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記事 83件
  • 「古代の『斎王』と伊勢神宮『祭主』のこと」小林よしのりライジング Vol.499

    2024-04-02 19:05  
    300pt
     愛子さまがおひとりで伊勢神宮を参拝され、伊勢市の隣町・明和町の「斎宮歴史博物館」まで足を運ばれたというニュースを見た。
     愛子さまは、学習院大学の卒業論文の題材に、賀茂神社の「斎院」だった式子内親王とその和歌を選ばれたそうだ。また、『源氏物語』を夢中になって読まれたそうで、そのなかには伊勢神宮の「斎王」にまつわる悲恋も登場するので、斎宮歴史博物館の展示には興味を持たれていたのだろうとのことだった。
    ●「斎宮」「斎王」のこと
     賀茂神社の「斎院」、伊勢神宮の「斎王」は、古代から中世南北朝時代にかけて存在した、 神の御杖代(みつえしろ=天皇に代わって「神の杖」として奉仕する者) のことだ。時の天皇が、未婚の皇族女性のなかから占いで選んで派遣した。
     斎王に選ばれると、天皇から 「都のことは忘れ、もっぱら神に仕えよ」 と告げられ、「別れの小櫛」と呼ばれる櫛を髪にさしてもらう。そして都を離れ、神のそばで神聖崇高に暮らしながら、ひたすら祈りを捧げる日々を送り、天皇の崩御か退位までは解任されることはない。
     伊勢神宮の斎王には、多感な時期の少女や、恋仲の男性と和歌をかわしていた女性もいたが、人恋しさ、都恋しさなどすべての思いを遮断しなければならず、寂しさをつのらせながらも伊勢の斎宮(斎王の暮らしたお宮)にこもり、神に仕えるために不浄を避け、物忌みの多い暮らしを送ったようだ。
     地元には、そんな斎王の神秘性や美しさに魅了される人々が大勢いて、一目姿を見ようと押しかけ、「斎宮様!」と声をかける男たちもいたらしい。アイドル状態である。
     斎王のなかには幼い子供もいて、その場合は母親が随行することもあった。『源氏物語』に登場するのは、「斎王の母親は光源氏の元恋人だった」という設定のお話だ。
     7歳年下の光源氏に口説き落とされたものの、あっという間に飽きられてしまった24歳のその女性は、嫉妬に狂うあまり生霊を飛ばしてしまい、光源氏の正妻の娘や、新しくできた恋人を次々と死なせていく。ビビり上がった光源氏がご機嫌を取りに来るのだが、それをきっぱり振り切る和歌を残して伊勢へと出発。娘とともに神域で暮らすようになり、やがて心が浄化され……という内容だ。怖い。
     ほかにも、30年以上務め、清らかなまま生涯を終えた斎王、優れた和歌をたくさん詠み、斎宮に文芸サロンを築いた才女の斎王もいる。斎王に選ばれたために恋人と別れ、数年間務めたのちに都に帰って、また交際を復活した斎王もいれば、都の享楽を知って育ったがために、ちょっかいをかけにきた男性を見て魔がさしてしまい、スキャンダルで解任された斎王もいる。
    「斎宮歴史博物館」で見た資料に、「斎王も人間であり、女であった」と書かれていたことがとても心に残っている。斎王たちの詠んだ和歌は、事情を知ってから読みなおすと、さまざまに深い心の模様が読み取れる。
      神に奉仕する「斎王」 の制度は、戦乱によって存続不能となり、14世紀の南北朝以降は廃絶されたが、 伊勢神宮の神職の長として祭祀を主宰する「祭主」 は現代まで続いている。
    ●伊勢神宮の「祭主」のこと
  • 「動物権というカルト」小林よしのりライジング Vol.496

    2024-02-27 17:05  
    300pt
    『ゴーマニズム宣言SPECIAL 日本人論』が3月21日発売される。
     この本では、昨年ジャニーズ事務所に対して吹き荒れた「キャンセル・カルチャー」を題材として、日本には欧米とは異なる、日本独自の文化や価値観があるということを論じている。
     そもそも、日本人に対して 「日本には欧米とは異なる、日本独自の文化や価値観がある」 などとわざわざ主張しなければならないこと自体がおかしな話なのだが、実際に今の日本人はこんな簡単なことすら見失っていて、いともたやすく欧米の価値観に洗脳されてしまう。その端的な例がジャニーズに対するキャンセル・カルチャーだったわけで、だからこそこの本を書かなければならなくなったのである。
     これからはことあるごとに、 「日本には日本の価値観がある」「グローバル・スタンダードの価値観などない」 ということを唱えていかなければならないのだろう。
    「人権」にせよ、「民主主義」にせよ、グローバル・スタンダードは存在しない。
      それぞれの国ごとに、その国の文化や歴史に基づいた人権感覚があり、民主主義が形成されるものだし、国によっては決して民主主義が成立しないということだってあるものなのだ。
     さて少々前の話になるが、昨年の秋ごろ、熊が頻繁に人里に出没するようになり、これを駆除したら抗議が殺到したというニュースがあった。
     それについてわしは昨年11月17日のブログで、(https://yoshinori-kobayashi.com/27487/)「最近、『熊権』を主張する人々が現れたことは実に日本人らしい」「欧米人なら『熊権』なんて絶対認めない」「日本人は欧米人とは違う。人間にも熊にも生きる権利があると考えるのだ」と書いたのだが、そうしたら 「欧米にも『動物権』の思想がある」 という指摘があった。
     確かにそれは事実であり、欧米人の中には日本人の人権よりも 「鯨権」 や 「イルカ権」 の方が上と思っているような者がいる。だが、これって一体何なのだろうか?
