• 【リーディングノート】脚本/演出:AIR『牧場世代Ⅱ 獲物が捕れなくてデモをするライオン』オリジナルシナリオ全文・歌詞完全掲載/あとがき

    2019-04-19 20:00
    AIR です。

    『牧場世代Ⅱ 獲物が捕れなくてデモをするライオン』は物語と音楽を一つに融合した朗読劇「リーディングノート」形式の最新作となるオリジナル文芸作品です。
     チャプター1.牧場世代Ⅱ 獲物が捕れなくてデモをするライオン
     チャプター2.恋のフラグメンテーション
    キャストは前作から続投となる「VOICEROID」と同じ「AITalk」の音声合成技術で作られた「音街ウナTalk Ex(声優:田中あいみ)」さんです。主題歌を歌ってくれたのは「VOCALOID4 初音ミク V4X」さんです。本作は電子の人工声帯を使うことで、企画から制作までを個人で担えてしまえる時代ならではのコンテンツです。

     オリジナルの音源⇒ https://www.nicovideo.jp/watch/sm34992023
     シングルカット版⇒ https://www.nicovideo.jp/watch/sm34992061

    「創作とは何か?」の問いかけに対して作家が具体的に回答することが許される場合、フォーマットの開発からはじまります。「reading Note(ノートを読む)」は私の造語ですが、「書いた小説を朗読して歌を付けた音声作品」の見方をするなら「ラジオドラマ」形式の近似値にも見えます。しかし「うたとおはなし」を「語り聞かせるもの」として捉え直せば「書かれた読み物」は「聴く小説」に変わります。持ちうる技術と設備を惜しみなく投入して丁寧に作り上げました。お休み前の暗く静かな部屋でお楽しみいただけましたら幸いです。読んでくださってありがとうございます。


    【 目次 】
     1.はじめに
     2.あとがき
     3.主要参考文献
     4.リーディング用脚本全文/歌詞
     5.制作資料
      1.企画・テーマ
      2.制作スケジュール
      3.プロット
      4.全体の流れ
      5.あらすじ
      6.おもしろいポイント
      7.物語の構造/ギミック
      8.読解の補足・解説


    【 あとがき 】
     今上天皇の生前退位の日程を発表するニュースを聞きながら、部屋の本棚に見つけたエリアーデの『死と再生』を久しぶりに読み返しました。割礼などの儀式ついて書かれた本です。大人になるにはどうしたらいいのか、何をなさねばならないのか、今だからこそ扱うべき題材との直感が働いて、一編の物語に紡いだのが本作です。前作『牧場世代Ⅰ 草原の牛たちは家畜であることを知らない』を公開した私はしばらく日本の実体を調べる作業をしていました。その調査を通じて「我々が知る生活共同体の風景は、富国強兵のために明治政府が近代化して以来、引き続き政府が捏造し続けている幻想だった」という事実を知りました。
     為政者は「日本の伝統」という耳当たりの良い言葉を好んで使います。しかしこのワードは発話される度に「海外に知られると具合が悪い文化を最初からなかったことにする」という恐るべき効力を発揮します。二〇二〇年の東京オリンピックに向けて風俗街とホームレスが視界から隠滅されたのもそうですし、身近なところからは結婚に至る手続きを例に挙げられます。現代人には信じがたい蛮行に映るかも知れませんが、ほんの数世代前まで「会ったこともなければ好きも嫌いもない人と一生を添い遂げる人生が一般的」でした。そのため現代に日本の伝統を復興しようとする団体が現れたのなら、その考え方や活動は「カルト」に査定できます。
     本作の舞台となる「南田子供牧場」のモデルは参考文献に見つけた「幸福会ヤマギシ会」です。制作の準備段階でカルト教団の設定を煮詰めるなかで「ノートに書き付けた南田のビジョンに私自身で洗脳されつつある」という不思議な経験をしました。「一概に悪とは言い切れない⇒この理念には正義がある⇒間違っているのは社会のほうだ!」とまでは思いませんでしたが、過激派の新興宗教に交わった際にそれをカルトと見做せるか否かは人生経験に依ります。そう考えるとカルトの村で育った本作の主人公は「青春ラブストーリー」の主役を務めるには人格が幼すぎた感じがします。しかし同じ立場に立たされた場合、あなたはどのように振る舞って困難を切り抜けるでしょうか。それは読者のみぞ知る世界です。



    【 主要参考文献 】(読書順)
    ミルチャ・エリアーデ 『生と再生 イニシエーションの宗教的意義』東京大学出版会 一九七一年
    ファン・ヘネップ 『通過儀礼』 岩波書店 二〇一二年
    メアリー・ダグラス/バロン・イシャウッド 『儀礼としての消費 財と消費の経済人類学』 講談社 二〇一二年
    宮田登  『はじめての民俗学』 筑摩書房 二〇一二年
    宮田登  『民俗学への招待』 筑摩書房 二〇一四年
    赤松啓介 『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』 筑摩書房 二〇〇四年
    米本和広 『カルトの子 心を盗まれた家族』 文芸春秋 二〇〇〇年
    米本和広 『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇 新装版』 情報センター出版局 二〇〇七年
    米本和広 『我らの不快な隣人 統一教会から「救出」されたある女性信者の悲劇』 情報センター出版局 二〇〇八年
    辻秀雄  『半世紀を超えてなお息吹くヤマギシの村』 牧野出版 二〇一七年
    石下貴大 『図解でわかるNPO法人・一般社団法人 いちばん最初に読む本』 アニモ出版 二〇一二年
    中野信子 『サイコパス』 文藝春秋 二〇一六年
    架神恭介/辰巳一世 『完全教祖マニュアル』 筑摩書房 二〇〇九年
    河合雅司 『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』 講談社 二〇一七年
    河合雅司 『未来の年表2 人口減少日本であなたに起きること』 講談社 二〇一八年



    【 リーディング用脚本全文/歌詞完全掲載 】

    チャプター1.牧場世代Ⅱ 獲物が捕れなくてデモをするライオン

           1

     夏に越してきた築三十年強の木造アパートは日当たりの悪い路地裏にある。もうすぐ日が落ちる時間なのに、親から預かった鍵をランドセルから取り出す掌は汗ばんでいる。錆びた鉄板の階段を上がると薄いドア越しに妹が部屋中を走り回る音が聞こえる。嫌な予感がした。急いでドアを開ける。蜂だ。すごく大きい。灯里は怯えて泣きながら追い払おうと両手を振り回している。台所の洗剤の隣で黄色く目立つ缶を取る。吹き出した緊張の汗で衣服が肌に張り付いた。妹を守る。敵も倒す。兄としての使命感に突き動かされる。五センチを超える蜂は体をくねらせながら羽音を高めて攻撃の姿勢に移行した。六畳ワンルームでは、窓際の灯里に逃げ場はない。幸い僕は十二メートル離れた位置からでもスズメバチを倒せる必殺の武器を持っている。何日か前、窓を開けたときに飛び込んできた蜂に苦戦した父さんが買ってきたものだ。殺虫スプレーの引き金に指をかける。これは銃だ――。今朝、気分が悪いと訴えて幼稚園を休んだ灯里は一人で留守番をした。日中の室温は三十度を超える。窓全開でも風通しが悪く、網戸も開けるから虫が入って騒ぎになる。夜になれば共働きの両親が仕事から帰ってくる。家族四人が夕食のテーブルにそろったら、僕は今日あった出来事を報告できる。鮮烈な黒の縞模様が目立つ蜂の羽音が聴覚を支配する。耳の奥底で振動する低音に距離感が狂い、目の前の敵の姿を見失う。戦闘の極度の緊張に耐えきれなくなった僕が目を覚ます。

     村に入る前、家族はいっしょだった。僕が小学四年生になるまで一般の生活を送っていたことを夢の断片のなかに思い出した。部屋に人の気配はない。爺ちゃんはまたテレビを点けっぱなしで外出していて、司会の男に大げさに反応する雛壇芸人たちの声で仮眠から覚めた。壁掛けカレンダーの今日の印によれば爺ちゃんはデイサービスの送迎の仕事に出ている。テーブルに空の容器を見つけた。店長の勧めで売れ残りの唐揚げ弁当を買ったまでは覚えているが、食事を済ませたことを覚えていない。交代制の夜のシフトから戻った僕は倒れ込むように寝てしまっていた。四月の初めに十七歳になったばかりなのに、どうしていつも眠たくて疲れが取れないのだろう。不完全な巣。テレビ画面の印象的なテロップが注意を引いた。スズメバチの食事中の映像は肉食である性質を強調して恐怖感を抱かせる。ナレーションが解説を加える。越冬した女王蜂は春になると活動を開始します、巣が完成する前に駆除しなければ手遅れになります、映像が替わった。民家の軒先にかけた網の幕をめくった白い防護服の男が戦果の蜂の巣を両手で掲げると、ドラマで見覚えのある女優が顔をしかめた。
     リモコンを窓辺で見つける。爺ちゃんは思いも寄らないところに物を置き忘れる。チャンネルを変えるとコマーシャルが明けて政治討論番組が再開した。「北朝鮮の核ミサイル、その同時発射を警戒するJアラートが誤報と発表された日の朝鮮中央放送、あの報道でキム委員長が、日本は威圧だけで侵略できると知らしめたかったと、『勝利の大運動会』を演習した目的を明かした。ネットの掲示板には有力な筋からリークされたとするミサイルの攻撃目標が書き込まれていた。市ヶ谷、霞ヶ関、永田町、桜田門、赤坂、麻布、神谷町。そして民間人が密集する地域も無作為に選ばれる。核アレルギーの日本人を懲らしめるには核兵器が効果的という論法だ。そこで、憲法九条を奉る日本国が迂回する形で核保有できている言い訳を知りたい。自衛隊を英訳すると、Japan Self-Defense Forces、軍隊を意味するフォースの名を冠しながら戦争する気はないという。明らかに詭弁だ。だから韓国に舐められる。たとえばフィリピンの大統領は、腐敗した官僚や警察は皆殺しにすると発言した。ロシアの大統領は世界が滅亡しようと核兵器による報復に迷いはないと話して、核抑止論のインチキを暴いた。二人とも国家代表にふさわしいモチベーションの高さだ。これを踏まえて、日本の国防はどう?」と目線を受けた与党政治家は「レーダー照射問題は乗組員個人の反日感情だったくらい察してあげましょうよ、日本は友好国、フレンドですよ」と赤いネクタイを緩める。「現職がこのレベルだから徴用工問題が片付かない、事件を有耶無耶にしようとする、なぜ竹島は日本の領土であると強固に示さないのか。僕は本当のことを知りたくて、国民の総意を調べた。驚くほど素直な結果だった。自衛隊の駆逐艦、護衛艦、イージス艦か、あれで包囲網を築く、竹島を日本の軍艦で取り囲む。するとどうなる? そこを自国の領土と主張する韓国の大統領は、国民が求める説明責任に対して何を答えるか。それを僕は聞いてみたい」と指差された男の胸元に「元防衛相大臣」の字幕が乗る。

