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映画「桐島、部活やめるってよ」(2012)不在の主人公と学校の中で
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映画「桐島、部活やめるってよ」(2012)不在の主人公と学校の中で

2015-06-13 15:00
    AIR です。

    今回のお題は、映画「桐島、部活やめるってよ」です。途中まで、ひどいものを
    見ている感じがしましたが、制作意図を読めてくれば本作で作者がやろうとして
    いることがわかってきます。おもしろさはなくても、意欲的ではあった作品です。


    【勝負を仕掛ける制作者】
    舞台は高校です。すべての場面が校内です。撮影のコストも低予算でいけますが、
    内容的にコストのかけようがないため「内容で勝負をかけてくる」ということを
    察して視聴者は映画に向き合わなくてはなりません。舞台が社会に出ないために、
    エリート校か底辺校かわかりませんが、そうした設定も本編に関係がありません。
    高校の校舎には高校生がいます。高校生は人間ですから、人間の関係があります。
    それを「スクールカースト」と呼ぶのは誤読の罠ですから、早とちりは危険です。
    この映画は「学校が世界で、世界の中心は一人一人の生徒である」の考え方です。

    【登場人物全員が主人公】
    昨今の多くのTVアニメに見られる「主人公ポジションキャラを複数用意」する
    方法が今作でも採られています。本作は登場人物全員が主人公です。逆に言えば
    登場人物全員が脇役です。わかりやすく言い直せば人物同士の間に序列がないと
    いうことです。作劇では「結ばれたカップルが主人公でふられた女は脇役」など、
    人物の存在の重みが異なりますが本作は「登場人物全員の重みが同じ高校生」に
    設定されています。そのため視聴者が実体験としての高校生活を振り返って見る
    ときに誰かしらには感情移入ができるようになっているため共感を得やすいです。

    【堆積されるエピソード】
    本作はエピソードの堆積によって全体を進行させているためストーリーといった
    ものはありません。当然ですが、高校生活にストーリーはありませんし、前述の
    主人公不在による全登場人物を主役化する手法のために映画を進行させる手段は
    エピソードの堆積になりました。オムニバス形式は古くからある作り方ですから
    目新しさはありませんし、しょせん高校生の日常ですから陳腐で退屈なものです。
    制作の意図を知ってしまえば最後の30分ほどを見れば良いため最後に到達する
    まで眠たい映画です。他作品への皮肉としての説明の排除は効果を表しています。

    【桐島とは、何者なのか】
    タイトルにある「桐島」という男子生徒がバレー部を辞めたという事実を知って
    右往左往する周辺の生徒たちの動揺と人間関係の崩壊を見ていれば、霧島という
    人物が映画に登場しなくても実在していることはわかります。しかし演出ミスで
    あると思えてならなかったのは、たった一人の高校生にカリスマ性を与えすぎた
    ことです。そして制作者も彼の存在感を構築するために過剰に台詞に登場させて
    います。はっきりといえば「くどい」です。もっと視聴者のリテラシーを信じて
    作っていれば避けられた欠陥です。桐島とは不可視の依存先でありシンボルです。

    【本作のテーマについて】
    「俺たちはこの世界で生きていかなければならないのだから」が本作の答えです。
    この程度にやっていればリアルに感じられるであろう人間関係の気遣いの演出は
    見事でした。友達といっても顔色を見ながら付き合わなければならないようでは
    台詞に「ごめん」が多いのは当然です。そのため制作の意図を読めない人達から、
    「意味がわからない」との感想が出ても仕方がない不親切な映画でした。しかし
    作品全体の答えは本編にきちんと仕込まれています。映画部部長がゾンビ映画の
    台本に答えを書けたのは桐島という神格化されている存在に支配されてしまって
    いる人々の外側にいたからです。劇中にあるように進路を真剣に考える高校生の
    現実に立てば絶望を抱えながらも残酷な世界を生きていくしか明日に進めません。

    【映画の謎かけとリア充】
    吹奏楽部以外にBGMがない試みはポイントが高いです。また本作の特異な点は
    宗教化しているカリスマ生徒の桐島が登場しないことではなく伝聞によってのみ
    桐島の進退が描かれることです。つまり、本人が「部活、辞めるよ」とは一言も
    言っていないのです。宏樹が桐島に電話で話したかった内容は「部活を辞めても
    生きていかなければいけないんだよ」という映画のテーマと思われますが想像に
    お任せという作りのため正解はありません。学内で見下されている映画部部長が
    打ち込める趣味を持つのに対して「自分には彼女しかなかった」ため宏樹は涙を
    流しました。それではリア充とは何でしょうか? 一般的には恋人がいる立場の
    人のことを指しますが、没頭できる趣味があり映画を撮影するためのスタッフや
    機材に恵まれた映画部部長のほうが、圧倒的にリアルが充実しているリア充です。


    この作品に正解といえる答えはありません。なぜならば制作者が視聴者の想像に
    お任せするスタイルで映画を作っているからです。桐島がシリアスな理由なのか
    思いつきなのか、本当に部活を辞めるかすら想像するしかないのです。こうした
    作りは議論の対象になりますため、インターネットが普及した社会では意図的に
    話題作にできます。ただ、難解に作れば数字を取れるという手法はアニメ業界が
    前世紀に通り過ぎて廃れた道です。本作は日本映画にしてはがんばったほうだと
    思いますが、一発芸的な勝負の仕掛け方と「すごいから見ろ」の無限連鎖講的な
    入場者数稼ぎで出した「結果論としてのヒット」が作為的で好ましくありません。


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