     今回は、この問題について整理しておきたい。
     わしの子供時代、『しゃあけえ大ちゃん』(1964.7-1965.1 TBS系で放送)という子供向けの人気ドラマがあった。
     主人公は岡山の山奥から東京に出てきた大ちゃんという子供で、バカボンみたいな絣の着物に学帽を被った風体で、「しゃあけえ、しゃあけえ」(岡山弁で「でも」「そうはいっても」といった意味らしい)が口癖というキャラだ。
     そのエピソードのひとつに、 大ちゃんが普段の食事で食べている肉が、動物を殺して得たものであるということに気づき、動物が可哀想になってしまって「しゃあけえ、食べられんじゃないの~」と言い出す という話があった。
     当時10歳のわしは、子供心にこのドラマにものすごい問題提起をされてしまい、「本当だ、これじゃあ肉が食べられんじゃないか、どうするんやろ?」と思いながら見た。
     そしてこのドラマの結末は、和尚さんみたいな老人が 「豚とか鶏とかいうものは、そもそも人間に食べられるために生まれてきたんじゃ」 というようなことを言って、それで大ちゃんを納得させるというものだった。
     おそらくこの老人の説明は、 仏教の輪廻転生観 あたりから来ているものだろう。 前世の因縁によって、豚は豚に、鶏は鶏に生まれてくるものであり、人間に食べられることが運命づけられているのだ というわけだ。
     ということは、自分が食べた豚や鶏も、今度は人間に生まれ変わるかもしれないし、自分も行いが悪ければ、来世は豚や鶏に生まれ変わって、人間に食べられるかもしれないということになるわけだが、まあ、そんなところまでいちいち考える人はいないだろう。
     わしはその説明で大ちゃんが納得したのに影響されて、「そうなのか~、動物は人間に食べられるために生まれてくるのか~」と、原体験にその感覚が刷り込まれていた。
     それで、ともかく日本人の庶民感覚としては漠然と 「豚や鶏や牛は人間に食べられるために生まれてきた」 程度の回答でもいいんじゃないかと、今でも思っている。
     だが考えてみれば、 欧米のキリスト教文化の方がずっと「動物は人間に食べられるために生まれてくるものだ」という観念は強固である。
     わしは以前、『戦争論3』で、こう描いた。
    「キリスト教は大陸の過酷な環境の中から生まれてきた絶対神、一神教の思想である。
     そもそも日本人は自分たちがどれだけ恵まれた環境の中に住んでいるかという自覚がなさすぎる。
     ヨーロッパでは冬が長く日照時間が少ない。雨も少ない。
     地面は硬質な岩盤で牧草しか生えないが、土地は広い。
     日本のように人間が直接食べられる穀物が育たないから農耕が発達せず…
     牧草を動物に食べさせて育ててから殺して食う。
     動物を殺すことに一切、罪悪感を持たなくても済むように、キリスト教は人間と動物の間に厳格な一線を引いた。
     牛や豚は、人間に食べられるために神様が創ってくださった。
     …そう言って食肉文化を正当化するのが、一神教たるキリスト教だった」
     一見、「動物は人間に食べられるために生まれてくるものだ」という同じことを言っているようにも見えるが、これはかなり似て非なるものである。
  • 「ジャニーズ問題と日本の性文化」小林よしのりライジング Vol.476

    2023-08-01 18:20  
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    「ジャニーズ問題と慰安婦問題はよく似ている」
    『ゴー宣』読者は、固定していない。流動的だ。コアな読者はずっとついてきてくれるが、『コロナ論』から入って来た人もいて、わしの慰安婦問題での戦いも『脱正義論』も読んでいない人が増えた。
    『ゴー宣』読者の中にも、 「ジャニーズ問題と慰安婦問題はよく似ている」 の一言ですっかりわかったという人もいれば、猛反発して離れていった人もいる。
     その分かれ目は、キリスト教系の人権真理教に、どのくらい冒されているかによる。
     戦後民主主義の歴史教育しか知らない者と、学校では教わらない歴史を知っている者との間には、教養の落差がある。
      日本文化は歴史的に性に対して寛容である。
     これに対して欧米キリスト教文化は性に対して極めて厳格である。
     日本では売春に対するタブー感が薄く、江戸時代には吉原をはじめとする遊郭文化が花開き、遊女を身請けして結婚するというケースも普通にあった。
     その文化がその後も残り、戦時中には「慰安所」となった。また、現在の日本に多種多様な性風俗が存在するのも、その「性に対して寛容」という歴史が基底に残っているからである。明日花キララや三上悠亜がAV女優であるにも関わらず、女性にまで人気があるのも、「性に対して寛容」な日本文化のおかげだろう。
      ところがキリスト教文化においては、これが全て「性奴隷」ということになってしまう。
     まだヨーロッパでは売春がやや大目に見られているところもあるが、特にアメリカでは原理主義的に忌避されてしまうのだ。
     それと同じ構図で、 日本には古くから「男色」の文化があるのに対して、キリスト教圏では男性同士の性行為は自然に反する最悪の罪とみなされた。
     その歴史的な価値観の根本的な相違が問題なのである。
     日本の男色は歴史的に 「古代ギリシャに匹敵する」 ともいわれ、その最古の記録は「日本書紀」に表れているとする説もある。
      だが、定説としては日本の男色文化は仏教とともに伝来したとされる。
      仏教では女性を不浄とみなし、寺院は女人禁制だったから、男だけの世界で僧侶が男色に走ることはよくあった。 ただしシナ大陸や朝鮮半島では「破戒僧のやること」とされ、あまり好ましくない行為とされていた。
      ところが日本ではこれが寛容で「許容範囲内の逸脱」程度の扱いで黙認され、仏教の広まりと共に、寺院における男色も広まっていったのである。
      僧侶が自分の身の回りの世話をする有髪の少年「稚児」を寵愛する風習は、奈良時代以降広く仏教界に浸透した。
     天台宗などでは僧と稚児の初夜の前に 「稚児灌頂(ちごかんじょう)」 という儀式が行われ、 灌頂を受けた稚児は観音菩薩の化身とされ、僧侶は灌頂を受けた稚児とのみ性交が許されたという。
     そして 平安時代末期には男色の流行が公家の世界にも及び 、盛んとなった。
     日本の男色文化は、 武士の台頭と共にさらなる展開を遂げた。
      女性を連れて行けない戦地や寝所の護衛などに就いた武士が、部下や身辺に仕える「小姓」を相手にするようになったのが始まり で、室町時代中期以降、特に盛んになった。
