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テクノロジーの進化により
SNSや動画投稿サイトが普及して早数年。
「誰でも発信する事が可能になった」
という風によく言われますが、
これらが仕事ではない”大半の人間”が受け取る
この進化の本質は、実は真逆です。
皆が発信するから、情報が増える。
より自分に適したコンテンツが見つかり、深く掘れる。
競争は高まり、クリエイター達のクオリティが高くなる。
簡単に言えば
「自分にとっての色んな"世界トップクラス"が
いつでも見えるようになった」
これは消費者にとって、とても良い事です。
でもそれに伴って、"失われるもの"もご存知でしょうか。
「学校で1番だった事」
「近所で1番だった事」
「家族で1番だった事」
それがこの時代、"霞んで見える"ようになった人達がいます。
「この人に比べると…」
と、昔なら見えなかった自分より上の存在が
手元の端末にごまんと映るようになってしまった時代。
過去にもいたはずの
自己肯定感が低い人間が埋めていた「小さな穴」は
令和では埋めづらくなっています。
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①「自己肯定感が低い」が育つ背景
②「運」が良い人間は、その事に気付かない
③「夢」=自分を信じられる素養
④ 僕らの両手の「キャパシティ」
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「自己肯定感が低い」が育つ背景
長いので「自己肯定感が低い」を、以後は「X」と勝手に呼ぶこととします。
そもそもXになぜなるのでしょうか。
脳の健康的にはならない方がいい気がするのに、
結構な人数がXだと思われます。
メカニズムはわからないものの、
僕の勝手な推測だと
Xな人は「褒められ不足」で育った人が多い気がします。
家庭環境や学校の問題。親の離婚や、友人関係。
色々と原因はあるでしょうが
「幼少期に大人になってしまった」というのが
共通点なのではないでしょうか。
「幼少期に大人になってしまった」というのが
共通点なのではないでしょうか。
もしかすると「ならざるを得なかった」が
より近いものかもしれません。
純粋に甘え足りてない。褒められ足りてない。
でも甘えられない。甘え方も、褒められ方もわからない。
時間が経って、体も大人になってからも、変わらなかった。
より近いものかもしれません。
純粋に甘え足りてない。褒められ足りてない。
でも甘えられない。甘え方も、褒められ方もわからない。
時間が経って、体も大人になってからも、変わらなかった。
無限に褒めてくれる相手がずっと傍にいればいいけど、いない。というか言えない。
そもそも自分はそんな人間じゃない。そんな立場にいない。
そもそも自分はそんな人間じゃない。そんな立場にいない。
好きなことはあるけど、それはコンテンツの消費側であって
自分がやりたい事ではない。やれるとも思ってない。
というか仕事や学業がそもそもしんどい。
日々精一杯やってる。自分が悪いのか?
どうしたらいいのか?これ以上何を頑張ればいいのか?
何をやれば、この嫌いな自分から変われるのか?
わからない。そこまで頭も良くない。どうしたらいいのか?これ以上何を頑張ればいいのか?
何をやれば、この嫌いな自分から変われるのか?
