チェス怪人とメガンテでしかドラクエを知らないへその人、ドラクエ映画を観るの巻
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チェス怪人とメガンテでしかドラクエを知らないへその人、ドラクエ映画を観るの巻

2019-08-14 23:34
  • 27

○序文
 先日、私は超有名なRPGである『ドラゴンクエスト』シリーズ(以下、ドラクエと表記)を原作とする3DCG映画『DRAGON QUEST YOUR STORY』(以下、ドラクエ映画と表記)を鑑賞した。

 以下に記すのはその映画を観ての所感となるが、その前にいくつか明記しておかなければならないことがある。
 第一に、記事タイトルから察せられる人も多いかと思われるが、私はドラクエにはまったく詳しくない1ミリも知らない、と表現してもいいほどだ。タイトルにある「チェス怪人」「メガンテ」が、私の持つドラクエ知識のほぼ全てとなる。

 「チェス怪人」は確か、兄の所有していたドラクエの漫画版か何かに出てきた敵幹部だったと記憶している。クイーンをモチーフにした怪人が、主人公の仲間と思しい女格闘家と戦っていた。チェス怪人のあまりの素早さに追い詰められた女格闘家が、自分の防具をわざと破壊し、その破片で怪人を迎撃した――素早さが仇となって破片を避けられない――という場面があったはずだ。詳しい人なら「それ、この漫画のこのシーンやで」と特定できるのではなかろうか。
 そして「メガンテ」は、Nintendo64の名作FPS『007 ゴールデンアイ』の対戦モードで、兄が好んで使った自爆戦法で知った。至近距離でロケットランチャーをぶっ放して自分もろとも相手(つまりは私)を殺す外道戦法である。兄は背丈の小さいオッドジョブが持ちキャラだったので迎撃も難しく、私の操るムーンレイカーは何人も爆殺されるハメになったものだ。

 ……ドラクエと関係ない話が続いたが、つまり筆者はそれくらい、ドラクエと縁のない人間だということである。ちなみにRPGというジャンルそのものはそれなりに遊んだことがある。『ファイナルファンタジー』『聖剣伝説』『スターオーシャン』『テイルズオブ』『キングダムハーツ』など、遊んだ作品は両手の指では少し余るくらいにはある……どちらかといえばアクションRPGの方が多いが。その中でドラクエシリーズだけが一切入っていない理由は、実のところ自分でも判然としない。ドラクエ絡みでトラウマになるほど嫌な出来事があったわけでもない。単に縁がなかった、という表現が最も合う。

 そして、斯様に私がドラクエと縁がない人間だったからこそ、私はドラクエ映画を観ようと思い立った。映画が公開されてからしばらく経ち、方々の感想も賛否いずれも目にした。否の方が圧倒的に多いが、ドラクエ映画への否定的見解のほとんどは、ドラクエに対する思い入れが深いからこそ出ていたように見える。であれば、ゲームをそれなりに遊んできている一方でドラクエだけはノータッチだった私が同じ映画を観たならば、どんな所感を抱くに至るのか? そのような実験をしてみたくなった。

 そして第二に明記しておかなければならないのは「面白さ」という語の用法である。
 本稿での「面白さ」という語の意味は、鳥山仁氏(同じ苗字なので紛らわしいが、ドラクエのキャラクターデザインで有名な鳥山明氏とは関係ない)の著作『純粋娯楽創作理論』での定義、すなわち「人間の“予測能力”を逆手にとった錯覚、あるいはトリック」(引用)にのみ従う。もう少し噛み砕いた表現を同書から引用すると、「予想していなかった=予想外の出来事が起こることが面白さの本質」という前提のもとでのみ、面白さという語を用いる。他の意味で使うことは一切ない。つまり、「面白い/面白くない」ということ「好ましい/好ましくない」ということ別個の概念として扱われることになる。「面白さの定義は人それぞれ」という見解とはまったく相反するので、これを信じて疑わないでいる人は受け入れがたい部分もあるかもしれないことを、予め明記しておく。
 筆者個人の見解としては、「面白さの定義は人それぞれ」は破綻していないと考える方が遙かに困難な考え方なのだが、これ以上は本稿の本旨から外れるので詳述はしない。また機会があれば改めて筆を執るとしよう。


