• チャンネル桜 アフリカでの紛争が日本の安全保障に及ぼす影響[桜H25/11/12]

    2013-11-16 10:56
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  • 見捨てられたニューギニア本島の日本陸軍

    2013-11-13 17:21

    丸谷元人著「日本の南洋戦略」(ハート出版)より


    昭和17年夏頃の段階では、開戦後の日本が破竹の勢いで攻略した地域のほとんどで、戦闘は一段落していた。


    アッツ島の戦いなど一部を除けば、昭和19年6月のサイパンの戦いまでの約2年間、ほとんどの戦域は比較的平穏だった。


    しかし、南太平洋(ソロモン・ニューギニア)に送られた部隊だけは違った。


    ここだけは、ずっと戦い続けていたのだ。


    南方での戦いなど想定外だった陸軍は、熱帯仕様の装備を欠いたまま、あのポートモレスビー作戦からガダルカナル作戦を戦うはめになっていた。


    そんな陸軍は、この地域で「第18(安達二十三中将指揮)」を編成し、情勢に流されるまま、その後もニューギニア各地で死闘を演じることとなった。


    一方、海軍では、航空隊がラバウル、ラエ、ブーゲンビルを基点とし、連日、優勢な連合軍航空隊に頑強に抵抗、この陸と空での抵抗は、連合軍をかなり苦しめ、その侵攻を一手に食い止め続けていた。


    にもかかわらず、その間、海軍主力の「連合艦隊」が救援のためにこの戦場に現れることは、ついになかったのである。


    その海軍司令部は、昭和19年2亜gつ、実に奇怪な決定を下す。


    それまで米豪軍航空部隊と互角に戦っていたラバウルの航空隊を、突然トラックに移してしまったのだ。


    おかげであれだけの「素晴らしい仕事」をしていたラバウルの航空隊は、突然に敵前から「消滅」し、直後にマッカーサー指揮の連合軍は一気にマヌス島まで抜けて行くことになる。


    ここから、ニューギニア本島の陸軍は完全に「干上がって」いき、事実上、見捨てられてしまった。


    田中宏己防大名誉教授によると、ニューギニア戦の転機となった昭和18年の「フィンシハーフェンの戦い」では、米軍はラバウル航空隊を恐れるあまり、上陸は絶対に夜間に実施するとして、豪州軍と深刻な対立さえ演じているのだ。


    それほど敵に恐怖を与えていたラバウル航空隊の役割を、全く理解していなかった海軍司令部の思考経路は、いまだに「謎」であるが、マッカーサーの司令部も、本当にラバウル航空隊が目の前から消えてしまったので、何かの罠ではないかと疑い、ラバウル周辺の偵察飛行を何度も実施している。


    海軍がマッカーサーにその背後を全て「無償で」明け渡した結果、ニューギニア本島の陸軍は敗戦まで、補給や救援をほとんど受けることなく、地獄のような環境で飢餓と病魔、そして敵の執拗な迫撃戦闘を受け続けることになったのだ。


    しかし、ニューギニアの第18軍は決してあきらめなかった。


    そしてニューギニアの原住民もまた、食料の生産と供給や、日本の傷病兵の介護、物資の輸送などで日本陸軍を支援し続け、多くの原住民が日本のために命を落とした。


    もし、この第18軍の「死闘」と、現地人の「支援」がなければ、日本はもっと早く敗北していたに違いない。


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  • 大東亜戦争の激戦地「死んでも帰れぬニューギニア」

    2013-11-13 17:18

    丸谷元人著「日本の南洋戦略」(ハート出版)より



    パプアニューギニアは、極めて親日的な国である。

    不幸なことに、その最初の関わりは「戦争」であった。

    ここは、大東亜戦争で「最も過酷な戦域」と言われたニューギニア戦線の主戦場である。

    東部ニューギニアだけでも16万の将兵が戦死しているが、その環境がどのくらい過酷であったかといえば、当時の日本兵が、「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と恐れたほどだったと言えば、だいたいお判りいただけるかと思う。

    その「歴史」を知らない限り、日本人としてパプアニューギニアを本当に理解することにはならない。

    このニューギニア戦線では、陸軍の損害が非常に大きかったが、実は陸軍は、南太平洋で戦争をする気は全くなかった。

    この地域での作戦が必要だと考えたのは海軍であり、ニューギニア・ソロモン戦線の戦いは、海軍が最初に始めたものの、途中で気がつけば陸軍の戦場に「すり替わっていた」というのが実情である。

    海軍の作戦と編成を担当するのは、「軍司部第一部第一課」であるが、戦前、そこの課長だったのは富岡定俊である。

    富岡は海軍大学校を首席で卒業し、終戦直後、ミズーリ号での降伏調印式にも出席した人物だが、開戦前の段階で、「対米戦争を行えば、連合軍は必ず豪州本土から反抗してくる、だからグアム、ラバウルと進出し、そこからポートモレスビーを攻略して、豪本土に上陸したい」と考えていたのである。

    一方、ソ連しか想定していなかった陸軍では、あの広大な太平洋の島嶼地域で戦うなど、まともに考えたことさえなかった。

    しかし、一端開戦となった以上、陸軍は行けないとも言えないから、急遽、上陸専門の精鋭「南海支隊」を編成し、海軍に付いてグアム、ラバウルと進んで行くのだが、当の海軍は、昭和
    178月にガダルカナルの戦いが始まって以降、ニューギニアとソロモンの二正面作戦ができなくなってしまった。

    つまり、陸軍を南の戦場に引きずり込んだ海軍は、その後ニューギニアの陸軍部隊への支援をほとんど行わなくなってしまった。

    そして気がつけば、ニューギニア本島は完全に陸軍の主戦場と化していたのである。

    これが「死んでも帰れぬニューギニア」の原点である。



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