• 二輪免許(小型AT限定)を取得した話【リトルカブ】

    2020-12-08 18:48

    2020年11月に二輪免許(小型AT)限定を取得したので、今回はその経緯と教習について書き残そうと思う。


    ・経緯

    以前から乗っている愛車のリトルカブ(50cc)自体には不満はなかったが、どうしても50ccでは道路を走行する上での制限が多い。

    時速30キロ制限や二段階右折がその制限の代表的なものだ。

    リトルカブに乗り始めて1週間で初めてキップを切られた際も、直接の原因はオレンジの線をまたいでの車線変更だったが、根本は道路の左側を走らなければならないという原付ルールのせいだと思っている(オレンジの線またいだ自分が一番悪いのだが・・・)。

    原付に乗っている以上はこれらの制限と上手く付き合っていかなければならないのだが、横浜の路上には異常なほど警官が多いので特に交通違反をしていなくても警官を見かけるたびにヒヤヒヤしてしまう。

    以前まで免許証がゴールドだったのだがこの違反切符を切られた際に失ってしまい、このまま普通に乗っていればいつか違反点数オーバーで免許を失ってしまうのではないか、失うまで行かなくても1点の違反で5000円の罰金を毎回払うのも非常に痛い。

    こういう言い方をすると誤解されてしまうのが怖いが、交通違反というものは運用する側(要するに警察)によって違反となるかならないのかが大きく左右される。

    もちろん違反は悪いことであるのは間違いないが、交通状況によってはやむを得ない違反もある。

    交通量の多い幹線道路では制限速度で走る車の方が稀だろう。

    キップを切られた際に警官に交通違反の運用についていろいろ質問をした際、めんどくさい奴だと思われたのだろう、その警官は「(ルールを)決めるのはお巡りさんじゃないから!」と最後に言っていた。

