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『昨夜のカレー、明日のパン』『ファーストクラス』から『ゴーストライター』まで――岡室美奈子×成馬零一×古崎康成×宇野常寛による秋ドラマ総括と冬の注目作 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.266 ☆
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『昨夜のカレー、明日のパン』『ファーストクラス』から『ゴーストライター』まで――岡室美奈子×成馬零一×古崎康成×宇野常寛による秋ドラマ総括と冬の注目作 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.266 ☆

2015-02-20 07:00

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    『昨夜のカレー、明日のパン』『ファーストクラス』
    から『ゴーストライター』まで
    ――岡室美奈子×成馬零一
    ×古崎康成×宇野常寛による
    秋ドラマ総括と冬の注目作
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.2.20 vol.266

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    テレビドラマファンの皆様、今回もお待たせしました! 3ヵ月に1度、日本屈指のドラマフリークたちが、前クールのドラマと次クールの注目作を語り尽くす「テレビドラマ定点観測室」。今回も2万5千字の大ボリュームでお届けします。ぜひお手元で「答え合わせ」をしながら、毎週のドラマ鑑賞をお楽しみください!

    これまでの「テレビドラマ定点観測室」記事はこちらのリンクから。
     
    ▼座談会出席者プロフィール
    岡室美奈子(おかむろ・みなこ)
    早稲田大学演劇博物館館長、早稲田大学文学学術院教授。芸術学博士。専門は、テレビドラマ論、現代演劇論、サミュエル・ベケット論。共著書に『ドラマと方言の新しい関係――「カーネーション」から「八重の桜」、そして「あまちゃん」へ』(2014年)、『サミュエル・ベケット!――これからの批評』(2012年)、『六〇年代演劇再考』(2012年)など。
     
    古崎康成(ふるさき・やすなり)
    テレビドラマ研究家。1997年からWEB上でサイト「テレビドラマデータベース」(http://www.tvdrama-db.com)を主宰。編著に『テレビドラマ原作事典』(日外アソシエーツ)など。「月刊ドラマ」「週刊ザテレビジョン」「週刊TVガイド」などに寄稿多数。2011年~13年度文化庁芸術祭テレビドラマ部門審査委員。
     
    成馬零一(なりま・れいいち)
    ライター・ドラマ評論家。主な著作は『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)。週刊朝日、サイゾーウーマンでドラマ評を連載。
     
    ◎構成:飯田樹
     
     
    宇野 みなさん、こんばんは。評論家の宇野常寛です。PLANETSチャンネルプレゼンツ、「テレビドラマ定点観測室2015 winter」のお時間になりました。この「テレビドラマ定点観測室」は、3ヶ月に一度、前クールのドラマの総括と今クールのドラマ期待作のファーストインプレッションを語り合う番組です。今回も「ドラマを語るならこの人!」というドラマフリークの方々にお集まりいただきました。早稲田大学の岡室美奈子先生、ドラマ評論家の成馬零一さん、テレビドラマデータベースの古崎康成さんです。いつもどおり皆さんに前クールのいわゆる秋ドラマのベスト3を挙げてもらいました。いきますよ。せーの、ドン!

    古崎 私は『きょうは会社休みます。』『昨夜のカレー、明日のパン』『シンデレラデート』です。

    成馬 『ファーストクラス』『ロボサン』『さよなら私』です。

    岡室 『ごめんね青春!』『昨夜のカレー、明日のパン』『グーグーだって猫である』で、次点で『Nのために』です。

    宇野 僕が『Nのために』『さよなら私』『ファーストクラス』で、次点に『ごめんね青春!』ですね。
     
     
    ■『すいか』に通じる木皿泉の総決算?『昨夜のカレー、明日のパン』
     
    宇野 被っているところで木皿泉さんの『昨夜のカレー、明日のパン』からいきますか。これは挙げた人2人と挙げなかった人2人で分かれました。

    古崎 最初に見てまず感じたのは今までの木皿作品の底流に常に存在してきた生と死が前面に出てきたな、というところですね。これまではそれが底流にはあったもののそれ自体を表には出さなかった。今回に関しては「死んだものが生きるものに徐々に継承されていく」というところまでを描き出していました。この点については前回の期待ドラマのところで話題に出て、宇野さんが前回「そういうテーマは木皿ドラマの底流にあるのならいいのだが、前面に出しすぎるのはどうかな」という疑問をおっしゃっていて、私もそれは危惧していたわけなのですが、ひととおり見終わってみると、案外上手く着地させられたんじゃないか、という印象をもちまして、選んでおります。