     寝起きの頭が冴えてきたので見入っていたテレビを消して、リモコンをテーブルに置いた。部屋から音が消えて、代わりに訪れた静寂に心がざわついた。しまった、と思うが遅かった。嫌な汗が滲む。僕がこんなだから爺ちゃんはいつもテレビを点けっぱなしのまま出かけてくれるのに、静けさは一人きりを実感させて、記憶の底から忌まわしい日々を呼び覚ました。十歳から六年間住んでいた南田子供牧場の実顕地は村と呼ばれる。村に入った日に僕は家族と引き離された。宿舎での集団生活だった。子供は子供だけで暮らす規則があるからだ。子供の養育は親代わりを務める世話係が行い、村の子としてふさわしい人間になるように体罰をもって教育される。平成の話とは思えない生活環境だった。聞き分けが悪い子は「研鑽の間」と呼ばれる圧迫感が強い二畳の小部屋に閉じ込められる。反省文が合格になるまでは学校にすら通わせてもらえない。食事抜きの罰で体調を崩す子もいるが泣いたところで無視される。相手は大人だから力では敵わない。村に入った子供は反抗的な言動や行動が自分のためにならないことを早い段階で学習する。それでも物心がついてから一般から村に入った僕のような子供は環境に適応できなくて、世話係と頻繁に衝突を繰り返した。灯里は幼稚園児だったから馴染めたようだが、他人の顔色を伺ってばかりいる自己評価の低い性格に育ってしまった。僕は一般に戻って二年目になるが、理不尽な暴力で刻まれた傷痕を心が忘れてくれない。小学生や中学生の胸ぐらを掴んで壁に叩き付ける世話係の男は、僕たちに植え付けた消えない何かをスティグマと称した。虫の居所が悪い世話係に平手打ちされて「不服か?」と問われて、「適材適所でハイ!」と大きな声で返事ができなかった子供は気を失うまで殴られた。しつけと虐待は紙一重だと思う。
     南田子供牧場の表向きは農業主体のコミューンとして運営される大規模なNPOであり、組織の基盤は三十年以上前に構築される。大人たちは「研鑚」という名の修行を好んで行い、「研鑚がなければ南田は単なる農業団体になってしまう」と笑い話にしていた。発足当時は育児を支援する人々の集会だったが、生活共同体を形成する過程で法人化した機会に、拡張戦略を推進するひとつのコピーが作られた。『男らしく。女らしく。大人らしく。子供らしく。それが、人間らしく。』は創設者の南田叶恵の悲願と言われる。性質に合わない生き方を続けると人生につまずく、という意味らしい。村人たちは宣伝ポスターに書かれた『ずっと仲良く笑顔で暮らせる楽しい村』を心の底から信じていて、南田が提唱した『お金のいらない社会』を顕す「実顕地」を日本全国と世界数カ国に築き上げた。その中心にある理念が「適材適所」だった。その考え方はあらゆる場面に通じる。できる人ができることをすれば良い。これは人に優しい言葉に感じられるが、翻って怠け者を許さない姿勢の表れだった。同様に「それぞれ得意分野で活躍しましょう」の掛け声も綺麗事に過ぎなかった。適材適所の言葉は大人と子供の区別を消し取り、子供にも労働を割り当てた。一日は早朝五時から始まる。男子は村の力仕事を手伝い、女子は村の家事を手伝う。南田は農家だから食を大事に考えていて、村ごとの管理栄養部が食事調整を行い、新鮮な食材で地元のメニューを再現する。それを指して村に立ち寄る一般の人は「南田の食堂は世界文化遺産だ」と絶賛したが、食事は昼と夜の二回が規則だから、お腹を空かせた育ち盛りの子供がたびたび倒れて保健室に運ばれた。断食の日には村の子同士が集まって、お昼ご飯を食べないという決まり事を守ることで仲間意識を高めていた。

     玄関のチャイムが鳴って、記憶を手繰っていた僕は現実に引き戻される。続いて聞こえるはずのノックする音がないことを不審に思い玄関に向かう。爺ちゃんはチャイムを鳴らしてドアを叩いてから鍵を開ける。この手順は婆ちゃんが生きていたころからの習慣だった。再びチャイムが鳴る。ドアを開けると知らない女子と目が合った。「お兄さんですよね?」と話す女子は僕を知っているようだが、女子に訪問された経験がないから言葉に詰まった。「灯里ちゃんの、お兄さんですよね?」と言い直した表情は僕の呑み込みの悪さを明らかに咎めている。その女子の制服が妹の通う中学と同じデザインであることに気が付いて「お友達?」と聞き返す。「一年からずっとクラスメイトですけど、お母さんから村の子と遊んではいけませんって言われてて、灯里ちゃん、先週の火曜日から学校をお休みしてるんです。その前の日ですけど、ここの地図とお手紙を預かりました。村の子は村の子で密告とか報復とかあるんですか? 捨てることもできなくって、はい、ちゃんとお渡ししましたから、私もう帰ります」と僕の手を取り便箋を押し付けた。立ち去る背中を呼び止めようとしたが、お礼の声を聞こえていない振りをして行ってしまった。学校はイジメを目撃しても窓口を務める世話係と話すのが面倒という理由で関与を避ける。地図ごと渡してきたのは二度と来たくないというより、関わりたくないという意思なのだろう。

     手紙は僕に助けて欲しいという依頼だった。村の子は建前上、中学三年生の成年式に義務教育修了後の進路を自分で決められることになっている。村人は実顕地の敷地内に学校を建設したがっていたが認可が下りなかったため、小学生は初等部に属しながら一般の小学校に通い、中学生は中等部に属しながら中学校に通った。南田は規則で進学を認めていないため、村の子の多くが進路調整の面談で村に残ると答えて南田の高等部に入り、村を脱ける唯一のチャンスをふいにしていた。男子は十五歳の誕生日を迎える十日前から学校を休んで、村人に混ざって就労体験を行う若者宿の制度を修了することで大人の男扱いになる。女子が十五歳の誕生日を成年式としてお祝いしてもらうには、若者宿の女子版に当たる娘宿の夜に「水揚げ」を消化しなくてはならなかった。僕は村の年中行事を自分の体験以上には知らなかったが、手紙に添付された機関誌の写しにある儀式の手順を読んだことで南田に対する評価を更新した。それは今日が灯里の十五歳の誕生日だったからだ。
     本部の出版部が発行する『月刊ミナミダイズム』は日本全国の村の出来事をまとめた新聞であると同時に、南田叶恵が定めた律法と孫娘の南田希々叶の言葉を掲載して村人が励む研鑚の道標になっていた。本来は大人しか読めない機関誌を写し取るのは不可能だが、妹が危険を冒してまでやってみせたのは心の底から成年式を忌避しているからだ。『近代は性を悪戯に猥褻なものに印象付けましたが、水揚げと夜這いの慣習が人口を維持する機能を果たしていた歴史を封殺してはなりません。性教育に実践がなければ共同体は自然死します。現代人の苦しみの原因は、性交と結婚と育児をセットで捉えてしまう考え方にあります。しかし南田は本来バラバラだったそれらを再び解体してみせました。実顕地の女子は毛が生え揃った十五歳の誕生日に大人になります。イニシエーションで処女の状態を脱けることが、高等部卒業の日の調整結婚で宛がわれる配偶者への抵抗感を払拭します。』とある。手紙の裏にかつて住んだ村の地図が簡易に描かれていて、管理区域内に「禊の宿舎」の場所が記されていた。

     それでも僕は村に戻りたくない。南田から脱出した者なら誰だって同じ感情に囚われる。一般で暮らすようになり客観的な評価を知ったのもある。バイト先の店長は「あなたが住んでた南田ってカルトNPOでしょ? 週刊誌で見たけど、希々叶って十六歳の高校生が教祖様の、それって宗教でしょ?」と面接の席で遠慮なく聞いた。「生まれる前の記憶を鮮明に覚えてるとか神様の声が聞こえるとか、胎内記憶があるとか神のメッセンジャーとか? コンビニって客商売だからさ、布教活動は困るのよ」と不採用をチラつかせたが「村の子は真面目に働くって評判だからお試しって感じで」の流れから交代制の仕事に就けた。それでも店長の奥さんは僕のことを南田さんと呼び続けた。奥さんが作るシフト表に書かれる僕の名前は二年目に入った今でも南田さんだから、村の出身者は村から出ても一般の人と同じ待遇にはならない。南田はお金のいらない社会を目指していたので、世話係が認める範囲内で村の無人商店街から生活必需品を自由に持ち帰ることができた。村の生活が長いと金銭感覚が失われるため、勤め先でレジを任されるときの商品をお金と交換する作業が新鮮だった。今日は夕方から合コンで休む学生の穴埋めの出勤があるから、村に行く時間はない。玄関のチャイムが鳴ってノックが続いた。鍵を差し込む音が聞こえる。学校の友達に手紙を託してまで妹が助けを求めているのに、僕の心が拒絶している。この感情をどのように相談しようか。

           2

     お金を稼ぐようになって最初に手に入れたのはスマートフォンだった。カメラやゲームや音楽といった若者の娯楽を集約する携帯電話は私物を制限されている村の子の憧れだった。それは第二反抗期の言葉でまとめられる程に単純な話ではない。南田に入る前のことだ。初めてのおこづかいは五百円玉硬貨一枚だったが小学生には大金だった。一人で買い物に出かけて買ったのは、缶のコーラとたこ焼きだった。お店の人は僕が子供でも「ご注文をどうぞ。お待たせ致しました。ありがとうございました」の言葉遣いを崩すことなく一人前のお客さんとして扱ってくれた。買い物をするのに男や女や大人や子供の区別はなく、お金は同じ価値の物と交換できる。僕はそれが資本主義のルールであることを子供ながらに理解した。南田子供牧場の実顕地には服のお下がりが豊富にあり食事も出るので生活面で困ったことはない。しかし学校で一般の子が当たり前に持っている物に興味を抱いているのを世話係に知られるとひどい目に遭う。校則で校内への持ち込みを禁止しようと電話もメールもできる総合娯楽装置を中学生から取り上げるのは無理だった。そうした事情があり僕にとって携帯電話は村から出たことを実感させてくれる特別な持ち物になる。登録してある連絡先は少ないが、勤め先のコンビニで鶏舎担当の野崎さんと出会い、アドレスを交換した。
     中学生になり配属先が変わった僕に手取り足取り仕事を指導してくれた大学部所属の野崎さんは、祖父の介護のために親戚から呼ばれて村を離れたきり戻らなかった。「うちは母子家庭だったから助かっていた側面もある。南田は私財すべての寄付を村人になる条件にしているのに無一文の親子でも嫌な顔を見せなかった。村人になる人は本質的には心が優しい。その恩返しをしたくて無心に働いたが、何もかも無駄骨だった。村の仕事ができれば一般の社会でも十分やっていけるとか、大学部の卒業生がエリートって肩書きが嘘だった。みんな南田に騙されているんだ。ハローワークで自分が中卒でしかないって知って卒倒しかけた。親世代の村人は高学歴なのに二世の学歴は低い。履歴書が弱いから就ける仕事が限られる。八方塞がりで詰んだなって感じて何度も村に戻ろうと思った。だけどお金のいる一般の生活は苦しいが、見返りのある労働はやりがいがある。こうしてビールを買う自由もある。研鑚とは言い回しを変えた洗脳だよな。無知だったばかりに、ずっとただ働きさせられていた」と野崎さんは同じ苦しみを共有できる者同士にしか通じない感情を表した。最近は連絡を取り合っていないが、この話があったから僕は働く理由に夢の実現を加えられた。それは、本物の学歴を手に入れることだ。

