ユーザーブロマガは2021年10月7日(予定)をもちましてサービスを終了します

  • オレと「スターウォーズ」:おっさんの記憶整理 その3 2010年代~ そして伝説へ

    2020-06-26 22:37
    私的おっさんの記憶整理の完結編。わたしの見解であり、あなたの視点とは違うかも。なので突っ込みがあれば優しくお願いします。今回も長くダラダラ。10代中心だった前回からぐーんと時間はとぶ。

    記憶にない新三部作


    ↑忙しくて”体験”してない3部作

    83年公開の旧三部作の完結編「ジェダイの帰還」からスターウォーズは長い沈黙期間に入る。復活は16年後の99年、「エピソード1 ファントム・メナスを」を1作目として旧作の前日譚が三部作で描かれることになった。

    当時、自分は20代後半。ワクワクしたのか、やっぱりスターウォーズうぜえと思ったのか、どっちだったかというと、これが全く記憶にない。

    この頃はとにかく仕事が忙しくて、忙しくて!、もう一回いうけどクッソ忙しかった!!。毎日連日連夜会社に泊まり込み。日曜も出勤。たまの休みはどこにも出かける気力もない有様。だからスターウォーズの新三部作とかの情報も入ってこない。コンビニ行けば映画のキャンペーンでペットボトルにフィギュアがついていて、そうか時代的にビンに王冠じゃなくなったんだ、と思ったくらいか。社内でスターウォーズ好きな人が必死でフィギュア集めてたのもなんとなく記憶にある。だってペットボトル買ってくると、自分はスターウォーズ好きじゃないって知ってるから、群がるようにやってきて、いらないなら譲ってくれ!というやりとりが何度もあった。会社は忙しかったけど、周りで好きな人は観に行ってったと思う。感想もきいたはずなんだけど、これも記憶に残ってない。それは全くダメだ!という否定派もいなければ、旧作よりも面白い!という肯定派もいなかったという中途半端さからきてるのかもしれない。

    とにかく忙しかった。だけどそれでも自分の生涯ベスト3に入る映画「猿の惑星」のリメイクとなる「PLANET OF THE APES」(2001年公開)(リ・イマジネーションとかいう人は、ややこしい人)は、時間をこじあけで這うようにして映画館まで出かけ、倒れ込むようにシートに座ってまで観た。そう考えるとやっぱりスターウォーズの新作には興味を持てなかったということだろう。なぜかというと、スターウォーズに限ったことではないけれど、前日譚というのは結末がみえてるわけで、興味のレベルとしては一歩下がる。あのエピソードが描かれた!っていうのは、ファンならうれしいんだろうけど、そうじゃなかった自分はスルーしてもいいかな、と考えたのだ。新三部作は99年、02年、05年と公開されて、初めてリアルタイムで経験したことになる。でも自分には接点がなかった。その時代にリアルタイムで生きていても、自分が興味もってなければ体験にならなかったのであった。

    不惑を迎えて
    時は下って2011年。人生いろいろ。仕事も変わったし、一人暮らしをやめて実家に帰ってきた。そして自分は40代まであとちょっと、という年齢になっていた。

    40歳は「不惑」。自分も40という年齢が近づけば、悟りをひらいたように惑わなくなるななのかな?と思っていたが、これがまあ、全然そうならなかった。40になっても、いや、いまだに、あれもしたい、これもしたい、まだこれができるんじゃないか?という煩悩の塊である。さすがにプロ野球選手になれるとは思ってないが、それに近いことを考えてるんだから始末が悪い。恥ずかしくて書かないけど。

    でもひとつ変わったのは「もう好きなことだけやればいいかなー」と思えたことだ。理由はわからないけど、なぜか自然と。

    ワールドカップがあるから、とサッカーを観た、ブームだからと競馬もかじってみた、大人の世界ってどんなもんかな、とお酒も飲んでみた。世の中もっと楽しいことがあるんじゃないかと、いろいろやってみた。それなりに楽しい。でも実は自分が本当に「これ面白いな!」と感じることができるものって少ない。それなりに生きてきて、もう余計なことしなくていいんじゃないか。自分が好きなことだけやってれば、と思えたのだ。それが自分にとっては、映画、読書、ゲームだと気がついた。

    もちろん趣味として追いかけていなかったわけじゃない。でもずっと好きなことを追求してるような純粋さは自分にはなかった。逆にずっと好きなモノを好きと想ってきた人ってほんとに素敵だと思う。自分の世代は趣味に没頭する人間は「オタク」と笑われた時代で、自分も「オタク」と呼ばれたくないから幅広くものをみようとしていた。でもそれが面白いとは思えなくなった。やっぱり自分が好きなところへ戻ろう。そう考えたとき、まずやってみることってなんだろう?拾い落としたものって?そう考えたとき、本当に素直に「スターウォーズを観てみよう」と思った。

    観たぞスターウォーズ!

    Amazonを覗くと、その頃ちょうどスターウォーズ6作のブルーレイBOXが出ていたので購入。


    ↑届く前からドキドキしてた

    観た順番はEP1からEP6という流れ。旧三部作を観てから、という意見もあったけど、ここは時系列に沿ってみるほうを選択した。観る前は長年積もり積もっていた思いが晴れるわけで、なんかとんでもなく緊張したのを覚えている。

    さて感想としては…初めてみて思ったことを素直に正直に書いておきたい。先に逃げをうってるみたいだけど、今は少し違う感想を持ってるし、スターウォーズ自体は面白いと思ってる。

    だけど、ブルーレイで初めて観た感想は、新三部作EP1~EP3は面白い!旧三部作はイマイチ…という感じ。

    ダースモール戦、オビワンVSアナキン、などなどのライトセーバーの戦いには痺れた!EP3のオープニングの宇宙戦闘も素晴らしい。今となっては時代を感じるCGという意見もあるようだけど、大胆なカメラワークとアクションに夢中になってしまう。

    失敗と言われる新三部作が意外なほど面白かった。続いて旧三部作を観て思ったのは、旧作ファンの方にはご容赦いただきたいが、素直にいうと「なんと古臭いんだ…」という感想。

    まず映像。EP3のオビワンVSアナキンの激戦を観たすぐ後に、EP4のダースヴェイダー戦を観ると、やはり迫力不足が気になってしまう。また派手な部分でなくても細かいところで新三部作のほうが贅沢で説得力がある。たとえばトルーパーで埋め尽くされた広場や、多数の異星人でギッシリの会議場などなど、映像が設定を雄弁に語っている。映像だけで映画の面白さは決まらないが、プラスアルファがあることもやはり間違いない。



    ↑なんだかんだいっても新三部作は映像が贅沢なところが説得力あるのよね

    もちろん両三部作の間の30年近い時間を考えれば、技術的な部分を比較するのはナンセンスだ。新三部作と旧三部作を続けて観たのが悪かったのかもしれない。自分はCG世代でもないし、60年代、70年代のSF映画の映像を「古い」と拒絶してしまうような感覚もない。でもなぜかこのとき旧三部作をみときは「あれ、なんか古いぞ?」と感じたのだ。それは自分でも意外だった。

