【円盤発売記念】魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語  ざっと感想!ざっくり分析!
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【円盤発売記念】魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語  ざっと感想!ざっくり分析!

2014-04-07 15:00
    AIR です。

    まどかの言う「またせちゃってゴメンネ」のセリフは実際のアニメファンが待たされた時間と同じ期間である。2011年の最初のTVシリーズから、2014年発売のブルーレイおよびDVD発売までの期間がちょうど3年だった。劇中最後に描かれる新しい日常における転校生まどかは、親の仕事の都合で3年間アメリカにいたことになっている。このように実際の時間とリンクする時間を設定するアニメは他にも見られる。しかし多作の時代でその伏線を使えるのは自信をもって発表できる作品だけだ。そのくらいには「新編 叛逆の物語」は期待されているアニメだった。個人的にはさやかが一番好きである。それは気持ちを上手に表現できず、お調子者を演じながら穢れていくしかない彼女の性格が私と似ているからだ。TVシリーズのときからピエロな人生をおくって自棄を起こし自滅してしまう部分が本当に自分にそっくりで親近感を抱いた。本作はそのようなさやかファンが特に楽しめる構成になっている。

    TVシリーズを見た方ならご存じの通り、さやかは恋愛に敗北し魔法少女をこじらせて魔女になった。魔女であるが、ほむらに引き寄せられて結界のなかで生活をしている。今回は最初から事情を知っていながら茶番に付き合っているあたりから、2回目以降の事情を把握した視聴者と同じポジションで「さやか役をさやかが演じている」。そしてさやかは登場人物でもあるから、最後に視聴者の代理人として、悪魔になったほむらに物申すこともできた。「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメ作品は原則としてループものだから2回は見ないと内容がわからない。視聴者に2回も同じ映画を見ろと強制するとはひどい話であるが、これはループ作品の宿命だから付き合うしかない。特に新編は「とにかく2回見ないとわからない映画」として構築されている。最初のほむらのモノローグにある「懐かしいあの笑顔と再びめぐり合うことを夢見て」いるのはほむら自身でもあるが、作りたいと思った制作者もいたが、誰よりも続編を待っていたのは視聴者だった。私たちアニメファンである。

    本作をバッドエンドと読むのであれば、魔法少女たちを再び苦しいドラマに連れ込んだ犯人は「アニメファン」以外に考えられない。反逆というサブタイトルはTVシリーズを「まどかの哀しくも美しい自己犠牲の物語」と読んでしまった人への「反逆」であり、劇中で行われるほむらの神への反逆行為とも重なっている。まどかは総集編で、巧妙にしてトンチのきいた願いをキュゥべえに叶えてもらい魔法少女から神、つまり「円環の理(えんかんのことわり)」になって世界中の歴史から魔女の概念を消した。しかしまどかの神化は、本音を隠して無理をした決断であったことが新編で明かされる。マミさんと決闘し、さやかにアドバイスを受けて、記憶から抜けていたまどかがいた過去を思い出した後に再会したほむらは、まどかと過ごした夜の公園で「友達や家族やクラスメイトとも一緒にいたい」と本音を語られる。そしてほむらにはまどかを独占したいという強い気持ちがある。まどかの本音の願いと自分の欲望を叶えるには、ほむらは魔女でも神でもない悪魔になるしかなかった。そうでもしなければ神のまどかをほむらがどれだけ愛していたとしても一人の信者としか扱われない。一個の存在として神と対等に関わり合える存在になるには悪魔化しかなかった。