    「何と言ったかな、大検ではなく」
     デイサービスの送迎のドライバーの仕事から帰宅した爺ちゃんは、レジ袋から取り出した缶コーヒーを飲みながらテーブルの参考書と問題集を物色する。
    「高卒認定試験。人並みに高校生活を送りたかった気持ちはあるけど」
    「何年前かテレビで高校無償化って言ってたぞ。編入試験だってある。今からでもやってみたらどうだ?」
    「けじめだよ。僕みたいな村を飛び出した子供は、一度は宙ぶらりんになって、村の子でも一般の子でもない立ち位置からやり直さなくちゃいけないんだ。それにフルタイムの高校生になると、爺ちゃん一人で生活費を稼がないといけなくなるしさ」
    「雇用延長はありがたいが正社員を外されたしなぁ。年金の受給は先だから安い時給を掛け持ちして凌ぐしかない。孫を学校に行かせてやれないオレは情けない年寄りだよ」
     壁の時計は午後二時を指している。止まることのない秒針が僕を焦らせる。
    「今から出ても、間に合わないかも知れない」
    「唐突だな」
     順を追って話しなさい、と言われて今日が灯里の誕生日で夜に水揚げが実施されることを伝えた。それから妹からの手紙を渡した。爺ちゃんは遅い昼食のハムサンドを囓りながら機関誌の写しの文章を繰り返し目でなぞる。顎髭を擦り、慎重に対応を考えている。
    「失業して収入がなくなり生活が立ちゆかなくなった親は子供に八つ当たりする。家族まるごと面倒をみる実顕地は人生につまずいた親子のシェルターになった。虐待や事故を防ぐために育児で苦しむ人の救済を謳い子供の健全育成を図る南田の看板に偽りはない。希々叶って孫が神様を名乗っているが、主たる目的でないから宗教的及び政治的中立性は保たれている。株式会社ではなく特定非営利活動法人、いわゆるNPOスタイルの経営も合法だ。しかし世間は馬鹿ではない。本当に健全なら南田を指してカルトと呼ばない。駅前の本屋、自己啓発の棚の偽装NPO問題を扱った本に日本人がNPOに甘い理由が書かれていた。儲かるなら起業する、儲かりそうにないからNPO法人で会社ごっこを行う、とな。たとえば死んだ婆さんが夢中だった環境ビジネスを覚えているか。将来地球に住めなくなると脅してエコの御旗の下に高額商品を売りつける。どうみたって胡散臭い悪徳業者だが、新興宗教にしろNPOにしろ国がお墨付きを与えているから表立って批判しづらい。悪知恵を働かせた連中は免税特権や補助金を受ける窓口としてNPOを作るが、その日本語訳が曲者だ。善意で活動するボランティアかのような錯誤を招く『非営利』の呼称が隠れ蓑になっている。余剰金の仲間内での山分けこそ禁じられているが、創設者一族なら内部留保の管理の口実でボロ儲けできる。財布は一つ、まさしく南田の手口だ。インターネットで小学生になりすまして政権批判を行い世間を騒がせたのは、野党との繋がりが深い学生が代表理事のNPOだった。改元に伴う恩赦の回避目的か、前世紀末に地下鉄で毒ガスのサリンを使い殺戮事件を起こした教団の教祖と幹部が一斉に死刑に処されたニュースは去年の夏で記憶に新しい。このように現代版の反社会的勢力と呼べるカルト団体は生活空間に近接している。おまえの両親は子供を巻き添えにして南田に参加した。婆さん譲りなんだろうな、オレの娘は心が弱かった。だから悪質な新興宗教に取り込まれた。謝罪したって許されはしないが、二人の孫をカルトの子にしてしまったことを本当にすまないと思う」

     午後五時三十九分に到着したバス停に人の姿はない。二年ぶりの実顕地だ。電車を二回乗り継いで二時間弱だった。娘の入信を止められなかった自分を心の底から憎んでいる爺ちゃんは、自分の人生だけを生きても責める者はいない、と諭してくれたが僕は禊の宿舎に急いだ。管理区域だからか行き交う村人は少ない。電柱に監視カメラもなく、拍子抜けするほど簡単に目的の平屋に着いた。鍵はかかっていない。既視感のある六畳ワンルームの薄闇で正座する人影に灯里を発見した。
    「行儀良くしてたらすぐ終わるって、昨晩、世話係さんにお母さんが言ったの。灯里だけは期待を裏切らないでって。先月の親元訓練で泊まった日に、厭だって伝えたのに、お父さんも灯里が大人になる日が楽しみだって、わたしの気持ちを守ってくれなかった。だけど慣習に反抗して村を出たお兄ちゃんならわかってくれるかなって、迎えに来てってお手紙を書いたけど、お兄ちゃんも大人の人だから、迷惑だったよね。わたしなんかが呼び出したりして、わがままばかりの悪い子で、ごめんなさい」
    「言いたいことはたくさんだろうけど、泣かないでゆっくり話せばいいよ」
     両親は僕のことを親不孝者の鬼子と呼んでいるそうだ。今は正座を崩しても怒られないと言っても、見張りの目がないのに灯里は姿勢を乱さない。それは長年の世話係の暴力を伴うしつけの賜物だが、村から出なければ物事を相対化して見られない。価値観が膠着している。同じ親から生まれた世界で最も近しい存在の妹が、南田の色に染まって知らない人みたいに感じられる。僕はその距離感が寂しかった。
    「村の子は親代わりの人は与えられるのにお母さんが傍にいない。学校の先生は南田から出られないわたしたちに世界の広さを教えてくれるのに、成年式の日に村人になる進路を選ぶと実顕地の農民として生きて常民になる。初潮が来て、脚の間に穴なんかできたから、こんな目に遭わなくちゃいけなくなった。だから同じ苦しみを自分の子に感じてほしくなくて子供を作らない、水揚げしないって言ったら、親の気持ちも考えろってお父さんに殴られた。素直に気持ちを言えた子は受け入れられる、まるで少女漫画みたいだけど、本当の両親に迎えられた迷子の子がうらやましいなって」
    「合宿に参加した一般の子?」
    「三年生だから九歳くらい。四日いなかったかな、強い子にしたいって南田の教育に幻想を抱いた親に連れられて。でもママがいないって世話係さんに訴えたから研鑚の間に放り込まれて登校を禁止されて。学校からの連絡で様子を見に来たお母さんが、やつれた娘を抱きしめて、捨てたわけじゃないの、ごめんね、ごめんね、って泣いて謝ってた。会いたかった、ママ会いたかったって、怯えて家に帰ったけど、あの子は迷子だったんだと思う」
     携帯電話が天候の変化を知らせるメールを受信する。村は引き出しひとつ分だけなら私物を持つことを認めているが、禊の宿舎に十日ほど住んでいるのに灯里は本の一冊も持ち込んでいない。
    「食事や着替えは運んでもらってるの?」
    「ハレの日に向けてケガレを祓いなさいって、労働も免除されたよ」
     村の子にも手紙をやりとりする自由はある。ただし世話係の検閲があり、村の考えにそぐわない文章は黒く塗りつぶされる。僕宛の手紙は機関誌の写しだから破棄どころでは収まらない。学校のクラスメイトを迂回して届けたのは検閲を避けるためだ。親しい一般の友達は目立つから避けて、頼み事を断れない子を通して回り道をした手紙は今日の昼まで保留にされた。当日に間に合いはしたが、僕は灯里を連れて、すぐに村を発つべきだった。ドアが開いて電気が点く。夕食時に村人が訪れるはずがないから、二人は世話係で間違いない。
    「不審者を見かけたというから駆けつけてみれば子供一人か」
     村人の密告だ。事情を知って来たのなら男女の二人組は娘宿の担当で、今夜の成年式で行われる儀式を知っている。世話係も人の親なら我が子の世話を別の世話係に託している。育児に疲れて村人になった大人たちは適材適所に慣れることで親としての自覚が希薄になるから、子供への体罰をむごいとは感じなくなる。
    「こんな慣習を続けているから、南田は洗脳の楽園って罵られる」
    「心中を考える家族が村に入っておおよそ幸せに暮らせている。一〇〇パーセントではないとしても、概ね満足している」
    「叶恵会長は育児で苦しむ親子を支援するNPOの設立後、集会機能となる自給自足の農業に取り組みました。まとまった土地を寄付してくださる方が現れてね、子供牧場の誕生です。農林水産省が定める有機農業の基準に従い農作物を生産する南田は、食の安全の面から多くの賛同者を集めました。富裕層ほど食べ物に関するお金を惜しみません。日本と世界の実顕地の大部分は寄付された土地です。東京大学法学部の大久保教授のベストセラー『平成の農地改革』が契機になりました。経済産業省が推し進めるクラスター計画の一環として補助金が投じられたバイオガス発電プラントも軌道に乗ったところです。有り余る家畜の糞尿を使う発電事業は今後の大きな収入源になるばかりではなく、地域産業の活性化の中心に子供牧場を位置付けることでしょう。内閣府が認定NPOのお墨付きを与えた現在の南田は、あなたが知っている二年前とは違うのですよ」
     改心したからって、ひどい目に遭った世代はされたことを忘れない。
    「村に入る条件である全財産の寄付をことさら問題にして金に汚い宗教団体と罵る批判本でしたら私も読みました。ですが南田の本質は育児の支援団体です。あなたたちの両親のように身一つで駆け込む人が大半ですし生活保護に捕捉されない人々の難民キャンプも兼ねています。視察に来られた生活福祉課の方が現金を配らない支援に感心されていましたよ。モンゴルや台湾からの見学者も増えています。それでもミナミダイズムに否定的ですか?」
     村の子は、僕と灯里は、南田の理念に親を奪われた。
    「南田希々叶名誉会長、希々叶様が胎内記憶の講演会で話されていますように、子供は生まれてくる家を選んで来ているのです。あなたは『かみさまは、ママ大好き!』を読んだことがないのですか? 日本中の人々が彼女がお母様のお腹にいたときの記憶を著した本に涙を流しました。『神様の世界ではね、地球に線は引かれてないんだよ。お空から見る地球に国境線は見当たらないんだよ。この線からこっちやあっちの、公と私の区別はないんだよ。』、九歳のときのお言葉です」
     詐欺師や詐話師が不安を煽って、心が弱い大人から土地を巻き上げる。
    「一般からの誹謗中傷は村をより良くしたいという気持ちの表れ。その情熱は歓迎するぞ」
     たかが世話係がよくしゃべる。
    「そのたかが世話係であろうと村人は研鑚を怠らない。育ててもらった恩を忘れて村から離れて、今度は妹まで連れ出そうとする。被害者面もいい加減にしろ」
    「この際だから話しますけれどね、お金がいらない社会といっても親は子供を育てている宿舎に学費と養育費を支払っています。村の内部で伝票を切っているのです。どの子も親に捨てられたと不満を表しますが、親は親らしく、きちんとお金で援助しています。そんなことも知らずに文句ばかり言っているから、一般に出たのにあなたは子供のまま成長が止まっているのよ」
     村人は実顕地をユートピアと呼ぶが、世間はそのように見ていない。だから理想郷を築くためのシンボルを求めた。希々叶は村のイメージアップに便利だったから、周りの大人たちが褒めそやして担ぎ上げた。男の世話係が部屋に踏み込む。しかし僕には手を出せない。それは僕が村の子でも一般の子でもない境界線上に立つ子供だからだ。外は疾うに日が落ちている。
    「もういい。話にならない。行こう、灯里」
     待て、と声を張って立ちはだかるが、一般に戻った人に暴力で訴えられない村人のジレンマを盾に使えば二人は身動きを取れなくなる。妹の手を引く。僕たちは走る。バスに間に合えば駅に出られる。駅に出てしまえば追っ手は来ないだろう。

