マーガレットクライ
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マーガレットクライ

2016-03-25 18:01





    屋敷から見える景色と言うのは全く変わりがない。確かに、季節に応じた多少の変化はある。でも、それだけだ。何年もここに住んでいればいい加減に覚える、周期的な変化。それは面白くないことだと言った時、私の兄は嗜めるように返した。


     歴史を書き換える事は簡単だ。事実などはすぐに雲隠れする。


     事実を事実のまま、変化をしない努力をすると言うのは、強い力が必要だ。


     この、常に手入れをされる、庭のようにな。


    世の中のもの、大抵はうつろいゆく。そんなものの中でも変わらないものがあるとすればそれは間違いのない努力の賜物だと。いいか悪いかは別として、だ。


    何かと反抗的な私だったが、その時の兄の言葉はすんなりと受け入れたと思う。その時からはこの変わらない景色がちょっと好きになった。


     で、なんで兄さんはここにいるわけ?

     いいだろ。ここは水瀬の屋敷なんだぜ?

     ここは私の部屋!私のバルコニー!なあに勝手に入ってきてるわけ?

     人のこといえるかよ?僕の部屋にだって平気に入るくせに。

     私はちゃんと部屋主がいる時に、ノックをしてから入るのよ!兄さんは私がここに来る前に勝手に入ってるの!

     じゃあお前、僕が後から入ってくるとして、それを断るのか?

     いえ、別に。

     じゃあ同じじゃねえか!

     全然違うものって理解できない?!

     僕は伊織が先に入っていても怒らねえぜ?

     ちょっとは相手の立場も考えてみたらどう?!

     うるせえな、いい加減に白黒決めるか伊織!

     ハン!安い挑発ね!

     何だ、逃げるのか?

     力の使いどころも知らない馬鹿な兄さん!教えてあげるわ!どっちが格上か!

     兄より優れた妹が存在するか!ここで決着を付けてやる!










     それで、野試合でランキング交換か。下らないことをしているんだな。

     先に仕掛けてきたのは伊織ですよ。

     そう仕向けたのは兄さんでしょ。


    水瀬の屋敷、その朝食の空間に私と二人の男がいた。一人は昨日、大立ち回りをした兄さん、幹希。もう一人は更にその上の兄、学哲。

    昨日の試合が納得のいかない結果だったゆえのいらだち。それをぶつけることになったのはきっとおいしいはずであろうふわふわのオムレツだった。私はそれをやや乱暴に口に運んでいた。

    コップに真っ赤な液体が注がれる。立て続けに私は飲んだ。幹希は軽蔑するような視線をぶつけてきたが、学哲は何か満足そうに見つめてきていた。


     能力者(ジーンドライバー)同士の試合と、そのランキング交換は公式の修練以外では認められん。

     その”公式”の定義も曖昧でしょう。これからは僕が73位ということで。

     私は公平でありたい、幹希。立会人のいなかった試合を認めるわけにはいかん。例外は無しだ。

     はぁ…。まあいいです。伊織、次こそは決めてやる。今は78位で我慢してやろう。

     それくらいの方がお似合いよ。

     …ハ!言っとけ。


    昨日の夜の野試合。私は幹希に負けていた。勝った者は負けた者とランキングを交換する。そういう決まり。

    でも、学哲の言う通りもうひとつ決まりはある。証人がいなければ試合は成立しない。

    試合と言うのも喧嘩ではない。能力者(ジーンドライバー)と認められた者同士の、その力の比べあいだ。


    ジーンドライバー、略称XD。専用のナノマシンを自在にあやつる力。知らない人が見れば超能力にしか見えないだろうが、合理的な力、手足の延長線上だ。ただしその結果は様々なものへ影響を与える、とてつもなく汎用的で応用力に優れた力である。

    私の場合は刃こぼれしない刃を精製したり、マシンによる感覚強化で、短い未来予知、先を読むことができる。


    兄さんも似た様なものだ。ただし作り出す刃は回転するのこぎり、ソーのような大型手裏剣で、ナノマシンならではの解体と精製を繰り返し、弾数無限の遠距離攻撃でもって目標を切り裂くかなりえぐい戦い方をする。


    昨日の試合、いきなりバルコニーから庭に飛び降りて地の利を得た兄は、その最大の武器であるロングレンジで私を釘付けにし、最終的にはさばききれず首元ぎりぎりにソーが止まったところで私は負けを認める他はなくなった。

    ずるいようにも思えるが、普通、この力はナノマシンに触れ続けなければ操ることができない。兄のように遠投ができると言うのはかなり希少な能力に分類されるのだ。それ故に、万近くもカウントされるランキングの上位78位という立場を得ている。

    …先に言っておくと、私達水瀬の家系はこの能力者を産み出すという点においてかなり名門で、一家揃ってそれなり以上のランカーである。私自身も血を滲むような努力を重ね、73位まで駆上がったXDだ。


    けれども、そんな成績も学哲お兄様の前では霞んでしまう。彼はランク2位。『機構』を実質的に支配している水瀬家の最高傑作だから。そして、私に技術を教えた師でもあるから。


     能力を攻撃へ転化しすぎるな。兵士ではないのだからな?戦うことしか能のない愚か者は水瀬には不要だ。指導者として、啓蒙することと決断すること。研鑽を重ねろ。


    そう兄は言っていたが…

    この力を治安維持という力に使うのが、私の仕事である。

     わかってるわよ、お兄様。説教は沢山。









    かつて『機構』は全てのジーンドライバーを登録し、支配していた。特別な力をもつものを管理し、暴走させないように教育するためだ。

    その「特別な力」を持つものの数が増えるに従って、今は『機構』が認めたいくつかの他組織がジーンドライバーを管理する形となった。K街にある、私が所属している765プロダクションはそんな組織のうちのひとつだ。所属XDは多いが特に名の売れたものとなると、天海春香、如月千早、菊地真、萩原雪歩、高槻やよい、三浦あずさ、秋月律子、そして私といったところか。
    今は引退したXD、高木が個人的に気に入った者達を集めて出来た少数精鋭の組織…いや、既に『少数』じゃないし『精鋭』かどうかも怪しいところがある。でも精神的に優しい者が多いのは間違いない。


    ビルを丸ごと一つ。それが、私達の765プロだ。


     アンチョビは好き、伊織?

     匂いのキツいのは、あんまり。

     じゃあ違うのにしよう。ミックスピザにするか。


    こちらの食欲も気分を無視して話を進めるのは、同僚である菊地真である。私より少しだけ年上の女性だが、耽美なビジュアルでランキングをかけた試合では何故か女の子の集団が応援に現れる。現行では157位。二刀流を使いこなすジーンドライバー。ここまで余談。

    真はオーブンレンジにピザを投げ込むと、てきとうにタイマーを押して対面に座った。あの女の子が黄色い声を上げる涼しい笑顔で話し出した。


     伊織はさ、今日は非番だったんじゃないの。

     …自己練よ。サボってたらナノマシンは言う事を聞かないわ。

     ふーん、真面目だね。…家に居づらいのかい?

     そんなことはないわよ。そういう真も非番だったんじゃないの。

     伊織と同じさ。鍛錬するならここの方が落ち着くからね。

     判ってるんじゃない。

     練習がそんなに好きか?学校が好きな生徒みたいだな。


    後ろからかかる声。その主を見た。真が自然と背を正していたが私は特に気遣わなかった。

    …ランキング10位。色々な仕事を多くの弟子に仲介するその生き方から『プロデューサー』を名乗っている男。真は彼を『マスター』と呼んでいた。プロデューサーの直接の指導を受けた、弟子の一人だからだ。


     765プロそのものが学校みたいなものじゃない。

     そう言うよりは幼稚園兼任の大学だな。XDはいつだって幼少期から訓練される。その気になれば下着のローテーションまで知り得る教育機関さ。

     変態。

     ただの事実だ。それよりも、練習が好きなら実戦はもっと好きか?鎮圧の依頼が来ているんだが。

     どういう依頼ですか、マスター。

     D街とL街でミュータントが出現、見境なく暴れ回っているらしい。俺と春香で手分けしてやるつもりだったが、お前達がD街をやってくれるなら、俺はL街を担当できる。春香の実戦をこの目で評価したいからな。

     是非やりますよ。伊織は?

     ドローン(無人兵器)に任せてもいい仕事じゃないの?

     俺は機械人形を信用してない。それだけだ。

     あらそう。いいわよ、手伝ってあげる。

     助かる。相手はミュータントだけが2、3体といったところらしいが、あそこは無法地帯で不確定要素は多い、油断はするな。
    …タブレットとレンズにデータを送った。早速行ってくれ。

     オッケー。着いてきなさい、真。

     いいや、現地まで競争!

     何を!


     相変わらずの勢い任せだな。ん?いい香りがするが…ピザか?なんだ、あいつら食べ損ねたのか?








    無法地帯、D街。

    それは貧富の差が激しいこの世界で、「貧」の方を示すところと言っていい。まだ若い私がそういうところがあるということを知識で知り、特に違和感を覚えたことはなかったが、昔はこの国でそんな地域が生まれるなど考えられなかったそうだ。

    私と真はD街へ向かった。
    自動操作の防弾車はコンクリートが捲れた道を器用に走り抜けてゆく。


    目を閉じると、専用のコンタクトレンズに情報が映る。仲間同士の情報をリンクする『機構』に関わるXDには標準装備のもので、単にレンズと呼ばれている。
    水瀬伊織、生存。菊地真、生存。現在地とその周辺の俯瞰図。
    作戦区域まで500m。ターゲット、ミュータント。


    ミュータント…もとは前の世界大戦で人間が作り上げた生物兵器だったもの。それが天敵のいない自然で傍若無人に暴れ、育った成れの果て。極端に発達した上半身とそれに似合わない短い足で走り回り、捕食と睡眠をひたすら繰り返す化け物。個体差はあるが小さいものでも全長は2mを超える。全く、昔から人間は己の裁量を越えるものを作るのが得意だ。


    D街に到着する前からそれが暴れた形跡は各所で見れた。建物に大きな傷跡や穴。どれも人間が砕いたものではない。そこらに散る体液がそれを証明する。特にひどく壊された建物の近くで車から降りた。


     こっちが風下だね。伊織、見えるかい?

     ちょっと待って。


    二人一組で行動するバディ形式は古今東西の任務遂行方法だ。真と組んだのはこれが初めてではない。むしろ慣れたコンビだった。衝突は多いが、それだけにお互いの空気は知っている。

    私は目を見開いて感覚を研ぎすました。

    ナノマシンによる情報の洪水が脳を突き動かし、次の瞬間には整理されていく。ぐちゃぐちゃになる感覚は今でも慣れないが、不快感はマシなものになっていた。

    やがて私には「視える」

    過去にここで起きたことと、これから起こること。


    やられたのは大人。短いナイフでミュータントに必死に抵抗した。地面に押さえつけられ、かぶりつかれそうになった時にヤツの目に突き刺した。だがそれはミュータントの闘争本能を加速させた。食べられるよりも無惨な処理をその大人は施され、それでも暴れる意志を抑えられないヤツは建物の壁をぶち破って走り出した。

    ミュータントは何かを探している様だ。たった今も。近くをうろうろしている。途中で眠っていた仲間を呼び集めた。全部で三匹。間もなく見えてくる。そして私達が駆除する。そこまでの未来は見えた。


    だが、何故ミュータントがこの建物に現れたのか、何を探しているのかは判らなかった。

    まだまだ私の未来予知にも甘いところがある。


     どうだった?

     3匹、近くにいる。壁を破ってやってきそうよ。

     よし。…どこからかな?

     …。左。もうすぐ!


    轟音とともにコンクリートが砕け、そいつは現れた。

    だがそこから先は、少々未来予知したものとは異なっていた。


    やつは人を押さえつけていた。

    最初に目についたのは銀髪。結構珍しい髪色だということと、その人がどうやら女性であるらしいということ。ナノマシンで冴えた目には更に、その女性が怪我をしていることと、ミュータントの豪腕に締め付けられながらもはっきりと意識はあることが見えた。


    少し予想とは違ったがやることは変わらない。私と真は同時に駆け出した。


    銀髪の女性を捕まえたままそのまま走り去ろうというミュータントを、真が足を攻撃して妨害する。そこで生まれた隙を逃さず、ヤツの弱点である頭部を私は斬り裂いた。更に腕を根元から斬り落とす。女性は解放された。

    二匹目と三匹目も変わらない。
    足を、腕を、それからウィークポイントの頭を、順番に斬り裂く。


    決着は一瞬。

    恐るべき敵でも人の叡智と研鑽はそれを超えるのだ。



     大丈夫?