     そして、もともとは女性のいない場所での性欲処理から始まった男色が、 強力な精神的な結びつきを伴う 「衆道(しゅどう)」 へと独自の発展をする。 肉体関係のみならず、 武士同士の主従関係など独特の「道義」を説く「道」 になったのである。
     それは戦場で生死を共にする間柄として、絶対的な信頼感を確認するための行為であり、主君と家臣の関係では、究極の忠義のかたちとなった。
      男色は主従の絆を確かめる行為であり、家臣は主君と体を交わすことによって信頼を得て、出世が期待されるということもあった。
     戦国武将の男色については、 織田信長と森蘭丸 のように今も有名なものがある。また、現在の大河ドラマ『どうする家康』では同性愛的な描写が出て来て、いまの視聴者に媚びて「BL展開」を入れたのかなどという的外れな批判もされているが、本当はこれこそ時代考証的に合っているともいえるのだ。
     そのような文化が、キリスト教圏の人間に理解できるはずがない。
      聖書には、同性愛を罪 とすると読める記述がいくつもある。
  • 「『よしりん辻説法⑥ 恋愛論・完』とLGBT法」小林よしのりライジング Vol.474

    2023-07-11 18:10  
    300pt
    『よしりん辻説法⑥ 恋愛論・完』(光文社)が発売中だ。
     6年間続いた『よしりん辻説法』の完結編であるとともに、一昨年からのシリーズ『恋愛論』の締めくくりであり、さらに「よしりん最後のギャグ漫画」と銘打っている。今後、わしのギャグの才能はインド版アニメ『おぼっちゃまくん』に注力することになる。
    『恋愛論・完』ではLGBTも射程に入れて「恋愛とは何か?」を論じたが、そのような視点で書かれた本は、これが初めてだろう。
     この本には、29年前に美輪明宏と行った対談を描いた幻の作品『聖人列伝』を単行本初収録した。
     読んでもらえばわかるとおり、わしはこの当時から美輪の性別を超えた魅力を認めている。それならば、現在論じられているLGBTについても認めなければ整合性が取れないわけだが、今回はその点でも論理が通ったものになっていると思う。
     それにしても、今どきの知識人は「美輪明宏」という存在をどう捉えているのだろうか? 単にキワモノのタレントのように扱って無視しているんじゃないか?
     若き日の美輪明宏の魅力は、三島由紀夫、江戸川乱歩、寺山修司、澁澤龍彦など多くの作家・知識人を虜にした。当時の知識人の知的レベルは非常に高く、美輪の持つ、性が明確ではない妖しさや美しさといったものを十分理解できたのである。
     今どきの自称保守知識人のような、「男は男らしく、女は女らしく」だの、「世の中には男と女しかいない」だのという単細胞な意見を平気で言えるバカに、美輪明宏が理解できるわけがない。そもそも、昔だったらそんなバカは「知識人」など名乗れなかったはずで、「知識人」の劣化はあまりにも深刻である。
      体の性別と心(脳)の性別は必ずしも一致するわけではなく、それは先天的なものであって、本人の意思で自己決定できるものではない。このことくらいは、もう一般常識にしなければいけない。
     遺伝子による体の性別は、卵子と精子が受精した瞬間に決定する。
     男女の性別は、母親の持つXX染色体と、父親の持つXY染色体の組み合わせによって決まる。XとXを受け継げば女児、XとYならば男児となる。Y染色体には「SRY」という性を決定する遺伝子があり、これを受け継ぐと精巣が形成されて男性になるのである。
     ここまでは、あくまでも「体」の性別が決まるまでの仕組みで、既に広く知られた「理科」の領域である。
     しかし、人の性別はこれだけで確定するほど単純なものではない。 実際には、SRY遺伝子が働かず、 染色体が「XY」なのに身体的特徴が女性 という人もいれば、 染色体が「XX」なのに身体は男性 という人もいるのだ。
     そして、 心の性別は母親のお腹の中で、胎生12~22週の頃に決められる。
     この時期の胎児の脳は性的に未分化な状態で、 男性ホルモンの「アンドロゲン」の作用を受けて初めて男性化する。 アンドロゲンは胎児自身の精巣から分泌され、女児の場合は精巣がないので脳も女性化する。
      しかし男児でも、アンドロゲンが十分に働かない場合などは脳が女性化する わけで、このようなことが起こる原因までは十分解明されていないという。
     また、さらに最近の研究では、脳の性別は母親のお腹の中にいる間に完成するわけではないということもわかってきたそうだ。
      第二次性徴期と呼ばれる思春期は、性ホルモンの分泌が盛んになり 、この時期に分泌される男性ホルモンや女性ホルモンの働きによって、心身ともに大人の男性・女性へと変わっていく。
     詳しいメカニズムはまだ解明されていないが、 この時期に脳も男性の脳、女性の脳へと発達していき、いわば、心の性別の仕上げが行われるという。
     ここで「先天的」「後天的」という言葉を使うと、誤解を生じかねない。
     生まれた後、思春期になってから決まるのなら「後天的」ではないのかと思われそうだが、「後天的」とは、生後の周囲の環境や本人の意思による行動・学習によって身に付くものをいう。
      思春期にどのような性ホルモンの分泌が行われるかということが、生後の環境や、ましてや本人の行動・学習で左右されるわけがなく、この場合も「先天的」な変化と見なければいけない。
     体と心の性別は思った以上に複雑に決められているもので、そのメカニズムは未だにわからない部分が多い。
     異性に恋をするか、同性に恋をするかということも本人の意思でどうにかなるものではなく、いくつもの条件が重なった結果の「偶然」で決まっていると思うしかないものなのだ。
     わしは普段「LGBT」と書いているが、それがいつの間にか「LGBTQ」になり、「LGBTQ+」になり、次々増えていっている。
     しかし、本来はそうして細かく分類していくのもおかしいというべきで、それらの境界も、ものすごく曖昧なのだ。
  • 「竹田恒泰スラップ訴訟」小林よしのりライジング Vol.473

    2023-07-04 18:45  
    300pt
     公論イベントSpecial「愛子さまを皇太子に」開催まで3週間を切った。
    「男野系子」が参戦するという「SPA!」掲載の広告も大反響で、応募者が殺到して早々に締め切ることになったが、かなり落選者を出さなければならないかもしれない。落選した人、応募を見送った人は、ニコニコ生放送とYouTubeLIVEで行う完全無料生放送で楽しんでいただきたい。
     この戦いは勝たなければならない。そして、勝つと確信している。