○ビジュアル面

 まずはビジュアル面から、ドラクエ映画について語ってみよう。
 ドラクエ映画は、冒頭に数分ほど挿入される原作ゲーム映像(少なくとも素人の目には、原作ゲームの映像だろうと推察されるもの)を除くほぼ全編を通じて3DCGで描画されている。
 3DCGモデルの質感や動きは、素人目にではあるが、見事だったと感じた。原作のキャラクターデザインを務めた鳥山明氏のコミカルな作風と、毛髪や鱗や金属などの写実的な質感という、一見相性の良くなさそうな要素を綺麗に両立させられていた。髪は漫画的表現をなぞりつつも毛の一本一本がきちんと風に揺れていたし、間の抜けた顔のスライムも内部の気泡や光で照らされた時の煌めき方で動く軟体っぽさが存分に表現されていた。もしかしたら昨今の映画界隈ではこれくらいが標準なのかもしれないが、そうだとしたら技術の進歩とはまったく恐ろしいものである。私に馴染みのある作品だと『聖剣伝説』シリーズが比較的近い作風になるが、もし聖剣伝説が映画化されたとしたらこのようなモデルになるのだろうか、と想像しながら観ていた。
 最近に観た、一部が似たコンセプトの映画『名探偵ピカチュウ』と比べると、写実性よりも漫画っぽさに重きを置いた仕上がりだったが、これは単純に映画そのもののコンセプトの違いによるものだろう。『名探偵ピカチュウ』現実の風景にポケモンのCGを合成していたために、写実性を高めないと違和感が大きくなりすぎる。一方でドラクエ映画ほぼ全編が3DCGなので、コミカルさの比重を大きくしても問題はない

 と、モデルそのものについてはおおよそ不満はないのだが、その活かし方、使い方については少々物足りないものがあったのも事実である。

 3DCGが持つ強みのひとつとして、カメラを自在かつダイナミックに動かすことでの迫力あるアクションシーンがあるかとは思うが、ドラクエ映画はカメラワークの面で突出したところが少なかったように感じた。奇妙な言い方だが、手描きアニメで画面とその動きを作ってからそれを3DCGで再現したかのようだ、と思うことが多々あって、3DCGの強みを活かしきれていなかったという印象が拭いがたかった。
 中盤の大物であるブオーンを策に嵌めるために岩場を駆けずり回っているシーンや、終盤の魔物の群れを相手に大立ち回りを演じたシーンなど、カメラを能動的に動かした場面も皆無ではなかったので、技術的に不可能だったというわけではないのだろう。だからこそ、もう一声ほど欲しかった

 余談だが、主人公とビアンカが石化するシーンは物凄くエロかった。石化した後にゲマに頬を撫でられるところとか特に。この点については私はまったくの無条件でグッジョブを捧げたい。私の股間もコチンコチンである。


○お話、もとい最後のアレ

 さて、次にストーリー面について語りたい……ところだが、何度も言っているように私はドラクエ本編のストーリーラインを知らない。よって、ドラクエ映画はどれくらい再現できているのか、はたまたどれくらい乖離しているのかについてはほとんど語れない。やや駆け足だが説明不足なところはそれほどなかった、という程度だろうか。
 よって本稿で主に語るのは、最も物議をかもしているであろう最終盤、例の黒幕が登場してドラクエ映画のタネ明かしをする一連のシーンとなる
 すなわち、そこまで映画で描かれていたのは、ドラクエの世界を再現したVRゲーム内でのお話だったのだ、と。

 さて、ここで本稿の冒頭で明記した、面白さの定義を踏まえた上で、問おう。
「ドラクエ映画は、面白かったのか?」

 答えは明確、「間違いなく面白かった」となる。
 なぜなら、面白さの本質とはすなわち「予想外の出来事が起こること」にあるからだ。

 予備知識なしに臨んだ観客の大部分は、ドラクエ映画を「ドラクエの原作ゲームを一本の映画に再編集したもの」という前提で観ていたことだろう。能動的にそう予想していたというよりも、暗黙の了解でそう捉えていたと言った方が正確だろうし、一度ネタばらしを受けた後だとそれを示唆するような描写が散見されることに気づけたりもするが、いずれにせよVRゲームのプレイ風景だと初見で当たりを付けるのは相当に難しい。
 だからこそ、件のドラクエ映画の展開は面白い、と断言できるのだ。