    本作をハッピーエンドと読むのであれば、まどかは「魔女の不幸がない世界」「みんなと一緒にいたい」の二つの願いを叶えられて幸せになれた。ほむらはまどかを自分の都合の良い大切な友達にできて幸せになれた。キュゥべえは熱力学による宇宙の最後を防げて幸せになれた。しかしこの作品を見てから感じる後味の悪さは、悪人不在の部分にある。誰も悪くないから、わかりやすい話にはならなかった。非常に論理的に進行する脚本なのに種明かしパートに入ってもすっきりとしない。カタルシスを得られない。ただ、冒頭に見られる世界最高水準の映像表現で描かれた魔法少女戦隊の華麗な変身シーンや決めポーズや決め台詞のあるバトルを見たいと願ったのは他ならぬアニメファンである。作りたいと願ったのは制作者だが、本作は甘い展開を許さない作品だから、続編を願い作れば必ず魔法少女たちが不幸になる。私たちが続編を望むほど、彼女たちが苦しむのである。もし次回作があるとすれば、おそらく新編の元になったと思われる昔の作品に倣って、神の軍団と悪魔の軍団の壮絶な戦いの末に、まどかは殺してしまった悪魔ほむらに語りかけながら真の敵であるインキュベーター軍団の降臨の場面で幕を下ろす。



    本編の分析に入る前にソフトの販売元であるアニプレックスに一言だけ文句を言っておきたい。すばらしい作品を商品化してくれたことには感謝しているが、どうしても言っておきたいことがある。劇場では、映画を見に来てくれた観客に向けて同じ新房昭之総監督が手がけた「物語シリーズ」との「コラボマナー告知」が本編前に流された。物語シリーズの登場人物が映画を視聴する前に必要なマナーを告げる内容で、ブルーレイディスクにも特典映像として4種類「忍野扇バージョン/阿良々木火憐&阿良々木月火バージョン/八九寺真宵バージョン/戦場ヶ原ひたぎバージョン」が収録されている。「コラボマナー」と言うだけあって、告知で「ネタバレはダメ!」と制作者が念押しをしている。

    そのくらい本作はネタバレが視聴者の損失になる作品だった。実際に映画を見に行った知り合いも、マナーを守ってネタバレをしなかった。ありがたいことだ。しかし、である。Amazonなどの通信販売サイトや公式サイトのマナー違反がひどかった。映像特典の「商品の説明」に「HOMURA 1st take version.」のみが書かれていれば事故が起きなかったのに、「ほむらが悪魔に覚醒するシーン以降の、ほむらの音声を1stテイクに挿し変えたものになります。」の一行があったおかげで、視聴前に「ほむらが悪魔に覚醒する」と知ってしまった。看過できないミスである。ループもので2回以上見るとしても、初見で得られたはずの衝撃を味わえなかった。制作者側からはスポンサーに何も言えない力関係を続けたいのならば、アニプレックスの広報と営業の人は、作品の内容と制作者の意図を尊重した商業活動をしていただきたい。



    ブルーレイを週末を利用してざっと2回見た感想を忘れないうちに書き残す。今までネタバレ回避のために他の人の感想を見てこなかった理由で、もしかすると被っている部分もあるかも知れない。2時間の映画を連続で視聴して疲労しているという言い訳もあり、ざっくりとした内容で思慮の浅い見方しかできていないが、ここからは最初から最後までを映画を覚えている範囲で初見時点における個人的な見解を興奮した勢いで記す。


    新編の内容はTVシリーズの続編というより、総集編([前編]始まりの物語/[後編]永遠の物語)に伏線のカットがある理由から、総集編からの続編と読むのが正しいようだ。TVシリーズの主題歌「コネクト」は総集編では挿入歌の扱いで使われて、主題歌は「ルミナス」に変更された。コネクトからルミナスへの歌唱力の成長ぶりから、総集編はTVシリーズからさらに数ループした世界であることが理解できて、TVシリーズは別作品として抹消されていないことが「ClariS」の歌声から伝わってくる。

    まず、物語は総集編と同じく、堂々とした専業主夫のまどかの父親が家事を行っているシーンから始まる。この世界では専業主夫という価値観が定着していることや、街や学校の設備が充実していることや、ベベやキュゥべえといった動物を同伴した登校が許されていることから、舞台が理想的な未来の日本であることが冒頭の数分でわかる。まどかのお母さんの職業が不明だが、共働きをせずに立派すぎる一軒家を一人で支えていることから社会的に高い地位にいるようだ。最後の新しい日常生活でまどかがアメリカから転校生としてやってくる場合の可能性を考えると、海外出張もある大手商社の総合職に就いているらしいことを想像させる。

