• 死走(中編)

    2017-06-22 12:15

    このオハナシは続き物です。
    前編は→こちら←からどうぞ。
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    殆どの人間は自分の手の届く範囲のみを知る。
    手の届き難い場所の事を詳しく知ろうとは思わない。
    余裕が無い事や、手元の事で満足するのが理由として挙げられる。

    城の中で暮らす者は城の外を知ろうとしないし、
    城の外で暮らす者は城の中の事を知りえない。

    だが、この隔たれた二つの空間を繋げるものがある。

    それが人の情。

    恋慕や嫉妬や人の中に渦巻く様々な欲、時には狂気。
    中でも殺意は群を抜いて隔たる二つを貫くだろう。

    「お主の殺意は余程強い。
     それがまず手を貸そうと思った理由の一つよ。」

    殿様を殺したいと尋ねて来た女。
    その女に手を貸そうと妖刀作りの支度をし始めた時久。
    その様を傍らで見ていた女が、
    どうして自分に手を貸そうと思ったかと尋ねたのだ。

    「それに人を殺す為という理由も気に入った。
     そもそも刀は人を殺す為の物。
     刀には鍔があるだろう。鍔は鍔迫り合いをする為よ。
     なぜ鍔迫り合いをする?それは人が斬り合うからよ。
     人と人が斬り合って、
     およそ誰も死なぬ、という事は、ぬるい。
     刀を抜けば誰かが死ぬ、それが刀というもの。

     お主の語気は戯れではなかった。」

    時久が手に取ったのは既に刀の形をしている鉄の棒だった。

    「新たに打つのではないのですか。」
    「これから打っては時間がかかりすぎる。
     それに、お主が帰るために再び山を越えねばならぬだろう。
     人生何事も備えが肝心。
     妖刀作りは一から打つ時もあれば、
     こうしてほぼ出来かけの刀を仕込んで妖刀に育てる時もある。」

    人は無茶を言う。
    妖刀作りの匠と呼ばれる男に人は無茶を言いたがる。
    お前なら出来るだろう、やってくれよ。
    そんな輩が来たのは一度や二度ではないので、
    流石に時久の方でも予め妖刀の母体となる刀を、
    途中まで作って置いておくと言う策を拵えた。

    山の向こうの備前。
    そこで名を轟かせる旅の一座はついに望みに手をかけた。
    名を売るためにあの手この手の宣伝活動、
    取り入れる相手には全て取り入り、
    見向きもしない相手には強引に懐に潜り込む。
    最初はしがない観客達から、
    強引な芋づる式で城の家老達まで御贔屓にしたてあげた。
    その結果ついに三月前から殿の御前でのお披露目が叶い、
    それが月に二度の習慣化まで持ち込んだのだった。

    「お披露目を一回休んできたとはいえ、
     山を越えねばならぬだろう。
     それに色々と段取りもあるだろうに。
     急ぐに越した事は無い。」
    「お心遣い痛み入ります」
    「それにしてもお主、一度はその殿様の前に出たのであろう。
     よく殿様が手を付けなかったものよの」
    「まぁ……今の一座は備前だけではなくて、
     備後にも大層なが知れていますから。
     御贔屓の偉い方は多くおります。
     だからおいそれと手は出さぬのでしょう。」

    なるほど。
    そう言って時久が用意した粘土、木炭、鉄の粉末。

    「ではお楽しみは明日にしよう。」
    「今日は?」
    「今からやっては時間が合わぬ。
     明日の朝からな。」

    客間に寝床をもう一つ。
    そこでどうぞと勧められ、女が横になった。
    時久は自分の寝床に転がって寝る。
    そのまま朝が来た。

    女が起きると細やかな熱気を感じる。
    脚の赴くままに覗き見ると、時久が既に窯に火を入れていた。
    よう眠れたか。そう聞かれたので、はい、とだけ答える。
    それは良かったと目を合わさずに言う時久に、
    女は横で座って静かに腰を下した。