「ドラクエ映画の最終盤のどんでん返しは面白い」。これを大前提に置いた上で、しかし、私はこう続ける。
「その面白さは、観客の大部分が好ましいと思うものではなかった」と。

 繰り返しとなるが、面白さの本質とは「予想外の出来事が起こること」にある。言い換えるなら、面白い作品とは受け手(観客や読者など)の予想を裏切らなければならないことになる。では、すべての受け手は、自分の予想が裏切られることを前提に作品を鑑賞するのか? 言うまでもなく答えはである。受け手はしばしば、鑑賞する作品が自分の想定した通りであることを望む。言い換えるなら、予想外の出来事がほとんどない、すなわち詰まらない作品にも、一定以上の需要があるのだ。

 昨今しばしば話題になる例として「女性同士の同性愛を描いた作品で、その同性カップルに男性が介入する」というシチュエーションがある。いわゆる百合に挟まる男というもので、「女性同士の恋愛模様を期待していたのに、そこに男が入ってくるだなんて裏切られたみたいだ」と蛇蝎のごとく嫌う者も少なくないが、これも「面白いが、好ましくはない」の一例と言える。
 ドラクエ映画もこれと同様の構造にある。観客の大部分はきっと、自分にとって馴染みあるドラクエの物語がそっくりそのままスクリーン上で再現・上映されるものと期待(予想)して臨んだことだろう。それを最後の約十分間で盛大にひっくり返されたのだから、「こんなのは俺が求めていたものじゃない」という拒絶反応が出てくるのは、まったくもって自然なことと言える。

 念のために強調しておくが、これは制作側のメッセージや作品の作り方に誤りがあったということが言いたいわけではない。内心および表現の自由を支持する立場にある以上、「こんな作品を作るのは間違っているし、作ろうという考えを持つこと自体がおかしい」という趣旨の発言は、私にはできない。
 それを踏まえた上で、観客の大部分が求めていたであろうドラクエ映画の在り方とは?
 端的に言ってしまえば「徹底して詰まらない作品」となる。

 詰まらないとはつまり、面白くないということである。
 そして面白くないということは、受け手の予想がほぼ全て的中するということである。
 もう少し平たく言おう。ドラクエ映画は、徹頭徹尾、“原作再現”と“あるあるネタの再現”に専念する作り方であれば、少なくとも不満が噴出するようなことはなかったのではないだろうか。

 原作ゲームでの表現を、それに馴染み深い人でさえも舌を巻くほど忠実に3DCGの世界として再構成したり。原作ゲームの経験者ならば誰もが通った道をなぞることで観客を懐古的な気分にさせたり。いずれも既知である以上、意外性(=面白さ)には欠けるが、その描写それ自体に魅力があるのでまったく問題にならない。先述したドラクエ映画最終盤の「面白いが、好ましくない」とは正反対の、「詰まらないが、好ましい」表現だ。観客の大部分はこちらをこそ望んでいて、だからこそ現実のドラクエ映画を観て裏切られたような気分になったのだろう。

 あるいは、「原作再現に徹しすぎるあまり、原作ゲーム経験者すらも『こんなところまでは流石に再現できないだろう』と高を括っていたような要素まで忠実に作り込んでしまった」という形での面白さなら歓迎されていたかもしれない。これと似たような事例は、映画『Fate/stay night[Heaven's Feel] Ⅰ.presage flower』にて確認できる。

 本作の見所のひとつとしてランサーとアサシンの熾烈な戦闘シーンが挙げられるが、そのクライマックスとなるアサシンの宝具発動シーンにおいて、原作ゲームに出てきたイベントCGのポーズが数秒だけ再現された。アサシンが右腕の包帯を解き放ち、魔神の腕を頭上に構えた、あのポーズだ。


 厳密なことを言うと、このCGは原作ゲームではもう少し後のシーンで出てきたものなので、完全に忠実な再現というわけではない。だが「アサシンの宝具が最初に披露される場面で描かれた」という点では原作に則っていると言える。いずれにせよ、目まぐるしく動く壮絶な戦いに決着が付かんとする緊迫の場面で、古参プレイヤーには馴染みのあるポーズが出てきたことは「予想外であり」、かつ「好ましく感じる」カットだったのだ。

