• 「子供に研究者になって欲しい」という親が結構いるらしい。

    2018-04-15 01:49106

    どこかのWEBニュースで読んだのですが、「子供に就いて欲しい職業ランキング」の結構上位に「研究者」という職業が入ったようです。

    これについて、わずか3年ではあるものの、研究員という肩書をいただいてお給金をいただいている人間として申し上げますと、



    やめた方がいいと思います




    語弊の無いように申し上げますが、私自身は研究者という仕事が気にいっています。
    日々なにがしかの新しい情報に触れるのは楽しいですし、何かいいアイデアがひらめいた時はわくわく、ぞわぞわ、にやにやして、はたから見たら大変気持ちが悪い感じになりますし、お給料も(私の職場は)結構いいですし。

    でも、親の側から子供に対して「研究者になってほしい」と思うのは正直どうかと私は思うのです。以下に理由をずらずら書きます。


    まず、親が子供に研究者になって欲しい理由が「研究によって社会に貢献してほしい」というものでした。この考えがそもそも、研究者という職業とずれちゃっている感じがします。

    研究の大半は直接社会に役立つものではありません。とある先輩研究者の語っていたごもっともな言葉が「我々の生業はGDPに貢献しない」というものでした。全くその通りなのです。

    何かを研究しても、売り物は作れません。人やものを素早く移動させたりもしませんし、誰かを気持ち良くすることもできません。
    普通に社会経済の中に溶け込んで商品やサービスを提供した方がよほど社会の役にたつことができます

    研究の本質は「これまでよくわからなかったことが、前より少しだけわかるようになる」ことであり、それがすぐさま何かの役に立つことはほとんどありません。
    研究によっては、「○○が実現してほしい」、「××を無くしたい」という具体的な目標が出発点にある場合もあります。しかし、その場合ですら、研究は段階を踏んで進むもので、一足飛びに社会の役に立ったりはしません。
    将来、自分が研究したことの一部もしくは全部を応用して、どこかの誰かによって社会に貢献できる技術や産業が生まれるかもしれませんが、多くの場合、それは研究がスタートしてからだいぶ後のことです。
    ですから、「研究により社会に貢献すること」をモチベーションとして研究者となると、すぐにガス欠になってしまうと思います。

    また、「役に立ちたい」とか「貢献しなければ」という気持ちは、「問題を解決するためにこうなって欲しい」という気持ちを産み、研究において一番重要な真実を見失い、ねつ造等につながるかもしれません。


    もうひとつ、とても大事な情報として、研究者の雇用状況があります。
    日本において若手の研究者が置かれている雇用の状況は決して恵まれたものではありません。

    親が子供になって欲しい職業の1位が公務員で、その理由が「安定しているから」だそうですが、研究者という職(特に若手)は非常に安定感がありません

    まず、研究員や助教、講師の公募はほとんどが3-5年の任期付きです(私もだ!)。この任期の間に何らかの研究成果やら特許技術やらを生み出して頭角を現さないと、次の職が手に入りません。ひどい競争社会です。

    このような採用形態は前段で書いた研究の本質である「これまでよくわからなかったことが、前より少しだけわかるようになる」を実践しにくい仕組みです。
    腰を落ち着けて何かのテーマに取り組むには、任期は3-5年は非常に短いです。前例のない挑戦的な研究に取り組めば、それだけ失敗のリスクは高まりますが、トライアンドエラーを繰り返す時間もありません。
    ですから、若手だから恐れなくチャレンジできる……わけではなく、やる前からなんとなくうまくいきそうな、重箱の隅をつつくような中身で論文を書いて成果を得たりします。

    話が少しそれましたが、このように研究者という職業は、若いうちは不安定で競争的です。
    それでも、多くの研究者がこの職でやっていこうとしているのは「社会の役に立ちたいから」ではなく「研究をやっていると”自分”が面白いから」だと思うのです。


    繰り返しになりますが、多くの研究者のモチベーションは、「誰かの評価」よりは「自分が面白いと思うか」に重きが置かれていると勝手に思っています。
    誰も興味がないかもしれない。でも、自分は知りたいし、面白い」という、自分勝手かつ子供っぽい行動欲求が、研究者の中にはあると思うのです。

    例えば、オートファジーの研究でノーベル賞をもらった大隅先生の研究のスタートは「酵母の中に何かキラキラしたきれいな粒が動きまわっている。これは絶対何か面白いことが起きている!」だったそうです。

    このように、一流と呼ばれる研究者を見ても、研究の始まりには自分が知りたいことがあり、それを続けているからこそ生業としてのモチベーションが継続するのだと思います。「人の役に立つ」は多くの場合、その副産物です。

    でも、「やりたいことをやりたいから金をくれ!」という本音を書いちゃうと「社会活動」として認められず研究費は得られないので、助成金の申請書を書く時には、自分のやりたい研究がいずれは何かの役に立つように思わせる文章を必死で絞り出します

