しかもその横の席が空いている。
    俺はその席に飢えていたように吸い寄せられて腰を落とす事が出来た。

    俺が席に着くと隣のアジア系男性がニコっと笑ってくれた。
    それに釣られて俺もニコリと返し、頭をペコと下げた。

    さぁ、席に座ってしまえば後はこっちのもんだ。
    ネットで作法も多少は調べた。
    五十万の価値がある一枚だけのチップをルーレットの場に差し出し、
    ルーレット専用のチップが山になって戻ってくる。

    ルーレットの最大倍率は三十六倍。
    五十万円をかければ千八百万円になって返ってくる。
    あとは時間を巻き戻して大金を手にするだけだ。

    しかし飛行機の中では二種類の妄想が頭を過っていた。
    大量の「お金を手に入れたら何しよう」という妄想の中に、
    チラチラと見え隠れするドス黒い妄想。
    それが「ギャンブルの最中に巻き戻せなくなったらどうしよう」という妄想だった。
    ルーレットが回り終わった時に時間が巻き戻せなくなっていたら。
    しかもその時にチップをかけていた位置が万が一間違っていたら。

    悪い思考はタフで何度でも蘇る。
    良い事がある筈だと思考を上塗りしても、
    「いや、でももしかしたら」という低い呻き声と共に蘇る。
    結局、良い思考と悪い思考の鬩ぎあいの中、太平洋の空を過ごした。

    だが今、もうルーレットの席に座ってしまっている。
    妄想が現実になる時がやってきた。
    現実になるのは良い妄想か悪い妄想か。

    俺は左手に自宅の鍵を握りしめた。

    他の人がチップを置き、
    いよいよディーラーが玉を握ると、ルーレットの中に放り込む。
    玉が穴に落ちるまでおよそ三十秒強。
    ゆったりと回っていた玉がココン、と音を立てて跳ねた瞬間に鍵を右手に持ち替え、
    玉はと言うとルーレット盤の黒の十番に転げ落ちた。

    時間を戻す。

    時間は、戻った筈だ。
    玉が落ちた後に変わった周囲の雰囲気も一瞬にして消え去っている。
    俺自身の両手をぐっと握ると、
    右手に持ち替えた筈の鍵が左手の中に戻っていた。

    黒の十番。
    黒の十番だ。

    間違いない筈!

    ディーラーが玉を盤の中に放り込んで間髪入れず、
    手元のルーレットチップを全て黒の十番に迷いなく置いた。

    心臓がバクバクと鳴っている。
    自分の臓器の一部とは思えない程音が聞こえてくる。
    さながらエンジンをふかしたスポーツカーのようだ。

    くるくると悠長に回っていた玉が同じようにカンカンと跳ね、
    またきたよ、と言わんばかりに落ちたのが黒の十番。

    急に空気を入れられた風船のように俺の口が
    「はぁーっ!」と息を吸い込む音を鳴らした、恥ずかしい位に音を鳴らした。
    ディーラーも「マジかよ」という目を見開いて俺を見ている。

    五十万。
    三十六倍で千八百万。

    千八百万。

    千八百万円。何年働いたらその額が貯金できる。

    年収と貯金は違う。

    違う、そんな事はどうでもいい。千八百万。

    「………やっ………た………!」

    やった。
    やってしまった。
    時間を戻して金を稼いだ。千八百万も。
    目の前に返しのチップがザラザラと返ってくるのを見て思わず笑ってしまう。

    もう何も考えられない。
    退職の事すら頭の中から吹っ飛び、
    千八百万、これが三十六倍になれば、億超える。
    あまりの額の大きさに脳味噌が計算する事を拒否したようで、
    億を超える、その事しか頭が判断出来なかった。

    同じ卓の外人達がヒュウ!と口笛を吹いたり歓声を上げる中、
    また卓の上にチップが置かれていく。ルーレット盤も回り出す。
    コロコロと玉が落ちたのが今度は赤の十四。
    赤の十四、
    赤の十四。

    時間を巻き戻す。

    ヒュウ、と口笛が聞こえた。
    一分前に聞こえた外人の口笛だ。
    そしてまたディーラーが玉を盤に放り込んだ瞬間に、
    俺の右肩に何かが当たった。

    頭の中には大金しか舞ってないカジノの中、
    一瞬の衝撃にふと我に返って自分の肩を見てみるとそこに乗っていたが一つの手。
    その手を辿ってみると隣のアジア系の男性の身体がそれにくっ付いていた。
    俺が席に座りやすいと思って近づいた彼が、俺の肩をがしっと掴んでいる。

