• クロード=レヴィストロース「野生の思考」 最終回 歴史的な思考と野生の思考

    2017-08-16 20:0216時間前
    さて、三回にわたってごちゃごちゃしたいわゆる「未開人」の社会制度について語ってきましたが、まぁ何が言いたいのかというと、野生の思考=構造主義、なんですよ。
    完全に歴史性を排除して、現在の自分の社会を、いろいろな記号を借りて細かく分類していく思考が野生の思考なんですが、これはまさに現在の社会の構造を分析していることに他ならないんです。
    そして、この思考方法は現代の歴史と因果性から分析する思考方法に劣らない方法であり、人類の根本的な思考方法の再発見として、主張しているわけです。
    歴史性の排除によって、当然、「進歩」する思考は止まってしまうという点は、これまで述べた中にもありました。
    なので、レヴィストロースは今度は歴史的な思考方法の欠陥を指摘します。
    歴史的思考というのは、例えばこういう事件が、社会的にこういう影響を後世に及ぼして、逆にこの事件は別の事件から影響を受けて・・・というように常に縦の思考によって考えられてきたんです。
    ところが、ここに一つの問題があります。歴史の単位をどうするか?ということです。例えば、原始時代でいうと何千年、何万年という単位になります。フランス革命の時代でいえば、下手をすると何日単位まで細かくなりますし、産業革命という観点でいえば、何世紀という百年単位の話になります。その単位の決め方ってすごく恣意的だろ?っていう話です。
    また、どこを注目するかってのもやっぱり問題がある。例えば、個人をとるか事件をとるかという話。事件をとれば、その時の社会を包括するようになっていくから、歴史的な影響を分析するのには役に立つんだけど、大雑把になりすぎて細かい原因が認識しづらくなる。どんな人間がどんな心理状況でとか、そういう細かい要素を無視するしかなくなる。
    一方で、個人をとると影響が小さすぎて、歴史という長い目で見ると意味が小さくなって、一人を分析したなら、今度は全部のその他個人の精神を把握して、その連関を分析する話になって、しかもそれを全部時系列なんて絶対無理でしょ?
    だから、最終的には時間の一本の線に、恣意的に事実を並べて組み合わせるしかなくなっちゃんです。

    そうすると究極的には歴史を諦めて、その場の社会を野生の思考のような形で全部を細かくわける一方で、細かく分けた存在をこれまた無限のグループにわけて分析する、という方法か、この方法を諦めて、歴史として時系列のみにこだわるかという話になってくる。
    そうすると、例えばフーコーみたいに王政時代の社会を細かく分類したモデルを作る一方で、近代社会を細かく分類したモデルを作って、比較するような中間的な方法が生まれてくる。
    マルクスも資本主義前と資本主義後の社会を分析して比較してたし、結局のところ社会学的な分析は野生の思考を意識的に取り入れずにはうまくいかないのです。

    これぞ構造主義なんです!!!!!!!!!!!!!!!!
    今まで野蛮と思われてきた未開人の思考なしには、社会の分析はできないんです!マルクスの歴史的な側面ばかりを見て社会を考えてきた学問の風潮を一気に変えたのがこの著作というわけです。

    終わり^^
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  • クロード=レヴィストロース「野生の思考」第三回 名前のお話

    2017-08-16 19:2117時間前
    どうもこんにちは、僕です。
    この著作の最も重要な点に入っていこうと思います。
    重要な点といっても、僕が最後まで読んで最も感銘を受けたところですね。
    みなさんも読んでて思いませんでしたか?科学的思考と呪術的思考の対比とか、トーテミズムがどういう構造とか、正直どうでもいいじゃないですか^^