     その確信を強くしてくれているのが、公論戦士たちによる「論破祭り」の連戦連勝、圧勝に次ぐ圧勝だ。
     男系派の論客はひとつ何か言えば、たちまち反論の集中砲火を浴びる。しかもその反論の仕方がひとつひとつ全て違って、あらゆる角度から論破されまくるのだから、怖くて仕方がないだろう。最初は虚勢を張ってマウントを取りに来ていた言葉の勢いが、明らかに弱々しくなっていくのが見えるのも愉快なところだ。
     中でもニセ旧皇族の竹田恒泰については、公論戦士たちがツイッター上で連日「宮さま詐欺師」と批判し続け、これをまとめて総合プロデューサー・ちぇぶがゴー宣道場ホームページにアップしている。
     すると竹田は6月26日、ツイッターに
    「詐欺師」というのは名誉毀損に該当します。削除をお勧めします。リツイートや拡散するのも同様です。見かけた方はリツイートした方に教えてあげてください。最近は言論空間での誹謗中傷は社会問題となっていて、侮辱罪も厳罰化されました。
    と投稿、続けて27日には
    【訴訟予告】警告しましたが対応がありませんので、サイトの運営責任者である有限会社よしりん企画と執筆者「ちぇぶ」への訴訟を準備します。
    と投稿した。
     議論もせずに、いきなり訴訟をチラつかせ始めたのだ。
     そもそも竹田に対して「宮さま詐欺」とか「いるいる詐欺」とか言い出したのはわしが最初だし、ゴー宣道場サイトも、ちぇぶが総合Pを務める公論イベントも、わしが主催者であることは誰にもわかるはずだ。
     それなのに竹田は「小林よしのり」だけは避けて「よしりん企画」と「ちぇぶ」をターゲットにしているわけで、これだけでも竹田の卑怯さとヘタレぶりが露わになりすぎていて、何の脅しにもなっていない。
     実際、公論戦士たちも全くひるむことなく、変わらぬペースで竹田の論破を続けている。この調子でどんどん竹田を「宮さま詐欺師」と呼んで、その事実を一般常識として定着させてほしい。
     たとえ竹田が裁判に訴えたとしても、ダメージを喰らうのは一方的に竹田だけだ。むしろ、訴えるつもりならぜひどうぞと言いたいくらいだ。
      実は竹田は以前にも、これと全く同じといっていい形で、ツイッター上の批判を「名誉毀損」として裁判を起こし、地裁・高裁で全面敗訴、最高裁で上告棄却という「完敗」を喫している。
     その裁判については、訴えられた戦史・紛争史研究家の山﨑雅弘氏が 『ある裁判の戦記 竹田恒泰との811日間の戦い』 (かもがわ出版)という著書にまとめているので、今回は同書から、竹田がやったことを紹介しておこう。
     事の発端は令和元年(2019)11月、富山県朝日町の教育委員会が町内の中高生全員に受講させる「教育講演会」の講師に、竹田を招こうとしたことだった。
     山崎氏はそれをツイッターで、こう批判した。
    竹田恒泰という人物が過去に書いたツイートを4つほど紹介するだけでも、この人物が教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯の差別主義者だとすぐわかる。富山県朝日町の教育委員会が、何も知らずに彼をわざわざ東京から招聘するわけがない。つまり今は教育委員会にも差別主義者がいる可能性が高い。
     これに続けて山崎氏は、竹田のツイートから 「韓国は、ゆすりたかりの名人で、暴力団よりたちが悪い国だ。そういう国とは、付き合わないのが一番」「そもそも韓国に、毀損されるような名誉があるのか???」 などの発言を引用、紹介した。
     するとその数日後、山崎氏のツイートとの関連は不明だが、朝日町教委は竹田の講演会中止を発表。竹田は、山崎氏が脅威への「脅迫」を煽動したから中止にされたと言いがかりをつけ、さらに 「ツイートを削除しなければ名誉棄損で訴訟を起こす。リツイートした者も提訴を検討する」 と脅し始めた。
     竹田は今も 「ツイートを削除しなければ訴訟。リツイートした者も同様」 と脅しをかけているわけで、やっていることは全く変わらない。
     山崎氏が削除を拒否すると、竹田はツイートの削除と謝罪、そして慰謝料550万円を求めて訴えた。
     実際に提訴されると、山﨑氏は弁護士報酬など裁判費用の捻出に頭を抱えた。しかし、竹田の脅しを跳ねつけリツイートを解除しなかった思想家・内田樹氏が支援を表明して「裁判を支援する会」を立ち上げ、裁判費用の募金を呼びかけた。すると2週間で1000万円を超える寄付が集まり、裁判闘争が可能になったのだった。
  • 「マウントを取りたいだけの男系派」小林よしのりライジング Vol.469

    2023-05-16 20:45  
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     7月23日(日)13時から開催される、公論イベントSpecial「愛子さまを皇太子に」の参加者募集が今週19日、正午からスタートする。
     ゲストに 菅野志桜里氏、矢部万紀子氏 を迎えて4時間の大議論を行う他、様々な企画を用意して、愛子さまに皇太子になっていただくための一大応援イベントを繰り広げる予定である。
     入場無料だが、事前の申し込みが必要なのでぜひ早めに応募してほしい。
     わしは10年近く前、宮内庁からの呼び出しを受け、宮内庁長官と官房審議官と会談をした。
     それまでわしは、天皇(現・上皇)陛下が女性・女系天皇を認め、愛子さまを次の皇太子にしたいというご意思をお持ちだということについて、90%くらいの確信を持っていた。
      それがこの時の会談で、宮内庁側がわしの主張と完全に同調していて、ツーカーで意思疎通ができたことから、確信は100%に変わったのだった。
     ただしそのことについては、わしはその後、ごく限られた人にしか明かさないようにしてきた。
     しかし先日、ついにその禁を説き、SPA!5月2・9日合併号掲載のゴーマニズム宣言『愛子天皇論』でこれを描いた。
     わしは宮内庁側からは特に口止めもされなかったので、すぐに誰に話しても別に構わなかったのだが、10年近くの間、この件をどう扱うべきか、ものすごく悩んできたのである。
     宮内庁長官と話して、天皇陛下のご本心がわかったと言えば、いかにも強力な武器を手にした感じにはなるだろう。それはまさに「錦の御旗」を掲げているのと同じようなことになる。
     だが、わしはそこで躊躇を感じた。もしこのことを公開したら、どんな反応が返ってくるだろうかと考えたのだ。
      まず、必ず「作り話だ」と言ってくる者がいるだろう。
     では、そこで宮内庁側との会談が本当にあったことの証拠として、宮内庁長官の名刺を公開するか?