    そしてオープニングテーマが流れる。劇場用作品だが、TVアニメと同じ作りがされている。その理由はおそらくこの映画の企画が、TVシリーズの1クールおよび2クールをもたせる力がなかったために、TVシリーズの延長上にある劇場用作品として作るしかなかった製作側の事情が伝わってくる。オープニングテーマの映像には本編の構造が詰め込まれている。例えばほむらが黒い翼のシルエットを広げる画面は悪魔化を予感させる。それから重要な演出として、まどかは砂を緑に変える。そのような力を持っている。反対にほむらは緑を砂に変える力を持っている。注目するポイントは、この力のどちらが良くてどちらが悪いとも描いていないことだ。最終的に新編をバッドエンドともハッピーエンドとも取れない作りをしている裏付けである。歌のサビの部分では、魔法少女の4人が楽しく踊っているセンターに一人で絶望している暗い表情のほむらがいる。歌の最後で、ようやくまどかから手を差し伸べられるが、その希望の手は砂になって崩れ落ちてしまう。そして世界も砂になる。こうして今作はほむらの絶望と救済の物語であることがオープニングテーマアニメーションの段階で無言で伝えられる。

    学校のシーンである。婚期を焦っている担任の和子先生は中学2年生の生徒でしかないまどかたちに、ふられた彼氏との話を世界が滅べば良い的な内容にまで飛躍して話し、世界の人々の41パーセントがキリスト教の信者で黙示録の話を信じているとホームルームで説明する。この台詞は新編で初めて使われ、そして注目のポイントである。新編の日常とはほむらの脳内の世界である。キュゥべえの陰謀によって街をまるまる脳内に構築してしまったほむらの脳内が舞台である。過去にまどかが自己犠牲を行ったという事実を知っているほむらだから、和子先生に言わせられた台詞と見られるし、物語の底部にキリスト教があることもわかる。それよりも問題なのは今から見るこのアニメの主演登場人物の年齢が13歳から15歳の少女であるという設定である。残酷な物語は、普通であれば中学校の教室や運動場で授業を受けている年齢の子供たちによって描かれるのである。それをスクリーンの前で見ているのは中学校の年齢を卒業してしまった大人たちだ。例外は一人もいない。アニメファンは、そのようにしてアニメの登場人物を不幸にする現実から目をそらしながら、続きを見たがる。転校生の形で主人公のほむらが現れる。今作は基本的にほむらの主観で描かれる。この時点ではクラスメイト全員に顔があることを覚えておかないといけない。

    魔法少女アニメとしての描写が始まる。この世界の敵は「ナイトメア」であって魔獣ではない。確か総集編の前・後編では、最終的に魔法少女は魔獣と戦う設定に変わっていた。視聴者はそのことも踏まえてナイトメアとの戦いを見ることになる。今回の敵は、簡単に出現する。ちょっとしたストレスでも発生するのである。つまり翻訳通りの悪夢(nightmare)である。基本的に中学生の男子はデリカシーがないもので「大好きです」と言ったが軽い笑い声で電話を切られた仁美の感情が、ナイトメア化の原因になった。そのナイトメアとの戦いでさやかは「あんな無神経なヤツを彼氏にするから。人生経験ってヤツ」と話す。このセリフも重要で、一度は恋愛に敗れて魔女になった「あたしってほんとバカ」の過去をさやか自身が覚えていて総集編からの伏線が回収されている。新編の新キャラクターである「ベベ」が、この場面から「きゅぅ~」の声しか出さない動物を演じて正体を隠しているキュゥべえを威嚇している点も見落とせないポイントだ。

