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デモはデモクラシーの略ではない
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デモはデモクラシーの略ではない

2015-09-12 14:00
     

    わしは安保法案には反対である。

    だが、国会前のデモ集団と、わしの考えには実は
    深い溝がある。

    彼らは「立憲主義」と言っているが、本音は単純な
    「反戦平和」のサヨクであり、「憲法9条護持」の者たちだ。

    わしが最も違和感を覚えるのは、あのデモ集団や、
    そこに参加する知識人・著名人たちは、
    デモこそが民主主義」と勘違いしていることである。

    週刊朝日の北原みのりのレポートを読むと、デモの中で
    シュプレヒコールが起こり、「民主主義って何だ!
    と叫ぶと、「これだ!」と応えると言う。

    やっぱり馬鹿なのだ。

    「デモ」を「デモクラシー」の「デモ」と同じだと
    思っているのだろう。

    「デモクラシー」は「デモ」+「クラシ―」であって、
    「民衆」の「統制・支配」のことである。 

    だが「デモンストレーション」は「」+「モンストレーション
    であって、「強い」+「示威行動」のことだ。 

    「デモ・クラシ―」と「デ・モンストレーション」は違う。

    国会前に集まって鳴り物入りで抗議の声を上げる
    というのは、いわば「脅迫」である。

    「モンストーレ」というのは「モンスター」の語源である。

    怪物と化した群衆が、怒声を上げ、騒音を出して、
    間接民主主義を「脅迫」しているのだ。

    ではあのデモ集団は、直接民主主義を望んでいるのか?

    小熊英二などもやたらデモに感情移入しているが、
    直接民主制を支持しているのだろうか?

    わしは、デモこそが民主主義と妄信する連中とは、
    やはり一線を画す!

    わしも20年前、薬害エイズ運動でデモを煽ったが、
    あれは薬害エイズの被害者である子供たちが、
    次々に死んでいくという切羽詰まった状況で、
    やむおえず「情の連帯」と大義を立て、行動したものだ。

    すでに被害を受け、死んでいく子供がいた
    薬害エイズ運動と、まだ被害はなく、被害があるか否かは
    人によって予測が違う安保法制反対運動では、
    切迫感も当事者意識も大きな隔たりがある。

    安保法制はイデオロギー闘争の側面が強い。

    この手の問題は冷静に「議論」すべきであって、
    大騒ぎのデモに頼るべきではない。

    「デモ」は脅迫である。

    「議論」こそが民主主義なのだ。

    ただし、政府与党も結論ありきで、
    「議論」を
    する気がないのは確かだ!

     

     

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