映画「アナと雪の女王」(2013年)  世界共通言語で語られた優美で憂鬱な映像
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映画「アナと雪の女王」(2013年)  世界共通言語で語られた優美で憂鬱な映像

2015-05-09 15:00
    AIR です。

    今回のお題は、2013年公開、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズの本家による
    映画「アナと雪の女王」です。松たか子さんの歌の力で有名になったアニメです。

    マーケティング至上主義で映画を作るとどうなるか? 世界規模で行った実験の
    結果から「世界の中心はやはり女子」が証明されて男性には痛々しい映画でした。
    本作の視聴はディズニーランドに行ったことがない私にとってディズニー商品の
    初体験になります。遊園地ビジネスのほうは景気が良いという評判をききますが、
    本業のアニメビジネスは不景気であるらしいことがアナ雪から伝わってきました。
    ディズニーを読むには過去作品を幾つか見たほうが良いのですが本作のみを見た
    限りでは「ここのところヒット作を出せていない。これは作り方の問題ではなく、
    売り方の問題だ」と方針を切り替えた経営者による決断が感じられました。これ
    までもディズニーの名前を聞くことはありましたが、ほぼ遊園地ビジネスのほう
    の話題です。遊園地は年間パスポートなどリピーターを囲い込む戦略が成功して
    いるようですが、アニメ映画の評価を簡単にはできないのは、来場者数の数字の
    資料が役に立たないからです。特にディズニーは遊園地ビジネスのリピーターが
    「ディズニーの新作アニメだから」というお布施意識で映画館に複数回来場する
    可能性があります。また「ディズニーだから大好き」といった信仰心から「黒い
    ものが白く見える心理」も働きますためディズニーアニメに関しては制作会社の
    ほうも盛られた表向きの数字を除外して本当の評判を調査しなくてはなりません。

    ディズニーアニメに限らず映画の評価は簡単ではありません。なにしろ映画館は
    前払いです。これはそのまま「退席の自由」が認められていることでもあります。
    つまらない映画に1時間半以上も付き合う理由はないのですが、来場者の多くは
    「入場料を払ったから最後まで見ないといけない」という先入観に囚われて席を
    立ちません。そして「お金を払ったうえに時間まで使った」人には「私の体験を
    無駄と思いたくない」という意識が働きます。そうなると「映画館に入場した=
    最後まで見た映画=良い映画」という感情のトリックにより「映画館で見たもの
    は良い映画」と思い込み、そもそもの入場理由の「ディズニーだから」を忘れて
    「ディズニーだから見に行った=ディズニーは良い映画」との刷り込みが毎年の
    新作の視聴の反復体験により強化されるわけです。これはマインドコントロール
    の手法ではありますが自主的な行動であるために規制対象の問題にはなりません。
    遊園地ビジネスの興業成績を落とさないために、ディズニー社は新作映画を毎年
    公開しています。それは洗脳の効果が薄れて消えるのを防ぐ目的があるからです。

    そのサイクルがディズニーの強みでもありますが、私のような一見の客は冷静に
    見ますから映画館の前払い方式では「お金を払ったうえに時間まで使いたくない」
    ためつまらなければ途中で逃げてしまいます。それでも来場者数の数字は資料に
    記録されますから「来場者の全員が退席した映画」でも「1000万人来場」は
    「1000万人の興行成績」として評価されます。これが「アナ雪ビジネス」の
    始め方です。1作目の公開で過大評価を得ておけば次回作を作る予算を獲得でき
    ます。広告代理店を駆使してでも大当たりしている雰囲気を捏造して、映画館に
    来場させるのです。これまでは私が無関心だった向きもありますがディズニーは
    遊園地ビジネスのほうが主でアニメは新規顧客の開拓を諦めているように見えて
    いました。しかし今回は「途中退席」も「居眠り」の自由もある来場者に向けた
    工夫を凝らし映画館に居てもらえるように「売り方」を変えてきました。これは
    経営が頭打ちになったか収益向上を狙ったか、責任者のジョン・ラセターのみぞ
    知るところですが明らかに方針の転換です。売り方の変更は制作現場にも変わる
    ことを要求してきますからそれがミュージカルの形式が本作で採られた理由にも
    なっています。そして狙い通りの商品として狙い通りの客層に大ヒットしました。