    もうひとつはストーリー。これも既視感アリアリであまりはまれなかった。自分はたしかにこのときが初めてのスターウォーズ体験だった。しかし、この大ヒットメジャー作品は、後の作品に影響を与え続け、パロディがつくられ、様々な解説がされている。それらを意識することもなくみてきた自分としては、スターウォーズを見てなくても、似たようなものを体験していたのかもしれない。だから初見なのに「なんだかこれみたことある」という不思議な感覚だった。

    映像にしても、ストーリーにしても、初見のはずなのに、既においしいとことを吸い尽くしてしまった感があった。「古典」とよばれる作品をみると、濃縮された原点の面白さを確認できる。その反面、作品とは常に「古典」の面白さを参考にして、上書きして作られていくものなので、現在の時点でみると「あれ、これ味が薄いな」と感じることもある。このとき自分がスターウォーズをみた鑑賞は後者だった。

    ほぼリアルタイム世代でありながら、スターウォーズという作品を避け続けてきた代償なのか。もしかしたらスターウォーズに直接の影響を受けていない若い人が観るとそういった感覚はないのかもしれない。

    とにかく初見では旧三部作は意外なほど自分に響かなかった。これはいくらなんでもおかしいと思って、時間をおいて見なおしてみたら、ちゃんと面白い。でも時間を置くと、またいろいろ気になる…というのを繰り返してた。あれから今現在にいたるまで、旧三部作だけで、もう7,8回みただろうか。とにかくスターウォーズ旧三部作はまわりにくっついてるものが大きすぎて、なんだか観るたびに印象が違ってしまう。

    何回観ても変わらないのは、スターウォーズという時代に乗れなかった、ずれてしまった。という想いからくる悔しさ、寂しさだ。これは観るたびに感じる。

    最近はやっと余計なフィルタがいろいろとれて、素直に観れてる。この作品。この作品の評価が定まったのは最近のことだ。映像は雰囲気があるし、ストーリーも冒険のワクワクがある。うん、面白いですよ、旧三部作ファンに媚びをうってるみたいだけど。

    新三部作はじまる!

    2012年の秋、ディズニーがルーカスフィルムを買収し、スターウォーズの新作をつくるという
    ビッグニュースが飛び込んでくる。WEBで記事を読んだとき「ないはずのチャンスがもう一回めぐってきた」と思った。小さい頃に観に行けなかった旧三部作、忙しさでスルーした新三部作。逃した後悔ばかりだけど、新たに作られる続三部作はリアルタイムで「体験」できる!伝説化したシリーズだけに、もう新作は制作されないと思っていただけにうれしかった。

    もちろんジョージ・ルーカスが制作に関わらないとか、ディズニーナイズされた作品はどうなんだろう、という心配はあった。だけど「これからまた始まる」というワクワクのほうが大きかった。

    というものの「公開してから半年すればビデオになるからそれでいいか」というぐーたらオタタだった自分。映画や趣味に対する熱は戻ったものの、映画館へは全くいかなくなっていた。

    映画館のシステムもシネコンが主流になって、座席予約とかめんどくさそーだし、なによりしんどかったんだもん。数年前までのあのハチャメチャな忙しさが自分を億劫にしていて、休みの日はとにかく家にいたかった。ベッドでゴロン、これ最高の至福というダメ人間。そういえば、映画館へいきたがらなかった両親も、映画に興味がないんじゃなくて、とにかくしんどかったのかもしれない。同じくらいの年齢になるとよくわかる。

    エンタメは寝っ転がって楽しむものと決め込んで、休みに家で映画をみたり本を読んだりしてると「フォースの覚醒」公開年の2015年がやってきた。この頃、いつのまにか習慣になったのがネット「WOWOWぷらすと」という番組をみることだった。もうこの番組にドハマリ!映画を基本とするエンタメについて評論家、識者が語りまくる番組で、TVやラジオとは違って時間の制限やCMの区切りがないのが最大の特徴にしてメリット。1テーマについて2時間近く掘り下げるんだから、知りたい欲、考えたい欲もってる人にはたまらない番組だった。

    (”だった”と書かなきゃならないの辛い。番組は2020年6月を持って終了。youtubeでアーカイブみれることが救い)

    松崎健夫、添野知生、宇野維正(敬称略)をはじめとする人達の知識と考察、そしてなにより熱量!その熱量にひきつけられて自分ものめり込んでみてた。

    当然、「フォースの覚醒」公開の12月が近づくと、スターウォーズの特集が組まれた。そのときの出演者の方のスターウォーズを語る熱さに圧倒された。こりゃ半年後にDVDとか言ってる場合じゃねえ!この熱気をリアルタイムで共有せねば!たしかこの放送の特集は金曜の放送だったと思う。明日は休み。よし明日は映画館へいこう!と10年ぶりに映画館へ行くことを決意した。まあ、この番組は熱すぎて、その後の放送でネタバレの可能性もあったので、絶対早くみておいたほうがいいな、と思ったというのもあるけれど。それから後の話になるけど、この「フォースの覚醒」を観て以来、毎週のように映画館へいく日々が続いている。好きなことへの行動に火をつけてくれたという意味で、「ぷらすと」には本当に感謝。やっぱり人を動かすのは熱量なのだ。

    「フォースの覚醒」公開日の翌日の土曜日に映画館へ行った。スターウォーズ人気で人がギュウギュウで劇場入れないんじゃないか?と心配だったので朝イチで到着。ロビーもチケット買うときの行列も少なくはなかったけど、そこまで多くはなかった。でも熱気は感じた。いや、それはスターウォーズは特別なんだ、という思い込みだったかもしれない。どちらかというと同じ日に公開されたポケモン目当ての親子連れが多かったようにみえた。

    窓口でチケットを買う。一番後ろの左端をとった。今から考えると変なんだけど、これまでみてこなかった自分が、いい席みでみるのはやめとこうという遠慮?みたいな気持ちがあって端っこでみることにした。窓口のお姉さんに「吹き替え版だと限定版パンフレットを購入できますが、字幕版は通常版しか選べません。よろしいですか?」ときかれて、しばし、うーん…、と悩む。限定版のパンフレットには心引かれたけれど、やっぱり字幕でみることにした。昔と違って吹き替えも普通に劇場でやるようになってたけど、やっぱり洋画って日常とは少し離れた素敵な世界という想いがある。だから字幕で観たかったのだ。売店でならんでいると、前のおっちゃんがフィギュアやらキーホルダーやら山のようにグッズを抱えて2万円を超える支払いをしていた。やっぱりスターウォーズファンは熱い!自分はパンフレットの通常版を購入。限定版じゃないけれど、ミレニアムファルコンのかっちょいい表紙だったから顔がニヤけた。