     いくらなんでも、人の名刺で自分の発言の信用性を担保しようなんて、あまりにみっともなくてわしにはとてもできないし、 「宮内庁お墨付き」を振りかざすなんてことは、完全にわしの美学に反する。
     この会談の席では、わしは 「これは皇后陛下の御本です」 として一冊の本をいただいているが、それを公表するわけにもいかなかった。
      その本には皇后陛下が貼られた 「付箋」 が何枚もついていて、そのページを見れば、皇后陛下が何をお考えかが推察できるようになっており、それは「女性天皇」を示唆しているとしか思えないものだった。
     高森明勅氏の忠告によれば、皇后陛下が勝手にそんなことをできるわけはないので、その推察できるご意思は、 そのまま天皇陛下のご意思である ということだった。その翌日にも、高森氏はわしの仕事場を訪れ、御本の付箋ページのコピーを取っていった。
     この本を見せびらかせば、立派な「錦の御旗」になるかもしれないのだが、それでは「権威主義」であり、そうはできないとわしは思った。
     わしは迷った結果、これは一般公開できることではなく、ごく限られた人にだけ、内々に明かすしかないと判断した。
      当時のゴー宣道場の設営隊員には、開場前に集合をかけて話し、今後の道場の役割がものすごく大きくなることを知らせた。
     そして、 尊皇心があって力になってくれるかもしれないと見込んだ政治家には、個別に会って話していった。
      野田佳彦元首相 は、すごく熱心に聞いてくれて、生前退位の際には非常に尽力し、引き続き皇統問題にも力を入れているが、いかんせん野党が弱体化しすぎてしまって事態を動かせない。
      石破茂氏 には、安倍政権下では冷遇されていたとはいえ、与党の有力議員としてかなり期待したのだが、結果は全然だった。
     さらには、少しは影響力があるかと思って、 田原総一朗氏 にまでこの話をして、その一部は対談本『日本人なら知っておきたい天皇論』(SB新書)にも掲載された。だが、それだけだった。
     今年2月に行った『オドレら正気か?in奈良』では、ネット非公開で会場のみの 「密教」として話したのだが、最大限でも、これくらいの内輪だけの話にしておくべきだと、この時点では思っていた。
     ところが、この「密教」の話を聞いたのか、「世界のゴー宣ファンサイト」の カレーせんべい氏が興奮して、そんなことがあるんなら、これを全部公開してしまえばすべて決着じゃないかと言い出した。
     おそらくカレー氏には、 「承詔必謹」 という感覚があったのだろう。
     戦争最末期の昭和20年(1945)8月に至っても、軍には強硬な抗戦派が存在し、政府は意見を集約することができず、天皇の「御聖断」を仰いだ。
     そして昭和天皇はポツダム宣言受諾という決断を下し、自ら「終戦の詔勅」を読み上げた。
     その「玉音放送」の放送を聞くや、それまで強硬に戦争継続を主張していた軍人たちも、一斉に武器を下ろした。一部の軍人は、天皇の意思に反してでも徹底抗戦せよと唱えたが、それが叶わないと知ると割腹して果てた。
      天皇の「詔」を承ったら、必ず謹んで従う…「承詔必謹」とは、それほどまでに当時の日本人、特に軍人にとっては絶対とされていたことなのだ。
     だからこそカレー氏は、日本の「保守」を名乗るような者なら、愛子皇太子の実現が天皇の大御心だと知れば、それに従うはずだと思ったのかもしれない。
     しかし残念ながら、今どきの自称保守なんて、「承詔必謹」が読めるかどうかすら怪しい。
      現在の日本人、特に自称保守なんて、天皇が何を考えていようが、何を望んでいようが、そんなことは知ったこっちゃないとしか思っていないのだ。
     たとえ、いま天皇陛下が「愛子を皇太子にしたい」というご意向を直接「玉音放送」で表明したところで、自称保守派は一斉に無視するか、あるいは「憲法4条違反」として天皇陛下をバッシングするのは目に見えている。
      現に、上皇陛下が生前退位のご意向を明かされた「平成の玉音放送」の際には、自称保守は陛下のご意思を一斉に完全に無視して、「死ぬまで天皇をやるべきだ」と平然と言い放った し、 天皇が自身の進退について表明することは「国政に関する権能」ではなく、憲法違反には当たらないにもかかわらず「憲法4条違反」を主張する者も数多くいたのである。
  • 「戦後最大の宮さま詐欺」小林よしのりライジング Vol.466

    2023-04-18 19:30  
    150pt
    「論破祭り」の快進撃は、もう止まらない。
     もはや男系固執派の論客は誰もが精神的に追い詰められつつあり、その様子もまた手に取るようにわかるから、面白くてたまらない。
     なぜ「論破祭り」がそこまで効果的なのかというと、それは参加する全員がひとりひとり、自分の言葉で書いているからだ。
     男系固執派など自称保守派の者たちもSNSで意見を発信しているが、必ずみんな判で押したような、何かのお手本をコピペした文章になっているから、いくら頭数だけ多くても全然効果を感じない。
     しかし論破祭りでは、ひとりひとりが違っているから、全くリアルな人間の数とその意思を感じる。
     そこが決定的な違いで、これが批判される側にとっては相当のプレッシャーになる。倉山満などもかなり嫌がっていて、ダメージを受けている様子が丸見えだ。
     今まで男系派が言いたい放題できたのは、単に双系派がおとなしくしていたためで、ただ図に乗ってどんどんのさばっていただけだった。
     そこでいざ双系派の公論戦士が沈黙を破ったら、男系派はたちまち何も意味のあることが言えなくなってしまったのだ。
     いまや男系派は反論にもならないことを叫びまくって防戦に努めるか、あるいは沈黙するしかなくなっている。