    岡室 古崎さんがおっしゃったとおり、生と死が前面に出ているドラマでしたよね。実際に幽霊も出てくるんだけれど、星野源の幽霊がすごく良かったし、仲里依紗や溝端淳平など役者陣も全体的に良かったです。
     今回に関しては原作小説があるので木皿さんも安定して書けたのか、非常に完成度の高いドラマだったと思います。

    成馬 美保純と星野源の幽霊がうろうろしているのが溝端くんにだけ見えてしまう、あの部分はオリジナルですよね。木皿さんは『すいか』でも、「お盆で幽霊が帰ってくる」というのをやっていましたよね。だから今回は、過去にやったいろんな要素の総決算になっていると思いました。

    古崎 最初はそれぞれの人間関係がバラバラで、どういう人物関係なのか判然としないままの導入部だったのです。それが徐々に人間関係が見えて、「どういう関係性でこの物語が成り立っているのか」というのがわかってくる。このあたりは地上波の民放ゴールデンタイムのドラマではなかなか視聴者に不親切であるがゆえにやりにくい手法で、まさにBSならではの「わかりにくさから入っていくことの面白さ」を表現できていましたよね。

    岡室 出てくる人たちがみんな「何かしら足りない」人たちじゃないですか。座れない僧侶とか、仕事中についつい笑ってしまう産婦人科医とか、ミムラが演じた「ムムム」っていう隣の子とかもそうだし。全体的に、出てくる人たちに対する眼差しの優しさが、すごく良いと思いました。

    宇野 しかし僕と成馬さんは、『PLANETS』の創刊の頃から木皿泉推しでやってきたんですが、どっちもこの作品を挙げていないですよね(笑)。

    成馬 ちょっと慣れてしまっている部分がある。初期が好きだったからこそ、どんどん伸びていって欲しいけれども、「これくらいの伸びじゃちょっと点入れられないよ」みたいにどうしても厳しく観てしまいますよね。

    宇野 よく会う木皿ファンの中で、この作品に対して比較的評点の辛い人って「やっぱり『すいか』のセリフリメイク感が強すぎるんじゃないか」って言っていて、当たってなくはないかなという感じがしました。それだけ木皿さんにとってはライフワーク的なテーマなんだと思うけれど。

    成馬 この『昨夜のカレー、明日のパン』は、もうちょっと時間が空いてふと観たら、すごく好きになると思うんですが、リアルタイムで観るドラマという感じがどうしてもしなかった。どこか時間から切り離されている作品で、「別に2014年にこれをやらなくてもよかったな」と。

    宇野 ちょっとメタ的な表現になるんだけれど、結局この作品は「人間一人の力では絶対に回収しきれないものが世界にあるんだ」という前提から始まっているんだけど、そういったものをどう処理していいか木皿さん自身がわかってしまっている感じがするんですよね。「まとめ」的な作品であまり冒険はしていないのかもしれない。
     そして僕は見ていて、「それって本当の意味で回収されえないものなのかな」とも思ったんですよね。ファンタジー的な要素の用い方に顕著なんだけれど、『Q10』や、舞台の『すうねるところ』のほうが、今の木皿泉にとっての「絶対に回収されないもの」に対して向き合っていたんじゃないのかなという気がする。『Q10』第1話の「助けてください」という虚空への叫びは、どこにも回収されていないけれど、この作品に出て来る人たちの叫びはちゃんと宛先が分かっている感じがする。

    成馬 「ぼんやりした不安」みたいなものがすべて死に回収されているじゃないですか。人が死ぬことが……っていう。でも、人が死ぬのがつらいとか喪失感があるって、それは当たり前なんじゃないかってどうしても思ってしまうから、「死」というものの扱い方が狭くなっている気がするんです。

