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2009年夏、ニコニコ動画には一年越しのオリンピックがやってきた。
いっしょにトレーニングなんかしてる場合じゃなかったのだ。ふぅ…
※当時からコラ動画がありました。何気に強いですね…
既存素材だけでなく、前回も出てきた「ハンマー状態」はブーム最盛期を迎える。
今や当たり前となった"静止画を反転させることで音の動きを表現する"技法こそ、このブームによって牽引されたといっても過言ではない。何気ないいち流行に見えるかもしれないが、重ねて音MAD界隈は"セリフメイン"から"ピッチシフト"重視に大きく舵を切ることになる。
そう、ハンマー状態は途切れるまで終わらないのだ。
実写系素材全盛だった中のハンマーブームは、マイナー素材やこれまでなかった素材開拓へのフロンティアスピリットを植え付けた。ウ ン チ ー コ ン グもまだいないネットのゲームセンターで、音MAD作者たちがたどり着いたのはある格闘ゲーマーだった…
そう、世界的な格闘ゲーマー「梅原大吾」(とその実況者)である。
狂喜乱舞するかの如く熱狂的な実況はニコニコ黎明期から存在していたものの、09年夏に突如としてその産声を大きくあげることになる。
ウメハラはKYMにも通じる「セリフゴリ押し」の面白さを再度気づかせる良素材だった。重ねてハンマーと相まって、半分元祖「サムネ統一」ともいえる右向きウメハラがタグ初期には多く見受けられる。
エンターテイメントの重鎮だった音MADは「ゲーム」という新たなオプションを身に着け、ボカロアイマス東方の弾幕ブームに対抗していくのである…
※当時の雰囲気を感じたい人は「第10~第14回音MAD晒しイベント」あたりを検索してみよう!気持ちよくなるっス♂
~レスリングシリーズ~
ときは2009年7月14日、「兄貴生誕祭」がやってきた。
あっという間にインポテンツの天使として神格化されていたガチムチレスラー外人の皆さんは、制作者兄貴と共に野ウサギのダンスをニコニコ動画全体で繰り広げる。
また、当時レスリングコミュではおなじみの一蓮托生兄貴が24時間耐久リク生を実施。懐かしの動画から祭りを振り返る動画まで多くの動画が流された。
もちろん本編動画も忘れてはいけない。この誕生日の賑わいを「兄貴だけには渡さない…堀江?掘りましょう」と新日暮里からあの男がやってきた。
強くなりたいクレイジーゲイ、「木吉カズヤ」だ。どうも、木吉さん…
兄貴が着々と「男魂注入イベント」でイケメンを探す中、カズヤはせっせと働いていたのだ。その後ツヨシ工業はシリーズとして投稿され、「畑山ベーコン」や「クソガキさん」、後に局地的にネタにされまくる「今夜が宇梶」など名キャラが発掘された。
ちょうどその頃VAN様は「ダーク♂おくりびと」、井上カブレラはお城へ潜入、くりぃむしちゅー池田は通販会社を設立とエッチで目がビジネスマーン♂
そしてビオランテは…
バナナを食べていた。
~松岡修造~
夏こそ修造とTUBEの本番シーズン。wikiではあまり明記されていないが、レスリングの圧倒的ブームをうまく避けるかのように、修造は2009年7月末からその温度を増していく。
きっかけとしては6月に投稿された「松岡修造で天国と地獄【ハイスピードver】」を契機に大きくMADが増えていった印象が大きい。ニコレポなどそこまで発達していなかった09年でもらき☆すた時代から知名度をつけてきたまんてん氏の渾身の一作だったこともあり、修造ブームは大文字のごとく燃え上がり始めた。
そして2009年秋、松岡修造は現在につながる決定的な知名度・人気・熱気を手に入れることとなる。