    開演時間10分前に入場。久しぶりに映画観るのでトイレだけが心配。客の入りはそこそこなんだけど、とてつもない緊張と期待の空気があったことを覚えている。とりあえず観に来たけど、自分はどういう感情になるんだろう?とモヤモヤがあった。だけどそれは、もう開演して1秒もしないうちにスクリーンに心奪われた。ルーカスフィルムのロゴ!そしてあのオープニングロールとテーマ曲!あーおれスターウォーズを映画館でみてるんだ!心が震えた。涙出た。別に誰かを恨んでるとか、不遇だったとかじゃない。今まで変に避けてきた自分が素直じゃなかっただけだ。遠ざけてたけど、やっぱりこのシリーズはどこかで自分の一部だったのだ。たるんでいた糸が張りつめるように、自分の中で何かがはっきりとつながった気がした。

    Xウイングでの脱出、砂漠でフェードインしてくるファルコン、ハンソロとチューイのコンビ。ただただ楽しかった。冷静に考えると、完結したはずの帝国VS反乱軍をもう一回やるのかよ?という感情もあったんだけど…それでも映画を観た後は興奮しっぱなし。ずーっとニヤニヤしながら家に帰った。途中で自分をみかけた人には、おかしなヤツがいてると思われたにちがいない。


    ↑パンフレット探したのになかった(´・ω・`)。どこいったのかなあ…画像はbru-ray。ソフトも買った。

    8は…

    先にも書いたけど「フォースの覚醒」を観にいってからは、毎週末の休みに映画館で新作を観ることが楽しみになった。小さな頃に映画館でしかみれなかったスターウォーズへのコンプレックス。しかし、その作品が映画館へ戻るキッカケをつくってくれたのだから不思議なものだ。

    SW新三部が公開された2010年代中期の新作映画は過去の名作のリメイク、もう作られないはずのまさかの続編ブームだった。16年に「ゴースバスターズ」、2017年には「ブレードランナー2049」「エイリアンコヴェナント」、新三部作より前になるけれど2015年の「マッドマックス怒りのデスロード」。他にもインディジョーンズの新作の制作が発表されるなど、TENETの回転ドアで80年代まで時間逆行したようなラインナップ。自分の世代的には思い入れがハンパない作品たちを、まるで時間をもう一度体験するかのような数年間で、美化された部分も、変わらない良さも再確認できで面白かった。

    そんな時代の目玉のスターウォーズ新三部作2作目、シリーズ8作目の「最後のジェダイ」は2017年末に公開。すっかりファンになってた自分は金曜に有給とって朝一番から3回みた。

    大きな話題はマーク・ハミル演じるルーク・スカイウォーカーが今回はガッチリとメインのお話にからむところ。いやーこれが良かった!英雄ルークの過ち、しかし今できることに気がついた彼は、オビワンのように身を挺し未来を守る!最後にライトセーバーを持って帝国軍の前に立ちはだかったときのカッコ良さよ!めっちゃ泣いた。

    でもネットの評判は厳しかったので汗出た…特に旧三部作のファンから英雄のルークに一貫性がないという指摘が多かったように思う。自分はそこまで深くは考えてなくて、単純にルークの人間らしい振る舞いのドラマに感動したんだけど、神聖視しているファンの人には許せない部分だったのようだ。どちらが正しいとか間違ってるとかいう部分ではないかもしれない。だけど、やはり感情の温度差はある。思い入れの度合いで測ると、自分はやっぱり「にわか」で、過去作ファンとは積み重ねてきた時間が違うな、と感じた件ではある。でも一応書いておくと、2020年現在、今も自分は8はこれでよかったと思ってる肯定派である。


    ↑今でも好き・・・ごめんなさい

    そして完結へ

    8のルークの生き様に感動した自分も続三部作がお話、設定、展開などが「いろいろと雑」という意見にはうなずくしかなかった。8の公開後、自分や多くの人が、好き嫌いを語る以前に「続三部作ってあまり出来がよろしくないのでは?」という声を隠さなくなったように思う。ネットなどでは厳しい意見もみるようになった。7の頃は自分も他の人も、多少の不満には目をつぶり、諸手をあげてスターウォーズ復活万歳!と言っていた空気は消え失せた。スターウォーズというブランドはゆるやかに下降をはじめたのだ。

    逆に台頭してきたのがマーベルシネマティックユニバース。キャラクターの魅力だけでなく、シリーズを通して見事に伏線が回収されていく物語の構成に多くのファンが熱狂。区切りとなった19年の「アベンジャーズ/エンドゲーム」は映画界の一大事件となった。

    「もうスターウォーズは中心的存在じゃない!スターウォーズはおっさんのもの!若い人はスターウォーズとかみてない」とか言う人もたくさんあらわれた。たしかにスターウォーズは王座から陥落したようにみえる。それは別に構わない。だけど理由が「時代」ではなく、映画としての出来、というのがなんとももどかしかった。なぜそうなったかは、なんとなくディズニーのお家事情的なものも透けて見え…というと邪推ばかりになるのでやめておきましょう。とはいえ、自分に大きな影響を与えてくれたものが沈んでいくのをみるというのは、正直寂しかった。

    どのような形で9で幕引きされるのか?雑な展開を如何にに終わらすのか。無様な終わり方はしてほしくない、もしかしたら逆転サヨナラホームランがあるのか、いやあまり期待しないほうがいい…他のファンの方もそうだったと思うけど、自分の悩み事のように考えていたこともある。いずれにしても、どういう出来であろうと、しっかり見極めようと思っていた。

    期待と不安の2019年末、続三部作の完結編であり、シリーズ9作品の完結編でもある「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」が公開された。もちろん公開日に有給をとって初日の朝一の回でみる。逆転サヨナラホームランは出なかった。だけどヒットだった。ハイパースペースをギュンギュンにとびまわるファルコン、ランドカルリジアンの登場、レイVSレンの海上のライトセーバー戦、パルパティーンとの最終決戦。面白い。だけど、強引なところや、ご都合主義的なところも目に付く。スクリーンをみつめながら、これは評価も厳しくなるのかな…そんなことをぼんやり考えていたら、不意に思い詰めてるような自分がおかしくなった。なんでこんなに緊張してんだろ。もっと楽しんでみなきゃと、自分のことが馬鹿らしくなった。

    だってスターウォーズって、もともとそんなたいしたもんじゃなかったのかもしれない。スペースオペラなんて、全く興味がない人からみれば、眉をひそめるような滑稽な宇宙冒険活劇だ。だけど、その宇宙冒険活劇に真似したくなるような人生の格好良さをみつけたり、ワクワクしていたの自分ではなかったか。世間にはいろんな評価があるし、自分も気取って評論しちゃうこともある。だけど自分が大好きなものにワクワクする気持ちだけは大切にしよう。世間がどう思ったって、自分はこれが大好きでいいじゃないか。観てる途中にスッと心に落ちるものがあった。最終決戦が終わり、エンディングが近づいてくる。もうすぐこの世界が終わるんだと…と思うと、寂しくなってきた。自分が大好きな世界がここにあった。でもこれからはどうだろう。これからそんな作品に出会えるのかな…いや、自分のなかに何かに夢中になる、そんな気持ちが残っているのかな…

    「じゃ 見つけよう」

    映画の中のセリフの意味とはつながらないんだけど、スクリーンのランドカルリジアンの言葉に涙が出た。展開とは別に自分の気持ちシンクロして泣いた。子供の頃は遠い存在で嫌いにまでなったスターウォーズが、大人になってから大好きな世界に戻ってくるキッカケとなったシリーズが、最後の最後にこれからの自分にとって素敵な贈り物をくれた気がした。


    ↑映画の台詞と関係ないところで泣いちゃった。自分で考えてもちょっとイタイ

    完結じゃないのか!?