    5人の変身シーンが始まる。スーパー魔法少女戦隊である。今作のさやかは自分の殻を破っているから、ブレイクダンスを見せてからの全力ダッシュで自分の体を突き破って変身!という見せ方になっている。5人の変身シーンは順番に丁寧に演出されているが、特にまどかはアイドルとして描かれる。他の4人よりも変身時間を長く取っている。その理由は、この世界自体がほむらのまどかへの気持ちで作られているから、まどかは特別にかわいらしく補正される。まどかが贔屓される。睫毛だって増量だ。

    5人の決め台詞と決めポーズである。魔法少女がせいぞろいして「ホーリークインテット」のかけ声をあげる。魔法少女が「聖なる五重奏」を名乗るのは反語として楽しめば良いが、このシーンの決め台詞と決めポーズは、マミさんの演技指導によるものだと想像ができる。アニメファンがこういうものを見たいと願ったから、作り手もスタンダードな魔法少女ものとしての「魔法少女まどか☆マギカ」のアニメを作りたかったから、という両者の欲望の一致によって今回めでたく5人の決めポーズが映像化された。まどかとマミさんの合体技やマミさんの技名の叫びなどは「アニメファンが望んだもの」だから作られた。だからアニメファンは、ほむらが日常の異常性に気づくまで続けられる退屈な茶番劇に文句を言ってはいけない。

    ベベはナイトメアを倒すときに魔法少女たちをサポートする。仁美ナイトメアの倒し方は「まあるいケーキのラップ」である。たぶん声優さんが最も大変な仕事だったと思われるシーンである。またも注目するポイントはさやかにある。事情をすべて知っているうえで、このような見栄えが良くて派手でかわいらしい演出が好きなマミさんに合わせた倒し方に付き合っていることが、作画からも演技からも声優さんの仕事ぶりからも伝わってくる。おそらくさやかを担当した声優さんだけは、監督あたりから事前に説明を受けていたことを想像させる。そのくらいに空気を読んで話を合わせてやっている感が、声の演技から伝わってくる。そして戦闘終了後、さやかは終わった恋だとわかっているから仁美に上条君との良い夢を与える。悪夢は退治されて仁美は幸せな夢で一晩を過ごす。

    仁美ナイトメアとの戦闘終了後、朝日を見上げる5人の魔法少女戦士たちは仕事を終えて気分を良くしているが、ほむらだけが魔法少女の日常に違和感を覚える。翌日の登校中に「私たちの戦いってこれで良かったんだっけ?」と疑問を抱き始めたのをきっかけにして、クラスメイトの顔の描写が曖昧になる。ぼんやりとしたものにしか認識できなくなる。ただし存在が印象的なためか、担任の和子先生とホームルームでいつも指名されて答えを言わされる中沢君には顔がある。なお、お昼ご飯で上がった学校の屋上から見下ろす街の人々の顔の描写も曖昧である。世界が狂い始める兆候だ。

    ほむらは杏子に相談を持ちかける。相談相手の人選は、ほむらが言う通りに「一番イメージが違うから」だ。そして付き合いの良い杏子は半信半疑だがほむらに付き合ってバスに乗って前にいた街へと向かう。しかしどれだけ走っても、バスを乗り換えても、二人が目指す風見野市に到着することはない。二人は見滝原の街から出られない。歩いても同じだ。ここでは過去のループをテーマにした映画と同じガジェットの使い方をしている。しかし今作はパクリではない。元となったアニメは教養である。その作品を知る人からのツッコミを避けるために上手に同じ演出を再現しているため、新編は「ループ作品の作法」を守ったと読めば良い。やがて二人は「見滝原から出られない!」という事実に到達する。そして二人はこの罠にはめた魔女に気づかれないように静かに別れる。そのときに杏子から「強気の暁美ほむらがしっくりくるくらいだ」と言われるが、この世界はほむらの脳内の世界である。ここで注目するポイントは、ほむらがイメージした自分自身の姿である。総集編でループに入る前の病弱なときと同じ姿であることを思い出してほしい。ほむらのキャラクターデザインは、メガネっ娘で三つ編み二本の姿が正解のようだ。

