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記事 24件
  • 男と歌|井上敏樹

    2021-03-31 07:00  
    550pt

    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。今回は、「歌」にまつわる思い出について。同窓会の席で、小学校時代の友人の死を聞かされた敏樹先生。彼の歌声は、どうして少年時代の敏樹先生の心に刺さったのでしょうか。
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    脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第63回 男 と 歌     井上敏樹 
    先日、小学校時代の友人から連絡があった。久しぶりに同窓会をやるので、是非出席してくれ、というのである。話は自然とかつての級友たちの噂になり、そこで私はAの死を知らされた。おそらく級友たちの中でAの死に最もショックを受けたのは私だったろう。特別親しかったわけではない。Aには私の知る限り友人と呼べるような相手はいなかった。一度先生のひとりが『でくのぼう』と呼んだが、今では問題になるであろうその言葉に納得しない者はいなかった。馬鹿だったのである。いつも鼻を垂らしてボ~ッとしていた。授業中に発言した事は一度もない。髪は多分母親が刈っていたのだろう、下手糞なざんぎり頭だった。服は時々色が変わったが、一年中同じような薄汚れたセーターで通していた。なにが面白いのか分からないが、時々ぶひぶひと鼻を鳴らして笑っていた。そんなAがいじめの対象にならなかったのは、ひとえに体が大きかったせいだ。小学4年生で百七十センチを越えていて、クラスで、いや、学年で一番大きかった。体格もがっしりとした筋肉質。だが、運動はまるでダメ。跳び箱も跳べなければ逆上がりも出来ない。Aはもっさりと、ただ大きいだけだった。 そんなAにもひとつだけ取り柄があった。歌が上手かったのである。もっとも、それを知っていたのは私だけだったが。
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  • 他者としてのヒロイン・古賀春華が世界の外側へと導いていった『H2』| 碇本学

