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  • 第100号 楯と緑(6/最終回) & ロータリー 小樽茫洋篇

    2015-05-25 08:00
    140pt

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    雪舟えま
    ★エリーゼたちのために【100】

    ===
    ☆小説「楯と緑」第6回/最終回。冬休みのお泊りデートの背後に、ステーションでこんな出来事があったとは……! ついに結ばれたふたり、そして愛の神話は続いていきます。「緑と楯」ともぜひ合わせ読みを。

    ☆日記コンテンツ「ロータリー」は、フジワラサトシさん新曲に詞をつける作業の裏側、近しい人に「名乗る」ことからの「これは奇跡である」という認識について(ど名言!)、これからの単行本の刊行予定などなど。小樽グルメや手宮洞窟など写真も満載、「幸せになりやがれ」に出てくる女子中学生ふたりのイラストも!

    ☆「エリーゼたちのために」最終号です! メルマガ終刊に際しての思いも「ロータリー」にて。みなさま、ご愛読ありがとうございました!

    ☆【編集部より】月額申込は受付を終了いたしました。バックナンバーは発行月の翌月より購入可能です。
    現在「ブロマガ」にない回も順次移行してまいります。右コラム「月別アーカイブ」から一覧をひきつづきチェックしてくださいね!
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    ■もくじ
    ・【小説】楯と緑(6/最終回)
    ・ロータリー 小樽茫洋篇
    ・アテンション

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    ■楯と緑(6/最終回

    こちら「楯と緑」は、以前連載していた「緑と楯」の、楯視点からのお話です。
    「緑と楯とは?」という読者のかたは、バックナンバーをご参照ください。
    これまでの「エリーゼたちのために」はこちらから
    http://ch.nicovideo.jp/yukifuneemma
    http://chokumaga.com/magazine/backnumber/?mid=113
    「緑と楯」(1)掲載回はこちら http://chokumaga.com/magazine/?mid=113&vol=28
    ブロマガはこちら→http://ch.nicovideo.jp/yukifuneemma/blomaga/ar788570
    ※「緑と楯」掲載号は全てブロマガにもあります)

    本メルマガの巻末にもご案内がありますが、現在「ちょくマガ」版の「エリーゼたちのために」は、無料試し読み部分の閲覧のみが可能です。ご購入希望のかたは、ご希望の回を担当イワハシさんまでお知らせください。

