• 隻狼めも

    2020-05-31 03:39

    以下はツイッターで書いたメモをまとめたものですので、ごちゃごちゃしています。
    また、未クリア、現在の進行度でのアレなので、その点はご了承ください。


     竜胤の呪いは隻狼の右頬にある白い痣から推するに白にあり、白は生みの穢れ(気枯れ)であるゆえに、他の気(肺)を枯らせるものであろうか。回生は他の血を淀ませる、つまり赤を不浄たらしめ、果ては竜咳を患った者の死をもって黒不浄をも身に纏うこととなる。そうであれば、竜胤は穢れの依代となる他ないのではなかろうか。つまり
    竜胤の御子は撫物にあり、これを流さんとする者がいるのではないか。もしくは、丈様然り、九郎様然り、不死の淀みを嫌っておいでであったようであるが、竜胤は知を与えるものであるか、その知を以て、撫物が自ら身を流すものなのであろうか。

     竜生九子と言うように、竜には九の子があると言われている。九郎様は名前から推するに末子であり、閉を好む性にある椒図にあたるのではないか。閉じるとは竜胤断ちであるか、はたまた別の何かを閉じることとなるのが宿命づけられているのではないか。また、先代の丈様が八番目の子であったのであれば煙火を好む性にある金猊にあたり、香爐に立つものである。香を纏い仙郷に到ったとのことであったが、それらから考えると竜の子それぞれに宿命があり、まだ他に竜胤がいたのかもしれないとおもうと(たぶんショタなので)色々と熱くなるものがある。やったぜ。

     また、不死の童であることから、式三番の露祓、つまり千歳(甲冑武者は千の刀を以て不死を求めていたが、関係あるのやもしれない)のようにも感じる。竜胤の御子は穢れの依代となり、その身を断つことは祓えである。式三番が終わると脇能が始まる。脇能には龍神のものも多く、もしかすると九郎様の竜胤断ちはこれに到るための舞台に他ならぬのではなかろうか。千歳といえば鶴であるが、鶴は萬歳楽とうたうというのは有名な説話である。さて、式三番で白翁は萬歳楽の舞をする。また、千歳は「嬉や水」の一節を以て舞う。嬉や水は変若水にあろうか。変若の御子の研究は変若水の研究によって完成を見たのであるとおもうが、変若水と竜に大きな関わりがあると仙峯寺は睨んでいたのではないか。
     脇能に観世信光の玉井(彦火々出見尊の龍宮話)もあるが、彦火々出見尊と豊玉媛の出会う玉井は長寿の水である。
    また、水を操る海神は陸に帰った彦火々出見尊の田を豊かにしたが、これは変若の御子様の「お米は大事」と何か関係があるのではないか。また、変若水の研究をしていたであろう道玄の遺した瓢箪は、瓢箪の種を以て水の湧き出すものであるが、海神が彦火々出見尊に渡した満潮玉はまさしくそれではなかろうか。

     一心様の仰せであった「鼠」の天敵は蛇である(米屋や酒屋含む商人の蛇への神聖視はこれもあろう)が、鼠を払えなくなっているのは、葦名を守護する蛇の力が弱っているからではなかろうか。龍(水神)と蛇は主従、もしくは、弁才天(水の神)の眷属として同一であるとする地域も多い(体が蛇、顔は人といった宇賀神も弁才天と関わりが大きいともされる)が、先に述べた竜胤の穢れにより竜の力が弱ってしまい、それが蛇に及んだか、変若水研究により水に穢れが生じ、竜や蛇の力を損なわせたものとも考えられる。
     また、枠内ではしつこく擬宝珠を見ているが、擬宝珠の由来は龍が頭の中にあるとされる如意宝珠であるともされ、これは願いを叶える玉である。水滴様の形状であり、竜胤の雫と形状が酷似している。竜胤は人の願いの権化であり、人の穢れと通ずるのではないか。

     それはそれと、仙峯寺は荘園をいかに支配しているのだろう。葦名との関係は限りなく悪いであろうし、城下への道も閉ざしている。その上、田畑もまだ見当たらない。不死を得るために食を断っているのであろうか、考えてもみれば蛇天衣の山門仁王像はえらく細かった。断食苦行は往々にして泥を塗った瓢箪に譬えられる。川に入れればはじめは沈めども、泥が落ちれば浮いてくるといったものであるが、苦行は肉を限りなく落とし、心臓にあるという黄金に輝く親指大の己(アングシュシャマートラ・プルシャ)≒純粋精神(アートマン)に近づくためのものである。仙峯寺の僧にとっては蟲と同一となり、不死を得ることはこれに近い考え方なのかもしれない。
     蟲と言えば、かつては三尸九蟲が庚申の日に人の体から抜け出て、その人の行った悪事を天帝に伝えることによって人の命は短くされるとされていた。それゆえ体から蟲が抜け出るのを防ぐために庚申の日は庚申待といって徹夜をすることも多くあったが、申(さる)の日であるので猿をまつることも多々あった。蟲の憑いた獅子猿はなんとも異様であったが、変若の御子を護る四猿(庚申待を3年に渡り続けた記念に塔を建てるが、これに三猿を彫ることは多々あった)や、エマ殿を救った(かつて飛び猿と呼ばれていた)仏師殿、亡き妻のため花を育て続ける獅子猿を並べて考えると、本作において猿は誰かを護る存在であり、獅子猿も例に漏れず妻を護ろうとするため蟲憑きとなったのではないか。

     また、何故甲冑を来た僧(甲冑武者は僧…なのか…?)がいないのだろうか。主力部隊は温存し、内府と通じ葦名を攻めるのではなかろうか。錫杖で以って攻撃してきた僧はいた(錫杖伝などは有名であるが、戦闘に用いることもある)が、武に通じた悪僧(この際の悪僧は破戒僧でなく「悪」は強いの意)がいてもおかしくない。時代からみても、あれだけの勢力を持っていることから考えても、甲冑を着た僧兵隊がいた可能性は高くおもう。仙峯寺からはらっぱ衆が送り込まれているが、内府と通じていれば死なずの甲冑僧兵隊(ロバートの父は刃の通じぬ甲冑を着ていた為、製法が伝わっているやもしれないし、不死であれば蟲憑きの本場である)などが送り込まれてくるのではないか。


    2020/05/31
    「その6」までのアレコレ。
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