WJFプロジェクト殿、などて恐るる事やある!
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WJFプロジェクト殿、などて恐るる事やある!

2014-03-22 00:45

    WJF プロジェクトより
    「残念なお知らせ 日本は終わる、しかし、それでも抗え。」
    http://wondrousjapanforever.blog.fc2.com/blog-entry-323.html

    上の記事を読みましたが、本当に残念な御知らせと思ふ。

    閲覧数 32,800突破!(記事執筆時)


    直感でわかる日本の国(SNS「my日本」内にて)


    さて、何故これ程までに悲観的なのだらうか。
    これまでにも悲観的な主張があつたWJFさんだが、その高い見識が却つて物事の本質を曇らせてゐるやうに思ふ。

    井を掘るは水を得るが爲なり。學を講ずるは道を得るが爲なり。
    水を得ざれば、掘ること深しと云ども、井とするに足らず。
    道を得ざれば、講ずること勤むと云ども、學とするに足らず。
    ~吉田松陰

    これが啓蒙の爲に意図した悲観主義なのであれば良いが、本当にさう思ふのならば、これまでの我国が様々な危機を越へて国家を継承して来た事を説明出来ないのではないか。

    「今の危機は嘗ての国難の比ではない!」と思ふ気持ちも分らぬではないが、それは嘗ての国難、延いては国史を軽んずる今様の風潮なのではないだらうか。

    例へば、多文化共生といふ文化(国家)破壊に対しては、我国に漢字が伝来しこれが広く利用されるのは、国語の破壊であり、国語(日本文化)の終りといへるだらうか。

    また、仏教でも同じ事であり、これが伝はり広まつたからといつて、我国の天神地祇を祀る祭祀の精神が終つたといへるだらうか。

    昨今の教育では我国が律令制を導入し『律令国家』となつたと教はるが、その実態は律令制を利用しつつ、我国の国柄を残す、正に『和魂漢才』の実践の歴史であつた。

    律令制とは名ばかりで、その実態とは支那を見れば分るやうに、法治主義ではなく、人治主義であり、我国の国柄は「領はく人治主義の否定」であり、「知らす法治主義の道義」にある。

    律令制といへば如何にも法治主義的な響きがあるが、事実はさうではない。
    また同じやうに、日本国憲法、皇室典範(法律)といへば如何にも日本的な響きであるが、これらは我国の稜威奇しき法ではない。

    世に漢心が持て囃された時代が長く、これを憂ひて源氏物語にも「和魂漢才」が説かれたが、懲りずに近代では洋心に現を抜かし「和魂洋才」が説かれつつも、結局は肝心の『和魂』を誰もが知らぬのが現代日本である。

    確かに物事には終りがある。
    今年ももうすぐ櫻の季節だが、櫻花は儚く散つて終るし、昨年の伊勢神宮の式年遷宮も御社の終りである。

    しかし、櫻も神宮もその終りは再生(維新)への第一歩なのだ。
    人にも必ず終りが来るが、それが家や国家として継承される事こそが大切なのであり、これが我国の永久、天壌無窮の本質だらう。

    「その家や国家が終るのだ!」といふ反論があるかと思ふが、それならば「私達の家や国家とは何か?」に答へねばならないし、その事を本当に考へる必要がある。

    確かに移民問題による歴史伝統の破壊や劣化は深刻であり、道州制も劣化した幕藩体制の復活ともいへる重大な問題であると思ふが、それらの根本問題とは私達日本人自身が『日本』を分つてゐない事だ。

    私達、日本人に日本臣民(祭祀の民)としての自覚や意識がない儘に、移民を受入れ、国家の基軸なく幕藩体制を復活させるのは、大きく我国の国柄を損なふ事になるのは間違へない事だが、それで終るのは単に一つの時代、一つの価値観でしかなく、我国の天壌無窮とは即ち「変はる事ない人や自然の営み」であり、これは正に天地の続く限り、人の命脈が続く限り、窮まる事はない。

    辛く厳しい冬の到来は避けられぬ。
    しかし、止まぬ雨がないのも真実だ。

    移民の総数が何千人となり、彼らが我国で生活しその数を増加させるとしても、日本人が絶滅する訣でもなく、却つて皇道(祭祀の道)に目覚める移民者が出て来る可能性もある。

    畏れ多い事ではあるが、仮に、皇室とその萬世一系が失はれたとしても、我国の天壌無窮とその祭祀の精神、詰まり『やまとたましひ』が失はれる事はない。

    仮に一時的にそれが失はれたやうに見へたとしても、人が住む世である限り、必ず親から祖へと繋がる感謝の誠といふ『祭祀の道』へと立ち返る。

    それこそが南洲翁遺訓にもある『玉砕甎全』『不爲兒孫買美田』。
    「丈夫 ( ぢやうぶ ) は玉砕するも 甎全 ( せんぜん ) を 愧 ( は ) ず。」といふ事であり、「児孫の爲に美田を買はず」の状況に追ひ込まれて漸く、我国に積もり積もつた汚れを祓ひ清める「日本を今一度せんたくいたし申候」といふ維新への道が開かれるのだとも思ふ。

    これは単に国粋主義的な「神風」頼みの楽観ではなく、これからの国難に備へて国学の隆盛へ向けての國柄の継承を行はねばならぬといふ事である。

    これは源氏、平氏、足利氏、徳川氏の天下にある中でも、皇道(祭祀の道)の実践として国学が伏流水のやうに脈々と流れた事と同じ事であり、アリとキリギリスの話と同じだ。

    いはば科学的な必然であり、演繹ではなく帰納的に、既に道理を突き詰めてゐる大和魂は戦ふ以前から勝つてゐるのだ。詰まり、戦はずして勝つ。

    例へ戰に敗れても、国を侵されても、その時々の趨勢ではなく、物事の本質として大和魂の正しさは必ず証明され、継承される。

    いふならば、新しい画期的な学説・発明・物理法則は当初、若しくは永い期間、これが正しいといふ事実が受入れられない事があるが、その動かぬ事実はその本質的な正しさを以て、確かに道理だとして定着して行く事になる。

