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記事 4件
  • 「水道民営化は売国行為だ!」小林よしのりライジング Vol.278

    2018-07-24 15:45  
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    「日本人は水と安全はタダだと思っている」
     評論家の山本七平が『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン名義)でそう指摘したのは今から48年も前、昭和45年(1970)のことだ。
     日本人は常識のように「水と安全はタダ」だと思っているが、そんな感覚は世界では一切通用しないと、山本は警鐘を鳴らしたのである。
     それから半世紀近くが経って、「安全」がタダではないということはようやく意識され始めた感もある。
     しかし「水」に対する意識は、大して変わっていないようだ。
     日本の別名は「瑞穂の国」。これは「水穂の国」とも書く。
     日本人は時に水の恩恵を受け、時に水の災厄を受けて生きてきた。
     西日本豪雨を見ていると、日本人は決して水との戦いからは逃れられないのだということを思い知らされる。
     日本は大雨ばっかりで、しかも国土のほとんどが山地だから、あまりにも水が豊富にある。
     だがそのためについ錯覚に陥って見落としがちになるのだが、 世界では逆に水不足にあえぐ国の方が圧倒的に多く、それは年を追って深刻化しているのである。
      1984年から2015年の約30年間に、実に9万平方キロメートルの地表の水域が、世界から消失している。
     最も有名なケースは中央アジアのカザフスタンとウズベキスタンをまたぐ湖「アラル海」で、かつては琵琶湖の約100倍、世界で4番目の湖水面積を誇っていたが、旧ソ連時代に「自然改造」の号令の下、アラル海に流れ込む川の水を綿花の栽培に使ったため、今では10分の1程度の面積にまで縮小してしまった。
     このような人為的な開発や、近年では地球温暖化の影響により、世界中で湖水の消失が起きているという(朝日新聞7月20日「月刊安心新聞plus」より)。
     天然資源は世界中に均等に存在しているものではないから、国や地域によって不平等が生じるのは仕方がない。恵まれた場所では恵まれるし、恵まれない場所ではどうしても恵まれない。
     日本には石油がない、鉄鉱石がない、あらゆる資源に恵まれず、そのために大戦争をせざるを得ない状況にも追い込まれたが、水資源は豊富である。
     しかしこの資源はしばしば人間に対して牙をむくし、必要とされる場所に届かず、干ばつになることもある。 水資源を使いこなすまでには、数知れない人々の長年にわたる治水事業や用水路開発の努力の歴史があったのである。
      日本は現在97.9%の水道普及率を誇り、誰でもどこでも安価で衛生的な水を得られる。 国交省の発表では、安全に水道水を飲める国は世界に15カ国しかないという。
      これは豊富な天然資源と、それを有効に利用できるようにすべく尽力した先人たちの賜物であり、これを活用して、未来に残していくことは我々の責任である。
     ところが、安倍政権がやろうとしていることはそれとは正反対なのだ。
      安倍政権は、市町村など自治体が運営している水道事業を「民営化」しようと目論んでいる。
      高度経済成長期に拡大した水道管や水道施設は老朽化が進んでいるが、水道事業を担う自治体は財政難で改修・更新が遅れている。 これを民営化で促進しようというのだ。
     水道民営化は以前から麻生太郎副総理兼財相の持論だが、実はそれより前から、全く同じことを竹中平蔵が言っている。
     民営化すればうまく採算を取れるようにできるかのように言うのだが、同じようなことを言って民営化した国鉄や郵政と同じことが起きるのは目に見えている。 儲かるところだけは改修されていくが、採算の取れない地方の水道管はさび付き、使えなくなっていくだろう。
      結局のところ、これは国民の財産である水道を民間・外資に売り渡そうという「売国政策」でしかないことは明白だ。
      もしこれが実現すれば、全国津々浦々に水道管を通して水を供給することもできなくなるし、水道料金は跳ね上がるし、世界トップクラスの水道水の安全基準も保たれるかどうかもわからない。
     しかも、もう既に海外には先例がある。
  • 「麻原遺骨騒動の奇妙さ」小林よしのりライジング Vol.277