    でもまだちょっと続きます。トーテミズムの話。
    前回、自然を使って人間社会の集団を分割するという話を書きました。婚姻交換の話もしました。最後に出てくるのが名前の理論。
    トーテミズムの中には、禁忌がいくつもあって、前回は食物禁忌なんかも書きました。名前にも禁忌がありまして、死んだ人間の名前を口に出してはいけないルールです。また、その名前に似ている言葉もダメになります。
    例えば、うひょーさんが死んだら、うひゃーって言葉もダメになります。
    そうすると、当然の帰結として言葉が足りなくなります。だってそうでしょ?人が死ぬたびに行っちゃいけない言葉が出てきたらもうつける名前なんてなくなっちゃうよ!
    じゃあその言葉はどうやって作ってるのか?というのがレヴィストロースの着眼点なのです。
    正解だけいうとですね、死んだ人の名前である固有名詞は使えなくなるのですが、そのついでに普通名詞も一緒に使えなくなるわけなんですけど、その言葉が今度意味を持たない言葉として、儀式のための神聖な言葉に再利用されるんです。
    そして、神聖な言葉として使い古されていくと、みんなの記憶から消えていきますから、消えたころに、またその言葉は固有名詞として、名前につけられる言葉として戻ってくるのです。しかも、死んだというのは縁起が悪いですけど、神聖な言葉から名前をとるなんて、すごく縁起いいでしょ?
    こうやって、言葉が循環して元の場所に戻ってくる体系ができてるわけなんですね。
    さて、もう一方の名前の方法として、名前を席のようにする方法があります。
    例えば100個の名前があったとして、101人目の子どもが生まれた場合、その子には名前がつけられずに、誰か年寄りが死んだらその名前を引き継ぐというのです。

    はい、それではなぜ僕が最初に興味ないとか言った民族の話を持ち出したのかといいますとですね、これこそが共時態的社会構造の代表例だからです。
    共時態とは何か?ある一定の時間における構造のことです。
    特に二番目の例なんかは共時態を維持するように動いているのわかりますか?全く同じ環境を維持するようにしてるんです。そうすることで、生きるリスクを減らして社会で安定的に生きていく術を身に着けてるんです。
    一つ目の例でも、やっぱり同じ名前がいつまでも戻ってくるようになってて、進歩とは程遠いですよね。

    こうして社会の中で一定の状態を保つ循環が、存在しているんですね。
    さて、もう一回トーテムの話に戻りますけど、実はこの制度自体も一定の状態を保つことを前提としているんです。
    鳩だとか鷹だとか言いましたけど、本来トーテムというのはある程度の分け方があって、一つは対立的関係にあります。
    空と地みたいな関係ですね。
    そうすると、空と地のトーテムの中で片方が消えたら整合性がとれないんですよ。区別できなくなっちゃうでしょ?
    じゃあ、どうしているかというと、例えば空が消えたら、地のトーテムが二つに分かれるんです。例えば土と草とかにね。
    そうするとさらに困っちゃうのが神話との関係です。
    そもそも、トーテムっていうのは本来先祖の神話から来てるわけで、空が消えるのはまだしも、土と草の神話どうすんの?ってことなんです。だって現実的な人間的な要請によって分かれたんだから、神話性なんてないし、トーテムの意味も全くなくなっちゃうわけでしょ?

    そこで、出てくる方法は二つ。一つはそもそも人口があんまり変わらないようにするやり方。ある程度は婚姻交換や名前の制度で抑えられるんですが、そうじゃない場合は困る。
    そこで二つ目に現れるのが、儀式なのです。
    トーテムの柱となる存在を霊のような何かにして、儀式で増やしたり減らしたりするんです。
    例えば、土と草の場合、土と草の精霊を降霊術みたいに呼び出して、新たなトーテムを作り出すというのです。こうすれば数の調節は簡単でしょ?儀式は無駄に見えて、実は高度な社会調節機能をもっているんです。