    「では、血を頂こう。」
    「え?」
    「うむ、作ってやる相手のな、血を貰うのよ。」
    「……すいません、月のものはまだ…。」
    「うん?あ、いやすまん。
     こう手のひらなんぞに傷を入れてな、
     それで少し頂くだけでいいのだ、ダボダボとはいらぬ」
    「そ、そうでしたか。」

    刃を入れた女の手から、血が零れる。

    「それで、こうしてな。」

    女の血が炭などが入った器に滴り、
    それを挟んで時久も自分の腕を切る。

    「これで、あとは匠の仕事よ。
     暇ならどこで何をしてもかまわん。
     ただ、声だけはかけるでないぞ。」

    火がごうごうと燃える窯に、
    鋼の棒が入っていく。
    メラメラと燃え滾る熱に時久の額に汗が吹き出し、
    女はじっとどこへもいかず、その様を見ていた。

    「これで、あとは研ぐだけよ。」

    どれくらいの時間が経ったのだろうか、
    女は結局どこへうろつく事も無く、
    両足を抱えて部屋の隅でじっと時久の背を見ていた。

    「あとは研ぐだけ?」
    「ああ、やっと、研ぐだけ。」

    気付けば外は夕暮れ。
    汗をぬぐう時久が口元を歪ませながら笑っていると、
    玄関の方から幼い子供の声が聞こえる。

    「天津さまー!」
    「おお、おかよさんの所のぼうずだ。
     きっと飯のお誘いだな、いくか。」
    「え?」

    時久が女と一緒に出向くと戸口に立つ坊やが、はぁ、と口を開けた。
    時久の家の中から美人が出てくるとは思ってなかったのである。
    おかよさんから飯の誘いか、と時久が聞くと、
    首をこくこく縦にふって、走って家へ帰ってしまった。

    「はは、照れたな、ぼうずめ。さて、では世話になるか」
    「あの、私まで世話になっては厚かましいのでは」
    「厚かましいのはいつものことよ。
     それにおかよさんの家族とは持ちつ持たれつ。
     大人しく御馳走になろう。」

    「おや、天津さま、女連れで。」

    今宵の晩飯を頂きに行くと、
    中から旦那が明るい声を聞かせた。

    「あら天津さま、ようやく嫁を迎えるのですかい?」
    「ん、いやこれは客だよおかよさん。」
    「なんだぁ、あたしはてっきり嫁さんかと思ったよぉ。
     ようやくこうして天津さまを呼べなくなるかと、
     いやー残念だねぇ!」
    「嫁をとっても食わせて欲しいもんだ。
     おかよさんの飯は食えなくなると死ぬ。」
    「いやー天津さまったら口が上手なんだから」

    晩飯は、とても美味しいものでありました。
    それ以上に、あんなに笑って物を食べたのは初めてです。
    どうも有難う御座いました。
    女がそう言って深々と頭を下げ、時久と共に夜の家路。

    「戻っても仕事を?」
    「うむ。少し研ぎ始める。」
    「そうですか…また見てても?」
    「朝から昼もずっと見てたのか?」
    「はい」
    「なんだ、わしは飯をくわなんだが、
     お主もそうであったのか。
     どこぞなりとも喰いに行っても構わなかったのに」
    「いえ、気が付いたら、もう夕暮れに」
    「見てもさほど面白いものでもないものを」
    「いえ……」

    弟子には暫く来るなと言い渡した。
    小さな明かりをつけた暗がりの中、
    時久が砥石の上で刀を滑らせる。
    女はそれをまた部屋の隅でじっと見ている、だけ。

    「……おい」
    「……。」
    「おい」
    「あ、はい…」
    「もう寝るが良かろう」
    「え?」
    「山を越えてきて体も随分疲れてるはず。
     もう気を遣ってここに居らずとも良い。
     寝て来い。」
    「いえ、別に」
    「刀研ぎはな、一人でやりたい性分なのだよ」
    「……失礼しました。」

    敷かれた布団を静かにめくると、
    足の先に夜の冷たさを感じる。
    身体を布団に喰わせて目蓋を閉じると、
    夜の向こうからしゃり、しゃりと時久が刀を研ぐ音が響いてくる。
    女はそれを聞いてじっと横たわった。