    2018-07-17 18:00  
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     麻原彰晃(本名・松本智津夫)の死刑が執行され、これでオウム事件も大きな一区切りがついたと思っていたら、その遺骨をめぐっておかしな争いが勃発して、たちまち新たな騒動が始まってしまった。
     麻原は死刑執行直前、自分の遺体の引き取り人に四女を指名していたという報道が出て、これに対して三女が「作られた話」だと反発した。
     さらに参院議員でジャーナリストの有田芳生や、宗教学者の島田裕巳らも、これは法務省による政治的判断で、遺骨を教団とは完全に決別している四女に渡そうとしているのではないかという旨の発言をしている。
     だが、わしは最初にこれを聞いた時、事実だろうなと思った。いくらなんでも、死の直前の言葉を捏造するほど悪質なことをするとは思えないし、しかも、信者が遺骨を奪還しようとすれば、四女に危害が加えられる恐れがあることくらい法務省の人間だって見当がつくはずで、あえて一般人を危険にさらすような嘘を発表するはずがないと思ったのだ。
     そんな中、TBSは関係者への取材から、麻原の死刑直前の詳細な様子を報じた。それは以下のようなものだったという。
     7月6日午前7時ごろ、麻原は東京拘置所の独居房で起床。朝食は部屋でほぼ完食した。
     7時40分ごろ、刑務官から声がかかる。
    刑務官「出房」
     連れて行かれた先は教誨室だった。
    刑務官「お別れの日が来ました。教誨はどうしますか」
    麻原「・・・」
    刑務官「じゃあやらないんだね。言い残したことはある?」
     麻原は終始、呆然としていたという。
    刑務官「引き取りはどうする?」
    麻原「・・・」
    刑務官「誰でもいいんだぞ」
    麻原「ちょっと待って」(しばらく考え込む)
    刑務官「誰でもいいんだよ。妻・次女・三女・四女がいるだろう」
     少し間が空いたあと・・・
    麻原「四女」
     小声でよく聞き取れなかった刑務官が「四女?」と聞き返すと、麻原は四女の名前を口にした。
    刑務官「四女だな?」
    麻原「グフッ」
     麻原はそう言って、うなずいた。
     暴れたり、抵抗したりするようなことはなかったという。
     特定の死刑囚の執行前の様子がこんなに詳細にリークされるのは極めて異例ではあるが、「法務省陰謀説」なんかが喧伝されては、そうせざるを得なかったのだろう。
     こんな真に迫った描写を刑務官が嘘で言ったり、法務省がでっち上げたりするとは思えないし、作り話をするなら「麻原は最後まで見苦しく抵抗した」などと、もっとイメージダウンを図ったはずだ。
     麻原と妻の間には娘4人、息子2人がいる。
     三女は、遺骨引き取りの権利は母(麻原の妻)にあると主張し、四女と真っ向から争っている。
     三女はかつて「アーチャリー」のホーリーネームで呼ばれ、麻原が教団の後継者に指名していた。
     その後、オウムがアレフと改称した際に教団を離れ、実名・顔出しで手記を発表するなど、積極的にマスコミにも登場している。
     ただ、現在の教団とは決別したとは言っても、 「たとえ父が事件に関与していたとしても、私は父のことを大切に思い続けます」「オウムとの決別は、故郷というか、育ってきた町を離れる感覚に似ています」 などと発言していて、 明らかに今も麻原やオウムに愛着を持ち続けており、これを客観視し、批判する感覚は乏しい。 要するに、物理的には教団を離れていても、精神的には離れきっていない状態といえる。
     それでも三女は、経済的に教団から独立して生活する決意だけはしているようで、 今もアレフに生活を支えられている母とはかなり仲が悪いらしい。
     麻原の妻と三女は連名で、遺骨の引き渡しを求める要求書を法相と東京拘置所長に宛てて提出しているが、四女を共通の敵とすることでのみ手を組んだようだ。
     一方の四女は11年前、ジャーナリストの江川紹子が未成年後見人となり、その元に身を寄せていたが、半年ほどで出て行った。
  • 「戦争写真家ロバート・キャパのこと」小林よしのりライジング Vol.276