    唯一、残念だと思ふのは我国が諸外国よりも進み過ぎてゐて、なかなか理解され得ぬ事だ。

    『備とは 艦と砲との 謂ならず 吾が敷島の 大和魂』

    二十一回猛士のこの一首はよく曲解されるが、これは単に精神論としてのものではない。

    精神論で艦砲に勝てるならば、道理も稽古も不要なのだ。

    これから来る大国難に備へる爲にも、今の私達が確りと『やまとたましひ』とは何であるかを学び、実践せねばならない。

    私達の一応は安全で豊かな生活が破綻する、生命や財産を失ふ、例ひ如何なる苦難があらうとも、などて恐るる事やある。

    父は兜も焦がす炎熱を 敵の屍と共に寝て
    泥水啜り草を噛み 荒れた山河を幾阡里

    夫は骨迄凍る酷寒を 背も届かぬクリークに
    参日も浸かつて居たとやら 拾日も食べずに居たとやら

    古来より我国の兵(つはもの)達が、上のやうな苦難に耐へて、櫻花のやうに微笑みながら、己が命の如きは捨てて来た。

    軍国主義や天皇主権による幻想や強制で、人はこれ程の苦難に打ち勝ち、己が身を捨て、微笑む事は出来ない。

    私達の父が何を思ひ国を護つて来たのかを分らねばならない。

    母や同胞(はらから)が何を思ひ爆撃に焼かれたかを分らねばならない。

    『やまとたましひ』とは人間讃歌である。

    この人類普遍の『やまとたましひ』を恢弘するのが日本人の務めだらう。

    「やまとたましひを詠む歌」七首(今様)

    祖(おや)の子と この世に産すぶ 慶びを 傳へ拡めよ やまとだましひ

    世の人は 皆同胞(はらから)の やまとだま 斎ひ祀れよ すめろきの道

    吾が身など 粉にして捨てろ 富も名も 今世限りの 詰まらぬものさ

    櫻花 散れば悲しき 心持ち 散らぬ花なら 花見もせぬが

    賤が身を 砕きて嬉し 君が代の 永遠(とは)の礎 國に幸あれ

    やまとうた 詠まれし誠は やまとだま 言の葉の道 幸はふ國柄(くにから)

    國の爲 命捧げし 鬼神(おにかみ)の 御霊鎮める うたを詠み継げ

    ~詠み人 安倍正行

    閲覧数 32,800突破!(記事執筆時)


    直感でわかる日本の国(SNS「my日本」内にて)




    敵は幾萬
    一番.
     敵ハ幾万ありとても
     すべて烏合の勢なるぞ
     烏合の勢にあらずとも
     味方に正志(ただし)き道理あり
     邪ハそれ正に勝難く
     直は曲にぞ勝栗の
     堅き心の一徹は
     石に箭の立つ例あり
     石に立つ箭の例あり
     などて怖るる事やある
     などてたゆたふ事やある

    二番.
     風に閃く聯隊旗
     記紋(しるし)は昇る旭(あさひこ)よ
     旗ハ飛来る弾丸に
     やぶるる程こそ誉なれ
     身ハ日の本の兵よ
     旗にな耻じそ進めよや
     斃るるまでも進めよや
     裂かるるまでも進めよや
     旗にな恥ぢそ恥ぢなせそ
     などて怖るる事やある
     などてたゆたふ事やある  

    三番.
     破れて迯(に)ぐるは国の恥
     進ミて死ぬるハ身の誉
     瓦となりて残るより
     玉となりつつ砕けよや
     畳の上にて死ぬ事は
     武士の為すべきみちならず
     躯を馬蹄にかけられつ
     身を野晒になしてこそ
     世に武士の義と言はめ
     などて怖るる事やある
     などてたゆたふ事やある



    父よあなたは強かつた
    一番.
     父よ彼方(あなた)は強かつた
     兜(かぶと)も焦がす炎熱を
     敵の屍(かばね)と共に寢て
     泥水啜(すゝ)り草を噛み
     荒れた山河を幾阡里(いくせんり)
     善(よ)くこそ撃つて下さつた

    二番.
     夫よ貴方(あなた)は強かつた
     骨迄(まで)凍る酷寒を
     背(せい)も屆かぬ水路(クリーク)に
     參日(みっか)も浸かつて居たとやら
     拾日(とをか)も食べずに居たとやら
     善くこそ勝つて下さつた

    三番.
     兄よ弟(おとゝ)よ有難(ありがた)う
     彈丸(たま)も機雷も濁流も
     夜を日に進む軍艦旗
     名も荒鷲の羽博(はゞた)きに
     殘る敵機の影も無し
     善くこそ遂げて下さつた

    四番.
     友よ我が子よ有難う
     譽(ほまれ)の傷の物語
     何度聞いても目が潤(うる)む
     彼(あ)の日の戰(いくさ)に散つた子も
     今日は玖段(くだん)の櫻花(さくらばな)
     善くこそ咲いて下さつた

    五番.
     嗚呼(あゝ)御身(おんみ)等(ら)の功(いさを)こそ
     壹億(いちおく)民(たみ)の眞心(まごゝろ)を
     壹(ひと)つに結ぶ大和魂(やまとだま)
     今大陸の青空に
     日の丸高く映える時
     泣いて拜(をろが)む鐵兜

    閲覧数 32,800突破!(記事執筆時)


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