    罠について考えるほむらは、かつて魔女と戦っていたことを思い出し、まどかがいたことも思い出す。ここは偽りの世界だったのだと確信する。それならなぜマミさんとベベの仲が良いのか。マミさんを食べ殺したのはベベであったことをほむらは覚えている。ベベはかつて魔女だった。ベベが他の魔法少女ではなく、マミさんと同居をしているのは因果があったからだ。ベベを犯人と睨んだほむらは、ほむらとマミさんとまどかの3人のお茶会のなかで時間を停止させる魔法を発動させて、ベベを屋外へ連れ出して尋問をかけるが、時間を停止させたときにはマミさんにリボンを体に付着させられていた。ほむらの魔法は、時間を止めている間に接触したものは同じく動けるようになるという性質があるからだ。総集編ではほむらとマミさんは仲が悪いように見えたが、ほむらは性格が苦手だったと告白したことから二人の仲が悪いわけではないことがわかった。ほむらに尋問されるベベを追いかけてきたマミさんは、大切なベベがいじめられていることに怒り、ほむらと対決することになる。

    二人の戦いは対等に見えたがマミさんのほうが強かった。勝ち目がないと読んだほむらはフェイクの銃自殺を見せて、止めに入るマミさんのリボンを切断することで自分だけの時間に閉じこもることができたが、それすらマミさんに読まれていたため、逆に縛り上げられてしまう。ほむらはマミさんに質問を行う。自分自身が口にした答えでマミさんも日常の違和感に気が付いてしまう。魔法少女が戦っていたのは魔獣である。それではナイトメアとは何なのか。ほむらの危機をさやかが救う。ほむらは場から逃げ去り、場に残されたマミさんは、魔女の姿から人間の形に正体を明かしたベベからこの世界の説明を受ける。一方でほむらもさやかからこの世界の説明を受ける。ほむらと会話するさやかは自身が魔女だと知っているから魔女に対して好意的な発言をする。魔女の肩を持つ発言をする。そのことがほむらの気に障り、二人は戦いになるが、さやかはこの夢から覚めても良いのか悔いの残らない選択をするようにアドバイスを残して場から去る。ほむらは「こんな茶番劇、まどかの犠牲を無駄にしているだけよ」と苦しんで戦場を後にする。


    ほむらはまどかと合流する。夜の公園に入る。一面が白いお花畑で二人は話し合う。ほむらはずっと一人でつらかったことを正直に告白するが、正しい記憶を持たないまどかは戸惑うしかなかった。しかし優しいまどかは「ほむらちゃんでさえ泣いちゃうつらいこと、私に我慢できるはずないじゃない」と言い、「友達や家族やクラスのみんな、誰ともお別れしたくない」と本当の気持ちをほむらに伝える。そうしてほむらは知ってしまう。総集編でまどかに選ばせてしまった神になるという選択は、まどかが無理をして選んだものでしかなかったことを知ってしまう。優しすぎて強すぎる決断を、まどか自身は覚えてはいなかったが、まどかの本音を知ってしまったほむらは「どんな手を使ってでも神になることを止めなければならなかった」と覚悟を決める。映像的にはお花畑の花々が急成長をして、綿毛のついた種子を空に飛ばせる幻想的なシーンが描かれて世界の霧散を象徴する。物語は映画としてのターニングポイントを迎えた。ほむらは、「やり残したことがある」と言ってまどかと別れる。漢字から推察できるが「まどか」は総集編で「円」になった。新編で「ほむら」は「炎」になる。

    ほむらは杏子に最終確認の電話を入れる。ゲームセンターにいた杏子は当然ながら魔女のことを知らない。まどかのことも本当は知っているはずがない記憶だった。まどかが存在する世界を捏造できて他の魔法少女に偽の記憶を与えられるのはまどかを知っているたった一人の人物だけである。魔法少女たちを惑わしていた犯人を消去法で推理して特定に至った名探偵ほむらはソウルジェムを手放しても動き続けられるかどうかという危険な実験を行う。もしも自分が魔女であれば何も起きない。ソウルジェムをバス停に置いてバスに乗る。バスが、バス停から遠く離れてもほむらは平気でいられたことを知る。バス停に戻り、自らのソウルジェムを銃で撃ち砕く。ほむらは「魔法少女ですらなかった」ことを知る。「いつから私は、魔女になっていたの!」と叫んで、絶望する。そしてこの映画がほむらのモノローグを終えた冒頭から今の瞬間まで魔女化していた自分自身の絵空事だったという衝撃の事実を視聴者に伝えた。