    「二倍にしとけ。」

    俺の肩を掴んだ男性が俺の目を見てそう言った。

    「日本人だろ?
     挨拶の時に頭を軽く会釈をするのは日本人だ。」
    「……え?」

    カラララと玉がルーレット盤の中を元気に走っている音がする。

    「驚いた時に、え?と言うのも日本人だ。
     三十六倍にするのはやめとけ、二倍にしとけ。
     時間が戻せるだろ、お前。」

    玉がカコ、カコンと走り終えるが聞こえた。
    収まったのは赤の十四。



    ―――――――――――――――――――――
    →次のオハナシを読みに行こうか←

  • 冷めた硬貨 ①

    2018-01-10 12:082

    人間とは不思議なもので「時間」という単語を聞くとまず時計を連想する。

    かく言う俺もその手の人間で、
    時間が一分だけ巻き戻せる力を手に入れたこの瞬間、
    無意識にケータイの時計に目をやった。

    デジタルの時計には針が無い。文字しかない。
    本当に一分を巻き戻せる能力を得たのか確認したかったのだが、
    『21:22』の文字が『21:21』になったところでなかなか実感が沸かない。
    完全に感情の問題である。

    『劇的な物事には劇的な様相が伴う筈だ。』

    時間を巻き戻せる能力を天から授かった俺にはそんな盲信があり、
    デジタルの文字が一個変わる位の変化じゃ信じられなかった。

    住所は中野、東京中野区。
    隣に新宿があるせいか夜も道路に車が走る。
    風呂を浴びて既に寝間着姿だったが羞恥心も無く外に出て、
    車が走る道路に目を向けた。

    すると闇の向こうから光るライトと共に車体の影が見える。
    この前方から向かってくる車に授かった能力の確認を助けて貰おう。
    やってきた一台の白い車が目の前を通り過ぎると同時に時間を巻き戻した。
    すると、一分後にまた同じような車が目の前を通り過ぎて行ったのだった。

    だが速過ぎる。車じゃ速過ぎる。
    車が目の前を通り抜ける時間なんて、たった一秒足らず。
    対して巻き戻る時間が一分だとその比は六十倍になる。
    ひゅんと車が通り過ぎた後の五十九秒は思いの外待つのが長くて、
    どうにも時間を巻き戻した気分にならなかった。

    なんかしっくりこない。
    時間を巻き戻せてはいるようだが、まだどうにもしっくりこない。
    能力を得たのだ!と感動できる決定的な実感が胸に飛び込んで来ない。
    そうしてヤキモキしている最中に素敵な事に気が付いた。
    そうだ、テレビを使おう。テレビなら一分の中に相当の変化がある。
    この事に気が付いて踵を返した夜の中野は四月に入ったばかりだった。

    夜の九時、部屋の中。
    テレビの電源を点けるのなんて久方振りだ。最近テレビなんて見ていない。
    久しぶりにテレビを点けるとトーク番組でお笑いの人間が集まって何かを話している。
    正直面白くない物事を強引に笑っているとしか思えない内容だったが、
    この際内容なんて知ったこっちゃない。

    それ、と思って時間を巻き戻すと急にテレビの画面が切り替わり、
    一分前に見たシーンが再び流れ出した。

    やった、とそこで初めて実感した。

    テレビ局の不具合ではない。
    テレビ自体の不具合でもない。
    確かに時間を一分だけ、巻き戻せたのだ。

    その瞬間頭に浮かんだ思いは『もう働かなくて済む』だった。

    一分だ、一分だけだが時間を巻き戻せる。
    一回巻き戻すとその後五分のクーリングタイムが必要だが、
    一分だけなら時間を巻き戻せる。

    昔読んだ漫画で時間を巻き戻せるキャラクターが競馬場に行き、
    一日で何千万も荒稼ぎしたエピソードがあった。
    あの漫画と同じ事が今なら出来る。
    そう思って競馬の事を調べた。
    何せ競馬なんてやった事がない。
    テレビのCMで筋肉が隆々に締まった美しい走る馬体を見た事はあるが、
    実際には競馬場に行った事も無いのだ。

    それからインターネットが良い事を教えてくれた。
    競馬の馬券はネットでも買える。わざわざ競馬場まで行かなくても良い。
    これはいいぞ、家の中に居ながら楽々金を稼げと神が俺に囁いているに違いない。
    もう頭の中は新しいパソコンに買い替える事と、
    会社を辞める時に切り出す台詞の事で一杯だ。

    だがインターネットというのは親切が過ぎる。なんでも教えてくれちゃう。
    どうやら競馬というのは大抵のレースの終始に一分以上かかるらしい。
    JRAという大きくお金が動く会場のレースでは最短コースでもおよそ1200メートルある。
    調べた限りでは一着でゴールするお馬さんでも一分と数秒かかる。
    金額の流動が少ない地方の競馬では800メートルしかないレースがあり、
    そこでのタイムは五十数秒との事で思わず手を拳に握りしめたが、
    更に調べたら賭け金を入金してレースが始まるまでおよそ十秒の時間があるとの事。
    なんてこったい、それじゃあ合計で一分を越えちまうじゃないの。

