明治人はどのくらい米を食べていたのか?
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明治人はどのくらい米を食べていたのか?

2014-08-26 17:07
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昔の農家の人は一升飯を食ってたみたいな話があって、一升というと1.8リットル分の米です。

肉体労働をしてない人はというと、年間一石(180L)あれば、生きていけるとされていました。いやいや1石というの180Lではなくてだなぁみたいな話もあるわけですけど、その辺りのことは興味もないので詳しいことは知らないです。

現代だと1人あたりの消費量は60キロ弱くらい、それでは明治あたりだとどのくらい食べていたのかなと気になりましたので、少々調べてました。

まずは調べやすいところから調べてみますと、日露戦争の頃の日本兵は、1日に6合の米を食べていたそうです。

飯盒というのがありますけど、あれで米を4合炊くことが出来る。1回の炊事で2回分の米を用意できる設計になっているというわけです。どこで読んだんだか忘れちゃいましたが、1日6合でも量が少なくて腹を減らしてる人がいたそうですから、食べる人はもっと食べていたんでしょう。

それでは平均的な人はどのくらい食べていたのか?

掲載されていそうな資料を探しますと、上京し働きながら学ぼうとする苦学生向けのガイドブック的な書籍がありました。新聞配達などしながら、学問を収めようとしている若者向けの書籍です。そこそこ裕福ではあるけれど、お金持ちではない、いわゆる普通の若者たちです。

で、彼らが1日に食べる米の量は、月に2円25銭1.5斗(27リットル)、1日あたり5合(900グラム)弱でした。


実験苦学案内 独立自活 徳田紫水 明治36年

『学生自活法』『自活苦学生』などといった類書でも、同じ程度の数字ですからわりあい信頼性は高いと考えることができます。

おかずが1円というのはよく分からないかもしれませんが、明治30年代半ばだと安い牛肉の切り落としほんの少しとネギを煮た鍋的なものが7銭くらい、具の少ない味噌汁が2銭くらい、漬物1ヶ月分が50銭くらいの貨幣価値です。

ついでなので大正7年だとどうかというと、健康な成人男性ならば、4合くらいとされています。


一日十銭生活 赤津政愛 大正7年


ただしこれはあまりお金がない肉体労働者の事例で、お金のある人はどうかというと、3合くらいの量でした。多少時代が違いますけど、大正4年の資料を見てみましょう。

一家の経済 一名安価生活法 長田秋生 大正4年

明治の学生がおかずに使うお金が米の半分だったのに、こちらではお米代の2倍以上をおかずに費しています。その反面、米の量は1.5斗(27リットル)から1斗(18リットル)に減っています。1日あたりだと3合くらいです。

なぜに彼らがこんなに米を食べてて太らなかったのかっていうと、おかずの量が少ないってのと、運動量が多いってのがあります。徒歩旅行で20kmくらい歩くのはわりと普通、50kmくらいだと健脚みたいな感じだったみたいですから、足腰はかなり強い。今よりもずっと歩いていたことが想像できますね。

日本人には米から栄養を取りまくり、カロリーを消費しまくるという手法で、栄養を取っていた時期があったというわけです。

そんなわけで本日は昔の日本人がどの程度の米を食べていたのかというお話でした。
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明治・大正観がちょっぴり広がった。
22ヶ月前
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宮沢賢治の『雨ニモマケズ』に「日に4合の飯を食べ」とあります。基本的にお菜(漬物・おひたし類)と味噌汁だけで米を食っていたので、カロリーを確保するために量を取らねばならなかったのですね。
19ヶ月前
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