    そりゃそうだが運用するのはあんたらだろ!と言いたかった。

    そんな経験もあり原付の交通ルールを遵守するのが難しいと感じ、リトルカブをボアアップして原付特有のルールの解除をしようと決めたのであった。


    ・教習所選び

    リトルカブをボアアップして乗るとなると普通自動車免許では乗れず、二輪免許が必要となる。

    二輪免許も種類がいろいろあり、一番一般的なものはいわゆる中免と言われる普通二輪免許で400ccまでのMT/ATのバイクに乗ることができる。

    しかしながらリトルカブをボアアップしてもせいぜい90ccなので普通二輪免許の小型限定(125cc以下)を取得すればよい。

    更にカブのミッションはクラッチ操作がないのでAT扱いとなる。

    すなわち普通二輪免許小型AT限定を取得すれば原付ルールに縛られないボアアップ後のリトルカブに乗ることができるのだ。

    ちなみに他にこの免許で乗ることができるバイクはホンダだとスーパーカブシリーズやPCX、ヤマハだとNMAXやトリシティに乗ることができる。


    というわけで取得する免許は普通二輪免許小型AT限定に決まったので次は通う教習所を選ぶ。

    ネットで調べてみるとこの免許は最近の法改正で最短2日で取得することも可能らしい。

    実際は2日で取得できるカリキュラムがある教習所は数限られており近所にはなかった。

    でも2日で取得できなくてもかなり短期間で取得することができそうだ。

    自宅から通いやすく、教習料金が安い教習所を探した。

    候補がいくつかあり、どうせなら通う期間を短くするために現在の混雑具合を直接電話して聞いてみた。

    するとどの教習所もかなり混み合っているらしい(この時点では9月頃)。

    その理由は、

    ①新型コロナウイルス感染症流行の影響で一時期教習所が営業していない時期があり、営業再開後に通常以上の入校希望者がいた。

    ②大学生などの夏期休暇の時期で例年8月9月は混雑する。

    以上2点の理由によりどの教習所も入校後1ヶ月経たないと教習開始は難しいとのことだった。

    教習が始まってしまえば予約の取り方次第で教習は進むが、入校後2から3ヶ月はみて欲しいというのが共通の回答であった。

    この現状と最短2日のネット情報のギャップに戸惑ったが、とにかく入校しないことには何も進まない。

    調べた限りで一番料金の安い教習所に入校することに決め、教習料金を持って直接手続きに向かった。


    ・教習所にて

    入校手続きは特に予約などは必要なく、直接希望日に訪ねればいいということだった。

    手続きには住民票や現在所持している免許証が必要だった。

    教習カリキュラム、教習の注意点、予約の取り方などの説明のあと、視力検査や身体検査(手首や足首が運転に影響なく曲がるか)を行い、教本や教習に必要な冊子(その教習所ではガイドと呼んでいた)を渡されその日は終了だった。

    教習を受けるために用意するものとしてはヘルメット(フルフェイスかジェット)、手袋、長袖長ズボン、靴下(くるぶしまでのものは不可)、スニーカーということだったが、ヘルメットは貸出があるんで絶対購入しなければならないというわけではないし、手袋も軍手でOKということだった。

    でも自分はSHOEI5万もするかっこいいヘルメット買ったんだけどね。

    教習に入る前にまず教習診断というものを受ける必要がある。

    これは自動車免許を取った時もやったなーと思いつつ、二輪でもまた受けるのかとも思った。

    性格診断テストみたいなもので例と同じ図柄のものを見つけたり、制限時間いっぱいまで同じ文字を書いたりする。

    この診断によって免許取得可否が決まるものではなく(たぶん)、自分の性格や行動の特徴や弱点をを把握し注意して運転をする目的としている。

    なお、結果は以下のとおりだった。そこそこ当たっている気がする。

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    画像

    たぶんあんまり運転に向かない性格なんだと思う。

    この教習診断の次から実際の教習が始まる。

    小型ATの教習時間数は普通自動車免許所持の場合学科免除となるので第一段階3時間、第二段階5時間の計8時間だけだ。

    その後に卒研があり卒研に通れば卒業となる。

    たしかに詰め込めば2日で卒業することも可能だということが納得できる。

    しかもそのうち実際の教習車に乗車して行う実技教習は3時間で他の5時間はシミュレーター教習だ。

    実車に乗る時間が少ない。

    最初はこんなカリキュラムでいいんだろうかと思った。※なぜこのようなカリキュラムなのかは最終的に自分なりに納得できた。

    教習所は確かに大学生くらいの年齢の人が多くて久々にこんなに多くの若い女の子と同じ空間に来た気がした。

    これはあらぬ展開に期待してしまう。

    してしまわざるを得ない。

    教習所に通っている間に女子大生と仲良くなって一緒にツーリングデートに行って遠出してみたら帰りが遅くなってしまい、「こんな暗い道を帰るのは危険だな、今日はこの辺で泊まっていこう」「泊まるって言ってもこの辺じゃコンビニすら・・・」「あ!あんなところに明かりが見える!近くまで行ってみよう」「あ、これはどうやらラブホみたいだね。でもしょうがない。ここで一泊しよう」「大丈夫、何もしないよ」「部屋、選べるね。やすいへやにしようか」「あ、ベッド一つしかないね、俺はソファで寝るよ」「お風呂ためちゃったから先入っちゃうよ」「おー!すごいよ来て来て!このお風呂したから泡が出るよ!」「でも泡の下はもっとすごいことになってるんですけどね!ザバンっ」「キャー!すごい単気筒エンジン!」「ふふふ、200馬力だぜ」「ABSも付いてる!」「ほーら、インジェクション制御だ」「ブンブーンブンブンブーン」という展開もあるかもしれないから次からはなるべくおしゃれしてこようかな。