    スターウォーズは9作で完結した…はずが、新シリーズとして映画が製作されるようだ。こちらも肯定派、否定派あるようだけど、自分は大歓迎!

    シリーズのファンにとって最大のファンサービスとは何か?未公開のシーンが入った完全版DVDを出すことじゃない。過去作をデジタルリマスターすることでもない。

    「新作をつくる」という以上のファンサービスはないのだ。シリーズは神話になって閉じ込めるより、ともに時を歩んでくれる存在があったほうが全体は輝く。これからのスターウォーズに期待したい。

    そしてこのブログ三部作も今回で終わり、乱文読んでくれた人ありがとう。またどこかでよろしくです。

    それじゃ今から「マンダロリアン」みるわ!




















  • 広告
  • オレと「スターウォーズ」:おっさんの記憶整理 その2 80年代~90年代 だいたい中学高校SFブーム編

    2020-04-10 21:38
    自分の記憶を整理していくことにする。なお、文章の中に登場する見解は書き手の個人的なものであり、世間の見方やあなたの記憶と違うかも。なので突っ込みがあれば優しくお願いします。今回は80年代~90年代の話。

    ドラエモンという入り口から広がった



    小学生の自分は、SFにどっぷりとハマッていくことになる。キッカケはスターウォーズ…ではなくて「ドラえもん」だった。秘密道具から展開されるSFな話の数々。特に小学一年生のとき、親にねだって観に連れて行ってもらった映画「のび太の恐竜」を劇場でみたときは、単純な子供だましではないストーリーに感動した。タイムマシンが壊れたドラえもんたちがどうやって現在へ戻るのか?そこには白亜紀の地球の地形がからんでくるという、科学的な仕掛けが絡むストーリー。大人になった今観ても素晴らしいSF作品である。そう考えると最近のドラえもん映画は、完全に幼児向けコンテンツになってしまっていて、SFへの興味の架け橋になるような展開が少ないのはちょっと寂しい。

    「ドラえもん」がキッカケで、現在でも評価が高い藤子・F・不二雄先生のSF短編集にドハマリ。他には週刊少年ジャンプの「コブラ」でお姉ちゃんのデッカイおっぱいとTバックのお尻にドキドキしながら、スペースオペラの面白さに目覚める。だけど、いろんなマンガを読みながら、小説には手が出なかった。マンガというのは最新メディアであり、小説っていうのは教科書にのってるようなオールドメディアでエラソーでつまんないもの、という意識があった。まあ当時からちょっと頭がイタイ少年だったのである。まあそれは言い訳で、小学生の自分には字ばっかりの本を読む力がなかっただけなんだけど。

    小学生5年生のときに、図書館の係に選ばれた。先生の手伝いで本の整理をしていると…おおおお!自分が好きな宇宙人とかロボットが出てくる小説があることに気がつく。なんだ小説ってお高いもんじゃなくて面白そうだな。ちょっと読んでみるかと手に取ったのがアシモフの「鋼鉄都市」。岩崎書店?から出ていた子供向けにリライトされた本だった。この出会いがよかった。いきなり硬派なハヤカワ文庫版だったら挫折してただろう。人間の刑事イライジャがアンドロイドのパートナーと共に宇宙人の殺人事件を探るストーリーは最高に面白かった。慣れてないので字ばっかりはしんどかったけど、それでも「オレは小説を読んでるんだ!」という興奮で最後まで読み通せた。そこからは、「小説読んでるオレ、いけてるよな」と思い込む。小説はエラソーなんて思っていながら、自分が読み出すとすぐにその権威にすり寄るという手の平返し。自分の性格はこのころから変わってないのである。それでも結果として、この体験が読書好きにつながるのだから、やっぱり子供のときの入り口って大事。


    ↑一番最初に読んだ小説。写真は現在のハヤカワ文庫版。子供向けのリライト版、どこかで読めませんかねえ?

    それからというもの、昼休みには図書館にいって、どっぷりとSF小説を読んでいくことになる。他にはあまり小説を読んでる友達はあまりいなかった。同じクラスでは、もう一人の図書委員でミステリー小説が好きな恵子ちゃん(仮名)くらいだった。

    あるとき、担任のヨシコ先生(仮名)が図書室にきて、「恵子ちゃんは、ミステリー小説読んでるとか偉いわねー」と感心するように言った。これは自分も誉められると心の中でニヤついてたら「あなたはロボットとかロケットとかマンガみたいなの読んでるのね」と苦笑いされたので大ショックを受けた。ええ…そんなこといったら恵子ちゃん読んでるのだって、ルパンやホームズとかを子供向けに文章なおしたやつですやん…何が先生に差をつけさせたのかわからない。けれど、当時の大人からすれば、ミステリーは高尚で、SFは子供っぽいマンガの延長みたいな認識だったのだろう。

    SFブームとスタートレックと


    小学生の高学年くらいになると、テレビの洋画劇場で映画をみる楽しさを覚えはじめる。少し時期が後になるかもしれないが「エイリアン」「遊星からの物体X」といった作品が映画の面白さを教えてくれた。

    当時の自分が何も特別な子供だったわけではない。スターウォーズもあったけど、「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」などといった作品が大ヒットしたという流れもあって、世の中的にSFブームだったのだろう。自然とSF的なものが好きになっていったのだ。もちろん大人のなかには担任の先生のように、SFをイロモノ扱いする向きもあったし、自分から上の世代のファンの方は肩身のせまい思いをされた方もあったのかもしれない。しかし、SFブームが、なにも先入観がない小学生の頃にあった自分は、コンプレックスを抱くことなく楽しんでいたように思う。

    そしてSFブームの中心にいたのが、やっぱりスターウォーズなんである。当時、TVや雑誌とかでSF映画特集なんかがあると、まず最初に、またはオオトリで主役として扱われたのがスターウォーズ。自分としてはSFが好きになってきてるのに、そのど真ん中をみたことないというのがなんとも歯がゆかった。(マニアのみなさん、スターウォーズがSFかどうかは、ツッコミはおいておくのだぞ)牛丼が好きなのに吉野屋を食べたことがない、みたいなものである??

    しかし、スターウォーズが紹介されるとき、ライバルのような扱いで必ずといって紹介される作品があった。なにやらアメリカではスターウォーズとと並ぶくらいの人気作であり、内容もより「大人向け」の「スタートレック」という作品があるという。

    大人向け!。そーだよ、オレは子供だましじゃないもっと高度なSFがみたいんだよな!とスターウォーズも観たことがないのに思ってた。子供ほど「大人向け」という言葉に憧れる。でもスタートレックだって観れることないんだろうな、とあきらめていた。ところがある日の朝、新聞のテレビ欄に「スタートレック・宇宙大作戦」の文字をみつけたのだ!!