    もう今日はここまで。
    そうして時久も自分の寝床に入ってしばらく、
    襖がスル、と開く音がした。
    薄目を開けて見ると女がヒタヒタと入ってくる。
    そのまま布団の端をつまみ、
    時久の横に潜り込んでしまった。

    「背中を」

    と言って女がくい、くいと脇の下を持ち上げてくる。
    なんだ、と思いながら時久が半身になってやると、
    女がべったりと体を背中に張り付けて来た。

    「……今お幾つなのですか?」
    「ん?わしの歳か?」
    「はい」
    「さぁ、数えておらぬ」
    「……また御冗談を」
    「数は七までしか知らぬゆえ、数えておらぬ。」
    「ええ?」
    「んん?」
    「……ふふ、ならば私が教えて差し上げましょう。
     七の次は八で御座いますよ。」
    「そうか、知らなんだな。」
    「八の次は九、九の次は十…判りましたか?」
    「もっと早うに教えてくれれば良かったのだがな。
     そうすれば歳も数えられていたものを。」
    「ふふ、もう……。――」
    「  どうした」
    「父が、
     生きていれば。
     こうして寝床で笑い合う日も、
     まだ、あったのかもしれないと、
     そんな事を考えていました………。
     最後に残る父の顔は、夜に小さい明かりに照らされる顔です。
     本を読んだり、何かを作っていたり。
     ゆらゆらと火の灯が父の顔に当たって、影が動くのです。
     それが、私の中に残る最後の父の顔。
     刀を研ぐ時久様を見て、それを思い出しておりました。」

    冷たい。女の足が。
    女の足の甲が時久の足の裏に触れば、
    どれだけこの女の足が冷えているか知れる。
    時久は足だけを動かし、両足で女の足先を包んだ。

    それから女の声がする事はなかった。
    ただ、寝息だけが。
    時久も、ゆっくりと瞼を閉じた。

    父は、娘を抱くまいよ。

    いかな男心が躍る様な女が夜に来たとて、
    面構えの中に父を見られては、
    最早すやすやと寝させる他にすべき事は無い。

    願わくばありし日の安らかな夢を。

    「――  ん」

    女が夢から現に戻ると、
    夜に見た時久の背中は既になかった。

    これまで幾多の男と寝てきた中で、
    相手よりも遅く起きた事はほぼ無きに等しい。
    余程心地良く昨晩は寝たのだなと頭を手で探り整え、
    朝の足取りで部屋を渡ると、
    時久が草履をはいている所に出くわした。

    「どちらに?」
    「ん、おう起きたか。いや、少し朝の散歩にな」
    「…腰に刀を差してですか?」
    「ついでに、試し切りをな。では行ってくる」

    もう、出来たのか。
    朝は何時に起きたのだろうか、
    引き続き刀を研いだのだとしたら、
    鋼を擦る音でも女は起きなかったことになる。
    山越えが体に響いたか。

    時久の出ている間に布団を片付けようと、
    まず昨晩世話になった時久の部屋、
    ついで自分の部屋の布団を畳むと、
    風を通す為に障子を開けたくなった。
    ガラリ、ストストと開ける分は全て開け放ち、
    朝の心地よい風がお邪魔しますよと入って来たのを確認できたので、
    では少し座っていようかと外に背を向けた時、
    竹が割れるような音がした。
    コン、という勢いよく何かが割れる音だった。

    慌てて草履を履いた女が音の方へ向かうと、
    向かいからは時久がやってくる。

    「先程の音は」
    「ああ、試し切りをな」
    「どうでしたか」
    「うん、まぁ……」

    煮え切らない返事をする時久に一抹の不安を覚える。
    一体どんなものかと時久を越えて竹藪へと進むと、
    そこにはまるでかまいたちが薙ぎ払ったかのように、
    何本もの竹が根元で斬れて無くなっていた。
    斬られた先から上はどこへ消えたのか。
    残骸がどこにも転がっていない。

    「とんだ暴れん坊だろう」
    「……斬ったのですか?」
    「ああ、軽くな。
     しかしなかなかの厄介さだ。見ろ。」

    左腕を時久が前に差し出し、
    掌を閉じたり開いたりしてみせる。

    「……?」
    「小指と薬指を喰われた。」

    何を言っているのか。
    小指と薬指は、手のひらにくっついているではないか。
    それでも尚閉じたり開いたりする掌を見て、
    女もいよいよ気付いた。