~チャージマン研!~
チャー研界隈は、今まで他のジャンルになかった「ニコニコミュニティの有効活用」により、新着動画や伸びる動画をいち早くニコ生視聴者を中心に押し上げる流れが活発化した。
時を同じくして功労者いすぃ氏の「ウサウェイ」が当時のデイリーランキングに掲載され、後発する「光線射魔王死」もランクインし知名度を上げていった。
また、当時から音MAD以外の二次創作も多かったことは特徴的。2chアニメ板スレでは少々おかんむりだった古参ユーザーたちも、知名度UPという功労を背に次第にその動画たちを認め始めたのであった。
※09年初頭頃まではニコ動で弄ってほしくないという否定的な意見が見受けられた
~必須アモト酸~
エア本の歴史中期を語る上で、「ヒサモートランキング」は欠かせない存在だ。
初期から「消すと増えます」文化は存在していたものの、「SGIに削除されることこそが大勝利の証」だったエア本民によって「バップの権利で削除される」というのは完全なる爆発案件であり、ニコニコ史上最大の(1動画での)増殖事件を起こすこととなる。
そしてランキング動画における繋ぎ演出といえば今や当たり前だが、この悪たれは"1000近く増殖したHISA MOTOがひらすらループし、ランキング順位のみが上がっていく"鬼畜仕様だったのだ。よって増えます。
更に夏は祭りの季節。エア本誕生祭'09では数多くの名作が誕生し、そして消えた。
ちなみに上のヒサモン合作はparn4名義で消されている…よってエア本さんは公認してるってことじゃない!!やっぱり大☆勝☆利 もう時を越えてダブル☆オドロキですよね。
当時必須アモト酸は、「天魔運営により再生数が10分の1にされている」とよく言われました。運営への揶揄も込められていますが、それ以上に"秘めたるポテンシャルや可能性は一般視聴者を完全に無視したSGI対抗路線"だったとも言える。
下にある「池田先生が(以下略」の動画では大量の「やったぁ!」コメントが流れたことは今も記憶に新しい。
iframeタグで貼ることができない動画(非公開・管理者削除など)もあるので、紹介しきれないのが非常に悲しい。みじめ、せつない。
08年秋から09年冬頃までのエア本は、まさに音MAD界の教祖そのものでした。ランキングを牛耳る裏の支配者。聖なる(性なる)レスリングに哲学のエア本。シーモアバトルはいち動画ではなく、本当の決戦を意味していたのだとこの頃視聴者は実感することとなった。
~その他当時の人気動画~
人気動画というか、仲邑少年の好きな動画ゾーンになっているのはお察しいただきたい。
特に「M.C.ドナルド様は皆のためっ!」はドナルドファン必見の出来。当時のyamas氏に「えぇいこの作者の新作はまだか!!」と言わせた燻し銀の演出が光る名作MADだ。
ちなみに韃靼海峡はブームになりそうだったが、一瞬で過ぎ去っていったのはヒミツである。
※KYN3本目のホモビ「JAPAN EX 17 新アナル&フェラMIX」が発掘されるも、淫夢はまだ眠れる獅子を保っていた。そう、2010年の悲劇に向けて…
2009年夏、数々の祭りと共に…
君と夏の終わり
将来の夢
大きな希望 忘れない
10年後の8月
また出会えるのを 信じて
最高の 思い出を
※「secret base~君がくれたもの~」より抜粋
2009年の夏。輝いた僕らの思い出たちは、大きな花火となって打ちあがった。
黒歴史として旅だった君も、まだまだの君も、音MAD言えるかなに挑戦だ!!!!!!!
そして2009年秋、青春の文化祭は甘酸っぱい体育祭へと突入していく――
そこに突如現れたのは、1柱の神様でした。次回へつづく!!