    第一段階の最初の教習はいきなり実車に乗るものだったが、実車といっても125ccのスクーター(スズキアドレス)なので特に難しいことはない。

    ブレーキをかけながらセルボタンをおすのが分からなかったのとウインカー位置がカブと違うのでちょっと戸惑ったのを除けば初めて乗ってもそれなりにい運転できた。

    教習コースの外周を何周か回って最初の教習は終了した。

    教官はコース覚えといてね!といっていた。

    その時は何気なく聞き流したが今思うとこのことばこそこの教習の全てだった。

    その後はシミュレーター教習があり、その次はもう第一段階の見極めだった。

    見極めといっても特別何かをテストするわけではなく、教官の後ろについて卒研のコースをまわった。

    卒研のコースは2パターンあって1つ目のAパターンを走った。

    コースを走り終わると、教官がじゃあBパターン1人で走ってみて!と言ってきた。

    は?いや、Bパターンどころか今走ったAパターンすら覚えてねえよ。

    てか実車乗るのまだ2時間目だぞ。

    そんなコースなんてわかるわけねえじゃん。と思ったがここは教習所。

    教官のいうことは絶対である。

    はっきり言ってまったくコースが分からなかったがコース外周をなんとなく走ってみることにした。

    が、スタート位置が同じことくらいしか当たっていなかったらしく、違った方向へ行くたびに教官がCB400で追いついてきて「そっちじゃない!坂行って!その後ふみきり!!」「全然違う!そこは信号左折!これじゃ教習にならない!」と散々怒鳴られた。

    実技の時間が少ないことは最初から知ってはいたが、第一段階のみきわめで卒研コースを覚える必要があるなんて全く思ってもいなかった。

    操作自体は問題なかったためか見極め自体のOKは出たものの、「コースを覚えてこないといつまでたっても卒業できないし、その分お金も時間もかかる!あなたがそれでいいならいいけど、もっと真剣にやらないと厳しいよ!」と言われてしまった。

