ぐっちぃさん のコメント

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ぐっちぃ
コメントありがとうございます。
この考えは、結構ふっと思ってしまうんですよね。ですから今見返すと誰だこいつは、って自分のことが他人のように思えてしまうことがあります。確固たる自己やら自我やら持っていないからかもしれません。
なので自分の記事なんですが外国人に風当たり強いなぁ(-_-;)っておもいます。
愛についてラッキョウのたとえは上手ですね伊藤整さんって面白いですね。
人生は玉ねぎのようなものです。剥いても剥いても中身が出ない。ただ涙が出てきます。という4コマ漫画を思い出しました。
仁と義と愛。そう考えると日本でも同性愛・・・衆道があったように仁義と愛は線引きが曖昧なのかもしれません。
No.2
25ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 宗教。正義。愛。皆さんはどういう認識でこれらのものを見ているのか。私にはわからない。  そこで私が見てきた情報を元に、それらの特徴から、現実世界での行動する私たちへ、提案と意見を述べる。  日本はかつてお見合い結婚が主流だった。いまでも世界的に見ればそういった風習が残る国は沢山あるし、また、日本でもお見合い結婚をする人はいるだろう。  第二次大戦前のアメリカでの 日系人 は写真で相手を見つけるということで、差別をされていたりもしていたらしい。  さらに言うなら、お見合いは、人権の侵害であり女性の権利をないがしろにしている。自由を毀損している。・・・と人権保護活動家の人や、女性の権利を主張するフェミニズムの団体から文句を言われたりしている。 だが、私は思うのだ。 「愛」 とはなんだ?と。  別にロマンティックに目覚めた人間でもないし、今回の話はそれとは真逆になるであろうと考えている。 それは、私の結論から言えば、愛は存在せず、恋もおそらく崇高な意味を持っていないだろうという結論に達したからだ。  宗教、 ユダヤ教 には愛という概念がない。対して キリスト教 にはあるらしい。 ということは、宗教が発端である。 「汝、隣人を愛せ」とか神の愛だとかそんな文言があったと思うのだが、多くの人に聞きたい。  「あなたは隣人を愛しているのか?」  そう、多くの現代日本人は隣人を愛すというよりも社交辞令、つまりは近所付き合い程度が関の山だろう。  私は、西洋、宗教における「愛」を日本、東洋でいうと 「義」 と定義したい。もっと言うなら「義理」というものだ。  日本では狭い島国にかなりの人口がいる。もしも隣人との付き合いが無かったらどうなるだろうか。さらに言うなら、日本は地理的に環境が厳しい。 そういった中でもし、冬の乾燥した寒い日、自宅が 火事 になったら?、 台風 が来て、家が壊されたら。 津波 で家が流されたら。 地震 で家が倒壊したら。 洪水 で家が浸水したら・・・。  親戚に頼るとしても、遠くに離れていたらどうする。・・・これは中世とか江戸時代の日本の場合の話をしているのだが、おそらくその人間は隣人に頼らなければ死ぬだろう。  昔の日本、昭和中期ぐらいまでは、日本では、風呂を貸してくれ。とか電話を貸してくれ。とかテレビ見せてくれ。とか、隣人付き合いがあった。そして困ったらお互い様で、協力し合う文化があった。  おそらくこれは、キリスト教がいう、愛そのものであったと思う。  現代で愛というと、恋人同士が仲良くしているとか、あるいは、恋愛、大切な彼女と仲良く・・。家族との愛、子供との愛。  愛することをなんでも愛というようになった。しかし実際はそれは『義務』なのだ、義務というと第三者からの強制のように感じられるだろうか。  実際のところ、我々人間が、いや社会に出ている人間は、愛でなど動いていない。義務感こそ、人間を動かしている。と私は思っている。  