           3

     携帯電話から予約しておいたホテルにチェックインする。午後八時を過ぎている。コンビニで仕入れた夕食を先に済ませたかったが、妹の表情に疲れがあったので棚からふわふわのバスタオルを手渡して温かいシャワーを勧めた。その間に僕は今日あった出来事を報告しようと爺ちゃんに電話をかける。一度目は留守電で、かけ直した七コール目で繋がった声は上擦っている。
    「両親はおまえを警察に売った。先手を打たれた。県警の男たちが来て、未成年者誘拐の疑いと言っていた。本来なら味方であるはずの警察官はおまえを捕まえるために動き出した。これで助けを乞えなくなった。あいつらは村に入って親の役割を放棄したくせに、灯里ちゃんの保護監督権を行使した。そのうえでおまえの身元引受人を名乗り出た。カルトに洗脳されるとはこういうことだ。オレは村に戻るのをためらうおまえの背中を押したつもりでいたが、孫を誘拐犯にしてしまったらしい。すまん」
    「どういうこと? どうしたらいい?」
    「監護権侵害。子供と共に生活して日常の世話や教育を行う権利。親権者はあいつらだ。だから刑事事件にした。しかし南田では親族による家族の救出、連れ去りはよくあることらしい。警官の一人がお気の毒にって、後の流れが示談からの手打ちだと教えてくれた。悔しいが全面降伏だ」
    「灯里は村に連れ戻され、僕は夢の実現のために積み立ててきた貯金を村に寄付して、村人に帰依するのか」
    「それが被害届を取り下げる条件だと。大検に合格して大学で勉強して、今までの人生を取り戻すんだってアルバイトと自習に励むおまえの一年間を傍で見てきたオレは、孫の人生をないがしろにした南田を許せない。だがあいつらの通報が茶番だとしても、一一〇番通報を記録した以上、警察はおまえを捜している。見つかるのは時間の問題だ」
     通話を終えて怒りと焦りの感情に取り込まれた僕はバスタオルを羽織った灯里の、空いたよ、の声になかなか気付けなかった。シャワーブースは湯気と石鹸の匂いに満ちている。南田は地方政治家と太いパイプがあり、複数の実顕地が国家プロジェクトに参画する。中学校卒業で村を出られる自由を選ばせておきながら中卒では一般に通用しないのを思い知った頃合いに村へ出戻るように声をかける。信仰心が強い村人を獲得する仕掛けだった。今や「完全な巣」になった南田は個人が戦って勝てる相手ではない。夕方のやりとりで世話係の二人が僕の質問に答えたのは僕を納得させるためではなく時間稼ぎが目的だった。警察との連携の手際があまりに良すぎるのも脱走対策がマニュアル化されているからだ。ドライヤーで髪を乾かし、男女兼用の浴衣を着用する。清潔になれば折れそうな心に少しは元気が戻る。それはテーブルで向き合う灯里も同じだった。弁当は冷めているのに、家族いっしょの食事は親元訓練みたいで楽しいね、と遠足にでも来ているかのような明るさで励ましてくれた。僕たち兄妹は人身御供にされたのか。音が欲しくなりテレビを点ける。
    「明治以後は一世一代の年号改元ですが、改元によって世を改めるのは天皇の役割になっています」
     どの局も平成を総括する番組を放送している。生活空間に接近するカルト特集、の声にチャンネルをザッピングする手を止めた。平成といえば世紀末感を消費したカルトの時代でしたね。司会者の前振りを受けて画面の右下に「犬猫より簡単決済! 里親募集アプリ!」の宣伝動画が流される。ナレーションが「産んでくれたら五〇〇万円のラッキーチャンス! 二年連続で一千万円!」のおなじみのコピーを読むと赤ちゃんオークションの主催で有名人になったNPO法人ハッピー赤ちゃんの代表の男が画面に登場した。賛助会員の数もさることながら養子縁組ビジネスは必要悪でしたね、の司会の声を遮る「子供は供物です」発言でスタジオ内に人身売買を非難するヤジが飛び交う。「公益だから許されるんです」の主張で生放送が中断になった。台所洗剤のコマーシャルを眺めながら、活動家と南田に違いってあるのかな、と訊くと、五十歩百歩だよ、と言って灯里が手を合わせる。食事を終えた僕たちは備え付けの使い捨て歯ブラシで歯を磨く。

     多少高くてもキングサイズのベッドの部屋を選んで正解だった。神経が昂ぶり、夜の十時を回っても寝付けない灯里は伸びをしたり転がったりして遊んでいる。携帯電話をLTE接続にしてインターネットで調べ物を始める。僕は村で育ちながら村人が崇める南田希々叶を知らなかった。本人のブログのプロフィールには神様のメッセンジャーとある。オンライン百科事典をクリックすると、九歳のときに出版した前世記憶の本が35万部を記録したことや南田資本の自主制作映画『かみさまは、ママを選んだよ!』を講演会限定で上映していることがわかった。村は進学禁止の規則を撤回したらしく今はインターナショナルスクールに通っている。実顕地についても調べると「南田さんは金払いが良くて助かります」と語る不動産会社の記事が広大な農地の写真入りで表示された。『お母さんがいなくなる日!』が見出しの関連記事が「二〇二〇年には日本女性の半数が五十代以上になる」と少子化問題の深刻さを伝える。リンク先は実顕地の平均出生率が三・八六倍の横ばいにある線グラフを載せて南田子供牧場を理想のコミューンとして紹介するがそれはおかしい。携帯電話を置いて、妹が機関誌から写した南田叶恵による理念の一節を読み直す。
    『人間関係は愛の伝達に始まりました。これは動物が連帯意識を強め合うための毛繕いの行為、グルーミングの習慣にみられます。しかし集団の規模が大きくなると全員とは行えないので、人間は声を使ってグルーミングの不足を補いました。言語の始まりです。肉体的コンタクトは聴覚的コンタクトに置き換わり、性的コンタクトに帰着します。これが娘宿の制度の始まりです。』
     灯里は兄妹が悪い子だから村に入れられたと思い込んでいるが、父さんも母さんも村に入りたかったから、一般の仕事を辞めて村の規則に従い二人の子供を世話係に預けた。村の大人は自分が幸せになるためなら子供の犠牲を厭わない。子のための親ではなく、親のための子だった。
    「わたしが良い子にならないから、ダメだったのかな?」
     背中合わせに体を寄せた灯里がささやく。少し前まではしゃいでいたのに禊の宿舎の研鑚を思い出したのか、空調が効いていて寒いはずはないが小刻みに体を震わせる。
    「世話係さんが言うの。あなたのお母さんが人生につまずいたのは資格を持たないまま母親になったせいって。儀式でお腹の底にスティグマを刻めればお母さんになる資格を得られる、大丈夫って」
     性的合意年齢って知ってる? 合意のうえの青少年同士の性行為に犯罪性はないんだよ。灯里は僕に二つ目の依頼を行った。
    「娘宿の日から逃げたままでは、わたしはきっと、大人になれないと思う」
     何かが抵抗になっていた。どうしてこんなことになったのだろう。発端は今日の昼過ぎだった。仮眠中に見た夢は目覚めた瞬間に消失したが、クラスメイトという女子が寄越した手紙は妹の危機を僕に知らせた。仕事から帰宅した爺ちゃんに相談して妹を救出するため電車を乗り継いで村に入る。世話係との衝突は予定外だったが、灯里と再会し、チェックインできたことを爺ちゃんに電話で告げると、両親が息子を警察に売った、と憤慨した。通話を終える前に、オレは必ず孫を守ってみせる、と言ってはくれたが爺ちゃんに警察を止める力なんてない。僕は誘拐犯か。あの二人が親としての当たり前の義務を投げ出したから、僕と灯里はこのような形で大人になるしかなかった。感情の底に這う怒りを血の巡りに転換する。写しにあった手順をこなそう。遊んではいけない。挿して、じっとして、抜く。射精――。深呼吸をすると聴覚を支配していた鼓動が小さくなって、代わりに聞こえたテレビの音声が意味を表した。
    「残り十分を切りました。平成、最後の夜です」
     雛壇芸人たちが騒々しさを増す。水揚げを済ませて落ち着いた灯里は電池が切れた子供のように眠り就いて穏やかな寝息を聞かせる。僕はリモコンでテレビの音量を下げる。

     娘宿の通過儀礼は南田叶恵が考える男らしさと女らしさの実践だった。南田はお金のいらない村作りのなかで、共同体を自然死させない仕組みとして調整の理念に基づく調整結婚を律法に記した。どのみち子供は村全体で育てることから男女は共に経済力を考慮する必要がないため調整結婚に難色を示す女子を見かけないという。この子は誰の子といった些末な問題に囚われない社会では、生まれた子が実の子であろうと他人の子であろうと適材適所に配置される世話係が村の考えに沿った育児を行う。しかし育ちさえすれば良いという程に話は単純ではない。家族を顧みない家庭を再生産すれば不幸が連鎖する。カルト二世が末代にならなくてはいけない。僕は世話係を許さないし、他人の家族を食い物にして組織を拡大した南田一族も許せないし、肥大した承認欲求を満たすために神を騙り、自分の番になると規則を変えてまで進学した南田希々叶はもっと許せない。
     爺ちゃんはクリーンなイメージで稼ぎたい連中がNPOスタイルでの経営を選ぶと言ったが、南田の真相は人気や評判は課税対象ではないとする法律の抜け穴を利用したものだった。資産の内訳は内部留保や広大な農地や有り余る無償の労働力などのわかりやすい科目に隠蔽されているが、組織に疑いを持たない敬虔な信者こそが南田の真の財産だった。
     僕の周辺の人たちに共通するのは、被害者が加害者へ転じていることだ。たとえば両親は超就職氷河期世代とかで大学を出たのに定職に就けない被害者だったが、村に入り僕と灯里の人生を台無しにした。たとえば南田の創設者は育児に苦しむ親子を救済していたが、子供牧場を作って村人を利用した。たとえばハッピー赤ちゃんは捨て子を里親に繋ぐ団体だったが、仕入れの安定を図り出産を産業にした。たとえば妹のクラスメイトは妹から手紙を頼まれたが、僕を村に出向かせた張本人だ。僕は妹を大人にさせたが、村から攫ったことで負われる身になった。
     一般に戻り爺ちゃんの家に引き取られた夜に僕は自分の夢を自覚した。僕は再び家族四人で暮らしたいと願っていた。しかし村の子が村を出られるのは中学を卒業した春で、数年後には自分自身が結婚できる年齢を迎える。僕が子供の立ち位置でいられる家族の再生は限りなく不可能に近く、僕と灯里は子供時代をやり直せない。時間経過は残酷だ。世界で唯一元号を使う日本の改元に意味があるとすれば、新元号は日本史に刻まれる248番目のスティグマで、改元の行事は日本という国家の通過儀礼に該当する。

     テレビが現在時刻を表示した。出演者全員がカウントダウンを読み上げる。画面に映された日本中の人々が祝福ムードに浮かれて舞い上がる。五月一日、水曜日、大安、日付が変わった。アナウンサーが熱を帯びた声で告げる。もはや平成ではない、もはや平成ではありません!

     子供は百獣の王。国家が少年法という無敵のお墨付きを与える日本の子供は十五歳の誕生日を迎えるまでなら何をしたって許される。村の男子たちが不可解なのは世話係の殺害計画を立てるばかりで狩りを実行しないどころか、中学卒業後の進路調整で村に残ったことだ。僕は十七歳で対象から外れたから履歴に瑕疵を負う立場だが、罪を犯した者に課された罰なら受け入れる。緊張が解けて気分が安らかになると心がざわつき嫌な汗が滲んだ。世話係の強い言葉が蘇り頭に響いた。あなたの意見は聞いてません。規則、調整、研鑚。思いがけないことに、僕は自主洗脳を施した生粋の南田の住人だった。昨日の行いが未成年の少年犯罪なら今日は拘置所で、行く行くは保護観察処分、もしくは少年院の刑事処分か。

     お兄ちゃん、とつぶやく声を聞いた気がした。その音は小学生の僕が幼稚園に妹をお迎えに来た景色に重なる。家族写真は村に入ったその日に処分されたが不可逆性の挫折を経験した心に迷いはない。お別れの言葉は決めてある。灯里と結ぶ指にそっと応えて、そして二人のセカイに言い聞かせた。
    「僕は出頭する」



    チャプター2.恋のフラグメンテーション

    伝えられない この気持ち
    恋のフラグメンテーション
    きっと 幸せの このカケラ 大切なもの

    離れてても そばにいる この感じ
    大事にしてる 胸の宝物

    いつか終わりでも 温もりを忘れない
    何気ない 言葉の優しさと

    二人で過ごした 大切な日の
    最高の笑顔を 今日も 明日も

    伝えられない この気持ち
    恋のフラグメンテーション
    きっと 幸せの このカケラ 大切なもの

    伝えきれない この想い
    終わりの見えない 夢のようね
    今すぐ 飛び立つ 光さす方へ――



    【 制作資料 】
    制作開始前にノートに記していた覚書を寄せ集めた資料です。最終形を「小説/脚本」にしたことで本編はかえって難解になり、わかりづらくなったかも知れません。予めプロットであらすじを把握した後に本編を聴くことで、理解が容易になるかと存じます。これは作者である私自身の筆力の至らなさに全責任がある部分ですから反省しかありません。
    本来は「秘文書」カテゴリーの制作資料を公開しています。内容には不適切と思われる表現も含まれていますが、資料的価値を鑑みて「原文ママ」収録ですのでご了承ください。「創作の裏側」に興味がある方や、これから創作を始めたい方には、完成に至るまでの制作プロセスをお楽しみいただけましたら幸いです。