    こうして通時態、すなわち歴史という存在を徹底的に排除していくのが野生の思考なのです。



  • クロード=レヴィストロース「野生の思考」 第二回 トーテミズムについて

    2017-08-16 07:22
    トーテミズムとは何か?
    ある動植物を集団の記号として用いる、いわゆる未開人の文化のことです。
    具体的には
    一つの部族の中に鷹、鳩、肉のトーテムがあって、それぞれが別の社会集団を構成しているわけですね。ほら、ラインとかでグループ作るでしょ?あんな感じ。
    そこで、まず出てくるのが食物禁忌という考え方。
    例えば、鳩に属する蛮族ウヒョーは生まれた瞬間から鳩を食べられないって話ですよ。これだけ見ると、鳩はトーテム集団の先祖だし食べるのはまずいでしょ!っていうような習慣になるように思われるんだけど、現実のトーテムはもう少し複雑なんです。
    それというのも、鳩の肉は食べてはダメ、すなわち同化は許されないんだけど、例えば羽とか嘴は自分のものとして身に着けていいんです。
    つまり、鳩の中でも肉だけは自分の先祖であって、後の残りは人間と鳩との差異性を埋めるための手段として使われるんです。

    はい、次。
    結婚制度には外婚制と内婚制があります。現代で一般的なのは外婚制で、内婚制ってのは要は近親相姦ですわ。
    ところで、社会集団の維持にあたって必要なのは、まずやっぱり物々交換なんですよ。一つの社会ですべてのものを賄うなんてことはそう簡単にいくもんじゃない。だから経済なんてものがあるわけでしてね。
    そこではっきりと社会集団を分けているたくさんの社会を、外婚、内婚の二つに分けてみると、トーテムとカーストの対比になります。
    カーストってのは職業に基づいた社会集団のことですね、基本的には職業の技術を他人に与えないために近親相姦する結婚制度、つまり内婚制をとっています。その代わり、技術を物々交換して全体的な社会を構成しているわけです。
    一方で、トーテミズムに関しては僕らの世界と同じ外婚制をとります。
    でもよく考えてみてください、カーストもトーテムも同じ社会集団でしょ?どうしてトーテムは外婚制が許されて、カーストは許されないんでしょうか?
    むしろ厳密にトーテムを守るのであれば、内婚でやっていくしかないでしょう?という話になるわけです。
    ここで持ち出されるのが婚姻交換という考え方。トーテムにおける女性は、カースト制度でいう技術というモノにあたるというのです。それによって、社会の間の関係を成り立たせているんです。
    カーストに関しては、技術そのものが社会集団ですから、女性=文化であり、カーストごとに特別な違いが出てきて、外婚は社会集団の破壊につながってしまうわけです。ところが、トーテミズムに関しては女性ってのは全部同じ人間で、あくまでも共通の祖先を祭っているだけなので、むしろ全然OKなんです。トーテムっていうのは、人間と自然を全く別のものとしたうえで、自然界の差異を人間に取り込んだものなので、本質的に人間とトーテムは別物なんですよ。だから、女をほかのところにプレゼントしようが全く問題ないわけ。
    繰り返すけど、カーストはプレゼントするってことは社会集団のアイデンティティそのものを交換することになっちゃうんで、問題だらけなんです。

    と、いうわけで次。
    全体化と個別化
    トーテミズムによって、さまざまな社会が形成されるんだけど、それによって社会集団に無数の分割が生まれてくる。
    例えば、全く部族が違っても同じ鳩をトーテムにしている氏族同氏は仲がいいとかっていうことになったりして、いくつもの社会がトーテムそのものの類似性によって結合するわけ。
    さらにトーテムにいくつもの意味が神話によってつけられて、その神話的な意味でもほかの社会とくっついていくと。
    これが最高度まで達すると、人類皆兄弟って話になっていくんです。

    一方個別化。
    トーテムの中でも実は分類があって、例えば鳩であれば、この家族は鳩の頭とか、足とか、っていう分類がトーテム集団の中でもあるんです。
    それを繰り返していくと、究極には個別化が進むんです。
    最初は部位とかから始まるんですけど、「飛ぶ」、「歩く」、「巣を作る」みたいに、鳩が主語の言葉が名前としてつけられてきて、最終的には、例えば「鳩の頭飛ぶ」っていう名前の人ができたりするわけ。もうそこには具体的な意味なんてなくて、ただの記号としての意味があるそういう、ただ分類するだけの構造ができてくるわけです。

    はい、疲れた。 次回はもっと手抜きになります。