     …。

     もしかして言葉がわからないかしら。Are you all right?

     ああ、いえ、大丈夫です。助かりました、ありがとうございます。

     XDの任務さ。どうってことないよ!怪我とかは?


    目を細めれば、レンズから見える人物の詳しい情報がデータベースから呼び出される。これのお陰で、初めて会った人物でもその人の名前も仕事も知りえる。
    隠し事をさせない装備だ。

    しかしどういうわけかこの時に限って、目の前に写る銀髪の人物は「詳細不明」と表示されていた。
    個人情報管理が行き届いたこの世界ではかなり珍しい存在だ。この時はその程度にしか思わなかった。


     いえ、本当に…命の恩人です。私は、四条貴音。貴女は…

     水瀬伊織よ。

     菊地真。よろしく!

     ああ!よかった!ああ!

    貴音という女性は感極まったのか泣いてしまった。
    私は彼女の肩を擦り、名前で優しく囁いた。救出任務となるとよくある事だ。たまに「こんな小娘に助けられるとは」と怒りだす人もいるが。


     良かったら家まで連れていきますよ、貴音さん。…いや、もしかしてこの壊された建物が、お家だったりする?

     …。

     んー、伊織。D街のセーフハウスはどこだっけ?

     ジョイトイっていうバーがシェルターも兼ねてたと思うけど…でも…。

     でも?

     ここらへんのセーフハウスは女には『色々と』優しくないわ。K街に…765プロまで連れて行きましょう。

     いいのかい?

     警護対象って事よ。大丈夫、私を黙らせることができるのは72人しかいないわ。

     それって結構いるよね?まぁいいや、伊織に従うよ。歩けますか、貴音さん?


    私は目を閉じた。

    水瀬伊織、生存。菊地真、生存。作戦目標達成。


    目を開き、もう一度視力を研ぎ澄ました。

    どろどろになって溶けてゆくミュータント。その背中に、アンテナのついた機械が刺さっていることに気づいたのはこの時だった。












    『機構』によって格付けされるXDのランクというのはかなり潰しの効く肩書である。ナノマシンを扱う事ができるこの能力はそのほとんどが先天的なものに由来するので、まずその時点で数が限られる。確かに現状は万に近い人数がその能力者だが、特別視されることに違いはない。だからそんな力を持って生まれたら、それだけでいきなり人生の勝ち組みたいなものだ。

    そして上位のランカーともなれば、それだけで将校レベルは約束される。

    もちろん厳しいエリートとしての訓練が施され勝ち残らなければならないわけだが、XDの平均年齢の若さを考えれば可笑しいようにも思えるだろう。それでも社会は動く。自我のない、ドローンと言われる全てが機械で作られたロボットが下層の支配者だからだ。


    ランクこそが絶対。そんな純粋な力こそが正義と言う中世の時代に巻き戻しされた世界。

    私を黙らせることができるのが72人しかいない、と言うのもあながち間違いではないのだ。ランクがほんの少しの差でも、言葉遣いから態度までがらりと変える人もいる。まぁ、あの765プロの同僚は、お互いのランクをさほど気にしない付き合いをしているが…。
    (例えば相棒の真は、ランクが上の私にはため口だが、ランクが下でも年齢が上のあずさには敬語だ。人としてはそれが普通でも、ランク主体の世界では異色である)


    もっと理性的な世界があったのだと昔話をされても、現状を当然と生きる私にはピンと来ない。それよりも今に積み重ねてきたランクのための努力が、私をここに立たせている。


    そうそう、その765プロの同僚だが新しく一人が所属した。

    あの時D街で助けた四条貴音。彼女はジーンドライバーだったのだ。たまたま『機構』の目につかず育ったのか、この年になるまで登録されないというのは異例の事だった。

    彼女は今、ランク9502位を与えられている。


    今朝の事。私はその貴音のマスターになってみないかと、プロデューサーから頼まれた。


     なんであんたが教えないのよ?

     俺が教えても良いんだが、これは貴音からの希望なんだ。それに伊織。お前は73位なんかで落ち着く器じゃない。『機構』へも、マスターへの推薦をしておくさ。

     はぁ。あんたが推してくれるのはありがたいことだけど。

     お前が思っているよりも、周りはお前を必要としているぞ。不安なら、マスターじゃなくて貴音の個人的な戦術アドバイザーってことでもいい。実績を積めば俺だけじゃなく『機構』も評価してくれる。他人に教えるのは、お前のためにもなるさ。

     使い古されたセールストークね。







     いいなぁ!伊織が弟子持ち!マスターになるなんて!

     そんなものじゃないわよ…ただの世話役、アドバイザーだから。

     わ、私のことで何か迷惑を…申し訳ありません、水瀬嬢…。

     伊織でいいわ。というかあんたは悪くない。無意味に買いかぶるプロデューサーが悪いのよ。大して人生経験のない私に何を期待しているのかしら。


    ここは自己修練に使う静かな部屋。立ち回りの練習も出来る広い空間だ。今日は非番だが、私が真っ先に案内できるところと言えばここだったから連れて来た。
    ついでに真も一緒に。バディ形式で長い組の私と真は休みが被る日も多い。


     ねえ、貴音。あんたのジーンドライバーの力、みせなさいよ。

     …それは…期待されるほどのものでもありません。一応、私用のナノマシンは配布されたのですが、具現化できたりできなかったりと、未だ安定しないのです。

     緊張してるとうまくいかないときはありますよね。

     とにかくやってみなさい。


    貴音は瓶から砂のようなナノマシンを取り出す。それを握り続けていたが、何も変化は起きなかった。

     伊織、マスターの腕の見せ所じゃないかな?

     私も、人に教えるのは初めてなんだけどね。まぁいいわ貴音。教科書通りの論理構築とショック療法、どっちが好み?

     い、今なんと?

     優しく教えるか厳しく教えるかってことですよ。

     では…優しく…。

     でしょうね。握手しましょ。


    貴音が手に握るナノマシンをこぼさないようにゆっくりと握手した。何か不安なのか、貴音は力を込めて握ってきた。私も応えるように握り返した。


     人の意志を受けて変化をするナノマシンを操る、それがジーンドライバーと言われる由縁だわ。そのマシンは各々多少の違いはあれど基本的な規格は同じ。だから複数人でひとつのマシンを構築することだって出来るの。いい、落ち着いて、武器をイメージしてみて。普通は剣だけど、想像しやすいもので良いわ。私はそれを補佐するから。

     ええ。

     3、2、1。ほら。


    手のひらから広がる細微な電気信号が、私と貴音を浅く繋げた。彼女が想像した剣の映像が、私の中にも広がって行く。

    一瞬、結合反応の光が輝くと、貴音の手には逆手で握る剣が生まれていた。


     出来るじゃない。

     すんなりと組み立てることが出来ました。これが能力なのですね。

     一回出来たらあとは楽勝ですよ!で、伊織、次はどうするつもりだい?

     なんであんたが仕切ってんのよ?…私も教えることを整理したいから、続きは後日ってことにしてくれる?せっかく休みだもの、どこか行きましょう。


    その日から。

    午前に貴音にジーンドライバーの講義をし、午後には定期の巡回任務。

    それらを私と真と貴音の3人でこなすと言うのが日課となった。


    教えることで、教える方も学ぶと言うのは、良く言われることだがそれだけに真理に近いものなのかもしれない。期待と理解。コミュニケーションと勉強。それらから生まれる、久しく感じていなかった喜びという情。私はそれを思い出していた。






     伊織、あなたは、そんなにも、細いのに、まるで、疲れた、様子を、みせ、ませんね。

     まぁ私も疲れてるわよ?

     そう、なの、です、か?

    貴音からの攻撃を先読みの能力でもっていくらか捌いていると、貴音は涙目になりつつ膝をついていた。悔しいとか悲しいとか、ましてや嬉しいと言うわけでもなく、貴音は意識せずとも涙を流しやすい体質らしい。


     私自身の動きを補佐するように、ナノマシンに任せているだけ。

     ですがあなたは、刀を作ることにも、反射神経の素早さにも、感情の抑制にも、このナノマシンで強くしていると。

     そうね。一昔前は専用の薬剤で兵士を強化して同じようなことをしてたらしいわ。

     身体の強化も精神の強化も、他のどんな職種でも役に立ちますから!

     ですが、そんなにも、沢山、意識を分けるのは、大変に、忙しいです。

     すぐに慣れるわよ。それよりも、あなたは戦い方が正々堂々とし過ぎてるわ。一対一と決まっているランキング戦でも出し抜く手段を使うのは普通の事だし、こっちを殺そうと向かってくる人とかミュータントならもっと許しちゃいけない。

     はい。

     伊織、貴音さんは休んでもいいんじゃない?代わりにボクが相手になるよ。

    真はペットボトルから水を含んだ。私は水筒から真っ赤な液体を飲んだ。

     …伊織。その飲み物は、いったい?

     栄養ドリンク。私専用ブレンドのね。







     良い動きをするじゃない、貴音。あなたの方が体格は上なんだから、リーチを生かすのはいい方法よ。

     ですが、こちら攻撃は全て防ぐのですね。この武器でもってしては、私はあなたに触れる事が出来ません。

     そりゃそうよ。私は動きを予測して未来を読んでる。私の予測を超えないと。でも、そう簡単に破らせはしないわ。

     それも、ナノマシンの効用なのですね。ならば!

     おっと、力押し?やるわね…でも!

    つばぜり合いとなり、押し込んできた貴音の顔面に、私は片手でパンチをした。
    もちろん寸止め。

     本番なら、これもナノマシンで強化した拳になるわ。軽く骨だって砕けるわよ。

     …なるほど。

     攻めるのは大切。でも、死なないように戦わないときっと勝てない。気をつけて。出会った時みたいに、次も助けることができるとは限らない。

     精進します。次は、むしろ私が助けるくらいに。

     言うじゃない。


     後はそうね、拘りすぎないことね。相手が普通の兵士とか決まりきった動きしかできないドローンとかなら型通りの戦い方でも良い。少しくらいの拘りなら武器にもなる。でも度を過ぎればそのまま弱点になる。相手が規格外のジーンドライバーだったりしたら、ますます対応力が重要よ。柔能く剛を制す、しなやかに戦うことを忘れないで。


     ふう…なんだか、一気に疲れが。

     ごめんなさい、一気に教え過ぎたかしら。技術はこのくらいにしておく?あとは座学ってことで。

     それも大変に頭が疲れます。

     ボクも凄く得意って訳じゃないです!一緒に頑張ろう!

     …皆様は、幼い頃から鍛え続けられたと聞きましたが。私に追いつけるものでしょうか?

     もともと『機構』は、小さい頃から異常な能力を示すジーンドライバーを、思慮の足りない暴走兵器とかになるのを防ぐために設立されたんです。要は世の中の常識と協調を教えるために...。貴音さんはその辺、もう完成してるようなものじゃないですか。まさかその力で世界に反乱してやる!とか思ってたりします?

     いいえ、全く。使いこなせるのは嬉しいですが、それを悪用しようとは…

     なら大丈夫です、後は知りたいものを知れば良いだけですから!

     だから真、なんであんたが仕切るの…でもこいつの言ってる通りね。

     しかしそれは、厳しく躾けられると言う事でしょう。まるで世を捨てた修行僧のようにも感じるのですが。

     まあ、世の中の大半の人とは隔離されちゃうのは仕方ないかな…ボクだって普通の学校に行ってガールズトークとかしてみたかった!

     小さな夢ね…。

     ここに来てからの知り合いだなんて、765プロの同期以外だと大体年齢が上のお偉いさんばかりだよ。どうしようもないから自分のナノマシンに名前を付けて可愛がるし!

     なんと。これに名前を…。

     適正の高い人にとっては、ナノマシンは手足の延長みたいなものだけど、あくまで武器として身体とは切り離したものって思う人は、そうやって名前を付けるのも珍しくないらしいわ。

     それに、なんだかぬいぐるみみたいで可愛いだろ!

     …真。あんた、ナノマシンに脳をやられたって訳じゃないでしょうね?








    貴音から、K街を案内してくれと頼まれたのは今日の朝のこと。今日も今日とて私は修練のために765プロへ来ていたのだが、そんな任務(?)を下されたのは初めてである。

    齧りついたピザを、私は真っ赤な液体で流し込んでから喋った。


     あんたのペースで見回った方がいいんじゃないの、貴音。

     ひへ、わはひはほほのまひにはあはるふありまへん。

     落ち着いて。

     …いえ、私はこの街には明るくありません。先駆者が傍にいれば、ずっと心強いものです。

     でもね…私はXDで、治安維持が仕事で、観光案内は専門外よ?