    映画の舞台が崩壊する。ほむらの脳内の世界が崩壊する。魔女の世界に入ったほむらは、ようやく人間語をしゃべりはじめたキュゥべえから本当の命と魂のありかを教えてもらう。現実のほむらは、限界まで濁りきったソウルジェムに閉じ込められていた。なぜ濁ったのか。なぜ賢いほむらがソウルジェムを濁るようにしてしまったのか。それはまどかに遭うことができないつらさからだ。キュゥべえによると魔獣と戦う世界で「ほむらが語った魔女の概念」を信じて仮説から始めた魔女の発生実験である。するとほむらは脳内に世界を構築した。キュゥべえでも驚くことに、ほむらはフィールドのなかに街をまるまる再現した。フィールドは一方通行で外からの観測しかできないが、望む人物だけは中から引き込むことができる。だから既に存在していない人物でも登場できる。特にまどかの存在は、不可解だった。ほむらの力はまどかの円環の理による魔女救済の力にも作用して、ほむらとまどかの記憶を奪うほどのものだった。だからまどかは自分が神であることを忘れて、ほむらは自分が魔女であることを忘れていた。キュゥべえの実験はまどかの存在を確認することで、干渉して支配するために始められたが、ほむらが魔法少女になった理由は、まどかを救うためだった。だからまどかの正体が暴かれるくらいなら「魔女のままで死んでも良い」という決断をする。


    キュゥべえは「殻の中で魔女化すると、円環の理にすら救われることはない」とほむらを止めようとするが、ほむらは「それでいい」と答える。総集編のオープニングテーマの1カットに見られたベンチで身を寄せ合うまどかとほむらの幸福な二人の場面の続きが描かれる。まどかは倒れて、地面に吸収されて世界からいなくなってしまう。地面を叩いて苦しむほむらは「お別れを言えなくてゴメンネ」と後悔して、自殺を望んで巨大な魔女の姿になる。脳内の世界で魔女化してしまう。そして出現した巨大な断頭台に向かっていく。泣きながら歩く魔女ほむらを救済するために、4人の魔法少女たちが集結した。キュゥべえがほむらとの間に入って止めようとするが、杏子から「あんた、普通にしゃべれるんだ?」と突っ込まれる。マミさんは、「ベベから聞いた話を信じるしかない」と答える。ベベは正体を現す。魔女であるベベはお菓子の魔女に魔女化する前は魔法少女の一人だった。魔法少女なぎさとしての姿を披露する。

    さやかは最終バトルに向けて最も強いバージョンに変身する。胸に剣を突き立てる。事情を最初から知って茶番に付き合っていたさやかは、魔女の姿を取り戻して戦いに参加する。魔女を出現させた後の本体は別行動ができるからだ。なぎさも魔女の力と使い魔を使って敵と戦う。さやかとなぎさはかつて魔法少女から魔女になったが円環の理によって救われた二人である。二人は本当の記憶をまどかに届ける役割を担って、ほむらの脳内の世界でキュゥべえにばれないように暮らしていたが、ほむらが日常の異常性に気が付いたことをきっかけに「魔女になってしまったのなら助けるしかない」と魔法少女たちと共闘する。戦いのなかで杏子もさやかが死ぬことを思い出した。さやかは杏子を置き去りにして円環の理になったことが心残りだったことを告白する。魔法少女全員の偽りの記憶が剥がれて心が通じ合った瞬間である。