    2021-03-30 07:00  
    550pt

    ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。平成を代表する本格野球ラブコメ漫画となった『H2』を、今回はあだち充のヒロイン像という切り口から読み解きます。さらに、去る3月8日の公開以来、四半世紀にわたる国民的アニメシリーズの完結編として話題の映画『シン・エヴァンゲリオン新劇場版:||』との対比から、あのヒロインとの共通性についても考察します。
    碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第16回(3)他者としてのヒロイン・古賀春華が世界の外側へと導いていった『H2』
    あだち充の画業50年と『新世紀エヴァンゲリオン』四半世紀後の終焉
    今回は『H2』で描かれたヒロイン像について考えていくが、本論への導入として、平成を象徴するアニメ作品が終焉したことについて触れておきたい。 2020年はコロナがなければ、東京オリンピックが開催されるはずだった。同年はあだち充の画業50周年という記念すべき年でもあったが、ずっと作品を刊行し続けている小学館からも特別なイベントやあだち充展のようなものは行われずに、ひっそりと過ぎていった。 第二次世界大戦は1945年に終わった。そこから四半世紀ずつ25年ごとに区切って考えると、2020年は敗戦から四半世紀×3の75年目でもあった。
    あだち充がデビューした1970年には、第三次佐藤内閣が発足し、大阪万博が開催された。また、共産主義者同盟赤軍派によって「よど号ハイジャック事件」が起きる。これは日本で最初のハイジャック事件であり、共産主義者同盟赤軍派は日米安保条約に反対する安保闘争の目前に最左翼の分派として結成されたものだった。この年に小説家・三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部にて割腹自殺をした。そのため、2020年は三島由紀夫没後50年として、再び三島由紀夫作品が脚光を浴びることとなった。 本連載でもすでに取り上げたように安保闘争と学生運動と「劇画」は近い関係にあり、学生運動の終焉とともに「劇画」の時代も終わっていった。そこに新人の漫画家として巻き込まれながらも、「少女漫画誌」に形としては島送りになったことで生きながらえたのがあだち充だった。この1970年代という時代は、「日本では革命は起きないのだ」ということを国民が無意識に思うきっかけになったディケイドだったのではないだろうか。
    日本の第二次世界大戦の敗戦から50年後、1995年はあだち充のデビュー25年目の年となった。この1995年は、その後の日本の行末に重大な影響をもたらす事件が立て続けに起こるとともに、現在まで続く国民的なアニメとなった作品の放送が始まった年でもあった。 まず1月には阪神淡路大震災が起きる。私の実家は岡山県と広島県の県境にあり、早朝にかなり揺れたが被害が出ていない地域でもあり、そのまま学校に登校した。学校から家に帰ってテレビのニュースを見ると、隣にあるはずの兵庫県が見たこともない風景になっているのを知った。 3月には地下鉄サリン事件が発生し、日本国内における最大の無差別テロ事件となる。ただし私の地元に電車が通っておらず、当時は地下鉄にも一度も乗ったことのなかった中学生の私には遠くの東京でのこの事件はほとんどイメージができないものであり、テレビで苦しそうに喘いでいる人たちを見ても現実感はまるで沸かなかった。 このように、何か時代の大きな転換になるような大事件が起きているという空気感がメディアの中で形成されている一方で、6月には「週刊少年ジャンプ」で11年間連載し、少年漫画を牽引し続けた『ドラゴンボール』の連載が終了した。また、同年の7月にはAmazonのサービスが開始され、GAFA帝国の第一歩が始まっていた。 そして、10月4日から『新世紀エヴァンゲリオン』(以下『エヴァ』)のアニメ放映がスタートした。もっとも、当時主人公のシンジたちと同学年の中学二年生だった私はリアルタイムでこの作品にハマったわけではなかった。部活から帰ってきて、テレ東系列の「テレビせとうち」をつけるとたいてい本編は終わっており、ギリギリ見ることができたのはエンディング部分だけだった。そのため、『エヴァ』の最初のイメージは、ED曲「FLY ME TO THE MOON」がかかる中で水中に浮かぶ月と逆さまになって回り続ける綾波レイの姿というものだった。数話はリアルタイムで観たはずだが、熱狂したという記憶もなく、謎本や批評などもまったく手にとることはなかった。 その後、1997年公開の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』に連動した深夜帯での再放送時に高校の同級生がハマったこともあり、改めて第壱話から観るようになって初めて内容を把握し、そのまま映画にも行ったという流れだった。それもあって、中学時代よりも高校時代に『エヴァ』を観たという印象が強く、同世代にはそういう人が多かったはずだ。
    『エヴァ』のアニメが放送されていた時期には、あだち充は「少年サンデー」で『H2』を連載していた。1995年は1992年から1999年の連載期間で考えるとほぼ真ん中にあたる時期でもあった。アニメ放映の半年間の時期に『H2』で描かれていたのは、高校二年の夏の地区大会予選での広田勝利率いる栄京学園高校との一戦だった。コミックスで言えば15巻から17巻であり、ちょうど全34巻の折り返しにあたる部分であった。この栄京学園高校との戦いのあとは、基本的には舞台は甲子園での試合がメインとなっていった。
    そこからさらに四半世紀を経て、あだち充の画業50周年となる2020年はコロナウイルスの世界的な猛威によって、予定されていた東京オリンピックが延期となり、さまざまなイベントが休止となっていった。現在もなお続くそんな状況の中、公開を延期していた『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』全四部作の第四作目となる『シン・エヴァンゲリオン新劇場版:||』(以下『シン・エヴァ』)が、2021年3月8日に公開となった。1995年から26年が経っていた。当時中学二年生だった私たちは四十代に入る、そんな2021年だった。 Twitterでは公開の前からネタバレを喰らわないためのワード設定をしたり、SNSをしばらく見ないと広言するツイートも少なからず見受けられたり、多くの人々が国民的なアニメとなった『エヴァ』の最後をしっかりと見届けようとしていた。 私については、特に初日でなくてもいいと考えていたので、仕事のない公開2日目の9日の朝一の回に観に行った。観る前に思っていたのはひとつ、「お願いだから終わらせてほしい」ということだけだった。 「平成」が終わっていないような気がまだしているのは、「新世紀エヴァンゲリオン」に庵野秀明監督がしっかりケリをつけて終わらせていないからだと、いつからか思うようになっていた。
    『虹色とうがらし』の回でも述べたように、昭和天皇が崩御し、「昭和」が終わっていく時には「昭和」を象徴する人物が相次いで亡くなった。「昭和の歌姫」である美空ひばりと「マンガの神様」と呼ばれた手塚治虫という巨星たちだ。 ところが、「平成」は同じようにはならなかった。現在の上皇明仁陛下は生前退位するかたちで「平成」という年号を終わらせた。その「平成」を象徴するグループともいえる「SMAP」は解散することで活動を終え、同じく「平成」を牽引したアーティストの安室奈美恵も引退してその活動を終えた。「平成」を象徴する彼らは亡くなることもなく、それまでの活動を自ら終止符を打つことで、次の元号「令和」へと時代が移譲されていった。それもあってか、どうも自分の中では、まだ「平成」が終わったという感じがしていない部分があった。そして、もしかするとこのまま「平成」を代表するアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』も彼らと同じように途中で活動を終え、未完のままになってしまうのではないかという危惧があった。
    『シン・エヴァ』を観終わって感じたのは、「平成」がやっと終わったんだなというものだった。だから、いろんな思いはあるが、きちんと終わったのだから、これはこれでよかったのだと思えた。だが、僕らはすでに「令和」を生きているのに、という気持ちも同時にやってきた。
    その後、宇野常寛さんのネタバレを含むnoteを読んだ。やはりここで書かれていることが、私に「平成」を感じさせたのだと思った。ネタバレに関わることでもあるので、まだ観ていない人は次の節を飛ばしてしまってほしい。
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  • [特別無料公開]『テレビドラマクロニクル 1990→2020』はじめに|成馬零一