    < 企画・テーマ >
    ・タイトル候補「改元前夜」「僕たちは結婚できない Vol.2(仮)」。
    ・青春ラブストーリー。青春文学。妹モノ。兄と妹のシリアスな恋愛。
    ・牧場世代シリーズ最新作。続編。
     「二〇一九年四月」の「今」を描いたディストピア小説。
    ・テーマは「知らぬうちに被害者が加害者に」「平成とはなんぞや?」の二つ。
    ・切り口は「カルト二世の物語」。もしも親がカルト信者だったら?
     架空のカルト教団を設定して、二世のリアルを描く。
    ・対立軸はシンプルに「祖父と孫vs祖母と孫」。
     主人公サイドは僕と祖父、悪の組織サイドは孫娘と祖母。
    ・制作上の課題:予定調和や妥協の誘惑に屈しない物語を書き切ること!
     性的な題材を扱いはするがしきたりを描くのみ。文学作品ながらエロいのは禁止します。
     平成の当時の人々の暮らしや風俗を記録した文書としても読めるようにする。
    ・最終媒体が時間芸術の「朗読」のため、映画化に耐えうるストーリー強度を担保。


    < 制作スケジュール >
    ・2019年2月:企画・原案(原作小説執筆⇒オーディション⇒アフレコ)
    ・2019年3月:楽曲制作(作詞⇒作曲⇒編曲⇒MIX⇒マスタリング)
    ・2019年4月:映像制作(DTP/字幕/動画制作⇒エンコード⇒投稿⇒公開)


    < プロット >
    要約
    「両親が家族で入信したカルト村から脱出した僕はこの春17歳になった。ある昼、村にいる妹から救難信号の手紙が届く。僕は妹を無事救出するが、そのことで妹の誘拐犯として警察に追われる身になる。幼さと決別するため僕は出頭を決める。」

    覚書
    ・「僕」は十七歳の男子。カルトの村から出られたので進学の夢の実現に向けてバイト生活。
    ・「南田」は農業を主体とする生活共同体だが子供は親元から離れて暮らす決まりがある。
    ・子供の世話は「世話係」が行う。世話係はしつけの名目で度を過ぎた体罰を行う。
    ・会長の南田叶恵を崇め奉る村人はお金のいらない社会を実践するために「村」を築いた。
    ・生活に疲れ切っていた両親は南田の村人になることで救われたが子供は巻き添えにされた。
    ・義務教育修了の中学卒業時に自分の進路を選べる。だから僕は迷わず村を出た。
    ・爺ちゃんの家に引き取られる。老後はバイトを掛け持ちして暮らしている。
    ・妹のクラスメイトが訪れる。学校で妹から預かった僕宛の手紙を届けてくれた。
    ・村の機関誌の写しから、僕は村が成年式で女子に行う衝撃的な通過儀礼の内容を知る。
    ・手紙は妹からの「助けて欲しい」というものだが、僕は南田の村には戻りたくない。
    ・爺ちゃんが仕事から帰宅したので相談する。祖父は祖父で孫を救えず悩んでいた。
    ・爺ちゃんの言葉に背中を押されたのもあるが、妹を見捨てられない僕は村に向かう。
    ・妹と再会する。妹は両親が儀式から助けてくれないことにショックを受けていた。
    ・世話係と鉢合わせになり口論になる。しかし埒が明かない。妹を連れて村を出る。
    ・携帯電話から予約しておいたホテルに入る。爺ちゃんに報告の電話を入れる。
    ・両親は僕を妹を誘拐したという被害届を出していて、警察は僕を捜索していた!
    ・妹は妹で成年式の通過儀礼を拒んだことで「大人になり損ねた」と悩んでいる。
    ・妹を落ち着かせるため「僕が妹に水揚げを行い大人にさせる」。
    ・TVを点けると平成最後の夜の特番で日本各地の人々が盛り上がっている。
    ・カウントダウンが始まり平成が終わり元号が変わる。
    ・南田を倒すには少年法で武装するしかないが、僕は十七歳だから無敵状態になれない。
    ・しかし「犯罪者になること」で大人になれると気が付いたので僕は出頭を決める。


    < 全体の流れ >
    ・旅への誘い(序)
    ・妹救出作戦(破)
    ・二人の通過儀礼(急)


    < あらすじ >
    【序】
     バイトの夜のシフトから戻り仮眠を取るがTVの音で目が覚める。TVを消して訪れた静寂に、中学を卒業する二年前まで住んでいたカルトの村の記憶がフラッシュバックする。妹のクラスメイトを名乗る女子が訪ねてきて妹から依頼された手紙を渡される。封筒には村の機関誌の写しがあり、手紙は今夜行われるの成年式の儀式から逃れたいという内容の救難信号だった。妹を助けたい気持ちはあったが、村の規則で親子をバラバラにした忌まわしい場所に戻りたくなくて主人公は葛藤する。
    【破】
     パートの仕事を終えて帰宅した祖父に手紙を見せて判断を仰ぐ。祖父は祖父で心が弱い娘が新興宗教に入信したために孫が犠牲になっていることに心を痛めていた。祖父から謝罪の言葉を聞いた主人公は兄としての義務感を果たすために村に向かう決意をする。表向きは農業主体のコミューンのため公共交通機関を使って夕方には妹と再会できた。しかし仇敵の世話係と鉢合わせする。口論するが埒が明かず妹を連れて村を出る。
    【急】
     予約しておいたホテルに入り祖父に報告の電話をかけた主人公は、両親が被害届を出して妹の誘拐犯として警察が捜索していることを知る。逮捕されるのは時間の問題だった。妹は妹で今夜行われる通過儀礼から逃げ出したことで大人になれないと悩んでいた。自分が悪い子だから村に入ることになって家族が離散したと思い込み苦しんでいる。妹を落ち着かせるため主人公が水揚げを行い妹を大人にさせる。
     TVを点けると日本中が平成最後の夜で盛り上がっていた。子供時代を家族と一緒に過ごせなかったことが主人公の心残りだったが時間の経過は不可逆性で叶わない願いだった。カウントダウンが始まり日付が変わり平成が終わる。新元号は日本史に刻まれた248個目のスティグマ(聖痕)だった。村に戻り村人に志願すれば被害届は取り消され無罪になりはする。しかし罪を受け入れて犯罪者になることで大人になれると気付いた主人公は「自分の人生の物語を起動するため出頭を決める」。


    < おもしろいポイント >
    主人公は必死になって真剣にあれこれ考えて行動するが、カルトの子だから何かズレていて、読者がツッコミを入れたくなる。それと同時に、常識では想像もつかない思考に新鮮な驚きがある。この感性と考え方の差が本作の“おもしろさ”になる。

    ・ラノベ風タイトルにすると、
    ⇒『両親がカルト村にいるせいで、僕と妹はもう限界かもしれない』
     村から出れば一般人になれると思った。しかし僕は中卒で履歴書がマジでやばすぎる。
    ⇒『吾輩の妹がこんなに傷だらけなわけがない』
     我輩はカルトの子である。学歴はまだ無い。どうすれば就職できるかとんと見当がつかぬ。
    ⇒『カルトの子が一般社会に参加してテロリストと勘違いされました』
     妹を救出したから誘拐犯。それが、村で育ち村から出た僕に一般社会が下した刑罰だった。


    < 物語の構造/ギミック >
    当初のタイトル通り「改元前夜」に従い当日昼から日付変更直後までに起きた物語。「2019年04月30日の昼から夜」までの出来事が時系列の順番に描かれるが、実際の経過した時間は数分間である。冒頭の「夢」は「縮図」であり物語の進行をナビゲートする役割として提示されるが、現実は少しずつ逸れてうまくはなぞらない。
     ⇒水揚げ後から「現在タイム(今)」の語りがはじまる。
     ⇒「2019年05月01日」の改元後の短時間に巡る思考にて決意が固まる。

    本編は「現在タイム」の「僕」から語られた「出来事の断片の集合」でできている。現在から「過去側」を語るしかなかった「僕」が時間軸「今」に到達して「語りが現在進行形に切り替わり」物語は幕を下ろす。



    < 読解の補足・解説 >
    1.カルトの村の名前の由来について
    南田子供牧場は「美しい日本の伝統を受け継ぐ理想郷」として設定した。そのネーミングは、目と声の説得力や立ち居振る舞いの表現力が高い理由で私が好きな俳優「堺雅人」さん主演のTVドラマ「半沢直樹(原作:池井戸潤)」に登場する悪党の「東田」が由来。「東・西・南・北」がつく方角姓の「東田」「西田」「南田」「北田」の候補を書き並べたなかから組み合わせて語呂が良かったものを採用した。

    2.主人公の妹の名前の由来について
    「灯里(あかり)」とは「里への道を照らす灯り」を意味する。主人公を非日常へ誘った「使者」である灯里の名の「里」は主人公の「爺ちゃんの家」か、それとも「実顕地の宿舎」か。本作のジャンルである「青春ラブストーリー」の「ラブ」は恋人間で交換される愛ではなく「家族愛(ドメスティック・ラブ -Domestic Love-)」に含まれる「兄妹愛」の「愛」を指している。しかしその恋愛はシリアスである。

    3.主人公の行動の動機について
    「両親は見限った」が「妹は戦友」だから見捨てられなかった。「両親はこの世界から見失った」が、「妹はこの世界から見失いたくない」から救出に向かう。村の「家族から切り離して子供は施設で育てれば良い」とするその発想はポルポトやスターリンのもの。「平成とは何か?」の問いに対しては「カルトが跋扈した時代」と即答できる。『世界は解釈でできている』とは私の言葉だが、一強独裁体制をカルトと指摘する人すらいるがこれこそ「受け止め方は人それぞれ」を表した事例だ。

    4.本編にボスもラスボスも登場しない理由について
    平凡な庶民でしかない主人公が教団の核心に接触する機会はないため、創設者の南田叶恵や南田希々叶とは対峙しない。南田一族は心が弱い人々をたぶらかして有形と無形を問わず財を巻き上げることで三〇年以上にわたり繁栄しているが、お金にしか興味がないので信者の名前すら知らない。その割に「未来の金づる」である子供を大切にしないのは、本編にある通り「進学を禁じて学歴を奪い、村人以外の生き方を封じる目的」があるからだ。しかし孫娘の希々叶が十五歳になると規則を改変して高校に進学させた。これには村人の子供たちが一揆を起こしてもおかしくないが、ブレインウォッシュされているため「おかしい」と思う気持ちすら湧かない。

    5.社会問題を解決している村の慣習について
    現在の日本は「伝統」を口にしながら「日本の伝統だった若者宿や娘宿や水揚げや夜這いやお見合いを現在の価値観に基づいて児童虐待や性的搾取や人権侵害の名目で封殺しながら」少子化問題を真剣に議論している。本作の終盤で主人公の「僕」は妹の灯里を水揚げするが、妹も村の子だから世話係からしつけという名目の暴力を受けていて、「体中の痛々しい体罰の痕を目撃してしまったから僕は南田に対する怒りを更新」した。「戸塚ヨットスクール」は現在も体罰を容認しているらしい。

    6.百獣の王について
    本編の「百獣の王」は少年法で無罪化される意味で無敵になれる少年少女を指しているが、「110番」の番号を与えられている意味で「百十の王」は「警察」でもある。しかし少年少女の決起を鎮圧できるのも警察であり「ライオンとライオンの戦い」になれば「より強いほうが勝つ」という「弱肉強食の摂理」が物語の結末に反映されている。本作のテーマのひとつである「平成とは何ぞや?」に対する回答の「少年法の無敵性が周知された時代」を自認できたから主人公は決意に到達する。

    7.カルトの子の行く末について
    親が新興宗教に嵌まったりNPOの活動に夢中になるのは本人たちの自由だが、巻き添えにされるカルトの子供たちの人生は「生き地獄」そのものになる。主人公のように村から出られても学歴が中卒ならば職業選択に幅がなく割と早めに詰んでしまう。仕方がないからと村に戻れば諸悪の根源たる親と「同じ轍を踏む」ことになる。子供を作っても悲劇の再生産。すなわち「人生が迷宮入り」しているのである。



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  • 【リーディングノート】脚本/演出:AIR『牧場世代Ⅰ 草原の牛たちは家畜であることを知らない』オリジナルシナリオ全文・歌詞完全掲載/あとがき