    「判ったか?
     力が入らぬ。
     動いていると見えるのは、
     他の三本が動いて皮を引っ張っているからだ。
     ほんの少しの試し切りで指に本を喰われた。」

    ほんの少しの試し切りで、ここまで竹を斬り抜いた。

    「この刀は…そうさなぁ、差し詰め死走(しばしり)。
     殺したいと思った分だけ、その相手に死が走る。
     ――お主の心のうちは、わしには測り知れん。
     それでも仇の相手を前にしてお主がこれを抜く時、
     きっとお主も唯ではすまぬだろう。
     恨んでくれて構わない、所詮拵えたのは妖刀よ。」
    「それを承知の上で時久様を尋ねました。
     恨みも何も。」

    ただ感謝を。



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    (続編へ)


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  • 死走(前編)

    2017-06-20 08:432

    子供だった頃は夕焼けが差すまで外にいた。
    大人は子供が帰ってくるのを家で待つものである。
    時久に子はいないが歳月だけは大人なるのに十分を過ごし、
    夕焼けを外で見たのは何時の頃だったか。

    ふと赤い色により懐かしい気にさせられたのか、
    刀の手入れをしていた時久、手にしていた道具を座敷に置き、
    ひょいと外に歩いて出た。

    空は赤。

    どこかの子供が怖い母親に叱られている声がする。
    もう帰って来なさい、ご飯抜きにしちまうよ。
    ああ、自分もあの子供の様に母に言われた事もあった。

    父は怒らない人だった。
    どんなに遅く帰っても「ちゃんと疲れて来たか」と言うだけで、
    げんこつの一つも貰った事は無かったが、
    それでもちゃんと叱ってくれる父親であった。

    叱ってくれる時に父はとにかく無言で見つめてくる人で、
    子供の時久はその目に合わせるのが心底恐ろしく、
    正座をしている足が弾けるかと思う程に痺れても微動だに出来なかった。

    母に「まるで蛇と蛙の根比べ」と言わせた父の叱り方だが、
    父は最後に頭を一つ撫でて「よし」と言ってくれるのだった。

    赤い空が遠い記憶を懐かしくさせてくれる。

    子供達の足早に家に帰る音も絶えたので、
    自分も帰るかと門も前まで来てみると、
    女が一人立っていた。

    「どなたか、お探しかな。」
    「天津時久様のお宅かと思い、ここで待っているのです」
    「天津時久にご用は何かな」
    「天下の道の上では言えぬ事を、少し」
    「おや、そうか。嫁にでもなるのかな?」
    「え?」
    「天津時久と言えば妖刀の打ち手。
     そんな男の嫁になりたいと申す女は、
     余程声を大きく言えぬと思ってな。」
    「はは、面白いことをおっしゃる。
     貴方が天津時久様ですね」
    「いかにも。
     もう日も暮れるがまぁついでだ、
     まずい飯で構わなければ食べて行って下され。」

    女の髪は腰まであった。
    なかなか整った顔の造りは、
    普段言わないような冗談まで時久に言わせたようだ。

    「料理、お上手ですね」
    「不味いと言われなくて良かった。
     なに、近所のおかよさんには負ける。」
    「ずっと独りでいるのですか」
    「弟子が仕事でやってくる。一人という訳でも無い。
     それで、」

    時久が沢庵をカコリと噛む音がまるで鼠のようだった。

    「まさか飯を喰いに来ただけではあるまい。
     どのような用事か、もう聞いても宜しかろう。」
    「実は折り入って、妖刀を一本、賜りたく」
    「どのようなのを御所望かな。
     遠慮する事は無い、大体皆、絵空事の様な事を言い出す。」
    「人を殺したいのです。」

