• もう二年

    2017-12-13 22:23

     人生が早すぎる。久しぶりに焦燥感を感じている。
     朝五時半に起きて、アズールレーンを起動。スマホの光で目を覚ましながら布団を出て、冷蔵されたおかずをレンジで加熱する。半分は弁当に、半分は朝ごはんになるから、毎日二食は全く同じものだ。無表情で髪を整え、歯を磨き、スーツに着替える。ここまで三十分。それだけでは間に合わないので、走って駅まで行く。一時期俳句を作るために、周りを観察しながらのんびり歩いていたが、あんな気の迷いは捨て去った。今では俳句作りができる人間は、夏目漱石のような親の遺産で生活できる高等遊民か、国民から搾取して生きる天皇か、平安貴族か、年金暮らしの年寄りだと確信している。要するにすねかじりの趣味なのだ。
    などと考えつつ、電車に乗る。当然の如く端っこで眠った。駅に停車してドアが開くたびに寒さのあまりわずかに目が覚めるくらいで、いたって快眠だ。
     しかし平穏の中、唐突に僕は起こされた。頭にけつが当たっている。よくいるだろ?立ったまま座席の壁に寄りかかって体を固定するやつ。普通に座っていれば、障害になることはなかったのだが、壁の上に頭の乗せて眠っていたから、いちいち服にすれて、髪がくしゃくしゃにされた。おっさんの尻が頭に当たるとかいう罰ゲームは勘弁してほしいものである。おまけに髪もくしゃくしゃにされ、僕の怒りは頂点に達した。今回だけではなかった。過去にも何回かおっさんがぶつかってくる状況に遭遇したことがあって、何度も快眠を妨げられてきた。
     積年の恨みが僕に次の行動を起こさせた。頭で寄りかかっているおっさんを突き飛ばす作戦である。僕は一度頭をひき、助走をつけて頭突きをかました。あくまでも、電車に揺られて自然にやっているというスタンスは維持したままである。まさか小心者の僕に正々堂々やる勇気はない。
     結局、こうした努力は意味をなさなかった。全く移動する気配はなく、頭をコートがすり続けた。最初は粘っていたのだが、徐々に僕の方が根負けして眠るのをあきらめ、本を読み始めた。集中できない。イライラしすぎて、一度おっさんの顔を見て、にらみつけなければ気がすまなくなってきていた。
     一度僕は様子をみるために左をチラ見した。
     「ん????」
     急に異変に気付いた。髪が長い。ブーツを履いている。これは・・・・。
     そう、僕が頭を擦り付けていたのは女性の尻だったのだ。興奮は最高潮に達した。無意識のうちに痴漢もどきのことをやってしまっていたのだが、そんなことは気にせず、僕は頭を擦り付けた。もちろん、全く気付いていないという演技はつづけた。
     今日ほど女性の尻に接した日はなかっただろう。元カノだろうが、風俗だろうが、ここまで尻に頭を擦り付ける経験はできないものだ。
     目的の駅につき、僕は涙ながらに尻と別離した。持ち主の顔は最後まで見ることができなかったのだが、これでブスだったら悲しいので選択肢としては正解だっただろう。
     今日の僕の人生はエロスから始まった。
     終わり。
     


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  • 三島由紀夫「青の時代」読書感想文

    2017-12-02 21:00

     どうもこんばんは、僕です。
      僕は好きな人の本は徹底的に読みつくすタイプで、マルクスも夏目漱石もほとんど読みつくしたわけであります。しかし、さすが三島由紀夫、10作品以上読んでもまだ作品がある。とはいえ、さすがに似たような話ばかりで若干飽きてきた。
     そんな中やってきたのが「青の時代」
     子ども時代から冷静に世の中のことを見続け、わざと変なことをして優越感にひたる僕みたいな青年が、高利貸しをやって最終的に破産寸前にまで行くという話です。
     これといって感想はなかった。後ろの解説にも書いてあったが、前半の子ども時代と、後半の高利貸し時代で話の中心がぶれていて、いつもの三島作品のように心を掴まれるということがなかった。前半は僕のような青年の話で、後半は前後の人たちの一般的な心情の話で、結局どっちつかずで終わってしまったからだ。
     まぁ、そうはいっても面白かったんですがね。三島由紀夫は現代社会にありそうでない狂気を描くのが得意ですね。今回も高利貸しが元貴族の身ぐるみをはぐシーンとかありましたし。
     そこまででした。終わり。




