• へその人が二人目の担当アイドルとして白雪千夜を迎えるにあたり自分の脳内世界観との解釈違いをふんわりと乗り越えた話

    2020-03-07 20:44

    ○序論

     今朝方、私はこのような呟きをした。

     私のことをいくらか前から知っている方は、私が「アイドルマスターにおける担当という語」に対し、いくらか思うところがあったのをご存知かもしれない。

    へその人の異常な拘泥 あるいは、私は如何にして自問することを止めて荒木比奈の担当プロデューサーを名乗るようになったか

     読んでない方のために要約するなら「担当という語について、自身が納得のいく形で向き合うことが出来ていなかったから、この言葉を使うのを避けていた。だが、デレ6thナゴド公演を経て『そのアイドルが自分にとって何かしら特別な存在であるなら、それは担当アイドルである』という答えを得ることができたので、これ以降、荒木比奈を躊躇なく担当アイドルだと呼べるようになった」といった内容である。かくして私は担当という語を気軽に使える身にはなったわけだが、しかし一方で、ちょっとした課題が残されてたのも事実だった。

     すなわち、「担当アイドルを複数持つとは、どういうことか」である。
     「荒木比奈に対し感じているものとは異なっていて、かつ、他のアイドルに対しては感じないような特別な何かがあるのなら、それは荒木比奈と並び担当アイドルと呼びうる存在である」という解にはそれなりに早い段階で辿り着いてはいた。ただ、これはあくまで理屈の上でそうなるという話。そういう存在が現れうるのか、現れたとして自分は実際にどのような特別さを感じるのか。そんなことをぼんやり思うこと一年余り。既述した通り、私は荒木比奈に次いで白雪千夜を担当アイドルとして迎えるに至った、彼女に「特別な何か」を見出したがために。

     とはいえ、そこに至るまでの道筋はそれほどスムーズではなかった。それも外的要因ではなく、内的な要因がその障害となっていた。一番邪魔していたのは、自分自身が構築し堅持してきた脳内世界観だった。もう少し平たく言うと、私は他でもない私を相手に、解釈違いで衝突する羽目になっていたのだ、白雪千夜を担当アイドルと呼ぶかどうかを巡って。
     以下に記すのはその顛末である。そしてまったく今更だが、この記事は最初から最後までほぼ自分語りしかしないので、そういうのを読むと背中がムズムズする人は今すぐブラウザ閉じておへそを崇めるように。

    おへそを崇めよ


    ○世界観の話

     少なくとも現行のアイマスの各ブランドにおいて、シンデレラガールズほど世界観が固定化されていないものはない。765プロダクションや283プロダクションといった事務所周りの設定すらもぼやかされている。これは『WILD WIND GIRL』や『U149』などの公式コミカライズ作品が、それぞれまったく異なる芸能事務所を舞台として描いていることからも窺える。もともとソーシャルゲームという空白だらけの媒体で始まり、しかも当初は今で言う765ASのアイドルと共存している状態だったから、世界観を固めるに固められなかったのだろう。
     アニメ版で346プロダクションが登場し、デレステでも同作での背景が一部流用されるなどした影響からか、他のブランドの事務所(765プロや315プロ、283プロなど)が中小の規模に留まっていることとの対比としてか。昨今のシンデレラガールズ界隈では、巨大事務所であるとの設定・認識が一定の人気を集めてもいる。しかし一方で、種々の理由で346プロダクションの設定と馴染めない人がいるのも事実である。それくらい、シンデレラガールズの世界観は曖昧模糊としている。

     そういう環境だったからか、シンデレラガールズのユーザーには「自分だけのアイマス世界観」を堅持している人が、存外少なくないようである。中小の事務所が乱立していたり、346プロの設定を一部改変していたり。ミリオンライブのサービス開始以降はあまり見られなくなったが、765ASの後輩や同僚としてのシンデレラガールズアイドルを想定している人もいたようだ。そういった個人的な世界観のすべてが二次創作等の形で表に出されるわけではないにしても、シンデレラガールズを楽しむにあたり何かしら自分なりの受け止め方を工夫している人は、それなりにいるだろう。
     私も御多分に漏れず、自分ならではのシンデレラガールズ世界観……もう少し正確に言うなら、シンデレラガールズを含むアイドルマスター世界観を構築してきた。それは自分の、アイマスに対するスタンスにとって最も都合がいいように調整されたものだったのだが……結果としてこれが白雪千夜を担当と呼ぶに際してにいくらかの障害となったのだから、まったく人生何が起きるか分からないものである。


     私が想定しているシンデレラガールズ世界観は、一言で言えば「巨大事務所と中小事務所乱立のいいとこ取り」だ。
     実数までは流石に考えていないが、大小様々な芸能事務所が少なくとも十数は存在していて190人いるシンデレラガールズアイドルはそれら数多の事務所に散らばって所属している。そしてそれら数多ある事務所が、「346エンターテインメントグループ(346グループ)」という連合体として緩く結集している。「346」という数字だけは活用しつつ、ただひとつの巨大事務所という形には縛られない柔軟さを備える形だ。

     346グループの最大の強みは、同グループ内であれば別事務所のアイドルとの交流や協働が極めて容易に行えるところにある。荒木比奈、神谷奈緒、安部菜々の三人がそれぞれまったく別の事務所に所属していても、音頭を取る者がいれば事務所の垣根を越え、虹色ドリーマーとして活動することができるのだ。大抵はいずれかのアイドルの担当プロデューサーが他のプロデューサーに企画を提案し、了承を取り付けてから活動を主導する形となる。「同じグループ内であれば交流が容易」という一点は、現実のEUから着想を得ているところもある。

     なお、346グループに所属していることをどれくらいアピールするかは事務所によってまちまちである。346グループの一員であることを全面的に押し出し、他事務所のアイドル達とも積極的に交流を持つ事務所もあれば、形式上346グループに所属しているというだけで独自路線を貫き続ける事務所もある。346グループのアニバーサリーなど、グループ所属事務所の全てが原則として参画する催しもあるにはあるが、基本的には各々の自由裁量が最大限に認められている。このあたりは、現実のデレマスPの間でも「346」という数字に対する距離感が違うことを踏まえた設定だ。

     歴史の話をすると、いくらか前(シンデレラガールズのアイドル達190人が出揃うより前)までは346プロダクションという巨大事務所はあった。アニメ版で描かれたあの事務所だ。だが何かしらの事業改革があり、現行の346グループ体制に移行した。当時の「美城常務」がそれまでの一極集中路線を転換したとされる。現在、346プロダクションという会社そのものは現存しているが、アイドルのプロデュースは行っていない。代わりに346グループ全体の知財管理や各事務所の補佐などを担当している。346グループの名物アシスタントとして名高い千川ちひろもそういった形で働いている。また346プロダクションの建物そのものは残っているので、レッスン場やエステなどの各施設は346グループ所属アイドルなら自由に使えるし、会議室も連日様々な事務所のプロデューサーが顔を突き合わせている。

     まとめると、

    • 中小事務所が多数乱立しており、その総称が346グループ
    • 346グループ内なら事務所の枠を越えた仕事が容易にできる
    • 346の看板をどれくらいアピールするかは各事務所の自由裁量
    • アニメの346プロ建物は現存していて、グループ員なら自由に使える

     といったところか。346という形で一定のまとまりを作りつつ、その範囲内でなら柔軟な活動ができる、都合が良くもそれなりに筋の通った世界観だとは思う。現実の芸能界でこのような仕組みが作れるかは分からないが、もともとサンタと吸血鬼がその辺をほっつき歩いている世界観だ、多少ファンタジーが混ざっていても問題はないだろう。シンデレラガールズのガバガバ世界観バンザイ。

     閑話休題ちとイヴをすこれ。そんな世界観で、私、もとい私のアバターとしてのプロデューサーは「OHESO PRODUCTION(以下、へそプロ)」なる事務所を経営している……という脳内設定で通してきた。プロデューサーにして、社長だ。とはいえ社員は自分と、あと片手で数えられる程度の事務員のみ。会社としては中小どころか極小といって言い。イメージとしては『龍が如く』シリーズのスカイファイナンスくらいの手狭な事務所だ。しかも当初は正式な所属アイドルが一人としていなかった。事務所の業務自体がアイドルプロデュースではなかったので、先に346グループの設定を長々と語っておきながらまったく変な話だが、へそプロはそのグループの所属ですらなかったのである。
     我ながら随分と回りくどいが、これは私のかつての「担当アイドルを持たない」スタンスに由来している。冒頭で取り上げた通りに担当アイドルというものを持たないまま長いことアイマスと接していたので、脳内世界観においても担当アイドル不在のままプロデューサーとして活動しているということになっていた。ではどんな活動だったのかというと、グループや事務所の枠を越えて、あらゆるアイドル達の活動をサポートする役回りだった。

