「究極の欠陥人間」(「伝説の悪魔」 ~第58話~)
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「究極の欠陥人間」(「伝説の悪魔」 ~第58話~)

2014-06-26 21:21

     そんなだったから、マディリスには敵が多かった。
     そこに悪意はなくとも、その言葉は簡単に人を傷付ける。なぜなら、そこには真実が含まれていたのだから。真実ほど、人の心を傷つけるものはない。
     真実の形は、人それぞれ。人の数だけ真実の数も、また存在するとも言える。そうして、マディリスの扱う言葉は、そういった数ある形の1つを確実に形容する。その言葉が味方となれば、これほど心強いモノはない。だが、その言葉が逆に敵となれば、これほど人の心を傷付ける存在もない。

     たとえば、こんな感じ。
     マディリスは、自分に戦いを挑んでくる者の中で、決定的に実力不足の者に対して、よくこんなセリフを使った。
    「うるさいよ。ハエがブンブンうるさいよ」
     これは、煽りでも何でもない。そこには悪意の欠片も存在しない。水が水であるように、風が風であるように、ただハエをハエと表現しているに過ぎないのだ。場合によっては、ハエの部分がアリになったりダニになったりするのだが、意味としては大差はない。

     そこまでの実力差!能力差!これは、もうハエ以外の何者でもない。それは、そこまでの能力を身につけようとしなかった、そいつが悪い。にも関わらず、圧倒的に格上の者に戦いを挑んでくる方が悪い。それは、ハエに過ぎないのだと。それが、マディリスの思考。
     そこには、ある種の真実が含まれている。そうして、一点の曇りもなく、心の底から発せられた言葉。それを、言葉を投げかけられた方もわかっている。どんなに否定しようとも、心のどこかで本能的に理解している。これは、人を傷付ける!時として、人の心を破壊するほどに。心の防御力のない人間ならば、一撃だろう。

     だが、この言葉は、考えようによっては味方にもなる。自分がハエほどの実力しかない存在なのだと認めるコトのできた人間は、そこから脱するコトができる。それは、もはやハエではないだろう。高みを目指す“人”なのだ。場合によっては、ハエの王にもなれるだろう。
     真実の言葉というのは、このように人の心をズタズタに傷付ける敵にもなれば、己を成長させてくれる最高の味方ともなる。

     マディリスは、決して完全無欠の存在などではなかった。それどころか、欠陥だらけの人間だった。
     たとえば、人の心がわからない。理解できない。“この言葉を吐けば、この人はどのくらい傷つくのだろうか?”というコトがわからない。それどころか、全く逆。“この言葉は、理解さえできれば、コイツに力を与えるだろう”そのように考えてしまう。
     このような欠陥が無数に存在した。だからこそ、それを補おう補おうとする力が働いたのだ。

     “自分は間違っていない。正しいコトを言っている。だが、相手が理解してくれない。理解されないのは、なぜだ?それは、実力が足りないから。能力が伴っていないから。ならば、さらなる能力を身につけるのみ!”そんな風に考える。その為には、いかなる危険もいとわない。
     ここが、普通の人間との違い。普通ならば、安定した人生を望もうとする。“理解されないならば、理解されないなりの原因があるはずだ。それは、能力とは別。たとえば、表現方法に問題がある。あるいは、考え方自体が間違っているか”普通の人間ならば、そういう思考に行く着くはず。
     それが、マディリスにはできない。全ての理由は“能力が足りないから”というコトになる。

     また、安定に対しても全く別の物の見方をする。安定を求めるがあまり、危険に突撃していく。
     それは、一見した所、とてもチグハグな行動だと言えた。思いと行動が一致していない。安定を求めるならば、イザコザは起こさない。戦いに身を投じたりもしない。普通は、そうなるはず。
     だが、実はそれこそが、長い目で見ると、最も安定した姿へと近づいていくコトになる。危険をかえりみず、逆に戦いを挑んでいく。そうして、新たな能力を身につけ、成長を遂げる。その方が長期的には安定する。
     ここが、選択能力の差。目の前の安定ではなく、根底からの安定を求める。それが、どんなに時間のかかる道だとしても…


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