    ここに口を挟んできたのはプロデューサーである。

     行ってやれよ、伊織。なんなら報酬が必要か?10ランクアップっていうのはどうだ。

     エスコートごときでそんなに稼げるほど平和なの?どうせなら10ランク上の誰かと試合をセッティングしなさいよ。

     それでいいならそうするぞ?

     『機構』はいつからそんなグダグダになったの?

     …伊織。貴音のことも考えるんだ。お前は命の恩人、それでK街に移ってからお前達以外に知り合いもないらしいじゃないか。お前が連れてきたんだ、責任をもってやれ。

    それは分かるが、しかしどう案内すれば良いのか。

    餅は餅屋、あるいは単に面倒だったから、観光案内書をタブレットで見せたところ、貴音は食事所が並ぶショッピングモールに食い付いたので、そこに行く事にした。

     でも、お昼ご飯、今すましたばかりなんだけど。

     まだまだ足りません。

     …せめて軽いカフェとかにしましょうよ。

    タブレットにはやたらにけばけばしくデザートが彩られる店の情報が並んでいる。少し前に見た貧民街とはまるで別の星に来たと感じる。

     私もここに行くのは初めてだけどね…道のりは…

     調べてるよ。ボクの見る?

     ありがと。

     …器用ですね、お二方。このタブレットなるもの、私にはよくわかりません。

     XDのランクにもよりますけど、世の中の大抵の情報はそれで見ることができます。例えば…

    真はタブレットから、目的地までの道のりと交通状況を検索した。すぐさまその情報が更新される。

     ビンゴ。これで人通りの少ない道が判る。

     なるほど。しかしどうして、人の少ない道を?

     伊織くらいのランクになると、ファンも沢山いますから。アイドルみたいなもので…変な騒ぎになりたくないですし。なんたって...伊織は可愛いからね。

     あんたに言われると無性に腹が立つのは何故かしら?

     やだなぁ、こんなに好きなのをどうやって伝えれば良いんだ?

     なんと、お二人は、まさか、愛し合って?

     こんな安い愛があってたまるもんですか。と言うか本気にしちゃ駄目よ貴音。





    目的のショッピングモールへ到着し、雰囲気から選んだオシャレなカフェ。

    でもそんな雰囲気なんて関係無い。ついつい『奢るわよ』とカッコつけてしまう癖を、貴音と付き合うようになってからはいつも後悔している。今日も貴音の食欲は凄かった。でもそれ以上に遠慮がないというのが問題だと思う。

     食事をしながらのコミュニケーションって重要だよね。仲良くなるには一番だ。

     それは否定しないわ。

     ええ、食は重要な文化。
    どの場所でもそれに見合った空間と時間が、音楽となって流れる時…。

     じゃああんたの音楽はデスメタルかしら。なんでこんなに…。

     見ていて気持ちよくなるくらいの食べっぷりだよね。

     どれもこれも、あまりにも美味しくて。

     大した店じゃないのに満足できるって、安上がりの舌ね。この量は安くないけど。D街じゃどんな食生活だったのよ?

     …。

     なに、黙り?ここまで奢らせといて?

     伊織、誰だって話せないことくらいあるだろ。

     いえ、一宿一飯の恩義、そのお礼、応えるべきなのでしょう。

     一宿はまだだけど。

     これからなんだね。

     黙れ。

     話せる範囲でいいですよ、貴音さん。それも嫌なら本にするといいかもしれません。

     ええ?

     はぁ?!

     自分の人生を語れば誰だってドラマチックさ、そうだろ伊織?

     …面倒。作家になるくらいなら寝て過ごしたいわね。

     じゃあ伊織から話すのはどう。貴音さんも話しやすいですよね、その方が。改めて自己紹介を兼ねてってことで。

     何かうまいこと誘導されてるような…まぁいいわ。言い出しっぺからやりなさい。

     73位の言うことには逆らえないなぁ。あははは。



     ボクがジーンドライバーになったのは2歳くらいのときからでね。親は9473位だった。能力は先天的にあるけど、ナノマシンを思った通りに操れるかどうかは微妙なラインだったのさ。せいぜい小刀ってところかな?その叶わなかった夢を、子供のボクに押し付けてきてね。それでも能力を教えられて楽しかった覚えはあるから、悪い思い出じゃないさ。ボクにとっては父さんが最初の師匠みたいなもんだね。


     『機構』に鍛えられた後、765プロに来た時には、ボクは2264位になってた。親より上だけど、同年代の平均よりは下だった。で、そこで2人目の師匠と出会った。それが今の僕のマスターさ。あの人のお陰でボクはどんどんランクを上げたんだ。


     ボクはあの人と同じ二刀流を仕込んでもらってね。地に根を張り、相手の動きに惑わされる事のない、無の心で、攻撃の際には迷いを込めず的確に…要するに守りを重視したフォームさ。まだまだ極めるには遠いけど、このお陰で今まで生き残ってこれたようなものだね。


     ここ、K街は管理された街だけあって、安全だけど、争いごとは絶えない世の中だ。色んな治安維持の任務をこなせば、報酬としてお金がもらえるのとランクが上がる。登録されてるランクの数字がどんどん上がっていくのは純粋に楽しく思えた。でもさ、ランクが三桁になったあたりからおかしくなったんだ。いや、ボクはいつも通りだったんだけど。


     あれだけ夢を押し付けてきた父さんが、今度は妬むようになってね。母さんの話じゃ、ボクがいないところではボクを褒めまくってるって話だったけど、ボクの前じゃ謎の嫉妬さ。不思議な人間だよ。ともかく、ボクのやりたいことは何だったんだろうって真剣に悩んだ。考え直せば、親から押し付けられたものを自分の目標だと思い込んでたんだからさ。そこで引退しようかって考えた。


     でもね、ボクは誰かと一緒に、ジーンドライバーとして生きて行く方が良いって思えてね。そのことをマスターに話したら、お前のやりたいことをやれって、暗に叱られたけど。でも、まだ他の生き方が見つかるほど器用でもないし。



     今でも悩んでるのですか?

     攻撃の際には迷いを込めず…それがマスターの教えで、ボクの信念…生き方に迷ってちゃただ面倒くさい人です。乙女はいつでも冷静に聡明に一直線じゃないと!身体を動かすのは気持ち良いし。このままでも良いって思ってます。…こんなところかな。


    次は伊織の番だよ、そう言われて、私はまだ躊躇っていた。なんとか言い訳を見つけようと、人に話すことでもないと言ったが、真は、お互いの事を知り合うのは良い事だ、などと当たり前の事を突いてくる。私はこの時、貴音のことを知りたいと言う興味もあった。

    どうしてあのD街にいたのか。『機構』の目を避けることができたのはどうして。ミュータントにどうして襲われた。相手のことも知りたいなら自分のことも話せ。いいや、私は話したくない。でも貴音を知りたい。いや、過去の話なんて面白くない、聞きたくない話したくない…


    心の整理がつかなくとも、ナノマシンによる思考の集中は素早い結論を導き出す。

    私の口は自然と開いていた。


     私は元々、無能力者…ジーンドライバーじゃなかったのよ。







    私の家族はみんな、先天的なジーンドライバーだ。父は『機構』のランカー、そこから産まれた二人の兄もそうだ。幼少の頃から明確な結果を導いていたと聞く。

    けれども、私にはあの砂のようなナノマシンを操る力はなかった。


    ナノマシンは極々小さな、六角形の粒だ。
    特定の意志を受けとると様々に組み合わさる結晶。
    製造は難しいが、次代の新兵器として前回の世界大戦で使用された。


    超能力などと評されることもあるジーンドライバーだが、そのタネは犬を躾けることと例える人もいる。それはひとつの意味では間違っていない。人間の意志を受け、粒のナノマシンひとつひとつが組み合わさり、願った通りの形になったり、現象を引き起こす。それはよく空気をよむ犬が、主人の命令を言葉にせずとも態度で知って願った通りの行動をする、そんなものだと言いたいのだろう。もちろんナノマシン自体に意志はないのだが。


    この操る「意志」を、身体を通してマシンに伝えられる者は限られた人間だ。そこでマシンの方を改良して、どんな人間の意志でも受け答えられるようにする、というのは、汎用的かもしれないが原材料からして受信できるものは少なく、その受信域を拡げることも未だにできていない。

    そこで人間の方を改良しようという考えが生まれる。


    私は実験台だった。それは私が願ったことだった。
    家族の中で私だけ無能力者という現状で、人はみんな違ってみんな良いと言う考えが出てくることはなかった。私は負けたくなかったのだ。


    10歳の時、私は身体に『意志』を補佐するための人工生物ナノバイトを打ち込んだ。恐ろしく痛かった。後で知ったが、同じような実験は少ない数ながら毎年密かに行われたようで…別に私が初めてというわけではなかった。大抵の場合、この結果はナノバイトと人間双方に拒絶反応が出て、亡くなるというものだったそうだ。


    でも、私は勝った。



     その砂粒に集中しろ。お前の意志が確かなら、それは応えてくれるはずだ。

     …動かないわ。

     やる気はあるのか?

     当然よ!何のためにここまで耐えてきたのよ?!

     その歳で経験を語るか?まぁ、できないのならば実験は失敗だったのだろうな、ここまですすんだのは収穫であったろうが。

     まだよ!

     失敗作が、何を足掻く?


    上の兄、学哲はいっそう冷えた視線を突き刺してきた。

    彼の袖から、ぱらぱらと粒が散らばる。瞬時にそれは剣に変わった。

    刃が、私の目と鼻の先に来た時、私は反射的に泣いていたらしい。


     馬鹿か?泣いてどうにもなるものでもあるまい?

     お兄様、冗談?

     私は冗談で人は殺さん。

     お、お兄様、そんな。

     ついでに言うと、家族を殺すことに抵抗はないと言っておこう。お前は私の妹としてこの世に命を受けた、それだけでも幸運と思うんだな。

     ひゃ!

     本気を見せてみろ。


    持ち上げられ、振り下ろされた剣を私は受け止めた。ナノマシンから精製した刀が、寸出のところで防御に成功していた。


     出来るじゃないか。


    刀はすぐに砂にもどった。脳がぐちゃぐちゃになる感覚。頭を押さえ叫び転がろうが、どうにもなるものではない。血を吐いた。涙も止まらなかった。

    けれども、私は後天的ジーンドライバーとして、成功したのだ。


    能力を使うたびに痛みは走ったが、繰り返すことで慣れが生まれた。弱り切ったときの私に対して、あの兄は不思議と優しく接してくれた。逆に調子に乗れば刃先がこちらへ向かった。




     そこまでして、どうして…?

     馬鹿らしいって思うかしら。でもね、世はランクが全てって言ってもいいくらいじゃない?高ランクの人間ほどとても優遇されるし、自由もある。住める場所も多く開放されるし、今あるこのタブレットで調べることが許される情報も桁違いよ。

     しかし...私は765プロの社宅と言われるところに住んでいますが、あの非常に広い部屋...

     3LDK?

     はい。その空間を一人で独占していますよ。私と同じくらいのランクの方々は5、6人で相部屋としているのに。

     私の庇護下にあるからよ。今あるこのカフェ...というより、この地区も、本当は貴音のランクじゃ歩くことさえ許されないの。能力がなければ能力のある者の、弱いものは強い者の慈悲にすがって生きるしかない。自覚してなかったの、あんた?

     ...すいません。色々、手を回してくださっていたのですね。


    貴音の聞き入る姿勢に知らず知らずに影響されたか、私は吐き出すように喋っていた。ため息をついてから、水筒から赤色の液体…ナノバイトの栄養剤を一口飲む。おいしいモノではない。だがその苦みは幾分頭を冷静にした。


     いい、貴音?譲り受けたものの価値と扱い方を決めるのは、授けた方じゃなくて授かれた方よ。私はそう思ってる。この能力も、この立場も、この自由も、決めるのは他の誰でもなく私。そう思ってるし、それを目指してるから。

     …ええ。


     この街に来てから日の浅い私ですが…伊織、あなたには強さを求める理由がある。ただ競争を煽るようなこのランキングと言う制度の中で輝くあなたのその姿…私、尚更尊敬いたします。

     判ってるような事を言うじゃない。その台詞、実は毎晩練習してたとか?

     いえ、そんなことは!私は心から!

     もういい、いいから。

     はい、そういうわけで伊織の話は終わり!

     また勝手に仕切るのね、真…。

     じゃあ次は貴音さんの番だ!

     いえ、そこまで凄絶な話を聞いた後では…私にも何かどらまちっくなものがないといけないような気がするのですが。

     だから、無理しなくて良いのよ。作る必要もないし。

     本当にないのです。気がついたら、あの街にいました。

     なに、記憶喪失ってこと?