 もう少しだけ踏み込んだことを言うと、このランサー対アサシンの戦闘シーン自体が面白い(=予想外な)のである。少なくとも私が遊んだ、大元となる18禁PCゲーム版では、この戦闘シーンは一切描写されていない。両者は戦ったのだろう、という示唆あるいは状況証拠くらいはあったが、戦闘の模様が仔細に描かれていたわけではなかった。それがスクリーンで表現された時点で、一連のシーンそのものが面白さを持つに至っていた
 そしてそんな大立ち回りの締めに、一瞬だけ、原作で見られたCGのポーズが出てきた。ここにも面白さがある。その直前までいくつもの新鮮な(つまりは馴染みのない)描写が続いた中に、見覚えのある印象的な一枚絵が再現された「ここまで未知の展開が続いた、さて次はどんな未知が飛び出す?」という観客の予想を、製作側は「未知が続くと思った? 残念! 皆さんご存じのあの決めポーズをどうぞ!」と裏切ってみせた。

 件の戦闘シーンは同映画における見所のひとつだが、その魅力は迫力ある戦闘描写だけでなく、幾重にも組み込まれた面白さとその加減にもあるのだ。

○締め

 案の定というかなんというか、ドラクエ映画についての記事にも拘らずドラクエそのものの話題がほとんど出ないまま終わりを迎えてしまった。無理矢理にでも教訓めいたものを抽出するとしたら――私にとってドラクエ映画は「大多数の観客にとって好ましくない面白さとは一体どういうものか」について改めて確認するいい機会となった……といったところになるだろうか? 映画の制作側が想定していない客層の人間が観ても、良い意味でも悪い意味でもあまり刺さらないということか。
 数千の文字数を費やして導き出されたのが、「面白い/面白くないことと、好ましい/好ましくないことはそれぞれ独立している」という自明に過ぎてそれこそ面白味のない結論であるところにはややの脱力感もあるものの、まったくの無駄ではなかった。「好まれない面白さの具体例」の知識は何かと使いようがある……それを避けるにしても、わざと使うにしても。と、どうにもとりとめがなくて尻すぼみな記事となってしまったがこのあたりでひとまず筆を置くこととしよう。



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他17件のコメントを表示
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アニメの会社にガソリン撒いて放火したり試乗車盗んで全国煽り運転の旅する人がいたり
予想外のことが起きるから現実は面白いw
6ヶ月前
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世の中には「運命に屈しろ」って言うだけで大絶賛されるアニメがあるからね。真似したくなるのは当然
6ヶ月前
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>>19
>「運命に屈しろ」って言うだけで大絶賛されるアニメ
気になった。タイトル教えてほしい。
6ヶ月前
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既に似たような事が言われてるけど、この記事に置ける面白さ・詰まらなさの定義に納得も共感もできないので、読んでいて違和感が凄かった。
6ヶ月前
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素人の書くネット小説とかで無駄にひねって面白くなくなる小説ってたまにある。素直に進めてれば面白かったのに…と惜しい気持ちになるものも少なくない。とりあえず、「面白さ=予想外」は違うと思う。
6ヶ月前
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>13, 14, 15
あたりの人にほぼ同意。
で、「面白い」を一意に定義づけるのは人類には無理じゃないかな。手始めに「面白い」を辞書で引いてみるといい。

「面白い」≠「好ましい」という考え方は面白かったし、ためになったよ。
6ヶ月前
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とりあえず、四次元殺法コンビの名言おいときますね
 良い子の諸君!
 よく頭のおかしいライターやクリエイター気取りのバカが
 「誰もやらなかった事に挑戦する」とほざくが
 大抵それは「先人が思いついたけどあえてやらなかった」ことだ。
 王道が何故面白いか理解できない人間に面白い話は作れないぞ!
6ヶ月前
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むしろチェス怪人って何でしょうか?ドラクエ7まではガッツリやってきたけど知らん
6ヶ月前
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ダイの大冒険に出てきたヤツ…?>チェス怪人
6ヶ月前
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この記者が言ってる定義ってのは唯の屁理屈だ。
この「定義」に則って言えばつまらない作品ほど「面白い」って事になる。
これはないわ~ってレベルのつまらんオチをつければ名作ってか?

ついでに「面白い」例に挙げてるFateのシーンの「意外性」が心底理解できん。
俺も原作やったけどなにか予想外の要素あるか?
唯のファンサービスであって要素としては極ありふれたモノにしか思えんのだが。
6ヶ月前
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