    【登場人物】
    荻原楯:未来浅草高校3年生。
    兼古緑:楯のクラスメイト。

     ステーション界隈のいつものところを散歩して、さて帰ろうか――と現実に降りかけたとき、そう遠くないうちに遊ぼうという、柿人との約束を思い出した。
     彼らと合流しようと心に決めて、気配のするほうへ歩きだすと、空間はゆらりと伸縮して団らんする彼らが目の前にあらわれる。
     意思が推進力のすべてとなるステーションでは、現実とちがって、ぼんやり立ちどまっても時間はすぎてくれないし、無目的にぶらぶら歩いてもどこかへたどり着いたりはしない。ここへ行く、だれと会う、とはっきりと想い描いたときに、その場所や人は目前にあらわれる。そういう辿りつきかた、出会いかたをする。
     四人は赤い毛氈のうえで投扇興をして、鈴龍は寝そべって目をとじていた。
    「坊ちゃんだ!」と、柿人がさいしょに気づいた。「坊ちゃんが来たー、きょうは会えそうな気がしてた!」
    「いまはじめたところですよ、坊ちゃんも投げませんか」と、ママヤが枕のうえに蝶を立ててもどってくる。
     彼らの投扇興は現実のものよりもずっとずっと的が遠くて、ひらいた扇をすうっと空気のうえに滑らせるように投げると、よくできた紙飛行機さながらじつに長い距離を飛ぶ。気流に乗って上下したり、カーブしたり、獲物をねらう鳶のようにまっすぐに滑空したり。
     未来浅草は投扇興がさかんなところで、俺の伯母のシャアさんも巻虹連というサークルで長年活動している。俺もたびたびお座敷遊びの会につれていかれて、芸者のお姉さんたちと対戦したことも何度か。高得点の銘なんてめったにお目にかかれないけど、ステーションでは、柿人たちめでたき人びとは奇跡の技を連発する。
     俺にとって投扇興の魅力は、技を決めることよりも扇の空中での動きのほうにある。ゲーム用に軽量化された扇は、競技者の手を離れたとき、ふわっと重力から解き放たれた動きを見せる。それはなんともいえず胸がすく思いのするものだ。しかし現実の競技は枕まで二メートルもなく、ほんの一瞬で終わってしまう。
     ステーションでははるかな的に向かって、眺めるだけでも快楽をもよおす扇の浮遊感が、うっとりするほど長く得られる。俺は飛ぶ扇の横をいっしょに歩いてゆき、蝶に当たるところまでを見るのがすきだ。
     皆で順に投げて七巡し、弁財天が優勝。気分をよくした彼女とふたり、俺は散歩をした。
     綿の野原のまんなかで彼女はくにゃりと足をくずして座る。
    「坊や、近う」
     弁財天は俺を手招き、この太もものうえに頭をのせなさいというしぐさをする。
    「いつもすてきなひざまくらをありがとう」
     横たわる俺の顔を真うえから見おろし、彼女は眼を細めて、「あらためてそんなことをいうのだねえ」と笑う。
    「このごろは、こんな眺めもこれで終いかもしれぬと思っていた」
     さいきんの自分はそんなにも彼らをさみしがらせていたのか。俺は彼女の背中から流れてくる羽衣の端を指にからめた。
    「その者はこれまでの者たちとはどこがちがう?」と、弁財天はふところから大きな梵天のついた赤い軸の耳かきをとりだしながら。
    「え?」
    「いままでも、坊やの心を得ようとしてさまざまな人間が近寄ってきたであろう。体は任せてしまうことはあっても、心は決してだれにもなびかなかった。なのになぜあの者だけ?」
    「わからない」
     というと、弁財天は「しようのない……」とため息をつき、俺に横を向かせる。
    「いままで仲よくなるチャンスも時間もいくらでもあったのに、どうして卒業もおしせまったいまごろから――」
     耳の中に細いさじがさし入れられ、軽く息がとまる。それは弁財天の触手も同然で、俺の考えをよく知りたいときなどに、彼女は耳そうじに誘うのだった。
    「制限時間ぎりぎりになってきゅうにものごとが動くのは、シナリオどおりっぽい感じもする」
     ほう、ふん、と鼻で返事をして、弁財天はさじで耳の壁をかりかりとこする。頸椎がぞくぞくとして、俺は手の中の羽衣をにぎりしめた。
    「彼の気持ちに気づかないふりをしていたら、平和なままでいられたのかな。知ったところでどうしたらいいものやら? 俺はなにも応えてやれない」
    「なにも?」弁財天は首をかしげて、「そういいつつ坊やは手助けをしている。そんなことをしたらますます舞いあがらせてしまう、そんなことをずいぶんしている。奴をからかって遊んでいるのか?」
    「なんでそうなる」
    「こら、動くとあぶない」
    「俺はそのとき最善だと思うことをしてるだけだ――でも」
    「でも?」
    「そうしつづけていたら、あともどりできなくなりそうな」
     硬いさじがまたすこし深く入る。
    「これ以上近づかれても……どうしたらいいのか……」
     弁財天は耳かきをひきあげ、小鳥くらいもある梵天でぱふぱふと耳孔のふちをたたく。彼女は花の香りの息をこぼして笑った。
    「そのときにいちばんよいと思うことをつづけていたら、人の短い一生などはいつのまにか過ぎ去ってしまうだろう。ふりかえればそれは、いちばんよい人生だったということ。それはどんなものだろうねえ? 坊や。見てみたいものだねえ?」
     ひんやりした細い指先が、俺のあごから喉のうえをなぞってなんども往復する。
    「われわれはいちど愛したらずっと愛している。坊やを愛したその日から、坊やが年老いても、何度生まれ変わっても、ずっと見つめているのだよ。坊やが美しいものを見、美しいものを味わうことを願って」
    「ありがとう」
    「――これは、われわれからの贈りもの」
     弁財天は俺の胸のうえに、みかんくらいの大きさの香炉のような、銀色のまるい容器をのせた。
    「なに?」
    「これからの道で、坊やがけがをしないためのもの」
    「お守りかな」
     こっちでものをもらったり拾ったりすることはたまにあるが、現実にもっていくことはできない。しばらくして似たようなものを現実でも取得することがあるので、そのうちそういうことが起こるかもしれない。
    「ありがとう」
     俺は胸のうえで、呼吸にあわせて小さく上下する、猫足のついたしろがねの香炉を見つめていた。

