「学校の給食と宿題」(「夢見市物語」 ~第18話~)
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「学校の給食と宿題」(「夢見市物語」 ~第18話~)

2014-07-16 22:08

     星流君の通う夢見市立アゲハ小学校の給食は、とても美味しかった。なにしろ、この街で採れた新鮮な野菜をふんだんに使っていたのだから。しかも、その中には子供達が自分で育てたものもある。学校で農園を持っていて、みんなが交代で水をやったり肥料をやったりしているのだ。
    「とっても美味しい!」

     そう言いながら、自分達で育てた野菜を使った給食を、みんな一生懸命に食べていた。
     さらに、育ち盛りの子供たちのためといって、おかわりも充分に用意されていた。余った給食はブタさんのエサになるという全く無駄のないシステムだった。


     夢見市の学校は、宿題も変わっていた。学校の宿題で一番多かったのは「何でもいいから書いてきなさい」というものだった。自分が好きなコト…たとえばゲームとか、アニメの内容とか、そんなものでもオッケー!それを、決められた枚数だけ、紙に書いて持ってくる。
     実は、当時でも全国の大学では、そういう方式の課題がメインだったのだけど、そんなコトをその頃の小学生が知るはずもなく。「そういった方式を小学校の頃から取り入れていただなんて、斬新だったんだな」と、子供達は大きくなってから思うのだった。

     その頃は何も考えずに、ただ「そういうモノなのだな」と思ってこなしていただけ。しかも、宿題の回収率はとてもよかった。何でもいいので書けば、それだけで褒められたし、成績も上がった。
     文章の形式は問われない。紙だって何でもいい。ノートでも、原稿用紙でも、画用紙でも。補足として、絵やグラフがついていてもいい。「何文字以内にまとめましょう!」という条件がついていれば、それに従わなければいけなかったけど、それ以外の時は何枚でも構わなかった。中には、辞書みたいに厚い枚数の小説を書いてくる子までいた。

     宿題によっては、文章だけでなく絵でも音楽でも何でもいい時まであった。だから、自分のオリジナルのイラストを描いてきたり、自作の曲を楽譜にしてくる子供なんかもいた。それが面倒な子は、自分で演奏した曲や歌った歌を録音して持ってきたりしていた。むしろ、そういう子の方が、褒められたりしていた。
     あまりにも同じ内容ばかりだと、注意されるコトもあったのだけど。たとえば、クラスメイトのサトシくんが毎日毎日ゲームについての攻略法レポートばかり書いてくると、のんちゃん先生は「ゲームばかりじゃなくて、もうちょっと別のコトもしましょうね」などと諭すのだけど、それ以上強く強要するコトはなかった。
     そんな風に自由な学校だったから、みんな、ほんとうにほんとうにノビノビと暮らしていた。

     もちろん、算数とか理科とか社会の宿題もあった。でも、それも何かを自分で考えてくる宿題が多かった。
     たとえば、算数だったら、「自分で問題を作って自分で回答も用意してきなさい」とか。理科だったら、「自分で調べたり観察したりしたコトをなんでもいいからまとめてきてください」とか。英語ならば、「英語で日記を書いてきましょう」とか、そんな感じで。

     校長先生は、よくこんな風に言っていた。
    「ほんとうの勉強というのは、決して人に教えてもらうものなんかじゃあない。自分で学んでいくものなのじゃ。…もっとも、この言葉はある人の受け売りなんじゃがね」
    「ウケウリ?ってなあに?」
    「植物なの?瓜の仲間?」
     子供たちが、そう尋ねると…

    「アッハッハ。そうじゃない。そうじゃないさ。受け売りというのはね、誰かが言ったコトをそのまんまマネして語るコトじゃよ」
    「な~んだ。校長先生、マネしてるだけなんだ~」
    「そうじゃよ。じゃが、ただマネしてるだけじゃない。心の底から“それは正しい!”と信じてマネしとるんじゃ。それは決して悪いコトじゃない。マネするのにも“いいマネの仕方”と“悪いマネの仕方”があって、先生は、これはいいマネの仕方じゃと思っとるんじゃよ」
     その頃は、そんなものかと聞き流していた子も多かったけれど、大人になって校長先生のその言葉を振り返ってみると、「なるほどな」と強く納得できるのだった。

     校長先生は、こうも言っていた。
    「世の中には、こういうやり方を批難する大人たちも大勢いる。でも、私らは、この方法がほんとうに正しいと信じて続けているんじゃよ」
     校長先生の言葉は、こう続く。

    「『全国共通のテストであまりいい点数が取れない』とか『世界的に見ても日本の学力は下がり続けとる』とか、そんな風に言う人もいる。じゃが、教育というのはそういうモノじゃあないんじゃないかね?目の前ですぐに答えが出るようなモノじゃあなくて。逆に、答えが出るのに時間がかかるからこそ、それだけ深みがあるとさえ言えるかも知れん。そういうのは結構大変なコトなんじゃよ。大勢の意見に逆らいながらも、自分が正しいと信じているコトをやり続けるというのは…」
     そして、最後にこうつけ加えるのだった。
    「もっとも、これも、ある人の受け売りなんじゃがね」と。


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