「散り際の美学」(ロバート・ポールセン追悼特集)
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「散り際の美学」(ロバート・ポールセン追悼特集)

2013-09-18 23:08

     ロバート・ポールセンが、ある日、突然、姿を消した。
     これは、ヘイヨーさんの中では、かなり大きな出来事で。少なからずショックも受けていて。いろいろと過去のコトを思い出したり、深く考えたりもしたので、何日かに渡って書いていこうと思います。

     「こんな文章、誰が読むのか?」という問題もあるんだけど。そういうのに関わらず、残しておかないといけないモノというのはあるもので。今回は、それだと断定して進めていきます。ま、できる限り、関係のない話題も挟みつつ、ロバート・ポールセンを知らない人が読んでもわかるようにしていくつもりではあります。

     まず、ロバート・ポールセンとは何者なのか?
     それは、ニコニコ生放送で放送をしていた放送者であります。とても愉快な放送をしていて、数ヶ月の間、人々を楽しませてくれたのですが、ある日突然、忽然と姿を消してしまいました。
     詳しいコトが知りたい方は、ニコニコ大百科の記事があるので。そちらをご覧ください。

     では、なぜ、去っていったのか?
     それは、推測の域を出ないのですが、前回の記事で書いたように“飽きたから”というのが一番大きな要因なのではないかと思います。他にも、ちょっと思い当たる節はあるのだけど、それは今回は置いておきます。

     問題は、その去り方。
     飽きたから、やめた。コミュニティも爆破して、ツイッターのアカウントも何もかも消して去っていった。元々、最後はそうすると宣言しながら放送していたわけだし、有言実行で終わり。それでおしまい。

     確かに、それは実に美しい去り方ではあるし、サッパリしていていいとも言える。でも、残された人たちからすれば、未練が残る。「生放送に飽きたのならば、他に楽しいコトを見つけて、別の方法で関係を継続するコトだってできたのでは?」とも思うわけです。
     しかも、放送の内容に不満があるのならば、もうちょっとあがいてみて欲しかった。確かに、それっぽいコトは言ってたんだけど、もっとガチンコでリスナーとぶつかって、トコトン議論でも何でもして、それで最終的にどうしようもないという結論に達したのであれば、その時はきれいサッパリやめてしまえばいい。でも、そういうコトをほとんど何もしないままにサッと消えてしまったのには、やはり不満も残るわけです。
     もちろん、それがロバート・ポールセンなりの美学であり、やり方であるというのもわかるのだけど…

     ただ、こういうコトはロバート・ポールセンに限らず、誰にでも起きる可能性があって。
     その話は長くなるので、続きはまた明日。



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