    こんな風に、ある程度のしたたかさと子供みたいな好奇心を併せ持たないと、研究者をやっていくのは辛いと思います。



    最後になりますが、若い不安定な時期を乗り越えて任期の無い正規の研究者(大学教授や公的研究機関の研究員)になっても、バイタリティがないとやっていけません。

    まず、大学の教員は現状求められている役目が多すぎます。私の思いつくだけでも、

    ・研究活動(実験、論文の執筆・査読、学会での発表)
    ・教育活動(講義・実習、学生や保護者の相談対応、就職相談、高校や地域コミュニティでの出前授業など)
    ・事務処理(大学運営に関する種々の会議等、事務関係書類や薬品等の管理、予算の執行・管理)
    ・その他(行政対応等)

    昔は大学教授に対して「暇そう」とか「好きなことやってそう」というイメージを持っていた人もいるかもしれませんが、現代の大学教授は「分身したい」が口癖になるぐらい、ジャンルが違う重要な位置づけの仕事に追われています。
    特に大学が法人化して事務処理のウェイトが急激に重くなるとともに、教育者としての側面を重視する学生や保護者が増えたことで、やりたい研究に十分な時間をとれない大学教授が多くなったようです。
    また、公的研究機関においても、その大部分はどこかのお役所とつながっているので、種々の書類仕事や行政対応は必須の任務であり、研究に没頭できるわけではありません。

    そんな環境でも研究を放り投げずにいられるのは、「知りたいこと」を常にどこかに隠し持っているからだと思うのです。


    研究者という仕事に関して、いっぱいネガティブなことを書きました。こうした事情を知っても「子供に研究者になってほしい」という気持ちをお持ちであるならば、私は止めません。

    また、こうした事情を知ってもなお、「研究の道に進んで、自分が面白いと思うことを突き詰めたい」と思った学生さんはおそらく研究者向きなので、その道へ足を踏み入れてみてください。私は歓迎します。

    ちなみに、その道は知り合いのとある研究者曰く「後戻りのできない悪の道」ですので、ゆめゆめお忘れないように。




    ○この長い記事を要約すると……

    ・親の側から子供に「研究者になって欲しい」と働きかけるのを、私はおすすめしない。

    ・なぜならば、すぐに研究が社会の役に立つことはまれであり、親が子供に期待するような「社会の役に立つ研究」をモチベーションにすると、すぐにガス欠を起こしてしまうと思うからだ。

    ・研究に対するモチベーションは「研究者自身がその研究を面白い」と思っているから維持されている部分が大きいと思うので、誰かに促されてなるような職業ではない、と私は思う。

    ・いろいろ苦しい事情を知っても、「研究の道に進みたい」と自発的に思ったあなたは、多分研究者に向いているので、その道へ足を踏み入れてみてはどうでしょうか。

    最後までお読みいただいた方はありがとうございました。



    ※追伸
    動画のテキストを起こしたので、来週金曜日にゆっくり動物雑学を投稿できればなーと思っとります。
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  • 近況のご報告

    2018-04-03 20:459

    今晩は。こんにちは。
    ゆっくり動物雑学の人です。新年どころか新年度が始まってしまいましたね。動画にしたいネタはずいぶんたくさん溜まってしまっているのですが、なかなか時間がとれません。はい。

    直近の状況として、

    ・国際誌に論文が1報掲載されました。
    ・この他論文を2報投稿中、1報投稿準備中です。
    ・とある学会の発表賞をもらいました。
    ・とある研究会の役員を仰せつかりました。
    ・応募していた研究課題が科研費若手研究(3年で300万くらいの研究費)に採択されました。
    ・この他去年から継続中の研究プロジェクトに複数参画しています。

    という感じで、日々なにがしかの仕事やら思案やらに追われております。
    お休みはお休みで、

    ・結婚式やら結婚式2次会やらにたびたび召喚されております。
    ・研究関係の講習があったりします。
    ・マンガ読んだり、本を読んだり、ゲームしたり、アニメ見たりする時間も欲しいです

    ということで、動画の編集に使う脳のキャパと体力が圧倒的に足りておりません。
    合わせて、今年度は研究員の採用任期の最終年度でもあり、次の仕事の枠を得るためにも、もろもろあくせく働かねばならないと思います。

    私にとって、ゆっくり動物雑学の投稿は、研究の話を研究畑にいない人にもわかるように噛み砕き、かつ面白く簡潔に伝える練習になっていると思います。
    学会での私の発表は、説明が分かりやすいとのお言葉をよくいただきます。これはおそらく皆さんにコメント等で揉んでもらったおかげです。
    また、いただくコメントを眺めるのは楽しいだけでなく、時に考えさせられ、あるいは学ばせてもらっています。

    今、私の研究者としての生活が比較的うまくいっており、日々を楽しめているのは、こんな風にニコニコでの動画投稿が下地として生きている部分もあるのではないかと思っており、今後も動画投稿は続けていきたいと思っています。しかし……投稿のペースは、お察しください。

    ということで、とりあえず生きてますよ、というお話でした。

    みなさまの忘却の彼方となる前に戻ってこれればと思います。
  • だれもが批評家の時代。

    2017-12-02 23:3913


    先日、とあるテレビ局に勤めている友人と飲んだ時に、コース料理で寿司が出てきた。
    私がそれを箸で食べようとすると、その友人は少し疲れたような顔でこういった。

