• 「大好きな人から学んだこと」

    2020-04-01 23:12
    <2020年3月30日(月)記述>

    ニュース速報が流れてから、しばらく放心状態。

    子供の頃はテレビの見過ぎと言われ、親にビデオデッキの配線ケーブルを隠されたことがあるぐらい録画したものを観まくっていた。その頃の番組は、ウルトラマンシリーズ、ドラえもん、ジャングルTV、ボキャブラ天国、ごっつええ感じ、気分は上々、炎のチャレンジャー、ショーバイショーバイ、マジカル頭脳パワー、速報!歌の大辞典など挙げればキリがない。

    ドリフ大爆笑、バカ殿様もその中に当然入っている。

    特にドリフ大爆笑では「階段落ち」が大好きだ。志村さん扮する映画監督が池田屋事件のクライマックスシーン「階段落ち」を撮影しようとする。しかし、階段落ちのスタントマンとして現れたのが加藤さん扮する旅回りの役者という設定。

    この設定は階段落ちに以外でも、CM撮影など様々な設定でリメイクされる。

    Youtubeなどで見て欲しいので内容は割愛するが、このコントのすごい所は加藤さんと志村さんのコンビネーションに尽きる。

    まるでハリウッド映画でも作ろうとしているんじゃないかというほどのテンションの高さで繰り広げられる役者と映画監督のボケツッコミの嵐。その凄さは、テレビの前で見ていた僕らが、まるで現場にいるような錯覚に陥るほど。※友達同士がくだらないことをしていて、見ているこっちが笑い転げたあの感覚に近い。

    ドリフのコントはテンポが良いし、設定も日常を舞台にしたのが多い。また他のコントで見かける演者の下手さに、見ているこっちがなんか恥ずかしいという思いは絶対に抱かない。

    それは徹底的にお笑いというものに真面目に取り組み、見ている僕らに対して真剣勝負を仕掛けてきていたから。いかりやさん亡き後、確実にその精神を継承した志村さん。

    2004年3月、いかりやさんが亡くなった時
    これからコントをやっていくのかが気になった。

    全員コントではいかりやさんが絶対的ツッコミで、他の4人は年長者に向かって多少の気を使いながらも、はちゃめちゃなことをいかりやさんに仕掛けていた構図が主だった。そのいかりやさんがいない。ツッコミは誰がやっていくのか。

    それからしばらくの間、ドリフターズ4人のコントをテレビで見ることはなくなった。TBSの記念特番でドリフの4人が集まり、コントを披露したときは先に触れた加藤さんと志村さんだけのCM撮影コントだった。

    しかし志村さんだけはコントそのものを止めることはなかった。
    「志村けんのバカ殿様」
    ドリフ大爆笑の新作がなくなっても、バカ殿だけは新作を作り続けていた。

    やがて「志村けんのだいじょうぶだぁ」も復活。
    メンバーはバカ殿様とほぼ同一だが、ひとみ婆さん、デシ男、いいよなあおじさん、変なおじさんなど以前のキャラクターはそのままに新作を放送し続けた。

    そして2017年、4人のコントが復活。
    内容は寝台列車。

    志村さん扮する婆さんが、寝台列車の中で
    就寝時間になっても騒がしく、周りが止めるというコント。

    やはり最後の集合から10年以上経過したこともあり
    メンバーそれぞれの老いが目立って来たが、加藤さんのツッコミは健在。そのツッコミを受ける志村さん。

    「やはりこのコンビはすごい」
    そう思った。

    2020年3月4日 だいじょうぶだぁSP放送
    その時、仕事中ではあったが暇だったので会社のテレビで視聴。変なおじさん、悪い虫、いいよなおじさん、ひとみ婆さんなどいくつものキャラクターを演じる志村さんが健在した。

    ぶっちゃけて変なおじさん以外も全部”変なおじさん”なんだけど、一人一人まるで違う。もっと言えば変なおじさんがまともに見えてくるぐらい他が変なのである。実際「悪い虫」の方が完全に変態だ。でも変なおじさんが強烈なのは、毎回設定が違っても以下がお決まりなのだ。
    ① 主人公は1人の女
    ② 何か物音がする
    ③ 気のせいと思い油断すると、いきなり現れる
    ④ その場から逃げ、少し油断するとまた現れる
    ⑤ 最後にベッドの中に隠れようとすると、すでにおじさんがそこにいる
    ⑥ 女の悲鳴
    ⑦ どこからともなく肥後さん率いる近隣住民が駆けつける
    ⑧ 女が肥後さんに「このおじさん、変なんです」
    っとちょっと待て!