    ものすごく理不尽な思いを抱えながらその日は帰ったが、その日以来教習に行くのが億劫になってしまった。

    せっかく取れた教習予約も2回もすっぽかして当日キャンセル料金を取られることとなってしまった。


    ・卒検へ

    「もっと真剣にやらないと厳しいよ!」あの日の教官の言葉が何度もリフレインする。

    自分としては決して真面目にやっていないわけではない。

    ただ小型AT免許なんてただのスクーターの免許なんだし、その辺のおばちゃんでも乗ってる。

    中免ですら高校生でも取れるんだからこんなの難しいわけがない。

    と心のどこかで舐めてた部分があった。

    自分の中の慢心を見透かされたんだと気がついた。

    コース覚えなきゃなとは思ったが、そういえば車の免許取った時も教習コース覚えるの苦手だった。

    なぜなら実際の道路は景色で曲がるところを覚えられるが、教習所のコースは景色も代わり映えしないしそもそも教習所みたいな道なんて存在しない。

    車の免許は一段階が終わると二段階では路上に出るので教習所内のコース覚えるのはあまり重要ではなかった。

    でも二輪教習は路上に出ないからこそ対策の仕方が決まっていた。

    二輪教習を受ける生徒は二輪教習控え室という部屋で教習時間まで待機する。

    この二輪教習控え室には大きなモニタが壁かけられており、そこには一日中教官の卒研コース走行でも映像が流れていた。

    それまではあまり気にしてみていなかったが、この映像で実際のコースでのイメージが掴めると思った。

    行き帰りの電車でもみれるようにスマホで映像を直撮りして注意点を何度も確認した。

    また、教習ガイドにはコース図が載っており、そのページをコピーして何度も卒研コースを書き込んだ。

    映像を思い浮かべながらコースを書き込むことですぐにコースを覚えることができた。

    それからは自信を持って教習に臨めた。

    教習は予約さえ取れればトントン拍子に進む。

    すぐに卒研の日を迎えた。卒研は受けられる曜日が決まっており、その日は自分を含めて15人程度受ける人がいた。

    この15人というのは二輪の卒研受験者全体で、自分と同じ小型ATの卒研を受ける人は自分を含めて4人だった。

    大型の人も中免の人も小型の人もみんな同じコースを走る。

    異なるのは急制動の制動距離や一本橋の通過時間だ。

    このあたりは小型であれば全く問題にならないと思う。

    ただ、試験というものはおじさんになっても慣れないものでめちゃくちゃに緊張した。

    自分の順番が来るまで普段やらないようなミスをしたらどうしようだとか覚えたコースが実は間違ってるんじゃないだろうかとか要らぬ心配ばかりをしてしまう。

    考えれば考えるほど不安になる。

    こういう時は逆に何も考えない方がいいと思った。

    あえて他の人が走るところも見ない。

    自分の順番が来るまで何も考えないようにしよう。

    そして自分の順番が来た。

    卒研では指定されたコースを自分が先頭で走り、その後を教官が付いて来て後ろから採点する。

    左右の確認はわざとらしく首を振って行わなければやっていないものとみなされる。

    コース上のパイロンなどにぶつかったり、一時停止無視、踏切内停止などをすると一発で不合格だ。

    さっきまで余計な緊張をしないよう何も考えないようにしていた。

    だからもう緊張はしていなかった。

    大丈夫。全ては何度も見たデモ映像の中にある。

    試験中は意外なほど落ち着いて走れた。

    最後にスタンドの立て方に手間取ってしまったが、それ以外は完璧に走れた(と思う)。

    全員の試験が終了した後、学科用の教室に呼ばれて合格の旨伝えられた。

    その後免許センターでの手続き方法などの説明がありその時点をもって教習所卒業となった。


    数日後に二俣川の免許センターへ行き無事免許交付となった。

    てかこの免許センターっていつ行っても混んでる。


    二輪車は直接風を受けて走り景色を存分に楽しむことができる非常に楽しい乗り物であるが、その分危険性も高い。

    四輪車だとちょっと車体がへこむくらいの事故でも二輪車だと冗談ではなく死につながる。

    特に気軽に乗れるスクーターなどはその気軽さゆえ危険性を忘れがちになるだろう。

    だからこそ教習所内のコースを走るよりも、様々な危険予測をシミュレーターを使って模擬的に体験する時間が多いカリキュラムだったのだろうと思う。

    シミュレーターで出て来るような見通しの悪い交差点に差し掛かるとあそこからジジイの乗ったチャリが急に飛び出して来るかもしれないと思うようになった。

    シミュレーター教習で轢き殺したジジイの怨念がそうさせているのかもしれない。

    なお、女子大生とは全く口を聞く機会もありませんでした。

    ヘルメットはかっこいいのに。


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  • 町田事件(2017年8月頃のコミュニティプロフィール)

    2017-08-16 00:40

    日本が一年で一番暑い時期であろう8月9日。
    この日、松本はニコニコ生放送にてナンパ配信(co3668266)を行っていた。
    『95キロだけどナンパしに行く』と題された放送で街行く女性に次々声をかけて行った。

    無視されるのが当然、愛想笑いをしてくれればだいぶマシという状況の中、松本はおっとり系の見た目だがなかなか巨乳なみく(仮名)という19歳の女性と奇跡的にもLINEを交換することに成功した。
    その日声をかけ始めて7人目での快挙であった。
    どうやらみくは友達とこの後予定があるが、その友達の仕事が終わらないらしく一人で時間を潰そうとしているということだった。
    「それなら一緒にアイスでも食べようよ!」と提案し、近くのファミレスに連れ出すことに成功した。

    ファミレスでみくにかき氷を奢り、自分はオムライスを注文。
    ファミレスのオムライスは卵がふわとろで安定してうまい。
    また箸の持ち方が変な人は誰かと食事する際にはオムライスとかグラタンのようなスプーンで食べる食べ物がおすすめである。

