『ペンギン・ハイウェイ』の“問題点”について考えてみる
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『ペンギン・ハイウェイ』の“問題点”について考えてみる

2018-10-26 22:18

    ※注:この意見はあくまで一個人としての意見です。

     さて、前回のブロマガにて、私の至らぬつたない言葉で『ペンギン・ハイウェイ』への思いの丈をつづってきましたが、ここであえて、ペンギン・ハイウェイの問題点について考えていきたいと思います。

     というのも、自分自身どうしても途中退屈に感じるところがありましたし実際に中だるみしている、という感想が多く見受けられます。


     そうしてあれこれ考えたとき、ある一つの結論にたどり着きました。




     ペンギン・ハイウェイが惜しいところで評価が上がらない最大の理由、それは……

    “小説が原作である”、ということによる制約です

     そもそも映画は、緩→急→緩→急→……と続いていき、最後に急で終わることが理想とされています。このシステムが観客を飽きさせない仕組みなのだそうです。
     新海誠の作品『君の名は。』で考えてみるとわかりやすいと思います。
    ①二人が入れ替わるという現象(
    ②瀧くんと先輩とのデート(
    ③入れ替わりの真相にたどり着く(
    ④奇跡の再開(
    ⑤約束を果たすために行動に出る(
    ⑥それから数年たち穏やかな日々が続く(
    ⑦感動の再開(

     かなりおおざっぱにまとめましたが、大体こんな風にまとめられるでしょう。
     見ていただけれるとわかる通り、大体緩急が理想的な頻度で現れていることに気づきます。
     新海誠作品を見ていただけるとわかると思いますが、大体は急で終わります。これは監督がかなり意図的にそうしている可能性が高いです。もともと映像主体の方なのでそう言った展開にはこだわりがあるのかもしれません。

     しかし、映画が原作の小説でもない限り、そうきれいに緩急に分けて書いてはくれません。
    真相にたどり着くまでほとんど動きがないものもあるでしょう。

     『ペンギン・ハイウェイ』はどうでしょうか。
     物語冒頭、アオヤマ君がペンギンを見つけます。その真相を知ろうとウチダ君と調査を開始します。その後ハマモトさんにつれられ、海の存在を知り、夏休みに入ってからは海の研究に明け暮れます。
     ……しかしこの間、たいして大きな事件は起こりません。お姉さんが物体をペンギンにして見せ、彼がその謎をいったん突き止めますが、そこで一度ペンギンの話からはとおざかり、穏やかな日々が続いていきます。

     そう、この展開からわかる通り、ペンギン・ハイウェイは序盤からクライマックスまで緩の時期が長すぎるのです。それが退屈に思う観客が出てしまう理由です。かくいう私も同じ現象になったので、こう感じた観客は多いのではないでしょうか。

     つまり、『ペンギン・ハイウェイ』はもともと映像化するには地味であまり向かない作品なのです。

     しかし、石田監督も脚本家の上田氏も一味違います。クライマックスシーンは圧巻の一言です。
     ペンギンのパレードから一転しての静かな海の世界は一見の価値ありです。(原作にはないシーンです)このクライマックスシーンを見るだけに映画館に行く価値があるといえます。

     ここまでいろいろと言ってきましたが、私としては“よくこれだけ映像化しづらい作品に挑み、2時間という中に観甲斐のある作品としてつくりあげたな”と感心するばかりです。

     と同時に、タジオコロリドの今後の作品への期待が高まりました。新海誠監督のように、今後爆発的ヒット作を生み出す予感を感じ取っています。

     石田監督は何といっても『フミコの告白』や『rain town』の制作者でもあります。今後どういった作品を作り上げるのか楽しみです。

     ということで、最終的に監督他スタッフへの称賛の声へと変わってしまいましたが、私なりの考察を終えたいと思います。
     


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