    マミさんは最終バトルでも技の名前を叫んだ。このことから仁美ナイトメアとの戦いで見せた魔法少女戦隊の決めポーズも決めセリフもマミさんの考案だったことがわかる。さやかはまどかに事前に作戦を告げてあった。結界の殻を破れば良いのだと伝えてあった。だからまどかは天井に向かって矢を射続ける。そしてまどかは魔女になったほむらに向かって、「ゼッタイにあきらめないで!」の言葉をかけて、魔女のなかからほむらを人の形で引きずり出す。そして二人は天井に向かって矢を射る。魔女の結界を破壊する。しかしこのときの二人の想いは既にすれ違っていた。「もう私はためらったりしない」と言ってほむらは矢を射るが、ほむらには悪魔化も受け入れる決断ができていた。このまま結界が崩壊すると円環の理のまどかが現れてしまう。それを避けられないのなら、キュゥべえにまどかが暴かれるのなら、「自分の手でまどかを守るしかない」と考えていたからだ。

    そしてリアルに戻る。何が原因かわからないが、崩壊した世界のなかで、濁りきったソウルジェムの状態のほむらが横になっている。ほむらは目を覚まさない。他にいるのは杏子とマミさんの二人だけだ。さやかもなぎさも円環の理に還ってしまった。しかし結界がなくなって、魔女の存在を確認できればまどかは出現する。この法則の通りに間もなくまどかが降臨する。「またせちゃってゴメンネ」。ほむらはつぶやく。「このときを待っていた」、そしてほむらはまどかの一部を剥ぎ取ってしまう。

    総集編でまどかは宇宙の法則を書き換えた。魔法少女が魔獣と戦う世界になった後の魔法少女のソウルジェムは砕け散るとどうなるのか。呪いに染まったソウルジェムは本来は消え去るルールだが、まどかの一部を剥ぎ取ったほむらは消滅しなかった。世界が書き換えられてキュゥべえは混乱する。ほむらにとって世界の改ざんは2度目の光景である。ほむらのソウルジェムを濁らせたのは呪いではなかった。それは、まどかへの気持ち、人間の感情の極みである「愛」だった。まどかが神になるくらいに因果を収束した存在であるのであれば、その理由を作ったほむらも同程度に因果が集中した存在である。だからほむらは、「魔女ですらなく、神にも等しい聖なるものを蝕んだ存在として悪魔」になれた。魔女ほむらを見たキュゥべえは「人間の感情は危険すぎる」と言って逃げようとしたが、ほむらはこの世界の呪いを処理する働きをさせるためにインキュベーターを逃がさなかった。


    新しい日常が始まる。神も悪魔も魔法少女も人間も同居する世界の始まりだ。登校中に出会ったさやかは、ほむらに怒った。総集編から今までに起きたことを最初から理解していた存在だったさやかは、まどかが二つに分かれた巻き添えによって、円環の理の場に戻れなくなってしまった。それはなぎさも同じである。なぎさは小学生だから笑って通り過ぎるだけだった。だが、さやかはほむらを許せなかった。しかし悪魔の力は魔女の記憶も消してしまえる。記憶を書き換えるくらいの力をほむらは持っている。世界の外側とつながっていた感覚を思い出せなくなっていくさやかは「悪魔であることだけは忘れない」と言うが、悪魔の力には抗えず、日常の生活に吸収されてしまう。本当の気持ちを伝えきれずに、仁美と上条君にお調子者として挨拶ができるくらいの関係の日常の生活をおくる一人の人間に戻ってしまう。

    教室の場面になる。最初とは逆転して、3年間アメリカにいたというまどかが転校してくる。総集編のほむらとも反対の構図である。休み時間になり、ほむらは「校内を案内する」と教室からまどかを連れ出した。まどかはほむらの強引な態度に戸惑いながら、いきなり違和感に気付き始める。「むしろ何も変わっていないような、むしろ、変わったのは私だったような」、その呟きを聞いたほむらはまどかを抱きしめることで記憶の復元を阻む。続けて「欲望と秩序のどちらを大切にするのか?」を質問する。まどかは、「自分勝手にルールを破るのは悪い」と答える。ほむらは「敵になるかもしれないが、それでもまどかを守る」ことを約束して、総集編で円環の理になったまどかから手渡されたリボンをまどかの髪に返す。