    食べながらみくについて質問していく。
    前述の通りみくは19歳の女性で、この近くで一人暮らしをしている。
    高校を卒業後、専門学校へ進学したが現在は休学中でアルバイトをして生活している。
    幼少の頃に父親の母親に対するDVが原因で母親とともに夜逃げ同然で神奈川県に逃げてきた。
    以来母子家庭という苦労の多い環境で育ったが、高校では部活ではキャプテン、生徒会でも役員を任されるなど模範となる真面目な生徒だった。
    3か月前に彼氏と別れ現在恋人はいないとのことだった。
    女友達もあまりいなく、それは女は色々と関係が面倒だからということで、男友達の方が多いといい、もっと友達を増やしたいと語った。
    松本はみくの状況を知り、下心だけで接した自分を恥じた。
    「じゃあ今日から俺たちも友達な」
    松本のその言葉は自分がみくにとって何か力になれればいいなという本心から出た言葉だった。
    「うん!」
    みくも満面の笑顔で松本に返答した。

    話せば話すほどみくは心を開いていった。
    「職場は食品工場だからおばちゃんばっかなんだよねー」
    「この前もワンピースもらったんだけど、おばちゃんのセンスでハデで着れない!」
    「一日中パイナップル切るんだよー」
    と松本の質問よりも多くを語った。
    「職場に男はいるっちゃいるけど、みんな身体目当てみたいなさ、、、」
    となぜか急にみくの方から下ネタを振り込んできた。
    お、この子は下ネタもいけるな!と松本は確信した。
    松本は一旦しまっていた下心を再び取りだして、
    「えー、じゃあ結構遊んだりしてるの?」とみくに聞いてみた。
    「うーん、最近は遊んでないかな!去年はやばかったけど笑 私初めてが結構遅くて高3の卒業式の前日で彼氏とね、前夜祭って自分の中では呼んでるんだけど、それが初めてだったからそれから解放されちゃったみたいで笑 卒業してから出会い系で4日間で16人と会って!1日目6人、2日目5人、3日目3人みたいな感じで!多分一番年上が50代かなー。彼氏は今まで4人いたけど、そのうちやったのは2人で、前の彼氏は二週間付き合ったけどやらなかった!結構みんなツイッターでDMがきて会ったりしてるんだよね!セフレは去年20人くらいいたし笑 ねー、私経験人数何人くらいに見える?ぶっちゃけ100人超えてるんだよね笑次で112人笑友達から聞いたんだけど経験人数が自分の年齢超えてるとヤリマンなんだって!ヤバくない?笑友達に人数の話したら歩く肉便器って言われた笑ヒドくない?あと、facebookで申請がきて、会ってヤッたんだけど、そいつの友達のとこ見たら前にあってやった奴がいて!それでどういうことか聞いたらどうやら友達同士らしくてみくのこと簡単にヤレるとか言ったらしいのね!ヒドイよね!そのあと3人で会って3Pしたけど笑ア◯ルもしたし笑」

    なんだこの女は…!?スーパーオサセじゃねえか!!
    数分前まで下心をしまっていたことなんて完全に忘れて松本は「えー、じゃあおもちゃとか使ったことあるの?」などと言う気持ち悪い質問を年が一回り以上離れたみくにしていた。
    ちなみにみくには28歳ということにしていた※本当は33歳です。
    「ローターバイブ電マならあるよ!まああんまり好きじゃないけど」

    これは完全にヤレる女だ。
    松本はナンパして即ホテルなんて都市伝説だと思っていた。
    無視されて当たり前、連絡先を聞けたらヒット、ファミレス等に連れ出せてホームランだと思っていた。
    松本は「俺は今満塁ホームランを打てる打席に立っている」と実感した。
    しかしその日は平日、時刻は既に23時近く。終電は24時。翌日は朝から仕事。
    休憩2時間するとして今から直ちにホテルへ行っても終電に間に合わない。
    松本は瞬時に時間の方程式を解いた。福山雅治扮するガリレオが事件を解くときのように。
    みくはこのあと友達が家に泊りにくるのだという。
    そういった状況もあり、松本はこれ以上この日みくを連れ出すのは得策ではないと判断した。
    結局この日は気をつけて帰るんだよと声をかけて駅で別れ、大人の男性を演じたのだ。
    19歳の小娘なんて大人の余裕を見せつければ簡単に落ちる。
    次に会うときは確実にベットインだ!
    松本はそう確信していた。

