• このエントリーをはてなブックマークに追加

トロツキスト?さん のコメント

>>44
〇「ゴー宣道場・初参加・レポ」・(その2)
道場開始前。
配布頂いた、九州大学・井上武史准教授のレジュメを読む。気が付くと笹師範がいきなり登場。前説開始。
ゲストのお二人・師範方がご登壇。議論の途中、会場全体を度々見回す、高森先生の視線の圧力が凄い。
そしてこれが、日本中・世界中に、ネット中継されているのかと思うといささか緊張。

会場の雰囲気は始めやや硬い感じも。九州道場は、ニコ生で見た関西道場とノリが違うのか?と思っていたが、段々と熱が入り、爆笑も頻発し盛り上がり終了。

印象的だったのは、以前師範方・ブログ・動画でも取り上げられていた、アンケートを一心不乱に書いている方が多い事。
休憩中も終了後も、皆さん集中されている。思うに、これは超真面目な方が集まったのでは無く、あれだけ知的好奇心を刺激されたら、感想を書かずにいられないのではないかと。

普段のニコ生視聴では、3時間の議論では物足りない時も有るが、会場参加するとこれは適当な時間だと体感。これ以上続いたら、自分の容量の少ない脳は、オーバーヒートすると思う。終了後、用意していたチ〇ルチョコを食べたが、脳には糖分が必要と実感。


今回、道場の開場から撤収開始まで拝見していたが、設営隊の皆様の働きは凄いと感心。有難うございました。
しかも、手慣れている所と、手作り感ある所がミックスされ、程良い感じ。何か、学生時代の模擬店でもしているかの様に、皆さん楽しんでいらっしゃる様に見受けられた。

この集まりは、師範方で成り立つのでは無く、一般の普通の方の手で回っているのだと認識。更に設営隊員は、女性多数なのが印象的。


所で、道場はニコ生視聴で無く、是非会場参加すべきとは、このコメント欄でも耳タコな話。実際参加してみると、好きなアーティストのDVDを見るのと、ライブに行く事との、同様な違いがある事に気付く。

何故違うのか考えて見たが、今回、一発勝負・撮り直しなし・予定調和なし、の場を目撃。そのハラハラ感が魅力の源泉では。勿論、その一発勝負には、一般参加者の反応も大きく寄与しているものと思う。

今の所、全国での開催はまだ3か所。これからどう展開するかは不明。
道場終了後の設営隊募集呼びかけに対し、問い合わせの方が何人もいらっしゃった様子。今の3カ所がより充実するか。第4の開催場所が実現するか、興味深い。


道場参加は、時間・金銭的に、そして心理的にもハードルが高いかも知れない。しかし今回参加して、おすすめ出来ると実感。可能であれば、一度参加してみる価値は有ると思う。交通費等の方が高くつくかもしれないが、参加費1,000円は安すぎ。費用対効果は高い。

次回は8月5日(日)とか。参加の可能性が少しでもある方は、是非スケジュールのご確認を。
よしりん先生から、「このところギリギリに申し込む者が多く、こちらに身にもなってみろーー!」との弁有り。
皆さんご検討を!!