恋愛、これは子供の恋愛は、恋に恋しているか、性欲が中心である。また、その恋愛は、私にはブランドもののバッグに思えてくる。これだけ美しい女性を、かっこいい男をものにした自分はすごいだろうという自己顕示欲だ。  対して大人の恋愛は、愛ではない、義務だ。本当に好きな人を見つけるだとか、一生の伴侶を見つけるだとか。正直そんなに簡単にそんな人物と巡り合うことなんか、一般人には一度あるかないかで、多くの場合、そういう男女はほかに結婚もしない相手と付き合っているのがほとんどだ。また自分から行動して相手にアピールする人間がどれほどいるのだろうか?  人間は元来『義』でガチガチだ。子供の頃から子供に対しても義を要求するし、毎日生活するのも義理であるし、結婚するのも義理だ。同僚友人との付き合いも義理だ。 日本人は特に、西洋からの愛というものを輸入しなくても結局愛の中身を知っていたのだ。助け合いの精神?当たり前だろ。災害国家日本で助け合わなかったら死ぬぞ。といった具合に。  ・・・私は、お見合い結婚について割と肯定的に思っている。今は結婚相手がいない場合の最後の手段のように思われているが、お見合い結婚こそ、女性を守る手段になると考えているからだ。  というのは、悪い男性を捕まえないという観点からである。悪い男性とはいわゆるDVだの犯罪だの起こす男性。あるいは、女性を極端に軽視する男性だ。母子家庭父子家庭の人には悪いが、そういう家庭で過ごした子供は、犯罪を犯しやすかったりまた、順法意識が低かったりする。またなぜ父子・母子家庭になったのかをみると、DVを受けていた以外にも、様々な個人の落ち度がある。  また、外国人は、お見合いではほとんど候補に上がらない。それはメリットである。外国人はすべてが悪いとは言わないが、世界では女性を低く見るのが多く散見されている。イスラム、アラブ系でもそうだし、儒教国家の朝鮮半島や中国でも同様だ。  若い頃に相手を見つけようとする人は、自分の容姿に過剰に自信を持っていたり、性格に自信を持っていたりする。事実容姿に優れる若者なのだろうと思う。  だがどうだろうか、すぐに相手を見つけられるという自信は、結婚生活を考えた場合、ひどく考えものである、  とは思わないだろうか。  私の偏見かもしれないが、父子母子家庭の子供は容姿に優れると思っている。またその両親も容姿に優れている。容姿に優れるがゆえに過ちを犯しやすい。出来ちゃった婚、授かり婚で生まれた子供。しかし養育するお金も気概も無くて、子供を育てるより、自分の人生を満喫したくて・・・。  そういったゆがんだ環境で育てられて、まともな人間に育つとは考えにくい。・・・まぁ中にはいるのだろうが。  そういった環境の家族は、他人とのつながりが非常に薄い。田舎の付き合いだと、嫁にどうだとか婿にどうだとか話し合いが出来るだろうが、父子母子家庭はそれがほとんどできない。DVで逃げてきた女性なんか、気軽に個人情報を他人に渡せないからだ。  つまり・・・語弊があるとすまないが、危険な牌を拾わず、安牌を両親は自分の娘や息子に紹介できる。もちろん絶対に離婚しないとは言い切れないが、お見合いで離婚になったら、その相手の家族や親類とも気まずくなる。  そのつながりが、縛りが、人を順法精神に沿わせた行動にして、大胆な行動に出られなくする。もしDVをしていたなどと、相手に知れ渡ったら、ひょっとしたら会社にだってそのうわさが届くかもしれない。男性からすれば、安易に妻に暴力は震えないだろうし、浮気も出来ないだろう。  ・・・正義の話が抜けているのだ後で話そうと思う。
ぐっちぃの植物まみれ。
 

 ニコニコ動画2008年の冬時代から到来。

植物や菌類の栽培、育成が好きで、研究している。個人単位ですが。



大麻合法化賛成派、TPP賛成派。日本大好き。



好きなマンガ:乙嫁語り。シュトヘル。ヴィンランド・サガ。ベルセルク。波よ聞いてくれ。

好きな小説:皇国の守護者。ゲーテの書いたやつとマーク・トゥウェインの書いたやつ。