    宇野 今からスーパー変なことを言いますね。例えば僕は昔の富野由悠季ファンなんですよ。それが、最近の若者向けガンダムとか見ると、ちょっと文弱な少年の成長物語とかは全部なくなって、過剰にみんな強くて過剰に全能感バリバリで過剰にナルシストなやつらが、ちょっと優雅なセリフを言いながら男同士イチャイチャするみたいなアニメばっかりなわけですよ。あれはあれでけっこう面白いなと思うんだけれど、それの逆バージョンを感じるんです。今どきこんなに内面がウジウジしているやついないよ、という感じの近代人たちがことごとく心に傷を負っていて、ほとんど「弱さのインフレ」になっている。

    成馬 セルフパロディーみたいなところがけっこうあるということですかね。「こういうものだ」と思われているものを演じているというか。

    宇野 木皿泉が描こうとしていたものって、ほんとうにああいった弱さや喪失を通してしか描けないものだったんだろうかということが、引っかかるんですよ。日本テレビの河野英裕さんと組んでいる青春ドラマの木皿泉を観てしまっていると、そこがどうしても引っかかる。

    成馬 この世界を嫌っている人が基本的に出てこないですよね。『野ブタ。をプロデュース』なら、蒼井かすみが出てくるし、『セクシーボイスアンドロボ』だったらお歯黒女みたいな敵対する他者がいっぱい出てきたじゃないですか。こういう居心地のいい小さな世界があるとして、そこを壊しにくる人たちがいないから、予定調和に見えてしまう。

    宇野 日テレの9時という時間枠が要求していた、ある種の同時代性や若者向けのフォーマット、究極的には「ジャニーズ」というものって木皿泉作品にとってポジティブな外部性として機能していた側面がものすごくあったはずなんですよね。社会的なテーマや同時代性が盛り込まれていれば必ずしもいいわけじゃないけれど、作家の内面にあるものが外のものとぶつかる緊張感をもたらしていたことは間違いない。

    古崎 作家が描きたい世界を世間一般の視聴者にもわかるように作らなくてはならない制約がむしろ地上波のゴールデンタイムの民放ドラマの魅力であって、一方、BSだと視聴者を意識するよりも作家性を優先できる良さがある。そのあたりの違いをどう評価するかということなのでしょうね。

    岡室 おっしゃることはすごくよくわかるし、私も作品としては破綻していたとしても『Q10』のような作品のほうが好きなんですよ。それはわかるんだけど、でもやっぱり実際に私はこのドラマにすごく感動して、泣きながら観たんです。

    宇野 もちろんこの作品をけなす気はないんです。良いか悪いかの二択になったときに悪いっていう人間はほとんどいないと思うんですよね。でも逆にだから僕は挙げなかったんです。だいぶ悩んだんですよ。本当にギリギリまで悩んで挙げなかった。『すいか』はともかく『野ブタ。をプロデュース』や『セクシーボイスアンドロボ』は賛否が分かれるドラマだと思う。10人いたら8人は肯定派だけど2人は否定派に回る。でもこの作品はたぶんほとんどの人が肯定はすると思う。そこが逆に引っかかったんですよね。

    成馬 今回の『昨夜のカレー、明日のパン』では最終話で家の話になっていて、家にレイヤーを重ねるという話になっていましたよね。実は『すいか』のシナリオ本の文庫の最終話に、10年後の話が載っているんですよ。そこでは家をリフォームしていって違う人がまた入ってくるという、人のつながりではなく家を主役にしたイメージを描いていたと思うんですが……。

    古崎 今まで「性と死」の問題を根底に描いてきた木皿さんとしては、次へ進むためにも、今まで抱えていたものをここでぜんぶ出したかったとも思えるのですよ。そのために今回の作品を出す必要があった、と。作家として次のステージに進むため本作は不可欠であったのではないかと。そういう場がBSだから用意できた面があると思います。

    宇野 『すいか』から10年続いた木皿泉の総決算ではあるでしょうね。
     
     
    ■『ファーストクラス』は『きょうは会社休みます。』と対に観る
     
    宇野 じゃあ次の作品。『ファーストクラス』はどうでしたか?