     …はい。ある人に拾っていただき、その元でお世話になっていましたが…。

     その人は?ああ、あのミュータントに?

     …ええ。

     それはそれですごいドラマチックですね。

     ごめんなさい、こいつ、ちょっとデリカシーが足りないのよ。

     いいえ、気にめしたのならば何よりです。


    いやいや、それは喜ぶところなのかと私は顔をしかめる。
    天然の入ったタイプは、どうも苦手だ。

    しかし…

    話した色々なこと。全てを受け止め認める貴音。

    この彼女の魅力に惹かれ始めていたのは、きっとこの時からだ。






    二件目の店に行こうと言う貴音を嗜めながら、私は気配を感じていた。

    一人、いや、二人だ。追跡者がいる。


    ぶらぶらと歩き、景色を眺めるふりをしながらそれはほぼ確信できた。密かにエマージェンシーをタブレットからコールし、万一に供え追跡用のフェロモンをブーツから開放した。人には嗅ぐことは出来ずとも、専用のマシンか、一定以上のジーンドライバーなら辿ることが出来るようになる。

    状況は真も気づいている様だ。
    一人知らずにふらふらとする貴音の前を私が、後ろを真が歩いた。


     ああ、あれも美味しそうですね。

     貴音さん、あれはラーメン屋ですよ。あんな脂っこいのに、まだ入りますか?

     それはいかなる料理なのでしょうか…ますます興味が湧いてまいりました。ああ、伊織、そんなに早く、どこへ行くのです。


    後ろから、明らかにこちらを睨み早足にやってくるものがいる。私の未来予知は、前方に回り込んだものがいることも教えてくれた。真に後ろを任すことをハンドサインで伝える。

    前からやってきた男は懐へ手をのばしていた。拳銃が出てくる…それより早く、私はナノマシンの刀を抜く。峰打ちを狙った。殺す理由はない。そして、これで勝てると私は踏んでいたのだ。だが相手もまたナノマシンの防壁を精製していたことは見抜くことができなかった。銃口は正確に私を狙っていた。


    薄れ行く意識の中、真もまた倒れるのを、僅かに見ていた。









     う…あ…。

     おはよう、伊織。

     なによ…お兄様。また鍛錬?

     ボクは伊織の兄さんにはなれないなぁ。

     え?


    目が覚めた。真っ暗な部屋。目が慣れずとも真がすぐそこに座っているのはわかった。

    続いて頭を働かせる。何があったのかはすぐに思い出せたが、先ほど私が喋ったことを思い出すのには随分時間がかかった。ブラコンと誤解されるんじゃないかと思ったが、真はその点をからかうようなそぶりは見せていなかった。


     …人さらい?

     うん、そうみたい。見事に攫われちゃったね。

     貴音は?暗くて何も見えないわ。

     さっき手探りで感じたんだけど、多分伊織の隣で寝てない?

     ああ、この体つきはきっと貴音ね…はぁ。何、今時古典的な誘拐ね。

     伊織の家は良いよ、お金持ちなんだから。ボクの家は大丈夫かな。

     貴音はどうなのよ。彼女に家族っているの?

     妙に貴音さんのことを心配するね。愛弟子だから?

     そんなんじゃないって。

     じゃあ愛だけか。

     いい加減にしなさいよ。




     ...ナノマシンは?

     裾に隠してあるのがまだ生きてるよ。

     私も。扉はどこかしら?壊しましょ。

     その必要はないナァ、お嬢さん方。


    後ろの方にあった扉が開く。逆光の中に男が一人立っているのが見えた。


     …何よ。

     いやいや、ランク73位の水瀬伊織に157位の菊地真!どちらも若さに似合わない高ランカー、ルーキー達の期待の星だとか。知らずにこんな無礼な真似をしたことをお許しをォ。


    いやにニタニタしながら慇懃に話す男であった。


     だから、何のつもりよ?お世辞を言われるために私は攫われたの?

     いえいえまさかァ。私達の目的はすぐそこで眠っているその銀髪のお姫様。彼女をしかるべきところに連れてゆこうと依頼されましてねェ。あなたたちまで巻き込んだのは何かの手違いなのですよォ。

     ぺらぺら喋ってくれる人だ…ボク知ってるよ、これって凄い三下なんだよね?

     三下?それは面白い。ですが勝負はまたの機会にしましょ。さあ、彼女を残していただければ後はこちらの仕事、帰って下さいなァ。


     あら、そう。じゃあ、自由の身なのね。良かったわ。

     伊織!

     …帰るわけないでしょうが。貴音は私が責任を持って預かってるの。あんたは誰?どこの所属?私より上のランカーなら大抵顔も名前も覚えてるつもりだったんだけど。

     それはそうでしょうとも、無所属ですから。

     …イレギュラー?

     そうともいいますなァ。『機構』に管理されるのは嫌で、自由を味わうものもいるのですよ、お嬢さん。

     そんな自由はただの時間と才能の浪費よ。

     あいにく誰かに認めてもらうためにジーンドライバーとして目覚めたわけではないのでして。さて、必要なのはなんです?お金ですか?一生困らないだけのお金を用意しますよ。我らの依頼主から幾らでも請求できますので。

     悪いけどどれだけ積まれても手放すつもりはないから。

     そんなに私のことが、イレギュラーが嫌いですか?なら貴方がたのランクを奪いましょう。そうすれば、大手を振ってその銀のお姫さまを連れてゆくことも出来ますからねェ。おや、そのお姫様も目が覚めたようですぞ。


     …お二方、これはいったい。

     あんたが狙いらしいわ。

     そんな、また、私のせいで…。

     大丈夫、何もしなくていいから。

     それがいい、そうしましょう。ランクを賭けた試合、証人はそのお姫様…貴音、彼女に任せるということで。今すぐやりますか?それとも寝起きでしょうし、休憩してからでもいいですぞォ。

     なめた真似をしてくれるオジサンね…。

     でも危険なヤツだよ。直感だけど、油断できない。最悪、貴音を連れて逃げさえすれば良いんだ。

     正直凄い癪だけど…その前にぶん殴ってやりたいわ。

     聞こえてますぞ?残念ながら私を倒さねば外にはいけないということでェ…


    男が手を上げた。その背後にあった扉が閉まる。闇の中で声だけが響いた。


     どちらかが死ぬまで終わらない、デスゲームというのはいかがですゥ?





    ナノマシンでいくら五感を研ぎすましても、暗闇と言う空間では勘に近い、不確かなものを頼りにせざるを得ない。しかもその張りつめ方はまたしてもあの脳をぐちゃぐちゃにする感覚を呼び起こさせた。不快感を我慢しながらそれだけ『意志』を消費しても、目的の男の気配は感じ取れなかった。この闇の中ではレンズも役に立たない。


     貴音、いるわね?

     ええ、伊織。あなたの傍にいます。

     見えるの?

     いえ。ですが声は近くです。

     私の背中から聞こえるわ。いいわ、そのまま動かないで。何かあったら叫ぶのよ。


     真。

     何さ、伊織。うわ!

     …真!

     くそっ!なにをする!

    瞼を閉じた。

    水瀬伊織、生存。菊地真、負傷。四条貴音、生存。

     チッ!どこから?!

     あああ!

    ばこん、と、離れたところで肉体を叩く音がした。その方向へ向かったがすぐに音は止み、真も貴音もどこにいるかも判らなくなってしまった。


     ひゃあ!

     貴音!

     ああう!伊織、伊織!どこです!

     こっちよ!落ち着いて!


    水瀬伊織、生存。菊地真、負傷。四条貴音、負傷。

    (文字通りの闇討ちね)

    卑怯などとは言えない。有利な空間を作り出して戦う状況戦。勝つためならば当然のこと、命がかかっているなら尚更だ。


    目を見開き耳を澄まし、少しの情報も見逃さないつもりだった。

    不意に、何かすぐ傍を異質なものが通ったような気がした。反射的にその方向へ刀を向けた。


    (いいや、違う)

    これはブラフだ。気を引く何かを投げて、無防備な背中へ攻撃する。私が敵ならそうする。

    後ろ手に、勘だけで刀を振った。がちんと何かとぶつかった。それはつばぜり合いの感覚とよく似ていた。

    (ビンゴ)

    更に振り向き、続けて刀を振ったが手応えはなかった。敵は逃げ足も速いようだ。


    しばらく、何も音はしなかった。短い間であったのだろうが、何も見えない状況ではその何十倍も時が過ぎ去ったように思えてならなかった。

    もう一度何かが傍を通った。今度は最初からその何かとは逆の方向を向いて刀を振る。

    私はそれで敵の作戦を出し抜いたと思い込んでいた。
    だが、裏をかかれたのは私の方だったのだ。


    それは肉を斬る音がした。

     あああぁぁぁーーーーっ!

     …貴音!?

    瞬間、ナノマシンによる強化を持ってしても理解が追いつかなかった。

    理解が出来た時、私はそれを認めたくはなかった。

    戦いとなれば昔からあったこと。いや、昔だからこそあったこと。今や万一にでもないはずのこと。

    同士討ち。


    気づいたときにはふたつの意味で手遅れだった。

    ひとつは、もちろん私のこと。貴音を敵と間違い斬ってしまったその隙を埋めることが出来るはずもなく、私は背中をざくりと斬られた。

    もうひとつは、こうやって戦っていた故の、全ての時間経過である。エマージェンシーを呼び、フェロモンも置いていた私を、765プロが感知、救出に向かうのには充分な時間だったのだ。


    斬られ、堪らず嬌声をあげてしまっていた私を打ち消すように、壁が吹き飛んだ。

    真っ白な光が視界を埋める。扉はもちろん、別方向の壁からも大穴を開けて、プロデューサー、春香、千早、雪歩が飛び込んでくる。


    暗闇の中にいたのはあの慇懃な男以外にも多くの敵がいた。

    しかし、手に持つのは棍棒や欠けたナイフと言う原始的なもの。それが闇の不意打ちも効かなくなった状況で、ジーンドライバーに通じるはずもなかった。唯一のジーンドライバーであったあの男も、逃げ切る前に足を折られ、拘束されるのだった。


    そんな状況の中、私は泣き続けていた。

    感情を殺すよう訓練されるジーンドライバーにとって、涙は流そうと思っても流せるものではない。

    けれども私は泣いた。

    私のせいで。貴音は。


    (泣いてどうにもなるものでもあるまい)

    兄の声が聞こえた気がした。

    手をのばし、動かない貴音を抱き取り

    私は気を失っていた。

























    病院のTVでは、近日中に隕石の落下が確実であるということがトップになっていた。別に落ちれば人類滅亡というほどのものでもなく、大半は大洋に落ちると予測されている。ひとつだけが比較的K街近くの近海に落ちることが予想されており、隕石に向けた迎撃ミサイルや準備、野次馬達の統制と、それに関する話題ばかりが流れていた。

    特に海辺に住むミュータントが活性化するのではないかと予想され、その点はジーンドライバー達にも多少の緊張感を生んでいた。


    …背中に受けた傷は、特に跡が残ることもなかった。いつも使っているコートが破れてしまったことの方が惜しくすら感じられた。怪我の治療などそれこそ専用のナノマシンで綺麗に塞がってしまうが、どういうわけか服の修復となるとみっともない跡が残る。
    ものを直すより壊す方が簡単とはよく言われたことだ。実際、ナノマシンによる治癒は攻撃型の使い手よりもずっと少なく、今でも医者という職業が存在する理由のひとつになっている。

    それよりも、それよりもだ。


    治療室から貴音が出てきた。


     貴音!大丈夫?

     ええ、問題ありません。この通り。

     本当に?後遺症とかも、大丈夫って?

     はい。心配入りませんよ。

     良かった…。


    背の低い私が彼女を抱きしめても、逆に抱きしめられているような気がした。


     伊織。無事だったのですから。
    そのような、まるで世が終わったような顔ではありませんか。

     本当に世が終わったって思ってたわよ。あなたを殺していたら、私は…。

     もう大丈夫なのですから。あの時、無防備にふらふらしていた私にも責任はあります。

     いいえ!私の責任よ…。


     貴音。あなたが許してくれるなら、これからもエスコート役をさせて。責任を全うする我が侭を許してちょうだい。

     もちろんです。むしろ私の方から改めて頼みたいくらいでしたから。

     そう、そうなの。優しいのね。でも、嫌になったときはすぐに言って。

     伊織。いつもの強気はどこに忘れたのです?

