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  • 移転だそうです

    2021-03-24 16:35
    ニコニコブログが、今年10月で閉鎖に成るそうな。

    移転して下さい、という事で、「goo」の方にひとまず新設しました。
    https://blog.goo.ne.jp/agetwo

    相変わらず、雰囲気は微妙感有りますが。
    閉鎖の理由が割と深刻そうなのが、なんとも。


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  • 期待と過去と今の光景

    2021-03-24 10:30

    理解の問題として。

    その人は、現在は?一人身だ。しかし農家として、一人で田を維持し畑を耕し、年商で500万円は稼いでいる。純益的にはそう高くないにしろ、生活は、そこそこ裕福でさえある。

    …と言う”それ”を、空想?を、現場に求めるべきだろうか。

    農家でなくても、”これ”がどれだけ無理のある話か?と言う、そう言う話ではある。そもそも「一人で」と言うのが、もう”ほぼ不可能”だ。それは「頑張れば何とかなる!」というレベルなのか?利益性にしろ、物量にしろ、500万円と言う額は、一束100円を”5万本”である。収穫作業だけでもそれは個人の労苦その許容範囲を超えている。そして本当の作業は、その後の梱包にこそ有るのだが。

    その上で、炊事洗濯掃除等々、生活に必需な労苦もまた、そこには存在するのである。


    ”今”に成ると、「個人創作の利益」”それ”は、そう言う意味には、成る。状況は変化しつつ有って、最終的な「市場管理者」それが、”ここ”に戻って?来た…様な感覚は、少しある。何を許容し何を否定するか?現場に微妙に反映しつつある、”それ”はでも、やっぱりあの、「美鶴さんの長い妄想」そこへは、回帰してしまう。



    これ、500万円位に成ってもええんちゃうの?

    しかし、真実としてこの作品は、当時本当に、「一人で全部創った」のだ、マップを描くツールまで含めて。出来のクオリティに関し、疑問その他はあるにせよ、ちゃんと組み上げる事に成功した…それは一つの達成ではあり。無視出来ない価値、そう言うのはここにあり、それはある程度の報奨、それを要求はする、のだけど。

    今の把握だ、創作と第一次産業にはリンクがある。食事をする事で減っていく価値を、創作は補わねばならない、”それ”が第一の目的であり。その時、そこに見えているのは、現場の感覚ではある。その創作は”そこ”へ、それを要求するのだ。

    そこまで追い込まなくてもいいのでは。

    人間のキャパシティとして、可能性として、”余裕”は少しある。「やれば出来る!」それは、一つの真実としてそこに有るかもしれないしかし。市場管理者と言う立場で”それ”を認めると言う時、現場は何を考えるか、優秀である、それは間違いない?にしろ。

    昭和かな?

    市場管理者が”それ”を否定しても、無理のない話の様な。

    今も、感覚的な許容は”この程度”ではある。ここからプラグイン等々の利用や追及、技術の習得やその労苦を考えたら、もう趣味とは言えない領域だ。MMDにしろ、コンセプトの問題としてか、創れた場合に「価値が上がり過ぎる」?感覚はある。原理的な必要性はそう言うモノではあり、恐らくは?メインで創ってる人々にしろ、完全な趣味、と言うのはほぼ居ないのでは。

    「市場管理者」が、変わった、としても。
    逆にそれだけに、独裁性?そう言う物だろうか、そこは重い疑念と共に有る。

    良い変化か、悪い変化か。

    自由と利益は、常に対立はしている。


  • 理想を目指した果ての部屋

    2021-03-23 08:21

    貴方は牢陽帝だから。

    ”自分で”言った、それが現実である、と言う感覚で…何かの安定こそあるのだが。

    上手く行ってますか?

    少なくとも自分はそう言う感じはしません。
    「電源」に上手く行くも行かないもないけど。
    安定してる事”だけ”が、それへの要求ではある。

    多分、「面白くない」と言う、そう言う評価と共にこの座はある。
    つまり、働いては居る、筈なのだ。自身もまあ、PCの電源に関しては「安定してて当然」と言うのは要求してる事ではあるが。

    ”それ”を単に、自身が、仕事として要求されてる…それに何か、問題が?


    あらゆる事例に対して現状、説明?は出来てしまう。牢陽帝、現行の”雅”市場の作者、それは権限や能力的にも”システムその物を破壊しかねない”ので、十分な安全装置と共に行動も存在も制限される。それさえ押さえこむ事が出来れば、後はそれ以下だ、システムに逆らう事が出来ないなら、その環境に不平等は無い、その各自が持ちうる才能をいかんなく発揮して貰えば、つまり世界は救える。

    「牢陽帝」それに関しても、その説明は「正当な評価」だ。ある意味で、”求めた評価の帰結”ではある、そして?その結果はもちろん、本人がその創作に対して理想として投影したモノだ。ほぼ万全の反論はそこに有り、そして、それは具象でもあり。

    ”そこ”に有るのは動いているのはシステムであって、”誰か”では無い。サイコロの出目は相変わらず任意には成らない、そして最終的には”それ”を軸にした構造は、誰かの任意で動く、そう言う物では無い…単なる「環境」だ。許容された中で、人は自由が許される、もちろん、責任と共に。


    勝てばいい、訳だが。

    「創作の”中”にリアルを見てください」それは果たして、正当なる要求だろうか?

    「物語」それは、”異世界の光景”だ。そこに居るキャラクター、それが投影されてるモノもまた、”異世界に居る存在”である。実在はしても、現実のこの宇宙には居ない。それへの投入が、評価と共に現実へフィードバックしてくる、それを期待し、物語は紡がれる。

    この話は、かなり前々から言っていた事だった、筈ではある。検証が終った、というべきだろうか?ともかく「上手く行かない!」求める評価が貰えない、のは。「対抗するパワーが壁に成ってる」から、だ。それに対して対抗し得る戦力を、まだ形成出来てない。その上で、状況の改善を目指さねばならない訳で…でも、「普通」の話だ。理想を唱えれば唱える程に、その「現実の自分の戦力」はハッキリしてくる、漫画的には勝たないと話に成らないそれはでも、物理的には、無理だ。

    サイコロの出目とは、感情に訴えて変化し得るか?は、その時、そこに有る物に聞くしかない…と言う気はする。

    甲子園は今年、何とか開催された。”そこ”は目指すべき理想の世界、そこでの意欲と願いと悲喜こもごも、それを含んでの「理想」ではある。平等かつ対等な環境の元で、最終的な栄光を手にするのは、勝利したその一校しかない。”それ”を目指す時、そこには負ける現実、それもまたある。

    「理想」それはでも、多数決じゃないのだ。

    解っている、解っている事だ、しかし。

    東京オリンピックは日本人のみの観戦と言う事になった。
    正当なる帰結か、あるいは。