    おおお!?放送はサンテレビで、夜の8時からだったと思う。あのスタートレックが観れる!と、本当に朝ごはん食べながらガッツポーズした。学校の教室で「あのスタートレックがテレビでみれるぞ!」と友達に興奮してしゃべったのだけど、誰も知らないから反応がなかったのは寂しかった。まあ自分はとにかくその日から、毎週食い入るようにテレビを見た。レーザーガンを撃ちまくるなどの派手なアクションがないという意味では、たしかに子供向けではない。しかし、毎回のSF的アイディアとキャラクターの熱量に自分は虜になった。

    それ以来、自分はスタートレックの大ファンである。なぜスターウォーズより、スタートレックなのか?と言われれば、「アクション中心ではなく、作品に流れるSFマインドのドラマが…」うんぬんかんぬんというのは後付けの理由。本当のところは、スターウォーズは劇場へ行かないと観れなかったけど、スタートレックはテレビで観ることができたから。という身近で単純な理由なのだ。やっぱりエンタメにとって、目にとまるウィンドウを広げておくっての大事なのよ。もし、最初にスターウォーズを観ていたら…また違ったのかもしれない。

    そういえば、関西では「スタートレック」は宇宙大作戦、TNG、DS9あたりは80年代~90年代にかけて深夜に放送されていた。全国的にも同じだと思っていたら、ネットでいろんな情報みてると関西は特殊だったみたいだ。最近だと90年代中盤にスカイパーフェクトTVで初めてみたという人が多い。なんで関西はスタートレックの放送にそこまで熱心だったのか。理由をご存知の方は教えていただきたい。

    スタートレック派とスターウォーズファンは作風が対照的なこともあり、仲が悪いとも言われる。でも自分の経験上は議論になったこともない。ときどき「え?スターウォーズくわしくないの?」と嬉嬉として絡んでくるスターウォーズファンもいたけれど、「いや自分はスタートレック好きなんで」と言うと「ああ…そうなのか」と相手も鎮まった。それ以上突っ込むと、泥沼になると知っているからであろう。分別ある大人は、政治、宗教、野球、それにスターウォーズかスタートレックの論争はしないもんである。



    ↑いまだに大ファン。「宇宙大作戦」が一番好きなのは、10代のときに受けたインパクトゆえなのか


    ファミコンブーム!

    中学生になると、凄まじいコンピュータゲームのブームがやってきた。83年に発売されたファミリーコンピュータが、当時の世の子供たちを虜にしていたのだ。ほんとに、学校中の誰もが朝から休み時間から放課後まで、マリオの攻略法や、ドラクエのレベルや、裏技がどうしただのといった話をしていた大ブーム。でも自分はその輪に入ってなかった…不思議とファミコンは欲しいと思わなかったんだよね。ファミコンなんて反射神経だけを競うもんじゃないの?それよりも読書のほうが知的やん?、いや、マジでそう思っていた。


    ↑アクションゲームじゃないけど、当時大人気だったドラゴンクエストの1作目。学校にきたら「レベルいくつになった?」というのが朝の挨拶だった。FC持ってなかった自分は話題に入っていけなかったのである。

    SFが好きだったせいか、ゲームだけのファミコンよりもパソコンが欲しかった。中学二年生の夏にNECのPC88を買ってもらったのが運命の変わり目。最初はプログラミングを覚えるぞ!と意気込んでいたものの、ひと月もたたないうちにゲームにどっぷり。「イース」「ジーザス」「軽井沢誘拐案内」といった名作をクリアして、受験する高校のランクを落とさざるをえないくらいに遊びまくったのである。コンピュータゲームは指先の動きだけじゃなくて、アドベンチャーゲームやロールプレイングゲームという世界があることを知った。映画や小説は受け身だけど、ゲームは主人公になって物語の中を歩き回れる!これはすっごく刺激的だったし、これからはゲームの時代だな!と確信した。単純にも高校生の頃には、ゲームを作ることを仕事にしよう!と決めていた。


    ↑自分の人生に大きく影響与えたパソコン


    映画を勉強するつもりでみていた

    ゲームを作るために何を学べばいのか?あの頃、ゲームやマンガ、アニメ、コメディアンにいたるまで、自分が好きな作品の作り手たちが異口同音に言ってたのは「映画を観ろ。そこから学べ」だった。

    エンタメのトップランナーは映画であり、他のメディアは学ぶべき事が多く、その面白さをいかにに取り入れるか?という意識が映画以外の作り手の多くにあったと思うし、実際そういった発言も多かった。藤子不二雄さん、R・ギャリオットさん、手塚治虫さんなどなど…

    自分たち世代には「映画がエンタメをリードする存在」という意識を持ってる人が少なくない。多くのサブカル的エンタメと違って、小説と映画は「芸術」という枠に入れてもらってるという権威もあった。今となってはサブカルとメインカルチャーの境目もなくなったし、20代以下の若い人達は「映画が特別」という意識は全くないと思う。映画は、昔はマンガやゲームという弟が憧れる「頼れるアニキ」だったのが、最近では弟のほうの出来が良くなってる。逆にアニキだったはずの映画が弟を原作に使っては駄作にしてしまうことが多い。家の財産を食いつぶす「ダメアニキ」が増えてるのも時代の流れか。

    話を戻すと、「じゃあ映画を観て勉強すればいいんだな!」と思い込んだ自分は、プログラミングでも覚えればいいのに、映画を観ることに時間を費やしていく。

    近くの姫路の映画館までは、バスで1時間と遠かった。交通費もかかるので、一回出かけると2,3本みる。当時、姫路には映画館がOS、大劇、山陽座などがあって各劇場をハシゴした。時間に間に合うように歩道を走ったことも…ごめんなさい。それでだいたい年15本ぐらい観たんじゃなかろうか。映画マニアの人からすれば全然たいした数字じゃないけども、自分のお金と時間を考えれば頑張ったと思う。

    映画を観るのは勉強!だったので、ただ楽しむためだけに同級生と観にいった回数は少ない。
    観るときはたいてい一人、もしくは同じような映画の見方をしようとしてたK紫くん(仮名)と一緒だと決めていた。高校生が友達同士、またはカップルでポップコーン食べながらワイワイキャキャー楽しむなかで、邪魔されないように一人で前の方の席に座り、知識もないのに小難しくセリフやカットを分析した気になった。ときにはK紫くんと観た後に「おもしろい、という言葉で終わらせずにしゃべろうぜ」と語り合った。「バックトゥザフューチャー2」を観にいったとき、クラスでちょっと好きだった女の子が彼氏と観にきてたのはショックだったけど、気にすることはない、オレは勉強しにきてるんだ!と気持ちを入れ替えたのもいい思い出。今考えるとかなりイタイ勘違いした高校生だった。


    ↑あの時代は洋画がとにかく輝いていた

    劇場以外では、テレビの映画放送も見よく見ていた。当時、テレビでは毎日のように深夜に映画の放送があったので、知名度はないけれど良作がみれた時代だった。深夜の映画放送といえば読売テレビの「CINEMAだいすき!」のファンだった。年に数回、1週ごとにテーマをしぼり、解説付きで毎日作品を観れたのは、何も知らない高校生の好奇心を育ててくれた。