    嗚呼、お馬さんが二倍の速度で走れる生き物だったらなぁ。
    そんな事を思って肩を落としたがまだ諦めてはいない。

    時間が巻き戻せるなんて能力は漫画かアニメでしか聞いた事が無い。
    小説は申し訳ないが読まないので除外するが、
    兎にも角にもこんな簡単にお金が稼げそうな能力を使わない手はない。

    競馬が駄目だっただけだ。
    この世には色んなものが溢れている。
    他に何か無いか、無いかと電子の海に飛び込む。

    「時間が巻き戻せたら お金」

    という一見馬鹿みたいなキーワードで検索してみた。
    その結果が、

    「中学校からやり直したい」
    「結婚式に戻って昔の自分を止めたい」
    「就活をもう一回やりたい」

    というラインナップ。
    皆きっとティッシュ無しには聞けない人生を送っているに違いない。

    けれどこちとら巻き戻せるのは一分だけなのよ。
    一分で出来るお手軽料理みたいな金の稼げる時間の巻き戻し方、ないのかなぁ。
    頬杖を突いて考えていると点けっぱなしのテレビが天啓をくれた。
    その時テレヴィジョンに映し出されたのはなんとネバダ州のラスベガス。

    そうだ、カジノか。
    しかもピンときた事もある。ルーレットだ。

    すぐさまネットで調べてみるとこれが当たりだった。
    ルーレットはチップをかけて玉が溝に落ちるまで大体三十秒無い。
    最高配当は三十六倍、即ち一万円かけて当てれば三十六万円返ってくる。

    ラスベガスに行こう。

    そう思い立った時節は春、四月初頭。
    次に控える長期休暇はゴールデンウィークだ。
    待ってろ黄金週間、そこが俺の退職日になる。

    人間大金が手に入ると判ると思考の飛び幅が強まるようで、
    こんなテンポで頭が退職に向かって回転するなぞ、
    内心俺は余程働く事に嫌気がさしていたに違いない。

    退職した後にどうするかとかは最早頭に無い、退職する、それだけが頭に浮かび、
    それ以外の事は何も浮かんでこない。
    とにかく退職したい、働きたくない。

    どうしてそんなに退職したいのかと言うと職場環境に問題があった。
    人間関係ではない。寧ろ人間関係は良好な方だ。上司とも気が合う。
    問題があるのは残業時間で、うちの会社は114時間で残業が頭打ちする。
    そしてその規定値を越えた場合は産業医という医者が呼ばれて会社の中で体を見られるのだ。
    ぶっちゃけ口の中と瞼の裏を見られて、

    「身体に異常はありますか?」

    と聞かれた言葉に、

    「ありません」

    と答えるだけの非常に短い診断内容。その間一分未満。なんて省エネ。
    いや、そんな内情のリークはどうでもいい。

    とにかく時間が無いし、時間が無い事には金も使えない。
    使わなかったら金はただの丸い金属か紙きれに過ぎない。
    俺は金を金として使いたい。使わない金に意味は無い。
    退職したい。俺はなんの為に働いているんだ。

    もういい、退職するんだ俺は。
    金が手に入る算段もついたし。

    だが一つ心苦しいのはこの事を上司に言いださなければならない事だった。

    ウチの会社は音響・映像の機材をレンタル・納品するのが商売。
    俺は会社の販売納品部門に属している。

    大学の講義室に天井からでかいテレビが吊ってたり、
    飛行場とかで大きな掲示板ディスプレイがあったりするだろう。
    あれを設置しに行くのが俺達の仕事だ。
    図面を引いてシステム図を書き、部材と商品を揃えて現場に向かう。
    現場では配線を引き回してスピーカーやテレビと言った商品を設置する。
    口で言えばこんな簡単な説明になるが実際にやるとなかなか面倒だ。

    勿論仕事なんて何をやっていても嫌な局面がやってくる。
    そんな時に嫌な気持ちを緩和してくれたのが上司の明道さんだった。

    直属の上司である明道さんには恩もある、義理もある。
    そんな上司に退職の旨を言い出すのは随分と気が引けた。

    四月も半ばになった。
    横浜の現場帰りの高速道路、夜八時半。
    白いハイエースの中で車の後ろに空のダンボールと仕事道具をみっちりと詰めて、
    明道さんと二人きりの車中で意を決して切り出した。
    口を開く時に渇いた唾がまとわりついて思わず喉を鳴らし、
    「あの」と言うと「ん?」と明道さんが返事をしてくれる。
    ラジオで鳴らしているNACK5の音量を絞り、唾を一つ飲んだ。