    ここで日本中の誰しもが思ったはず。

    なんで女は、おじさんの”変さ”加減だけを指摘しているのか
    おじさんがいること自体の抵抗さが全くないのである。

    おそらく、この変なおじさんが存在する世界では
    女性の家には必ずおじさん1人が住み着いているのが常識だと思われる。普通のおじさんであれば何も問題なかった。

    しかもこの変なおじさん、見つかった後のテンションが異様に高い。「なんだ君は!」と聞かれれば、「何だチミはってか、そうです。私が変なおじさんです」とスラスラ自己紹介を始め、聞かれたことに対してのお礼なのか、へんてこまいな踊りを披露する。最後に「だっふんだ」と言って終わる。結局、変なおじさんとは妖精・・・いや正真正銘の”変な”おじさんのことなのだ。

    だいぶ脱線してしまった。

    2020年3月30日(月)
    ニュース速報が流れてから、しばらくは放心状態。仕事にも身が入らなかった。

    いろんなテレビ番組で共演したタレントが追悼の言葉を述べる中、印象に残ったのが大手Youtuberが相次いでコメントしたことだった。

    ここ10年でテレビの勢いは衰退していき、Youtubeが席巻している時代
    でも志村さんはテレビという場所でコントを作り続けた。

    私は、バカ殿様、だいじょうぶだぁなど大手、Youtuberの年代(20代)には通じないと思っていた。

    しかし現実はすごかった。
    志村さんから面白いことを追求する姿勢、かっこよさを学んでいたこと。

    ツイッターでいろんなYoutuberがコメントしているのを見て、やっぱり志村さんは日本中が愛した「変なおじさん」であり、最高のエンターテイナーだということを認識させられた。

    テレビは負けてないといろんなタレントが言っているが、クイズやどっきり、本音か愚痴しか言ってないひな壇番組、面白い番組なんてあしゃしない。正直Youtubeの方が踏み込んだ内容だったりする。

    でも、志村さんだけは昔から変わっていなかった。テレビでしかできないことに徹底的にこだわっていた気がする。

    コントのセット、豪華なゲスト、テレビのコンプライアンスを利用したギリギリの姿勢。Youtubeではまだ到達できないレベル。



    生前、渥美清さんが言っていた言葉
    「(俳優は)年はいくつで、何をしてきてとかわかんない方がいい。何が何だかわかんないんだけど、これをやる前泥棒かなんかやってたんじゃないかって思うような人の方が面白い」

    志村けんは謎だ。何を考えているかわからない。その「謎」に惹かれている部分も結構ある。
    今日これだけの人がショックを受けているのは、志村けんという人、そして「謎」の部分に惹かれていたかという証明だったように思う。

    私もその中の1人であることは間違いない。


    <2020年4月1日(水)記述>
    今日、志村さんの追悼特番が放送された。
    職場で30分ほど観る。

    残りは録画を見ようと思い帰宅するも、なかなか見る気が起きない。

    会社では同僚と一緒に見ていたので純粋に面白く見れたが、家に帰ると悲しさだけが残ってしまった。

    先に触れた「階段落ち」も特番で放送され、職場で見ていたが
    何度も見てるのに初めて見た時と同じぐらい笑ってしまう。

    でもやっぱ寂しい。

    ニュースなどで東村山市では献花に訪れる人々が後を絶たず、この状況なので「献花は控えてほしい」
    ネットでも「この状況で行くなんて」というのを目にする。

    ただ俺は、志村さんへの献花が不要不急の外出に当たらないと思っている。
    親、親戚、友人、家族と同じように皆、志村さんのことが大好きだから。


    志村さんから何を学んだのかと聞かれた時、自信を持ってこう答えたい
    それは「笑うこと」

    子供のころ親、兄弟で体験した全員の一体感。感動で涙する箇所は皆バラバラなのに、笑う箇所は皆同じ。

    嫌なことがあっても、笑うことで忘れることができる。
    綺麗さっぱり忘れるわけじゃないけど、「笑うこと」はそういうのを一瞬でも忘れさせてくれる「魔法」のようなもの。