    血が止まらぬ傷を作りたいだの、
    斬った相手を石に変えたいだの、
    追ってくる手から逃れたい上に、
    挙句死んだ嫁にもう一度会いたい。

    ここは刀鍛冶の商いだぞ、とちゃぶ台をひっくり返しても、
    よもや誰も後ろ指をささないだろう最近の面々に、
    時久もすっかり慣れてしまっていた。

    「人を殺したいのか?」
    「はい」
    「他に願う事は?」
    「殺せれば、泥をもすする覚悟で御座います。」
    「――はっはっは、そうかそうか。」
    「――何か可笑しな事を言ったでしょうか、私が。」
    「いやいや、久々にこの天津時久、腕が鳴る、と思ただけよ。」

    それで、この時久に妖刀を頼んでくるとは、
    一体誰ぞを殺しに行くのかな。
    椀の中をすっかり空にした女がそれに答えた。
    とある殿様を殺したいと。

    「殿様を?一体何処の殿だ。」
    「備前です」
    「山の向こうではないか。
     お主、わざわざここまで来たのか。」
    「風の噂で時久様の名を耳にして遥々やって参りました。」
    「そこまでして殺したいとは余程の恨みがあるのだろう。」
    「お聞き苦しい話で御座いますが」
    「刀打ちの一環と思って頂ければよい。」
    「では食後の一時には不似合いですが。」

    私の生まれたるは備前の山の近き所。
    後家の多い集落で御座います。
    父は昔に城仕えをしていた侍でしたが、
    ある時に殿様の命で山狩りに出かけました。

    古くから山にはアガラタと言う山神が居ると言われていたのですが、
    ここ二十年、アガラタが山を行く人々を襲うという噂が立ちました。
    人を襲うアガラタなぞ神殺しにしてしまえ、
    それが山狩りであります。
    そして、父はある時の山狩りで死にました。

    山狩りは毎度アガラタと遭遇はするのですが、
    アガラタを仕留めるまでには至らず手負いで逃げられ、
    それから暫くは大人しくなるという話が広がっています。

    父の死後、母は夜に家を空けるようになりました。
    父を亡くし、一際寂しく思っていたのである夜、母に密かについていくと、
    母は城へと連れられて入って行きました。
    それから母の城通いは数年続いたのですが、
    徐々に弱っていく母はついに病にかかり、父を追いました。

    身寄りをなくし、
    私は旅の一座に拾われる事となりました。
    備前と備後を回る一座で御座います。
    母が美人だったのか、私は早くに舞う側に立たされ、
    色んな男から声をかけられるようになったのです。

    その時に耳にしたのがアガラタの噂でした。
    また城の殿様が山狩りに人を出す、と。

    私は父が死んだ原因である山狩りの事を忘れた日はありません。
    あの手この手でその山狩りの事を調べている最中でした。

    本当に、男と言うのは馬鹿で御座いますね。
    まず一人の男が私と寝ていた布団の上で口を大いに滑らせたのです。

    山狩りとはその実、
    殿様が邪魔な男を始末する為の体の良い隠れ蓑。
    よく調べてみればこの殿様が手の付けられない女好きで、
    気に入った女が見つかれば手を尽くして手籠めにするという暴君振り。

    それであちこちの女を城に誘い入れては手を出す訳ですが、
    時には自分の家臣の妻であったりもする訳です。
    一人の女を一晩だけ、というのだったらまだしも、
    同じ女を何回も抱くのであれば自分の家臣である夫を殺してしまえと、
    地位の力に狂った心が言うのでしょう。

    ここまで話せばお察しの事かと思いますが、
    私の母はその狂った男に犯された挙句、
    父は罠にはめられて殺されたのです。

    アガラタなどと言うのは伝説に過ぎず、
    山に入って後、山狩り同行の者達が、
    殿様に命じられた男を誰に気取られる事無く殺すのです。
    あとは今回の山狩りで残念ながらと父の身体を持ち帰り、
    それから母が城に足繁く通っていたのも恐らく、
    まだ小さかった私を育てていく為でありましょう。