     同じ土俵に上がってみたら論破祭りの公論戦士の方がはるかに強く、人数も多くて、周りからもそれが良識だと見えているのだ。
     これはいわば 「良識のデモ」 のようなものだ。
     従来の街中でのデモは、シュプレヒコールで全員ひとつの言葉しか言えないから、たとえ多彩な人々が集まっていたとしても、単色のひとかたまりの集団にしか見えないところが弱点だった。
      しかし幸いにもツイッターでは、ひとりひとりの意見を見ることができる。 これだと全体としての統一感がありながらも、それを主張する言葉のニュアンスがそれぞれ違い、ひとりひとりの異なる個性や切り口が見える。これは大きな利点であり、通常のデモよりも効果を上げられるのではないか。
     そしてこれが実際に非常に効果的であるからこそ、男系派は論破祭りをものすごく嫌がっているのだ。
     これはあくまでも議論なのだから、嫌なら片っ端から論破し返せばいいだけのことだ。そもそも、ロジック自体にはそんなに種類があるわけではないのだから、いくら相手の人数が多くても、ひとつ完璧な論理で反論することができれば、かなりの人数をまとめて倒すことができるはずなのだ。
      ところが、男系派にはそれが全くできない。たったひとりの人間すら返り討ちにできないのだから、そんな相手がさらに何十人、何百人といると思ったら、それはもう怖くて怖くてたまらないだろう。
     そんなわけで男系派の論客は、ゴー宣道場とか、ちぇぶとか、わしとかがとにかく嫌で、恐怖にかられて常軌を逸した精神状態になっており、騒げば騒ぐほどバカをさらすしかなく、またそれを大勢に指摘されるものだから、さらに逆上して、もっとバカなことを言い出すという悪循環に完全に嵌っている。
     そんなバカのループ、バカの無間地獄に陥っている男系固執派に比べれば、雑誌「表現者クライテリオン」はまだ若干は頭がよかったようで、すっかり沈黙してしまった。
     クライテリオンは昨年3月号で「皇室論」の特集を組み、そこでなんと、この期に及んで男系固執派への新規参入を表明した。
     そこでわしは同誌編集長の藤井聡と、執筆者の九大教授・施光恒を招いて「よしりん十番勝負」で1対2のハンディキャップマッチを行ったのだが、結果は藤井・施のあまりのレベルの低さに、観客全員があきれ返って終わりとなってしまった。
     するとその後、「『皇室論』を国民的に加速せよ!」と主張していたはずのクライテリオンは、皇室のコの字も語らなくなった。
     わしは、武士の情けで深追いはしない。ヤバいと気づいた男系派がみんなこっそり逃亡してくれれば道は開けるのだから、ここは逃亡も認めてやらなければ仕方がないというものだ。
      ただしこの場合、言論人として一番立派な態度は、自分の言論を総括して転向を表明することであると、それだけは教えておいてあげよう。
     クライテリオンは、この分野に触ったら危ないから傷が浅いうちに撤退して、他のジャンルの言論に移行しようという判断がまだ可能だったわけだ。
     わしとしては、皇統という重大問題であんなに幼稚で杜撰な言論を平気で繰り出した人物が、他の何を論じたところでもうとても信用なんかできないのだが、少なくともクライテリオンは、わざわざ皇統問題で勝負をかけなくてもいいと思っているから黙って静観することができるのだろう。
     しかし他の自称保守知識人は、そうはいかない。 皇統問題の議論における勝敗が言論人としての生命にも、自らのアイデンティティそのものにも直結していて、これがまさに文字通りの「死活問題」なのだ。それは必死になるわけである。
  • 「【こども家庭庁】への疑惑」小林よしのりライジング Vol.465

    2023-04-11 17:00  
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     4月1日、 「こども家庭庁」 が発足した。
     担当大臣・小倉蔣信は同庁ホームページに上げたビデオメッセージで、「こどもまんなか」を合言葉に、日本をもっと子供を生み育てやすい国にすべく、子供や若者の意見を聞き、様々な政策・支援策に生かしていくと語っている。
     だが、わしは「こども家庭庁」に大きな懸念を抱いている。
     もともと「こども家庭庁」の構想は、子供に関する行政の所管が、文部科学省・総務省(教育・いじめ対策・自殺予防対策など)、厚生労働省(児童養護施設、児童福祉施設、学童保育、保育所・保育園、ひとり親家庭支援、ネグレクト・児童虐待防止など)、内閣府・農林水産省(託児所・認定こども園、少子化対策、子供の貧困対策など)、警察庁生活安全局(少年少女犯罪対策、少年少女売春・児童買春対策など)などのように様々な省庁に分かれ、「縦割り行政」の弊害が指摘されていたことに端を発する。
     そこでこれらの事務の一元化を目指して 民主党政権時代に「子ども家庭省」 の設置が検討され、 自民党への政権交代後も「子ども庁」 として同様の検討は続けられていた。
     この構想自体はいいことだと思うのだが、安倍政権下では実現に向けた動きがほとんど見られなかった。
     そしてその後、縦割り行政の打破を目標とする菅義偉が首相になったことで、 令和3年(2021)にようやく 「こども庁」 設置へ向けた動き が始まったのだ。
     菅は同年9月で首相を退任したため、後任をめぐる自民党総裁選においてもこども庁構想は争点のひとつとなった。そして4人の候補者のうち、最も意欲的だったのが野田聖子で、岸田文雄、河野太郎も意欲を示した。だが、 高市早苗は態度を明確にしなかった。 要するに、はっきり態度を表明するとマイナスイメージになるからダンマリを決め込んだけれども、 本音ではこども庁構想に消極的、というより反対だったのだろう。
