「ギリギリの極限状態で生み出す作品と、ゆとりある時に生み出す作品と」
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「ギリギリの極限状態で生み出す作品と、ゆとりある時に生み出す作品と」

2014-07-31 01:28

     ここ半年以上、“自分なりの締め切り”というものを作って、小説を書き、イラストも描き続けてみたんだけど。
     具体的には、“必ず深夜0時までには文章に挿し絵も入れて、ブロマガにアップする”というもの。枚数的には一応の目安がありつつも、制限を設けず。質に関しても、どんなデキでも構わないので、必ず完成させる。ひたすら、このルールを守りながら続けてみた。

     これは、物凄く勉強になったね。飛躍的に能力も向上した。
     時間さえかければ、いいモノができるのは当たり前なんだよ。それを限られた時間でやるから難しいわけで。“設定した時間内で、いかに質を向上させるか?”それを、毎日毎日、考えながら続けていた。

     とりあえず一区切りついたので、今度はやり方を一転させて、“毎日、好きなだけ時間をかけて、満足するまで質を向上させる方式”に切り換えて創作に打ち込んでいるんだけど。やはり、違いがあるね。
     心にゆとりがあるっていうのは、安定した作品を作りやすいんだけど、逆を言えば、それって油断であり、甘えでもあるんだよね。

     モノを生み出す行為というのは、ある種の熱意の集合体なわけで。ギリギリの極限状態で作り上げた方が、いい作品が生まれやすいのかも。ただし、失敗作にもなりやすい。良くも悪くも、不安定で、予想外のモノができあがるという。
     それに対して、心にも時間にもゆとりある時に生み出した作品というのは、安定してるんだよね。これ、一見、いいように思えるかも知れないけど。安定しているというコトは、激しく心を揺さぶるコトもないわけで。それって作品としては本当の失敗作なのかも知れない。“そこそこいい”では、作る意味があまりなくて。それなら、代わりが存在するんだよ。他の誰かが作ればいい、というコトになってしまう。
     そういう意味では、実は、創作とは一番かけ離れた行為だとも言えるかも知れない。


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