    次の日も松本は町田にいた。
    そして2日連続のナンパ配信枠を取った。しかし真の目的はナンパ配信ではない。
    みくとヤるためだ。
    1時間の配信枠を松本はテキトーに流した。
    ナンパ配信でヒットが打てなくても、もうヤり確がいたからだ。
    配信にイマイチ身が入らない松本をリスナーたちは叱責したが全く届かない。
    結局この日は7打数0安打(声かけ7人、LINEゲット0人)に終わった。
    配信が終わって松本はみくにLINEをした。
    「みくちゃん!今日は忙しい?」
    「うん!忙しいかな」
    おっとー、出鼻を挫かれる返信だが、最後の忙しいかなに一抹の希望が見える。
    「今日も町田にいるんだけどこれから泊りで遊ぼうよ!明日仕事行く準備してきなよ!」
    もうこういうヤリマンにはこのくらいストレートの方が伝わりやすいと思っていた。
    ヤリマンだから別にもどかしいステップを踏むこともない、ヤリマンはセッ◯スがしたいはずだ!と松本は本気で思っていた。
    「あったらなにするの?」
    何するもかにするもねーだろ!セッ◯スだろセッ◯ス!と思ったがここは相手が警戒している?もうちょっと慎重にに行った方がいいな。
    「泊まって話して一緒に寝るー」
    我ながらなかなかスマートな切り返しだ。デブだけど。
    「変なことはしない?」
    変なこと?ヤリマンのくせに変なことも何もないだろ!
    「するなら来ない?」
    既に松本が想定していた問答からは外れていた。
    「するって?」
    するって?じゃねーよ!!何言ってんねんヤリマンのくせに!
    いや、待てよこれはヤリマンのボケなのかもしれない。
    コミュニケーションの一つなんだろう。
    そう思って思いっきりツッコミを入れた。
    「そりゃーエッチでしょ!!」
    これ以上ないわかりやすい文章だ。他に解釈のしようがない。
    するとみくからはこんな返信が来た。
    「あー」
    「みく、誰でもいいって訳じゃないから」
    それは松本にとって1%も予見していなかった返信だった。
    今日は確実にヤレるそう思っていた。
    その思いがこうも簡単に打ち砕かれた。
    松本は1年半ほどで111人やった女の112人目にはなれないのだ。
    その理由は「みく、誰でもいいってわけじゃないから」だ。
    松本は笑い、「これは事件だ・・・」とつぶやいた。
    笑っていたはずなのに頬に一筋涙が伝った。
    そして真夏の生暖かい雨に打たれて帰路についた。
    この2017年8月10日の松本の行動とその結果を町田事件と呼び、松本セクシーナイトにおける凄惨なる事件として心に深く刻みたい。

    この事件における松本の敗因は全て松本自身にある。
    それは自分より一回り以上年の離れた異性に対し、当初友達になろうと言ったにも関わらず、すぐさま自分の発言を忘れ彼女を性的な目だけで見たことだ。
    友達になろうと松本が言ってから彼女は心を開いてくれたのだ。

    どんな時でも相手を尊敬する心を忘れてはいけない。
    松本にはそれが欠けていたのだ。


  • 僕とインターネット(高校編)(2017年7月頃のコミュニティプロフィール)