     …気にしないで。


    貴音が良いと言うのなら、あとは私自身の問題だ。

    …付け足すようで本人には悪いが、菊地真は多少肩をやられた程度でこれから先の任務にも支障はないとのことだった。



    プロデューサーからも引き続き貴音の指導役を任された。

    気と顔を引き締めているとだいぶ落ち着いてきた。そして他のことを考える余裕も生まれた。




    タブレットで四条貴音の情報を調べても、彼女に関することはジーンドライバーとして登録された以後のことしか判らなかった。個人情報管理が張り巡らせた世界だが、彼女の出身(だと思われる)D街は無法地帯である。抜け道くらいはあるのだろう。

    判らないならそれで良い、過去のことは過去のこと…と割り切ることが出来れば良いのだが。


    (貴音は何で攫われるのかしら?)


    人さらいに狙われた彼女は、最初の出会いもミュータントに連れ去られそうになると言う状況だった。

    あのミュータントには発信器が埋め込まれていたのも覚えている。誰かが狙っているとしたら、その理由を知りたくなるのは、彼女の世話役とエスコートを命じられたものとしての義務ではないか。


    いや、そんなのはただの言い訳か。

    私の興味は、貴音への


    765プロで大げさに別れを惜しむ貴音と離れた後、私はまず身内を頼った。

    直接話し合える中で、一番の権力者と言えば、上の兄、学哲だ。



     それで?この女のことを調べろと?

     ランク2位のお兄様なら、この世で知らない情報はないでしょう?

     全てを知っているわけではない。それに伊織。調べたところで私に何の利益があるのだ?

     彼女は誰かに狙われている。有事を防ぐ、事前対策の一環よ。お金だったらちゃんと用意するわ。

     見えないものを恐れるとはお前らしくもない。


    鼻で笑うと、学哲はじっと遠くを見た様だった。氷の様だと例える目が、一瞬深みを増したように思えた。これの意味を私は知っている。彼の未来予知。
    それは私の予知とはレベルが違う。

    その見た未来に満足したのか、学哲はもう一度鼻で笑った。


     …フッ。私が調べる意味はなかろう。

     何が見えたのよ?

     答えは教えん。だがヒントはやろう。『竹取物語』だ。

     ...はぁ?

     これ以上は余りにも虫のいい話だ、伊織。お前はマスターであった私の教えを抜け、『機構』の直属にある機会さえも蹴り、765プロなどという下請けの組織に属し、独立した悦に入っているだろう?

     そんなことは!

     そんなお前が今更になって水瀬の力を、私の力を借りたいのか?道理の通らない話だ。能力を維持するため、ナノバイトの栄養剤が私のお陰で用意されているだけでも充分と思え。

     判ってる。判ってるわよ。

     なら、他に用事はあるのか?

     …。

     いずれ必要になれば私がお前を導こう。出て行け。





     …で、断られたから僕を頼るのかよ。

     判りきってたことだけど。お兄様は甘えを知らないからね。

     僕が甘えて生きてるってか?全く…。

     兄さんは調べもの、得意でしょう。私は知りたいのよ。

     おいおい、もしかして個人情報をハックしろっていうのか。


    それは、もう一人の兄の特技である。


     なあ伊織。確かに僕は情報収集は得意なんだがな。それは一種、いつでも逃げ込める安全な場所があるからだ。はっきり言えばあの兄上のお陰だ。伊織、お前にそれと同じ環境が用意できるかよ?その女を調べたせいでマズいことになる、その時に隠蔽が出来るか?

     なによ。見えないものを恐れるなんて兄さんらしくないわ。

     僕をけしかけようってそうはいかないぜ。触らぬ神に祟りなしだ。正体不明の女なんて怖すぎる。

     本当にもう…どいつもこいつも…

     自分で調べりゃあ良いじゃねえか。情報っていうのはタブレットだけじゃねえ。

     なによ?

     人と人、そのネットワークは古今東西だ。D街に直接聞き込みすればいいんだよ。それくらいなら、僕だってサポートできる。ほら、あのコンタクトレンズに僕のPCとのリンクを設定しておけ。



    自動運転で来たD街は、やはり今日も散らかっていた。
    昼間にも関わらず人影は殆ど見えない。この前任務でD街に向かった時もそうだったが、この街は人がどんどん少なくなっている様に見える。

    遠くで大きな音がしてきた。


    (せめて服装くらいはルーズでも良かったかもね)


    出直そうかと思ったとき、耳元の通信機から兄、幹希の声がした。


     ミュータントだ!でかいやつが近くにいるぞ!

     道理で人影がないと思った!どこから?

     上だ!


    感覚を研ぎすましたとき、三階建ての建物の上からやつが飛び降りてきた。

    確かに一回り大きかった。大きければ強い、それは単純なようで論理的だ。一撃は重く、同じものを喰らってもダメージは小さくすむ。

    ただ、私にとっては

    (同じことよ!)


    未来予知で、振り下ろされるやつの豪腕を避けながら足下へ潜り込み、股を抜けつつ足を斬り裂いた。もちろんミュータントがこの程度で戦うことは止めない。這ってなおも突き進んでくるそれの、頭に向かって刀を突き刺した。


     流石だな、伊織。

     他に敵は?

     いない…いやまて。生命反応が近くの箱にある。小さいな…人間か?

     箱?あのゴミ箱かしら?


    私に出来るのは短い未来予知でしかない。箱を開けた先に何が待っているかという程度、実際に行動した方が手っ取り早い。しかし蓋を開けたとき、面倒が起こるということを知らされた気がした。


     おおう?亜美の目にはみょーに可愛いおねーさんが見えるぞい!

     ついに真美達にもあの世からお迎えが来たかな?あれ、でも天使って羽が生えてるんじゃなかったっけ?

     あと弓矢かボウガンもいるよね!

     それはクピードーでしょうが!?だいたいあんた達、まだ生きてるじゃない!!





    瞼を閉じると、兄、幹希のPCから選別された情報が見える。

    対象者。双海亜美。D街出身。色々な場所をねぐらにしている屋根無し。13歳。

    双海真美。亜美とは双子。

    その二人は、私の目の前で旺盛な食欲を見せつけていた。なんだかこの前も貴音を前に同じような状況だったような気がする。


    ここはD街のセーフハウスとして登録されているバー・ジョイトイ。ミュータント対策のために地下に作られた部屋を、住民達が手作業で拡張を続け、いつの間にかかなり巨大なバーになっていたという。

    あまり女には優しくないといわれる場所だったが、お腹をすかしていた双子は、早めにその欲求を解消するために飛び込むように入ったのだ。迷惑そうにする者は多くいたが、同行者に私がいると、自然と皆は黙って距離をとっていった。

    ああ、あれが水瀬のランカーか、後天的ドライバーだとさ、『機構』がこんな辺鄙な場所に何を、そんな話が聞こえてくる。

    壁には旧式のプロジェクターから映像が映されていた。K街で行われている馬達のレース。古今東西のギャンブルの実況だ。私をドライバーだと知ったひとりの見知らぬ男が、どの馬が勝つのか教えてくれないかと話しかけてきた。
    私の能力、未来予知はそれほど喧伝しているものではない。この男はドライバーならば誰でも未来が見えるとでも思っているのかもしれない。私の返事は無言でナイフを精製することだった。男は平謝りしながら逃げていく。


     ひょう!久々にお腹いっぱいになるまでご飯を食べたよ!

     こんなにモノを散らかしても平気なんてぜーたくだよねえ。えっと、誰だっけ?

     伊織よ。

     そうだった!ありがとうランク73位!ありがとういおりん!

     い、いおりん?

     ファンはそう言って応援してるんだよ知らなかったの?

     初めて聞いたわよ。

     そうそう、このご飯ってオゴリなんでしょ?ここまで来て亜美達で払えって言われても困るからね。

     …せめてあんた達、驕りかどうかを確かめてから食べようとしない?何で食べてから確かめるの?

     うううう、いおりん、亜美達をこんな場所に捨て置く気かい?いおりんがいなきゃ企画ものの餌食になっちゃうよ亜美達!双子を一度に犯すって、絶対万再生いけるね!

     そうだよ!助けたなら最後まで面倒を見るのが大人の義務なんでしょー!

     いや、正直あんた達と大して年は変わんないんだけど。


     『おい、伊織。現地住民なら好都合だ。貴音のことを聞いてみたらどうだ。』

     これからやるつもりよ…。

     ん?いおりんどうしたの?

     なんでもないわ。それより、まだ他に食べる?

     うむす!真美達のお腹はブラックホールなのだ!

     まぁ…じゃあ、食べながら聞いてちょうだい。

     おうよ!何かねいおりん。

     聞きたいことがあるんだけど…

     ほう!今ならどんな頼み事だって聞ける気がする!気がするだけ!

     何だって出来ないけど何だってするよ!それでお金の代わりになるならね!

     そんなつもりは全くないし、貸し借りの気も全くないから!驕りよ!

     わーお、いおりんって凄い消費者金融ですな。

     利子無し利息無し!喜んで泥棒しよう!

     ああもう、話が進まないわね。


    タブレットを取り出すだけでやたらに興奮する双子をスルーしながら、私は貴音の写真を見せた。


     この人のことを…

     おおう、お姫ちんじゃん!死んだんじゃなかったっけ?

     死んでない!生きてる!

     いおりんそんなに怒らなくても。それにお姫ちんとこの写真のお姉ちゃんが同一人物かどうかも決まったわけじゃないし。

     いんや真美さんや。これはきっとどーいつじんぶつですぞ。ねえいおりん、このおねーさんは銀髪?

     見ての通りよ。

     ちょっと背が高い。

     そうね。

     喋り方が凄く丁寧っしょ。

     そうよ。

     ダイナマイトボディ。特にお尻。

     …まぁ、ね。

     間違いないね!お姫ちんだ!

     あんた達、知り合いだったの?

     もちろんさね。今みたいに色々と恵んでもらってたからね!

     お姫ちんのお家は凄く豪華なんだよ。だから余裕があったのだ!

     羽振りが良かったよねえ。確かK街に引っ越すとか言ってたけど。

     今じゃお姫ちんの家なんてボロボロだよ。誰もいなくなった次の日から隣近所で略奪大会が起きて血も流れたって話。奪い合ってた人はみんなどっかに消えて、あの周辺、本当に誰もいなくなっちゃった!真美達は怖かったから遠目で見てただけだけど。

     てっきりみゅーたんとにミナゴロシにされたのかと思ってたよ。そっか、生きてたんだねえ。今どこにいるの?

     ちょっと、ちょっと待ちなさい。最初から順番に話して。


    あちらこちらに話題が飛ぶ二人の話を整理するのは、ナノマシンで感覚を鋭くするときのような不快感と倦怠感であった。それでも収穫はあった。

    貴音がこの街にやってきたのが特にいつ頃かだったかはわからない。しかし身元の判らない美女、と言うのはなかなか魅力があったのだろう、一悶着あってからある男の元で暮らすようになった。その日からその家は何故か幸運が続き、この貧民街としては異常なほどお金を稼いだ…具体的にはギャンブルである。


    その頃に浮浪者だった亜美と真美は貴音と仲良くなった。彼女のことをお姫ちんと言う渾名で話すくらいには許された関係だったらしい。また、稼いだ金を溜め込まずばらまくことに悦びを見出す男から何かと奢ってもらったんだとか。

    やがて出入り禁止を喰らうほど稼いだ男は引っ越しを考えた、が、その頃に、今度は別の変な男がその家を行き来するようになったと亜美は言った。

    私はかなり直感的なもので聞いた。

     ねえ、その男、語尾を不自然にのばす慇懃なやつだった?

     そんなやつだった気がするね。でもいんぎんって何?


    私達を攫った男だったとしたら、それはすでに逮捕されている。

    結局目的は判らないが、貴音を狙うと言う目標はその頃から動いていたのだろう。発信器付きのミュータントを投入したのもそいつかもしれない。

    犯人の男が逮捕された後どうなったかは、私に判ることではなかった。情報が制限されていて知ることが出来ないのだ。

    私には突拍子もないアイディアが降りてきた。貴音を迎えると大金持ちになれると言う噂を信じた誰かが攫ってくるように依頼したとか。

    (流石にないわ、そんなの)

    理由は判らないままだったが、これからも彼女が狙われる可能性があることだけは理解した。


     さてと、これからどうするかね真美さんや。

     お姫ちんにあうためにK街に行きたいけど、通行料が払えないよね。

     じゃあ穴を掘ろう。そのためには?

     力を温存することだね!どりるどりるぱわーをチャージするのだ今日の食事のように!

     となるとまずは眠ることだ!

     眠る場所は!

     今日はここの裏通りのゴミ箱にする?

     全身雨で濡らして捨てられた子猫の目をして全裸待機!

     おお!絶対起きる前にお持ち帰りされてかんのー小説みたいなことになるんだよね!

     カノン小説?