    それでは本編を見て行きましょう。日本のTVアニメのファンである私の目には
    「急に歌い出す」展開に頭を抱えるばかりでしたが、本作のようにストーリーの
    能力を放棄した映画では有効な手段です。アナ雪は基本的にダイジェスト映像を
    編集で繋ぎ合わせて1本のお話に見えるように仕立てた造りのため雑さが目立ち
    ます。おそらくは作り手が用意したテーマが噛み合わなかったためにストーリー
    が停滞する場面を力尽くで進行させるべく採用されたのがミュージカル形式です。
    それは「このシリアスな場面で歌っている場合か!」というツッコミを見ている
    に要求しますから視聴者は寝たくても「眠ることができない映画」になります。
    しかし「急に歌い出して笑いを誘う芸風」に慣れていない日本のアニメファンを
    混乱させる形式ではあっても一発芸の多用はいい加減に飽きてしまいます。また、
    アナ雪の歌は挿入歌とは違いますから、肝心な場面で異化効果が発動しないため、
    自滅の演出にもなります。ダイジェスト映像とダイジェスト映像の接続用途での
    歌という構造が本作のテンポを維持していますが、それがおもしろさに至るかと
    言えば別の問題です。そして見続けていることで男性視聴者に対しては苦笑して
    ばかりもいられない対象の壁に遭遇することになります。画面を通して作り手が
    「アナと雪の女王」という映画は「視聴対象の性別は女子」と言ってくるのです。

    この映画は徹底的してお客様に媚びて作られています。主役を対極的なキャラの
    二人に設定したのは視聴者がどちらかには感情移入ができるようにとの配慮です。
    おてんばでお行儀が悪くて男好きだが楽観的で行動力があるアナでも、内向的で
    自分の殻に閉じこもって感情表現が下手なエルサでも、もしくは場面に合わせて
    両方にでも自分を重ね合わせて視聴することが女子には可能なように親切な設計
    がされています。この映画の制作者は明確に「お客様は女子」と限定しています。
    そのため「男は居心地が悪くておもしろくない」のはプラン通りの制約なのです。
    マーケティング市場主義で映画を作る際に、ひいきにするお客様と、それ以外の
    性の切り分けが行われました。「世界の中心はやはり女子」と割り切ったことで
    子供から大人まで、幅広く女性には受けの良い映画になりました。例えば冒頭で
    氷屋の男達が勇ましく売り物の氷を湖から切り出すシーンが描かれます。多くの
    視聴者は記憶に残っていないと思われますがアレンデール王国の主要産業は氷の
    塊の輸出です。しかし女王が氷の魔法の使い手になりますため本編中には描かれ
    ませんでしたが、氷売り業界は自由自在に氷の生成をできるエルサによって消滅
    します。そのことにより男達はほとんどが失業者になるのです。足代わりとして
    活躍したクリストフはアナにソリを弁償していただいて喜んでいますが、氷売り
    という彼の職業はこの国に残っていません。あんなにも活躍したのにヒーローに
    なれず、クライマックスでもエルサの危機を救ったのは妹のアナです。王子様が
    詐欺師だった設定も含めて振り返ると、この映画が徹底的に男の価値を否定して
    いることがわかります。両親にしても姉妹の関係を描く映画に不要というわけで
    序盤であっさりと海難事故で他界します。キャラの処分ですから悲しみの描写は
    ありません。エルサが自立するために必要なのは王家の長女という立場であって
    両親ではありません。氷の魔法を使えるようになった理由は作中に描かれません
    でしたし呪いの力を持つ魔法少女が人々から差別される場面もありませんでした。