    今回のことで、志村さんからウィルスの危険性を改めて学んだという人が多すぎる。
    正直、俺はそんなこと志村さんから学びたくもない。

    ただ変なおじさん、バカ殿で「笑うこと」をもっともっと学びたかった。

    <最後に・・・・>
    世の中には発信する人がいる。
    おかげで今の時代、YouTubeというもので過去を振り返ることができる。

    志村さんだけあって、大量のコントを見ることができる。
    やはり伝説の喜劇人。

    コメント欄には悲しい言葉が並ぶ。
    「早すぎる」
    「嘘だろ」
    「だいじょうぶだあって言ってよ」
    「信じられない」


    でも俺は少しでも明るくなるようなコメントを書いた。



    「このおじさん、変なんです」

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  • 8年前の記憶

    2019-03-11 18:35
    3月10日、宿直勤務で会社に向かう。
    テレビは坂上二郎さんが亡くなったニュースで持ちきりだった。

    3月11日
    日勤者への引き継ぎも終わり13時頃に退社する予定だったが、14時に出社する上司に報告する事案があったので、なんだかんだで時計は13時20分。

    すると早めに上司が出社。14時前には会社を出た。

    東急東横線の中でうとうとしながら日吉駅に到着。
    「なんかお腹すいたからラーメンでも食って帰ろかな」と思い、商店街にある行きつけの銀家ラーメンに寄った。

    食券を買い店員に渡す。
    店員:お好みは?
    俺:普通で
    いつものやりとりを終えるとIpodで音楽を聴きながらラーメンが来るのを待つ。
    ふと店内を見渡す。
    俺:少し混んでるな(心の中で)
    店員:へい!お待ち!!

    私のところにラーメンが置かれた。
    さあ食べようとテーブル上の入れ物に挿されたレンゲを一つ取り、スープにつけた瞬間
    「なんか揺れたな。震度3ぐらいか。まあいいや」
    そんなに気にせず食べようとしたとき、建物自体が音を立て独特な揺れをし始めた。

    数年前から言われていた
    「30年以内に首都直下地震が来る」
    そのことをとっさに思い出したとき、ついに来たかと覚悟した。

    店内にいた人があわてて外に飛び出した。

    一口もつけていないラーメンを置いて外に出て見ると商店街は大混乱。
    道路に人が溢れ、信号は止まり、車は立ち往生。
    経験したことない光景。

    店に戻ってラーメンを食べるような気持ちなどなかった。

    ひとまず実家や会社に無事であることを災害メールで連絡。
    電話は通じず、つながったとしてもまたかけると不通が続く。

    ようやく実家と電話が繋がり状況を話すと、兄が働いている病院に行って欲しいとのこと。
    当時、駅近くの病院で働いていた兄。さっそく行ってみると職員が患者を避難誘導していた。
    一人の職員に声をかける。
    俺:すいません。
    職員:なんですか(イラッ)
    多少、地震で気が立っているようだ。
    俺:あの○○(兄の名前)って居ますか?

    するとその奥にいた職員が振り返り俺の名前を呼んだ。
    兄である。

    忙しそうにしてる中、少し会話。
    今日は俺の家に泊まるとのこと。
    病院を後にする。

    二人分の夕飯を準備しなければ。しかしコンビニは店前の道路にあふれるぐらいの激混み。
    大型スーパーも急な閉店になりどうするか悩んだ。

    とりあえずアパートに帰ろうとした時、行きつけの美容室前に差し掛かる。
    すると店の人がいた。
    俺:大丈夫でしたか?
    美容師:大変でした。ちょうどパーマをかけてる人がいて〜