    「果たして母は山狩りの真相に気付いていたのかいないのか。
     気付いていなかったのなら哀れの限り、
     気付いていたなら、また地獄。
     自分の夫を殺した男に更に良いようにされるなど――」
    「――随分と詳しく調べ上げたのだな。
     そこまで知るとなると余程の苦労があったろうに。」
    「母が私に残してくれたもので非常に助かったものがあります。
     それが、この顔と身体です。
     おかげで夕暮れ時に妖刀作りの匠を尋ねても、
     ねだらずともこうして夜を御馳走になれるので。」
    「はは、これは参った。」
    「それに、」
    「ん?」
    「この顔と体で多くの男達がそれはもう滑らかに口を滑らせて下さいました」

    目は、笑っておらず。
    しかし口元がこれまで多くの男を手玉に取ったのであろう、
    それは艶めかしく笑みを作った。

    「どうか、汚らわしい女だと蔑んでくれて構いません。
     されど、この人生、泥を啜って生きてでも、
     必ず父と母の仇を取ると誓いました。
     私に出来る事ならば、死ぬ以外は何でも致す覚悟です。
     妖刀作りの匠と名高い天津時久様、
     どうかこの私めに御助力頂けませんでしょうか。」
    「――体を売る事が汚らわしい事とは思わぬ。
     人はそれぞれ生き方が違うもの。
     飯を喰うのに易くあれば、難しい者もおろう。
     身体を使って飯を喰えれば、それは十分な事ではないか。
     寧ろ屈辱に耐え、父母の無念を晴らすとここまで奮起するとは、
     この天津時久、汝の執念に敬服致す。

     誇れ、耐え凌いだ夜の数を。

     自ら蔑んではならぬ、胸を張れ、
     積年の屈辱に報いる時が遂に来たぞ。」
    「――それでは」
    「この天津時久、」


    久々に血が騒ぐわ。



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    →中編へ←


  • 里恋(後編)

    2017-06-17 22:122

    このオハナシは前後編です。
    お昼に更新した前編は→こちら←からどうぞ。
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    正月。
    除夜の鐘、百八つ。

    時久は近所で時たま世話になっている家に迎えられ、
    そこで温かい汁物で腹を温めた。

    一月七日。
    正月から七日も過ぎれば気分は落ち着くが、
    世間は時に寄せては返す波の様に揺蕩う。

    「ここに天津時久はいるかっ」

    連日の如く近所の家族に飯を頂いている所に、
    黒い着物を着た如何にもな役人がやってきた。
    それぞれが茶碗を手にぽかんとして、

    「天津時久は、それがし一人だが。
     他は違う。」

    と、時久だけが悠長に受け答えをした。

    「おまえか。」
    「縄に付くような悪事を働いた覚えは無いが」
    「お前を引っ立てようとしている訳ではない。
     少し聞きたい話がある。ちょっと来てもらいたい。」
    「いやまぁ待て、まだこの汁を全部すっとらん。
     おかよさんの作る汁物は残したらバチがあたる。
     なにせこんなに美味い。」

    ズビズビ、ごくん。
    すっかり出された飯を平らげた時久が如何にも面倒だと顔をしかめ、
    草履に足を通して両肩を震わせた。

    「うう、今日も冷える。」
    「悪いな。こっちだ。」

    今年は運が良い事にまだ雪が降っていない。

    「ところで何の用だ。」
    「卯之吉は、知っているな。」
    「うのきち?
     ああ、ああアイツか。知っている。
     去年の春に嫁御を亡くした男か。気の毒にな。」
    「卯之吉が昨日の晩に死んだ。」
    「    ん?」

    地面から冷気が立ち昇る。

    「昨日の真夜中に近所の者が物音を聞いて外を見ると、
     男が二人転がっていた。
     片方は全く呆けてしまっていて、
     もう片方は刀に斬られた傷があったが、
     何故か太刀を全身で抱え込むように抱きしめていたらしい。
     手当をしたが傷が深く、朝が来る前に死んでしまった。」
    「……そっちが卯之吉か?」
    「ああ。」
    「そうか…。」
    「それで卯之吉が抱きかかえていた刀に、
     時久、お前の名前が打ち込んであった。」
    「だろうな。きっとそれは俺が卯之吉に打ってやった刀だ。」
    「一つ、不思議な事がある。
     呆けている方の男だが、
     調べてみれば少々盗みを働いていた過去がある。」
    「それで?」
    「割とシャキシャキ動いて敏い奴だったらしいのだが、
     今そいつは涎を垂らす程に呆けている。
     まるで気が触れてしまったようになっているのだ。」
    「ほう。」
    「呆けた盗人、刀を抱きかかえて死んだ卯之吉。
     どうして、斬られた方の卯之吉が刀を抱きしめている。
     そしてなぜ、盗人が一夜にして呆けた?
     そしてお前だ、天津時久。」
    「ほほう、どういう役者で呼ばれるのかな?」
    「妖刀作りの天津時久。お前の事だろう。」
    「ははあ、これはなかなか名前が売れて来たな。」