    最終的にエルサは世襲制で得た女王の地位と魔法の力と男の仕事を奪ったことで、
    社会的に完璧な存在になりました。エルサは本人のみで自己完結しますから他人
    を求める必要もなければ依存することもなく社会の中心に立つことができました。
    本作の異常な点は、ストーリーを王道進行に直してみる作業によって露出します。
    冒頭で氷屋の男達を描いていますからヒロインの女の子は王子様と別れて氷屋の
    男性と結ばれるハッピーエンドを迎えますが、劇中におけるクリストフの結末は
    お姫様に飼われた立場に浮かれている失業者です。女に扶養される無力な男との
    関係が好意的に受け入れられてしまった市場からは女性達の欲望が見えてきます。
    「真実の愛」という言葉が頻繁に用いられたのは冒頭の設定を隠蔽するためです。
    アナ雪は本当は怖い映画ですが実相を反映してもいるため引いてもいられません。
    松たか子さんの「レット・イット・ゴー」にも触れてみます。家出したエルサが
    ずっと隠してきた魔法を自制なく使って自分が引きこもるための氷の王国を建設
    する場面です。「ありのままに」欲望を満たす行動は母国を寒波で苦しめる状況
    を作り指名手配を受ける結果になりました。ここには一人のわがままを通すには
    周囲の人間が犠牲になるという人付き合いの構造が見られます。このエルサには
    周囲の人間の気持ちを考えるという想像力が欠如していました。しかしレリゴー
    が良かったというのが本作の評判の大半です。「ありのままに」の歌詞が良いと
    感想を持たれたのでありましたら、徹底的にお客様に媚びるのがアナ雪ですから、
    「男や社会は女子の欲望の犠牲になっても省みる必要はなし」とする自分勝手や
    わがままの肯定がマーケティング至上主義から導き出された需要だとわかります。

    公開後の答え合わせでも「女子からの絶賛」により正解となりましたから、方向
    としては間違ってはいないことが証明されました。だからこそ儲け主義の本作が
    今後の「映画の無難な稼ぎ方のスタンダード」にならないことを祈るばかりです。
    「彼女と映画を見に行ったら、僕はがっかりだったが、彼女が絶賛しているから、
    良かったとしか言えなかった」「ビデオをレンタルしてきたら娘達が喜んで見て
    いるから、お父さん嫌われたくないし、良かったとしか言えなかったよ」という
    状況は、男を相手にしていても商売にならないという数字から生み出されました。
    ディズニーランドの来場者の男女比を調べてみたところ、男性客は4分の1です。
    家族連れのお父さんや彼女連れの彼氏さんを除けば積極的な男性客は少数のため、
    キャラクターグッズを購入する7割ものお客様の「女性に媚びなくてどうする!」
    という発見がアナ雪のコンセプトを作ったのでしょう。しかし他の映画の制作は
    収益の回収のモデルが違いますため「アナ雪ビジネスモデル」を採用する理由は
    ありません。それでも「話題になっているから、見に行った=私の体験を無駄と
    思いたくない」の感情のトリックを利用した商売が有効なのは事実です。例えば
    バレンタインデーやクリスマスなどの宗教の行事が営利目的で利用されています。
    「話題になっているから参加した=私が行ったことを無駄に思いたくない」から
    「バレンタインデー/クリスマスは楽しいイベント」の印象が日本中に広がって
    います。それでも映画は料金先払い方式のため「途中退席も居眠りも自由」です。
    「話題だから、見た=私の体験を無駄と思いたくない」の感情のトリックが働く
    のはブルーレイやDVDでも同じですが停止ボタンを押せばディズニーの洗脳を
    避けられます。楽しめなくても変人扱いはされませんから恐れる心配は無用です。


    映画「アナと雪の女王」の徹底した女性賛美と男性否定の試みは新しかったです。
    しかしながら私の視点からはアナ雪という映画は主張が本編を毀損しているため
    「作品」ではなく「商品」にしか見えませんでした。付き合いで見ている男性が
    不愉快になる以前にストーリーの雑さと投げっぱなした終わり方と別のアレンジ
    でもレリゴーで押し切る構成には「いい加減にしろ!」と言うより他にないです。
    それでも語る言葉を持たない少女に向けて「レリゴーが良かった」の模範感想を
    本編に仕込んでおいた手際の良さには「そこまで媚びますか」と驚くばかりです。
    私が本作を最後まで見られたのは「話題になりすぎた理由を知りたい」の目的が
    あったからですがディズニー以外では使えないモデルで参考になりませんでした。
    もしも彼女や娘が喜ぶ以外の理由で楽しめた男性がいれば話をきいてみたいです。


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