    会話中、ふとテレビのニュースをみようとワンセグを起動。その時初めて、東北地方が津波に襲われたことを知った。

    美容師の人に伝える。
    俺:でかい津波が来たらしいです。
    美容師:どこ?
    俺:宮城とかで

    大変な状況であることを改めて実感。

    美容室とはそこで別れ、俺はアパートに帰った。
    部屋の中はとくに荒れていない。ただ停電していた。

    携帯電話の電池も減っていくなか、少しでも情報を得ようとするが緊急地震速報が鳴り響く。
    その度に外に避難する。何度繰り返したかわからない。

    それから1時間経ったかもしれない。隣の地区にあるコンビニに行ってみることにした。
    歩いて数分の場所であるが、なんと電気が繋がっていた。
    ただやはり激混み状態。

    温め不要なアメリカンドッグ2個購入。もう一個なにか買ったと思うがもう忘れてしまった。

    家に戻り、アメリカンドッグを食べる。
    夜になっても停電は続く。
    暖房も使えず、毛布に包まり、携帯で情報を得る。
    すると兄がアパートに到着。

    アメリカンドッグを渡し、ワンセグでtvkをつけておく。
    大混乱している横浜駅の映像も見た。

    すると携帯の電池が切れワンセグも見れなくなった。
    でも当時の俺は電池式のラジオを持っていたので、ラジオで情報を得ようとした。
    ただその時実感する。

    自分がその状況に置かれたとき、気が立っているせいか
    冷静になって聞くことができない。頭に入って来るがいまいち状況がつかめない。

    すると兄が一回病院に戻るとのこと。すぐに用事は終わるらしい。
    何か心配だったので俺もついていくことにした。

    病院に向かう道。車は渋滞している。
    灯りはその車のヘッドライトだけ。

    そして歩道には徒歩で帰宅する人で溢れていた。
    その流れに逆行するのも大変だった。

    途中、地震にあった場所のラーメン屋に差し掛かると
    ロウソクを並べて営業していた。

    病院に到着。
    数分で用事を済ませた兄。

    家に帰る。

    すると隣の区で開いている店はないか気になった。
    アパートを過ぎて夕方立ち寄ったコンビニ周辺を歩いていると
    ドラッグストアがあった。

    幸いにも電池やパンなどが大量に売られていた。
    両方とも購入し家に帰る。

    まだ停電している。
    毛布にくるまりラジオで情報を得る状況。

    それからさらに数時間経った夜11時頃、電気が復旧した。

    すぐにテレビをつけてNHKを見た。

    あの時の映像は今でも鮮明に覚えている。
    「海の上を流れる炎が港を襲う瞬間」

    あれから8年。
    これまで放送で話してきたことをきちんと整理し
    文字に起こしてみることにした。
  • 放送を聞いて下さったリスナーへ

    2016-03-31 21:493

    2016年3月28日、無事に終了しました。


    こんなに長く続いた理由は、何でしょうか。僕にはわかりません。

    だって、一人の男がただグダグダしゃべっているだけなのに。


    2010年9月15日、ひっそりコミュニティを開設。

    当初は「踊る大捜査線 THE MUSIC 3」


    踊る~オフィシャルサイト内のネットワーク掲示板終了に伴い、そこで開設したものをmixiとニコ動内に移行させたことから、ここは始まりました。


    最初はひたすら音楽の話。

    しゃべらないこともしばしば。


    するとBSPのやぽそんさん来場。

    僕がアップした音源を頼りに来て下さいました。


    毎日のように踊る、相棒の音楽について話しました。


    2014年3月、休止前に初めて会った。

    夜中にドライブ、休憩しようとファミレスに寄るが、まさかの閉店。

    結局、家の近くのファミレスになってしまったw


    タバコを吸っていると、やぽそんさんが聞いてきた。

    「女王と付き合ってるんですよね」

    「あれは設定ですw」というとやぽそんさんがすごいびっくりした顔をしたのを覚えてます。


    開始当時、いろんなリスナーさんも参加していましたが

    最終回まで見届けたのはやぽそんさんだけです。

    >やぽそんさん、最初から最後までありがとーー!