いっしょにトレーニングなんかしてる場合じゃなかったのだ。ふぅ…
※当時からコラ動画がありました。何気に強いですね…
既存素材だけでなく、前回も出てきた「ハンマー状態」はブーム最盛期を迎える。
今や当たり前となった"静止画を反転させることで音の動きを表現する"技法こそ、このブームによって牽引されたといっても過言ではない。何気ないいち流行に見えるかもしれないが、重ねて音MAD界隈は"セリフメイン"から"ピッチシフト"重視に大きく舵を切ることになる。
そう、ハンマー状態は途切れるまで終わらないのだ。
実写系素材全盛だった中のハンマーブームは、マイナー素材やこれまでなかった素材開拓へのフロンティアスピリットを植え付けた。ウ ン チ ー コ ン グもまだいないネットのゲームセンターで、音MAD作者たちがたどり着いたのはある格闘ゲーマーだった…
そう、世界的な格闘ゲーマー「梅原大吾」(とその実況者)である。
狂喜乱舞するかの如く熱狂的な実況はニコニコ黎明期から存在していたものの、09年夏に突如としてその産声を大きくあげることになる。
ウメハラはKYMにも通じる「セリフゴリ押し」の面白さを再度気づかせる良素材だった。重ねてハンマーと相まって、半分元祖「サムネ統一」ともいえる右向きウメハラがタグ初期には多く見受けられる。
エンターテイメントの重鎮だった音MADは「ゲーム」という新たなオプションを身に着け、ボカロアイマス東方の弾幕ブームに対抗していくのである…
※当時の雰囲気を感じたい人は「第10~第14回音MAD晒しイベント」あたりを検索してみよう!気持ちよくなるっス♂
~レスリングシリーズ~
ときは2009年7月14日、「兄貴生誕祭」がやってきた。
あっという間にインポテンツの天使として神格化されていたガチムチレスラー外人の皆さんは、制作者兄貴と共に野ウサギのダンスをニコニコ動画全体で繰り広げる。
また、当時レスリングコミュではおなじみの一蓮托生兄貴が24時間耐久リク生を実施。懐かしの動画から祭りを振り返る動画まで多くの動画が流された。
もちろん本編動画も忘れてはいけない。この誕生日の賑わいを「兄貴だけには渡さない…堀江?掘りましょう」と新日暮里からあの男がやってきた。
強くなりたいクレイジーゲイ、「木吉カズヤ」だ。どうも、木吉さん…
兄貴が着々と「男魂注入イベント」でイケメンを探す中、カズヤはせっせと働いていたのだ。その後ツヨシ工業はシリーズとして投稿され、「畑山ベーコン」や「クソガキさん」、後に局地的にネタにされまくる「今夜が宇梶」など名キャラが発掘された。
ちょうどその頃VAN様は「ダーク♂おくりびと」、井上カブレラはお城へ潜入、くりぃむしちゅー池田は通販会社を設立とエッチで目がビジネスマーン♂
そしてビオランテは…
バナナを食べていた。
~松岡修造~
2008年6月29日 修造が評価され始めたのに気づいた「【松岡修造】ニコニコユーザーへ向けて応援メッセージ【熱血】」の投稿者が「【熱血】ニコニコユーザーへ向けて応援メッセージ2【松岡修造】」を投稿する。これによりお米ネタやウィンブルドンステップを始めとした良質な素材が増える。
2008年7月28日 「松岡修造CM集」が初めて投稿され、素材として使われ始める。以降もある程度の本数が溜まるごとに続編が投下されるようになる。
2008年7月30日 2chのYouTube板に松岡修造スレが立つ。2008年9月19日ランキング入りがそれ程珍しくなくなった修造MADで「Hot knows... 【松岡修造×God knows...】」が初めて19日~20日の間、2日連続マイリスト(本日)ランキング1位を獲得。また、同時期に公式HPのコラムにアップされた動画のみを集めた「松岡修造の素材集」が19日に投稿される(これも以降シリーズ化)。この出来事からさらに修造人気は高まり、ニコニコ動画を代表する音MADの一つに数えられるようになる。
2008年9月22日~23日 「松岡動画流星群」が22日~23日の2日間、総合マイリストランキング上位3位内にランクイン。