  • うひょー、AIについて語る

    2017-11-18 10:00
    最近になってAIが注目を浴びている。AIが将棋や囲碁のプロに勝利したことは誰でも知っているだろう。今やほとんどの企業が次世代の技術革新として位置づけ、研究開発を行っている。ある研究ではAIによって現在の70%の職業はなくなると言う。
     急成長の背景には、元々実現可能な技術だったことが挙げられる。AI研究自体は以前からあった。ただ、大学で行われているような小規模なものだった。それゆえ、表面に出てくることはなかったが、既に技術は蓄積されていたのである。
     そこにやってきたのが巨大資本だ。現代アメリカ最大の企業の一つグーグルがAIに資本を投下したことで、急速に成長力を得たのである。資本主義の強みが前面に出ることで、発展した。
     では、なぜ今まで企業によって開発されてこなかったのか?この点を考えるには、VRの事例がわかりやすい。実はこのVR、1990年代にもゲームに組み込もうという動きがあった。だが、世には出ない。さらに、愛知万博の時点ではほぼ完成形のVRがあったが、これも忘れ去られてしまう。
     歴史がこのように進んだのは、その必要がなかったからだ。1990年代の日本はゲームボーイだの64だのを売っていれば、十分儲かったのである。愛知万博のVR動物園に関しても、遊園地は3D眼鏡のアトラクションで十分儲かったのである。現状利益が出ている状況で、無理に投資をする必要がなかった。さらに3年後にはリーマンショックもあって、世界的に開発の機運が失われてしまったのも原因の一つであろう。
     だが、今は違う。ダウは最高値を更新し続けている。完全に景気は回復した。ITの巨大企業も台頭した。そして何よりも今までの商品に客が飽きてしまい、売れなくなった。例えば節約効果で売り出したエコカーは、平均的な燃費が改善されすぎてしまった。新たに燃費を改善する装置をつける費用と、これから節約できるガソリン代が釣り合わなくなってきたのである。新たな需要が必要だった。
     そんなわけで資本主義はAIを生み出したのである。これによって間違いなく、研究職、事務職は消えると言われている。研究はAIが勝手に計算で行うし、事務のような単調な処理は今のAIでも可能だからだ。
     最後まで残るのは人間同士の触れ合いのある営業だ、とも言われている。果たしてそうだろうか?現に今や実店舗はamazonによって消滅しつつあるではないか。冷静に考えれば、営業職もなくなるという考えも十分に正当化できるものだ。
     この考えには人間中心主義という偏見が存在している。現在に至るまで経済の発展とともに資本主義社会となり、神は死に、人の世界になった。200年近くの間で人間至上主義が浸透してきたのである。
     しかし、今やそれは崩れ去ろうとしている。ヒューマニズムは人間に特別な地位を与えてきた。神という不可視の救いよりも、人間という認識できる存在に視点を変えたのだ。その根底には人間としての自負がある。技術を生み出すことで、空を飛び宇宙にまで飛び出したその能力に対する自負だ。その根底を覆すのがAIである。何よりも人間より賢いからだ。
     今や人間という概念は危機に直面している。現代人はAI中心主義に抵抗感を覚えている。AIが暴走したら・・・善悪の概念は・・・などだ。だが、これから生まれてくる子どもたちはそうした抵抗を徐々に覚えなくなってくるだろう。こうして人間は消え去るのだと思う。
     最後に、AIが職を奪い取ったら人間はどうなるのだろうか?ということについて自分の意見を記しておく。もしAIが代わりに働くのであれば、労働という観念も希薄になっていくだろう。貨幣という存在も消えていくはずだ。AIは賃金を必要としないから、対価を払うための手段が必要なくなるからだ。それは資本主義の終焉を意味する。労働のない世界が資本論の先の世界だと僕は思う。だとすれば余計に人は生きる時間を持て余すことになる。空っぽで空虚な生に人は耐えきれるのだろうか?
     発展の先にはもう一度ヒューマニズムが戻ってくるかもしれない。
     終わり^^