ユーザーブロマガは2021年10月7日(予定)をもちましてサービスを終了します

セクシャルマイノリティは特別扱いを望んでいるのか?
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

セクシャルマイノリティは特別扱いを望んでいるのか?

2021-06-12 21:00

    LGBT理解増進法案(もといセクシャルマイノリティを特別視する法整備)が不要である理由は二つある。まずは一つ、「そのような法律整備をしてほしい」という意見がセクシャルマイノリティのコンセンサスであるという事実が示されていないため。そして二つ、露骨にセクシャルマイノリティへの迫害が大々的に横行しているという事実が認められていないため。

    これは、プレジデント社から出た『「日本の伝統と言いながら日本史に無知」LGBTをやたらに恐れる保守派の無教養』に対する私のコメントである。上のコメントはそもそも論のようなものであり、当の日本国籍を持った当事者たちの意思抜きでこのような議論はなされるべきではない。むろん他者の誘導ないし強要で表明されていた場合には、その内容問わずそれは意見と呼ばない。私としても、日本国籍を有したセクシャルマイノリティが法律でもって特別扱いを望んでいるかは知らないが、そのようなコンセンサスを成しているかと言われれば疑問である。


    活動家とは何なのか?

    自分たちと異なる意見をつぶすためのレッテルとして「活動家」という言葉を使ってはいけないという点には合意しよう。むろん、義憤に駆られた活動家もいることであろう。しかし、何より警戒私がしているのは、私利を貪るためにロビー活動を展開する活動家であり、活動家の名を借りた「埋伏の毒」であり、独り善がりな正義である。
    彼らは往々にしてノイジーマイノリティであり、下手をすれば当事者を騙った何者かという場合すらあり得る。そんな彼らが当のセクシャルマイノリティのことを思って行動しているのかと考えるとはなはだ疑問である。コンセンサスがあるという根拠は示されないままにして、法整備の必要性の根拠が「ほかの先進国がしているから」という弱いものしかない。そして何よりも、「セクシャルマイノリティを特別扱いして、当人たちは今よりも幸せになれるのか?」という視点も欠落しているように私は感じられるのである。当事者たちの声とこの視点を欠いた正義を独善的と表現せずしてなんといえばよいのであろうか? これでは「お前が得をしたいから訴えているのだろう?」と勘繰られるのも致し方ないことである。
    私が考えるに、活動家というのは、国家から見捨てられそうになっている自国民の声を拾い、時の為政者に聞かせるという役目を担うべきである。これについては語りだすと長くなるので、また稿を改めて話をしたい。


    衆道の隆盛は男女比の偏りから生じた

    近世以前は衆道に市民権があったことは確かに事実である。しかしそれは、男女比が極端に偏った状況が当たり前だったからこそである。女人禁制であった霊峰、寺院、合戦場、陣地はまさにその典型的な例である。江戸時代初期の江戸の街だと人口男女比が一説には7対3であったとまで言われている。明らかに女性の数が少なかったのである。時が流れて男女比が拮抗してくると、衆道も衰えていったという話を聞いている。これはつまり、異性と肉体関係を持てない一方で、性欲をなんとか満たしたいという要請から衆道が盛んになったということを示唆しているのではないかと私は考える。尤も衆道に走らなかった場合には、水墨画や造園、あるいは詩歌などの芸術でもって性欲を昇華する場合も見られたのだが。
    「では、なぜ衆道が盛んであったのか?」という背景に探りを入れないところに悪意を感じざるを得ない。


    有史以前からあった性分担

    上記記事では1940年の日本にあった家族形態を模範とする家族観を「日本の因習」と見なして批判しているわけだが、何も性分担そのものは日本固有ではない。それどころかそれが「歴史」「農耕」「牧畜」という概念もなかった時代から世界中で見られたことと言われれば? それはつまり、性分担というのは文明が生まれる前から存在していたということである。
    道を進むにあたって、男性は方向感覚を頼りとし、女性は目印を頼りとする傾向にあるとされている。それは人類の進化の過程で発達していった機能だからという説がある。その起源を求めれば、狩猟採集生活を営んでいた旧石器時代以前にまでさかのぼることになる。文明がまだなかった時代においては、男性は狩りをして獣肉を、女性は採集をして木の実や草葉をそれぞれ得ていたという。狩場が一定しないため、男性は元の住処へ帰るのに方向感覚が必要となった。一方で女性は採集する場所に大きく変化しないため、目印を見つける感覚を必要とした。その結果、男女間で異なる感覚が発達していったのだという。

    以上が、有史より前から見られた性分担の一つである。これは現代人にも少なからず影響を与えている。もしこの話でようやく腑に落ちるのであれば、その人は「性分担をしている主体」に着目して批判していると考えられる。上記記事ではその主体が「戦時統制期の日本」である。一方で、ここで私が話した性分担の話はまだ日本国すらなかった(=神武天皇も生まれていない)時代のことである。ここからは、「GHQに矯正される前の昭和日本は無条件にダメ」という形而上学的な前提が見え隠れしてならない。この前提視されている歴史観についても言及したいところだが、セクシャルマイノリティとはかけ離れるので、別の機会にするとしよう。

    果たして、史実に無知なのはどちらであろうか?


    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。