※松岡修造wiki 「松岡修造の歴史」より抜粋
夏こそ修造とTUBEの本番シーズン。wikiではあまり明記されていないが、レスリングの圧倒的ブームをうまく避けるかのように、修造は2009年7月末からその温度を増していく。
きっかけとしては6月に投稿された「松岡修造で天国と地獄【ハイスピードver】」を契機に大きくMADが増えていった印象が大きい。ニコレポなどそこまで発達していなかった09年でもらき☆すた時代から知名度をつけてきたまんてん氏の渾身の一作だったこともあり、修造ブームは大文字のごとく燃え上がり始めた。
そして2009年秋、松岡修造は現在につながる決定的な知名度・人気・熱気を手に入れることとなる。
~チャージマン研!~
チャー研界隈は、今まで他のジャンルになかった「ニコニコミュニティの有効活用」により、新着動画や伸びる動画をいち早くニコ生視聴者を中心に押し上げる流れが活発化した。
時を同じくして功労者いすぃ氏の「ウサウェイ」が当時のデイリーランキングに掲載され、後発する「光線射魔王死」もランクインし知名度を上げていった。
また、当時から音MAD以外の二次創作も多かったことは特徴的。2chアニメ板スレでは少々おかんむりだった古参ユーザーたちも、知名度UPという功労を背に次第にその動画たちを認め始めたのであった。
※09年初頭頃まではニコ動で弄ってほしくないという否定的な意見が見受けられた
~必須アモト酸~
2009年7月1日 ついにあのMADが完成したため、7月初頭大量増殖事件が勃発。犬作完成、御本尊大量虐殺計画(C大戦)を超すHISA MOTEをはじめとする700以上の動画が増殖した。大勝利!更に聖誕祭直前にも関わらず、sm7505325が再生2、コメント0、マイリスト448という数字を叩き出し、毎時一位を獲得する(またもや大勝利)。
2009年7月3日 突如復活した頭がパンの助が、ヒサモート増殖祭に便乗しヒサモートランキングが製作される。
2009年7月5日 パーンwikiの投票で、有名作者がいないという理由で完成品を見る前から駄作と決めつけ流星群中止を望み、わずかな時間を見つけては「中止すべき」に投票を続けた一部の見る専の努力が実り、合作(流星群)が破門(中止)される。様々な遺恨を残したが、スレ住人などは合作(ヒサモン)への期待が大きかったために、それほど気にはしなかったようだ。一部の製作者には不憫でしょうがないと声小申的な意見もあった。
2009年7月9日 下方ブレーンストーミングらの生放送・丑虎勤行とともにエア本誕生祭'09が開催される。提出の遅延が懸念されていたヒサモン合作は無事にアップされ、素材の豊富さ、ゲストの多さ、クンツォリティの高さで初心者を悶絶させた。合作発表に伴い、ランキング対応の不自然さ、携帯からアクセスできない(携帯会社からP献金を受けているからと声小申上)といった運営の陰険陰湿な妨害活動が露骨に表れた。
2009年7月21日 衆院ルネッサンス(=解散)とともに、皆仲良く久本雅美で自慰活動を行う0721祭'09が勢いよく開催される。溜まりに溜まった大量の動画がこの日、一気に放出された。ウッ!聖誕祭に次いで、運営への不満も溜まりに溜まった。こんなランキングありえね~。
2009年7月25日 犬作が完成(=死んだ)との情報が流れる。真偽が確認できず情報が錯綜する中、シ也田犬イ乍死にましたが毎時一位を獲得する。やったぁ!2009年7月26日結局デマでした。誰がデマを流していいって言ったんだYO!2009年7月29日陰険陰湿なマッチポンプ先生の工作により暴徒と化したエア本スレ住民と工作員の一部がキリ番(sm7777777)を取ったたぅ先生の動画を荒らす。う~ん戀塚さんのご指導だ
2009年8月2日 エア本動画12時間ぶっ通し生工作祭りが突如行われる。順調に毎時ランキング1位を獲得していくも、途中から運営による妨害で、毎時ランキングにすら載らなくなる。ありえね~!
