死走(前編)
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死走(前編)

2017-06-20 08:43
  • 2

子供だった頃は夕焼けが差すまで外にいた。
大人は子供が帰ってくるのを家で待つものである。
時久に子はいないが歳月だけは大人なるのに十分を過ごし、
夕焼けを外で見たのは何時の頃だったか。

ふと赤い色により懐かしい気にさせられたのか、
刀の手入れをしていた時久、手にしていた道具を座敷に置き、
ひょいと外に歩いて出た。

空は赤。

どこかの子供が怖い母親に叱られている声がする。
もう帰って来なさい、ご飯抜きにしちまうよ。
ああ、自分もあの子供の様に母に言われた事もあった。

父は怒らない人だった。
どんなに遅く帰っても「ちゃんと疲れて来たか」と言うだけで、
げんこつの一つも貰った事は無かったが、
それでもちゃんと叱ってくれる父親であった。

叱ってくれる時に父はとにかく無言で見つめてくる人で、
子供の時久はその目に合わせるのが心底恐ろしく、
正座をしている足が弾けるかと思う程に痺れても微動だに出来なかった。

母に「まるで蛇と蛙の根比べ」と言わせた父の叱り方だが、
父は最後に頭を一つ撫でて「よし」と言ってくれるのだった。

赤い空が遠い記憶を懐かしくさせてくれる。

子供達の足早に家に帰る音も絶えたので、
自分も帰るかと門も前まで来てみると、
女が一人立っていた。

「どなたか、お探しかな。」
「天津時久様のお宅かと思い、ここで待っているのです」
「天津時久にご用は何かな」
「天下の道の上では言えぬ事を、少し」
「おや、そうか。嫁にでもなるのかな?」
「え?」
「天津時久と言えば妖刀の打ち手。
 そんな男の嫁になりたいと申す女は、
 余程声を大きく言えぬと思ってな。」
「はは、面白いことをおっしゃる。
 貴方が天津時久様ですね」
「いかにも。
 もう日も暮れるがまぁついでだ、
 まずい飯で構わなければ食べて行って下され。」

女の髪は腰まであった。
なかなか整った顔の造りは、
普段言わないような冗談まで時久に言わせたようだ。

「料理、お上手ですね」
「不味いと言われなくて良かった。
 なに、近所のおかよさんには負ける。」
「ずっと独りでいるのですか」
「弟子が仕事でやってくる。一人という訳でも無い。
 それで、」

時久が沢庵をカコリと噛む音がまるで鼠のようだった。

「まさか飯を喰いに来ただけではあるまい。
 どのような用事か、もう聞いても宜しかろう。」
「実は折り入って、妖刀を一本、賜りたく」
「どのようなのを御所望かな。
 遠慮する事は無い、大体皆、絵空事の様な事を言い出す。」
「人を殺したいのです。」

血が止まらぬ傷を作りたいだの、
斬った相手を石に変えたいだの、
追ってくる手から逃れたい上に、
挙句死んだ嫁にもう一度会いたい。

ここは刀鍛冶の商いだぞ、とちゃぶ台をひっくり返しても、
よもや誰も後ろ指をささないだろう最近の面々に、
時久もすっかり慣れてしまっていた。

「人を殺したいのか?」
「はい」
「他に願う事は?」
「殺せれば、泥をもすする覚悟で御座います。」
「――はっはっは、そうかそうか。」
「――何か可笑しな事を言ったでしょうか、私が。」
「いやいや、久々にこの天津時久、腕が鳴る、と思ただけよ。」

それで、この時久に妖刀を頼んでくるとは、
一体誰ぞを殺しに行くのかな。
椀の中をすっかり空にした女がそれに答えた。
とある殿様を殺したいと。

「殿様を?一体何処の殿だ。」
「備前です」
「山の向こうではないか。
 お主、わざわざここまで来たのか。」
「風の噂で時久様の名を耳にして遥々やって参りました。」
「そこまでして殺したいとは余程の恨みがあるのだろう。」
「お聞き苦しい話で御座いますが」
「刀打ちの一環と思って頂ければよい。」
「では食後の一時には不似合いですが。」

私の生まれたるは備前の山の近き所。
後家の多い集落で御座います。
父は昔に城仕えをしていた侍でしたが、
ある時に殿様の命で山狩りに出かけました。

古くから山にはアガラタと言う山神が居ると言われていたのですが、
ここ二十年、アガラタが山を行く人々を襲うという噂が立ちました。
人を襲うアガラタなぞ神殺しにしてしまえ、
それが山狩りであります。
そして、父はある時の山狩りで死にました。

山狩りは毎度アガラタと遭遇はするのですが、
アガラタを仕留めるまでには至らず手負いで逃げられ、
それから暫くは大人しくなるという話が広がっています。

父の死後、母は夜に家を空けるようになりました。
父を亡くし、一際寂しく思っていたのである夜、母に密かについていくと、
母は城へと連れられて入って行きました。
それから母の城通いは数年続いたのですが、
徐々に弱っていく母はついに病にかかり、父を追いました。

身寄りをなくし、
私は旅の一座に拾われる事となりました。
備前と備後を回る一座で御座います。
母が美人だったのか、私は早くに舞う側に立たされ、
色んな男から声をかけられるようになったのです。

その時に耳にしたのがアガラタの噂でした。
また城の殿様が山狩りに人を出す、と。

私は父が死んだ原因である山狩りの事を忘れた日はありません。
あの手この手でその山狩りの事を調べている最中でした。

本当に、男と言うのは馬鹿で御座いますね。
まず一人の男が私と寝ていた布団の上で口を大いに滑らせたのです。

山狩りとはその実、
殿様が邪魔な男を始末する為の体の良い隠れ蓑。
よく調べてみればこの殿様が手の付けられない女好きで、
気に入った女が見つかれば手を尽くして手籠めにするという暴君振り。

それであちこちの女を城に誘い入れては手を出す訳ですが、
時には自分の家臣の妻であったりもする訳です。
一人の女を一晩だけ、というのだったらまだしも、
同じ女を何回も抱くのであれば自分の家臣である夫を殺してしまえと、
地位の力に狂った心が言うのでしょう。

ここまで話せばお察しの事かと思いますが、
私の母はその狂った男に犯された挙句、
父は罠にはめられて殺されたのです。

アガラタなどと言うのは伝説に過ぎず、
山に入って後、山狩り同行の者達が、
殿様に命じられた男を誰に気取られる事無く殺すのです。
あとは今回の山狩りで残念ながらと父の身体を持ち帰り、
それから母が城に足繁く通っていたのも恐らく、
まだ小さかった私を育てていく為でありましょう。

「果たして母は山狩りの真相に気付いていたのかいないのか。
 気付いていなかったのなら哀れの限り、
 気付いていたなら、また地獄。
 自分の夫を殺した男に更に良いようにされるなど――」
「――随分と詳しく調べ上げたのだな。
 そこまで知るとなると余程の苦労があったろうに。」
「母が私に残してくれたもので非常に助かったものがあります。
 それが、この顔と身体です。
 おかげで夕暮れ時に妖刀作りの匠を尋ねても、
 ねだらずともこうして夜を御馳走になれるので。」
「はは、これは参った。」
「それに、」
「ん?」
「この顔と体で多くの男達がそれはもう滑らかに口を滑らせて下さいました」

目は、笑っておらず。
しかし口元がこれまで多くの男を手玉に取ったのであろう、
それは艶めかしく笑みを作った。

「どうか、汚らわしい女だと蔑んでくれて構いません。
 されど、この人生、泥を啜って生きてでも、
 必ず父と母の仇を取ると誓いました。
 私に出来る事ならば、死ぬ以外は何でも致す覚悟です。
 妖刀作りの匠と名高い天津時久様、
 どうかこの私めに御助力頂けませんでしょうか。」
「――体を売る事が汚らわしい事とは思わぬ。
 人はそれぞれ生き方が違うもの。
 飯を喰うのに易くあれば、難しい者もおろう。
 身体を使って飯を喰えれば、それは十分な事ではないか。
 寧ろ屈辱に耐え、父母の無念を晴らすとここまで奮起するとは、
 この天津時久、汝の執念に敬服致す。

 誇れ、耐え凌いだ夜の数を。

 自ら蔑んではならぬ、胸を張れ、
 積年の屈辱に報いる時が遂に来たぞ。」
「――それでは」
「この天津時久、」


久々に血が騒ぐわ。



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羊匠の時、剣は羊…人を斬るモノだと言っていましたね。そうだよ、本来刀は命を絶つ物じゃないか。平和な世の中であれば観賞用や魔法の逸品ともなれど、相手を石にせれど、所有者の姿を消せども、まして愛しい幻を見せるとても、
弟子がつくくらいに刀匠が必要な世の中ならば、穏やかならぬ世の中なのは確かなのに、すっかり忘れていた。刀は、武器。命断つ物がなおさら、人を断ちたいと刀身、心身、そして使い手が共に思うのならば…。銘を見た時に師走を思い出しましたが、死が走り急ぐのであれば…今からゾッとします。
1週間前
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>>1
Tyrol様

鬼殺五工、これまでの四振りはいずれも色物の依頼から作られたものでしたが、その実、鬼殺五工の名に恥じぬ妖刀ばかり。最後の一本は、刀打ちとは何を作る人間かを思い出させるオハナシとなりそうです。けんいちろうでした。
1週間前
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