     主な活動は2つ。アイドルプロデュースにおける便利屋業務と、貸部屋事業だ。順を追って説明しよう。

     ユーザーとして特定の担当アイドルを持たないから、脳内世界観のプロデューサーも通常の芸能事務所に所属しているわけではない。そこを逆手に取り、様々な事務所からちょっと変わった仕事を依頼される、ある種の便利屋のようなものを思いついた。「今度やるとあるイベントで特定の分野について詳しい人とコンタクトが取りたい、誰か知らないか」とか「この二人ユニットの売り出し方について、もう一押しが欲しい。外部の人間の目線から相談に乗ってくれ」といった案配だ。
     この妄想(まったく今更だがこの段落はすべて私の妄想である)の肝は、各事務所やそのアイドル達との距離感にある。同じ事務所ではないので担当プロデューサーほど近くはないが、さりとてテレビ局や雑誌社など完全な外部の人間というわけでもない。アイドル達の事情や私感に僅かなりとも接近できる立場ではあるが、それでも仕事で依頼された範囲を越えた接触はしないしできない。担当アイドルを持たない身として、ある程度贔屓することはあっても一歩引いたポジションを崩さなかった当時の私のプレイスタイルの反映だ。
     そしてこの設定に多少なりとも説得力を持たせるために、脳内世界観のプロデューサーには「765プロが弱小事務所から成り上がるあたりの時節に同社に入社し、働く内に業界内でコネを築いた」「765プロがシアターの建設に取りかかったあたりで一身上の都合により退職、その後また紆余曲折あって今度は個人の事務所を立ち上げた」「765プロ時代と紆余曲折あった時のコネで便利屋業務ができるような、多方面でマニアックな人脈を築くに至った」などの設定も盛った。このあたりは物語執筆修行で身に着けたこじつけ能力を存分に活かした。
     ちなみに「一身上の都合」や「紆余曲折」とは、プレインズウォーカーとしての覚醒やそれに伴う事件等である。そう、私の脳内世界観におけるアイマス世界は、MtGの多元宇宙にある次元のひとつだ。アイマスPPはプレインズウォーカー/PlaneswalkerのPでもあるのだ……という戯れ言。しかし実際問題、MtGも嗜むアイマスPは意外と結構いる。私もデレ7th名古屋遠征の時、晴れる屋の名古屋店で北海道からいらしたというアイマスP兼プレインズウォーカーと手合わせした。世界は広くて世間は狭い。


     そしてもう一つ、貸部屋事業について説明するにあたり、まずはへそプロの立地等について開示しよう。
     事務所そのものは都内の一角、とあるアパートの2階に構えている。4階建てで築年数もいくらか経っている、戸数もそう多くはないアパートだが……へそプロはそのアパートを部屋ひとつだけでなく建物全体の持ち主ということになっている。妙ちきりんな事態や事件が重なった結果、へそプロの元に権利書やら法的手続やらといった必要なものが転がり込んできた。決めているのはこれくらいだが、まぁ所詮は脳内世界観、細かな統合性なんぞ犬にでも食わせておけばいい。それよりも大事なことは「へそプロが保有しているアパートの空き部屋を、様々な事務所やそのアイドル達に貸し出している」という一点である。
     ある部屋はゲームが大量に持ち込まれているから望月杏奈や三好紗南が入り浸っているし、一ノ瀬志希が実験室として好き放題している部屋には時たま山下次郎が顔を出すという。防音処置の施された楽器部屋では暇を持て余した演奏技能持ちアイドルが突発的なセッションを組むこともあるし、試験間際で集中して勉強したい真面目な子が黙々と問題集と向き合う自習室もある。極めつけは屋上で、元自衛官と世界レベルとダンベル常備の社長令嬢の鍛錬の様子がしばしば目撃される。屋上は部屋じゃないだろという突っ込みは野暮なので受け付けないものとする。
     これらは、しばらく前からよく話題に挙がるようになった「越境」というものに対する私の認識の反映だ。異なるブランドのアイドル同士が交流を持つのは私も好きだし、自分の脳内世界観でも導入したかった。仕事の場でなら共演することももちろんあるだろうが、ではプライベートやそれに近い状況ではどんな場所なら自然な流れで交流させられるだろう? と、考えた結果「いずれの事務所にとっても外部で、かつある程度プライベートな空間を構築できる場所でなら可能ではないか」と思い至った。
     そしてここでも、アイドル達とは一歩引いた距離感にあることを強調しておきたい。事業の一環として部屋を貸し出しているし、その際の条件に従って危険な物や行為がないかの巡視はしているとしても、必要以上に踏み込むようなことはしていない。いま思い返してみても、アイドル達と過度に接近するのを、私は私が自覚していた以上に避けていたようである。


     また、上記二つの定常業務とは別に、行き場のないアイドルの一時預かりも行っていた。何かしらの事情で前の事務所を去らざるを得なかったアイドルや、へそプロのプロデューサー自身が見出したアイドルの卵などをへそプロの仮所属として、最低限のレッスンを与えつつ、腰を落ち着けられる事務所を探す、といった業務だ。これまで実績として、契約上のトラブルから半端な形で前事務所を放り出された橘ありすと、もう何度目かも分からない事務所倒産の憂き目に遭った白菊ほたるが、へそプロの仲介によって346グループ内で安住の地を得られている。そして荒木比奈もまた、へそプロのPが街頭で見出し、しばらく手元で育てた後、専任のプロデューサーに引き渡したアイドルだった。このあたりの設定は、自分でもどうして思いついたのかは覚えていない。「本所属しているアイドルがいないとしても、仮所属でならアリじゃない?」くらいのかるーいノリだったのかもしれない。

     ともあれ、以上が私の脳内におけるアイマス世界観だった、少なくとも担当という語への忌避感が残っていた2018年12月までの。その後、冒頭で述べた通りに私の中で担当という語への蟠りが解消されたので、脳内世界観にもいくらかの変化が見られた。

     まずはへそプロの346グループ加入を申し出た。その上で、担当アイドルと持たないとのスタンスを取りやめ、荒木比奈にへそプロへ移籍してもらった。引き継ぎなどで一悶着はあったかもしれないが、そのあたりは交渉や取引でまぁなんか平和裏に済ませられたということにしておく。それ以外の、便利屋みたいな仕事や貸部屋事業は変わらず継続した。もともと自由裁量が大きく認められている346グループなので、グループ外の事務所との仕事でとやかく言われるようなこともなかった。ただ、そうは言っても346グループに属していることは変わりないので、従来よりは346グループ方面の比重が大きくなっていた。
     こうして書き出すと、いっそ天晴れなくらいに自分にとって都合がいい。けれど、まぁ、所詮は自分がアイマスと気分よく接するために作り上げた世界観なのだ、都合よく作らなくてどうする、という風に開き直っていた。
     しかしこの時はまだ、よもやこの「都合良く作り上げた脳内世界観」がある種の障害になろうとは、文字通り想像もしていなかったのである。
     2019年2月末。彼女たちは、やってきた。


    ○千夜、襲来

     電撃的な登場を果たした黒埼ちとせと白雪千夜に対し、私は最初期から比較的に良い印象を持っていたことが、過去の呟きから見て取れる。特に、白雪千夜はかなり早い段階で気に入っていたようだ。『されど罪人は竜と踊る』の主人公ガユスとその相棒ギギナの、壊滅的な仲の悪さとそれに反比例するような絶妙に噛み合った連携が好きだった身としては、容易に靡かない千夜の様子が心の琴線に触れて仕方がなかったのだろう。


     この時点では「お気に入り」留まりで、担当にするかしないかとまでは考えていなかったように記憶している。けれどその後、一年余りを過ごし白雪千夜と断続的に様々な形で触れる中で、自分の彼女に対する思い入れが強く深くなっていったのだろう、と、今にして思う。特にデレ7th大阪公演で、隙あらば演者である関口理咲さんを目で追おうとしている自分に気づいた時には、
    「あ、比奈センセーの時と同じパターンに入った。こりゃもう時間の問題やな」
     と、腹を括ったものである。

     ただ、その後、いざ白雪千夜を担当として迎えられるのかと意識的に自問してみたところ、他でもない自分の脳内世界観に掣肘を加えられた。
    「これまで構築してきた、346グループやへそプロのある世界観において、白雪千夜を担当アイドルとして迎えることはできるのだろうか?」
    「できたとして、その様子は自分が白雪千夜に対し抱いているイメージと反しはしないか?」