     千手カノン!

     強そう!

     …何故かしらね…危機を助けたって意味じゃ同じなのに、貴音と違って連れて帰らなくても何とかなりそうな気がするわ…。

     『おいおい、もしかしてまた拾うつもりだったのか?』

     その気はないって言ってるでしょ。

     いおりん、何呟いてるの?

     なんでもないの。店を出るまでは一緒にいてあげる。気をつけなさいよ。


    なおもぎゃあぎゃあ騒ぐ双子を前に、私はどこか別世界のような違和感を覚えていた。







    タブレットに着信がきたのは夕方だった。ジョイトイから出たのを狙ったように来た連絡は、プロデューサーから、今夜765プロ本社へ集まるようにという指示であった。

    自動運転の車は法廷速度を正確に守る。そのせいかどうかは判らないが、私が765プロに来たとき他の面子はほぼ揃っていた。既に星が見える夜となっていた。

     重役出勤かい、伊織。

     真、別に遅刻はしてないわよ。

     伊織!

    視界が突然暗くなったので何事かと思った。どうということはない、ただ貴音に抱きしめられていただけだ。

     見せつけてくれるね、伊織。

     別にそんな気は全くないんだけど。ちょっと、貴音、やめて。苦しい。離れなさい。

     じゃあ見せないでこっそりやってるの?

     そういうものじゃないって何度言わせるの。…貴音ったら!

     し、失礼しました…伊織…。

     ほーんと、貴音さんったら伊織と別れた後に捨てられた子猫の目をしてたよ。何度お持ち帰りしたくなったことか。

     あんたが飼えるの?

     …へえ、伊織の方にも脈有りみたい。良かったですね貴音さん。

     あらぬ噂を広めないでくれる?


     …時間だ。報告を始めよう。

    私達のじゃれ合いなどは全く気にせずプロデューサーは淡々と口を開いた。

     機構評議会により、本日付けで765プロ所属のXDは全員無期限の待機命令が命じられた。

     戦争でも始まるんですか、マスター。

    真の問いに、プロデューサーは顔を複雑にゆがめて応えた。

     そうなることがあるかもしれない。隕石の問題は知ってるな?既に迎撃ミサイルが発射され、大半が砕かれたが、その中のひとつが迎撃を突破する事が確実となった。偶然にもこのK街近海に落ちるひとつだ。
    評議会のSF好きなヤツが、これは異星人の侵略船だと主張してな。馬鹿げているが、否定する材料もない。

     そんな不確かな推測で会議が進むんですか?

     鶴の一声というべきかな。ランク1位の日高舞が戦いを待ちこがれていたように防衛ラインの設置に賛同したから仕方ないだろう。…隕石の正体が何にせよ、あの汚染物とミュータントだらけの近海に落ちれば、活性化した奴らが陸に向かってくるのはまず確実だ。水際の防衛は他の組織がやる。俺達の仕事は討ち漏らしの掃討だ。情報は随時タブレットとレンズに送る。各自覚悟をしておいてくれ。

    プロデューサーが壁を叩くと、そこが海岸線の俯瞰図が映し出された。彼の言う通り、すでに大規模な防衛線が構築されているようだ。大駒表記されているのはランク一桁のXD達。1位の日高舞と3位の石川実はすぐに見つけることができた。

    (お兄様は後方指揮かしら?)

    兄の名前を探していると、貴音に手を握られていた。


     どうしたの。

     いきなり、実戦なのですね…。私、不安なのです。

     …あなたはもう経験してるじゃない。
     ミュータントが相手なら、人間よりかは簡単だと思うわ。

     どのようなものがいるのでしょう?

     そうね、この近海にはクラーケンって言われる大型ミュータントがいたと思う。でもそういうのは沿岸の防衛線で討たれるでしょうよ。くぐり抜けてくるのはまず小モノよ。…ちょっと屋上行って見てみる?

     良いのですか。待機命令が出ているのでは。

     本社ビルから出なきゃ大丈夫よ。



    晴れた夜空には三日月がよく映えた。屋敷から見る夜景…遠くに摩天楼の光が煌めく姿も私は好きだが、この市内の絶え間ない光も悪くはないと思う。

    空からはジェット戦闘機のエンジン音が遠めに響く。と思いきや、驚くほど低空を飛ぶものもいる。航空機の大半も無人兵器。少ない有人機の大半はジーンドライバーが乗っている。あんな低空飛行ではしゃいでいるやつがいるのかもしれない。

    私は夜の闇のせいにして貴音を引き寄せた。私が寄せたつもりだったが、彼女の方が身体が大きく、私が添え物のように見えそうだ。

     伊織?

     あんたにも、色々あるんでしょうね。

     色々、とは?

     大丈夫、何があっても私があなたを守る。もう誰にも怪我をさせない。

     伊織。嬉しいのですが、先ほど私が抱きしめたときは嫌がりませんでしたか。

     …。シャイなのよ。

     それに、拘ることは不味いことだとも。

     私に拘るあなたがそれを言うの?


     貴音。私は女よ。女にこれ以上言わせないで。

     私も女なのですが。

     じゃあ、あなたも何も言わなくていい。

     …病院のときもそうでした。伊織、あなたは二人きりになると人が変わるのですね。

     気のせいよ。

     素直なあなただというのに、いけずです。

     本音は理不尽なものよ。...いいわ、昔話をしてあげる。





     水瀬には、理想とする剣術がある。

    屋敷の中の修練の場で、学哲が言った。手にはナノマシンで精製された剣。私の手にも刀が出来上がっている。いずれも修練用に刃は見せかけのものだ。

    この頃だと、小さな武器を作り出したり、加工する程度なら身体へ反動は無くなっていた。


     どのような敵にも、どのような奇手にも動ずる事無く、相手に合わせ的確に動き、最も効率的な攻撃でもって勝利する。経験や学習に頼る事無く、瞬時に適応する。時には先手必勝で苛烈に、時には敵の疲弊を待って果敢に反撃する、柔能く剛を制す、しなやかに戦うのだ。

     …言うのはあれだけど、できるの、そんなこと。

     できる。少なくともジーンドライバーであれば、誰にでも素養はあるはずだ。だが実現するためには、未来を予測し、敵の手を読まねばならない。つまりはナノマシンによる脳の強化だ。


    あの時私は、感覚を研ぎすまし、未来を視るというのを教えてもらった。

    マシンで感性を強化して情報を統合し、これから何が起こるのかを計算するという力。それは刃こぼれしない刀を作る以上に身体への負荷が大きかった。


     目を開け。見えるもの全てを頭に叩き込め。耳で見て、動きを聴け。

     …い、痛い!頭が…

     遠い未来を読むのは脳の負荷が大きい。お前にはまだ無理だ。これから私が、お前をどう攻撃するのか、それだけを視ろ。そして的確にガードしろ。


    音も無く学哲は歩き、痛みに苦しむ私の前までやってきた。見下ろす視線に負けじと刀を構えると、彼も足を止める。ここからどうやってくるのか読めと言うのか。私の読み取る感覚は彼の髪の毛一本一本の動きまでを見つめていたが、余りにも細かく、余計な情報が多くなだれ込み、頭が破裂しそうであった。


    次の瞬間。兄は剣を使わず、空いている逞しい腕で私を殴った。文字通り吹き飛ばされた。

     この程度も予想できんか?馬鹿め。本番ならお前の骨は砕けているぞ。

     …っ!

     また泣くか?それで余計に『視える』のならば、別に構わんがな。そうでないなら立て。もう一度だ。


    二回目は確かに彼の動きが僅かに『視えた』

    上段から、またしても殴る攻撃がくる。ならば私はそれを刀で受けよう。

    その予想が当たったのは最初だけだった。確かに上段から攻撃は来たが、彼の手には一瞬で精製された剣があった。私の刀はそれを受け止める形となった。つばぜり合い、だが力勝負が効く相手ではない。めげずにそれを受け流し、一気に首元を狙ったが腹に痛みが走る。兄のもう一つの腕から短剣が精製され、その柄がお腹を突いていた。

     まだまだ甘いな。言ったはずだ、しなやかに戦えと。


    再び刀を構える。三回目ともなると慣れが来たのか、あるいは殴られた痛みで忘れているのか、幾分脳を走る鈍痛は楽になったように思われた。
    目を細め、こちらに迫る兄の動きを見た。

    次は下段から来る。ならばそれを流しながら彼の首を狙う。拘りすぎるな、今持つ刀の結合は解け。代わりに両腕と足をナノマシンで強化して、駆上がり、首に巻き付く。インファイトに持ち込むのだ。


    攻撃が来た時、私は走り飛び上がる。彼の肩まで駆上がり、足で首を絞めようとした時、兄は強引に私を引きはがし、一本背負いでもって床に叩き付けた。全身に響く激痛のせいでもはや立ち上がることも出来なかったが、彼は存外に優しい顔をしていた。


     良い傾向だ。どうだ、あのくらいの攻撃ならもう止まって見えただろう?

     え、ええ。

    頬に手が添えられ、それが淡く光った。ナノマシンによる治癒と沈痛が働いているのだと気づいたとき、これが兄の褒め方なのだと知って、再び涙を流していた。


    結局見ることが出来るようになったのは数分から数十分程度の未来、それ以上長いと再び血を吐くような痛みに襲われた。だが局地的な戦いともなればそれで充分とも言える。私は格上に次々と勝利して力を示していった。

    これでもう、私は兄からの教えを卒業し、早くも独り立ちを始めようとしていた。私の能力を支えるのにはあの真っ赤なナノバイトの栄養剤が必要だが、それもランクを上げた上での権力で用意できると思ったのだ。


    次の問題は、その自身の能力そのものだった。

    先を読むことは何よりも負荷が大きい。目を開いていれば、耳を聴いていれば、私の脳には嫌でも情報が洪水となって押し寄せてきた。焼いた魚の骨が、僅かに残された埃のひとつひとつが、歯と唇の色が、他人のボタンの掛け方が。気になるものが多すぎる。力を確かにするごとにその認識範囲は広がり続け、ランク3桁まで駆上がった時点で限界だと思い、自分の部屋に引き蘢った。


    私が友と言えるのは心の無いぬいぐるみだけとなった。どうしてジーンドライバーなどという能力を得ようと思ったのか、判らなくなりかけた。

    人付き合いを極端に避けるようになった私。そこを救ってくれたのは、またしても兄である。


     そりゃ僕だって能力を得た時は大変だったけどよ、そこは修練だぜ伊織。こんな部屋に引き蘢ったまんまじゃ、返って駄目だ。刺激ある外に出て、能力が無かった頃みたいに何も考えず受け止める、そういう練習を繰り返せば何とかなる。兄上から教えてもらったかもしれんが、他への興味を無くすってこった。

     そんなのだから、お兄様はいつもあんな素っ気ないのかしら。

     かもしれねえな。あと、能力の強化が出来るなら逆に引っ込めることだって出来るだろ。

     兄さんみたいに器用にできれば良いんだけどね。

     チッ。所詮は後出しドライバーかよ。


     …幹希。そんな考え方をするならお前のランクは二桁どまりだ。それに、てきとうな事を教えるな。伊織のマスターは私だ。

     ひ!?いつの間に、兄上!

     伊織。要は情報の取捨選択が出来るようになれば良い。その判断力もまた、ナノマシンで強化する項目だ。

     はぁ…。何から何までマシン頼りね。

     人間の身体はバランスよく出来ている。それのどこか一つが強くなれば、他もまた強くならねば壊れるのは必須だ。だがそれを壊さず完成できるのがジーンドライバーだ。付いて来い。引きこもりなど許さん。


    私は家族に負けたくなかった。

    そして自分だけのものが欲しかった。

    けれどもそのためにやった事は、ジーンドライバーと言う同じ土俵に立つ事。

    結局のところ、私を導いていたのは長兄の学哲だった。


    外を兄と共に歩き、ナノマシンへの意志を調整する中、彼に教えを請うのはこれで最後にしようと思い始めていた。もう、先延ばしは無しだ。





     それから私は765プロに所属する事になった。…そんなわけだから。あなたに教えてきた事は、みんなお兄様の受け売りだわ。所詮は指導役、いつか本当にマスターになれそうな気がしてたけど、早すぎた願望ね。

     そうではありません、伊織。

     え?


    貴音は私を真っすぐに見つめてきた。透明で、深い赤みを湛える視線だった。


     私にとってマスターと言えるのは、あなただけです。ならば…私は…。私は、あなただけの、新しいもの。そう思うのは、自惚れですか。

     …。フッ…ハハハ。

     伊織。

     そんな風に考えた事は無かった。悪くない、悪くないわ。


    月に戦闘機の影が映っていた。

    戦いの時は近い。















    あの日の一日は、ひどく長く感じられた。


    私達765プロは交替で眠りながら出撃に備えた。非常事態故に、何があっても良いように。だから寝ているときに叩き起こされるなんていうのは予想していた事だ。私が驚いたのはそんなことではない。


     伊織、出撃だ!起きて!