    深夜といえばエロい映画も普通にやっていた。高校生だったので、エロいものも楽しみだった…新聞のラテ欄みて「この映画のタイトル、絶対ヤラシイ映画だ!製作国がフランスだし(偏見)」期待して観たら、意外と感動大作で涙した、なんてことも何度もある。

    友達がいなかったわけじゃない。だけど一緒に語れる「仲間」は少なかった。映画に対しては、周囲と視点の高さがズレていたことは確かで、悶々とした思いを抱えていた。K紫くん(仮名)も中学の同級生で、高校は別だった。それでも映画に関しては一緒につるんでいたのは、自分も彼も同じ高さでしゃべる相手がいなかったからだ。同好の人を探すというのは、都会ならいろんな出会いがあるんだろうけど、田舎では同じ高さの人をみつけるのはほんとに難しい。

    だからあの頃、SNSがあれば悶々とした思いを受け止めてくれるような、繋がれる場所があっただろうにと思う。今の人は幸せですよ。いや、こじらせる場合もあるから一概には言えないか。

    洋画反抗期
    旧三部作の三作目「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還」の公開が83年。シリーズはこの作品を区切りとし、しばらく新作は作られなくなる。「ジェダイの帰還」は自分が小学生のときなので、高校生になって自由に映画観にいけるようになった頃には、シリーズは休眠期だった。多感な10代の自分とは全くすれ違ったことになる。リアルタイムで経験できなかったわけだ。

    じゃあ今から憧れのスターウォーズを観てやろうと思ったかというと、そうでもない。80年代後期になると、こんなド田舎でも近くに2,3件店がオープンするくらいのレンタルビデオブームになる。歩いていけるくらいの距離にあったんだけど、会員にはならなかった。ビデオに限らずなんだけど、借りて返すっていうレンタル店のシステムって自分の性格的に嫌。借りて壊したりしたら?返しにいけなくてすんごい延滞金とられたら?と考え出すと家で落ち着いて観れない気がする。だから一度もレンタル店の会員になったことはない。昔から欲しいビデオは買うタイプだ。まあそれも言い訳で、結局は借りてまでスターウォーズを観たいという気持ちがなかったのだろう


    ↑借りるのは嫌だったけど、買って観れるなら観たかった。だから安くレンタル落ちで売りに出されてたVHSソフトは買い集めてた。

    ほんとに余談だけど、前回で書いた全くビデオに興味がなかった父親が、レンタルビデオ全盛の時代になると、あっさりとデッキを買った。レンタルビデオを観るというよりは、持ってる家庭が多数になり「みんなが持ってるから」という理由だったと思う。さらに、いきなり「WOWOWに入る!」と言い出して、知り合いの電気屋に衛星チューナーを取り付けてもらった。まだ衛星放送が見れる家庭も少なく、WOWOWも開局前のテスト放送のころだったから、我が家への導入はものすごく早かった。今思えばビデオデッキ購入に乗り遅れたのが父にとって密かなコンプレックスなっていて、その反動だったのか…

    話を元に戻す。レンタルビデオだけでなくスターウォーズは地上波でも何回か放送されたはずだけど、それも結局みなかった。レンタルビデオ、地上派放送、観れるはずなのに観なかったのは、避けていたからだ。リアルタイムで熱狂を経験できなかった寂しさ。熱狂した世代が神聖視する暑苦しさ。そこで自分は「いまさらええわ」と、拗ねちゃったんだと思う。素直にスターウォーズを追いかけることができなかった。

    本当に映画は好きだし観るのは楽しかった、同時に映画や、映画ファンってマンガやゲームを上から見下ろしてる感じがして、エラソーにすんなや、ウザイ!と同時に感じていたのだ。いやー思い込みが激しすぎて、自分の思い出なのに振り返っていてクラクラする。

    そしてブームが終わり、すでに伝説化しはじめたスターウォーズはエラソーな映画の代名詞みたいな存在だった。そこを追いかけようとするの、なんか先生に誉められたいために教室の掃除するみたいな、権威にゴマするような生き方はごめんだ!と思っていたのである。こっちから頭を下げて観させていただきますとか、シんでもやだ!だから、自分から遠ざけたのだ。ただの反抗期。救えないほどの中二病だた。

    ブームに完全に乗り遅れ、伝説となったスターウォーズには近づかなくなった。スターウォーズなんかみてやるもんか!という反抗期が終わり、自分が初めてスターウォーズをみたのは、実はわりと最近、40歳を越えてからなのである…

    ダラダラ書きすぎているので、この先は省略していく。ちょろっと書いておくと、映画を観ていた効果があったのか、その後、就職で某ゲーム会社に入社し、ゲームをつくる仕事につくことができた。しかし、スターウォーズをみてなかったことで困ったこともある。製作の現場ではスタッフ間でイメージを共有することがポイントのひとつ。そのためには「あの映画の●●みたいな動きで」と既にある創作物を参考にすることがある。スターウォーズも例えによく出てきて、「ジェダイの復讐のスピーダーみたいな感じで」と言われて、「自分観てないです」と答えるとことも1回や2回ではなかった。まあ必要なのに観てない自分が悪いのだけど、それでも観なかったのは、まだまだ年齢は大人になっても反抗期は続いていたんだなあ。全然誉められないけど…ただそれほど支障がなかったのは「スターウォーズのあのシーン」を知らないといった場合「じゃあ似たようなあの映画のこのシーンで」と言われることがほとんだったし、それでなんとかなった。つまりは、それだけスターウォーズ的なデザイン、ビジュアルに影響を受けた作品が多かったということだろう。

    終わらないのです

    全くスターウォーズの話が出てこないんですが??という声はごもっとも。ごめんなさい。
    もっと書きたいこともあるけど、このままだと9部作になってしまうので、余計な話は別の機会にする。このシリーズはスターウォーズらしく3部作で次で完結。

    グダグダになってきたけど、これはスターウォーズ新三部作へのオマージュ…ではない。
    次で完結できるのか。エピソード9のようにきれいに終わる?