2009年8月8日 オチョ祭り'09が開催される。今夜は☆オチョオチョ。今回も毎時ランキングが運営によって操作された。ランキング操作で一般人の目に触れないようにするなんて泥縄作戦じゃねえかYO!ちゃんと名前出して削除しろYO!
2009年8月10日 くぱぁ♪が運営の恣意的な削除ガイドラインに則って完成されました。じゃあ増殖活動できるじゃない!ちなみにこの日のニコパレでエア本さんはまたハブられました。え~実写御三家なのにどうして~。
2009年8月12日 石川の後ろのテーマがNash music libraryの寝坊した!であることが判明する。
※エア本wiki「頭がパーンの軌跡」より引用(一部抜粋)。
エア本の歴史中期を語る上で、「ヒサモートランキング」は欠かせない存在だ。
初期から「消すと増えます」文化は存在していたものの、「SGIに削除されることこそが大勝利の証」だったエア本民によって「バップの権利で削除される」というのは完全なる爆発案件であり、ニコニコ史上最大の(1動画での)増殖事件を起こすこととなる。
そしてランキング動画における繋ぎ演出といえば今や当たり前だが、この悪たれは"1000近く増殖したHISA MOTOがひらすらループし、ランキング順位のみが上がっていく"鬼畜仕様だったのだ。よって増えます。
更に夏は祭りの季節。エア本誕生祭'09では数多くの名作が誕生し、そして消えた。
ちなみに上のヒサモン合作はparn4名義で消されている…よってエア本さんは公認してるってことじゃない!!やっぱり大☆勝☆利 もう時を越えてダブル☆オドロキですよね。
当時必須アモト酸は、「天魔運営により再生数が10分の1にされている」とよく言われました。運営への揶揄も込められていますが、それ以上に"秘めたるポテンシャルや可能性は一般視聴者を完全に無視したSGI対抗路線"だったとも言える。
下にある「池田先生が(以下略」の動画では大量の「やったぁ!」コメントが流れたことは今も記憶に新しい。
iframeタグで貼ることができない動画(非公開・管理者削除など)もあるので、紹介しきれないのが非常に悲しい。みじめ、せつない。
08年秋から09年冬頃までのエア本は、まさに音MAD界の教祖そのものでした。ランキングを牛耳る裏の支配者。聖なる(性なる)レスリングに哲学のエア本。シーモアバトルはいち動画ではなく、本当の決戦を意味していたのだとこの頃視聴者は実感することとなった。
~その他当時の人気動画~
人気動画というか、仲邑少年の好きな動画ゾーンになっているのはお察しいただきたい。
特に「M.C.ドナルド様は皆のためっ!」はドナルドファン必見の出来。当時のyamas氏に「えぇいこの作者の新作はまだか!!」と言わせた燻し銀の演出が光る名作MADだ。
ちなみに韃靼海峡はブームになりそうだったが、一瞬で過ぎ去っていったのはヒミツである。
※KYN3本目のホモビ「JAPAN EX 17 新アナル&フェラMIX」が発掘されるも、淫夢はまだ眠れる獅子を保っていた。そう、2010年の悲劇に向けて…
2009年夏、数々の祭りと共に…
君と夏の終わり
将来の夢
大きな希望 忘れない
10年後の8月
また出会えるのを 信じて
最高の 思い出を
※「secret base~君がくれたもの~」より抜粋
2009年の夏。輝いた僕らの思い出たちは、大きな花火となって打ちあがった。
黒歴史として旅だった君も、まだまだの君も、音MAD言えるかなに挑戦だ!!!!!!!
そして2009年秋、青春の文化祭は甘酸っぱい体育祭へと突入していく――
そこに突如現れたのは、1柱の神様でした。次回へつづく!!
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