「東浩紀×岡田斗司夫対談」語ってみたならぬ、まとめたった。
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「東浩紀×岡田斗司夫対談」語ってみたならぬ、まとめたった。

2013-01-25 05:54

    東浩紀は「ロリコン」至上主義であり、岡田斗司夫は「エセロリコン」だ

    その心はキリッ!
    (注意 放送内で本当にロリコン論議をしているのです。)

    今週の初めでしたでしょうか?

    「東浩紀×岡田斗司夫対談」

    なるものが、
    ニコニコ生放送で放送されまして、

    そこで、オタキングこと
    岡田斗司夫ちゃんが

    みんな語ってみたやったらいいのにぃ~」っと

    直訳すると
    その放送内容を2~3分にまとめてニコ動で晒せ」ということを
    おっしゃっておられました。

    というわけで、そんな勇気もない私がここで書いてみる。
    (自分の他のブログで放映後すぐ書いたけど、グーグル先生でもヒットできず醸し中)










    結局ね!あれよあれ

    ガイナはロリコンを演じていて、視聴者はロリコン好きになった
    終盤のネタ話ではあるのだろうけども、

    はっきりと言おう♪

    今回の話の総括はコレ!!!である。

    東ちゃん 「ガイナってロリコンなんでしょ?」
    岡田ちゃん「俺、ロリコンじゃねーし」

    「オネアミスの翼」や「トップ」を作った
    ガイナックスというアニメ界の革命児軍団

    世界をひっぱる集団
    ・・・視聴者から見れば
    象徴的な存在であり、崇める対象なんだ。

    だから、信者は
    あの頭がいいガイナは
    「ロリコン」なんだ
    「ロリコン」は正義なんだ~という
    象徴・シンボルとして扱われるわけでござる。

    しかし、作った当人達はあくまでフェイクであり
    ロールしてるだけで、そう見えるだけ

    ゆえに、製作者からいえば
    自分達で関わったことこそナンボであり

    巷でいう
    シンボルというのは、作品をはたから見た
    感受性・嗜好性の度合いであって

    自ら関わってないものに対し
    製作者の意図に反して
    勝手にイメージを刷り込んでるだけである。

    作った人=実働的な人、視聴者=受動的な人?によって
    シンボルの存在価値に差がでてくるわけだ

    この終盤の終盤のどうでもいい「ロリコン論議」こそ
    今回の放送の核であった

    「原発観光地化計画」論議と同じ論調であったことに気が付いたであろうか?

    ・原発事故を収拾するには今どう動くべきなのか?

    ・自分は収拾に関わらないけども、観光地になったらこういう事があったんだよね~っと
    共有認識で補完するのか?

    っという、感じである。

    当然、
    「ガイナで実働していた」
    岡田ちゃんは自ら関わってこそよしとし
    関わっていないものを後からイメージ付けするのを嫌い

    「ガイナに洗脳されていた」
    東さんは
    直接関わっていなくても「物体」というイメージこそ大事であり
    物体があることで、意識に残ることを主張しているわけだ

    今ボランティア等しにいって収束させに行く?
             or
    収束させた後のイメージを考える?

    終始こういう図式だと思う


    しかしながら、
    こんな論議をしなければならないのに誰もやってねーじゃねぇーか!!!
    ということで
    根本的に「議論の場」というものが必要だという話に発展するわけ

    ネット論議は尖った意見がでて素晴らしいけども
    伝わりにくく、実働・形になりにくい。
    実際会って話をすると
    話はよく分かるんだけども、妥協の世界であるから
    その身内ルールが形成され尖った意見が丸くなってしまう。

    理想的にはコミケのような
    皆の自分の思想で実働する集団が好ましいけども
    それ+外部の意見
    某有名掲示板のような尖った意見の持てる場所が必要である。

    本来このことは大学が行うべきなのだが
    それ自体が破綻しており

    これからの場所は自分で作っていく必要し
    メディア社会で目指していく1つなんだろうっという話


    まとめとしてはこんなもん?
    こっからは感想かなぁ~

    結局のところ

    シンボルがある集団・ファンっというのは
    シンボルこそが尊重すべき物であって

    シンボル自体がそれを否定してしまうと、
    集団の尊厳が失われてしまう。

    崇拝→落胆するという
    受動的思想っというのは

    深みにはまりやすく冷めやすい典型だよね?

    今時のアイドルもそれで大変なことになってるし

    ゆえにイメージ先行はそのイメージの裏返しになりえるってのが
    昨今のイメージだし

    この動画でもさ


    岡田さんロリコンでしょ?

    違うよ興味ないよ?

    ええええええーーーーーー
    ガイナはロリコンでしょ?

    ええ?違うよ?

    それがトレンドだと思って
    ロリコンこそトレンドだと思ってたのにーーー(イメージです)

    っというような感じで


    表現としてのロリコンは
    本当のロリコンになれ、ロリコンこそ正義であるという風に
    染まる可能性になり、

    ガイナ=ロリコン集団だと
    ガイナの本質はロリコンなんだと
    すごい人こそロリコンであるべきなんだと


    しかしそれはあくまで言い訳で
    もともとその人は「ロリコン」で

    尊敬する人によって
    自分のロリコン好きには免罪符が付与され

    ロリコンにしか世の中は理解できないんだっとなっていくのだろうけども

    シンボル自身・他人から責められれば
    ロリコンにしたシンボルのせいだっという論調になりやすい人もいたりして

    結局イメージ先行というのは

    あくまで自分に責任のない大義名分なのだろうな~っと思うわけ

    「原発観光地化計画」もどこかしら責任ある体制で行われるべきだと思う。


    最後に
    ・・・「ハルヒ」はダメで、「まどまぎ」をよしとし
      なにげに「ガルパン」をヒャハハァァァーっと視聴している岡田大先生の
    パッケージに女の子なのはNO!という意見には矛盾を感じてまふ♪

    追記:0時ぐらいに下書き保存して放置しておいて
    起きてからUPしたのだが、右の新着記事の時間が
    下書き保存した時間になってる模様・・・いつ内職したかバレバレですなww

    追記2


    「ニコ生岡田斗司夫ゼミ2月号」にて←これは私の感想ね♪

    アートはゴミに意味をつけるから
    嫌だと語っていた。

    あーなるほど、そうやっていえば分かりやすいじゃないかwww
    っと、言葉の使い方に感心してしまった。

    ゴミっという言葉なら
    いかにどうでもいいものが、シンボル化してるっという意味を
    表現するにはうってつけだわwwww

    岡田ゼミ感想集
    2013 1月 「東浩紀×岡田斗司夫対談」語ってみたならぬ、まとめたった。←頑張って書いた

    2013 2月 アートは評価経済じゃないの?「ニコ生岡田斗司夫ゼミ2月号」の感想その2←頑張って書いた?
    映画の反応と報道のステマ?「ニコ生岡田ゼミ2月号」感想その3+友人の話←その2とコラボ
    「その1」←適当
    S田さんやっちゃった時直後の感想←カルフォルニアドリーミング現象




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