     こんな疑問が浮かび、頭から離れなかったのである。

     従来の脳内世界観を維持したまま担当アイドルを増やすこと自体は、荒木比奈という形で前例があった。今回もそれに倣えばそれでいいだろうという気もしていたが、白雪千夜に関してはちょっと勝手が違った。公式で提示された背景設定の重みや緻密さが従来のシンデレラガールズのアイドルの比ではないので脳内世界観との擦り合わせが必須だった……というだけならまだ何とでもなる。だが、「へそプロのプロデューサーは途中で担当プロデューサーになった=へそプロのプロデューサーが白雪千夜の最初のプロデューサーではない=白雪千夜が最初に『お前』と呼んだプロデューサーはへそプロのプロデューサーではない」ということになるのには、自分でも戸惑うほどの拒絶反応が出たのだ。

    「白雪千夜は誰も彼もを粗雑に呼ぶような人間ではない」
    「白雪千夜に『お前』と呼ばれていいのは、白雪千夜の始まりをプロデュースした者だけである」
    「従って、誰か別のプロデューサーが手掛けた白雪千夜を引き継いで担当プロデューサーになったとて、そいつは『お前』にはならない」

     ……このような発想に至っている時点で随分と拗らせてしまっているが、ともかくそういうわけで、私はここに来て人生初の「解釈違い」に行き当たったのだ。それも、自分と他人ではなく、自分のそれまでの脳内世界観を相手に
     これには私もかなり面食らった。ここまで読んだ人ならなんとなく察しがついているかもしれないが、私は自分の内心で完結する物事に関しては自分の都合を何よりも優先する傾向がある。「脳内世界観、ここまではキッチリ決めるけど後はもうナァナァでいいや、これ以上は深く考えても楽しくないし」みたいなノリが平常運転だ。場合によっては「昨日までの話はなかったことにしとこ」と白紙に戻すことにも躊躇いがない。所詮は自分の胸の内だけの話、自分の都合だけを考えたところで誰に迷惑がかかるわけでもない。これは公式から提示された情報やテキストに関しても同じで、例えば「今回のカードのテキスト、正直あんまり好みじゃないから見なかったことにしちゃえ」と決めたらそれ以降は一切眼中に入らなくなる。
     こういった気質があるものだから、自分は解釈違いなるものとは縁がないものだと思っていた。より正確に言えば、解釈違いで気分を害したり物申したりしたくなる事はないだろうと思っていた。自分と他人(公式側・制作側を含む)との間で解釈に齟齬があったとて、そんなものは無視してしまえば何の問題もない。ましてや「それ私の解釈とは相容れません」などと突っかからねばならない道理もない。
     そんな矢先に、他の誰でもない自分自身を相手に、その解釈違いで衝突したのだ。驚天動地、青天の霹靂……そろそろ10年になろうかというアイマスP人生の中で一番驚いたかもしれない。ただ、一方で、不愉快な気持ちは不思議と薄かった。それよりもある種の嬉しさが大きかった。

     第一に、私は私が想像していたよりも、私の脳内世界観を大事にしていたらしいと分かったから。担当アイドルを増やすかどうかという局面において、それのためだけに世界観をまるごと刷新してしまうのは惜しいと感じる程度には気に入っていたようだ。自分の都合のためだけに作り上げた代物なのに……、いや、あるいは自分の都合のためだけだったからこそ、だろうか?
     第二に、その大事にしている世界観と天秤にかけられるほど、白雪千夜の事を気に入っていたと自覚できたから。脳内世界観だけが大事だったなら、それと衝突する方を切り捨てるという選択肢もあったはずだ。だがそれは、今この原稿を書いている時まで、文字通り頭に思い浮かびすらしなかった。それくらいに、私は白雪千夜に肩入れするようになっていたらしい。そしてこの感情は、荒木比奈に向けているそれといくらか似ていて、けれど微妙に異なり、なおかつ他のあらゆるアイマスアイドルに向けられているものとは明らかに違った。

     私がいつ、白雪千夜を担当アイドルとして迎えるか決めたのかと問われれば。
     それはきっと、私が私を相手に解釈違いで衝突した、まさにその時だったのだろう。後は文字通り、タイミングの問題だけだった。


    ○顛末

     ちなみにその解釈違いだが、後日、まったくあっさりと解消してしまった。というより、よくよく考えてみたら最初から解釈違いを避けることは可能だったのだと、後から気づいた

    「他事務所が主催したオーディションにゲスト審査員として参加していたへそプロPは、成り行きで白雪千夜を合格させてしまい(この際に「お前」呼ばわり実績解除)、しかし諸般の事情でへそプロではすぐには受け入れられなかったから一旦は346グループ内の別事務所に引き渡した。その後、また何かしらの事情や成り行きがあってプロデュースを引き継ぐこととなったので、白雪千夜はへそプロに移籍することとなった」

     要するに、脳内世界観における荒木比奈とおおよそ同じルートである。この筋書きなら「公式の描写に可能な限り則ること」「最初に千夜に『お前』呼ばわりされたのがへそプロのPであること」「当初はプロデュースしていなかったが途中で担当するようになったこと」のすべてを両立させられる。もっと早くに気づいていれば、というか自分で都合良く組み立てた設定なんだから忘れるなよ、と苦笑いしたい心地だ。しかし、今にして思えばこの寄り道は決して無駄ではなかったと断言できる。
     先述した通り、自分相手の解釈違いを通じて、自分で自覚していた以上に自分の世界観や白雪千夜に対する思い入れが強かったのだと思い知れたこと。そして解釈違いで悶々としている間に千夜の限定SSRが実装された時に、比奈のSSRの時と同様の「何がなんでもほしい」という特別な衝動を感じたこと。あらゆる条件や要素が綺麗に噛み合った結果が、今このタイミングでの担当宣言だった……と、いうわけである。






     ……しかし、こうやって担当アイドルを一人から二人に増やした今、ふと頭の片隅で囁く声が聞こえる。

    「一人を二人にするのも、二人を三人にするのも、大して変わらないのでは?」
    カラーパイ的には荒木比奈は、白雪千夜はだから、がいたらちょうどいいんじゃないか?」
    「タイプがパッションだともっといい」
    「単色がベストだが、赤を含む多色のアイドルで、お前がそれなりに気に入りつつある奴も……いるのだろう?」















     ……さてはて、どうなることやら。先の事はまったく何も分からない、だからこそ面白い。そしてシンデレラガールズはそういう面白さに満ち満ちた、まさに自分ピッタリの環境だ、ということを再認識したあたりで、いったん筆を置くこととしよう。


     あ、蛇足ながら「白雪千夜や黒埼ちとせに対する界隈の反応が云々」みたいな話を期待していた人、もしいたらゴメンね! へその人はそういう話、ごま一粒分の興味もないからなァーんも語る事ないんスわ。何せこの記事は頭から尻尾まで全部が全部、自分語りなもんでネ! でもこうやって自分の思考(≒嗜好)をグヮバッと書き出すのもなかなか乙なもんですぞ、自分でも漠然としか把握してなかったことが見えたりすうからネ! そしてこの隠された文章を読んだあなた、そうあなたはおへそを崇めよ今すぐ崇めよ。


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  • デレステのユニットSSRに関する情報整理といくつかの論考

    2019-11-24 15:521

    【2019/11/24深夜 追記と訂正を追加】




    ○序論

     デレステには今や300種を越えるほどのSSRが実装されているが、その中にいくらかの物議をかもすSSR群が存在する。ユニット名を冠し、ある程度共通した衣装がデザインされている、通称ユニットSSRだ。


     このユニットSSRが紛議を招く理由はいくつかある――アイドルごとのSSR実装枚数格差が広がるとか、ユニット内で衣装の大部分が使い回されているから手抜きだとか。新規SSRの実装は概ね讃辞や歓喜の声が方々で聞かれるものだが、ユニットSSRに関しては、少しばかり穏当ではない空気になることもある。

     好悪や評価は人それぞれあるかとは思うが、ツイッターでの論議を横から眺めていると、どうにも首を傾げたくなるような言説を唱えている人が目に付く。少し調べれば分かる程度の基本的な情報も把握していないばかりか、ひどい場合は否定の結論ありきで語りたいがために情報の取捨選択が恣意的に過ぎることさえある。
     繰り返しになるが、ユニットSSRの好き嫌いは各々の自由だ。だが、嫌いが高じるあまり「ユニットSSRは運営の雑差配の最たるもの」と宣っている当人が、自分の論考の粗雑さに気づかないでいるというのは、ひどく滑稽だ。
     そこで本稿では、私情や私見による認知の歪みを可能な限り排除してユニットSSRについて論考できるよう、いくらかの数字や情報を整理する。そしてれらのデータを元に、筆者なりの論考や推測を書き添えていくとする。