    朝は来た。
    だが、空が重い。
    黒々とした雲の大関達が雨は降らせずとも、陽を塞ぐ。

    天津時久が通された所には、
    唇が土気色になってしまった横たわった卯之吉と、
    鞘から放り出されたままの刀が一本、あるだけだった。

    「お前が刀を打ってやった卯之吉だな?」
    「確かに。この男の為に刀を打った。
     ところで誰か、その刀に触ったか?」
    「?ああ。」
    「鞘から出たままか?」
    「そうだが?」
    「何もなかったのか。」
    「そうだが。」

    おかしいな。
    時久の中で疑問が走る。

    「この刀も妖刀か?」
    「その筈だ。」
    「何か、この件で判る事は無いか?」
    「触ってもいいか?刀に。」
    「構わん。」

    時久が伸ばした指の先から、
    吹きすさぶような鼓動が響いた。

    頭の薄布一枚上を剃刀の様な痺れが通り過ぎ、
    時久の目玉がぐるんと上に回った。

    頭上を駆け抜けた痺れが景色を捲ってぐるぐる回す。
    上を向いてみている光景が万華鏡の如く前から後ろへと走り抜け、
    屋根の下の筈なのに楓、桜、果ては見知らぬ地面など、
    辺りが回っているのか自分が回っているのか、
    最早どこが上か下かもわからぬようで、
    時久が口を思わずかぱりと開いた。

    すると、ぐん、と放り込まれるように身体が動き、
    気が付けば、見知らぬ部屋の中に立っていた。

    明かり一つも無い。

    見た事も無い部屋の中。

    少し落ち着いて部屋を見れば、
    壁に刀が立てかけてある。
    卯之吉に打った刀である。

    その時、がた、からん、と音がした。

    扉。

    つっかえ棒が、ころころと転がっている。
    時久が暗い部屋の中で息を止めて扉を見ていると、
    そろそろと扉が開き、男が一人、入って来た。
    入って来た男が抜き足差し足で部屋の中に入り、
    壁に立てかけてある刀を掴んだ、その時だ。

    「だれだ?」

    声がした。
    入って来た男ではない。
    卯之吉だ、この部屋で、卯之吉が寝ていたのだ。

    「待て!」

    刀を掴んだ男が慌てた様子で畳を蹴る。
    それを追う卯之吉、布団を跳ねる。

    あっけに取られた時久は動く事が出来なかったが、
    その必要は全くなかった。
    まるで自分の身体が幻であるかのように何もかもを突き抜けて、
    棒立ちの時久は刀を盗み出した男の横にぴったりと立っていた。

    道を駆ける盗人の横を滑るように動くのか、
    いや、違う、寧ろ動いているのは自分ではなく、
    景色の全てが動いているのだ。
    そうか、これは幻か、
    あの刀の幻か。

    時久が悟った時、
    盗人の後ろから卯之吉が叫ぶ声がする。
    まて、その刀を返せ、その刀だけは、返せ。

    盗人は、逃げるだけが能ではない。
    それまで卯之吉に背を向けて逃げていた盗人が柄に手をかけ、
    卯之吉に振り返り刀を抜こうとした。

    だが、抜けない。
    時久が瞬きも出来ない目の前で、
    立ち止まった盗人が抜けない刀の鞘で慌てて卯之吉の腹を打った。

    ぐう、と倒れ込む卯之吉の前で、
    かちん、と音が聞こえた。

    刀の封をしていた紐が、一人でにしゅるしゅると抜けたのだ。

    しめた、やったぞ。
    そんな顔をした盗人が刀をずらあと抜いたその時、
    再び夜の天地がぐるりと回った。
    盗人も、時久もぐるりぐるぐると回る天を見つめるばかりの中、
    まるで煮込んだ泥窯のような空気が立ち込めて来た。