    2017-06-29 23:294
     高校1年の冬、自分専用のパソコンを買ってもらった。IBMのAptiva。スペックはAMDK6ーⅡ(533MHz)、64MBメモリ、15GBHDD、CDーROMドライブ、17インチCRTモニタ。
     パソコンを買ってもらった当初はパソコン雑誌の付録CDに入っていたゲームで遊んでいた。素人が作ったフリーゲームや企業が作ったゲームの体験版が入っていてインストール中の待ち時間がワクワクを増大させた。GIMPやwinamp(色んなskin付)、Lhaca、窓の手、チューチューマウス、susie、QuickTimeなどのフリーソフトも付録CDからインストールした。AVのサンプル動画も同じように付録CDに収録されていて、僕はPCの雑誌を買うふりをして合法的に(?)エロ動画を手に入れていた。
     そんな快適なPCライフであったが、世の中はすでにADSLが普及し始めていて、PCを持っている=自宅でインターネットを楽しんでいるという時代になっていた。学校でもパソコン好きそう系男子たちはインターネットの話を教室の隅っこの方でしていて、彼らと友達ではないインターネットに接続してない僕はいつも自席に座り寝たふりをして彼らの話に聞き耳を立てていた。なんでも昨今は侍魂というホームページが人気らしい。先行者というロボットが中国で開発されていてその動きがなんともコミカルであるということだ。また彼らの中にはアングラサイトに出入りしているものもいるらしく、ハッキングの仕方や違法な薬物の購入の仕方、芸能人のやばい話などの情報が手に入る危険な掲示板の常連だということだ。僕もニュースでその掲示板の話を聞いたことがある。九州でバスジャック犯が乗客一人を殺害した事件があったが、その犯人が犯行予告をした掲示板だ。そんな社会を揺るがす凶悪事件の舞台になった掲示板に出入りするなんて許せなかった。でも現実離れした世界を垣間見れることについてはちょっと羨ましかった。インターネットにPCを接続していなくても、インターネットがどんなものかは知っている。中学の頃友達の家で見せてもらったんだ。だからこそ彼らの話がダイレクトに僕の中に入って来て、自分の部屋で見る自由なネットの世界に恋い焦がれるようになった。僕はインターネットがやりたい。親をなんとか説得し、テレホーダイとプロバイダの契約の許可を得た。親はそういうのに疎いので手続きは全部僕がやった。また、電話回線の接続関係も僕がやった。おかげでそれ以降、家の電話に何か異変があると真っ先に僕が疑われた。また当時は怪しいサイトにアクセスすると接続するプロバイダが勝手にフィジーやバヌアツみたいな太陽照りつける南国に勝手に書き換わり高額な海外通話料が請求されてしまうウイルスが流行っており、通信が途切れたりフリーズしたりするとウイルス感染を疑ってすぐに再起動していた(再起動すると感染しても治ると思ってた)。当時は通信回線やOSの安定感が今と比べ物にならないほど悪く、そういうことはよくあった。

     僕は当時椎名法子というアイドルが好きだった。テレビドラマLxIxVxEで女子高生役を演じる彼女を見てから彼女のファンになった。このLxIxVxEというドラマは当時人気絶頂であったSPEEDの今井絵理子(当時はまさか早々に結婚して早々に離婚してレズビアンみたいな髪型になって国会議員になるなんて想像できなかった)と新垣仁絵(当時からちょっとアレだった)が出演しており、その他にも後に人気となる内山理名、星野真里(がっかりおっぱい)、国仲涼子、藤原竜也などが出演していた。主題歌は八反安未果のシューティングスター。椎名法子は端役だったが、僕の中では他のスターを押しのけるインパクトがあった。ラジオ番組シャキッとビタミンCなも毎週聞いた。
     インターネットに接続できた僕は当然椎名法子を検索した。毎日椎名法子のファンサイトのチャットに入り浸った。そのチャットは毎日テレホタイム(23時〜)から常連たちで盛り上がっていた。よく来ていたのはぷろっちさん(推定30代関西住みファンサイトの管理人)、STFさん(大学生岡山住み)、ふえさん(20代東京住み)、タカさん(30代埼玉住み)。CDの発売イベントなどがあるたびに顔を合わせるらしく、リアルでも会ったことがあるということだった(ぷろっちさんだけは管理人にも関わらず、絶対にリアルでは馴れ合わなかったみたいだ)。秋田県に住む僕にとっては東京で開かれるイベントなんて外国の話のような気がした。イベントが開催された日はチャットルームが特に盛況で、僕は椎名法子に生で会えた彼らの話が非常に羨ましかった。秋田県育ちを悔やんだ。東京、いやせめて関東に生まれていれば・・・。そんな僕にも椎名法子に生で会えるチャンスが訪れた。土曜日に東京で初の写真集のサインイベントがある。朝一の新幹線に乗ればイベントに間に合うし、その後すぐに新幹線に飛び乗ればその日のうちに家に帰れる。お盆に家にきた親戚たちからもらったお金もあった。俺は東京に行く。椎名法子に会うんだ。