     なお、最初に断っておくが、本稿は「ユニットSSRが実装されても怒るべきじゃない、歓迎しろ」と強いる意図は一切ない。また、一部ユーザー層の心情なども意図的に考慮から外しているが、だからといって感情的な面をまったく無価値で考慮に値しないだと判断しているわけでもない揺るがしようのない事実を整理し、後に続く論考の助けとするのが本稿の最大の目的だ。
     誰が泣こうと喚こうと、物理定数は変わらないし円周率が3.14から4.28に変わったりもしない。前提条件に誤りや思い違いがあったなら、導かれる結論も誤りになるのが必定である。あなたがユニットSSRをどう捉えようと、私は関与しないし興味関心もない。ただ、ちょっと真面目に論考してみたい人、自分の認識を見直すきっかけがほしい人がいたなら、本稿はいくらかの助けにはなるはずだ。


    ○事実整理と仮説

     まずは現状のユニットSSR実装状況を整理してみよう。本稿執筆時点で11枚あるユニットSSRの実装日は、それぞれ以下の通りである。

    2016/09/17[P.C.S.]小日向美穂
    ――
    2017/04/17[ポジティブパッション]日野茜
    ――
    2018/07/19[P.C.S.]五十嵐響子
    2018/09/11[P.C.S.]島村卯月
    2018/11/12[individuals]星輝子
    2018/11/19[羽衣小町]小早川紗枝
    2018/11/22[individuals]森久保乃々
    2018/12/10[individuals]早坂美玲
    ――
    2019/01/18[羽衣小町]塩見周子
    2019/01/25[ポジティブパッション]本田未央
    2019/03/18[トライアドプリムス]渋谷凛


     人によってはこの表の時点で驚くかもしれない。ユニットSSRが話題に頻繁に上がるようになったのは、少なくとも私のTwitterのタイムラインでは2018年の夏から冬にかけてだった。その一方でユニットSSRの実装それ自体は2016年秋に始まっている


     つまり、

    事実①:Twitterで話題になり始めるより遙か前から、ユニットSSRの展開は始まっていた

     という事実が見出せる。加えて、[P.C.S.]小日向美穂から[ポジティブパッション]日野茜まで7ヶ月、さらにそこから[P.C.S.]五十嵐響子まで15ヶ月も間隔が空いていることから、

    事実②:ユニットSSRの展開は、一年以上間隔が開くことがある

     もまた導ける。
     本稿執筆時点で最後のユニットSSRである[トライアドプリムス]渋谷凛の実装から約8ヶ月が経過している。「あれ以来まったく出ていないが、ユニットSSRはもう実装されないのか」「中途半端なところで頓挫したのか」というような声が時たま見られるが、事実②を踏まえるとその判断はあまりにも性急だ。最低でも今からあと7ヶ月、つまり2020年6月までは判断を保留するべきだろう。


     ただ、何ヶ月も空くことがある一方で、続けざまにユニットSSRが実装されることがあったのも事実である。特に2018年11月は新規恒常SSRがすべてユニットSSRという偏りっぷりだ。

    事実③:ユニットSSRの展開は、ごく短期間に集中することがある

     事実②と事実③がどちらも成り立つというところに、ユニットSSRの展開の不可解さが如実に表れている。しばらく音沙汰がなかったかと思えば急に連発し、しかしまたすぐに沈黙……。そこにどういう意図があるのか、実のところ私も不思議でならない。ただ、不可解であっても、いや不可解だからこそ立てられる仮説もある。例えば、

    仮説:ユニットSSRはそれぞれ異なる意図で実装されている

     と、いった風にだ。以下、この仮説に沿っていくつかの推測を書き記す。



    ○推測

    推測①:ゲーム内楽曲イベントと連動したユニットSSRがある

     一番最初のユニットSSRである[P.C.S.]小日向美穂の実装日でティンときた方、あなたはとても勘が鋭い。2016年9月17日、これはピンクチェックスクールのユニット曲『ラブレター』のイベント予告が発表された日でもある。


     しかも、このイベントにおける報酬カードは島村卯月と五十嵐響子だった。単なる偶然で片付けるにはあまりにもあからさまに過ぎる。少なくとも[P.C.S.]小日向美穂は、ゲーム内イベントと連動していると考えるべきだ。

     ただ、他のユニットSSRを眺めていると、[P.C.S.]小日向美穂が例外だと考えるのが自然だろう。2枚目である[ポジティブパッション]日野茜の実装は『情熱ファンファンファーレ』イベントからおおよそ2ヶ月後、いささか時期外れである。同イベントでの報酬は本田未央と高森藍子だったので、人選の面からはいくらかの配慮が見られる。判断の分かれるところだが、いくらかの贔屓目で見れば連動していると言えなくもないか。あるいは、当初は[P.C.S.]小日向美穂と同様に完全な連動を考えていたが、諸般の事情によりそれが叶わなくなったという可能性もある。




     イベント連動といえば、少し視点を変えてみよう。連動しているのは、もしかしたらゲーム内イベントだけではないかもしれない。

    推測②:リアルイベントと連動したユニットSSRがある

     ここで言うリアルイベントとは、アイマス恒例のライブのことではない。2019年秋に開催されたバンダイナムコエンターテインメントフェスティバル、通称バンナムフェスのことだ。


     バンナムフェスに参加したシンデレラガールズのユニットは「ニュージェネレーションズ」「レイジー・レイジー」「羽衣小町」「LiPPS」「individuals」「HappyHappyTwin」「*(Asterisk)」の7つ(U149からの4人は、公式サイトの表記から、ユニットとしては数えないものとする)。注目するべきは羽衣小町individualsの2ユニットだ、これらはいずれもバンナムフェスの開催が発表された時点でユニットSSRが出揃っていたからである。これらはバンナムフェス参加ユニットに選ばれたからユニットSSRが実装されたのではないか、という推測だ。バンナムフェス当日に会場周辺を彩った幟に羽衣小町の、終演後にデレステで開催された打ち上げガシャの告知画像にindividualsの、それぞれのユニットSSRの絵柄もしくは3Dモデルが採用されている。連動しているという可能性も、あながちこじつけだとは言い切れまい。


     とはいえ、この推測にもいくらか穴がある。ドレスショップで衣装が販売されているLiPPSと、アニメ最終話でも用いられた[ステージオブマジック]シリーズを実質的なユニット衣装として見做すこともできるニュージェネレーションズを除いたとしても、レイジー・レイジー、HappyHappyTwin、*(Asterisk)の3ユニットにはユニットSSRがひとつも実装されていないし、実装時期もバンナムフェス開催日から半年以上離れている。綿密な計画を立てて連動している、と考えるにはちょっと根拠が弱い。

     一応、これらの穴への解答もいくつか考え出すことはできる。デレステのSSR実装スケジュール的に2018年末から2019年初頭の時節に5つ程度しかユニットSSR用の枠を確保できなかった、ユニットSSRの実装で羽衣小町およびindividualsの存在を今一度話題に上げておくだけでも儲けものだった、などなど。
     総じて、バンナムフェスとユニットSSRの連動は、あるともないとも言い切れない曖昧な推測と言える。ない、の方がやや優勢か。ただ、次項で詳しく論考する「橋頭堡ユニット説」を踏まえると、ピンクチェックスクールでもトライアドプリムスでもポジティブパッションでもない2ユニット(羽衣小町とindividuals)にユニットSSRが与えられるに足る特別な理由がどこかにあるはずだ。そういう観点から、私はバンナムフェスとの連動を推測した次第である。


    推測③:橋頭堡ユニットの役割として実装されたユニットSSRがある

     ここで言う橋頭堡ユニットとは、ピンクチェックスクール・トライアドプリムス・ポジティブパッションの3ユニットを指す。本稿独自に決めた呼び方なので注意されたし。
     これらは他のユニットと比べ、少しばかり特別な共通点を持っている。

    (A)各ユニットのメンバーの1人がニュージェネレーションズの一員でもある
    (B)タイプが統一された3人ユニットである
    (C)アニメ版シンデレラガールズで各々が何かしら関わりを持っている
    (D)ユニット曲それぞれ2曲ずつ持っている
    (E)東京ミステリーサーカスとのコラボイベント第1弾揃って抜擢されている
    (F)デレステの『Stage Bye Stage』イベントで共演している

     (C)はやや解説を要するが、詳しくは後述するので今は保留としておいてほしい。
     列挙してみると共通点は存外に多く、しかも結果として3ユニットはいずれもかなり目立つ立ち位置にいることが分かるだろう。(D)の複数の持ち歌を持っていたり、(E)のコラボ案件の先鋒を務めていたりと、これら3ユニットが内外ともに大きく推していく意図があるのは明らかだ。優遇、不遇という語はなるべく使いたくないのだが、現況を見るに、優遇されていると評するのはまったく妥当である