    「ちょっと退職を考えてるんですけど……」
    「えっマジ?」
    「ええ……」
    「ええ~……ホンマ?」

    うちの会社は本社が大阪。
    だからか出身が関西の社員も多い。明道さんも、その一人。

    「どうして?どうして辞めるん?」

    本当に驚いたといった顔で明道さんが聞いてきた。

    「いや、ちょっと疲れちゃって……」
    「えーそうなん?じゃあ僕も辞めようかな、もう疲れちゃった」
    「ええ?明道さんが辞めたらうちの部、潰れますよ」
    「潰そうよー、もう疲れちゃったー」

    どこまで本気か判らない冗談を明道さんは言う。
    二人で馬鹿みたいな冗談を言って笑いあった現場も数知れない。

    だが一つだけ、こんな事があった。
    まだ俺が前の彼女と付き合っていた時、
    仕事の折り合いがつかずに三か月程会えない時があった。
    デートをしようと日程の調整をしようとしても仕事が入る。
    明道さんが「僕のせいじゃないからね」と思わず漏らした程に忙しかった時期だ。

    その時期のある現場がいよいよ終わるかとしていた時、
    明道さんが晩飯を一緒に食べながら唐突にこういった。

    「君、今度の日曜日休みなよ」

    聞いた瞬間に驚いたものだ、その現場は本当に忙しくて暫く土曜も日曜も無かった。
    そんな現場の最中、日曜日に休め、と俺に言ったのは吃驚した。

    「いや、俺も働きますよ、だってまだ現場が終わってません。」

    そういうと一緒にご飯を食べていた他の面々に明道さんが、

    「コイツ、三か月も彼女に会えてへんねんて。
     前からの予定では今度の日曜に遭うとか、そんな事言ってたやろ、君。」
    「いや、そうですけど」
    「だから休みやるから、彼女とデートしてき。
     会社は給料くれるけど、嫁はくれへんで。」

    明道さんのその言葉に息を合わせる周りの仕事仲間達。
    そうだそうだ、女は自分が掴んどかなきゃいけないんだぜ。
    会社がくれた金を彼女に使ってこい、いいから休め。
    やんややんやと賑やかに言われた言葉達に涙が出そうだった。

    結局、その彼女とは別れてしまったが、
    その日の事は美談としていつまでも忘れない、きっと。

    だがその上司に退職を相談するのだ。
    胃が痛い。

    「あれか?彼女と別れたからか?」

    肝心な所を言い淀んでいるとそう明道さんが聞いていた。
    いえ、違います。あれはきっといつか別れていたんです。
    別に仕事が忙しいからとかじゃありません。
    そう答えると、じゃあ、どうしたん?と聞いてくる。
    ふたりともフロントガラスの方に顔を向け、オレンジ色の高速道路を眺めている。

    「ちょっと、なんで働いてるんだろうなぁ……って思って。
     一回働く事から離れてゆっくりしたくて。
     駄目ですかね、こんな理由じゃ。」

    時間を一分巻き戻せるようになったんで、
    ラスベガスで大金稼いでくる予定なので仕事辞めます。
    そんな言葉をこの口は言えなかった。
    まるで裏切りだと思ったんだ。
    今まで色々良くしてくれた明道さんに、
    こんないきなり言われたら頭がパーになったのかと思うような事、
    それを聞いた明道さんがどんな顔をするのか知るのが怖くて、口が嘘を吐いた。

    明道さんは、

    「どんな理由であっても君が辞めるというのを止める事は出来ん。」

    と言ってくれた。しかし、一言だけ、

    「でも、本当に辞めてしまうん?」

    と重ねて尋ねられた時、
    心臓と胃の間の部分が上下から串刺しにされたような痛みを覚えた。
    けれど本当に思っている事を言えるほどの度胸は無かったし、
    時間が巻き戻せるんですと言って、他人を理解させることが出来るとも思わなかった。

    「すいません」

    と俺が一言いうと、そうか、と明道さんは言い、
    俺が絞ったラジオのボリュームを明道さんがゆっくりと上げた。
    聞こえてきたのは懐かしい曲でEldissaのStatin' Aliveのボサノヴァ調。

    「まだ君、若いからなんでも出来るよ」

    とボサノヴァの中で明道さんに言われたが、
    もうそれ以上の返す言葉を俺は判らなかった。
    ただ「はい」と、まるでゲームの選択肢を選んだ時の様な、
    そんな返事を返すだけで精一杯だった。



    ―――――――――――――――――――――

    続きますが恐らく全三~六話位です。

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