    2021-03-29 07:00  

    今朝のメルマガは、現在先行発売中の成馬零一さんの新著『テレビドラマクロニクル 1990→2020』の「はじめに」を特別公開します。当初はオリンピックイヤーとして、華々しいスタートを切るはずだった2020年1月。コロナウィルスが上陸し、テレビドラマをめぐる状況も少しずつ変化していくなかで、本書の論考は幕を開けます。
    はじめに
     本書はテレビドラマについて書かれたクロニクル(年代記)である。  野島伸司、堤幸彦、宮藤官九郎。  1990年代以降のテレビドラマに大きな影響を与えた彼ら3人の作品を批評することで、その表現が後世に与えた影響や同時代性について語っている。  まずは第1章では、野島伸司の作品を通して1980年代末から1990年代前半のテレビドラマと日本国内の状況を語り、第2章では、1995年以降、映像作家の堤幸彦が更新したテレビドラマの演出論と、その背景となる時代状況の変化。第3章で
  • Daily PLANETS 2021年3月第4週のハイライト

    2021-03-26 07:00  
    おはようございます、PLANETS編集部です。
    3月も終わりが近づき、暖かい陽気が続いています。PLANETSでは書籍の発売や新たな動画番組の開始に加え、4月からさまざまな施策を行っていく予定です。皆さんの期待に応えられるようなコンテンツを送り続けられれば幸いです……!
    さて、今朝は今週のDaily PLANETSで配信した4本の記事のハイライトと、これから配信予定の動画コンテンツの配信の概要をご紹介します。
    今週のハイライト
    3/22(月)【連載】テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉2000年代の宮藤官九郎(1)『木更津キャッツアイ』が成し遂げたドラマ史の転換(後編)|成馬零一

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1
  • 「真のグローカリゼーション」とは? :アジアの都市エリートと田舎のアーティストを通じて|藪本雄登

    2021-03-25 07:00  
    550pt

    中小企業の海外進出が専門の明治大学・奥山雅之教授とNPO法人ZESDAによるシリーズ連載「グローカルビジネスのすすめ」。地方が海外と直接ビジネスを展開していくための方法論を、さまざまな分野での実践から学ぶ研究会の成果を共有していきます。今回は、メコン地域を中心にASEAN各国で「法律」と「アート」という対照的な領域で活動する藪本雄登さんが、多様なローカリティをもつアジアで「ローカル」と「グローバル」の矛盾を超えてビジネスを浸透させるには、どんな哲学が必要なのかを考察します。

