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福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第三章 文化史における円谷英二 2 飛行機・前衛・メカニズム(1)【毎月配信】
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福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第三章 文化史における円谷英二 2 飛行機・前衛・メカニズム(1)【毎月配信】

2017-07-04 07:00
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    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。今回は円谷英二の手がけた多様な映像作品が、飛行機の美学をはじめとした大戦に関わる文化的文脈とどのように結びついていたのかを論じます。

    2 飛行機・前衛・メカニズム

     円谷は大戦間期には『メトロポリス』や『キング・コング』、あるいは五〇年代にはジョージ・パル製作の『月世界征服』や『宇宙戦争』、ジョン・P・フルトンの特殊撮影が冴えるセシル・デミル監督の『十戒』といった海外のSFXの動向をたえず注視しつつ、特撮技術のスペシャリストとして、戦前には新感覚派の前衛映画、戦中にはプロパガンダ的な戦争映画や航空映画、戦後には太平洋戦争の戦記映画や怪獣映画というように、実に幅広い分野の映像作品を手掛けた。では、この多種多様な仕事は、いかなる文化史的な文脈と関わっていたのだろうか?ここからは、大戦間期における(1)飛行機の美学(2)映像の前衛(3)メカニズム志向という三つのポイントを説明した後に、戦時下の問題に進みたい。

    飛行機とモダニズム

     まず注目すべきは、円谷にとって飛行機が生涯を通じてロマンの対象であったことである。模型飛行機を自作し、地元の須賀川でも評判になるほどの飛行機少年であった円谷は、来日したアメリカの曲芸飛行家アート・スミスに憧れ、自製の飛行機で世界一周することを夢見ていた。その夢はやむことなく、彼は後に東京羽田の日本飛行学校に入学するものの、たった一人の教官が事故死してやむなく退学する。
     この挫折を埋めるように、円谷の特撮はスクリーンのなかで実物とミニチュアの飛行機を飛ばしてみせた。彼はヴィクター・フレミング監督の一九三八年の『テスト・パイロット』を高く評価する一方、『燃ゆる大空』や『南海の花束』といった航空映画を経て『ハワイ・マレー沖海戦』ではその特撮技術を遺憾なく発揮する。内容面から言っても、飛行機乗りに憧れて訓練を重ね、ついに真珠湾に飛び立つ少年兵を主人公とする『ハワイ・マレー沖海戦』は、円谷の長年の夢を図らずもドキュメンタリー的なビルドゥングス・ロマンとして実現してしまったところがある。彼の飛行機へのロマンは、総力戦体制のもとでの国策映画のなかで受肉したのだ。
     そもそも、特撮と飛行機はともに二〇世紀の入り口で生み出された、ほぼ同い年の「技術」である。すなわち、帝国主義の時代を背景としながら、一九〇二年にメリエスの『月世界旅行』が人間の顔をした月面に砲弾型のロケットを暴力的に突き刺した、その翌年にアメリカのライト兄弟が有人動力飛行に成功する――、円谷はまさにこの二つの技術の申し子なのであり、しかもそのことが彼を後に戦時下の突出した映像エンジニアの座へと導くことになった。
     さらに、この「飛行機好きから戦争の時代の発明家へ」という円谷の経歴が、宮崎駿監督の『風立ちぬ』(二〇一三年)で取り上げられた零戦の設計者・堀越二郎を思わせるのは興味深い。一九〇一年生まれの円谷が虚構のスクリーンのなかで戦闘機を飛ばしたとすれば、一九〇三年生まれの堀越は現実の戦場を飛ぶ戦闘機を設計した。宮崎版の堀越は日本の貧しさを技術的工夫によって克服し、美しく機能的な飛行機を作ろうとしたが、これは「トリックというのは貧乏の生んだ知恵なんだ」という円谷の発言を彷彿とさせる[14]。『風立ちぬ』は飛行機を愛する技術者を通じて、円谷の特撮や宮崎本人のアニメも含めた日本サブカルチャーの根底にある「貧者の想像力」を、自己言及的に示した作品なのだ。
     むろん、飛行機の美に魅せられたのは日本人だけではない。例えば、モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエは一九二三年の主著『建築をめざして』で「飛行機は創意と、知性と、大胆さとを動員したと言明できる。すなわち《想像力》と《冷静な理性》とを。その同じ精神がパルテノンを作ったのだ」と記して[15]、ほとんど古典主義的な完全性の美を飛行機に認めていた。あるいは、二〇世紀の抽象彫刻の開拓者でプロペラ型の《空間の鳥》を残したコンスタンティン・ブランクーシやニューヨーク・ダダの中心人物マルセル・デュシャン、さらにイタリア未来派のマリネッティらも、飛行機の美に魅了された芸術家として知られる。近代の機能美の集約された飛行機は、一九世紀のロマン主義的な美意識(自意識)の圏域から脱出しようとした二〇世紀前半のモダニストにとって、疑いなく特権的な対象であった。
     このような文脈を踏まえれば、円谷の飛行機愛もいわば世界的なモダニズムの日本的な変種だと考えられるだろう。そして、この飛行機の美学は戦後のウルトラシリーズにも及ぶ。美術担当の成田亨は(彫刻家としてはブランクーシ的な抽象表現よりもイタリアのペリクレ・ファツィーニやマリノ・マリーニの具象表現に惹かれていたものの)『セブン』のメカニックデザインにおいて、飛行機のモダニズム的な機能美を子供向けの特撮に組み込もうとした。航空専門家から「ウルトラホークは飛行可能なデザインだ」というお墨付きを得て喜んだ成田には、軍関係者の眼を欺くほどのリアリティを達成した円谷の技術者的精神が再来していた。


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