“世の中、何をするにも努力は大切”
これは、多くの人にとって異論がない考え方だと思う。もちろん、そこには向き不向きというものがある。楽しんで努力できる人もいれば、そうでない人もいる。また同じ人でも、あるジャンルに関しては何の苦労もなく心の底から楽しんでやれるのに、別の分野になると途端にやる気がなくなってしまう。そういうのは、あるだろう。
あるいは、才能の差。これは、確実に存在する。そもそも、楽しんでやれるというコト自体、才能の一種だとも言える。だが、今回はその話は置いておこう。
全く同じだけの努力をしたのにも関わらず、差がついてしまう。同じだけの時間、あるいは同じだけのエネルギーを注いで努力したのに人と差がついてしまう。こういうのは、よくあるコトだ。
それは単純に結果の差かも知れないし。能力の伸びの差かも知れない。
では、この差とは何なのだろうか?
“無駄な努力”と“無駄でない努力”この2つの違いは?
結論から言うと、それは方法の差。やり方の違い。
もちろん、ここにも才能は関わってくる。だが、ある程度のレベルまでは関係ない。全く関係ないわけではないのだけど、一定のレベルに到達するコトは誰にだってできる。正しいやり方に従って、努力を続ければね。あまりにも練習量が少なければ、そこまでも到達できないかも知れない。だが、それなりの量、それなりの期間に渡って努力を続ければ、到達できるラインというのは確実に存在する。
あるいは、以前と同じやり方で努力していても、それでは駄目という場合もある。努力の方法というのは、その時の自分のレベルに応じて、変化させていかなければならないからだ。これを忘れてしまうと(あるいは、そもそも最初から知らないと)無駄な努力に終わってしまいがち。ただ単に時間ばかりを浪費し、嫌な思いをし続けるはめになってしまう。
なので、常に意識し続けるコト。“現在の自分にとって、この方法で正しいのだろうか?”“もし、間違っているとすれば、どのようなやり方に変えればいいのだろうか?”それを常に意識し続ける必要がある。