    本メールマガジンにて連載中の「グローカルビジネスのすすめ」の書籍が、本日3/25より紫洲書院から発売となります。各分野の第一線で活躍する人々の知識と経験とともに、グローカルビジネスの事例を豊富に収めた、日本初のグローカルビジネス実践マニュアルです。 ご予約・ご注文はこちらから!
    グローカルビジネスのすすめ#04 真のグローカリゼーションとは?:アジアの都市エリートと田舎のアーティストを通じて
     近年、新たな市場を求めて地方の企業が国外市場へ事業展開する動きが活発になっています。日本経済の成熟化もあり、各地域がグローバルな視点で「外から」稼いでいくことは地方創生を果たしていくうえでも重要です。しかし、地方の中小企業が国外市場を正確に捉えて持続可能な事業展開を行うことは、人材の制約、ITスキル、カントリーリスク等、一般的にはまだまだハードルが高いのが現実です。  本連載では、「地域資源を活用した製品・サービスによってグローバル市場へ展開するビジネス」を「グローカルビジネス」と呼び、地方が海外と直接ビジネスを展開していくための方法論を、さまざまな分野での実践の事例を通じて学ぶ研究会の成果を共有します。 (詳しくは第1回「序論:地方創生の鍵を握るグローカルビジネス」をご参照ください。)
     今回は、メコン地域を中心にASEAN各国で活躍するOne Asia Lawyersの藪本雄登氏にご担当いただきます。海外進出の事例を数々見てきた中で、生半可なグローバル化、哲学なきローカル化をするだけの製品・サービスは淘汰されると藪本氏は予見します。グローカルビジネスにおいて、都市エリートがローカルな感覚に呼応するためには何が必要なのでしょうか? 「アート」というキーワードを切り口に迫ります。
    (明治大学 奥山雅之)
    1 アジアにおけるグローカリゼーション
     One Asia Lawyersグループ、アウラ現代藝術振興財団の藪本と申します。本章では、私が取り組んでいる法律の話と、アートというテーマをめぐって、アジアにおけるグローカリゼーションについてお話しさせていただきます。 まずは、私自身のかなり変わったキャリアを、簡単に紹介させていただきます。大学を卒業してから、いきなりカンボジアに飛び込み、起業しました。私自身は、特に弁護士でもなく、別に英語が流暢なわけでもないので、どうしてカンボジアに行ったのかとよく聞かれるのですが、一言でいうと「バカ(あんまりよく考えずに、突き進む)」だったのだと思います。小中学校や高校生のときから「猪」と揶揄されていました。大学で学んでいた時に、周りの学生達の基礎的な能力の高さに衝撃を受け、バカはバカなりにどうやって生き残ろうかと思い、大学4年生の時に直感をたよりにカンボジアを訪れたのです。そこで現地をみて、「ここなら勝負できるかもしれない」という直感をもとに、会社をいきなり作ってみました。ドラマ評論家・成馬零一 最新刊『テレビドラマクロニクル 1990→2020』バブルの夢に浮かれた1990年からコロナ禍に揺れる2020年まで、480ページの大ボリュームで贈る、現代テレビドラマ批評の決定版。[カバーモデル:のん]詳細はこちらから。
     
  • トランスフォーマー(6)ロボット、自動車、都市、そして身体|池田明季哉

    2021-03-24 07:00  
    550pt

    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。前回に引きつづき、玩具としての「トランスフォーマー」シリーズのプロダクト展開から読み取れる意志を読み解きます。アメリカと日本で横断展開された「トランスフォーマー」シリーズでは、同じ仕様の商品であっても、とりわけ「合体」の意味論をめぐって、双方の物語メディアでの解釈が大きく異なります。そこで表面化した、ロボットの「心」と「身体」をめぐる思想の違いとは?
    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝トランスフォーマー(6)ロボット、自動車、都市、そして身体
    トランスフォーマーの心はどこにあるのか
     1987年から、トランスフォーマーの展開は一気に複雑化する。『2010』のアニメーションが終了したことによって、アメリカ展開と日本展開で独立したメディア展開が行われたためだ。アメリカではアニメーション『ザ・リバース』を経て後にマーベル・コミックスが物語を担当し、日本では独自に制作されたアニメーション『ザ☆ヘッドマスターズ』が物語の中心を担うことになる。とはいえ展開している玩具そのものは同一であるため、ひとつの玩具デザインに対して、アメリカと日本でふたつの物語的な解釈が存在する、奇妙な状態になっている。  この解釈の差はたいへん興味深い。ここではそれぞれの文化がトランスフォーマーに対してどのような解釈をもって理想の身体を見出したのかを考えていきたい。  まずは共通する玩具のデザインについて確認しよう。「ヘッドマスター」と呼ばれるカテゴリの商品は、大きくふたつのパートからなる。すなわち大型ロボットの頭部に変形する小型ロボット「ヘッドマスター(カテゴリと同名)」と、大型ロボットの胴体に変形するマシン「トランステクター」だ。ふたつが合体(ヘッドオン)してひとつの大型ロボットを構成するほか、マシン形態になったトランステクターには、ヘッドマスターを搭乗させることができる。  ヘッドマスターとトランステクターの接続部は基本的に共通の規格で作られており、交換することができる(クロスヘッドオン)。トランステクターの胸部パネルを開けば「SPD(speed)」「STR(strength)」「INT(intelligence)」と表示されたメーターがあり、これはロボット(人格があるのでキャラクターだが)の性能を示している。