     何よ真、もう私達の出番?

     ああ、今すぐ出ないとやばいみたい。行こう!

     ちょっと、状況は?

     ばかでかいミュータントが街中までやってきたってさ!それだけじゃない、他にも色々緊急事態だ!


    タブレットもレンズも機能していなかった。よくわからないまま真について行く。途中で貴音とも合流したが、彼女も叩き起こされたという風で、説明できる状況ではなかった。

    屋上に出ると、ヘリ・ドローンの中でプロデューサーが待っていた。指揮に回っているはずの彼まで出ているとはよほどの事なのだろう。私と真、それに貴音がそのヘリに乗り込もうとした時、プロデューサーは貴音を止めた。

     貴音。訓練生の出撃は許可できない。

     今は錬度を問わない事態なのでは!

     貴音、命令だ。おまえはここにいて、留守を守れ。

     大丈夫よ貴音。よくわかんないけど、さっさと片付けて戻ってくるわ。

     …はい。了解しました。



     それで?結局状況はよく分かんないままなんだけど。

     ここからなら見えるかもしれん…あれだ。

    プロデューサーが指差す先、かなり遠くに異形のモノが見えた。それは八本の触手と四本の装甲脚。オウムガイのような巨大なカラを背負う生き物。ビルとビルの間を侵攻しつつ、はっきりと目に見える放電を繰り返している。


     何あれ…30mはあるかしら。

     クラーケンだ。

     私が聞いてたものより大きいじゃない。世代交替を繰り返して大型化したのかしら。

     そのうえ陸地でも活動可能にまで進化してるときた!

     あの電撃のお陰でドローンも誘導兵器も近づく前に爆発する。そこでK街外縁部に設置されたレールガンで狙撃する事になったが、やつは器用にもビルを盾にしている。そこで俺達の出番というわけだ。やつの気を引きつけ、砲撃可能位置に引き寄せる。

     ちょっと待ってよ、あんな大物を海岸の防衛線が見逃したわけ?

     防衛線は突破された。


    プロデューサーは感情を抑えたまま喋っていた。彼の中にも混乱があるのは見て取れた。


     プロデューサー。結果から逆に話していくのは判りにくいわ。あの化け物を放っておくのもどうかと思うけど、最初から話して。私が寝ている間に何があったの?


     …最初は予想されていた通り、活性化したミュータントが隕石から追われるように上陸してきた。途中までは防衛線が対応していたんだが…想定を超える凄まじい数のミュータントが、海だけじゃなく地中からもやってきた。ドローン達のセンサーは優秀さ、奇襲なんて効くはずがない。
    そこであのクラーケンだ。やつの電撃で大半のドローンが無力化、そのうえ通信まで妨害されて、レンズも無力化された。防衛しているジーンドライバーは皆精鋭だが、連携して戦えないとなると、多勢に無勢という状態になったんだ。他のミュータントも多くが内陸まで上陸。状況が混乱している今、相当数の戦力であるという事しか確認されていない。
    この埒の空かない状況が解決しない場合、司令部は24時間後に核兵器の投下を決定した。

     は?待って。司令部を仕切ってるのは…

     1位と3位は前線に出ているからな。2位の学哲、お前のお兄さんだ。

     …。何のつもりなのかしら。安いトリガーね。

     ともかく時間以内に現状を打破しなければならない。そのためにまずは通信を復帰させねばならん。あのクラーケンを倒すぞ。


    ヘリから降り、形骸だけとなったビル群の合間を走った。ナノマシンの力で強化された足腰によって、私達は突風となって走り抜けた。今は一秒でも惜しかった。

    クラーケンは這いずるように、放電を繰り返しながらその巨体を移動させていた。今までに見たどんなミュータントより大きい。しかしその大きさに関わらず、顎に当たる部分は意外にも小さい…人間を飲み込むのに丁度良い大きさなのであるが。これもまた、かつては人間が作ったものだと考えると、つくづくその業の深さを感じる。


     攻撃可能範囲まで200m!次の角までおびき寄せろ!

     どうやってよ?

     こうやるんだよ、伊織!


    真は二刀の剣でコンクリートを荒く削った。やがて生まれた身の丈ほどの大きな破片を、今度は手足をナノマシンで強化することで持ち上げ、全身でもって豪速球(?)を投げた。

    破片はクラーケンの目に命中する。進行方向を、その巨体に似合わない素早い動きでこちらに向けた。

     使ってる技術は最新式なのに、方法は原始時代ね!

     食われる前に逃げるよ!

    やつは装甲脚で力まかせに突っ込んでくる。私も同じように破片をもう一個投げたが、その速度は変わらなかった。だが思惑通り、やつは目的の交差点に入った。

     よし、撃て!

    プロデューサーが景気よく叫ぶ。数刻耳を澄ましたが、何も起きなかった。


     今ある通信機もこいつの電撃でいかれたかしら?

     いや、僕たちの声は繋がってるでしょ?それに攻撃範囲に入ったのは向こうも見えてるはずじゃ?

     撃て!ちくしょう、聞こえてないのか?


    道路を剥がし、電柱を潰し、クラーケンの突撃は止まない。プロデューサーと真が二手に分かれてその暴虐な攻撃を避けた時、私は目を見開いていた。


    触腕が上からたたき下ろされてくる。それをギリギリで躱す。ただちに掴まり、駆上がり、やつの胴体へ。目をこの刀で切り裂く。…それが、最適解。


    かつて兄の肩を駆上がったときのように、私は走る。粘膜に包まれたクラーケンの身体はグロテスクだったが、まさに「目の前」まで来た時の、その何も通さない濁った目は、ただただ嫌悪感を抱く以外に何もないほど、グロテスクだった。


    クラーケンの全身を巡る白い放電をナノマシンが避雷する。目を一文字に割った時、青い血で私の服は染まった。

    頭から飛び降りながら、アンモナイトのような外殻を斬り裂いて行く。更なる青い出血がアスファルトを濡らした。



     凄いよ伊織!

     足を斬れ!動きを止めるんだ!

    右から触腕が振るわれる。それを避けながら斬る。見えた未来はそこまで。
    それで充分だと思った。

    根元から斬り裂いた時、後ろからもう一本の触腕が迫っている事に気を払うのが遅れた。巻き付き、捕われた私は、瞬きする間もなくクラーケンの顎の中に放り込まれていた。










    無数の逆毛に煌めく歯から、ナノマシンの防護幕が私を守る。うねり、ひねり、締め上げてくるその空間に、身体は喰われまいと自然と抵抗をしていたが、思考は達観していた。

    何かを成すには短い人生だと、それは誰の言葉だったか。

    私は、死ぬのだろうか。

    消化液がナノマシンを洗い流し、服を裂き、肌を焼く。

     (あんたは別に強くなんかないわ。私が弱すぎたのよ)

    所詮は能力のない者が見た、短い夢だったのかもしれない。


    身内に優秀なものがいて、それに負けたくないと意地を張った時、違う分野に足を伸ばして矜持を示すのはきっと誰も考えつく事だ。安易にそんな道に逃げず、私は兄と同じ土俵に立って競争した。確かに勝つ事は出来なかった、しかしその過程は無駄ではなかったはず。私はそう思う。

    でも、その私が死んだら意味がないのか。ああ、大丈夫だ、貴音も、真も、765プロの仲間達も、私の事は知っている。私の道のりを知っている。

    ならば…そうか。死んでも、いいのか。


    楽になってしまいたい衝動に駆られた時、その貴音の顔が横切ったように視えた。

     (強さを求める理由か)

    巨大な人工生物の筋肉繊維に締め付けられる中、これはまるで自由ではないぞと、場違いな事を思いつく。

    僅かに残ったナノマシンの必死の抵抗と、窒息しないよう口を押さえている自分に気付き、私はまだまだ生きたいのだと今更ながら理解した。


    咀嚼が始まる。私は目を開いた。

     (この私を消化する気?)

    力を集中させる。具現化できたのは小刀のようなものでしかなかったが、これでいい。

     (私の血で、あんたを窒息させてやるわ!)

    手当り次第に突き立てると波打つ振動が大きくなる。

    斬れば、出血が始まる。反動も始まる。私は突き上げられた。刀は立て続けた。上も下も分からなくなるほど身体を回した。

    かつんと、何か硬いものにぶつかる。ナノマシンの刃に抵抗出来るものは、同じくナノマシンで出来たものだけ。私は反射的な判断で結合を解き、勘を頼りに腕を伸ばした。


    ドンピシャで、知り得る仲の腕と触れ合う。握ると、力強く引っ張り出される。

    真っ青な血の噴水の中、私は真に抱きかかえられるようにして外に出た。


    回復してきた視力の中、プロデューサーの振るう二刀の剣が、クラーケンの装甲脚を砕いているのが見える。

    耳障りな声。巨大なミュータントは端からどろどろと溶け出していたようだった。残った身体で逃げるように這うのを見て、やつにも恐れがあるのだろうかと細目で考えていた。


     伊織!伊織ぃ!動ける?!

    私と同じように青く染まった真が、珍しく泣きそうな目で見つめてきた。張り付いた消化液を彼女は素手で拭ってゆく。

     ちょっと、真。あんたも溶けちゃうわよ。

     無事?良かった!

     もう、煩いわね。少し休ませて。

     駄目だ伊織!今寝たら死んじゃうよ!

     死なないわよ。ねえ、私の身体は五体満足かしら。なんだか感覚がないわ。

     見た目は問題ないよ。全身が血とか粘液でぐちゃぐちゃだけど!

     それって問題ない見た目なの!?

     やった!元気になった!

     ああもう。シャワーが浴びたいわね。


    その声を誰が聞いたかは判らないが、丁度ぽつりぽつりと雨が降り始めた。









    あの時、味方のレールガンが放たれなかった理由は、通信が回復した事によりすぐに判った。

     ミュータントに破壊されただと?

     ここから双眼鏡でも見えるわ。私達の方が気付くべきだったかもね。

    雨の向こうに、砲台から煙が上がり、砲身が折れているのが見える。

     あそこが攻撃されてるってことは、もうK街には侵入されてるようなもんでしょう。大丈夫かしら、皆。

     問題だったクラーケンを倒せたんだ、何とかなると思うがな。


    私は双眼鏡の倍率を変え、海の方を見た。ここからでも見える派手な光と戦闘音。おそらくあの中心には高ランクのジーンドライバーがいるのだろう。

     どうするの、プロデューサー。

     一度765プロに戻る。お前の無事も知らせないとな。

    なんで私だけの無事を、と疑問に思ったが、真が付け加えた。

     さっきからさ、目を瞑ったら「水瀬伊織 死亡」っていうのが見えるんだよ。
    正直気味が悪い。

     ああ、そういえば…あいつの体内でレンズは解けちゃったから。

     本当に大丈夫?

     ナノマシンは流されちゃったし、栄養剤もない、服もボロボロ。身体は大丈夫だけど、それだけね。今のままじゃ私は役立たずだわ。

     だが、無くしたのはどれも消耗品だ。765プロに戻れば補給できる。

    丁度、上から迎えのヘリ・ドローンが降りてきていた。




    765プロに戻り、そこで本格的に身体を綺麗にした。鏡で自分の顔を見て、言葉の使い方としてはおかしいのだが私は少しだけ絶望をした。クラーケンの消化液で私の身体はいくらか溶けていた。肌は醜くガサガサになり、髪もばさばさだ。大声を上げる事が無かったのは職業的な自制心故である。

    別に私は美貌を売りにしてきたわけではない。ただ強くあろうと、自由であろうとしただけだ。それでも持って生まれたものを失う事になるのではという、その恐れは確かにあった。

    ナノバイトの栄養剤を飲む。すると力が沸いてくるのがわかる。…これでいい。私はずっと、この力を頼りにしているんだ。髪を横分けにして傷を隠した。当分はイメチェンだとか何とか言い訳を並べればいいだろう。

    シャワールームを出てから待っていたのは貴音だった。開口一番、いや、何か喋る前に、私は抱きしめられていた。

     ああ!ああ!あなた様!

     あ、あなたさま?私は伊織よ?

     良かった…無事で…。

     見せつけてくれるねー。

     真。見てないで助けなさいよ。苦しい…。

     いいや、二人共幸せそうだから、それを邪魔するほど野暮でもないよ、一生やってな。

     はぁ。貴音、私の顔見てる?こんな醜いものになっちゃったけど。

     関係ありません!