     さて、では何故そのような処遇になっているのか? 私が思うに、この3ユニットにはシンデレラガールズをより深く知ろうとした初心者向けの、第二の足掛かりとしての役割が課せられているのではなかろうか。

     シンデレラガールズに長く触れているヘビーユーザーはもう感覚が麻痺しているかもしれないが、キャラクターが190人もいるというのはまったく尋常なことではない。しかも、一部がメインキャラで残りは脇役やモブという風に扱われ方が根本的に異なるのならまだしも、少なくとも建前の上ではこの190人全員が主役になりうるだけのポテンシャルがある。そんな環境下で道しるべの類いが何もなかったなら、シンデレラガールズに触れ始めたばかりの初心者は、どこから手を着けたらいいのか分からなくなることも多かろう。


     島村卯月・渋谷凛・本田未央のニュージェネレーションズが、シンデレラガールズ全体の代表格・広告塔としてあらゆる場面で表に立ってはいる。アイマスもシンデレラガールズもろくに知らないけどこの3人の顔や名前はなんかどっかで見たことあるかも、という人も少なくはあるまい。
     しかし、この3人だけでは手の回らない部分も多々ある。キュート・クール・パッションの3タイプがあるのはニュージェネレーションズで分かるかもしれないが、各タイプには他にどんなアイドルがいるのだろう? ニュージェネレーションズ以外の交友関係は?
     そういった状況に対応するために、ピンクチェックスクール・トライアドプリムス・ポジティブパッションという3ユニットがプッシュされているのではあるまいか。初心者が、最初に触れる第一歩としてのニュージェネレーションズから、もう一歩だけシンデレラガールズに踏み込もうと思った。そんな時のために、顔なじみがいてタイプも統一されているなど比較的踏み出しやすい第二歩の足場進軍するにあたっての拠点つまりは橋頭堡としての役割が、件の3ユニットは与えられている、と。

     だからこそ、曲数やゲーム内イベント、コラボ案件、各種グッズなどで目立たせる必要があった。ピンクチェックスクール・トライアドプリムス・ポジティブパッションは、広く人気があるから多くの仕事が与えられた、のではない。因果がまったくの逆で、これら3ユニットを、ニュージェネレーションズに次ぐくらい広く世間に知らしめる意図があったがために、いくつもの案件がこれらのユニットに回されたのだ。
     そんな案件のひとつに、ユニットSSRも入っていた。単なる依怙贔屓と考えるよりも、いくらか妥当性のある推測ではないだろうか?

     本稿執筆中、モバマスにデレステユニットSSRの内のひとつ、それも一番最初に実装された[P.C.S.]小日向美穂が逆輸入されたのも、同様の理由によるのかもしれない。
     モバマスにデレステのSSRが逆輸入されること自体は以前から行われていた。少なくとも筆者の把握している範囲では、いずれも一枚目のSSRが選ばれていたはずだ。そんな中、小日向美穂だけが二枚目のSSRである[P.C.S.]版だったことには、何かしら意図があるのではあるまいか?
     まぁ、蓋を開けてみれば、一枚目である[ユースフルロマンス]版は限定SSRだったから避けたというオチなのかもしれない。だが少なくとも現時点ではどっちとも断言しがたいところがある。この件についてはもうしばらく経過観察が必要だろう。


    【2019/11/24深夜 追記】
     モバマスへの逆輸入SSR対象について検証不足でした。実際は十時愛梨や三村かな子など、デレステSSRの1枚目が限定SSRだった場合は恒常SSRの方が逆輸入されている前例がありました。
     この件が検証不足になった理由はいくつか思い当たります。第一に、本稿の発表をいくらか急いでいたこと。2019年12月以降の恒常SSRにユニットSSRの続きが実装されるかもしれないという予想を立てていた以上、なるべく今月中に発表しておきたかったのです。そして来週以降は私的な時間がとりにくくなる可能性があったので、完成させる日は今日を置いて他にはありませんでした。そして第二に、モバマスへの逆輸入SSRに関する話題を入れたのが脱稿間際だったこと。[P.C.S.]五十嵐響子のモバマスへの逆輸入から間がほぼなく、逆輸入SSRに関する正確な情報や検証がほぼゼロだったこともあり、本稿に盛り込むかどうかを完成直前まで迷っていました。最終的に「タイムリーな話題にも一応触れておくべきか、しかし検証が足りていないから『自分が知る範囲では』と予防線を張っておこう」と決めたのですが、今にして思えば不誠実、もっと言うと雑な判断でしかありませんでした。話題に触れるにしても「最近モバマスにユニットSSRが逆輸入されたが、モバマスのガシャはノーマークだった上に詳しく論考できていないので一時保留とする」と正直に述べるのが最善だったと、今は猛省しているところです。



     広告塔や橋頭堡といった仕組みがなくても、自分のイチオシアイドルを見つけることができる人もそれなりにいるだろう。身近な人の推薦だったり、ガチャでたまたま引いたとかだったり。だが、そんな幸運な人間ばかりでもあるまい。広告塔や橋頭堡は、そういう人でもシンデレラガールズに入門しやすくするための、言わばセーフティネットなのだ


     やや余談だが、この広告塔の役割が始まった時期について、少しだけ追加で論考してみたい。
     筆者自身、シンデレラガールズと本格的に関わり始めたのがアニメ以降なのでそれ以前(2015年より前)は詳しくは知らない。ただ、広告塔3ユニット9人全員のCVが出揃ったのが2016年初頭なので、本格的に始まったのはこれ以降と考えるのが順当だろう。『ラブレター』イベントが同年9月に開催されたのもこの説を補強している。が、その仕込みはもしかしたらデレマスアニメの時点で始まっていたのかもしれない。

     橋頭堡ユニットの共通点で保留していたもの、すなわち(C)の「アニメ版シンデレラガールズで各々が何かしら関わりを持っている」について詳述しよう。アニメ本編、Season2ではトライアドプリムスが大々的に取り上げられた。最初のユニット曲『Trinity Field』が披露されたのもこのタイミングである。一方でピンクチェックスクールは最終話にユニット結成が発表された。最終回の後にも物語は続いていく、という予感を直接的に描いていた。さて、ではポジティブパッションは?


    【2019/11/24深夜 訂正】
     曲名を間違えていました。『Trinity Field』は2つ目のユニット曲なので、ここは『Trancing Pulse』が正解です。
     致命的な誤りとしか言いようがなく、自分でもどうしてこんなあからさまな間違いをしてしまったのか、不可思議でなりません。頭の中では間違いなく『Trancing Pulse』のことを思い浮かべて書いていたつもりでいて、しかし実際に書いた文字列は『Trinity Field』で、だというのに見直しの時は「これでよし」と判断してしまいました。いわゆる心理的盲点というものでしょうか。第三者による校正か、あるいはせめて日を改めて読み直すくらいのことは必要だったと反省している次第です。






     ユニット名こそついぞ出なかったが、本田未央・日野茜・高森藍子の3人は演劇の仕事で共演していて、最終的にもしかしたら彼女らもユニットを組むかもしれないと予感させる描写がなされた。状況的に、ここで共演するのは他のアイドルでも良かったはずだ。Season1時点ではアイドルの先輩・後輩という関係だった相手と、今度は対等な仲間として並び立つ……という構図だけでいいなら、佐久間まゆや川島瑞樹などでも問題はなかったろう。にも拘わらず、ポジティブパッションの面子を揃えた。後に殊更に目立つ役割が与えられたことを思うと、特別な意図があったと考えるのはそう突飛な発想ではないだろう。



     つまり、行く行くは橋頭堡となる3ユニットのプロローグが、デレマスアニメの後半からエピローグにかけて密かに始まっていたのだ。以前筆者が書いた、総選挙実績とCV実装の因果関係に関する記事でも、デレマスアニメにおけるサプライズCV実装の一部は後のデレステ展開を前提としていたとする考察を述べた。それと同様の仕込みが、ピンクチェックスクール・トライアドプリムス・ポジティブパッションの3ユニットについても行われていたのではあるまいか。作話上の都合からか、スポットライトを当てられたのは専らトライアドプリムスだったが、他の2ユニットの基礎も築かれ始めていたのだ、後に立てる橋頭堡のために。



    推測④:初級者向け、もしくは特定層向けの施策として実装されたユニットSSRがある

     これは推測③の補足あるいは発展でもある。ユニットSSRは、ヘビーユーザーにとって退屈なものだと分かっていて、それでもなおライトユーザーを含む特定の客層のために実装された可能性を考えてみる。

