『谷の底で咲く花は』は呪いと決意と祝福の歌である
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『谷の底で咲く花は』は呪いと決意と祝福の歌である

2019-05-23 07:35


    前回の記事は感情のままに書き殴ってしまったので大分乱文ですね。
    今回はちゃんと精査しましたよ。
    できてるかどうかは君の目で確かみてみろ!




    というわけで記念すべき白菊ほたるのソロ曲『谷の底で咲く花は』は、
    やはり過去と現在と未来の三点で歌われる曲だと思うのです。



    根拠としましては歌詞の最後、世界を素晴らしいと認識した後の
    嵐の夜が去った世界を思い、「わからないよ でもここで咲く」の辺り。

    率直に言えば、曲が終わった後、
    「うぉおおおお!俺が迎えにいくぞおお!うぉおおお!ほたるううううううう!」
    ってなったんですよね。
    つまり、私にはデレマスの事務所に来る前の白菊ほたるを思い出した訳ですよ。
    いや来る前に具体的にどうだったかは知らんけど。
    まぁ、端的に言えば前回の記事で言ったとおり
    「過去のほたるが憧れを抱いても自らの不幸でどうにも出来ない絶望を呪って歌う」
    という認識だったんですね。



    しかし、この歌を「デレマス事務所に来たほたるが歌う決意の歌」という認識の人も居て、
    まぁ、当然と言えば当然、なんでわざわざネガティブに捉えなあんのや。って話。

    とはいえ、やはり自分の直感は信じたい、けれど現在と捉えるのも間違いとは思えない。
    ならば、ひょっとして、更に押し進めて未来で歌う可能性も存在するのでは?
    という考えが浮かんだ訳ですね。

    では、『谷の底で咲く花は』を分解して理解しましょう。




    まず歌詞を、

    谷の底で毒の身を呪い「生まれ変わり日向で咲くの」と歌う一番。

    渡り鳥が嵐を告げ「待ちわびた瞬間なのに震えていた」と歌う二番。

    嵐の夜が明け「空を見上げ思う これが希望」と歌う三番。

    そして、世界が変わっていく中「わからないよ でもここで咲く」と歌う四番。

    に別けます。




    大体なんとなく、一番が過去であり、二番が現在、三番が未来を歌っている感じがしますが、
    そこで不思議なのが四番の立ち位置。
    これ、過去現在未来のどこでほたるが歌うかでまるで意味が変わるんですよね。


    まず、この歌を過去のほたるが歌う場合。
    大方の見方は前回の記事と変わりませんが、
    一番を主軸とし「ほたるがデレマス事務所に来る前の過去の歌」とした場合、
    一番は生まれ変わるしか活路を見いだせない絶望。(既知)
    二番は生まれ変わる為に乗り越えなければならないだろう試練への不安。(未知)
    三番は生まれ変わったとき見えるだろう景色への憧れであり儚い希望。(未知)



    そして、四番に視点が『過去』つまり「ほたるが事務所に来る前」に戻り、
    「いっそ全てを諦めて終えられれば楽になれるのに、
    どうして希望を見ているのか」と苦しみながらも、
    「毒の身のままでも、それでも私はここで咲くしかない」という憧れに縛られた呪いの歌になる。

    つらみ。

    だが、それは既に過去の話。
    現在のほたるはデレマス世界にきてアイドルになった。




    それじゃあ次は視点を現在に置いてこの歌を歌うとどうなるか。

    一番は既に為った再生への回顧。(既知)
    この辺りはデレステのストコミュが一番分かりやすいですね。
    ただ、デレステだと「これから再生するぞー!」っていう比較的前向きさのある感じですが。
    二番を主軸として歌う、つまり『現在』の“アイドル”という望んだ存在になれたはずなのに、
    実際は──あるいは思っていたとおりそこは嵐のような世界であり、
    臆して震えてしまう恐怖。(既知)
    三番は恐怖を感じつつも何時か見た憧れに手が届くという可能性を見る、か細いが確かに見える希望。(未知)



    そして四番で『現在』のほたるに戻ると、
    アイドルの世界を知り、厳しさや無情さを知ってもなお、
    やはりそれでもアイドルでありたいと願う決意の歌になるんですね。




    最後に未来です。
    『未来で歌う』ってなんや?とお思いでしょうが、
    単刀直入に言えば「アイドルを辞めた後で歌う」歌になるんです。
    その視点を持って見ると、



    一番は、不幸という毒を呪い、生まれ変わるしか無い絶望を抱いていたという事実。(既知)
    二番は、なんとかアイドルになれたものの嵐のように激しくただ翻弄されるだけだった思い出。(既知)
    三番を主軸──つまり『未来』のほたるがここを歌うと言うことは、つまり、
    「それら全ては今、私がこの素晴らしい景色を見る為にあった」という肯定。(既知)
    これが希望だとハッキリと確かに言えるようになるんです。



    そして四番。
    未来にアイドルを辞めたほたるが何を思うかというと、
    確かな希望を得て不幸な過去を肯定できるようになった彼女には
    世界が変わろうとも、
    自分が変れなくても、
    『白菊ほたる』という花《アイドル》がファンの心に強く残るか、
    それとも一時の娯楽として消費され枯れ果てようとも、
    最早関係なく、
    ただただ「でもここで咲く」と自らの将来を祝福する歌になるんです。
    少なくとも俺には笑顔でそう言ってのけるほたるの顔が見えた。




    この『未来』に考えが至ったとき、ちょっと泣いた。
    ちょっとだけだぞ!




    しかし問題はこの『未来』は「絶対に」と言えるぐらいには来ないと言い切れてしまう。
    なぜならこの『未来』は「ほたるがアイドルを辞めた」時間軸であり、
    別の言い方をすれば「ほたるが自らの不幸を肯定しきれた」瞬間であり、
    その時が公式で来るのか?という疑問。




    まぁ、ありえないんですよね。
    だって、“不幸である”事、
    それは白菊ほたるというアイドルの重要なファクターなのですから。







    そしてデレマスの世界は「アイドルを辞める」という事を許さない。




    これは同時にどんなに保有するエネルギーがすり切れようとも
    「アイドルであり続けなければならない」魔法(呪い)でもあるんですね。
    つまり『未来』が「置き去りにされ忘れ去られるだけの花」となる可能性も存在してるんです。
    むしろそっちの公算の方が高い。



    決して届かない未来に希望を抱かせるなんて残酷な世界と思うじゃん。



    でもこれはあくまでも『システム』の話。そういう『物語』ではない。
    そもそも『物語』がデレマスには存在していない。



    つまり、ガラスの靴を見つけたのなら後は届けるだけなんだ。


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