【円盤発売記念】映画『君の名は。』(2016年) 大人になり東京で再会した二人は恋愛を始められるか
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

【円盤発売記念】映画『君の名は。』(2016年) 大人になり東京で再会した二人は恋愛を始められるか

2017-09-19 20:30
    AIR です。

    今回のお題は『君の名は。』です。アニメ映画の当たり年と言われた二〇一六年
    から新海誠さんの作品です。いつものように自分の感想を正しく書く姿勢として、
    前情報や予備知識といった一切に触れずに視聴しましたが、やはり新海誠作品は
    私と相性が悪い以外に言いようがない結果になりました。歌の使い方の理由から、
    本作を見た人は『RADWIMPS(ラッドウィンプス)』を嫌いになるでしょうし私は
    ボーカルの「野田洋次郎」さんの声が聞こえる度に耐えがたい不快を感じた映画
    でした。このバンドの好き嫌いどうこうでなく、二度と見ることはない映画です。


    【 圧倒的な美術の秘密! 】
    しょせんアニメは絵空事です。アニメの作家は嘘の積み重ねで作品を作り上げる
    仕事ですから、映画のフォーマットで作られている本作では上映時間内だけでも
    視聴者を騙し続けられる嘘をつければ「成功」という結果を得られます。出身が
    PCゲームメーカーのビジュアル制作ですから、新海さんの得意分野は美術です。
    『君の名は。』の中心軸にあるものは「巫女さんならこれくらいできる」という
    設定です。飛騨の山々と田舎の景色と東京の新宿の都会の風景の対照的な二つの
    舞台を圧倒的なリアリティを持った映像で表現しきることができたのは、作者の
    特技が美術と映像表現だったからです。だからこそ新海さんの美術の指示により、
    東京は実際より美しく再構築されます。ここで視聴者が考えねばならないことは、
    ここまでの映像美が本作に必要だったかの理由です。私は従来のアニメで日常を
    描いている内容の作品に対して「何のためにアニメでやっているのか」の疑問を
    抱いてきました。アニメーション制作という手間暇がかかる手法でやるからには、
    アニメでしかやれないことをやるべきだからです。カメラを回せば撮れてしまう
    ものは実写でやるべきです。アニメでやるからには、アニメでしか表現できない
    ロボットものであるとか怪獣ものであるといった「非実在の対象を描きたい」と
    いう意志が必要です。原作の漫画なりラノベを右から左へ動画形式に単純に変換
    しただけのものを自身が抵抗なく受け容れてしまっているのならそれは迂闊です。

    『君の名は。』では時間軸を飛び越えた「高校生の恋愛」を描くために巫女さん
    なら何でもできるといった嘘から物語を起動させます。具体的には『時間の越境』
    です。「スピリチュアル」を用いれば根拠を示す必要がなくなりますから作者が
    「できる」と言い切り視聴者が途中で映画館の席を立って退場しないことだけで、
    「制作者と視聴者の共犯関係が成立」します。ですから冒頭から冗長に描かれる
    「人物の中身の入れ替わり」という古典的で使い古されたネタを「巫女なら可能」
    の理由でやりきってみせられたのは「現実に拮抗する映像美」があったからです。
    「大嘘」を視聴者に信じ込ませる「仕掛け」として用意されたのが「リアリティ」
    だったのです。単純に「背景が美しい映画」と思うのは自由ですが、ここまでの
    美術力を発揮しなければならなかったのは、陳腐でくだらないネタで二時間もの
    時間を引っ張っていかなければならない作者の精一杯の決意でありますが、実の
    ところ「アニメ業界一の美術力を持った作家」の自負があるからやれたことでも
    あります。その自惚れや慢心が、こういう出足の印象の悪さを作ってしまったの
    だとすると、下手に多くの賞をもらったぶん「監督/脚本/演出」に関する仕事
    の全部をその道のプロに預けた「美術監督に徹した人生」に仕切り直せませんが、
    新海さんの進退について私が言うことは何もありません。それよりも心配なのは、
    『勝ち馬に乗る』のスタンスで「ろくに論ずる言葉を持たないくせに絶賛する人」
    の存在です。水島努さんが監督したTVアニメ『ガールズ&パンツァー』を当時
    「ガルパンはいいぞ」としか言えなかった人々と『君の名は。』を支持している
    層は別に感じますが、「悪いものは悪い」と言語化できないようではまずいです。


    【 実は恋愛映画ではない? 】
    それでは本編に触れていきます。冒頭でも述べましたように事前情報は何もなく、
    発売日にソフトのジャケットイラストから「高校生の恋愛もの」と知ったくらい
    です。デビュー作の『ほしのこえ』は見ていましたが、こちらは庵野秀明さんが
    監督したガイナックスのアニメ『トップをねらえ!』を下敷きにしたものでした。
    本作は新房昭之さんが監督したシャフトのアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』を
    下敷きにしたものでしょう。絶望的な結末を知っている人間が未来から介入して、
    本来あるべき歴史をねじ曲げて良い結果に導くという展開です。魔法少女である
    ほむらさんが葛藤と苦悩を乗り越えながら魔法の能力を駆使して、瑕疵はあるが
    許容できる未来に着地したのが『魔法少女まどか☆マギカ』という作品でしたが、
    そのような前例があるにも関わらず『君の名は。』はあまりにもご都合主義です。