     
  • 第99号 楯と緑(5) & ロータリー 小樽茫洋篇

    2015-05-18 08:00
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    雪舟えま
    ★エリーゼたちのために【99】

    ===
    ☆小説「楯と緑」第5回。緑が語る自分自身のことよりも、巧まずして見せてしまっている素のすがたのほうに楯は価値を感じて。
    そしてあの川べりで、「だれにでもそうなるわけじゃない」ととまどう緑に楯は言う、「なあ兼古、楯っていってごらん」。楯にしか見えない、名前を呼ぶことで変化する緑の様子もそこにはあって……。

    ☆ロータリーは写真も満載! 充実の小樽ごはんレポート、地区民謡大会、忍路(おしょろ)ストーンサークルへの遠足のことなどなど。
    そして、新しい言語体系が降りてきた長い夢、ひさびさにみた「盗む」夢のこと。マンガ付きでご紹介です! 

    ☆【編集部よりお知らせ】「エリーゼたちのために」は5/25配信予定の100号で終刊いたします。月額申込は受付を終了いたしました。バックナンバーは発行月の翌月より購入可能です。
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    ■もくじ
    ・【小説】楯と緑(5)
    ・ロータリー 小樽茫洋篇
    ・アテンション

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    ■楯と緑(5)

    こちら「楯と緑」は、以前連載していた「緑と楯」の、楯視点からのお話です。
    「緑と楯とは?」という読者のかたは、バックナンバーをご参照ください。
    これまでの「エリーゼたちのために」はこちらから
    http://ch.nicovideo.jp/yukifuneemma
    http://chokumaga.com/magazine/backnumber/?mid=113
    「緑と楯」(1)掲載回はこちら http://chokumaga.com/magazine/?mid=113&vol=28
    ブロマガはこちら→http://ch.nicovideo.jp/yukifuneemma/blomaga/ar788570
    ※(1)~(7)までブロマガにもあります)

    本メルマガの巻末にもご案内がありますが、現在「ちょくマガ」版の「エリーゼたちのために」は、無料試し読み部分の閲覧のみが可能です。ご購入希望のかたは、ご希望の回を担当イワハシさんまでお知らせください。

    【登場人物】
    荻原楯:未来浅草高校3年生。
    兼古緑:楯のクラスメイト。

     バイトからの帰り道、べべさんに電話をする。
    「楯のいうとおり、来たよ兼古くん。あがってもらった」
    「そう。ありがとう」
     俺のいないあいだに彼が来ることがあったら、部屋にあがっていいと伝えてくれとべべさんにいっていた。彼の家は落ちついて勉強のできる環境じゃないこと、彼がうちに来るときはたぶん行き場がなくて来ていることなども。
     家の近くに来ると、俺の部屋の窓がすこしあいていて望遠鏡の先が出ている。窓際で動く人影が見えた。
    「兼古」
     家の前から手をふると、彼はあっといって窓に手をつき、部屋の照明を背にして「おかえり」といった。しおらしい声だったなと思いながら二階にあがると、彼は緊張した面持ちで立っていた。なにかおそれている。なにをしに来たのかと俺に訊かれることを?
    「なにか見えた?」
    「いや、いま触ったばっかで……」
     彼は小さく答えて窓を離れ、勉強道具をひろげてすっかり自分のもののようになったテーブルの前に座る。テーブルには端末が起きていて、周囲にウィンドウがいくつも浮かんでいた。
    「バイト忙しかった?」
    「ふつう」
     俺が着替えているまにも、兼古がそわそわと落ちつかなげなようすが片すみに見える。
     心配するな兼古、友だちが遊びにくるのに理由なんかたずねやしない。来たければいつでも来ていいんだ――と、内心答えていたが、彼のまなざしは俺の顔色をうかがうというよりは、肌を焦がす熱視線だと気づいた。ショーツにかけていた手をとめ、「見てるな?」と横目でにらんでいうと、彼が息をのむのが聞こえた。
    「おまえ視線の出力が凄まじいよ」
    「いやいや……」
     兼古は眼鏡をはずして目をこすっている。俺は着替えを続行し、パジャマを着て半纏をはおった。
    「兼古くんお勉強おつかれさま、楯はバイトおつかれさま」
     べべさんがもってきたカレーライスをふたりで食べる。兼古がテーブルに出していたファイルの中にさいきんの模試の結果が挟まっていて、それがすばらしい成績なので俺は思わずべべさんに見せてしまう。
    「べべさんこれ見よ」
    「え、楯の?」
    「だといいのに」
    「なーんだ兼古くんのか。え? ……ぜんぶA!? すごーい! こんなのはじめて見ましたー!」
     べべさんにほめられて兼古は真っ赤になっていたが、将来なにになりたいのかと訊かれて、「途上国の法整備支援に関わるのが憧れ」などと青少年の主張めいたことをいった。「そんなお仕事があるんですか」と感心しきりなべべさんに、猫かぶりな兼古はとうとうと優等生らしいことをのたまう。学校じゃとなりの席の人間とも仲よくできないおまえが、よその国の立法に首をつっこみたいだなんて?
    「そんなお仕事したいんだあ、すごいなあ。楯知ってた?」
    「いや」
     俺は将来なにになりたいんだろう、いま訊かれてもなにも答えられんなあと思いながら茶を飲む。