  • オレと「スターウォーズ」:おっさんの記憶整理 その1 80年代前半田舎の小学生編

    2018-11-29 20:41



    自分の記憶を整理していくことにする。なお、文章の中に登場する見解は書き手の個人的なものであり、世間の見方やあなたの記憶と違うかも。なので突っ込みがあれば優しくお願いします。

    初めての出会いは「王冠」だった


    「いとこの高校生の兄ちゃんから、イイものもらったんだ。見せてやるよ」

    70年代後半。当時、小学1年生だった自分より4つ上のカズくん(仮名)がそう言ってお菓子の缶をジャラジャラいわせながら持ってきた。1980年代の初めの頃、ボクたちはいつも近所の公民館に子供たちで集まって遊んでいた。ネットやスマフォがない時代であり、そこは遊ぶだけでなく、情報交換の場でもあったように思う。

    カズくん(仮名)がお菓子の缶のフタをあけると、中に入っていたのはビンの王冠(フタ)だった。今ではビールやジュースの容器というとスチール缶やペットボトルだけど、80年代初頭まではビンが多く使われていた。王冠の裏にはオマケとして、車や映画のキャラクターなどの凝ったデザインがプリントされたものがあり、子供たちやコレクターの人気を集めていたのだ。

    何の王冠を持ってきたんだろう?と手にとってみると、なにやら毛むくじゃらのような宇宙人とか、剣を持った人とかのだった。ピンとこないでいると、カズくん(仮名)はどんなもんだい!って顔をしながら叫んだ。

    「これって、スターウォーズなんだぜ!」

    ああ!これがスターウォーズなのか!と、自分もカズくんや、他の子供たちと一緒になって騒いだのを覚えている。

    といっても、小学校低学年の自分はスターウォーズがどんなものかわかっていない。当時、テレビで名前をきいたり、駄菓子屋にポスターが貼ってあったので、なんか宇宙船がとんで、バキューンとかドカーンとかいう映画だろ、というくらいはかろうじてしっていたくらいだ。田舎では、スターウォーズがどんなものか説明してくれる流行に敏感な大人もいなかった。でも世の中、スターウォーズっていうので大騒ぎしているというのは、田舎の小学生だった自分もヒシヒシと感じていて、目の前にある王冠が、流行のあれなのか!それに触れてるんだ!というので、何かわからんが気持ちが高ぶったんだと思う。

    カズくん(仮名)が、黄金色のロボットが描かれた王冠(フタ)を手にとって言った。

    「これ、C3POっていうんだぜ!」
    「しーさーぺー……なんて??」

    舌がからまってうまく言えなかった。名前を口にできないのも当然で、なぜならアルファベットというものになじみがなかったからだ。当時の田舎の子供にとって英語なんか遠い遠い存在。少なくとも自分はそうだった。今の子供なら普通に言えるだろう。

    ワーワーと王冠をみながら、子供たちみんなで騒いだ。自分も楽しかったし、興奮したのは嘘じゃない。ただ、口に出さなかったけど、乗りきれない気分でいたのも本当のところだった。だって、子供のころの自分には、R2D2はドラム缶に足がついてる変なロボットにみえたし、黄金色のノッポのC3POは目がまんまるで、間抜けにみえてカッコ悪い。ルークの持ってるライトセーバーには惹かれたけれど、着てる白い服が浴衣みたいで、これもなんだか、うーん……という感じ。カズくんがせっかくもってきてくれたんだし、他の子供も喜んでるし、そんな自分の気持ちを言い出せなかった。もしかしたら、自分の人生において「人に気を使った」初めての経験だったかもしれない。

    今見ると、スターウォーズのデザインってかっこいいんだけど、子供のころの自分には早すぎたのだ。「ゲッターロボ」「コンバトラーV」を見ていた巨大スーパーロボットアニメブームの直撃世代の幼年時期。メカといえば派手で巨大で原色ビカビカ、とんがり武器がカッコイイと洗礼をうけていたから、スターウォーズのシンプルなデザインは薄味すぎて手応えがないように思えたのだ。その魅力がわかるのは、もう少し成長してからのことである。


    ↑最近では「鬼滅の刃」とダイドーの缶コーヒーコラボなんていうのも大ヒット。飲み物と映画の幸せな関係は時代を超えてもなお不変。

    最後のリアルタイム世代?
    スターウォーズ旧三部作Ⅳ・Ⅴ・Ⅵの公開年は、それぞれ77年、80年、83年である。筆者にあてはめると、だいたい幼稚園児から小学校高学年になる。つまりは自分のように70年代前半に生まれた人は、スターウォーズのブームをリアルタイムで体験したギリギリ最年少の世代である。…かどうかは、環境によるだろう。

    ちなみに自分は当時、スターウォーズを劇場で観たことはない。

    都会に住んで、劇場が近くにあって、家族が映画に興味がある。そんな子供時代だった人は、幼いときからスターウォーズに触れることができたであろう。しかし、自分の環境は全く真逆だった。

    生まれたのは兵庫県の田舎街。山に囲まれて田んぼだらけ。夜の8時には店がしまり、灯りもなく真っ暗闇。近くの劇場までは車で1時間という環境だった。今にして思うと大したことない時間であると思う。しかし、小学生の頃の自分には車で1時間という距離は遠すぎた。

    ならば、親に連れていってもらうしかない。だけど自分の親は、映画や読書や音楽聴いたりすることに全く関心がない。

    映画を観たいと親にねだっても、

    「なんで映画館で今観る必要があるの?だって1年ぐらいしたらテレビで放送するのに」

    と、不思議そうな顔できいてくる。映画なんて今みても後でみても、映画館でみてもテレビでみても一緒でしょ?という思考である。いや、そうじゃないんだって!今このときに観ておかねばダメなんだ!と訴えてもまるでわかりあえない。これ、うちの親が厳しいわけでも、教育のポリシーがあるわけでもなく、本当に子供の心が理解できてなかったと思う。

    うちの親だけがそうだったわけではなく、戦後すぐ生まれの田舎に住んでいた親世代は、だいたいこういう感覚だった。映画に対しては良くも悪くも「暇つぶし」以上の価値を感じていない。これは親世代の環境によるものが大きいと思う。都会に住んでいれば、映画館が近くにあり、ポスターでも目に入れば「ちょっとヒマだから映画でも観るか」という気持ちにもなる。関心も生まれるのだろうが、田舎ではそういった情報に出会う機会すらない。。山の中に住んでれば、楽しみといえば祭り。そして酒を飲むこと。だからといって、不満を感じることさえもないのだ。だって他の楽しみ、選択肢を知らないのだから!やはり人間って「自分に見える範囲」でしか行動しないのだろう。

    その親の子である自分の世代は少し違う。生まれたときからテレビがあり、テレビの中のものに強烈に憧れた世代である。「見える範囲」とはテレビの中もその範囲だった。だから当然のように映画だとか、マンガだとか、都心の子供と同じようなものを消費したがるようになっていた。そこが親が全くわからない部分だったろう。まあ、一言でいうと、ジェネレーションギャップがあったことは確かである。

    なんだかうちの親がひどいみたいなこと書いたけど、それでも頼めば、しぶしぶながら映画には連れていってもらえた。「ドラえもん」の劇場版は当時映画館で見せてもらったし、どちらかというと、自分は他の子供より映画を観に連れて行ってもらった回数も多い方だろう。もし、自分がスターウォーズを観たい!と言えば見せてくれたと思う。そう、つまり自分はスターウォーズをおねだりしことがないのだ。

    それには二つの理由があった。「シリーズものであること」と「字幕」である。

    ビデオデッキという衝撃

    シリーズモノは途中からみても話がわからないんじゃないか?という思いがあった。せっかく映画館へいったのに、ストーリーがわからなかったのでは悲しい。Ⅴが公開されたときは、Ⅳみてないので無理だなと思ったし、ⅥのときはⅤもⅣもみてなかったから完全にあきらめていた。

    今ならシリーズの作品をストリーミングサービスで観たり、DVDをレンタルして予習してから映画館行くっていうのが普通。でも当時はストリーミングサービスどころかレンタル店もない!(DVDというかVHSビデオテープの時代だけど)。レンタル店ができるのは、80年代中ごろになってからである。