    2018-07-10 21:00  
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     今日は、世界中の戦争報道に多大な影響を与えた20世紀を代表する戦場カメラマンを紹介しようと思う。
     
    ●ロバート・キャパ(1913-1954)
     ハンガリーのブダペストに生まれたユダヤ人で、スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦におけるヨーロッパ戦線、イスラエル独立とパレスチナ戦争、第一次インドシナ戦争と数々の戦争を文字通りの「最前線」で取材し報じてきた“世界最高の”と冠のつく報道写真家だ。
     これまで仕事でいろんな写真事務所に出入りしてきたけれど、このキャパの肖像写真はあちこちで見かけた。スタジオに、まるで神棚のように飾っている写真家もいた。キャパに憧れ、影響を受けて報道を目指した人は世界中に大勢いるだろう。
     過酷な戦闘のなかで撮った写真に、ちょっとユーモアを交えたキャプションや体験レポートをたくさん添えて残している人物で、写真展ではじっくり目を通したくなる文章も多く展示されていた。まずは代表的な写真を紹介したい。
     
     (C) ICP / Magnum Photos (横浜美術館蔵)
      1944年6月6日撮影、第二次世界大戦、ノルマンディー上陸作戦。
     連合国側のキャンプに同行して招集がかかるのをひたすら待ち、フランスのオマハ・ビーチに上陸するアメリカ軍の第一陣と一緒になって船に乗り込み、大荒れの海へ出発。兵士らと一緒になって、銃弾が雨あられのように降り注ぐなか、大荒れの海に飛び込み、命懸けで上陸しながら撮影したものだ。
     周囲の兵士たちは、海水のなかでどんどん撃たれて死んでゆく。それを撮る。負傷者を救護するために飛び込んだ衛生兵も目の前でたちまち撃たれてゆく。それも撮る。フィルムを交換していると、突如として全身がニワトリの白い羽で覆われ、「誰かがニワトリを殺したのか」とあたりを見渡すと、砲撃に吹き飛ばされた兵士の防寒コートから噴出したものを浴びていたことに気づく。それも、撮る。
     キャパはノルマンディー上陸作戦で134枚を撮影。ところが、ロンドンの『ライフ』誌編集部に届けられたネガを受け取った暗室アシスタントが、編集者から「はやくプリントしてくれ!」と急かされて、興奮して慌ててしまったあまり、現像の過程で温度設定に失敗。なんと98枚ものフィルムを溶かしてしまい(!)、なんとかプリントされた写真は、たったの11点だったという。しかも、ピンボケしたりブレたり、きちんと撮れていないものばかり……。
     ところが、『ライフ』誌は商魂たくましい、というか、まったくふざけてるというか、この事実をまだ戦場にいるキャパに内緒にしたまま、残されたピンボケ写真に
    《その瞬間の激しい興奮が、写真家キャパのカメラを震わせ、写真にブレをもたらすことになった》
     というもっともらしいキャプションを勝手につけて、誌面で大々的に発表。すると、このピンボケブレブレ写真が、戦場の凄まじい衝撃をイメージさせることになり、大変な反響となった。
     キャパ自身も 「戦闘の興奮を伝えるためには、ほんの少しカメラを動かしてみるといい」 と何度も後進の報道写真家たちのために語っており、あえてボケ・ブレで撮った戦場写真は多数残っている。銃弾が降り注ぎ、どんどん人が血まみれで死んでいくなかで、表現のためにカメラを動かしながら撮るなんて、それだけで普通の精神状態じゃないが、キャパの代表作は、こんなユーモラスなタイトルだ。
     
     『ちょっとピンぼけ』(ダヴィット社)
    ●反骨精神と架空の写真家「ロバート・キャパ」
     ロバート・キャパは、本名を アンドレ・フリードマン という。アンドレの出身地ブダペストは、もともとは「ブダ」と「ペスト」の二つの都市が合併した場所だ。
  • 「ネットの『基地外』の憎悪について」小林よしのりライジング Vol.275

