映画「スクール・オブ・ロック」(2003)日本社会を支配する学歴コンプレックス
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映画「スクール・オブ・ロック」(2003)日本社会を支配する学歴コンプレックス

2015-06-06 15:00
    AIR です。

    今回のお題は、映画「スクール・オブ・ロック」です。こきおろすことも簡単に
    できますしコメディとして楽しめたと言うこともできてしまう不思議な映画です。
    日本の有名なTVドラマに「3年B組金八先生」がありますが、学校という歪な
    世界に「規格外教師を投入したらどうなるか?」の視点では同一の構造に見える
    作品です。主人公はバンドを追放された落伍者のロックおじさんです。3年B組
    と異なる設定は「問題児を抱えない超エリート小学校」を舞台にしている点です。
    しかし、本作におけるロックの定義は「反抗」です。10歳といえば自分という
    概念が芽生える年頃です。ロックおじさんのデューイ・フィンが友人の名を騙り
    シュニーブリー先生を演じているときの子供の扱いは誠に見事で、クラス全員の
    素質を見抜いて一人の除け者も作らずにロックバンドとサポートメンバーを割り
    当てるシーンは非現実的すぎて感動を覚えます。たとえば吹奏楽部などは本人が
    音楽をしたくて入部しても、希望通りのパートに入れるとは限りません。本作の
    主要メンバーは10歳の設定でありながら私の目には20歳の若者に映りました。
    親が用意したレールの上でお行儀よくカリキュラムをこなしていくことで評価を
    獲得し将来の社会的な地位が約束された子供達という見方をしてみると、大学の
    教室で単位を取得するため興味がない授業に参加している大学生の日常を収めた
    映画としても見られるようになります。しかしながら、絵的な客引き目的からは
    大学生よりも小学生のほうが画面が映えるため小学生が選ばれたと思われますが、
    本作が優れているのは凡庸な脚本家であればステージが成功した場面で解散して
    映画を終わりにしてしまうところを、ミュージシャンとしてビジネスをしている
    場面まで描いている点です。映画「スクール・オブ・ロック」を大学生の教室に
    乱入した規格外教師の活動を描いたものであると置き換えて読み直せば、本作の
    ラストシーンは将来有望な若者を落伍者へと陥れた悪夢の現場の映像になります。

    大学に進学する人の理由は様々です。本人の希望という一面もあれば就職の際に
    有利になるからといった理由もあります。大学のほうも就職先の企業名を宣伝に
    使い生徒を募集しますから、就職予備校でもある側面を否定できません。就活の
    テクニックを指導できる組織が就職を望む若者を食い物にする関係は大学自体が
    大学にしかできない学問体験の提供を放棄しているように見えて、私には残念に
    感じられます。よくある質問の「東大中退者は高学歴なのですか?」への答えは
    簡単です。インターネットでは多くの大卒者がFランクと非難されている現実が
    ありますが辞書によれば「学業の経歴」を学歴と呼ぶため、中退は高卒扱いです。
    語弊があるかも知れませんが「Fランク学士>東大中退」の関係が成り立ちます。
    それでも「東大中退は高学歴?」の質問が出てしまう背景には日本国民の多くに
    「学歴コンプレックスを抱えてしまわなければならなかった何か」があったから
    ですが、その何かとは高卒である東大中退者を「高学歴」と感じてしまう理由と
    重なります。日本の大学入試制度は「入学のしづらい順に生徒を振り分けている」
    ため、人は「自分には無理だった東大に入学できた人々」を「すごい」と感じて
    しまいがちです。しかしそれは催眠術か洗脳の類いであり、あくまで大学入試は
    「高校レベルの学力競争」である事実を見落としています。学校で学んだことが
    社会では役に立たないという嫉妬もよく見かけますし大学を卒業していなくても
    成功した人という中退者向けに書かれた記事も見かけます。しかし、この二つは
    大前提のところで齟齬を起こしております。現在のように、ITインフラが整備
    されて国民にスマートフォンが普及し終え誰でも何処でもインターネットに接続
    できる環境があれば、情報だけは経歴無関係に入手が可能です。場合によっては
    小学生が難関な資格をクリアする可能性すらもありうるのです。それでもそれは
    「検索エンジンや情報ソースなどITインフラのおかげ」でしかありませんから、
    本人の能力と無関係です。同様に「学問の習熟度とビジネスの成功度」は無関係
    ですから「大学で単位を取得して卒業を達成した体験」の価値を揺るがす因子に
    成り得ません。ビジネスやお金儲けが上手な人はその能力が長けているだけです。
    Fランク学士が何大学中退よりも上位という関係の根拠は、「学位」に国際的に
    通用する普遍的価値があるからです。日本人がすごいと思い込んでしまっている
    「東大中退」のステータスは失礼な言い方になりますが、国際社会では「高卒者」
    の分類でしかなく「高卒レベルの学力の人間」としか見てもらえない落伍者です。

    映画「スクール・オブ・ロック」は落伍者がヒーローになっていくストーリーと、
    超エリート小学生たちが主人公に導かれる形で自分たちの才能で生きていく道を
    邁進するストーリーが交錯して描かれます。形骸化した学問体験を受けただけの
    大学卒業者が才能の面で訓練を続けた落伍者よりも人間として立派という保証は
    ありません。また、学歴を持たないがために学歴コンプレックスというドス黒い
    動機を奮い立たせて攻撃的に人生を生きている様子が無様であるとも言えません。
    なぜならば二つは生き方の違いでしかないからです。インターネットでFランク
    と蔑まれようとも「大学を卒業したことは立派」ですし学歴を持たなくても商業
    活動で成功していれば「ビジネスの面では立派」です。そして、二種類の人間に
    共通して言えるのは「日本人は学歴コンプレックスからは逃れられない」という
    呪いです。抜け道にいるのは「東大を卒業した人」ですが全能感から人を見下す
    ようになってしまっては何のために国費で人材を育成した?という話になります。
    義務教育のみで社会に出た人の納めた税金が人を増長させてしまう大学の運営の
    費用に使われているのはやるせない話です。しかし、救いはあります。あらゆる
    社会人の活動は巡り巡って誰かの役に立つのです。本作でありましたら、音楽は
    人間に解放をもたらします。本編におけるロックの定義は「反抗」でした。その
    相手は「大物」です。作内に登場する大物は校長先生でしたが、彼女は役職上で
    真面目な大人を演じておりますがアルコールが入って主人公に感情を吐き出した
    精神面はロックでした。生徒たちはロックおじさんと出会った事件から低学歴に
    なってしまったのかもしれませんが、ラストシーンでは仕事のオファーの電話が
    殺到です。しかし「スクール・オブ・ロック」の人気は永遠に続くものではあり
    ません。それでも、メンバーが次世代のロックおじさんやロックおばさんとなり、
    第二のスクール・オブ・ロックを誕生させるのならば落伍者でも立派な人生です。
    S先生は人間の可能性に風穴を空ける人物でした。その出会いは福音と言えます。


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