     しかしながら運命が僕を邪魔する。僕の通う高校には十里競歩大会と言って夜中の12時にスタートして朝までかけて十里(約40キロ)を走破する、教室の片隅でインターネットの話をする系男子ならびにその類にとって非常に迷惑な行事がある。その競歩大会が椎名法子の写真集イベントの前日にあるというのだ。僕はどうすれば当初の思惑通りに椎名法子の写真集イベントに参加できるかを考えた。僕は一度決めたことは曲げたくない、そんな性格だ。十里競歩当日までに走る練習をして4時間台でゴールし東京行きの新幹線に乗るんだ。そう決めた日から僕は夕方走り込みをした。迎えた十里競歩当日、僕は4時間そこそこのタイムで十里を走破した。この勢いで東京に行くんだ。全財産を持ってこまちに乗った。俺はこれから法ちゃんに会うんだ。事前にチャットでイベント行きます宣言をしていたので、東京駅のホームにはSTFさんとタカさんが迎えにきてくれていた。リアルのSTFさんは全身黒の服で眼鏡をかけていてデブだ。リアルのタカさんも眼鏡をかけていて声がちょっと高めのデブだ。二人に連れられてイベント会場だった銀座まで電車で移動した。ジェックスくん(僕)本当に来たね!タカさんはすでに緊張していた僕に高い声でよく話しかけてくれた。
     無事にイベント会場につき、写真集にサインをしてもらい、椎名法子と握手をした。冷たくて柔らかい手だった。緊張していたため、僕はもう周りのことをあまり覚えていないが、その手の感触だけは今でもハッキリ覚えている。
     その後東京観光などをすることなく新幹線で秋田に戻った。家にも無事帰れた。疲れて寝てしまったのでその日のチャットには参加できなかったが、おそらくその日も盛況だったのであろう。

     数日後、ジャニーズ事務所の某人気グループのメンバーNと深夜一緒に自宅マンションから出てくる椎名法子がフライデーに載った。僕は青天の霹靂、驚天動地、どうしていいか分からなかった。チャットルームには意気消沈したいつものメンバーと、ニノを返せ!ニノから離れろ!ばかり連打するニノとか言う奴のファンでなんとも言えない雰囲気になっていた。嘘だ、嘘であってくれ、、、ぼくは自分に都合のいい情報を求めてインターネットの情報の海を漂った。そして芸能関係の話題を扱う掲示板にたどりついた。椎名法子のスレッドがあり、中をのぞいてみるとやはり件の記事の件で書き込みが多数あった。 椎名法子逝ってよし!
    こんな奴の写真集買う香具師藁
    こんな書き込みであふれていた。さらに以前の書き込みを見てみると、以前から共演していた他のジャニーズのタレントとの噂が多数書き込まれており、うなだれていた僕に追い打ちをかけた。 
     そうか、、椎名法子ってこういう奴だったのか。僕はその日から椎名法子の出ている雑誌を買うのをやめ、ラジオを録音しなくなり、CDも聞かなくなった。当時はまだ芸能ゴシップなんて有る事無い事書いてあるとは知らず、ピュアな僕は書き込みを全部信じてしまった。以来チャットルームにも行っていなSTFさんやタカさんにお礼もまだ言えていない。
     
     インターネットにはこんな名言がある。嘘を嘘であると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい。