まんじゅうと小町
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まんじゅうと小町

2014-03-21 20:53

    映姫は一目見た途端卒倒しそうになって、木の幹にふらふらと手を付いた。霧が立ち込める此岸(しがん)の一面を、綿菓子みたいな魂がびっしりと埋め尽くしていた。
    岸辺の向こうには死者の魂が一際集まっていた。その真ん中には、薄っぺらな青い装束を纏う長身の少女が、刃先のひん曲がった大鎌を片手に大の字で寝そべっている。映姫は水のような足取りでその者に近づき、真上から顔を覗き込んだ。垂れ耳みたいに結んだ赤髪が、重力に抗う素振りも見せず地面にしんなりと横たわっている。緩んだ口元からは透明な唾液が零れ、頬を伝う。
    「小町」
    映姫は右手の悔悟棒で、唾液がついていない方の頬をつついた。石のように眠りこける小町は何の反応もしない。映姫は、溜まりに溜まった死者たちの恨み辛みを、棒の先端に込めた。
    「いったあ!」
    悔悟棒の尖ったところで額を思いきり突かれた小町は、電流を浴びたように飛び上がった。
    「小町」
    「はい、あの、そうですね。ああ、辺りは賑やかで結構」
    「小町」
    「嫌だなあ映姫様。そんな、暑さ寒さを通り越した目で見つめなくってもいいのに。はいはい判っています。ご案内すればいいんでしょう? みなさまー! ここがかの有名な三途の川ですよー! では今から出航しまーす! 押さず走らず慌てずに、ゆっくりとこちらへどうぞー」
    小町は駆け足で木船に乗り込むと、きびきびと魂を誘導し始めた。映姫は無機質な波長でその様子を少しばかり眺めてから、岸辺を後にした。


    此岸の魂は減る気配を見せなかった。翌日、昼下がりを狙って映姫が三途の川へ赴くと、昨日と同じ場所で、あっちの世界に旅立っている小町がいた。普段ならば説教をしてやりたいところ。だが、三途の川が魂で溢れ返るこの状況はあまりに急を要する。映姫は少しばかり思案を巡らし、「不本意ながら」と呟きつつ小町に近寄った。
    「小町。いいものがあります」
    能天気な寝顔に向かって囁くと、小町は滑らかに瞼を開いた。
    「これは差し入れです。午後はがんばりましょう」
    映姫はふわふわの白いまんじゅうを掌に乗せ、寝ぼけ眼で胡坐をかく小町に差し出した。小町はぼんやりと映姫の掌を見つめ、少しして、目を真ん丸に見開いた。
    「えええ、いいんですか?」
    小町はまんじゅうと映姫を交互に見た。映姫は「これ以上面倒を掛けないで」と洩らしつつ、口元へ押し込むようにまんじゅうを渡した。小町は唇でパクリとまんじゅうを受け取り、もちもちと口を動かし始めた。映姫は悔悟棒を両手に握り、立ったまま小町の様子をじっと眺める。
    ペロリと平らげた小町は甘そうな表情を顔いっぱいに広げ、元気よく立ち上がると魂の群れへ飛び込んでいった。

    その日、映姫は夜遅くまで死者の裁決に追われた。


    次の日、映姫はまたしても昼下がりに三途の川を訪れた。岸辺の混雑は、草地がはっきりと見通せるぐらいに緩和している。川の流れに目を向けると、この時間帯に珍しく小町が船渡しを続けていた。映姫は、小町が此岸に戻るのを見計らって呼び掛けた。
    「小町。心を入れ替えたようで何よりです」
    「いやあ当然です」
    「では貴方にこれを」
    映姫が手を差し出すと、小町は俄かに目を輝かせた。
    「あれ? 今日は二つもくれるんですか」
    「そうです。小町、この意味が判りますね」
    映姫は貫くような視線で小町の瞳を見つめた。小町は首を何度も縦に振り、「ありがとうございます」と跪(ひざまず)いてまんじゅうを戴(いただ)いた。
    甘味をひとしきり堪能して威勢よく仕事を始めた小町を尻目に、映姫は土手にいる魂を見渡した。
    「昨日と比べて……、そうですね、三割か四割ほど減っているのでしょうか。まんじゅう一つで三割、なら今日で終わりそうです」
    映姫はゆったりとした足取りで川を離れていった。


    明くる日、三途の川には未だ船を待つ魂がそこここに目立つ。
    「どういうことでしょうか」
    「いや、その、え? 仕事はちゃんとしましたよ?」
    詰め寄られた小町は豆鉄砲を喰らった表情で答えた。小町の肌はいつにも増して張りと艶(つや)に満ちている。
    「昨日、私はおまんじゅうを二つ差し上げました。その時も問いましたが、私の意図が判りますか?」
    小町は目線を右下に逸らし、眉間にしわを寄せた。映姫は色の無い眼差しで小町の返答を待つ。
    「あ」
    不意に、小町は面を上げて映姫を見返した。
    「今日は三つくれるんですね」
    映姫は小町の額を突き倒した。

      おわり


    『女将とメンドリ』より


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