     いきなり話が変わって恐縮だが、トレーディングカードゲーム(TCG)を思い浮かべてほしい。遊戯王でもデュエルマスターズでもポケモンカードゲームでも何でもいいが、ここは筆者にとって馴染みあるマジック:ザ・ギャザリング(以下、マジック)を下敷きにする。
     マジックだけでなく、ほとんどのカードゲームでは初心者向けのスターター商品が制作・販売されている。とりあえずゲームができる構築済みデッキと、ルールブック等がセットとなったものだ。カードの大半はあまり強くはなく、そのまま大会に持ち込んでも好成績はあまり期待できない。マジック経験者、特に世界大会で活躍するようなトッププレイヤーにとっては無用の長物に他ならない。



     さて、ここで「いやそれ初心者向けなんだから経験者にとって無価値なのは当然だろう」と思ったあなた、それはまったく当然の発想である。マジックプレイヤーには、それこそ世界大会の賞金で生計を立てるようなプロフェッショナルもいれば、昨日今日マジックを触り始めたばっかりのニュービーもいる。数で言えばむしろ後者の方が圧倒的に多く、そしてスターター商品はまさにそんな人間のために用意されている、先述した広告塔と橋頭堡のように

     これは初心者と熟練者という対比での例だが、今度は熟練者同士でも成り立つ例を挙げよう。
     マジックのとあるカードセットに《霊気貯蔵器/Aetherflux Reservoir》というカードが収録されている。

     このカード最大の特徴は、一定の手順を踏むと50点のダメージを叩き出す能力にある。ちなみにマジックのゲームでは、一部の特殊ルールを除いてライフポイントは20点で始める。繰り返すが、そんな環境下で《霊気貯蔵器》は50点ダメージを与えるのだ。控えめに言ってオーバーキルに過ぎる。その手順を踏むのに必要な手間を考えると、専用のデッキでも組まない限りなかなか割に合わない。より堅実で戦いやすいカードを求めるプレイヤーは見向きもしない一枚だ。
     だが一方で、50点ダメージというド派手さにロマンを感じたり目を輝かせたりするプレイヤーがいるのも事実である。こんな極大ダメージを一発で与えるカードは、25年を越えるマジックの歴史全体を見渡してもそう多くはない。そういったプレイヤー達の工夫や奮闘もあってか、《霊気貯蔵器》はその大雑把さとは裏腹に、大会等でも一定の成果を挙げるに至っている。
     ある一部のプレイヤー層からは猛烈に好かれるカードが、しかし別のプレイヤー層には激しく嫌われるか、そもそも一顧だにされない。そういった事例はマジックでは珍しくもなく、しかも製作側もそのことを正確に把握してすらいる。マジックの開発部では、プレイヤー達を

    ・派手でパワフルなゲームプレイを好む者、ティミー
    ・独創的なコンボや奇抜なデッキを扱う者、ジョニー
    ・記録達成や何かしらの挑戦に力を注ぐ者、スパイク

     などのように一定の基準で分類した上で、それら各分類のプレイヤーがそれぞれ満足できるようなカードを一通り制作・収録している。先に挙げた《霊気貯蔵器》は典型的なティミー向けカードだが、他にもジョニー向けカード、スパイク向けカードが各カードセットに存在している。そうやって、多種多様なプレイヤーの需要・要望を満たしているのだ。

     要するに、ある層のユーザーにとっては不要だったり不満だったりするカードや商品であっても、別の層のユーザーには確かな需要があるのかもしれない。いや、需要があるからこそ制作されていると考えるのが順当だろう。「このカード、自分のデッキとはまるで噛み合わないけど、友人のにはバッチリ合うかも」という風に。
     デレステのユニットSSRは、より多くのアイドルにSSRが行き渡って欲しいユーザー達にはいい顔をされない傾向がある。その一方で、そのユニットを特別に推しているユーザー、多少なりとも馴染みあるアイドルやユニットから少しずつ触れていきたいマイペースな初心者ユーザーなどにとってはとてもありがたい代物だ。そしてそのどちらも、デレステの商売相手であることに変わりはないのである。
     あなたが寵愛するものに、まったく興味関心を示さない人もいる。あなたが蛇蝎のごとくに嫌うものを、目に入れても痛くないほど可愛がる人もいる。デレステは、そういった多種多様な客層すべてを相手に商売しているのだ。だから自分の琴線に触れないようなものが出てきた時も「このゲームは自分を客だと見做さないようになった」と徒に反発するより、「今は自分以外の客に応対しているのだな」と鷹揚に構えるのが、順当な反応というものだ。このゲームのユーザーは、あなたやあなたと同じ意見を持つ人たちばかりではないのだから



    推測⑤:SSR実装スケジュール調整のために実装されたユニットSSRがある

     2018年の第7回シンデレラガール総選挙で、南条光はCV獲得が決まった。そして同年の8月、彼女のSSRがデレステで実装され、CVもそこで初披露となった。デレステのSSRでCVが発表されたのはこれが初だった。翌年の第8回総選挙でCV獲得が決まった夢見りあむと佐城雪美も同様に、デレステSSRの実装に合わせてCVが実装・告知された。


     つまり、2018年以降、総選挙の結果がデレステのSSR実装スケジュールに直接的な影響を与えるようになったと推察できる。第6回総選挙まではCV発表はすべてモバマス側で行われていたので、デレステは総選挙結果に関係なくSSRを実装していくことができた。だが2018年以降、モバマス側とも連携をとる必要が出てきた。誰のCVを、モバマスとデレステのどちらで、どのタイミングで発表するのか。お互いのイベントやカード実装スケジュールを擦り合わせていかなければならなくなったのだ。

     たとえば、総選挙直前にあるCV未実装アイドルのSSRが実装されたとしよう。その後、総選挙でそのアイドルのCV獲得が決まったなら、CV発表の場はモバマスに回さざるを得なくなる。もし、モバマスでもそのアイドルを特定の時期に大々的に取り上げる予定を組んでいたとしたら、それなりに大きな軌道修正が求められるだろう。
     かといって、デレステのSSR実装ペースを落とすことはできない。このような状況下で、ある程度は時期を問わずに実装できるSSRがあったなら、スケジュール調整が多少なりともやりやすくなるはずだ。そしてそんな便利な存在がユニットSSR、というのがこの推測の肝である。
     この説なら、ユニットSSRの実装頻度にムラがあるのにも少しは説明がつく。最初期はともかくとして、ユニットSSRの集中実装が目立つようになったのは2018年の夏から2019年の初頭、それも第8回総選挙の約一ヶ月前あたりの時節だ。そうやってSSR実装枠をいくらか稼いだことで、総選挙後のスケジュールを組みやすくした。少し悪い言い方をすれば場の繋ぎのような存在、だがそのおかげで総選挙CV実装にまつわるモバマスとデレステの連携が取りやすくなった、という可能性は考えられないだろうか。

     もしこの推察が正しいなら、2019年12月から翌2020年3月の4ヶ月間で、まだ揃っていないユニットのSSRが実装されるだろう。今のところ残り枚数は3枚([ポジティブパッション]高森藍子と、[トライアドプリムス]北条加蓮と神谷奈緒)、だが再来年以降も同様の施策を取るとしたら、まったく別のユニットSSRの実装が始まる……かもしれない。



    推測⑥:一定以上の情報量のために実装されたユニットSSRがある

     最後に、ユニットSSRがドレスショップでの実装ではなかった理由について少し考えてみる。
     定義の通り、ユニットSSRの衣装は共通性が高い。そのために「なぜドレスショップで実装しなかったのか」という声も根強い。筆者個人としてもデレステのドレスショップの使い方にはどうにも首を傾げることが少なくないのだが、その疑問はいったん脇に置いて、衣装実装がドレスショップだった場合とSSRだった場合の違いを比較していきたい。

    ユニットSSR比較項目ドレスショップ
    しんげきWIDE
    ホーム画面台詞×
    ルーム台詞×
    親愛度達成台詞×
    特訓台詞&特訓コミュ×
    ポスターテキスト×


     見ての通り、開示できる情報量はSSRの方が圧倒的に多い。従って、ドレスショップでは構造上盛り込めない情報のために、一部のユニット衣装はSSRという形で実装されたのかもしれない。
     ……書いておいてなんだが、実のところ、この推測は筆者自身もあまり信じていない。特訓コミュやルーム等での台詞があるとはいえ、それら断片的な情報のために限られたSSR実装枠を使うのは割に合っているだろうか。ただ、もしかしたら上記の表が何らかの論考に役立つ日が来るかもしれないので、情報整理の一環として書き加えておくものとする。



    ○総括
     まとめとして、本稿で記した事実、仮説、推測を改めて列挙する。

    事実①:Twitterで話題になり始めるより遙か前から、ユニットSSRの展開は始まっていた
    事実②:ユニットSSRの展開は、一年以上間隔が開くことがある
    事実③:ユニットSSRの展開は、ごく短期間に集中することがある