    ▲ヘッドマスターズの中心キャラクターのひとり、クロームドーム。小ロボットが頭部に、スポーツカーが胴体に変形、合体する。(出典:『トランスフォーマージェネレーション デラックス ザ・リバース:35周年記念バージョン』(メディアボーイ)P24)
     日本版の物語においては、小型ロボットであるヘッドマスターに意志の本体があり、それがトランステクターという乗り物に合体することによって力を発揮する、という構図になっている。大型ロボットへの変形前は、ヘッドマスターという乗り手がトランステクターという乗り物に搭乗するかたちになっていた。頭部に主体を置き、胴体はそれに追従する存在としたこの日本版の設定は、頭という部位を乗り手、胴体という部位を乗り物として解釈したと理解できるだろう。
    ▲日本版アニメーションに準拠するヘッドマスターの概念図。(出典:『決定版 トランスフォーマーパーフェクト超百科 』(テレビマガジンデラックス)P40)
     一方、海外版アニメーションの設定はやや入り組んでいる。まずヘッドマスターは、頭と胴体が一体となった通常のトランスフォーマーとして登場する。しかし敵と戦う過程で、人間と同サイズの異星人「ネビュロン人」のアドバイスが必要になる。そこでヘッドマスターたちは、頭にあった記憶を胴体にコピーし、胴体のみで活動可能な状態となる。その上でスーツを着たネビュロン人が頭部に変形し、胴体に合体するのである。当然、頭部にはネビュロン人の意志があり、胴体には従来のトランスフォーマーの意志があることになる。映像作品の中では、頭部にいるネビュロン人の助言を受けながら、胴体が戦闘を行う、というような描写になっている。  一方、マーベルのコミックス版もこれと近い構造で、トランスフォーマーたちは信頼の証として自ら頭部をもぎ取り、改造を受けたネビュロン人がその位置に収まるというような描かれ方になっている。主体については基本的に頭部となったネビュロン人側にあるように思われるが、本来の頭部もボディとリンクがあるようであり、主体の位置についてはやや曖昧である。

    ▲マーベル版の描写。信頼を得るために自ら頭をもぎ取る姿はショッキングなものとして描かれており、カバーにも使われている。(出典:『トランスフォーマークラシックススペシャル:ヘッドマスターズ』(メディアボーイ)P4, P26)
     こうして比べてみると、興味深い差が明らかになる。日本版は「頭部になる小型ロボット」を、「胴体になるマシン」が「拡張」すると考えている。逆に海外版の設定は、アニメーション版もコミックス版も、トランスフォーマーの身体を「頭」と「胴体」に「分割」すると考えている。  なぜこのような差が起きるのだろうか。
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  • 銀座の街から、茶と菓子を再考する|丸若裕俊

    2021-03-23 07:00  
    550pt

    工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレス──日本的なものたちの手触りについて』。今回は2020年11月に銀座ソニーパークにオープンしたばかりの「GEN GEN AN幻」についてお話を伺いました。近年インバウンド需要に応えるかたちで変化してきた銀座。この街で「茶と菓子」を提供することの意味を考察します。(構成:石堂実花)
    丸若裕俊 ボーダレス&タイムレス──日本的なものたちの手触りについて第13回 銀座の街から、茶と菓子を再考する
    銀座のソニーパークで、茶の新たな魅力を伝える
    宇野 今日は、昨年11月に銀座のソニーパークにオープンした「GEN GEN AN幻」を中心に、丸若さんがどういうことを考えてプロデュースしていたか、実際に2ヶ月やってみてどういった手ごたえがあるかについて聞いてみたいと思っています。
    丸若 はい。「GEN GEN AN幻」では茶をメインにした喫茶をやっています。まず、日本人で日本茶を知らない人はいないと思います。とはいえ、じゃあ日本茶がいま、日常のなかにどんな形で受け入れられているかと聞くと、みんな「うーん」と考え込んでしまうと思うんですね。そこで、「GEN GEN AN」では改めて茶の魅力を伝えていくことをコンセプトにしています。なので、いわゆるみなさんの頭の中にあるイメージとはだいぶ異なっているかと思います。たとえば、この看板ひとつをとっても、みなさんが抱く茶のイメージとちょっと違うかなと思います。

