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山田玲司のヤングサンデー【第121号】パンチラという踏み絵
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山田玲司のヤングサンデー【第121号】パンチラという踏み絵

2017-02-06 07:00
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山田玲司のヤングサンデー 第121号 2017/2/6

パンチラという踏み絵
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いやー。

嫌な事を思い出してしまいましたね。
前回放送で言っていた「パンチラ」の話です。

僕がデビューしたのは青年誌の「コミックモーニング」でした。
なぜ少年誌ではなくて青年誌を選んだのかと言えば、80年代当時の青年誌は物凄く活気があって「新しい何か」が生まれる雰囲気があったからです。

大友克洋先生の「アキラ」も、高橋留美子先生の「めぞん一刻」も、江川達也先生の「BE FREE」も青年誌に連載されていました。

大人にも通用する深さや斬新な表現が許される雰囲気が当時の青年誌にはあったのです。
実際僕がデビューした時期のモーニングでは、ショートコミックを30作以上も載せた増刊や、オールカラーの増刊なども出していて、その中からは芸術性の高い作品も多く生まれていたのです。
(写真のカラー原稿はその時のものです)


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「よーし、ここで俺も革新的な漫画を描くぜ」なんて意気込んでデビュー(たまごとこんにゃくの恋愛の漫画)したものの、どうにも人気にはつながらない。
人気がないと連載は無くなり、漫画の仕事ができません。

どうしたら漫画の人気を上げられるのか?なんて悩みに悩んでいたのが20代前半の毎日でした。

師匠の江川先生は「俺の分析では、青年誌で人気を取るために必要なのは”スケベ”アクション”人情話”だよ」なんて言っていました。


〜この俺様がパンチラなどを描くのか?の苦悩〜

問題はそこでした。
アクションやら人情話を描くのはできても、僕はどうしても「スケベ(エロ)」を漫画に描くのに抵抗があったのです。
そんな人間なら初めから少年誌に描けばいいって話なんだけど、当時の少年漫画のノリは嫌いだったし、大人に通用する漫画を描きたかったのだからどうしようもない。

おまけに江川師匠の漫画は「これでもか」のばかりにエロが連発して出てきます。
そしてそれが爆発的に売れているのだから、更に逃げ場がない。

「パンチラくらい描けばいいのに」という声が周囲から聞こえてきます。
なのに僕はひたすら「そんなものを描くために俺は漫画家になったわけじゃないんだ」なんて言っていました。
なんて自意識過剰で生意気な若造でしょう。

おまけにこの若造ときたら、デビューの時に「デビューのためなら仕方ねえ」と、しっかり「下着姿の女が海辺にいるシーン」なるものを描いてる前科者なのです。

しかも堂々とヌードを描くのではなく「下着」という腰の引けたチキン野郎状態です。
何度思い出しても恥ずかしい「オレサマ病」の時代です。

(写真の漫画がそのデビュー作です)

 
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漫画を描くという自分の好きな仕事なのに描きたくないことも描かなければいけないって苦行みたいですね。
仏教には願兼於業という言葉があって自分が願ってその場に生まれてきたと説いています。
敢えて厳しい環境に身を置いて自分の境涯を広めるということなんだそうです。運命は変えられるが宿命は変えられないということなのか…
でも玲司さんの描く女の子は可愛くて好きです。アリエネの夢ちゃんがいいね!

No.1 86ヶ月前
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