    仮説:ユニットSSRはそれぞれ異なる意図で実装されている

    推測①:ゲーム内楽曲イベントと連動したユニットSSRがある
    推測②:リアルイベントと連動したユニットSSRがある
    推測③:橋頭堡ユニットの役割として実装されたユニットSSRがある
    推測④:初級者向け、もしくは特定層向けの施策として実装されたユニットSSRがある
    推測⑤:SSR実装スケジュール調整のために実装されたユニットSSRがある
    推測⑥:一定以上の情報量のために実装されたユニットSSRがある

     筆者が現時点で出せる推測は以上となる。素人の調査と論考ではこれぐらいが精一杯、だが逆に言えば専門家でなくてもとりあえずこれくらいは調べられたり考察したりできる。いくつかは当たっているかもしれないし、すべてまったくの的外れかもしれない。いずれにせよ、消費者側が得られる情報は、運営側・制作側は比べようもないほど少ない。
     今回はユニットSSRに焦点を当てたが、実際にデレステを運営するにあたっては他の恒常SSRや月末限定、フェス限定、ゲーム内外のイベントなどあらゆる要素を勘案しなければならない。しかも予定を組んだとしても、総選挙結果や来期以降のリアルイベント、CV実装済みアイドルなら担当声優の都合など様々な要因で修正が迫られることもあるだろう。190人ものキャラクターを平行運用するのは、市井のユーザーが想像できるよりも遙かに難しいに違いない

     その難しさの一端に、ユーザー層の幅広さがある。ヘビーユーザーがいればライトユーザーもいる。ただひとりのアイドルに拘る人もいれば様々なアイドルを愛でる人もいる。その全員を等しく満足させることは現実的にできないとしても、それでも可能な限り多くのユーザーが満足できるよう手を尽くしているものだと、少なくとも私は思いたい

     ユニットSSRは確かに、何かと揶揄されがちな代物である。だが、あなたが嫌っているものを、他の誰かは好いているかもしれない。同様に、あなたが好むものを、他の誰かは嫌っているかもしれない。多様性とはそういうものであり、そしてシンデレラガールズ最大の武器は190人のアイドルが織りなす色とりどりの多様性と、その中から自分好みの色を好きなだけ選び出せる自由さにこそある。
     この強みを徒に損なわないためにも、そして何より品性を失わないためにも、ユニットSSRに限らず自分が好まないものに反射的に唾を吐く前にちょっと思案を巡らせられるようになりたいものである。……と、なんだかまた説教臭くなってきたところでいったん筆を置くこととしよう。

    考えなさい。
    それは人間に与えられた最高の娯楽なんだよ。

    鬼頭莫広『ぼくらの⑨』(小学館、2008)p.85

  • チェス怪人とメガンテでしかドラクエを知らないへその人、ドラクエ映画を観るの巻

    2019-08-14 23:3427

    ○序文
     先日、私は超有名なRPGである『ドラゴンクエスト』シリーズ(以下、ドラクエと表記)を原作とする3DCG映画『DRAGON QUEST YOUR STORY』(以下、ドラクエ映画と表記)を鑑賞した。

     以下に記すのはその映画を観ての所感となるが、その前にいくつか明記しておかなければならないことがある。
     第一に、記事タイトルから察せられる人も多いかと思われるが、私はドラクエにはまったく詳しくない1ミリも知らない、と表現してもいいほどだ。タイトルにある「チェス怪人」「メガンテ」が、私の持つドラクエ知識のほぼ全てとなる。

     「チェス怪人」は確か、兄の所有していたドラクエの漫画版か何かに出てきた敵幹部だったと記憶している。クイーンをモチーフにした怪人が、主人公の仲間と思しい女格闘家と戦っていた。チェス怪人のあまりの素早さに追い詰められた女格闘家が、自分の防具をわざと破壊し、その破片で怪人を迎撃した――素早さが仇となって破片を避けられない――という場面があったはずだ。詳しい人なら「それ、この漫画のこのシーンやで」と特定できるのではなかろうか。
     そして「メガンテ」は、Nintendo64の名作FPS『007 ゴールデンアイ』の対戦モードで、兄が好んで使った自爆戦法で知った。至近距離でロケットランチャーをぶっ放して自分もろとも相手(つまりは私)を殺す外道戦法である。兄は背丈の小さいオッドジョブが持ちキャラだったので迎撃も難しく、私の操るムーンレイカーは何人も爆殺されるハメになったものだ。

     ……ドラクエと関係ない話が続いたが、つまり筆者はそれくらい、ドラクエと縁のない人間だということである。ちなみにRPGというジャンルそのものはそれなりに遊んだことがある。『ファイナルファンタジー』『聖剣伝説』『スターオーシャン』『テイルズオブ』『キングダムハーツ』など、遊んだ作品は両手の指では少し余るくらいにはある……どちらかといえばアクションRPGの方が多いが。その中でドラクエシリーズだけが一切入っていない理由は、実のところ自分でも判然としない。ドラクエ絡みでトラウマになるほど嫌な出来事があったわけでもない。単に縁がなかった、という表現が最も合う。

     そして、斯様に私がドラクエと縁がない人間だったからこそ、私はドラクエ映画を観ようと思い立った。映画が公開されてからしばらく経ち、方々の感想も賛否いずれも目にした。否の方が圧倒的に多いが、ドラクエ映画への否定的見解のほとんどは、ドラクエに対する思い入れが深いからこそ出ていたように見える。であれば、ゲームをそれなりに遊んできている一方でドラクエだけはノータッチだった私が同じ映画を観たならば、どんな所感を抱くに至るのか? そのような実験をしてみたくなった。

     そして第二に明記しておかなければならないのは「面白さ」という語の用法である。
     本稿での「面白さ」という語の意味は、鳥山仁氏(同じ苗字なので紛らわしいが、ドラクエのキャラクターデザインで有名な鳥山明氏とは関係ない)の著作『純粋娯楽創作理論』での定義、すなわち「人間の“予測能力”を逆手にとった錯覚、あるいはトリック」(引用)にのみ従う。もう少し噛み砕いた表現を同書から引用すると、「予想していなかった=予想外の出来事が起こることが面白さの本質」という前提のもとでのみ、面白さという語を用いる。他の意味で使うことは一切ない。つまり、「面白い/面白くない」ということ「好ましい/好ましくない」ということ別個の概念として扱われることになる。「面白さの定義は人それぞれ」という見解とはまったく相反するので、これを信じて疑わないでいる人は受け入れがたい部分もあるかもしれないことを、予め明記しておく。
     筆者個人の見解としては、「面白さの定義は人それぞれ」は破綻していないと考える方が遙かに困難な考え方なのだが、これ以上は本稿の本旨から外れるので詳述はしない。また機会があれば改めて筆を執るとしよう。


    ○ビジュアル面

     まずはビジュアル面から、ドラクエ映画について語ってみよう。
     ドラクエ映画は、冒頭に数分ほど挿入される原作ゲーム映像(少なくとも素人の目には、原作ゲームの映像だろうと推察されるもの)を除くほぼ全編を通じて3DCGで描画されている。
     3DCGモデルの質感や動きは、素人目にではあるが、見事だったと感じた。原作のキャラクターデザインを務めた鳥山明氏のコミカルな作風と、毛髪や鱗や金属などの写実的な質感という、一見相性の良くなさそうな要素を綺麗に両立させられていた。髪は漫画的表現をなぞりつつも毛の一本一本がきちんと風に揺れていたし、間の抜けた顔のスライムも内部の気泡や光で照らされた時の煌めき方で動く軟体っぽさが存分に表現されていた。もしかしたら昨今の映画界隈ではこれくらいが標準なのかもしれないが、そうだとしたら技術の進歩とはまったく恐ろしいものである。私に馴染みのある作品だと『聖剣伝説』シリーズが比較的近い作風になるが、もし聖剣伝説が映画化されたとしたらこのようなモデルになるのだろうか、と想像しながら観ていた。
     最近に観た、一部が似たコンセプトの映画『名探偵ピカチュウ』と比べると、写実性よりも漫画っぽさに重きを置いた仕上がりだったが、これは単純に映画そのもののコンセプトの違いによるものだろう。『名探偵ピカチュウ』現実の風景にポケモンのCGを合成していたために、写実性を高めないと違和感が大きくなりすぎる。一方でドラクエ映画ほぼ全編が3DCGなので、コミカルさの比重を大きくしても問題はない

