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『Innocent Eyes』 12〜 僕が「100年残る音楽」という表現に託した、もうひとつの想いについて
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『Innocent Eyes』 12〜 僕が「100年残る音楽」という表現に託した、もうひとつの想いについて

2018-01-18 14:00

    僕はよく『100年残る音楽』という表現をする。

    また、500年スパンで見て、という表現もする。

    これは、僕が生まれて最初に、音楽の持つ大きな力に心を動かされたのが、今から300年以上前に生まれたバッハの作品だからだ。

    100年残る音楽は200年300年残り、ちょうどバッハやベートーベンの作品のように、ずっと多くの人たちに愛され続ける。

    また、シェークスピアの作品が400年ほど前、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品が500年ほど前の作品であることでわかるように、芸術は500年程度の時間など、簡単に超えて、聴く人観る人読む人の心を突き動かし、震わせてくれる。

    だから僕は、それがたとえポップミュージックであろうと、芸術のひとつである音楽を常に500年スパンで捉え、感じていたい、と思い続けてきた。

    そのような、本当に芸術だと心から感じることのできる音楽にいつも囲まれていたいし、できればそのような音楽を世の中に送り出し続けたい、と切実に願ったのが、突然ピアノを弾けるようになった14才の頃だった。

    それ以来40年以上、僕はずっと同じ気持で音楽に携わり続けている。

    でも実は、僕の「100年残る音楽」という表現には、このこと以外に、もうひとつ別の想いが託されている。

    それは、

    「100年残る音楽」なんかではなくて良いから、ほんの1〜2年だけで良いから、とにかく今、売れるものを作って欲しい、といった姿勢が目立つ音楽業界に対する反感・・・いや、嫌悪感だ。

    そして、そういった姿勢に決して負けたくない、という強い想いだった。
     
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