戯言たわごと使い。相対的貧困。構造主義的視点。加藤純一。
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戯言たわごと使い。相対的貧困。構造主義的視点。加藤純一。

2018-02-16 22:50


    経済なき道徳は戯言であり。

    道徳なき経済は犯罪である。

                                  二宮尊徳


    貧しさ、貧困、心は豊かだが生活は貧相。生活は豊かだが心が貧相。資本主義や物質社会に毒されてしまったのか。なに、私がここで言いたいことは今を生きる我々は大切なものを失ったとか。現代人はダメだ。などと言いたいわけではない。

    貧困の正体とはなんなのか。ということだ。最近では貧困の正体を見破ったと言わんばかりに、「相対的貧困」が盛んに持ち上げられているが、私は相対的貧困のせいだと決めつけるのは非常に早計だと考えている。それは因果関係と相関関係の話に似ている。
    例えば、相対的貧困の人間に資金を与えて、その時の所得の中央値以上の資金を政府が援助してみたとする。果たして相対的貧困、つまりは他の生徒と同じレベルの環境に置いたら本当にその人が将来大金を稼いだり、有名な大学に入ったりすることが出来るのだろうか?
    別な視点から見ると、平均所得以上稼いでいる家庭で、平均所得以上稼げない子供が出た場合、その家庭は子供に必要な支援をしなかったのか。

    この援助についての話だとその矛先は政府に向けられる、何故貧しい人に支援が出来ないのか。チャンスを潰すのか。と。
    これは非常に夢を見ている、お金はすれば刷った分だけ作られると考えている幻想である。
    もしも貧しい人にそれだけのお金を援助しようとするとかなりの大金になる。
    それをどこから捻出するのか、ものすごいお金を持つ人から税金として払ってもらう。。。ものすごいお金を持っている誰かから、ってムシが良すぎないか?それに高額の税金にした場合、日本国から出ていく選択肢も当然出てくる。
    だがしかし、ここは金持ちに甘えることが出来るとしよう。そうした場合金持ちは、貧乏人の家庭も養うことになるわけだが、果たしてどれだけの数を養える。1億円もお金があるのだから、と言って1万人に100万円づつあげることは当然できない。金持ちを当てにしたところで、貧困者に対する税金も当然上昇する。当たり前だ。
    まぁ仮に金持ちに最大99%の税金を科すことができた。貧しい人も居なくなった。

    でもそれっていわゆる社会主義・全体主義の再来と言っても過言ではない・・・よね?

    結局、みんなが貧しくなる。

    でだ、私が言いたいのは貧しい人がなぜ貧しいのか。・・・よく言われるのが、貧しいからいろんなイベントに参加できず遊びに行けないから。交友関係も狭くて、また、大学に行く学費が払えなくて、仕事がなくてなりたくもない安い給料の仕事にしかつけなかった・・・。
    つまりはお金がなかったゆえにチャンスがなかった説。
    なるほど貧困が貧困を産む、まさに貧困の連鎖。という奴ですかな。

    でも本当に「金」が一番大事なんだろうか。

    ・・・相対的貧困という言葉には、甘えという魔術がある。相対的貧困というものがあるから、自分はこんなに貧しいんだ。という諦観を貧困層に与えていると私は考えている。つまりは諦めの理由付けだ。
    奇しくも、生放送主うんこちゃんこと加藤純一さんが言っていた。「男に生まれて来たからにはなぁ!誰でも一番を目指してんだよ!でもなんだかんだ理由付けて、一番を諦めんだよ。年齢だとか世間体だとか。その中で一番最後まであきらめなかった奴が一番になるんだよ。この俺のようになぁ!!!!?
    加藤純一さんは、仕事の時間がてっぺんを回るつまり午前0時を超える勤務時間があったのにも関わらず残業代が出ず、家に帰り、その日の午前6時に起きてまた出勤するという超絶ブラックの仕事をしてきた人だ。

    まぁそんな一般人ではまず不可能な労働をしている時点で参考にはならないと思うが、相対的貧困の怖さは貧困に甘んじてもよい。悪いのは政府のせいだという安易なあきらめと責任転嫁である。そんなことでうじうじしている間に他の貧しいやつ、あるいは金持ちが新たな儲けのアイディアを出しているかもしれない。

    私が最も言いたいことは、金が必要か否かではない。あったってなくたって。ダメな人は金を一代で使い果たすだろうし、良い人はさらに金を溜めるだろう。

    本当の問題は、そのごく根本的な「構造」にあるのではないだろうか。

    私の友人、その友人の家庭は少なくとも私よりお金持ちの家であったと思う。ある日、その友達と一緒に、友人の家に、ドタバタと家にあがった。すると友人の祖母が、ちょっと~君、人の家にあがるときはちゃんと靴をそろえるんですよ。というのだ。小学生の頃はしぶしぶ従っていたが、今になるとあぁいう仕草だよなと思う。

    靴をそろえたり身だしなみをそろえたり、歯を磨いたりしっかり挨拶したり。他人を気遣ったり・・・。そういうことを当たり前にできる人は必ず、裕福だ。

    ・・・私があってきた人は裕福だった、たぶんこれらの事が出来ていても貧しい人はいるかもしれないけど。
    反対に貧しい人は、高価な財布や靴、車、服。それらを何かしら一点や二点持っていて、見せびらかすように持っているのだった、そしてそういう財布や靴がボロボロでも持っていたりするのだ。

    まず裕福になりたかったら、貧しいのを他人のせいにするのはやめよう。誰よりも洗練された態度と行動をするように心がけよう。
    貧しい生活習慣や行動そういった「構造」から抜け出してみよう。

    構造・構造と言っているが構造は完全無欠の原理ではなく自転車の車輪や、ドリルの螺旋みたいなイメージ、お金持ちはお金が常に出ていくけれどそれ以上入ってくるような構造をしていて貧しい人はお金が入っても有効に使えなかったり、「有効に」使えない、使わせない構造がどこかに入り込んでいる。


    働けば働くほど金持ちになれる、これは相関関係だ。大事なのは因果関係。もしも本当にその金持ちの秘訣に気づいたら、恐らく少しの働きで金持ちになれる日が来るだろう。



    ・・・
    蛇足かもしれないがウォーレンバフェットとかの有名なお金持ちの行動、構造を真似ると良いかもしれない。それはウォーレンバフェットは○○歳のとき~してたから、自分もそれをする。コーラとハンバーガーをよく食べるから自分も食べる。のではなくて、何気ない仕草とか、思考の傾向を真似てみるとか。どこかで必ずお金持ちになる構造が隠れているはずだ。
    多分。

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