     こちらは店舗の景色の一部です。いわゆる「お茶屋さん」のイメージとは離れているかとは思うのですが、茶が持っている可能性を、いろんなものに形を変えて表現をする場所っていう形で、この空間があります。一見どう映るかわからないんですけど、すごく伝統的な、職人さんによる技術のものがあったりとか、ラジカセのような電子家電があったりとか。いろいろなものをミックスさせてこの空間を表現しています。

     銀座のソニーパークは、もともとソニーがビルの建て替えを行う際にその土地を有効活用して、銀座という街に対してどういうメッセ―ジを送れるか、という発想のもと建てられたものなんです。今回はそういった歴史も踏まえたうえで、建築家の荒木信雄さんと一緒にこの空間を作りました。
     こういうご時世なのでなかなか発揮しづらい点ではあるのですが、ここが東京メトロと直結でアクセスしやすい場所にあることは、とても面白いポイントだと思っています。こういう場所にあえてコーヒーやファストフードではなくて茶を出すという試みを、ソニーさんと一緒にやっています。この写真はまさに地下鉄のメトロの通路ですが、うちの世界観がここから少しずつ浸食しているような感じです。

     うちは「GEN GEN AN」というプロジェクトだけではなく、もともと「EN TEA」という茶のメーカーもやっています。なので、茶を作る側だからこそ提案できる、日常を作っていくようなプロダクト作りをしたいということで、見た目的にも手に取りたくなるような、良い意味での違和感を作り上げています。
     僕たちのお店のある階は地下鉄のフロアと地上階の間に存在していて、いわゆる半地下にあるんですが、より都市とコミュニケーションを図っていこうということで、一日限定で、地上階にもいろんな取り組みを施設と協力して行っています。
     僕は、茶はその時代や、その時々の鏡のような存在になってほしいなと思っています。たとえばコロナ禍で出足が悪いとか、人を呼べないだとか、営業時間も短縮せざるを得ない……などなど、お店のことを考え出すといろいろあるんですが、この事象に合わせていろんなコンテンツを伝えていきたい。そう考えて、たとえば年末にはパリのレストラン「MAISON」とコラボレーションでイベントを開催したりもしました。そういった、こういうときだからこそ華やかで楽しめるような試みもしています。
     昨年末には「Taki/Dashi」と題して、地上スペースにキッチンカーを出してイベントを行いました。衛生面や検査など、できることはすべてしたうえで望んだのですが、来ていただいた方たちも、ちゃんとマナーを守ってくれて、とてもありがたかったです。実はこの行列が数時間絶えずあるほどに大きな反響をいただきました。
     場所がとても気持ちのよい場所なので、晴天の日なんかは、気持ち的にもリラックスするかなということで。これからも時期を見ながらやっていこうかなと思っています。