以上。長文失礼しました。
No.45
71ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
(号外 2018.6.12発行) 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第280回「水着審査をなくすミス・アメリカ」 2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第84回「芸術家と偏執性~ハンス・ベルメール編」 第280回「水着審査をなくすミス・アメリカ」  ミス・アメリカが水着審査を止めるそうだ。  その上、イブニングガウンの審査も止めるそうだ。  これを聞いて、瞬間的に 「馬鹿馬鹿しい。そんなものを誰が見るか!」 と思わない男がいるのだろうか?  イデオロギーとしてのフェミニズムに嵌った偽善者ならば、おのれの性的欲求を押し隠して、 「水着審査はセクハラだ―――!」 と叫ぶのかもしれない。  人間の煩悩を断ち切った禅僧のような男なら、 「水着は見たくありませぬ」 と無表情で言えるのかもしれない。  わしはセクハラは嫌いだし、やることもない。イデオロギー抜きでわしは「フェミニスト」だと自認しているし、その手前で「紳士的でありたい」と思っている男ではある。   だが一生、性欲を葬れそうにない煩悩まみれの男でもあるから、「水着審査をなくす」という「設計主義的」な流れには、不快感100%になるのである。    ミス・アメリカは1921年に第1回大会が開かれた、米国を代表するミスコンテストであり、世界で初めて水着審査を導入したミスコンともいわれる。  その主催団体、ミス・アメリカ機構が5日、公式サイトやSNSで、水着審査を廃止することを発表した。  同機構の理事長で、自身も1989年のミス・アメリカ優勝者であるグレッチェン・カールソンはTVのニュース番組で、 「ミス・アメリカはもはや美人コンテストではありません。(単なる)コンテストです。今後は出場者を容姿で審査しません。えぇ、大きな決断ですよ」 と語り、今後の審査基準は 「社会に影響をもたらす取り組みについて自分の言葉で何を語るか」 だと表明した。  水着審査の代わりに、出場者には情熱や知性、ミス・アメリカの役割に対する考えについて審査員からの質問に答えてもらい、判断材料とするらしい。  頭がおかしい!  単なるコンテストって、何のコンテストなんだ?  とにかく立派な人を選ぶ、ただし容姿だけは決して判断材料にしないというのか?  だったら、頭巾でもかぶって顔を隠せ!  いや、それではまだ体形がわかるから、いっそのこと全員にブルカを着せろ!  社会貢献について語る内容を審査基準にするって、それは「弁論コンクール」じゃないか。  だったらもう、ミス・アメリカはブルカを着せた「青年の主張」にしてしまえ!  もう24年前の話になるが、堺市の女性団体が 「ミスコンは女性差別の集大成」 だと言い出し、各地のミスコンが次々に中止に追い込まれたことがある。  わしはこれを「SPA!」の『ゴーマニズム宣言』で、以下のように徹底批判した。  わしは「美」も才能だと思っている。美人は天才なのだ。  人は努力に関係なく、生まれつきのものを与えられる場合がある。  絵を描く才能、曲を作る才能、速く走る才能、知識を吸収する才能、笑わせる才能、肉体で戦う才能、美しさで人の目を楽しませる才能。  これらのどれもこれもがまず才能ありき! それから努力で磨きをかけていくものである。  頭のいいやつはちゃんと受験という学力コンテストを受けて世の中に認められていくが、「東大の入試は頭脳差別の集大成だ!」…と言って抗議するやつはいない。 (ミスコン反対論者が、人を外見で判断するな、「大切なのは人柄よ」と主張しているが、)何が「大切なのは人柄よ」だ!  モーツァルトに向かって「大切なのは人柄よ」なんて言って曲を認めないというのか? 音楽家にとって大切なのは曲の質だ! 美人にとって大切なのは顔とプロポーション。人柄など関係ない!  最近ではおそるおそるやってるミスコンなんか「うちでは教養とか礼儀、性格も見てます」なんてバカなこと言っとるが…  それだともう人間コンテストになって、総合的に質の良い人間と質の悪い人間に分けるという、おそるべき差別を犯してしまうぞ!  美だけ! あくまで美だけで競うから良いのだ。  この資本主義の中で人はいろんなものを消費されて生きてゆく。  漫画を描く才能を…球を蹴る才能を…ブスであること、ブ男であることを消費されるやつまでおる。  なんで「美」だけは消費させてはいかんとのたまう?  差別だ! 美の才能だけはこの世で認めんという才能差別だ!  人は誰しも己に与えられた天賦の才能を利用していく権利があるはずだ。  これは人権侵害である!  美は才能。美人は天才。顔とプロポーションを品評するミスコンは女性差別ではない!  いま見ても、完璧な論理だ。  当時、「この見解にきちんと理屈で返答してくれ」とミスコン反対論者を挑発したのだが、これにきちんと返答してきたものは今に至るも皆無である。そして、ミスコンバッシングの嵐も、なし崩し的に消えていった。   ところが24年経ったら、ミス・アメリカが美人コンテストを止め、今後は外見で判断しない「人間コンテスト」にするという、冗談みたいな事態が出現してしまったのである。  さすが「禁酒法」まで生んだお国柄は、21世紀に入っても変わらないものなのだなあと言いたいところだが、何でもかんでも「アメリカについて行け」がお国柄みたいになっている日本は大丈夫なのか? と思ってしまう。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!