    2012年9月、いつものように踊る放送。

    するとそこにキィさん来場。


    和久さんの声真似で初凸。僕はあの時、すごい盛り上がりましたね。

    その凸がなければ、その後、いろんな企画をやることもなかったでしょう。

    英語禁止、モノ凸待ち、棒読みちゃん etc

    数えきれません。


    くだらないことで喧嘩もしたけど、今ではいい思い出です。

    またいろんな生主と交流ができたのも、キィさんのおかげです。


    忘年会枠で収拾がつかなくなったときはキィさん仕切りになったこと。

    僕はまだまだだなと実感しました。


    またいろいろ上から目線で言っても、何も言わずに受け流してくれたキィさん。


    >キィさんに感謝、唯一の相方!ありがとー!


    2013年1月、キィさんのスジナシ放送でRUさんと出会う。

    鶴瓶師匠の声そっくりでびっくりしたことを覚えてます。


    そのスジナシ放送で、落ちをつぶしてばっかりの僕。

    やっぱ嫌われましたw


    でも、その後はモノ凸待ちに来てくれたり、雑談も一緒に放送しました。


    ただびっくりしたのが、考える事がほとんど一緒だったということ。


    4周年記念動画を作っている最中、僕はインデペンデンスデイの音楽を使おうと編集していたら

    そのインデペンデンスデイの予告編をもとに動画を作ってくれていた事実。


    RUさんがモザイク加工で有名人を当てるクイズ枠をしようと相談があったとき

    僕は、直前までアタック25のモザイククイズを見ていたことなど。


    裏会議で話していた時、キィさんからの相談で僕は探偵ナイトスクープの画像を送ろうとしたら

    RUさんがすでにそれを送っていた事など、数えたらキリが有りません。


    それと、最も力が入ったのは動画ですね。

    3周年動画を作ったあたりから、動画について語る事が多くなりました。

    レジェンドオブパイレーツで初めての参加。


    最初はタイトルロゴだけでしたが、NEW AMBITION DAYでは音響も含めてやらさせていただきました。

    あれは楽しかったー!その後も何本か一緒に作成しましたねー。


    今後もそれは続いていきます。

    >RUさん、これまでありがとー!、そしてこれからもよろしくお願いしまーす!


    2013年2月、女王閣下と出会う。

    コラボ雑談で女王が凸に来てくれことから、全ては始まっていた。

    というのも僕はキレてしまったんです。


    英語禁止をやる流れになり、僕は画面を作っていると

    女王:「キジマもやればいいじゃん」

    木島:「僕はやりません」

    そのようなやりとりが長く続いたため

    最終的には「今日、止めようか!」と言ってしまった。

    でもそこはキィさんが宥めて、何とか英語禁止をやりましたね。


    いつからだろう、婚約者設定は。正直覚えていないw

    ただ覚えているのは、初めて他人にコミュニティロゴを作ったのが女王だったということ。

    それから、知りあいの生主にロゴをつくっては送りつけましたw


    そして休止期間中、渋谷で飲む。

    最初、選んだ店は満席、床がベトベトだったことを覚えている。なので店を変えてそこで飲んだ。

    そして放送。


    最初はネタ枠と勘違いしていた人もいたが、事実を知ってびっくりした人がいました。


    それから、ふとした時に枠に現れる女王。凸に来ると、何気に緊張するんですよ、奥さん。


    そんな女王も最終回に凸してきてくれました。

    >女王ありがとー!幸せになれよー!


    他にも数えきれないぐらい、いろんなリスナーさんとコラボしました。


    Special Thunks

    God KIJIMAの名付け親:チュンさん

    BSP、そしてMOKUの原案:まかぷうさん

    冒頭の疑問に自分で答えを出すとするならば

    「リスナーのおかげもあるが、何より一緒に放送してくれた生主のほうが大きいということ。

    彼らは、生主でもありリスナーでもある。ということは結局リスナーのおかげ」

    何か変な感じになっちゃいましたね。


    という訳で

    今日は「ブロマガでも同じ事言うか」スペシャルと題しまして送りしましたが・・・


    コミュニティ人数:237人

    5年半の累計来場者数:34911人


    これでおしまい。