    成馬 正直に言うと、僕は第2話くらいで一旦観るのをやめてしまったんですよ。理由は、裏の『きょうは会社休みます。』と両方観るのが大変だったから。でも、5話分くらい溜まった時点で一気に観たらすごく面白かった。演出が暴走していて、とにかく作っている人たちが楽しそうなのが良かったです。
     『ファーストクラス』は脚本が変わったんですよ。第1期は『名前をなくした女神』などのイジメ系のドラマを書いていた渡辺千穂さんだったのですが、第2期は及川博則さんという方がやっています。この人は第1期ではプロデューサーだった人で、第7話の演出も担当してます。ドラマの中での「心の声」のようなものはあの人が考えたらしくて、演出レベルでの暴走を意図的に仕組んだドラマにしています。
     第1期はドラマとしてかなり壊れてたんだけど、第2期では壊れていたはずの『ファーストクラス』というドラマの文体をどうやったらある種の美学に昇華できるかを演出の西浦正記さんたちがどんどん追求していった結果、“ファーストクラス”としか言いようがない作品に仕上がった。だから、ストーリーレベルではひどいところもいっぱいあるのですが、このドラマがやりたかったことは全部できたと思います。この路線でどんどんやってほしいし続編を作ってほしいですね。

    宇野 『ファーストクラス』の第1期というのは、バラエティーの手法を使って、今までとは違った切り口の女性の職業ドラマをやろうとしていたと思うんですよ。「マウンティング」という言葉が代表する、いわゆるサブカル系の女子語りのキーワードを取り込んで毎週登場人物の格付けを発表したり、心の中の声を過剰にナレーションしたり(笑)。
     で、この第2期はこうしたバラエティ要素をぐっとピックアップしていて、見ていてすごく楽しいのだけど物語としては完全に破綻している(笑)。登場人物の動機や目的がさすがに一貫しなさすぎているし、そもそも脚本の都合で基本的なキャラ設定すらブレている。それぐらいいい加減なんだけれど、ジェットコースター的なストーリー展開と、全能感に溢れきった妙齢の女性たちがいちいち右往左往するのを見るのが楽しいというところだけに特化して力技で10話突っ切っている。これが妙に爽快だったのは間違いない。

    成馬 チーフ演出の西浦正記さんが入ったことで、『リッチマン、プアウーマン』の流れも繋がっているんですよ。あの職業ドラマの流れは実は『ファーストクラス』に移ってきているんじゃないかと思います。
     それから、第一期のナレーションでは沢尻エリカのことを「エリカ」って呼んでいたのですが、今期は「ちなみ」って呼んでいるんですよね。それって「今回はちゃんとフィクションをやっていますよ」という証明なんですよね。

    宇野 第2期のコンセプトの象徴が木村佳乃だと思うんだよね。木村佳乃は一応設定的には超切れ者の役で、思想的にも深いはずなんだけど実は何も考えていない(笑)。

    岡室 『ファーストクラス』は、裏番組の『きょうは会社休みます。』と対にして観ると面白かった。『きょうは会社休みます。』は、なんの努力もしない女の子が7歳年下の男の子と歳上の男の両方から言い寄られて、してほしいことを何もかもしてもらえて、言ってほしいことを言ってもらえて……という全く努力のないドラマです。それに対して『ファーストクラス』は女子の野心の物語じゃないですか。その裏表が面白いなと思いました。その意味では私はやっぱり『ファーストクラス』のマウンティング物語のほうが面白かったですね。

    宇野 これを30代既婚男性が言うのは政治的に問題かもしれないけれども、やはり『きょうは会社休みます。』は完成度の高いファンタジーだと思うんですよ。あの設定自体が、「ああ、ポスト男女雇用機会均等法時代の”非モテ・内気女子”の自意識語りってもう食傷気味だよな」と思わせてしまう。普及しきったファンタジーは本当にファンタジーとして機能するのか、という問題ですよね。

    岡室 『ファーストクラス』はあからさまにファンタジーだけど、本当は『きょうは会社休みます。』のほうが全くのファンタジーですよね。ファンタジーなのに「こじらせ女子」とか言ってリアルなふりをしているのが嫌だな、と(笑)。