     そして総裁選は岸田が勝ち、首相に就任したため、こども庁構想は引き続き推進された。
     そんな中で同年12月、 与党内からいきなり、名称を 「こども家庭庁」 にすべきだという意見が出て来た。
     もともと名称に関しては当初から、与党にも野党にも「子ども庁」と「子ども家庭庁」の2案があったが、それが「こども庁」に落ち着くまでには、多くの議論があった。
      そもそも、子供と家庭の関係は一様ではない。家庭ではなく施設などで育つ子供もいるし、家庭で虐待される子供や、宗教2世のケースでは「子供」と「家庭」が両立しない。
      家庭が楽園である子供も、家庭が地獄である子供も、家庭がない子供もいる。また、逆に子供がいない家庭もあるので、名称に「家庭」を入れると理念に混乱が生じてしまう。
      だからここはシンプルに「子供のことを考える」という理念だけを掲げる 「こども庁」 にすべきというのが第一の理由だった。
     また、「こども家庭庁」という名称では、子供は親とは別の人格を持ち、個人として尊重されるべき存在であるという当然の視点が薄れ、子供を親に付随する要素と見たり、家庭という枠組みの中だけに収めたりしようとする意識を感じるという理由もあった。
     そしてさらには、 子供は家庭だけではなく、社会で守り育てるべき存在だという理由があった。
      家庭だけで子育てを背負おうとすればするほど、かえって親が追い詰められ、その皺寄せが子供に行ってしまうというケースは、枚挙にいとまがない。
      家庭は大事で、支援が必要なのはもちろんではあるが、学校や地域などのコミュニティ・共同体も同様かそれ以上に大事で、支援が必要である。
     それならば「こども家庭学校地域コミュニティ共同体庁」とでもした方がいいということになるわけで、それを「こども家庭庁」とすると、子供の問題を全て家庭だけに押し付けるような意味合いになってしまうのだ。
      名称ひとつにしてもこれだけの慎重な議論があって、「こども庁」の名が採用されていた。 「こども」とひらがな表記にしたのも、子供のための役所なのだから子供に読めるようにというこだわりだったという。
      ところがそれまでの経緯を全部すっ飛ばして、いきなり「こども家庭庁」の名称がゴリ押しされ、岸田はそれをあっさり受け入れた。
     そのとき共同通信は、岸田政権が 「伝統的家族観を重視する自民党内保守派に配慮」 して、名称変更の調整に入ったと報じた。
     そして、実際には自民党内にも「こども庁」でいきたいと声を上げた議員は多くいたにもかかわらず、岸田は何の議論も説明もしないまま、 「こども家庭庁」 への名称変更を閣議決定してしまった。
     岸田は、「子供を第一に」ではなく、「自民党内保守派を第一に」考えたのだ。
     この時点では「伝統的家族観を重視する自民党内保守派」、すなわち安倍晋三とその一派の力はまだそれほどまでに大きかったわけである。
     ところがそれからわずか7か月後、安倍晋三の暗殺で事態は劇的に変わった。
  • 「八木秀次って馬鹿なのか?知ってたけど」小林よしのりライジング Vol.464

    2023-03-28 15:30  
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     前回・前々回に続いて今回も、根も葉もない「愛子さまのお婿様候補」記事によって「門地による差別」を大推奨している週刊誌の批判をしなければならない。
     それにしても、これを仕掛けたのが男系固執派の中心人物、麗澤大学教授の八木秀次だというのはほとんどバレバレなのだから、実に間抜けな話だ。
      八木秀次って、馬鹿なのか?
      知ってたけど!
     週刊新潮には、前回批判した3月16日号のトップ記事に続き、3月30日号のトップにも 『「旧宮家筆頭」「華道のプリンス」… 「愛子さま」やんごとなき「お婿さんリスト」』 と題する特集記事が載った。
     
     ところが、意味のある新情報は皆無である。
     記事の前半は16日号と同様 「賀陽家の兄弟」 についてだが、相変わらず愛子さまと賀陽家の子息(しかも兄弟二人と?)の交流が深まっているという何の根拠もない妄想など、前の記事をただ書き写しただけ。
     そして後半は、女性自身3月28日・4月4日号が根拠なく飛ばした 「池坊家の華道王子」 の記事を臆面もなくパクっているが、女性自身が「S氏」として伏せた実名を 「専宗氏」 と晒しただけで、それ以上の情報は何もない。
     そこで、専宗氏の祖母である元衆議院議員の池坊保子氏のことを延々と書いて誌面を埋め、保子氏に取材をかけて、「あ、あ、私、ちょっとお話できませんので……」としか応えてもらえなかったことを書き、 「と言いつつ、その声は心なしか弾んでいたのだった」 と勝手な思い込みを加えて「脈あり」であるかのようにでっち上げるというデタラメぶりだ。
     こんな調子で、記事は全3ページのうち2ページと3分の2までは完全に無意味無内容だが、残り3分の1ページに見過ごせないことが書かれている。
     そこに登場するのは、例によって匿名でどこの誰だかわからない「皇室ジャーナリスト」と、唯一実名でコメントしている八木秀次で、「皇室ジャーナリスト」が言ったコメントについて、八木が後押しして「学者」的な補足をするという組み立てになっている。
      てゆーか、その「皇室ジャーナリスト」も八木だろう!
     前回も紹介したとおり、八木は自分が電話で話したことだけで週刊誌の特集記事が組まれることがあり、自分が話したことが複数の匿名人物の発言になっていることまでぶっちゃけている。
      八木秀次って、自爆しても気付かない馬鹿なのか?
      もちろん馬鹿以外の解答はないけど!
