戦国武将・島津義弘が記す忍びの存在!(抜粋・補足)
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戦国武将・島津義弘が記す忍びの存在!(抜粋・補足)

2014-07-21 12:11
    Walker47鹿児島市南部地区の記事にアップした物を抜粋。こちらではそれにもう少し補足して掲載します( ・∇・)ノシ

    ~以下抜粋~

    先日、某歴史の先生より戦国武将・島津義弘が晩年に書いた回顧録の中に忍びの一文が出てくると話があり資料をいただきました。

    写真


    この資料は「惟新公自記」という回顧録を現島津家当主・島津修久さんが漢文読み下しと解説をつけて発行した「島津義弘の軍功記」。(現在、鹿児島市にある仙厳園隣り尚古集成館で購入出来る様です)

    写真


    書き下し文は次のとおり
     菱刈、謀反せしめるに依り、退治有るべきの旨、僉議区々なり。予、諸卒に告げて曰く。近年、馬越の城に於いて忍(しのび)を付け、其の趣細々之を聞けば則ち、其の境に臨みて之を見るが如し。

    「忍」に関する言葉はここに出てくるだけの様ですので普通は流すところですが、この回顧録の位置づけが少し変わっているのです。

    この資料をいただいた先生からは、薩摩の郷中教育の基礎になる本であり家臣達に読ませる本であると話がありました。

    すなわち、逆に説明も無くさらりと言葉が使われている事から薩摩藩において忍びの組織・若しくは文化が周知として存在していたと考えられます。

    これは幕末まで続いていた様で、昨年の大河ドラマ「八重の桜」でも薩摩の隠密活動家として益満休之助や伊牟田尚平が取り上げられていた様です。

    (幕末の件に関しては、旧上野市・現伊賀上野市の元市長で伊賀の忍者博物館等を作り、伊賀の忍者観光の基礎を作った奥瀬平七郎さんが上野市観光協会発行の「忍術の歴史」等に幕末の大忍術の例として挙げられています)


    ~以下補足~

    この「惟新公自記」の説明を受ける時に、姶良町歴史民俗資料館制作の「戦国武将 島津義弘」内で三木靖先生が『ところで御自記は義弘の自慢話ではない。同書は島津家の繁栄は、同家が神国日本の伝統ある慣例や規律に従い、領国を統治してきたこと、神仏を崇め、祖先を敬い、武略を修め、文教に勧しみ、忠義礼節を重ねてきたことにあるとし、島津家を継ぐ子孫が祖先からの伝統を順守し、島津藩が正道を歩んでいくことを望んでいた。そのために命がけで領国経営に邁進し、泰平安穏の世に巡りあえたと感謝の念で書いたのである』と書いた文を教育書である理由付にされ、こちらも鵜呑みで話を聞いていた為、記事を書く時にこの結び付けはおかしいと感じWalker47の記事では削除をした。





    たぶん、他の資料から「惟新公自記」は郷中教育の教育書類の一部として使用されているという説明ができると思うので今後探してみようと考えている。

    記事にする前、忍者学で有名な某先生に資料と考察を送り『島津義弘が忍びを使っていた明らかな史料』とお墨付きをいただいたので研究の方向性は今のところ大丈夫であろう。

    今回の件から某所にある展示書類確認の必要が生じた。

    あと、ある有名な歴史小説家が書いた書籍とその小説を書く為に取材した資料にも当たる必要が生じてきた。










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