    古崎 『きょうは会社休みます。』は、実はファンタジーだけどそれを本物っぽく見せてくれた力があります。大きな事件を出すこともなく、これだけ地味な出来事だけで淡々とした話運びのままラストまでちゃんと観る者を引っ張り込んだのは並大抵の手腕ではないですよ。まさに事件連発で話を引っ張る『ファーストクラス』と対極の手法です。
     しかもそういう脚本をそのまま通した局側の度量もすごいものがある。裏番組に連ドラがあるし、つい、もう少し視聴者をひきつけるような事件みたいなものを劇中に入れてしまいがちなところを我慢して最後まで違和感なく端正に仕上げている。脚本としては大変地道な描写力がないとできない。私はどちらかと言えば『ファーストクラス』のほうが書きやすいとは思うんですけどね。
     
     
    ■死を描いたのは正解だったのか?――『さよなら私』
     
    宇野 あとは、僕と成馬さんが『さよなら私』で被っていますね。

    成馬 『さよなら私』は、『昨夜のカレー、明日のパン』と『ごめんね青春!』とセットで考えることができると思っていて、三作ともモチーフとしては、ゼロ年代から続く「理想の中間共同体探し」の行き着いた先ですよね。脚本の岡田惠和さんはそれを超悪意を込めてやっている印象があります。それこそ重婚のようなものが肯定されたらみんながハッピーになるけれど、そのハッピーエンドにはグロテスクで気持ち悪いところもあるよね、というところも同時に描いている。
     『ちゅらさん』ぐらいから「優しい人ばかり出てきて良いですね」と言われてきたことに対する、岡田さん本人の思うところがふつふつと湧き上がっているんじゃないでしょうか。ただ、新境地ではないですよね。

    宇野 序盤のほうが面白くて、後半はわりと予定調和になっちゃったかな、とは思いますね。この作品ってやはり『最後から二番目の恋』のカウンターパートだと思うんですよ。
     『最後から二番目の恋』はキョンキョンと中井貴一の、なかなか最後までは踏み込まない関係が象徴しているけれど、血縁の共同体が友愛の共同体に拡張していくモデルで、何も生まずに、ただ死に向かって行くホスピスのような共同体の魅力を描いている。
     それに対して『さよなら私』はああいった拡大家族的な共同体でどう子どもを産んで、育てるかという思考実験をしたんだと思う。その結果、ほとんどカルト宗教みたいな共同体になってしまって、そこが面白かったのだけど、今回はその先に何が待っているのかを描くところまではいっていなくて、なんとなくヒロインを殺して終わらせちゃった気がするんだよね。
     要するに、普通の近代人の感覚からすると目を背けたくなるような、あのグロテスクさを本気で希望として描くのだったら、ヒロインたちの共同体があのまま歳をとっていくところまでを描く必要があったと思う。僕はあれだけの作品にこういうことを言いたくはないけど、この10話ではやりきれなかったようなところがあるのかなと。

    岡室 私も『さよなら私』はすごく好きで、号泣しながら見たんですよ。挙げようかとも思ったのですが、なぜ最後に死なせちゃったのかが気になったんです。『最後から二番目の恋』って、死の臭いをいっぱい散りばめながらも人が死なない、というドラマでしたよね。そこに岡田さんがすごく大事にしているものがあったと思うんです。『私という運命について』でも江口洋介が死んじゃいますよね。だから、最近の岡田さんはどうして死なせちゃうのかなというのは心にひっかかっています。

    成馬 セックスを描くようになったから死も描けるようになった、ということじゃないですかね。この両方を描かないから『ちゅらさん』では中間の生ぬるい関係を描けたんだけど、セックスを描いたら、死を描くこともオッケーになったということだと思います。