    2017-10-27 20:30
    AIR です。

    『牧場世代Ⅰ 草原の牛たちは家畜であることを知らない』は、ノートに記した創作ポエムと音楽を一つに融合した朗読劇「リーディングノート」形式の最新作となるオリジナル文芸作品です。
     チャプター1.牧場世代Ⅰ 草原の牛たちは家畜であることを知らない
     チャプター2.この声が届くのなら
    かわいらしくも儚い発声でお話を読み上げてくれたのは「VOICEROID」と同じ「AITalk」の音声合成技術で作られた「音街ウナTalk Ex(声優:田中あいみ)」さんです。主題歌を歌ってくれたのは「VOCALOID4 初音ミク V4X」さんです。本作は電子の人工声帯を使うことで、企画から制作までを個人で担えてしまえる時代ならではのコンテンツです。

     オリジナルの音源⇒ http://www.nicovideo.jp/watch/sm32160317
     シングルカット版⇒ http://www.nicovideo.jp/watch/sm32160359

    「創作とは何か?」という作家の命題に真摯に向き合えば自分がやりたい表現と技術の折り合える地点が見えてきます。お話を作った経験がある人なら「読んで聞かせる」が「正しい発表の仕方」であることに考えが至ります。それは小説の起源が文字に依らず、口頭でお話を語り継いでいく口承文学にあるからです。文芸作品の流通方法は紙という媒体に印刷して出版するかデータのままの電子書籍の二つに大別できますが、インターネットとその利用可能デバイスの普及によって第三の方法である「聴く小説」すなわち動画再生による「お話の読み聞かせ」も身近になりました。「reading Note(ノートを読む)」は私の造語でありますが、お話と音を軸にアーキテクチャを組み立てました。眠り付く前の暗く静かな部屋でお楽しみいただけましたら幸いです。少しのお時間をいただきありがとうございます。またお会いできますよう、がんばります。では。


    【 あとがき 】
    高校在学中の女子が十六歳で嫁入りできた設定はかつての日本女性が早熟だったことを国家が認めていた時代の証左です。昭和生まれの三十代の私の感覚からは割とある話として違和を感じませんが、法改正が行われて常識の基準が変われば「未亡人の女子高生」はファンタジーの存在になりますから、本作はディストピアの物語と読めます。国家間の三角関係のお話と個人間の三角関係のお話が同時進行する本作の構造は、創作物も私達の暮らしている世界と地続きにあるという認識に基づき採ったものです。二〇一八年の四月から七月までという直近の近未来を舞台に設定したのも同様の理由からです。クラスメイトの女子が義理の母親であるとも知らず関係を持ってしまいますが、主人公は亡き夫の代用品だからこそ尽くしてもらえていた真相に気付くまでには時間がかかり過ぎました。彼女の一番目になろうとしても、ヒロインの心は死者に取り込まれています。つまり恋の行方はバッドエンドです。しかしながら苦い体験と複雑な環境を経験した二人なら、理不尽に満ちた社会でも生き延びることができます。それは「青春ラブストーリー」の主役を務めた「僕」と「雫」が「若者」だからですが、当事者には言うまでもないことです。



    【 リーディング用脚本全文/歌詞完全掲載 】

    チャプター1.牧場世代Ⅰ 草原の牛たちは家畜であることを知らない

     クラスメイトたちは雫に同情的だ。天野雫が同姓のせいで、僕は「男子の方」という呼ばれ方をするようになった。雫は両親が原発の技術者だったせいで父と母と二つ下の妹を事故で失った。中学生のころは親戚中をたらい回しにされていたらしい。それなのに成績も落とさずにがんばっているから健気な良い子という見られ方をしている。失われた二〇年と言われても不況しか知らない世代では実感を持てないが、急な事情で転がり込んできたとはいえ、子供一人の扶養もできないくらいに生活の余裕がないのはどこの家庭でも同じことだ。北朝鮮が核兵器の六度目の実験と完全なる実用化の成功を収めたとするニュース以降の世界では家族をテロで失う事故も珍しくなくなった。孤児を押し付けられた親戚の生活苦は新聞の社説欄で問われる程度には社会問題になっている。自身がアルバイトを掛け持ちして生活に窮した独身者に甥や姪を養える余裕はないから、生活費の他に学費も必要な子供の受け入れを断る親戚筋を責めるのは酷な話という論説だ。しかし僕が雫を気に入らないのは一人称が「ボク」である以外にも、教員も含めて男が冷静に異性を査定できない性質にある。仕事の都合で父親が家を空けっぱなしの離婚家庭と見れば事実上の両親不在は僕も同じだ。しかし女の子なら「かわいそう」、男子なら「早く自立しなさい」と言われる。要は「かわいい子は得をする」社会の風潮が学校の教室にも蔓延している。だから僕は街で珍しく泣いて立っていた女子が雫だと気づいて声をかけた。隙あらばひどい目に遭わせて懲らしめてやろうという気持ちがあったから、大人しく家にまで着いてきた雫と一度限りの男女になる。
     核の脅威に対する政策が見守られる中でアメリカ政府は先代の大統領が民意を汲んで進めていた軍縮の一環として核の放棄を行った。国際世論には反対意見が多数あったが、国家にも軍隊にも帰属しない民間企業の一つに核兵器を渡して「核保有PMC」を作り上げることで新しい抑止力を形成する。アメリカ合衆国憲法には政府に対抗する暴力装置の保有が国民の権利であることが武器保有権として記されている。民間軍事企業と訳されるプライベートミリタリーカンパニーを「核持ち」にしてしまう発想は実業家出身の大統領ならではの奇策だった。「それは核の持ち替えにすぎない」との指摘もあり「茶番劇」という過激な見出しの記事が週刊誌の表紙を飾るが、現実主義者との見方もあった。しかし日本の与党代表が賛同を示して契約を結んでからは「日米安保条約を人質にした強攻策」との批判が出ても「核の共有化は、最終的に世界に一つだけの核に集約される」は鶴の一言と評される。要は「世界で唯一の被爆国だから、米国の核の傘から抜けて、核廃絶プロセスの参加国の一番目になりたかった」と理解できる。それを良しとしない北朝鮮は日本の政治スタンスに反発して「通商破壊運動」と呼ぶテロ行為を加速させた。水面下の工作活動からステージが上がったことで太平洋戦争以来の国家危機に日本は直面するが、学生は学生らしく高校生活を続けるだけである。
     そのような中で父の死が知らされた。戦死だった。僕が小学校を卒業するころ自衛隊を辞めて渡米した父は、後に核持ちになる「エターナルセキュリティ」の契約社員をしていた。傭兵にならなかったのは人殺しをするためでなく、自衛隊の枠を超えて自警活動を行うためであり、勤務地を日本国内から選択できる内容の求人をもらったからだ。日本政府が米国のPMCと契約する裏には「戦死者」としてカウントしなくて済むという好都合な事情があったためだ。自衛隊員が国防のために殉職すれば社会を動揺させて世論が反戦に傾くリスクを負うが、体の良いレンタル方式の軍人であれば使い捨ての便利な駒になる。自警団を設立する場合は国会で野党ともめなければならないが、現職の隊員にPMCを斡旋して帰国させる方式の国防に法改正の手続きはいらない。軍事費の節約という意味もあったのだろう。PMC社員であれば業務上の事故死扱いになるため、本社から肉親の僕宛てに届いた文書に国から遺族補償が行われないことが記されている。報告書によると民間人を装った少年兵の発砲がフェイントで同じく民間人を装ったテロリストの男女二人組による暴動を鎮圧する際に下校中の小学生をかばって背後から頭を撃たれたのが死因になる。軍人の肩書きがあっても国内では殺傷の類いの武器の携行は認められていない。父は専門的な訓練を受けた警備員として犬死にをしたが、新聞にはテロ被害の部分しか載らなかった。ノーカウントは暗黙の了解に従った報道姿勢である。しかし問題は相続にあった。同じ内容の報告書を天野雫も受け取っていたからだ。

     都心ではないが都会化を進めて学園都市として発展を続けた街のため、カルチャー教室だけでなく商業施設も集まっていて不便さを感じない。卒業後の進路もバスで通える範囲内から選ぶのが一般的だ。駅前の看板が紹介している名前を数えるだけでも大学が二つに情報系と介護と医療関係の大きな専門学校が八つある。父が渡米する際に親代わりとして同居するようになった叔父さんは、大学卒業年がいざなみ景気に当たった幸運で名が知られる会社から望まれて正社員として採用された。僕が父と会話を交わした思い出を持たないのは職業上の転勤の多さもあったが、PMCに入り帰国してからも家に寄らず彼女の元で暮らしていたからだ。叔父さんは僕の母から「彼氏の間は良い人、結婚したら赤の他人」と離婚の原因になる愚痴を聞いていた。父はヒーローである自分とその自分を必要とする彼女との共依存の関係性に拘泥するため、嫁に昇格させると興味を失って別の依存先を探し始めた。そういえば幼い日の記憶に「新人発掘の旅に出る」と出かけて母が泣いている場面がある。親の同世代の落伍者たちはオレオレ詐欺で知られる特殊詐欺の手口を開発して生き延びたが、学位を取った若者に定職を与えず世に野放しにしていれば巧みに駅員や警察官を演じ分けて高齢者を狙った詐欺を働いてみせもする。叔父さんは今でも一〇〇社以上からお祈りされた父の就職活動を度々バカにするが、超就職氷河期世代でありながら父は正義感が強くて体格が良かったから国防装置として勤める道が開かれた。他方でその職業がヒーローの性質を与え育ててしまったのも事実で、声をかけた就職難民の女の子が自立して暮らせるまで同居して支える生活を始めてしまう。その割を食うのはいつだって家族だった。叔父さんが名前を挙げられるだけでも一〇人以上の彼女がいて、人数と同じ回数の結婚を経験している。天野雫の親戚筋が父に届け出を急がせたのは邪魔者の孤児を処分する目的もあったが、テロ被害者に対する行政のケアが不十分であることに恨みに近い不満を抱いていたからだ。それは虐待の痕に見られた。
     楽に片付く相続であれば叔父さんも雫を家に住まわせたりしない。兄弟の共同名義で購入した家の所有権の半分が父にあるため、配偶者の雫に半分と実子である僕に半分の取り分で分割された。雫は十六歳で結婚してからマンション暮らしだったらしい。雫は家事を覚えて少しでも恩返しできるように努めていたが、父の興味は外の彼女にあった。結婚したら赤の他人という母の言葉に偽りはない。ゴールデンウィーク中に引越を済ませた未亡人のクラスメイトとの同居は気まずさを伴うと思われたが取り越し苦労だった。二人暮らしのころは押し付け合いだった掃除と洗濯は自動的に済まされているし、当番制の食事の支度も自動的にできている。しかし家事が自動的に終わるはずはなく、割を食っているのは雫なのに愚痴の一つも言わないから僕も叔父さんも好意に甘えて便利に使っていた。しかし快適な生活も長くは続かなかった。今日日は彼女を探すのにもインターネットのレビューや口コミのチェックが欠かせないらしい。叔父さんは出会い系サイトと見合い系サイトの返信に忙しく、小説や映画を選ぶ感覚で人間を見ているから目の前の家族の異変に気が付かない。そしてそれは僕も同じだった。同じ学校の同じ教室で同じように授業やテストを受けていれば同じ程度に疲労して下校する。雫は学校帰りに買い物を済ませて帰宅後は家事に取り掛かり決まった時間に三人が食卓に着けるようにしてくれる。僕と叔父さんがテレビを見ている間に後片付けを行って翌日の朝食の仕込みを始めた。父が彼女を見つけるのが上手だったのもあるが、高校二年生の女子が学生と主婦を兼業するのは負担が大きかった。雫は過労で学校を休みがちになってきて叔父さんはそれを僕に隠していたが「高い年会費の甲斐があった」と公開状態になった女性の写真を僕に自慢すると「俺はハイツでの同棲を決めた。所有権は三人にあるから、ここは売却して、三等分して、二人は寮に入ればいい。担任教師とは話をつけたしな」と会社の名前で勝ち得た婚活の戦績に舞い上がる。それは曲がりなりにも二人の高校生の保護者を買って出た者とは思えない台詞だった。しかし夏休みには雫とお別れをしなければならない。
     学期末テストを休んでいたことが気になっていた。昨晩の夕食が以前のように総菜屋さんのお弁当の買い置きに戻っていたからだ。雫が緊急入院したことをホームルームで知るが、叔父さんに話しかけても初めてできた恋人に浮かれて向き合ってくれない。退院に必要な手続きや支払いを済ませたのは確かに叔父さんだし、生活コストを負担しているのも叔父さんだから、言い分が身勝手だろうと子供は大人に従わなければならないのか。病み上がりでなくても雫は言い返すタイプではない。「これまで通りの生活ってどういうもの?」と言われれば、全面的に雫に負担を強いた日々を反省するしかなかった。だいたい僕は雫のメールアドレスすら知らず、この三ヶ月間を振り返っても無関心に基づく痛みしか出てこない。「俺はまだいい、金を出した。二人して肩身が狭い子に家事を押し付けて、胸を張って家族です、と言えるか?」と責められれば雫の慎ましさが際立つばかりだ。見方によれば叔父さんは現実主義者だ。クラス替えで同じ班になり雫の存在が気に障ったのは、気になってしょうがないという感情を僕が正直に受け止められなかったからだ。男子の方の天野と呼ばれて気が悪かったのは人気者への嫉妬だ。クラスメイトが境遇に同情して、健気でかわいらしい子と評判を流しているなら、付き合えるように思案を巡らせて告白する勇気を出せば良かった。都合良く同居できるようになってからも素直にお母さんと呼べなかった愚か者だ。終業式を終えて引越業者のトラックを見送り、叔父さんの銀色のセダンの後部座席に収まった僕は雫が何かをつぶやいたのを見落とせない。彼女が僕を通して亡き父の面影を見ていたのに気づいてしまったからだ。
    「覚えてる? 初めて話した春の陽が射す街のことを」
    運転には性格が表れるというが、叔父さんの意地悪で乱暴な運転に悪態を付くより先に、彼女の性の捌け口にすらなれなかった僕はあの経験の表情を思い出すことさえできない。赤信号の停車で訪れた沈黙は永遠に変わらないものに思えて車内を息苦しく感じさせる。街で泣いていたあの日と同じ表情の彼女と指を絡め合って、親子として暮らした日々を懐かしく思う。これは奢りだ。
    「僕なら、居場所になれるよ」
    「暑いな」と窓を開けながらバックミラー越しに軽蔑の視線をよこして叔父さんは嗤う。
    「その父親譲りの幼稚なヒーロー願望、血は争えないか」
    僕は彼女に出逢えない――。
    「行こう」
    カーラジオが速報を捉えた。北朝鮮が『勝利の大運動会』の宣戦布告を行った、核ミサイルを多方面に向けて同時発射した、アナウンサーの発表を受けて信号待ちをする人々の携帯電話が続けざまにJアラートを受信する。時間差を付けて鳴り止む気配を見せない不穏なサイレン音は僕たちの戦争を告げる合図だった。