     「GEN GEN AN幻」では基本のメニューも、茶の魅力を感じられるものを用意しています。茶は、茶だけで完結しません。その茶があるということは、どういう空間がいいのかとか、どういう食べ合わせがいいのかとか。もっと言うと、どういう生活リズムがいいかな、といったように、生活を考え直す起点にもなる存在でもあると思っています。なので、茶以外のものが持つ可能性も、茶そのものと同時並行で探求していきたいと考えています。
    「あり得たかもしれない街の風景」を空間で演出したい
    宇野 銀座は日本の中心地のうちの一つで、それゆえの難しさがあると思うんです。丸若さんは、最初銀座のソニーパークでやらないかという話を聞いたとき、この街についてどう思ったんでしょうか。「GEN GEN AN」の一号店は渋谷にあると思うんですが、そこと比べてどう考えたのかについてもお伺いしたいです。
    丸若 茶が伝統的なカルチャーでありながらこれからも残っていくとしたら、現在進行形である必要があると思っています。だからこそ、渋谷や銀座という、日本を代表する土地でお茶屋をやることは、すごく意味のあることだと思っています。
     ただ、渋谷ではじめて店舗を出したときは相当苦労しました。理想は、新しい価値を提案して、新しいムーヴメントを起こす……と言うのは簡単ですが、その場所にはお客さんがそもそも存在してないわけです。こういう洗礼は渋谷でさんざん受けているので、正直、銀座ではさらに洗礼を受けるだろうと思って、最初はあまりポジティブじゃなかった。でも、渋谷の店舗の経験から、できること、できることできないことがわかってきていたということと、ソニーパークさんからコンセプトを聞くうちに、こうした大きい企業さんと一緒に何かやっていくっていうのは、何か新たに挑戦ができるんじゃないかと思うようになりました。
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  • 2000年代の宮藤官九郎(1)──『木更津キャッツアイ』が成し遂げたドラマ史の転換(後編)テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-03-22 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。今回は、『木更津キャッツアイ』から宮藤官九郎の作家性を掘り下げます。本作の主人公・ぶっさんの〈死〉をめぐる物語は、生身のアイドルの有限性と相まって、〈終わらない日常〉と〈死なない身体〉への鋭い批評性を体現していました。
    【成馬零一さん最新刊、刊行決定!!】 本連載を元に、2020年に至るまでの新章を大幅加筆した最新刊『テレビドラマクロニクル 1990→2020』が、特別電子書籍+オンライン講義全3回つき先行販売中です! バブルの夢に浮かれた1990年からコロナ禍に揺れる2020年まで、480ページの大ボリュームで贈る、現代テレビドラマ批評の決定版。[カバーモデル:のん] 詳細はこちらから。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉2000年代の宮藤官九郎(1)──『木更津キャッツアイ』が成し遂げたドラマ史の転換(後編)
    『木更津』はドラマ業界に、どのように受け止められたのか?
     宮藤の出世作となった『木更津』だが、放送当時はどのように受け止められたのか?
    ▲『木更津キャッツアイ』
     脚本家の岡田惠和は「宮藤さんがドラマ界に現れた頃のことはよく覚えてます」(9)と語っている。『木更津』の第1話が放送された翌日、当時仕事をしたドラマチームでの飲み会で、本作が話題になった際、ベテランと若手で意見が真っ二つに分かれたと、岡田は回想する。

    「何喋ってるのかさっぱりわからん」「いったい何の話なんだ? あれは、ふざけすぎ」 ベテランプロデューサー達には理解できなかった。なのに皆が面白い! と絶賛するので、悔しかったのかもしれませんね。  対して若手は、言葉には出さないけど、「あれがわからないんじゃ終わってんな、このおっさん」 と顔に書いてある感じ。でも「どこが面白いんだ?」 と問われると、うまく言葉にすることが出来ない。そんな感じでした。(10)

     そんなベテランと若手の反応を見ながら、岡田は「よわったなぁ」と思ったという。宮藤の新しい作風に脅威を感じながらも、それ以上に「かなり好きだなこれ」と混乱し、自分がやりたかったのはこういうことだったのかもしれないと、憧れを抱いたという。しかし「今から下の世代に憧れるってのもな、ちょっと辛いしな」と思い、「忘れよう、影響受けるのやめよう」と決めて、その後、宮藤と同じジャンルのドラマを書くことは、絶対にやめようと考えたという。(11)  同業者の先輩に、ここまで言わせるのだから、すごい才能である。  だが、宮藤の登場によりドラマ界の空気が一変し、世代交代が起きたかというと、そうはならなかったと岡田は振り返る。宮藤の世界が「ダントツに個性的」で主流にはならなかったからだ。(12)

     ドラマ界は宮藤さんを受け入れた。でもそれはある意味、出島的な特別区みたいなポジションです。ドラマ界の地図を塗り替えるというよりは、地図にひとつ島を増やしたような変化。そこに関してはベテランたちもどこか寛容です。なぜなら出島なんで、自分たちの領土は守られてるから。そこでの活動は許す、みたいな。まさに「クドカン特区」ですね。「クドカンだからねえ」 「あぁクドカンでしょ? はいはい」みたいな許され方とでも申しましょうか。  爆発的に人気あるけど、どうも世帯視聴率はさほど芳しくないという、だからどこか長老たちのプライドも犯さないという、独特なチャーミングなポジションも獲得しました。嫌ですね、そんな長老。(13)