    …こうまで断言されては後ろ向きになる私の方が滑稽だ。
    私は首を振ってから、貴音の肩へ腕を回す。

    貴音の抱擁には不思議な安心感があった。大樹のような強さの傍の安心感だった。
    思考する。彼女は全身を使ってナノマシンによる治癒と沈痛を行っているのだと気付いた。
    私と目が逢うと、練習したのです、と聞いてもいないのに応えた。


     きっと、あなた様の力になれると思って。

     …そう。…あなたさま、はやめて。伊織で良いのよ。

    クラーケンに食われたとき、諦めかけた私を救ったのは彼女の幻影だ。
    すでに貴音には命を救われたような想いがある。

    周りを見ると、真は姿を消していた。気を使ったつもりだろうか。

     伊織。私、決心がつきました。お互いが生きているうちに、話したい事があるのです。

     次の出撃が控えてるわ。手短にできるかしら。

     構いません。伊織。

     ......。...いいえ、言いたいのを当ててあげる。




     あなたは、普通のジーンドライバーじゃない。少なくとも、今みたいな低ランクじゃない、恐らくだけど、相当に強い力を持ったジーンドライバー。違うかしら。

     …分かっていたのですか。





     予想は出来るわ。あなたが貧民街にいたとき、あなたを保護してくれた人は何かしらの手段で大もうけしたって話を聞いたの。もしかしてって思ったわ。あなたに強力な未来予知の能力があれば、それで手助けする事であの街で流行るギャンブルは全戦全勝できる。恩返しかなにかは知らないけど、義理堅そうなあなたらしい気もしてね。誰かがイレギュラーを雇ってまで、あなたをさらいたくなる気持ちも分からないではないわ。
     今してくれた治癒も、一朝一夕で身に付くものじゃない。だいたいあなたが精製した逆手に持つ剣なんて、普通に扱いが難しいものよ。あなたが強い能力者だって事ははっきりしてる。
     それで、それだけの能力を持っていて、何で今は下手なふりをしているのかしら。

     …。

     別に話してくれなくても良いのよ。過去の事なんて振り返るのは私は好きじゃないから。


     私は、この星の人間ではないのです。

     へえ、そうなんだ。

     …驚かないのですか。

     ジーンドライバーは感情を抑えるように訓練されるの。大丈夫、これでも驚いてるわ。そっか、そう来たか…。この星で生まれたナノマシンを動かせる人がこの星以外にもいるのね。それで目的は何?偵察かしら。それとも人さらいかしら。侵略とか?

     …。

     なるほど、そこは話せないのね。

     はい。私の使命、ですから。

     じゃあ、そのうちここを去る時が来る。

     はい。

     間もなくその時がやってくる。結局、そう言いたいのかしら。

     …はい。よく分かりますね、言いたい事を…。

     私にも未来予知の力があるのよ。


     …ねえ、貴音、こういう言葉があるわ。『そんなもの、知ったこっちゃない』

     …なんと?

     使命なんて捨て置いて、ここで永住したらどうなのかしら。

     それは。

     あなたと似たような話を知ってるわ。竹取物語よ。あの月の世界の人は、かぐや姫を守ったおじいさんとおばあさんに沢山のお金を結果として持たせた。かぐや姫は実に体のいい駒だって穿った見方をした事はない?お金だけじゃない、当時の帝にまでコネクションが出来るうえに、本人は最後に羽衣のお陰で記憶も忘れて、例え時代が変わってもやろうと思えば何度でもやり直せるわ。ねえ、貴音。あなたはそんな体のいい駒になってないかしら。

     …。

     はっきり聞くわ。あなたは、この星に来たのは何度目?

     …。

     私、教えたわよね。譲り受けたものの価値と扱い方を決めるのは、授けた方じゃなくて授かれた方だって。あなたの生き方を決めるのはあなた自身のはず。でもね、見えもしない使命とかいうものに、命を燃やすのはおかしくないかしら。


     もう言い過ぎになるかしらね。…でも、迷っているなら、手を貸しなさいよ。

     なにをするのです?

     握手。いえ、さっきみたいに抱きしめても良い。

    間もなく腕が背中に回った。


     最初に教えたわ。ナノマシンの扱いは、二人で協同する事もできるって。あなたにも未来予知があるのなら好都合だわ。私と二人で見てみましょう。








     どう?

     はい。

     わかるでしょう?あなたの「使命」は、もう終わっているのよ。

     …はい。

    貴音の目から、涙があふれていた。

    止まらず、こぼれ続けた。





    ブリーフィングルームに入った時、他の仲間達の視線が刺さった。765プロのXDの中では私たちが最後に入ってきたメンバーだったようだ。
    プロデューサーはいつも通りの真面目な表情だったが、真はにやにやしていた。

     これからの予定が決まったが、いいか。

     教えて。どうするの。

     状況が整理された事で、戦況は有利になっている。ミュータントのK街への侵入は許したが間もなく撃滅できるだろう。このペースならば、核兵器投下までに余裕を持って敵を全滅できる。既に一部では撃墜数を競うという場面も出ているほどだ。

    プロデューサーは壁を叩いた。戦場俯瞰図。多数の赤い点は観測できるミュータントを示している。それは各地に散らばっていたが、最初の防衛線が配置されていた海岸線は極端に数が少なかった。
    その中心には、ランク1位、日高舞の文字が見える。


     早くしないと、獲物を独り占めにされるかもしれんな?765プロは総力で出撃、残存するミュータントを掃討せよ。撃破数に応じてランクアップを約束する。行け!

    仲間達は口々に何かを言いながら駆け出して行った。

     …先に行くよ、伊織。

    真も二刀を抜いて走り去る。私が呼び止めるより早く、その姿は再び突風となって消えた。


     私たちも行くわよ、貴音。

     …伊織。

    貴音は、いつだったか真が言っていた、捨てられた子猫の目であった。つい私は笑ってしまった。なるほど、拾いたくなる気持ちもよくわかる。

     申し訳ありません、伊織。私は、ずっと…。

     もういいのよ。

     かような私が、傍に立つ事を許していただけるのですか。

     逆に聞くわ。…こんな私で、良いのかしら。

    返事は、今度も抱擁だった。


     …どうして、許すのです。

     散々からかわれた事じゃない。








    双眼鏡からは戦いの様子がよく見えた。ほとんどは鎮圧が完了しているようだ。
    大型のミサイルが海に向かって飛んでいくのが見えた。着弾するところは遠すぎて見えないが、方向からしてあの隕石が落ちた近海だろう。対ミュータントの駆除作戦は沖合の方まで伸びているようだ。

    やがて爆発がおきた。

    ラップトップを開いて戦況を確認した。あのミサイルは近海に落ちた、まさに隕石そのものを狙っていたらしい。あらゆる種類のレーダーでターゲットを完全に破壊したという報告が並んでいた。


    エンジン音がしたので、水瀬の次兄、幹希はラップトップから目を外した。バルコニーから飛び降りて車のもとへ向かった。

     無事のお帰りですか、兄上。

     見ての通りだ。

     そりゃ良かった。でも計画通りにはならなかったようで。


    学哲は顔をしかめた。幹希はすぐに肩を縮こまらせた。

     ああ、いえ、これも計画のうちなんですね?判ります。

     お前はそれらしい事を話せば誤摩化せると思っていないか。

     まさか、そんな。

     少しは考えて話せ。


    ふたつの警備装置をくぐり抜け、屋敷の奥まで来たとき、幹希は慎重に口を開いた。

     その…兄上。核兵器を落としてミュータントを始末して、どさくさに紛れてランク1位も吹き飛ばして、あなたが1位になるという計画だったと僕はそう理解してたんですが。

     誰がそんな事を言った?あれはただのムチだ。

     ムチ?

     そもそも、あの日高舞が核兵器ごときで死ぬ存在だと本気で思っているのか?

     …そう言われると自信がなくなってきました。

     私が欲しいのはデータだよ。伊織の監視は続けているな?

     ええ、途中でレンズが交換されたようですが、クラックしておきました。
     今でも追跡中です。

     転送しろ。

     もうしています。

     ふむ…。実戦とは最高のデータだな、幹希。

    学哲は目を閉じる。瞼の裏に映る情報を統合していた。

     伊織もなかなかの働きをしてくれたものだ。あのエイリアンの侵略を止めたのは、歴史の教科書に載せてやっても良いかもしれんな。

     エイリアン?

     四条貴音と名乗っていた女だ。幹希、竹取物語は知っているだろう?

     ええ、まぁ。

     あれはずいぶんと美化された話だ。

     いえ、そもそもお伽話なのでは?

     いいや、実際にあった事なんだよ。立派な歴史だ。もっとも真実は霧に隠れているが。

    幹希は疑問符を増やしていた。


     あれは地上に降り、一部の人に富を約束させる代わりに、サムライアリのごとく、多くの地上の人間を奪う者たちの話なのだよ。その攫う部分は一切語られていないがな。過去にも何度もこの星にやってきて、人というこの星の資源を奪っていった。
     今回、やつらはD街に四条を送り込み、一人の人間に多くの富を約束し、代わりに周囲の人間を攫った。それで今回の任務は完了するはずだったが富を得た男は彼女を手放さなかった。故に殺されたが、次は伊織達が保護した。奴らにとっては不幸な事に、そして我らにとっては幸運な事に、四条は伊織に一目惚れした。彼女を回収する事が出来ないとなると、隕石を落として騒ぎを起こしてまで脅迫をしてきた…つもりらしいな。本当に脅迫するつもりなら街に直接落とせば良いものを、四条という駒は切り捨てる事が出来ないんだと。大駒ばかり守るとは…全く愚かな連中だ。

     誰がそんな事を言ったんです?

     あの伊織達を一時攫ったイレギュラーだよ。尋問をしてようやく吐いたんだが、月からの使者だそうだ。
     ハッ、笑ってしまうな。お伽話にもなる時代からワンパターン戦法だったとは。いつまでも人類に同じ戦法で通じると思っていたとは。そもそも脅迫するには交渉する先が間違っている。あいつ、日高舞と話そうとしたんだぞ?やつらは昔と変わらず帝と接触したつもりなのだろうが、こんな話をあの日高が聞けば、喜び勇んで戦争に持ち込むに決まってるだろう。外交というものを勉強し直す必要があるな。


     …あの話じゃ、月からやってきた軍勢に、地上の人は何もせずとも萎えちまった、なんて話もでてきてますよ。その四条がこの星にいる限り、もしかしてもっと怖い奴らがくるんじゃないんですか?

     いくつかの隕石を迎撃ミサイルが砕いた話は聞いているだろう?あれが奴らの侵略船も兼ねていたんだよ。大半は宇宙で既に砕かれ…最後の一つも、今まさに、な。乗っていた侵略者の大半はミュータントに食われるか、そうでなければミサイルの的だ。

    幹希はあの戦況データを思い出していた。

     ってことは、その四条が最後のエイリアンってことですか。

     さっきも言った通り、すでに伊織が無力化した。わざわざ殺す必要はないだろう。女同士では子孫も残らん。我々の勝利だ。


    幹希は頭をかき、話題を変えるように肩をすくめた。

     兄上。妹の戦闘のデータが、何か凄いんですか?というか、何に使うんです?

     フッ…それは答えを言うわけにはいかん。

     なら、ヒントだけでも。

     そうだな…。まずひとつ、私が欲しいのは利益であるという事だ。

     ええ。

     ふたつめ、毎年確かに生まれるが、僅かにしか生まれないジーンドライバー。その数が増える事は、当然、その市場の拡大を意味する。

     …ええ。

     みっつめ。人工的にその数をコントロールできるとしたら。

     …。


     水瀬伊織は…人工の天才。皆が憧れ、彼女を目指して動く、そのアイドルとして実に最適な存在だと思わないか?












     んふふふ...ははははは!ついに我々はここまで来たのだ!

     この壁の向こうには新天地が待っているのだ!

     いやぁ、我ながらよくぞここまで掘って来たもんだって思うねぇ!

     いやいや、それほどでも...あるけどねー!

     さて!計算が正しければあと50センチくらいだよ。その先には

     新世界に繋がってるはずさね!さあさあ、どかんと一発。

     げっとせっとぉ!

     れでぃ!

     ごー!



     

     んふふふふ!これがD街脱出劇の最終章ー!

     はぁ?!なによ、なんなのよ?!亜美、真美じゃない!

     ありゃ、いおりん。

     こんなところでなにしてんの?

     それはこっちの台詞よ!!何なのあんた達...まさか、本当に穴を掘ったの?

     なかなか大変だったけどねえ!

     歴史に名を残したかったからねえ!


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