    チャプター2.この声が届くのなら

    今 離れて 気づいたこと それは好きだって気持ち
    新しい彼女との暮らし 幸せだって

    別の時間 過ごしてても いつまでも切なくて
    孤独のなか感じる気持ち 埋められなくて

    街に出かけよう 晴れた日射しの
    あの日の優しさは もう戻らない

    立ち止まる勇気を 今 ボクにください、ねえ
    あなたの腕の中で 朝まで眠りたいの
    それでも 本当の 気持ちを 言えなくて
    この声が届くのなら 力強く抱きしめて



    【 特典:メイキング・制作資料 】
    制作開始前にノートに記していた覚書を寄せ集めた資料です。最終形を「小説/脚本」にしたことで本編はかえって難解になり、わかりづらくなったかも知れません。予めプロットであらすじを把握した後に本編を聴くことで、理解が容易になるかと存じます。これは作者である私自身の筆力の至らなさに全責任がある部分ですから反省しかありません。
    本来は「秘文書」カテゴリーの制作資料を公開しています。内容には不適切と思われる表現も含まれていますが、資料的価値を鑑みて「原文ママ」収録ですのでご了承ください。「創作の裏側」に興味がある方や、これから創作を始めたい方には、完成に至るまでの制作プロセスをお楽しみいただけましたら幸いです。


    < 企画・テーマ >
    ・青春ラブストーリー
    ・主役は公立に通う高校生の男子と女子
    ・直近の近未来を舞台にしたディストピア小説
    ・タイトル候補「開戦前夜(仮)」「僕たちは結婚できない Vol.1(仮)」
    ・現実と地続きの社会のなかで発生する恋愛と身近なテロ被害
    ・制作上の課題:バッドエンドの物語を描き切ること!!

    < プロット >
    ・僕、高校二年の男子。クラスメイトに気になる女子がいる
    ・噂話だと北朝鮮のテロで親兄弟を失って親戚に引き取られてる
    ・街であの女子ナンパしたらついてきた→部屋でHしちゃった
    ・オヤジが死んだ(戦死)
    ・なんで相続で、あの女子が参加してるんですか叔父さん!
    ・あの女子オヤジの嫁って=義理のお母さんってマジすか…
    ・ヒロインが同姓なのは父親の再婚相手=苗字が変わったからって納得
    ・「好き」と言えない根性無しの主人公が叔父さんと三人暮らし開始
    ・さすが女子マジ便利な家政婦だわぁ~。だが過労で学校を休みがち
    ・出会い系サイト使って婚活中の叔父さんが彼女見つける
    ・叔父さんから重大発表「家を売って、みんな別々に暮らそう!解散!」
    ・主人公とヒロインと叔父さんの三人暮らし終了。引越終了
    ・叔父さんの車で、男子寮と女子寮に向かう
    ・主人公は最後まで告白できない。しても「親子」だからバッドエンド!
    ・北朝鮮が核ミサイルを連続発射→Jアラートが鳴り止まない

    < 全体の流れ >
    ・同棲開始の理由(序)
    ・同棲終了の原因(破)
    ・同棲終了後の話(急)

    < おもしろいポイント >
    ・かわいいクラスの女子とHした。イャッッホォォォオオォオウ!
     ⇒裸にしたら、体に虐待の痕ありますやん。ドン引きだわー。
    ・相続にて。「クラスメイト=父の嫁=お母さん」だった!
     ⇒告白して彼女にしたい子なのに「親子の関係」だった。ナンテコッター。
    ・ラノベ風タイトルにすると、
     ⇒『僕が同棲したクラスメイトの女子がお母さんだった件』
    (例:僕のクラスメイトはお母さんでした。言っている意味が自分でもわから…)

    < 物語の構造 >
    国家間の三角関係と個人間の三角関係が密接に交錯して物語が進行する。
     三角関係A:日本・アメリカ・北朝鮮
     三角関係B:主人公・ヒロイン・父親
    ヒロインの体にある虐待の痕は、第二次世界大戦で被爆した日本の傷痕を象徴する。だから「日本はアメリカの核兵器を契約の形で保有するというイニシエーション」が必要になる。

    < プロットの補足 >
    今どき16歳で嫁に出されることが既におかしい話。生活環境に問題を抱えている子と感じさせる伏線。そしてヒロインの両親は原発のエンジニア。だから貯金がないはずがない。本来はテロで親兄弟を失っても路頭に迷うことはないのに、親戚をたらい回しにされるのはヒロインが保護者を必要とする「子供」だからだ。
    ヒロインをたらい回しにしていた親戚ってのが「家も資産も奪い取って虐待していた連中」。もともと夫婦で公共事業に従事していて子供が二人いるヒロイン家庭に嫉妬していた。だから家族を失ったヒロインに暴力をふるう。孤児を引き取っているのに、行政から金銭面のケアがないことへの不満も重なった。だから事件に関わった元自衛隊員で軍人のような人(主人公の父親)に邪魔な厄介者を押し付けるため16歳で結婚させた。
    しかしヒロインの夫(主人公の父親)は浮気性で、家に帰ってこない。ヒロインは自分を救ってくれた人に恩返ししたくて家事を覚えて支度して待つが、いつも食事は一人きり。賃貸マンションは夫が戦死したから解約になり、再び行く場所がなくなる。しかし相続の場で、主人公の叔父さんに三人で同居しようと提案してもらう。さらに保護者にまでなってもらう。だから主人公の叔父さんに恩返しをしようと家事をがんばるが、学生と主婦の兼業は体力的に無理があり学校を休みがちになる。
    そのような生活も婚活中だった主人公の叔父さんが彼女を見つけたことで終わりを迎える。だが今度は行く場所を失いはしなかった。主人公の叔父さんの計らいから女子寮に入れることになって、ヒロインはようやく普通の高校生らしい高校生活をスタートできる。他方で主人公は最後までヒロインに「好きだ」と告白できず、できたところで「親子」だから結婚できないという絶望の心中で空襲警報として作動したジェイアラート(全国瞬時警報システム)のサイレン音を立て続けに聞くなかで「喪失の痛み」を感じ取る。



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  • 【円盤発売記念】映画『この世界の片隅に』(2016年)  戦争を遺棄した国で、私が私になるための喪失の物語

    2017-10-02 20:00
    AIR です。

    今回のお題は『この世界の片隅に』です。アニメ映画の当たり年二〇一六年から
    片渕須直さんの作品です。この映画は何を描こうとして、何を描いた作品なのか。
    一つは、主人公である「十八歳で嫁入りした主婦(北條すず)」の視点を主軸に
    「戦時下の民間人の暮らし」を描画してみせました。次に、アニメ作家としては
    日本独自のアニメーション制作技法に逆行するかのように動画の概念を組み直し、
    人間の仕草を細かく描き滑らかな動作に知覚させる『ショートレンジの仮現運動』
    を実践してみせることで、実写に拮抗する水準の丁寧な芝居をアニメでも可能に
    する自説を証明しました。本作は「太平洋戦争の広島」が舞台ですから、当然の
    ように原爆投下が行われます。しかしながら『この世界の片隅に』という作品は
    反戦活動の一環として作られたものではありません。本編を見ればわかるように、
    『この世界の片隅に存在する主人公の北條すずが「自身の身の丈を自覚する経験
    を通して母になる」お話』です。「女性の成長を描いたお話」に読み間違えると、
    「絵が得意」である点や失われた部位が「利き腕である右手だけ」である理由や、
    「戦災孤児を我が子のように当たり前に育てる」戦後の生活を説明しきれません。
    制作の資金を一般人から調達する「クラウドファンディング」を用いた背景から、
    熱烈な支持層により問答無用で絶賛されがちな向きはありますが、宮﨑駿さんの
    『魔女の宅急便』の演出補をしていた経歴を見れば実力が確かな作家の作品です。


    【 人災の戦争を、災害と捉える人々 】
    近年の流行の物語は、主人公が何らかの力を使って並行世界に継ぎ接ぎの編集を
    施しベストな時系列を正史にすげ替えることで誰も不幸にならないようにします。
    たとえば広島市への原子爆弾投下がなかった歴史や太平洋戦争に敗北しなかった
    日本を夢想したIFの物語を「架空戦記」と言いますが、監督の片渕須直さんが
    徹底したリアリティを構築するために読み込んだ資料や開発した動画技法などは、
    のんさん(旧芸名:能年玲奈)が演じる「北條すず(旧姓:浦野)」を徹底的に
    視聴者に実在する人物として知覚してもらうために必要不可欠だった努力でした。
    結果としてひねった展開やご都合主義の要素が含まれず非常に見やすい映画です。