     『木更津』が放送された2000年代初頭は、視聴率という評価軸がまだまだ絶対的だった。『踊る大捜査線』や『ケイゾク』のような視聴率は高くないが、放送終了後に映画化されて大ヒットするという作品も現れはじめていたが、これらの作品は、視聴率が低いと言っても、10%台前半は獲得していた。  しかし『木更津』は野球の構成に合わせた全9話で平均視聴率10.1%(関東地区・ビデオリサーチ)で、これ以降のクドカンドラマはシングル(一桁台)が当たり前になっていく。近年のドラマは、シングルが常態化しており10%台で成功作と言われるぐらい合格ラインは下がってしまったが、当時のシングルは、打ち切りでもおかしくない数字である。思うに『木更津』とクドカンドラマの登場は、視聴率一辺倒だったテレビドラマの評価が、DVD等のソフト消費とネットで話題になるSNS消費へと大きく分裂していく始まりの作品だったのだろう。
    『キャラクター小説の作り方』に書かれた木更津キャッツアイ論
     テレビシリーズ終了直後に語られた、もっともクリティカルで早かった『木更津キャッツアイ』論がある。大塚英志の『キャラクター小説の作り方』(講談社現代新書、2003年)だ。  本書はまんが原作者や小説家としても知られる評論家の大塚が、ライトノベル専門誌「ザ・スニーカー」(角川書店)で連載していた、ライトノベルの書き方についてのレクチャーをまとめたものだ。  本書ではライトノベルのことを「キャラクター小説」と呼んでいるのだが、キャラクター小説について大塚は、以下のように定義している。

    ①自然主義的リアリズムによる小説ではなく、アニメやコミックのような全く別種の原理の上に成立している。 ②「作者の反映としての私」は存在せず、「キャラクター」という生身ではないものの中に「私」が宿っている。(14)

     そして「自然主義の立場に立って「私」という存在を描写する「私小説」が日本の近代小説の一方の極だとすれば、まんが的な非リアリズムによってキャラクターを描いていく」小説が「キャラクター小説」(=ライトノベル)であると、大塚は語っている。(15)  なお、筆者は生身の俳優が、まんがやアニメのキャラクターを演じる作品をキャラクタードラマと呼んでいる。そして、この連載で堤幸彦の演出とリミテッドアニメの方法論の類似性を指摘したが、この〝キャラクタードラマ〞という着想は、本書で書かれた大塚のキャラクター小説論が下敷きとなっている。中でも大きな影響を受けたのが、「第一〇講││主題は細部に宿る」で語られる『木更津キャッツアイ論』である。

     
  • Daily PLANETS 2021年3月第3週のハイライト

    2021-03-19 07:00  
    おはようございます、PLANETS編集部です。
    3月も中旬を過ぎ、ちらほらと桜の花を見かけるようになりました。新たな季節のはじまりとともに、PLANETSのコンテンツが皆さんの知見を広げられるきっかけになれば幸いです……!
    さて、今朝は今週のDaily PLANETSで配信した4本の記事のハイライトと、これから配信予定の動画コンテンツの配信の概要をご紹介します。
    今週のハイライト
    3/15(月)【連載】テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉2000年代の宮藤官九郎(1)『木更津キャッツアイ』が成し遂げたドラマ史の転換|成馬零一

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信。今回は、宮
  • 4/8(木)まで書き下ろし原稿&オンライン講義視聴チケットつき! 成馬零一『テレビドラマクロニクル 1990→2020』PLANETSオンラインストアにて予約開始

    2021-03-18 12:00  
    PLANETSより、ドラマ評論家・成馬零一さんの最新刊『テレビドラマクロニクル 1990→2020』が発売となります。

    昭和の終わりとともに世紀末を駆け抜けた1990年代の旗手・野島伸司。
    マンガ・アニメとの共鳴で2000年代の映像表現を革命した堤幸彦。
    若者カルチャーの異端児から2010年代の国民作家へと進化を遂げた宮藤官九郎。

    平成を代表する3人の作品史をはじめ、坂元裕二、野木亜紀子などの作家たちが、令和の現在に創作を通じて切り拓いているものとは──?

    バブルの夢に浮かれた1990年からコロナ禍に揺れる2020年まで、480ページの大ボリュームで贈る、現代テレビドラマ批評の決定版です!

    [本書の取扱作品]
    『東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』『高校教師』『人間・失格』『未成年』『家なき子』『金田一少年の事件簿』『ケイゾク』『池袋ウエストゲートパーク』『TRICK』『