    地獄だ。

    空が黒々、向こうには針の山の様なものが見え、
    右には角の生えた鬼、左には牛の頭の悪鬼が。

    「幻か……!」

    時久がそう呟いた刹那、
    恐ろしい地獄の獄卒達が盗人に襲い掛かった。
    腕や足を握られ、引き千切られるような苦悶に悶える盗人の顔。
    ぶんぶんと振り回していた刀だが、
    絞め殺されるように鬼達に掴まれ、
    とうとう力が抜けるようにポトリと刀が落ちた。

    空は、夜。

    身の毛のよだつような地獄の光景が、
    また、正月明けの静かな夜に、戻った。

    だが、卯之吉である。
    半狂乱で刀を振っていた盗人に運悪く斬りつけられたのか、
    大きな刀傷を胸に作り、地面に伏し倒れていた。
    刀を落とした男は膝から崩れ、口から涎を垂らして呆けた。

    だが、卯之吉。

    その卯之吉が這う。
    盗人が落とした刀がまるで恋しいように、
    血規がべっとりついた手で這いより掴むと、
    そのまま自分の胸に抱き込んだ。

    まるで探していた子供か嫁を見つけたような安堵の顔つき。
    卯之吉はこれ以上ないと言った笑顔で刀を抱きしめ、
    その笑顔は少しずつ、緩んでいった。

    「……すまん卯之吉……。」

    時久が悔いることがある。
    それは、太刀を立派に作ってしまった事である。
    毎日毎日手元に立派な太刀を握り、
    それを盗み見た邪なものがこれを盗みに来ても、何ら不思議はない。
    ああ、もっと小さくて見すぼらしい小太刀にしてやれば良かった。

    すまぬ卯之吉、真にすまぬ。

    「     ん。」
    「どうした?」

    時久が後悔の念の中で目を閉じ、
    またゆっくり開けると、そこは番所に戻っていた。

    「何か判ったのか。」
    「……今のが見えたか?」
    「ん?何がだ?」
    「……いや、そうか。何でもない。
     だが判った事がある。
     その呆けた男というの、そいつはやはり盗人だ。
     そいつが刀を盗み、追って来た卯之吉を切った。」
    「どうして判る?」
    「そしてこの刀がその盗人の心を喰った。
     きっとその男、二度と正気には戻らぬだろうよ。」
    「なんだと?」
    「殺したい訳ではなかった、
     ただもう一度、会いたいと願っただけ……。」
    「何を言っているんだ?」
    「いや、この刀がな、
     もし喋れたらそう言うだろうと思っただけよ……。」

    時久は見た幻を事細かに説明し、
    自分が作った刀がどういう物かもよくよく話して聞かせた。
    最初はいぶかしむ番所の面々だったが、
    時久が刀に言って聞かせて幻を見せると、
    いよいよ信じる他なかった。

    それから時久は番所を離れた。
    この刀はどうすればいいのかと問われた時、

    「さぁな、妻と夫は共にいるのがこの世の習いよ。
     卯之吉と一緒に葬ってやれ。」

    と言ってそのまま番所に残した。
    ただ、この刀の銘は、と尋ねられた時に、こう答えた。

    「お里が恋しい。」
    「ん?」
    「卯之吉が言ってたのよ。あの時の顔は忘れられぬ。
     故に、里恋。その刀の銘よ。」

    そう言って、
    時久は里恋を世に放った。




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    妖刀物語五日間連続連載第四日目。

    ※前編で死んだ妻を黄泉還らせる事についてためらう描写がありますが、
    昔は、死んで息を吹き返した者は縁起が悪いとされ、
    折角生き返ったのに殺さなければならない習慣があったと文献にあります。
    時久が嫁を黄泉還らせても惨い事、と言っていたのはこの事が理由です。