     
  • 第98号 楯と緑(4) & ロータリー 小樽茫洋篇

    2015-05-11 08:00
    140pt

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    雪舟えま
    ★エリーゼたちのために【98】

    ===
    ☆小説「楯と緑」第4回。緑をフューチャークラシコ葬祭社の飛行船に乗せた楯。「愛し愛されて愛を知りたい」という熱烈な緑。楯が思い返すのは、ステーションで鈴龍に言われた「大切な人ができる」という予言で……。

    ☆ロータリーでは、これまで&これから発表の緑や楯の物語について、時系列をまとめた表「愛の神話のいま」の最新版公開、雪舟さんの住む小樽のアパートの濃いキャラの住人たちを登場人物風に紹介、小林多喜二の碑を訪れて、などなど。G☆Wで弾ける小樽市民イズムも満載!

    ☆【編集部よりお知らせ】「エリーゼたちのために」は5/25配信予定の100号で終刊いたします。月額申込は受付を終了いたしました。バックナンバーは発行月の翌月より購入可能です。
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    ■もくじ
    ・【小説】楯と緑(4)
    ・ロータリー 小樽茫洋篇
    ・アテンション

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    ■楯と緑(4)

    こちら「楯と緑」は、以前連載していた「緑と楯」の、楯視点からのお話です。
    「緑と楯とは?」という読者のかたは、バックナンバーをご参照ください。
    これまでの「エリーゼたちのために」はこちらから
    http://ch.nicovideo.jp/yukifuneemma
    http://chokumaga.com/magazine/backnumber/?mid=113
    「緑と楯」(1)掲載回はこちら http://chokumaga.com/magazine/?mid=113&vol=28
    ブロマガはこちら→http://ch.nicovideo.jp/yukifuneemma/blomaga/ar788570

    本メルマガの巻末にもご案内がありますが、現在「ちょくマガ」版の「エリーゼたちのために」は、無料試し読み部分の閲覧のみが可能です。ご購入希望のかたは、ご希望の回を担当イワハシさんまでお知らせください。

