「クソッタレどもの掃き溜めで」(「夢見市物語」 ~第24話~)
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「クソッタレどもの掃き溜めで」(「夢見市物語」 ~第24話~)

2014-07-22 22:54

     夢見市には、何人もの芸術家が住んでいる。謎の芸術家“ダーデン・グデイン”もその1人。
     ダーデン・グデインは、戦場カメラマンであり、詩人であるという。だが、誰もその正体を知らない。この街のどこかに住んでいるという噂だったが、その姿を実際に見た人はいない。だから、本当に単なる噂かも知れなかった。

     ただ、作品だけは残り続ける。定期的に…というわけではなかったが、ある日、突然、作品が発表される。戦場写真家としてのダーデン・グデインは、人の生死を捉えた鬼気迫る写真を何枚も撮っていて、自作の詩を載せた写真集は一部の人々の間で絶賛されており、キリストのごとく信奉されていた。

     たとえば、ここに一篇の詩がある。

    クソッタレどもの掃き溜めで
    ゲロとクソとションベンにまみれて
    今夜も、ゴキブリどもが集まって盃で酒を酌み交わす
    ここは、地獄か?天国か?
    あるいは、地獄手前の煉獄か?
    そんなコトは、どうでもいい。酒さえ飲めれば、どうでもいい。

    クソッタレどもの掃き溜めで
    嘘と欺瞞とインチキにまみれて
    今夜も、ハエどもが集って盃で酒を酌み交わす
    それは、正義か?悪徳か?
    中途半端なコウモリ野郎か?
    酔って暮らせりゃ、それでいい

    クソッタレどもの掃き溜めで
    死体と汚物と腐臭にまみれて
    今夜も、ウジ虫どもの集会に盃で酒を酌み交わす
    ここは、宮廷?職安か?
    はたまた、刑務所の檻の中?
    世界も場所もどこでもいい。酒さえあれば、それでいい

     後に、この詩は武古杉太郎により曲がつけられ、世に放たれる。



     それから、鬼我外雫(おにわそとしずく)さんも、そんな芸術家の1人。
     夢見市のあちこちに出没する。この街に住んでいれば、森の中を散歩したり、絵を描いたりしているシズクさんを見かけるコトができるだろう。
     シズクさんは、1人で絵を描くだけでなく、学校の体育館に壁画を描くプロジェクトの中心人物になったり、この街にあるアニメ会社に協力してアニメのキャラクターデザインをやったりしてきた人でもある。

     夢見市は、このような芸術家に積極的に貢献してきていたが、残念ながら芸術というのは、なかなかお金に結びつかなかったりするもので。ほとんどの人は、その日その日を暮らすのが精一杯。市からの援助がなければ、とても食べていける状態にはなかった。
     それでも、その後、長い年月を経て、優秀な芸術家を何人も輩出することになる。それは夢見市のイメージアップにつながり、さらには多くの人々をこの街へと呼び寄せることになる。長い目で見れば、それもこの街の為になっていたということだ。単純にお金だけが全てじゃない。

     夢見市では、伝統工芸の支援もしている。正直、これもあまりお金にはならないけれど、それでも大切な文化だからと、資金援助と市民の協力が行われている。
     たとえば、その1つとして、竹を素材にした伝統工芸がある。竹細工の師匠が、竹細工教室を開いて、一般市民に手ほどきをしてくれているのだ。

     ちょっと風変わりな性格の師匠で、何人かの弟子を持ってはいたのだけれど、その中で職人として本気で技術を受け継いでいこうとしているのは1人だけ。後の人達は、他の仕事の傍らに趣味程度で学ぼうといったレベルだった。



     竹は便利なばかりではない。むしろ、竹林は迷惑になっていて、この街の問題の1つとなっていた。竹が増殖し、他の木を追い出し、山や森を占領してしまっているのだ。あるいは、コンクリートの間からタケノコが顔を出すこともあった。やがて、そのタケノコは生長し、立派な竹となり道を破壊する。雪の多い地域では、降り積もった雪の重みで竹がしなってしまい、道路に倒れ掛かってきて危なかった。

     昔は、家を作る時の壁に竹を混ぜたり、竹垣だとか竹細工だとか、竹もいろいろと利用されていた。だが、最近は“七夕”と“とんど祭り”くらいにしか使われていない。それで、使われなくなった竹が余って街のいたる所に竹林を作ってしまっているのだった。


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