    「寿司はさ、箸で食っちゃいけないんだよ」

    その友人曰く、とある視聴者が彼のテレビ局の番組を見て、「テレビに出ていたタレントが寿司を箸で食べていた。けしからん。寿司は手でつかんで食べるものだ」とのクレームをつけてきたのだという。

    何というか、寿司ぐらい好きに食わせろ、と思う。

                          *

    しかし、世の中、様々な人間が様々な事柄に対して、苛立っているらしい。

    例えば、ラーメンを食べる時にずるずる音を立てるのが普通だと私は思っている。
    しかし、ラーメンのずるずる音が死ぬほど嫌いで、これは麺を使ったハラスメント、ヌーハラだ、と思う人も世の中にはいるらしい。

    また、私は食事中にスマホをいじっている姿はとても嫌な気持ちがするが、全く気にならない人も多いらしい。

    また、私が面白いと思い絶賛していたアニメも、ネット上で、ものすごい数の罵詈雑言をぶつけられていた。

    おそらく、少し前までの世の中では、一挙手一投足にイライラしている人間がこんなにたくさんいることを、多くの人が知らなかったと思う。

    少し前まで、対多数の情報発信ツールは、ラジオやテレビくらいしかなかった。
    それ以外の情報交流は基本的にフェイスtoフェイスのもので、顔の見えている相手に反対意見をぶつけることは、日本人の気質的にもあまり行われてこなかったのだと思う。

    こうした情報環境では、意見も、思想も、流行も、画一化しがちだったろう。

    他方で、情報化の進んだ現代は、情報源は大きなメディアに画一化されておらず、一個人が様々な情報に触れることができ、かつ自身の価値観に基づいた情報を多くの人に発信することが容易にできる。

    価値観が多様なのは大変結構なことで、多様な価値観の存在に多くの人が気がつくことができたのもよいことなのではないかと思う。

    一方で、こうした多様な個人の価値観は時に意見……という名の価値観の押しつけという形で、様々に影響を与えたりする。

    私が好きだったとあるゲームの縛り実況は、「縛りが緩すぎる」というコメントや「編集が雑」というコメントを投稿者が意識しすぎた結果なのか、縛りがきつくなって展開がグダつき、編集時間が原因だと思うが更新頻度も低下していき、いつの間にか打ち切られてしまった。

    最近、テレビがつまらなくなったという意見をよく聞く。
    おそらく、これも上記と似たような現象が原因の一つなのだと思う。
    お馬鹿な番組を見て喜ぶ私のような低俗な人間がいる一方で、子を持つ親の中には「こんな番組見せられない!」という人もいるだろう。

    こうした意見、というか個人の価値観に対して逐一忠実に配慮すると、芸能人に当たり障りない会話をさせたり、ご飯を食べさせたり、旅をさせたり、そんな番組ばかりになるのだろう。
    また、視聴者のクレームを先回りしてつぶすような興ざめなテロップもやたらと多く見かける。

    その挙句、寿司を箸で食うという行動一つにも不満を持つ視聴者がいてクレームを入れてくるのだから、馬鹿らしいと内心では思いながらも次々に選択肢はつぶされていくだろう。

                         *

    ここまで、誰もが批評家になれる時代だと記述してきた。
    私も批評や考察は大好きで、ブロマガに書いたりしては、共感されたり、逆に批判のコメントを浴びせられたりしている。つまり、私も数多く存在する現代批評家の一人だ。
    一方で、何かを批評することと、価値観を押し付けることは違うと思うのだ。

    批評はあくまで個人の価値観に基づいて、それを良いと思ったのか、悪いと思ったのか、またそれはなぜなのかまとめることだ。その意見で誰かに指図したりする気はなく、「私はこう思っている」と考えの整理し、それに対して他の人がどんな意見を持つのか知りたいというのが行動のベースにある。

    これに対して、価値観の押しつける人たちは「自分の考えが正しくて、お前の考えは間違っているから、その間違った考えを正してやる」というスタンスでやってくる

    だれもが批評家の情報化社会だからこそ、批評と押し付けは違うのだと線引きする意識を、個人個人が持つようにするべきなのではないかと思う。

    そのためにも、学校教育の中で、一度、web上で匿名で意見を交換したり、何か作品を作ってそれを公開してみる、というような経験をしてみるのが良いのではないかと思う。

    そして、ポジティブなコメントをもらううれしさや、共感される安心感、一方的に批判してくるコメントの怖さを知ってみると良いのではないだろうか。

    こうした経験は、電子情報の向こう側にいるのが、AIやロボットではなく、血の通った自分と同じ一人の人間だと意識する機会を生み出すのではないかと思う。

    今は情報化社会の過渡期にあって、みな価値観のあまりの多様さに戸惑っているところなのかもしれない。
    今後、より進んでいくだろう情報化社会を心を穏やかに過ごすためには、結局、人間の側が変わっていくしかないのだと思う。