    【登場人物】
    荻原楯:未来浅草高校3年生。
    兼古緑:楯のクラスメイト。

     ほぼ二週間ぶりに学校にゆくと、ちょっとしたアイドルあつかい。日ごろよく話す女子たちは待ち構えていたように俺をつかまえ、前髪をおしあげて額をさらし、かさぶたのあとが残っていることをなげく。
    「これあと残ったらやだなあ」と、ベリーショートヘアの嶋田は、俺のことをまるで自分の所有物のように。
    「ターンオーバー促進剤貸そうか?」と、化粧の濃い林。「使ったらにきびのあときれいになったよ」
    「どうしてあたしじゃなくてキャネコだったんだろ、姫んち行きたかった」と、もうひとりの学級委員の水上はふしぎそうに。
     俺を姫っていわないでほしい。以前そういったら彼女たちをよけいに興奮させたようだったので、もういわれるままでいる。
    「あんたが行ったら姫を襲うって、馬にもわかってるからだよ」と、林が笑いながらおそろしいことをいう。水上は憤慨して、「あたしはそういうんじゃないから。姫がほかの男に犯されんのがすきだから」と、さらにこわいことをいった。
     高校に入って、女子の性欲のすさまじさをひしひしと感じる。知りあいの女子の中には小説や漫画を描いたりするのが何人かいるようだが、水上をはじめとして、彼女たちの中には男同士の恋愛をこのんでテーマにするのがいるらしく、俺はその妄想の対象になっているらしい。クラスの男たち――薬師とか笑谷とか、運動部の肉体派の連中と俺が、身の毛のよだつ描かれかたをしているそうだ。描いたものは見せてくれないし、見せられても困るけど。
     顔にピカッと光があたった気がして、見ると兼古がこちらを見ていた。なんという眼光。彼はけさ、通学路をのらくら歩いている俺に声をかけてきて、バイクに乗せてくれたのだった。
    「よう」と、声には出さず、俺のまわりに立つ女子たちのすきまから小さく手をあげたが、彼は軽蔑のまなざしをして、ふいと顔をそむけた。
     なんなのだろう。
     そのご昼飯のとき手洗い場でいっしょになって、声をかけてもなにもいわずに離れてゆくし。土曜やけさの親切はなんだったのだろう、むらのある奴だ。
     その午後の体育のとき、彼は体育館に向かう廊下で、ずっと俺のななめ後ろあたりをつかず離れず歩いていた。俺は笑谷と歩いていて、ふりむくと兼古はあきらかに俺を見ていたのに目をそらす。
    「ツンドラあいつさいきんドラが乗るんだわ」と、イギリス人のツンドラに麻雀を教えた笑谷がいう。俺が休んでいるあいだにも集まってやっていたらしい。
    「ツンドラだけに」と、俺。
    「なぜかウーピンがすきで、これが来ると捨てられないとか意味不明なことをいう」
    「わかる、俺も發とか九萬ひいきにしてしまう」
    「ヤオ九牌ずきか」
    「牌を愛する心がドラを呼ぶ」
    「そんなもんかな」
    「エミは打牌が強すぎる、見ていて痛そうだ」
    「べつに痛くない」
    「牌がだよ」
     あれえ、そうか、と笑谷は笑って。
    「卒業してもおれのこと、日本ではじめて麻雀教えてくれた人って覚えててほしい」
     背後からの視線はつづいている。俺は笑谷に先に行ってくれといい、ふりむくと、兼古は通りかかったトイレに入るところだったというように、さっと廊下を折れた。
     俺はそのまま待っていて、曲がり角に身をひそめただけの兼古は、もどってすぐにはちあわせた俺におどろきをかくせない。
    「よう」
    「…………」
    「遅れるよ。行こう」
    「き、きれいになったな」と、兼古は眼鏡を押しあげながらいった。そして、「傷が消えたって意味で」
    「うん」
    「…………」
    「さっき林がターンオーバー促進剤ってのを貸してくれた」
     と、俺はポケットからピンク色のチューブ容器を取りだす。
    「効くのかそんなもん」
    「林がいうには、皮膚の再生する周期っていうのが二十八日で……」
     俺たちは歩きだす。
    「でも二十八日たっても消えない傷ってふつうにあるけどな」と、俺。
    「真皮にたっしたら肉芽組織が盛りあがって消えにくくなるんだろ。おれもむかし親戚の家の猫に引っかかれたあとか消えねえ」と、兼古は手の甲を見せた。白く光る三日月形の傷あとがある。
     いちど会話がはじまれば、兼古はうちに来たときのようにしぜんに話せるのだった。
    「そういわれると、そういうもんかと思うけど」
    「けど?」
    「傷って、体が残しておきたくて残ったりもしそう。兼古は心のどこかで、猫に引っかかれたことを忘れたくないとか……」
    「猫と遊んだ記念に?」
    「真皮の神秘で」
     俺のだじゃれに兼古は笑いながら、「つまんねえ」
    「笑ってんじゃん」
    「ハハ」
     渡り廊下にさす秋の終わりの光の中で、兼古がうれしそうに笑っていた。
     彼はいう。
    「もうその猫いないけど、たしかにこれ見るたびに思い出してるかも」