    それ以前に、我が家にはビデオデッキ(若い人のために一応書いとくと、録画再生できる機械)がなかった。というか、周りを見回してもビデオデッキがある家庭は、まだまだ少なかった。

    自分が初めてビデオを観たのは80年?ぐらいだったか、小学生のとき父親の友達の仕事仲間の家だった。お歳暮を届ける父に一緒についていったところ、お茶をごちそうになったときのことだ。その家はビデオデッキがあり、お菓子を食べてる間に録画していた「8時だよ!全員集合」をみせてくれた。

    まさか土曜の夜8時以外の時間に、「8時だよ!全員集合」が観れるとか…「何これ、魔法!?」いや、真面目に小学生のときの自分はそう思ったし、夢の機械が現れたとビックリした。当時、テレビはリアルタイムでみるのが当たり前。一回見逃したら再放送以外で観る機会はない。自分がみたいときに好きな番組を何回でも観ることができるという、テレビっ子の夢をかなえてくれるスゲー機械を目の当たりにしたのだ。

    子供のドキドキ感とは反対に、父親は帰りの車のなかで「うちの家にはいらない機械やな」とバッサリと切って捨てた。

    ビデオの興奮が収まりきらない小学生の筆者に向けてこう言った。「アイツは夜勤とかあるからな。普通の時間にテレビみられへんのや。だから録画してみるとか、ああいう機械がいるんや。昼間の生活してる、うちらみたいな家族にはいらんな」

    えええ…そういう理由なのか…もしかして先を越された負け惜しみだったのかもしれない。だけど父親にしてみれば、テレビは放送されてるものを観ればいいし、テレビ番組なんて一回観れば充分。なんで繰り返しみたいのか気持ちが理解できなかったのだと思う。それが当時の親世代にとっては珍しくない、正直な考えであったことも事実だろう。

    反対に、ビデオ絶対いい!と思った自分も、値段が10万円以上ときいて、「これは手が届かない」とあきらめた。もちろん、当時は小学生だったから10万円というお金は、扱えるような金額じゃないし、その大きさもなんとなくでしかわかっていない。でもそれだけあれば、家族がしばらく生活できるだけのお金であり、そんな金額をビデオっていう楽しみだけのために使うのってどうかなあ?ものすごい贅沢しすぎなんじゃないの?罰当たりそう…そういうことを小学生なりに考えたのだ。もしかしたら、初めて趣味と生活のお金の関係を考えたときだったかもしれない。

    そう考えると、親世代と自分は違うとは書いたけど、お金に関する考え方の影響は大きかった。親にはハッキリと、自分にはうっすらと「生活以外の趣味にお金を使っていいのだろうか?」という罪悪感みたいな意識があった。家庭の経済的には充分買えたと思う。だけど親は手を伸ばさなかった、自分もそこまで欲しいと思わなかったのは、趣味に対するお金の考えに縛られていたからだろう。

    小学校高学年(80年代前半)くらいになる友達の家にはビデオデッキが置いてあるところが増えてきた。「おー!金持ちだなあ!」とかいって羨ましがってたけど、本当にうらやましかったのは、お金じゃなくて趣味に対する気持ちの余裕だったと思う。


    ↑家でいつでも観れるってスゴイことだった。え?写真のVHSテープはなんだ?ってまあソフトが何かはいいじゃないですか

    字幕という壁
    映画館へ行かなかった理由。もうひとつは「字幕」である。今では洋画の娯楽作品は吹き替え版が当然のように上映されているけれど、当時の劇場ではよっぽどの例外でもない限り字幕上映だった。(※自分は知らなかったけど、さすがにスターウォーズは人気があったために、一部では吹き替え上映もあったらしい)

    「読めない漢字が出てきたらどうしよう?」「読むスピードが追いつかないんんじゃないか」などなど、「字幕で映画がみれないんじゃないか?」と小学生の自分は不安で観にいくのを躊躇したのだ。

    なんか頭の悪い悩みだと思われそうだけど今も昔もテレビの地上波は吹き替え放送だし、字幕での放送なんて深夜くらいしかなかった。当然、現在のようにBS放送の字幕放送もない。つまりは字幕で映画を観るという体験をしたことがないんだからビビるのも仕方ない。

    小学生の自分は、吹き替えで映画をみてるうちはまだ子供だという思い込みがあった。字幕で映画がみれるかっこいい大人になりたい!いやマジでそう思っていた。

    最初に字幕で観たのは、友達と一緒にいった85年のジャッキー・チェン主演「ポリス・ストーリー」。中学生になったんだから大丈夫だろ、とは思ってたけど、観る前は字幕初体験ということもあってドキドキ。見終わった後は映画が面白かったことより、「字幕で映画を観ることができた!おれたちも大人に一歩近づいた」ということで興奮したのを覚えてる。

    現在では、字幕版より上映回数のほうが多いくらいに吹き替え版のほうが人気となった。自分の子供の頃にも、もっと吹き替え版の上映があったらなあ…なんてことは思わないんだなこれが。

    吹き替えのほうが情報量が多いってのはわかるし、吹き替えには長所いっぱいある。でも洋画は字幕でみるほうがよくない?たとえば英語とかわからなくても、音を聴きたいというか、発音からわかるニュアンスってあるじゃないですか。ジョークとかその言語独自の言い回しもあるし、字幕は日本語でも、言葉の音をきくって体験だと思うのだ。なんか敷居を下げすぎて、わかりやすすぎるのもどうかというか。…海外コンプレックスが強い世代のグチかな


    ↑自分が人生初の映画館で字幕で観た映画は「ポリス・ストーリー」。でも世の中的には吹き替え版のほうが圧倒的に人気がある作品

    なんだかんだ理由をつけたけど…
    そんなこんなで「スターウォーズ」を劇場でみたことなかった小学生の頃であった。でも、周りを見渡せば、学校のクラスメートは結構みんな洋画をみにいってた。「E.T」とかすっごい話題になってたけど、洋画にビビってた自分はみんなの話にはいっていけなかったという記憶がある。今考えると観に行くヤツといかないヤツはくっきりと別れていた。

    自分の子供の頃は、ド田舎だけど、住宅地が造成されてドッと都会から人が移り住んできたような時代だった。映画館にいってたのは、都会から引っ越してきた家族の子供で、もともと田舎に住んでた自分のような子供は娯楽には鈍かった。そんなキラキラした都会の感覚を持った子供がまぶしかった。当時はなんとなく感じてただけだったけど、娯楽や趣味って作品そのもの以外の外の世界でも、人生のいろんなことを感じさせてくれるものだったなあ、と今にして思う。まだ語りたいけど、いい加減話しが長くなってきたので、また別の機会に是非。

    さて次回は
    ここまで読んでくれた方に感謝「スターウォーズ関係なくなってる!」というあなたの声はもっともだ。でも少しでも面白いと思っていただけたら、次回も読んでもらえたらありがたい。次回は80年代中盤から後半、自分が中学生や高校生だった頃の話。