     と、モデルそのものについてはおおよそ不満はないのだが、その活かし方、使い方については少々物足りないものがあったのも事実である。

     3DCGが持つ強みのひとつとして、カメラを自在かつダイナミックに動かすことでの迫力あるアクションシーンがあるかとは思うが、ドラクエ映画はカメラワークの面で突出したところが少なかったように感じた。奇妙な言い方だが、手描きアニメで画面とその動きを作ってからそれを3DCGで再現したかのようだ、と思うことが多々あって、3DCGの強みを活かしきれていなかったという印象が拭いがたかった。
     中盤の大物であるブオーンを策に嵌めるために岩場を駆けずり回っているシーンや、終盤の魔物の群れを相手に大立ち回りを演じたシーンなど、カメラを能動的に動かした場面も皆無ではなかったので、技術的に不可能だったというわけではないのだろう。だからこそ、もう一声ほど欲しかった

     余談だが、主人公とビアンカが石化するシーンは物凄くエロかった。石化した後にゲマに頬を撫でられるところとか特に。この点については私はまったくの無条件でグッジョブを捧げたい。私の股間もコチンコチンである。


    ○お話、もとい最後のアレ

     さて、次にストーリー面について語りたい……ところだが、何度も言っているように私はドラクエ本編のストーリーラインを知らない。よって、ドラクエ映画はどれくらい再現できているのか、はたまたどれくらい乖離しているのかについてはほとんど語れない。やや駆け足だが説明不足なところはそれほどなかった、という程度だろうか。
     よって本稿で主に語るのは、最も物議をかもしているであろう最終盤、例の黒幕が登場してドラクエ映画のタネ明かしをする一連のシーンとなる
     すなわち、そこまで映画で描かれていたのは、ドラクエの世界を再現したVRゲーム内でのお話だったのだ、と。

     さて、ここで本稿の冒頭で明記した、面白さの定義を踏まえた上で、問おう。
    「ドラクエ映画は、面白かったのか?」

     答えは明確、「間違いなく面白かった」となる。
     なぜなら、面白さの本質とはすなわち「予想外の出来事が起こること」にあるからだ。

     予備知識なしに臨んだ観客の大部分は、ドラクエ映画を「ドラクエの原作ゲームを一本の映画に再編集したもの」という前提で観ていたことだろう。能動的にそう予想していたというよりも、暗黙の了解でそう捉えていたと言った方が正確だろうし、一度ネタばらしを受けた後だとそれを示唆するような描写が散見されることに気づけたりもするが、いずれにせよVRゲームのプレイ風景だと初見で当たりを付けるのは相当に難しい。
     だからこそ、件のドラクエ映画の展開は面白い、と断言できるのだ。

    「ドラクエ映画の最終盤のどんでん返しは面白い」。これを大前提に置いた上で、しかし、私はこう続ける。
    「その面白さは、観客の大部分が好ましいと思うものではなかった」と。

     繰り返しとなるが、面白さの本質とは「予想外の出来事が起こること」にある。言い換えるなら、面白い作品とは受け手(観客や読者など)の予想を裏切らなければならないことになる。では、すべての受け手は、自分の予想が裏切られることを前提に作品を鑑賞するのか? 言うまでもなく答えはである。受け手はしばしば、鑑賞する作品が自分の想定した通りであることを望む。言い換えるなら、予想外の出来事がほとんどない、すなわち詰まらない作品にも、一定以上の需要があるのだ。

     昨今しばしば話題になる例として「女性同士の同性愛を描いた作品で、その同性カップルに男性が介入する」というシチュエーションがある。いわゆる百合に挟まる男というもので、「女性同士の恋愛模様を期待していたのに、そこに男が入ってくるだなんて裏切られたみたいだ」と蛇蝎のごとく嫌う者も少なくないが、これも「面白いが、好ましくはない」の一例と言える。
     ドラクエ映画もこれと同様の構造にある。観客の大部分はきっと、自分にとって馴染みあるドラクエの物語がそっくりそのままスクリーン上で再現・上映されるものと期待(予想)して臨んだことだろう。それを最後の約十分間で盛大にひっくり返されたのだから、「こんなのは俺が求めていたものじゃない」という拒絶反応が出てくるのは、まったくもって自然なことと言える。

     念のために強調しておくが、これは制作側のメッセージや作品の作り方に誤りがあったということが言いたいわけではない。内心および表現の自由を支持する立場にある以上、「こんな作品を作るのは間違っているし、作ろうという考えを持つこと自体がおかしい」という趣旨の発言は、私にはできない。
     それを踏まえた上で、観客の大部分が求めていたであろうドラクエ映画の在り方とは?
     端的に言ってしまえば「徹底して詰まらない作品」となる。

     詰まらないとはつまり、面白くないということである。
     そして面白くないということは、受け手の予想がほぼ全て的中するということである。
     もう少し平たく言おう。ドラクエ映画は、徹頭徹尾、“原作再現”と“あるあるネタの再現”に専念する作り方であれば、少なくとも不満が噴出するようなことはなかったのではないだろうか。

     原作ゲームでの表現を、それに馴染み深い人でさえも舌を巻くほど忠実に3DCGの世界として再構成したり。原作ゲームの経験者ならば誰もが通った道をなぞることで観客を懐古的な気分にさせたり。いずれも既知である以上、意外性(=面白さ)には欠けるが、その描写それ自体に魅力があるのでまったく問題にならない。先述したドラクエ映画最終盤の「面白いが、好ましくない」とは正反対の、「詰まらないが、好ましい」表現だ。観客の大部分はこちらをこそ望んでいて、だからこそ現実のドラクエ映画を観て裏切られたような気分になったのだろう。

     あるいは、「原作再現に徹しすぎるあまり、原作ゲーム経験者すらも『こんなところまでは流石に再現できないだろう』と高を括っていたような要素まで忠実に作り込んでしまった」という形での面白さなら歓迎されていたかもしれない。これと似たような事例は、映画『Fate/stay night[Heaven's Feel] Ⅰ.presage flower』にて確認できる。

     本作の見所のひとつとしてランサーとアサシンの熾烈な戦闘シーンが挙げられるが、そのクライマックスとなるアサシンの宝具発動シーンにおいて、原作ゲームに出てきたイベントCGのポーズが数秒だけ再現された。アサシンが右腕の包帯を解き放ち、魔神の腕を頭上に構えた、あのポーズだ。


     厳密なことを言うと、このCGは原作ゲームではもう少し後のシーンで出てきたものなので、完全に忠実な再現というわけではない。だが「アサシンの宝具が最初に披露される場面で描かれた」という点では原作に則っていると言える。いずれにせよ、目まぐるしく動く壮絶な戦いに決着が付かんとする緊迫の場面で、古参プレイヤーには馴染みのあるポーズが出てきたことは「予想外であり」、かつ「好ましく感じる」カットだったのだ。

     もう少しだけ踏み込んだことを言うと、このランサー対アサシンの戦闘シーン自体が面白い(=予想外な)のである。少なくとも私が遊んだ、大元となる18禁PCゲーム版では、この戦闘シーンは一切描写されていない。両者は戦ったのだろう、という示唆あるいは状況証拠くらいはあったが、戦闘の模様が仔細に描かれていたわけではなかった。それがスクリーンで表現された時点で、一連のシーンそのものが面白さを持つに至っていた
     そしてそんな大立ち回りの締めに、一瞬だけ、原作で見られたCGのポーズが出てきた。ここにも面白さがある。その直前までいくつもの新鮮な(つまりは馴染みのない)描写が続いた中に、見覚えのある印象的な一枚絵が再現された「ここまで未知の展開が続いた、さて次はどんな未知が飛び出す?」という観客の予想を、製作側は「未知が続くと思った? 残念! 皆さんご存じのあの決めポーズをどうぞ!」と裏切ってみせた。

     件の戦闘シーンは同映画における見所のひとつだが、その魅力は迫力ある戦闘描写だけでなく、幾重にも組み込まれた面白さとその加減にもあるのだ。

    ○締め

     案の定というかなんというか、ドラクエ映画についての記事にも拘らずドラクエそのものの話題がほとんど出ないまま終わりを迎えてしまった。無理矢理にでも教訓めいたものを抽出するとしたら――私にとってドラクエ映画は「大多数の観客にとって好ましくない面白さとは一体どういうものか」について改めて確認するいい機会となった……といったところになるだろうか? 映画の制作側が想定していない客層の人間が観ても、良い意味でも悪い意味でもあまり刺さらないということか。
     数千の文字数を費やして導き出されたのが、「面白い/面白くないことと、好ましい/好ましくないことはそれぞれ独立している」という自明に過ぎてそれこそ面白味のない結論であるところにはややの脱力感もあるものの、まったくの無駄ではなかった。「好まれない面白さの具体例」の知識は何かと使いようがある……それを避けるにしても、わざと使うにしても。と、どうにもとりとめがなくて尻すぼみな記事となってしまったがこのあたりでひとまず筆を置くこととしよう。