    2018-07-03 17:45  
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     6月24日、福岡・旧大名小学校校舎の創業支援施設で、殺人事件が起きた。
     ネット内のトラブルが原因とされ、犯人は一面識もない相手に一方的に恨みを抱き、メッタ刺しにしたのだった。
     殺害されたのは、「株式会社はてな」が運営する「はてなブックマーク」のブログに「Hagex(ハゲックス)」のハンドルネームで発信をしていた41歳のブロガーだった。
     Hagex氏は東京のネットセキュリティ関連会社の社員で、IT雑誌の編集長やセミナー講師を務め、勤務先や関係者の評価は高かったが、ブログでは半ば炎上狙いで何人ものブロガーに対して罵倒するような批判を繰り返し、その相手からはかなり嫌われていた。
     だがHagex氏を殺したのは、氏が罵倒していたブロガーではなく、そのブロガーたちは「嫌な人だとは思っていたが、いくらなんでも殺すことはないじゃないか」といった反応を示している。
     Hagex氏を殺したのは、氏がまともに相手にもしていなかった「荒らし」の男だった。
     犯人の男は「はてなブックマーク」の「IDコール」というメッセージ通知機能を利用して、Hagex氏のみならず多くのユーザーに誹謗中傷・罵詈雑言を送りつけていた。やたらと「低能」という言葉を使って上から目線の言い草をすることから「低能先生」というあだ名をつけられていたが、このあだ名は誰ともなく言い出したもので、Hagex氏がつけたわけではない。
    「低能先生」の荒らしは当然ユーザーが「株式会社はてな」に通報し、IDが凍結される。すると「低能先生」は別のIDを作成して罵詈雑言を送りつけ、また通報され、凍結される。するとさらに別のIDを作成する。
     そんなことを繰り返して2年以上、作ったIDはわかっているだけで200以上に及ぶという。これだけでもその粘着性や異常性は十分わかる。
     Hagex氏も「低能先生」の荒らしに対しては特に相手にもせず、粛々と通報し、凍結させていたようだ。
     そして5月2日、Hagex氏は「低能先生に対するはてなの対応が迅速でビックリ」と題するブログをアップした。
     そのブログは、自分は「低能先生」の荒らしが来るたびに「はてな」に通報しているが、最近では詳しい理由も書かずに「低能先生です」と一言入れただけで凍結されるようになり、しかも昨日は通報してからわずか3分で凍結されたのでビックリしたとして、「株式会社はてな」は「低能先生」を威力業務妨害で訴えるべきだ、という内容だった。
     そして、常人には一切理解できないのだが、「低能先生」はこのブログを読んでHagex氏に強烈な殺意を抱いたのだ。
     しかも不運なことに、Hagex氏のブログには6月24日に福岡でセミナーを開催するという告知がつけられており、あろうことか、「低能先生」は福岡在住だったのである。
     当日、「低能先生」は現場でセミナーが終了するまで2時間以上待ち伏せし、会議室から出てきたHagex氏をつけて、トイレで用を足しているところを背後から襲い、刃渡り16.5センチのレンジャーナイフで首や胸を十数カ所刺した。傷の一部は心臓まで達していたという。
    「低能先生」の正体は、42歳の無職男性だった。
     熊本県天草市の出身、読書好きで中学ではソフトテニス、高校では剣道に打ち込み、中学の同級生は一様に「おとなしくて真面目だった印象しかない。殺人事件を起こしたなんて信じられない」と語ったという。
     成績優秀で中学時代から九州大学を目指し、目標どおり進学。父親は「地元で九大に進学する生徒は少ない。合格した時は本当にうれしかった」と語る。
     大学には8年間在籍、在学中の平成12年(2000)から福岡県内のラーメン製麺工場でアルバイトを続け、平成20年(2008)に正社員になり、仕事ぶりは真面目だったというが、平成24年(2012)に突然退職、それ以降は福岡市内のアパートに引きこもっていた。親は立ち直るのを信じ、アパートの家賃として月3万6千円の仕送りを2年間続けたという。
     犯行直後、「低能先生」はブログに犯行声明を出している。
     実に気持ちの悪い文章だが、犯人の異常性を検証するために掲載しよう。