    一応の理屈づけは行われていまして、ガジェットとして登場した「口噛み酒」と
    いうものがあります。上白石萌音さんが演じるヒロイン「宮水三葉」さんの家は
    「宮水神社」であり「みつは」は巫女さんです。映画の最初のほうで割とゾッと
    するシーンを見せてくれます。作者である新海誠さんの嗜癖ですから、視聴者は
    内容にとやかく言える立場ではありませんが、日本の民俗文化には、女子高生が
    唾液を瓶詰めにして性的な商品として売っていた時代がありました。その歴史を
    踏まえると「口噛み酒」という処女が噛んだ米を吐き出して発酵させて造る酒は、
    宗教的な儀式に従った製法でありながら非常にいかがわしいものに感じられます。
    また、そのヒロインが造った「口噛み酒」を、神木隆之介さんが演じる主人公の
    「立花瀧」さんが、あと一度でいいから「入れ替わりたい」と念じ飲んでしまう
    のですが、みつはに言われなくても「きもい」し、見ていて嫌な汗を掻きました。
    二人の心の入れ替わりは巫女の力で起きた現象ですから、半身を移したとされる
    酒を飲むことで普通の人間でも同等の能力を発動させられる展開は設定通りです。


    そのようにして「巫女さんならこれくらいできる」という本作の中心軸を支える
    ロジックとガジェットにより「三年後の未来人が三年前に死ぬべきだった人々に
    未来の情報を与えて生存ルートに導く」行動で、主人公はヒロインを救出します。
    しかしながら「入れ替わり」の体験は「夢」として認知されるため、それぞれの
    記憶には定着しません。この設定が、「高校生の恋愛」の障壁として機能します。
    だからといって本編のドラマをおもしろくしているかといえば、そうでもなくて、
    主人公の瀧とヒロインのみつはが恋愛関係まで発展する理由が描かれていません。

    「起きたら女子の体になっていた。自分の体だけど、おっぱいを揉めた体だから」、
    「起きたら男子の体になっていた。冗談の願望の東京の男子の生活を体験できた
    から」、だからお互いを好きになったりするものでしょうか。終盤の就職活動の
    シーンに「五年前」とセリフがあるため、入れ替わりの時期は高校二年生だった
    ことが判明します。高校二年生の男子ならバイト先に好意を抱いていてデートも
    した先輩がいるのに見ず知らずの女子に対して本気になりはしないと思いますが、
    こちらも「口噛み酒」と同じく新海誠さんのメンタルとして受け止めれば、そう
    いう展開もあるかもしれないと容認するしかありません。もしくは現代の若者は
    短期間でも知り合えば男女の関係かと錯覚するということを表現したのでしょう。
    みつはの入れ替わり先が瀧だったのは、過去に何かしらの因果があったからでも
    たまたま入れ替わった先でもなく瀧が中学生のときに電車の別れ際に受け取った
    「組紐」が「縁の始まり」となったからです。しかし、それでも恋愛に至るには
    動機が弱いです。視点を変えてみます。実は二人は恋愛をしていなかったのです。


    真実は本編に描かれたものから読み取れるものにしかありません。まず冒頭から、
    ヒロインは田舎に住んでいるが何時の時代の人間であるかを濁して描いています。
    若者が遊べる場所がなくてもスマートフォンを使うシーンがありますから現代で
    あることはわかるようになっています。しかし主人公との時間差が三年間もある
    のは映画の中盤あたりまで伏せられています。瀧からみつはへ、みつはから瀧へ、
    それぞれが送信するメールと電話が繋がらないことに悩んでいる場面があります。