不安に駆られる。
「この精神状態って…一生抜け出せないのだろうか…?」
怖い。やめよう。
こんな事考えるのは、先延ばしにしよう。
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「運」が良い人間は、その事に気付かない
少し自分の話をさせてもらいます。
僕はとても自己肯定感が高い人間です。
幸い大きな病気もないし、楽しい経験も色々としてきてるし、
好きな仕事で稼げてるし、やりがいもあります。
不安もないし、趣味も充実してます。
でも、思い返せば僕は幼少期から親に
僕はとても自己肯定感が高い人間です。
幸い大きな病気もないし、楽しい経験も色々としてきてるし、
好きな仕事で稼げてるし、やりがいもあります。
不安もないし、趣味も充実してます。
でも、思い返せば僕は幼少期から親に
「やりたい事をやって生きろ」というスタンスと
それが可能な「経済状況」を与えられていました。
「家庭の心配」とかもしなくてよかったし
「末っ子」という気楽な立場も相まっての結果だと思います。
「家庭の心配」とかもしなくてよかったし
「末っ子」という気楽な立場も相まっての結果だと思います。
でも18歳くらいまでは、周りの友達も
みんなこんな感じなんだと思ってました。
みんなこんな感じなんだと思ってました。
自分の事が好きで、やりたい事や夢があって。
それに向かって頑張れる活力や気持ちがあって
未来に希望があって、早く大人になりたくて…
でもそれは違いました。
自己肯定感の高い人はきっと
それに向かって頑張れる活力や気持ちがあって
未来に希望があって、早く大人になりたくて…
でもそれは違いました。
自己肯定感の高い人はきっと
単に"環境に恵まれただけ"なんだなぁ、と。
身長が高い、とかと同じで。
ラッキーなんだなぁ、と。
ラッキーなんだなぁ、と。
女性の生理の辛さを男性が考えない様に。
左利きの苦労を右利きが想像しない様に。
人が持つ苦悩というのは
持たない側には中々に伝わっていないものです。
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「夢」=自分を信じられる事
僕は"自己肯定感"と"夢"には
とても因果関係があるように感じています。
夢を叶えに進んでいける人間は
自分を無条件に信じられる人で、
それができないXの人は、夢へと進んでいけない。
夢を仮に持てても早々に諦めてしまう。
「やっぱり自分なんかじゃ…」という風に。
それゆえ、夢を追う人に憧れる傾向があると思います。
でももしかするとそれはそれができないXの人は、夢へと進んでいけない。
夢を仮に持てても早々に諦めてしまう。
「やっぱり自分なんかじゃ…」という風に。
それゆえ、夢を追う人に憧れる傾向があると思います。
「夢がある事に憧れている」というより
「夢を追える環境に、そんな精神状態に、自分がなりたかったから」
なのかもしれません。
なのかもしれません。
景気が悪いから、なのか。
環境が悪かったからなのか。
正直、僕は学者さんではないので
そこら辺の事はわからないですが、
1つ確かに思うことがあります。
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僕らの両手の「キャパシティ」
「夢がない人にできて、夢がある人にはできない事」
があるの、知ってますか?
それは
「人の夢を一緒に持ち上げて、より大きな夢を持たせてあげられる事」です。
夢を追う人は、「自分の夢」が第1優先になっていて
両手(キャパシティ)がほぼ埋まっています。
誰かを応援する事もできますが、それは片手間程度であり
夢がない人の両手に比べると、遥かに敵いません。
一方、夢がない人は両手が空いています。
好きな人の夢を、一緒に支える事ができます。
この世の大半の事は
1人ではやれないようになっています。
「夢を持つ人」というのは1人で頑張ってしまいがちで、
人の夢を支える余裕も時間も持ちません。
でもあなたは、好きな人の事を支えられる
「特性のようなもの」を持った人間です。
夢を追い続けて疲れる「Y」には
それを時折、羨ましいなと思う時もあったり。
結局は、ないものねだりなのかもしれません。
ーーーーーーーーーーあとがきーーーーーーーーーーーーーーー
もしこの世の人間全員がYだったら。
自己肯定感が高かったら。
多分、遠くの未来で破滅すると思います。
気質が偏って、職業、食べ物、思想、テクノロジー…
色んな所に偏りが出て終わると思います。
この世は、相反する人間が存在するから
上手い事回ってるわけです。
もしかすると神様が役割みたいなものを分配していて
それぞれの性格、気質をバランスよく割り振ってるのかもしれません。
あなたの好きなあの人が頑張れるのは
あなたが応援しているからでもあるのです。
ぼくがいるのは
あなたのおかげ
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コメント
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ブログを読んでから、ふと自分は運がよかったのかもしれないなと思いました。
見苦しいかもですが、自己肯定感が低い私の気持ち?を少しだけ。もし差し支えるようでしたら、コメントを削除もしくは私が撤回します。
私は自己肯定感が低い一方で自己顕示欲の化け物です。
私はとあるクリエイターさんを応援するときに2つのプラットフォームで名前の違うアカウントを用いて応援しています。
このときもしかしたら、同一人物だと気づいていつもありがとう〜なんて言ってくれるかな〜なんて思ってしまいます。ありえないのに。
倭寇さんのように応援する人がいるから、活躍できる人がいる。それについて形にしていただけるとすっと気持ちが軽くなる気もしますが、やっぱり自分以外に向かって言ってるんだろうなぁとすごく卑屈になってしまうのがどうしてもやめられません。
倭寇さんの動画が生きがいです!
これからも応援しています!