    宇野 『さよなら私』と『最後から二番目の恋』の2つを並べたときに、恐るべきことにどっちが批判力のある強い虚構になっているかというと『最後から二番目の恋』な気がするんだよね。あの宙ぶらりんの友愛の共同体のほうが、表面的にはカジュアルなんだけれど魅力的な、強い虚構になっているというこの逆転をどう考えるか、だよね。
     普通はいい歳してくっつくかくっつかないかの微妙なラインの空気感を楽しむドラマよりも、家族と性と愛のドラマ、子供が生まれたり生まれなかったり、ガンになって死んだり死ななかったりするほうを描く方が、人生の深淵まで達している本質的なドラマだと人々は考えがちなんだけど、ふたつ並べてみたときに、どっちのコミュニティのイメージとか、どっちの歳のとり方のイメージのほうがショッキングかと言われると、僕は『最後から二番目の恋』のほうなんですよね。「子どもを生んで育てる」という要素を入れた途端に、誰が書いてもとても窮屈で教条的なものになってしまうのはどうしてなんだろうかと思う。ここに、岡田さん自身が『最後から二番目の恋』をなかなか超えられない問題があるように思えるんですよ。

    岡室 岡田さんの基本はずっと『めぞん一刻』じゃないですか。限られた時間空間のコミュニティみたいなものがあって、その中でみんながいい時間を過ごして、でもそこは出て行かなければならない時間で……という『ちゅらさん』的な世界が中心だった。そして、『最後から二番目の恋』では、「どうしたらそこから出て行かなくていいか」をやっている気がするんです。でも『さよなら私』では、そこから出て行くのが死だったというのが後退のような気がしたんですよ。

    古崎 岡田惠和さんのここ最近の傾向って、先ほど木皿泉がこれまで底流で描いてきた「生と死」を前面に出したのと符合していて、こちらもこれまで底流で常に「死と別れ」を描いてきた書き手で、『最後から二番目の恋』も『泣くな、はらちゃん』も「死という別れの恐怖」が裏に流れていたテーマだった。で、それは裏にあるからこそ魅力があった可能性があったのに、『尾根のかなたに』『チキンレース』を経て前面に出し始めている。岡田さんもおそらく次へ進むためにそういうテーマを出していこうとされているんじゃないか、という気がするんですよ。
     ただ今回の『さよなら私』でちょっとひっかかるのは「遊び」すぎなところでして、例えば尾美としのりと谷村美月のシーンで流れる、ちょっとはかない雰囲気のピアノの旋律は「さびしんぼう」のパロディかと見まがいますし、尾美としのりが退院していく病院の看板が最終回で「岡田病院」とチラリと出てくる。こういうのはどう理解していいのか。ちょっと「遊び心」に走りすぎな面があるんですよね。

    岡室 『泣くな、はらちゃん』などの、岡田さんのファンタジー路線もありますよね。そのあたりを描いてほしいですが、どうなっていくのかなと思っています。

    宇野 これは一回「岡田惠和スペシャル」とか、「岡田惠和白熱論争」とかやりたいですよね。
     
     
    ■脚本と演出で役者の実力を引き出したのが鍵――『Nのために』
     
    宇野 あとは『Nのために』が被っていますね。ちなみに、最初に言っておくと『Nのために』の原作って本当に面白くないですよ。

    岡室 私、『Nのために』評を書くために原作を読んだのですが、のけぞりましたよ。特に、ドラマを支えていた成瀬くんの造形がぜんぜん違うんですよね。

    宇野 湊かなえさんって基本的に「出オチ」の作家ですよね。描写とか文章力で魅せるタイプではなくて、ショッキングな材料をぽんぽん並べていって、最後まで逃げ切るところがあるわけですよ。そこが彼女のアドバンテージでもあるわけなんだけど。
     対して、ドラマ版の『Nのために』が良かったと思うのは、描写力なんですよね。過去編の離島ロケの叙情感だったりとか、成瀬くん(=窪田正孝)もそうだし、賀来賢人もそうだし、なかなか主役にならないいわゆる当て馬俳優、当て馬イケメンたちの実力を150%引き出すリリカルな脚本と演出によって魅せていく。
     いちばん感動したのが、引っ張るだけ引っ張った話のオチは全く大した事件じゃないですよね。でも、あれだけキラキラした美しい窪田正孝くんや賀来賢人くんの青春がこんなしょうもない事件で損なわれてしまうんだという喪失感が逆に襲ってくるんですよ(笑)。あれって多分ドラマの人が計算してやっていると思う。
     

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