    冒頭は日記スタイルで物語が進みます。画面に見えているすずさんは子供ですが、
    語り口は過去形です。本編の時間に接続されるのを待ちながら映画を観ていると
    嫁入りしたところで、「この視点から過去を物語っていた」ことに気が付きます。
    独身のうちは食事時に家族と「遠くに嫁に行く/行かない」の会話をしていたり、
    「嫁のもらい手がない」といった脅しが出てきますが、この時代の日本は或る日、
    見ず知らずの人のところであっても仲人の口利きにより嫁に入るのが普通でした。
    親戚が勝手に決めてきたからといって断れる話ではなく、これが本当に一般的な
    結婚の形式だからこそ、すずさんは「困ったねぇ」と他人事のように呟くのです。
    そもそも「恋愛」によりお互いを知り納得の上で好きの感情を確認してから行う
    結婚は明治期にヨーロッパから輸入された手順と観念に過ぎません。日本社会の
    結婚は好き嫌いの感情を要しませんから話がまとまれば大人しく嫁いで行きます。

    その決断の裏付けにあるのが「そのようになったものは、抵抗せずに受け容れる」
    というすずさんの生き方です。現代人の私の価値観からは仲人が身勝手に思えて、
    「この日からあの家で嫁だ」と決められれば反発の一つもしますが、すずさんは
    状況に流されて従います。だからといって無神経ではありませんから結婚生活の
    ストレスは自身の体調に現れて円形脱毛症の「ハゲ」ができてしまったりします。
    嫁いだ頃の夫婦関係がよそよそしいのは、子供のままの感性で慣れないからです。
    細谷佳正さんが演じる夫の「北條周作」の仲人を勤めた小林夫妻にしても本人の
    意思も問わずに顔も知らない人との結婚を決めますが、何ら悪気がない点からも
    当時の結婚の手順に誤りはありません。すずさんには災難でも、幸いにして夫は
    幼い頃に広島で「ばけもん」にすずさんとさらわれた体験を記憶する旧知の人物
    でした。本編中に痴話喧嘩が見られますが信頼しあっているからこその口論です。

    小野大輔さんが演じる幼なじみの「水原哲」が尋ねてきた時に周作は「嫉妬」を
    抱きながらも家長の権限を使って納屋で寝るように言って家の鍵を掛けてしまい、
    すずさんと一晩を過ごせるようにします。これから戦場で死にゆく者への手向け
    としての心遣いでしたが、すずさんは周作のことも愛していたから裏切りません
    でした。仲が良いことは体を重ねなくても膝枕をしているシーンに確認できます。
    そこには「波のうさぎ」の絵を描いて渡す以前から心許せる人物として関わって
    きた二人の関係が読み取れます。見合い話がなければ、結婚していた相手だった
    可能性があるからこそ、そのような小細工をした周作を許せず「夫婦ってそんな
    ものなのか!」と詰め寄るわけです。このように、状況が作られていても自分の
    判断で断ることができるものは抵抗して受け容れないのもすずさんの生き方です。

    そのような人間らしさを持つ一人一人が暮らしている生活に、日本の戦争という
    状況が覆ってきます。「戦争は政治の一手段」ですが政治が国民の生命を危険に
    晒しているのであれば外交の失敗により生じた戦争の被害は「人災」と呼べます。
    国民が為政者に責任を追及できる仕組みの上に成り立っている国が民主主義国家
    ですが、日本が「大日本帝国」だった時代の統治機構における国民は「日本臣民」
    ですから今のように個人に権利がありませんでした。しかし大正デモクラシーや
    自由民権運動といった中学校の社会の授業で習った活動の歴史はありましたから、
    現代に限らず戦時中の人も「政治は誰がやっても同じ、ダメの種類が変わるだけ」
    の真実を知っていて「戦争被害の怒りを政治家に向けなかった」ように見えます。
    事故で身体を欠損させられ恨みの感情が生じたとしても、おなかが空けばご飯を
    食べなくては生きられないし、食材や調味料の調達に多額の現金を持って闇市に
    出向く必要があるのなら行くしかありません。それは「生活の持続」こそが第一
    だからであり政策の失敗に振り回されても「災害」と捉える以外にないからです。


    【 すずさんは、ぼーっとしていない! 】
    さて主人公の「すずさん」ですが、作者の片渕須直さんが実在していない人物を
    丁寧な日常描写の堆積によって創作の「それ」を「人物」として起ち上げたから
    こそ視聴者は「すず」を「すずさん」という人間として認識できるようになって、
    反復される空襲や原爆投下の被害で消滅してしまった「広島」や「呉」の景色を
    劇場のスクリーンもしくは部屋のテレビの画面に「事実」であるかのように認識
    するようになりました。だから『この世界の片隅に』の視聴者は誰に強制されて
    いなくても「すず」でなく「すずさん」と敬称を付けて呼ぶようになっています。

    たとえば画面作りにしても、夜の空襲に備えて電灯に「防空カバー」と呼ばれる
    フードをかけているため、部屋の中でも照らされている場所だけが明るく見える
    ように設計されています。アニメにありがちな人物を正面から見た絵やアップや
    煽りといった撮り方も意図的に避けたカメラワークには日常を描くという意志が
    感じられます。広島における新婚さんの初夜の作法も丹念に描かれていて、ここ
    ではすずさんの等身を高くすることで、色っぽく見えるように作画されています。
    今のように便利な家電や安定したインフラも材料すらもない時代のお話ですから、
    食べられそうな草を摘むことから作業を始める当時の家事はまさしく一日仕事で、
    「専業主婦という職業」の重みを感じる調理シーンになっています。こだわりの
    動画により包丁を入れるときの角度や速度や筋肉の力の入れ加減が伝わってくる
    場面です。そうした日常を観察して気付くのは、すずさんが概ね無口なことです。


    こうの史代さんによる同名の漫画が映画の原作です。ひょっとすると作者自身を
    映し込んだ鏡像ではないかと思えてならないのは、右手への執着が絵が描けなく
    なった時の絶望とイコールになっている点にあります。すずさんは冒頭において、
    いつもぼーっとしていると独白をしますが、これは視聴者を含めて周囲の人間に
    「そのように思われたいため」に「ぼーっとしている自分のイメージの喧伝」を
    していると読めば「表情と内面の乖離」が強い人物であることがわかってきます。
    すずさんはよくしゃべっているように感じられますが、多くはモノローグであり、
    口パクをしていないことに注目して見ると、実は腹の中では何を考えているのか
    わからない人物にも思えてきます。絵を描いている最中の集中力が彼女の本質で
    あるため絵を描く以外の作業をしている時はエネルギーを使いたくない性格です。
    それは家業の手伝いで海苔を作っていた子供時代からそうでした。絵を描くのが
    何よりも楽しいからこそ普段は省エネで暮らしています。特に創作活動を好んで
    行っていますから、そういう種類の人間にとって現実の生活は億劫でなりません。

    夫の寝顔や街の風景を描いているときが自分が生きているという実感を得られる
    瞬間です。軍艦が停泊中の軍港は軍事機密のため、海をデッサンした時は憲兵に
    怒鳴り込まれましたが、空襲を受けている時ですら避難よりも先に水彩絵の具が
    手元にあれば描けるのにと悔しがるような人物です。それなのに不条理な戦争で
    大切な右腕を失ってしまいましたから「命が助かったから」というだけの理由で
    「良かった良かった」と口々に言った人々を思い出し「どこがどう良かったのか、
    うちにはさっぱりわからん!!」と病床で怨嗟を声にします。絵を描いたり創作
    活動をすることに自分の感情の表現を依拠している人間にとって、右腕を失って
    生きていても「何がどのように良かった」のか「すずさんには本当にわからない」
    のです。だからこそ、右腕を失ってからは「鉛筆」ではなく「口」で感情を表出
    するようになります。繰り返される空襲警報とその解除も苛立ちを増幅させます。

    不発弾に見せかけた時限爆弾は明らかに民間人を攻撃する目的で作られた卑劣な
    戦法ですが、本作は反戦映画ではありませんし非難したところで失われた部位が
    戻りはしませんから具体的に敵国はアメリカであると名言しません。それよりも
    すずさんは「日本は海の向こうから来た食材に頼っているから暴力に屈するしか
    ないのか」と「主食すら輸入しなければ国民が飢え死にする状況」に気が付いて
    しまいます。つまり「大日本帝国の破綻」という現実の受け容れです。「戦争は
    政治家が始めた政策上のイベント」であるのに、本土に敵の航空部隊が来襲して、
    無関係の国民を無差別攻撃しました。北條の家に嫁いで炊事の仕事をやるように
    なって「食べ物はあるのが当たり前ではない」ことを知り、「作るにも重労働の
    仕事」であることを知って、その上で「配給の僅かな食材が輸入頼み」の現実に
    気付けばすずさんを含め誰もが目を逸らしてきた現実を直視するしかありません。


    すずさんは「ぼーっとしたうちのまま死にたかったなぁ」と現実から離れて絵を
    描いたり創作活動といった楽しいことと日常生活を優先して生きてきたばかりに、
    掲げられた太極旗を見つけるクライマックスに至るまで「食糧難の破綻した状況」
    に気が付くことができませんでした。そしてその愚かさには泣くしかありません。
    だからこそ、敗戦を伝えるラジオの玉音放送が「国家の国民に対する裏切り行為」
    に聞こえて激高し抑えていた怒りを声に表します。それは体を使った表現でした。

    戦争をしていたとはいえ個人的な恨みがないのはすずさんら日本国民も進駐軍の
    兵隊も同じでした。「状況終了」になれば、かつての敵兵から道を尋ねられると
    案内もします。お礼にチョコレートをもらいますが、すずさんは「アメリカさん」
    と話していますから本作の方針として戦争相手の名前を伏せる意図がないことが
    わかります。参加した行列は炊き出しでタバコの包装紙が混じった雑な残飯雑炊
    でも「おいしい」と喜びます。娘の晴美を失った当時は悲しみのあまりやり場の
    ない怒りをすずさんにぶつけた径子さんですが片腕で不自由しているすずさんに
    雑炊を食べさせる短いシーンには二人が心から和解していることを確認できます。


    【 まとめ 】
    北條家の若夫婦には子供ができませんでした。妊娠ができていなかったからです。
    実家に帰る選択肢もありましたが、すずさんが嫁いだ先に残ると決められたのは
    戦争の被害に遭い利き腕を喪失した代償に、「負けるべくして負けた国の敗戦の
    理由」に気が付くことができたからです。食糧自給率の事情だけを見れば現在の
    日本もカロリーベースが三八パーセントで生産額ベースでも長期的な低下傾向に
    あります。日本が戦争を遺棄したことで太平洋戦争は終わりましたが、GHQは
    日本を植民地支配する素振りすら見せませんでした。すずさんにとっての戦争は、
    ラジオで聞いた玉音放送で怒りの感情を表出して「国家を見限る」ことで終わり
    ました。しかし人生は続きます。北條夫妻は最初に出会った街道を回顧しながら
    歩く中で原爆で母親と死別した戦災孤児の女の子に懐かれます。この子の母親も
    すずさんと同じく右腕を戦争で失っていました。そのため、すずさんに母の姿を
    重ねて見たのか近付いて、厳しい孤児生活の緊張が解けたためか負ぶわれて眠り、
    北條の家に受け容れられます。戦争体験を通したことで自身の身の丈を自覚した
    すずさんは、戦災孤児の女の子が寄生虫を宿した体でシラミまみれと知りますが、
    それを理由にわざとらしくびっくりする類いのリアクションを見せることはなく、
    すぐに適切な行動に出ます。「母親」ならば「子供の異変に速やかに対処」する
    ものだからです。「すずさんが母親になった」ことにより本作はエンドロールに
    迎え入れられます。コトリンゴさんのエンディングテーマ『たんぽぽ』が流れる
    中で戦災孤児の女の子が少しずつ成長していく様子が描かれていきます。以前は
    すずさんが祖母から針仕事を学びました。今度はすずさんが祖母から受け継いだ
    針仕事を子供に継承します。そのように後世に伝えられた生活が文化になります。

    片渕須直さんが『この世界の片隅に』で実践した『ショートレンジ仮現運動』は
    これからのアニメの制作現場で活用されていく智恵と思われます。認知心理学や
    知覚心理学を応用することで、頭打ちになっていた日本のアニメーション文化に
    未来が開けました。『この世界の片隅に』の物語を終えて広島の戦後が始まった
    ように、『この世界の片隅に』の登場によって日本のアニメは再起動したのです。



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