「得意分野を伸ばしていく」(「夢見市物語」 ~第22話~)
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「得意分野を伸ばしていく」(「夢見市物語」 ~第22話~)

2014-07-20 23:29

     夢見市立アゲハ小学校では、毎朝、必ず「算数の計算」と「漢字の書き取り」だけはやらされる。これは、夢見市の小学校では、どこでも導入されているシステムだ。1日にわずか15分ずつだったけど、それでも子供達にとっては随分と役に立った。
     だから、小学校を卒業する頃には、分数や少数の掛け算・割り算なんかができない子供なんて、この学校には1人もいなかった。でも、それ以上はそんなに難しいコトは無理矢理やらされない。せいぜい、「三角形の面積を求めましょう」とか「何キロの道のりを時速何キロで走ったら、何分かかるでしょうか?」といった問題くらいだった。
     ただ、みんながみんな、難しい問題を解けなかったわけではなく、とても算数が得意な子もいた。それこそ、中学生でもやらないような内容だとか、そんなレベルの問題までこなす子もいた。
     でも、算数が苦手な子も理科が得意だったり、日本の歴史が得意だったり、それぞれ何かしら自慢できる分野を持っていた。あるいは、体を動かすのが得意な子とか、歌を歌うのが上手い子とか、絵を描くのが上手な子とか様々だった。
     みんながみんな、何もかも最高に優秀である必要はなくて、本当に最低限のコトだけできれば、後は自分の好きな分野を極めていけばよかった。それで、先生たちは誰も怒りはしなかったし、むしろ物凄く褒められたりしたものだった。

     それが嬉しくて嬉しくてたまらなくて、子供たちはみんな、もっともっと勉強するようになるのだった。そうして、それが大人になってから、大勢の芸術家やミュージシャンや数学者や物理学者や、数え切れないほどの偉人たちを生み出すコトになるのだけど、それはもっとずっと未来のお話。

             *

     この学校は、社会の授業も変わっていた。たとえば、地理の勉強の時には“県庁所在地”を音楽に乗せて、覚えさせてくれた。おかげで、休憩時間になっても、みんな「県庁所在地の歌」を口ずさんだりしていたものだ。

     それから、歴史をの授業の時に「習ったコトを元に何でもいいから班ごとにわかれて発表しなさい」という宿題が出た時には、ある班は、歴史の出来事の疑問を歌にして歌った。それは、こんな歌。

    ほんとかな?ほんとかな?
    歴史はほんとにその通り?

    ヘイヘイ!!
    聖徳太子、ほんとに10人同時に話を聞き分けてたの?

    ヘイヘイ!!
    鳴かぬなら…
    殺しちゃったの?ほととぎす
    鳴かせてみせたの?ほととぎす
    鳴くまで待ったの?ほととぎす

    ほんとかな?ほんとかな?
    歴史は、ほんとにその通り?

    ヘイヘイ!!
    マリーアントワネット、パンがなければケーキを食べたの?

    ほんとかな?ほんとかな?
    歴史は、ほんとにその通り?

     こんな歌でも、先生は「とてもよくできました」をくれたりする。なんか、いろいろと自由な学校だった。

             *

     学校では「本をたくさん読むように」と言われる。
     でも、無理矢理につまらない本を読まさせられるのではなく、先生とか上級生の生徒達が「この本、おもしろいよ。読んでみなよ」と言って渡してくれる。大抵、その薦められた本が、本当におもしろかったりするのだけど、それでも自分の感性に合わないコトはある。そんな時には別の本を薦められたり、自分の好きな分野に精通している人を紹介してくれたりする。

     たとえば、歴史に興味を持っている子には、歴史の先生や歴史好きの別の生徒を紹介してもらったりするわけだ。

     文字が書いてある本だけじゃない。マンガも山程読みなさいといわれる。写真集とかイラスト集とか絵のたくさん描いてある本も薦められる。
     ま、そんなわけで、この学校の生徒の読書量は相当多いし、読解能力や漢字の読み取り能力なども結構高い(毎朝15分漢字の書き取りをやらされてるおかげもあるのだけど)
     そして、そういう能力が大人になってから役に立つのだった。

     校長先生も、いつも言っていた。
    「小学校の内は最低限のコトだけ覚えてもらえばいいんじゃ。それ以外は自分の好きなジャンルの勉強をして、自分の得意な能力を伸ばしてくれればいいんじゃよ。無理矢理にでも身につけなければならないのは、簡単な計算能力と本を読んだり書いたりする能力だけなのじゃから。それだけ身についていれば、とりあえずは大人になっても困りはしない。ただ、自分の好きな職業に就こうと思ったら、それ以外の勉強もたくさん必要なんじゃが」

     そういえば、星流君が“夢風空(ゆめかぜそら)”の本に初めて触れたのも、この図書館でのコトだった。夢風空というのは、絵本とか童話を描いている作家さんなんだけど、人の心の底に触れるような絵やお話をたくさん描いている。そこには大人になってから読んでもいろいろと考えさせられるコトがたくさんあった。



     夢見市では、小学校の時から英語の授業が取り入れられていた。
     でも、授業とはいっても机にかじりついてするような勉強はあまりなくて、半分遊びみたいなものだった。歌を歌ったりだとかゲームをしながら英語を覚えたりだとか、そういうのがほとんどだった。それでも、かなり実践的な英語の勉強になっていたんじゃないだろうか?

     たとえば、「ABCD、EFG~♪」と、アルファベットの歌なんかも歌ったりもするけれど、そんなのは、ほんのちょっとだけ。2~3時間やったら終わり。どうせ歌うなら、もっと難しい歌を!と、英語圏の人たちがフツーに歌っている歌を歌ったりして、それは同時に音楽の勉強にもなっていた。

     たとえば、こんな授業の時もあった。「日本語の曲を英語に訳して歌う」
     とにかく自分が好きな曲を英語に訳していくというのだ。まずは、先生がお手本。パソコンの翻訳ソフトを使って、ある程度訳してしまう。そこから細かい間違いを直していく。
     完成したものを見たら、もうムチャクチャだった!でも、ムチャクチャなりに、みんな最後まで終わらせる。自分が選んだ自分の好きな曲だからできたコトなのだろう。それで、最初は全然まとまな訳になっていなかったものも、総合学習の時間に何度も繰り返しやって、最終的にかなりまともな形に翻訳している子もいた。

     みんなで「マイ・フェア・レディ」の映画のワンシーンを見たコトもあった。「Why can't the English?」という歌で、“どうして正しい英語を覚えようとしないんじゃ?”という歌だった。
     サビの部分は、とても覚えやすくて歌いやすかったので、すぐにみんな歌い始めた。そうして、しばらく学校で流行っていたものだった。

     授業自体がそんな感じだったので、この学校の生徒たちはみんな英語に対する恐怖心はなかった。とにかく、英語を恐れないコト!英語に対する恐怖心を抱かないようにするコト!それが最優先で進められていたのだった。

     英語だけに限らず、この学校は、そういった授業が多かった。
     “学ぶ”というコトがなんなのか、それを教えてくれた。学ぶというのは、誰かに教えてもらうものじゃない、自分から積極的に吸収していくものなのだ。この学校で教えてくれたのは、授業の内容なんかじゃなくて、勉強するコトの楽しさ。そして、勉強の本当の意味!!
     それさえ理解していれば、もう一生困るコトなんてなかった。勉強の基本的なやり方さえわかってしまえば、たとえ周りに誰もいなくても、1人でどんどん学んでいくコトができたんだ。


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