    そのリボンは最初にまどかの母に選ばれて、円環の理になったまどかがほむらに渡し、ほむらがまどかに返したものだ。リボンのリレーはこのようにして終わる。だからまどかが覚醒したときには敵対関係になることを想定しなければならない。まどかに記憶が戻らないあいだは幸せで平和な日常の生活をおくれる。さやかと仲良しの同居人の杏子や、家族と仲良しでいられるまどか、まどかが望んだように世界には魔女がいない。ほむらが悪魔になることによって、まどかの「孤独はイヤ」「魔女がいる世界もイヤ」の二つの願いが両立した。そしてエンディングが流れる。ハッピーエンドともバッドエンドとも取れない雰囲気を持ったエンディング曲が流れる。

    スタッフロールによって左と右に隔たれた二人の生きる世界は、まどかの日の当たる世界とほむらの日の当たらない世界の二つであって、中間の世界が存在しないことを表現する。それは神と悪魔の世界が明確に別であることを表したものだ。だが、スタッフロールが流れ終わると、二人は手を取り合って、手をつないだまま、遠くへと走り去る。ずっとずっと手をつないだまま、走り去る。ここで思い出していただきたいのがオープニングテーマアニメーションである。まどかから差し伸べられた手は砂になって崩れ落ちたが、円環の理からまどかを引き裂き、悪魔となって世界の改ざんを行ったほむらはまどかに触れることができるようになった。新編を経て、二人は手をつなげる関係になったのである。新編はこのような形で大切な友達への想いを描いた切ないラブストーリーとして総集編の物語に追記された。そしてエンディングテーマが終わりCパートが始まる。

    半月に照らされた夜の草原だ。キュゥべえは、毛並みが荒れてボロボロである。独り椅子に座るほむらは機嫌が良い。鼻歌を歌い、悪魔用の新しいソウルジェムに微笑みかける。大切な友達であったまどかを「自分にとって都合が良い女」にできたほむらに悲しみも悔しさも迷いもない。まどかの二つの願いを叶えて、自分のまどかへの愛も満たすことができた。さらに悪魔化したことで、強敵であるはずのインキュベーターも支配できている。ただし、再び思い出していただきたいのは総集編のオープニングテーマアニメーションである。草原のベンチで身を寄せ合って幸せそうに見えた二人のカットは、魔女化したほむらのシーンでまどかが地面に吸収されて世界からいなくなり、新編中で実現することのない空想として伏線が回収された。そのため、同じく草原で椅子に腰掛けている場面であっても、円環の理が引き裂かれる前であれば二人は日の当たる世界で同じベンチに座る可能性があったのに、まどかを引き裂いた新編のCパートでは、二人で身を寄せ合えるベンチはない。だからほむらは独り用の椅子に座っている。自分の決意の結果だから後悔をしない。まどかが引き裂かれたという事実は「半月」の描写に象徴される。円環の理が引き裂かれる前の月は「満月」だった。それは新編で魔法少女の活動に不信感を抱いたほむらが探索に向かった街で杏子と別れた直後のほむらの背後に描かれた大きな満月のカットに確認できる。しかし漢字から推察できるように文字通りの「円」だったまどかは悪魔化したほむらの手で半分に引き裂かれたため、月は半円の形で描かれた。新編オープニングテーマアニメーションではみんなと踊れなかったほむらが、エンディング曲のスタッフロール中では独りで踊れるようになった気持ちの変化からみても、今作は「欲望を優先したことにより、ほむらが救済される物語」であったと読み取れる。人間が持つ倫理や感情を「わけがわからないよ」と言って理解できないはずだったキュゥべえは魔女という存在に変化したほむらに怯えながら、何か次の悪巧みを考えているのか、魔女の力に怖れているのか、何も考えていないのかすらわからない、震えが止まらない目と瞳孔のアップを視聴者に向けて、新編の映画は幕を下ろす。


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