     なお、匿名の「皇室ジャーナリスト」が八木だということは、「論破祭り」で公論戦士・ふぇい氏も指摘している。
     https://aiko-sama.com/archives/24425
     ある記事に出てくる「皇室ジャーナリスト」と、別の記事に出てくる八木秀次が、 「旧宮家系男子が宮家に養子入りし、愛子さまが結婚してその妃殿下となり、男子が生まれれば『天皇直系の男系男子』になる」 という、全く同じ趣旨の発言をしていたのだ。
     これは、単に趣旨が同じだけではない。
      1. 愛子さまが宮家の当主でなければ、その子は「天皇直系」にはならず、旧宮家系の「大傍系」となる。
      2. 愛子さまが宮家の当主であれば、その子は「男系」にはならず、「女系」になる。
     という、重大な誤りを二つ同時に犯しており、このプランでは「直系」と「男系」は両立しないのだ。
     以上のことから、ふぇい氏は「こんな間違いをふたつ同時に犯すのは、同一人物とみて間違いないです」としている。
      八木秀次って、日本に二人といない馬鹿なのか?
      とっくに知り過ぎていたけど!
     週刊新潮記事には、「皇室ジャーナリスト」(たぶん八木)の発言が、次のように紹介されている。
  • 「〈門地〉が皇室より大好物な男系大衆」小林よしのりライジング Vol.463

    2023-03-21 17:30  
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     前回は、男系固執派が「週刊女性」「女性セブン」の2誌で、 「愛子さまが旧宮家の子息と交際している」 という、根も葉もないデマ話を流布していることを取り上げた。
     明らかに男系派の「断末魔の叫び」だが、それから2週間、往生際の悪い絶叫はまだ続いている。
     女性誌2誌に続き、今度は「週刊新潮」3月16日号のトップに、一連の流れを汲む記事が載った。
     
     とはいえ、内容はほとんど前出2誌の焼き直しで、目新しいものはほとんどない。週刊誌3誌に同じ人物が同じ話を吹き込んで回ったとしか思えないような印象だ。
     ただ、 女性セブンでは相手を賀陽家の「次男」 と特定しているのに対して、 週刊新潮ではなぜか「賀陽家の兄弟」 と交流しているという、より荒唐無稽な話になっている。兄弟二人とつきあっているのか!?
     記事ではこの 兄弟の父親・賀陽正憲氏 について、「さる宮内庁関係者」が 「正憲氏ご自身も『自分の家が皇室に復帰する可能性があることを肝に銘じて過ごしてきた』などと、周囲に漏らしているのです」 と証言している。
     前回詳述したとおり、正憲氏は13年前の週刊新潮の取材に対して、息子と愛子さまの縁談について 「立場が違いすぎ、恐れ多い」 と全否定している。それがいつから、自分の家が皇室に入ることを 「肝に銘じて過ごしてきた」 のか?
     こんな重要なことはあやふやな伝聞ではなく、本人に直接確かめなければおかしい。正憲氏はこれまでメディアの取材には好意的に応えてきた人だし、たとえ取材を断られても、それはそれで「回答は得られなかった」と書けば何となく脈がありそうに匂わせることができるから、週刊誌はたとえダメモトでも、取材の申し込みだけは必ずするものなのだ。
     それなのに、なぜ今回は取材の申し込みすらしていないのか? 
     答えはひとつ。ガセネタだからだ。
     あと、 「一昨年の眞子さんの結婚とは異なり、正真正銘の名家とご縁ができれば、いわゆる“悪い虫”など近づきようがない」 という記述があるが、これは見逃せない。
      週刊新潮は、旧宮家系を「正真正銘の名家」と信じ切っているのである! 
      これが全くの一般国民の家であるとは、露ほどにも思っていないのである!  そして、 小室圭氏を「悪い虫」と言い切っているのである!
     これこそ、眞子さまをPTSDにまで追い込んだ小室さんバッシングの正体だ。どんなに眞子さまを一途に愛していようが、苦学してニューヨーク州弁護士になるほどの実力があろうが一切関係なく、 マスコミ・大衆はただ 「家柄」 だけで小室圭氏を「悪い虫」扱いして、叩きまくったのだ!
     前出2誌と同様、週刊新潮でも情報提供者は全て匿名だが、ここで唯一、そんな怪しい話を支持する実名の人物が登場する。
     男系固執派の中心人物、麗澤大学教授の 八木秀次 だ。
     八木は、賀陽家の子息を子供のいない常陸宮家に養子入りさせ、その上で愛子さまと結婚させて、 愛子さまが「常陸宮妃」として皇室に残れるようにするべきだ と主張する。
     そして、 「男児が生まれれば天皇家直系の男系男子となる。『皇位継承』『皇族数確保』という二つの観点からも、この上なく理想的なのです」 と妄想を膨らませる。
     八木は「憲法学者」を名乗っているはずだが、旧宮家系男子を特別扱いして皇族の養子にするのは 「門地による差別」 で「憲法違反」になる ことを知らないか、または徹底的に隠蔽しているのだ。
     現行の皇室典範は皇室が養子を迎えることを禁じているが、八木は 「特例法で一時的に養子をとれるようにすべきです」 と言う。
     養子については皇室典範だけの問題だから、ご譲位を可能にしたように 「特例法」 でできるかもしれない。
      しかし、憲法の特例法なんかできない。
      この件に限って特別に「門地による差別」を容認し、特定の家柄の特定の国民だけ、国民に保障された基本的人権を全部剥奪して皇室に入れる憲法特例法なんてものを、都合よく作ることなどできるわけがない。
     憲法は国家の基本的なルールを規定している。
      国民は全て平等で、身分・階級はないというのが日本国のルールであり、その前提のもと第14条が存在する。
     それを理解していない八木秀次は、憲法を何も知らない憲法学者である。
     しかも、 そもそも 愛子さまを宮家の当主にしない(!?) なんてことを、国民感情が許すはずがない。
      男でさえあれば、600年も血筋が離れた大傍系で、突然宮家の養子になった国民でも当主になれるけれども、女だったらたとえ天皇直系のお子様でも、インスタントな皇族の妃にならない限り皇室に残れないなんて、そんな究極の男尊女卑に国民の賛成が得られるわけがない。
      憲法第1章で天皇の地位は 「国民の総意に基づく」 とある。皇族もこれに準ずるのは当然で、国民の総意に基づかない皇族など明らかに問題である。
     何をどうあがいたところで、旧宮家系国民男子案は、憲法の壁を超えられないのだ!
     こんなデタラメな記事が、いったいどこから湧いて出たのか?
     興味深いのは、八木秀次が以前、こんな発言をしていたことだ。