    瀧からみつはに繋がらないのは、三年前の隕石衝突事故で死者になっているから
    です。みつはから瀧に繋がらないのは、みつはの時代の瀧は東京の電車で会った
    とき中学生で、三年後の入れ替わり期に使っていた電話番号やメールアドレスを
    持っていなかったからです。入れ替わりが終わったのはみつはが隕石衝突事故で
    他界したからですが、不可解なのは日記アプリに記述されていた内容が消滅して
    しまうことです。みつはが一方的に知っている状態で瀧に渡された組紐も手首に
    巻かれたままです。瀧がみつはの口噛み酒をご神体に奉納した記憶が瀧のなかに
    残っていたことから最後の入れ替わりを行えました。そのことによって糸守町の
    住民は、みつはに応えた町長である父が発令した緊急避難訓練により生き延びる
    ことができました。この時点で未来は書き換わりましたが隕石衝突から八年後の
    東京で二人が再会したときに涙を流したり入れ替わっていた記憶を思い出すのも
    不可解なところです。なお、親子関係が決して良好とは言えない状態で別居中の
    娘からの非常識な依頼を引き受けた根拠は、みつはの中身が入れ替わっていると
    父が見抜いたシーンにあります。宮水神社の血筋の女子は思春期に入れ替わりの
    体験をする設定が本編で描かれており、これは想像でしかありませんがみつはの
    父もまたみつはの母と入れ替わる体験を記憶していました。そのため同じ体験を
    我が娘が経験している最中と認めれば、町長辞任にもなりかねない行動を執れた
    わけです。また「ティアマト彗星」の再来は地球に逢いに来たという物語全体の
    フラクタル構造です。隕石が不自然な軌道を描いて一二〇〇年周期で同じ場所に
    落下する事象を繰り返したのは『君の名は。』という作品のテーマにこじつけた
    ためです。物理法則では落下がありえないからこそ政府は何ら対策を講じません
    でした。最後の場面で再会した二人はお互いに名前を尋ね合います。タイトルが
    表示され映画はエンドロールに突入します。「二人の恋愛が始まるかも知れない
    のはここから」なのですが、二人のそこからは描かれていませんから、視聴者の
    想像にお任せといった作りになっていますが、二人は相手の名前ばかり気にして
    いました。その感情は恋愛のそれではありません。「ずっと心にあり気に掛かり、
    得体が知れない存在」として二人を結びつけていた感情の正体は『好奇心』です。

    『君の名は。』は恋愛そのものではなく、『未然形の恋愛』を描いた物語でした。
    最後の場面で再会した二人がお互いの名前を確かめ合ってから恋人関係に至るか、
    名前を知ることで好奇心を満たせてお別れするかは『作者のみぞ知る未来』です。


    【 まとめ 】
    本編ディスクには映像特典としてTVで放送されたであろう三〇分の特別番組が
    収録されていました。それをボイスコンテと呼ぶかは知りませんが、声優さんに
    演技してもらいたい通りに全登場人物を自身で演じて録音を用意した新海さんは、
    作品の全部を自分で管理したいタイプの作家です。第一作目が話題になったのは、
    アニメーション制作における全行程を一人でやってのけたからです。その背景に
    個人向けパソコンとソフトウェアの性能の飛躍的な向上があったのは確かですが、
    ボイスコンテは歌の制作における仮歌のようなもので完成品に含まれるものでは
    ありません。邦画の作家のビートたけしさんが「俳優:北野武」としても出演し、
    監督をしながら「役者もやってのける」ことを思うと、美術出身ならスタッフに
    絵を任せず自身で仕上げるべきでしょう。しかしながらアニメ作家として有名に
    なりすぎてしまったことで、同人作品を描くような作り方はできなくなりました。

    次回作も大所帯でやることになるでしょうが、前作の『言の葉の庭』の昼ドラの
    ごとき内容や本作『君の名は。』を見る限り、私個人的には「監督/脚本/演出」
    に関する仕事の全部をその道のプロに預け「美術監督に徹した人生」に転向する
    ほうが良い仕事を残せると思いました。アニメは富野由悠季さんや宮崎駿さんと
    いったレジェンド級の才能の作家が同じ戦場に現役でいますから、全部やりたい
    という「こだわり」を捨てることが「良い作品を見たい」というアニメファンに
    応える最善策になりますし、「悪いものは悪い」と自分の感情を言語化できない
    層がメディアの言説に踊らされる滑稽なニュースを見なくて済むようになります。

    とは言いながらも、隕石衝突シーンは圧倒的な美術力で描かれていて目を見張る
    ものがありましたし、「新海誠フィルターを通せば日本はこんなにも美しい」と
    いうことを絵に疎い私でも感じられました。お話に関しては「君の名前は?」と
    問い続けた理由を「恋愛感情だから」でなく「好奇心を満たしたかったから」と
    結論づけましたが、この解釈に達せなかった人が見れば『日和った』と貶される
    物語構造です。「ヒロインは死んでいた」の展開は見事でしたが結局は救われて
    予定調和です。頭をひねって屁理屈をつけて名作認定するのも見苦しいですので、
    『新海誠さんが大衆に迎合して媚びたアニメ』と評しておきます。今回の成績は
    ターゲットを切り替えたことで、勝ち得たものです。多額の制作費を必要とする
    劇場用アニメを作れる体制の作家は数多くいませんので次回作に期待してみます。



    ◆◇◆◇◆ お知らせです ◆◇◆◇◆
    コミュニティ参加、お気軽にどうぞ。
    http://com.nicovideo.jp/community/co2282621
    僕のネット活動の全ての情報を集結しております。
    バックナンバーも、読み放題になっています!!
    最後まで見てくれて、ありがとうございます。

    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。