• 老人しか居ない街

    2019-07-21 11:3811時間前

    形式上、自分は「働いている」筈。

    ただ、その一般的な認証は、ほぼ期待出来ない状況、でもある。

    だから、例えばビートたけし氏に文句を言う場合、相手からの反応は、”ちょっと自分には理不尽な感じ”には成る訳だ。そしてそれを、今も抑止出来ない。

    その上で、相手が土台にしてるのは、「古い麻雀」でしかない。
    ハコテンに成ったら”食われて消えるだけ”だ。彼らの道理はそこにしかなく。

    つまり。

    ”その暴走”を止められてない、今も、その懸念は重い。


    その意味で、最近発売された、ゲーム。
    「My Friend Pedro」
    https://www.youtube.com/watch?v=L8oJ78w8SYo&t=45s

    老人らで構成されたギャング集団に支配された街を開放しろ!と言う。

    笑って良いやら怒って良いやら、何とも微妙な感じ。

    現在の懸念にしたら、良い合致かもしれないのだが、それだけに、打開の仕方が短絡過ぎて、笑えもしない切なさはある。「問題あるシニアなんか、全部ぶっ殺せば良いだろ」自虐の様な、批判の様な、ともかく”現状としてはそう言う状態”かもしれないが、手段に無理がある。

    笑い話なのだ。ツッコミ待ち。その街は凶悪なギャングに支配された!と行ってみたら、居るのは立ってるのもおぼつかないジジイばっかり、と言うのは、何かのリアリティとしてちょっと面白い。「どうしたらいいんだ?」確かにその通りで、そして。

    …でもこれは”現場の判断”だろうか、打開の手段が「殺す」しかない。

    それは、打開に成ってない気は、する。


    ”これ”に関して、「現場のスキルが低い」と、言うべきだろうか。

    ストリードの連携では、「現場はオーダーの拒絶が出来る」筈だが、例えばビートたけし氏が”この”オーダー元だったら?それは出来るのだろうか。断ったら暴れ始めるかもしれないのだ、それと比したら、何かの妥協は存在する。問題を感じない状態にするには、彼を抑止せねばならず、その時、それは可能か?と言うと、かなり面倒な壁は、実はそこに有る。

    「赤信号、みんなで渡れば怖くない」何か間違っているか?

    リアルに、そんな話と”その後”だ。大惨事が起きても、この言葉は今も妙な権威を持つ。

    或いは、「他に方法が無い」その果ての何故か、京都アニメーションの悲劇ではあり。
    「美しくない愚者は殺す!」その果てに世界は何故か、”自称”美しい方を、殺した。

    「神が居ない」或いは居なくなった世代の、確かに、リアルな暴走ではあって。
    親がボケた人の苦労、心労、それのように、それはここに有るのだろうか。

    現場の責任ではあるのだけど。

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  • 夏休みの陰と陽

    2019-07-21 09:1414時間前

    気づくと、一部の地域は夏休みだ。

    これからまあ、子供らにとっては楽しい事がいっぱい目白押し、な訳だ。

    ええのう。

    …しかし、それを前に懸念ではある。

    タレントの闇営業問題で、ビートたけし氏の見解は、事務所の管理不徹底と言う話。猿回しの猿が不祥事起こしたら、怒られるのは飼い主だろう、事務所はその意識が無いんじゃないのか?

    …その理屈で言えば、「彼を飼ってる奴」に、彼の行動の責任は全てある、訳だ。

    彼を誰が飼ってるのか?それは今、或いは彼自身でしかない、筈。

    この時、ビートたけし氏は、この説明で納得するのか否か。
    そこには剣呑を孕んで混沌がある。


    現状、ビートたけし氏は「働かねばならない」状態である事は多分、間違いないのだから、それで有る限りは、何かの枷の中には居る。自身に起こる事は”全て”自己責任だ、それも帰結では解ってる話の筈だ。

    その上で、一部に不意に落ちている、多分彼発のネタがどーも、悪い。

    つまり、タレントとしては有力者だが、クリエイターとしてはちょっとどうなの、そんなビートたけし氏に対して「ヘタか?」とツッコミして良いのか?と言うのは、一般人には重い懸念な訳だ。相手が怒り出したら、部下を引き連れての新聞社襲撃位は、”本当にやる”のだ。”それ”を抑止し得る安心感が、何だか今も無い。


    不満は、「今の彼は”天才”と言う珍獣でしかない」事だ。

    技術を評価されてる訳じゃないのだ。
    昭和の頃に特許を取った何か、”それ”しか評価されない事が不満だ。
    解るのだろう、「バカにされている」のだ。他は技術者だが、本人はパンダだ。

    でも、それは彼自身が「自分で否定してきた事」なのだ。
    今更、ではある。自業自得とでも言う事だ。
    悪魔と取引でもしたのだろう?その対価でしかない。今更。

    ”それ”で多分、納得しないだろう事に、夏休みを台無しにされかねない不安はある。
    そして、同じく悪魔が微笑んでいそうな事に、更に重い懸念がある。

    昭和天皇は居ない、ジャニー喜多川氏も亡くなった。「次は?」でもビートたけし氏を”そこ”に置くのは今も、懸念が重い。

    しかし、飼い主を探しているが、野生の熊を飼うのはリスクが大きすぎる。
    飼い主を名乗る時、そのリスクを背負わねばならない…それはちょっと、嫌だ。

    「大衆は神である」問題は、ビートたけし氏には、その思想は無い、事だ。
    その果てに有るのは、自分の把握では、京都アニメーションのあの悲劇でしかない。

    第二、第三の悲劇は、まだ?


  • 美しい絵と美しくない現実

    2019-07-20 06:54

    今の、”ここ”の理解だ。

    京都アニメーション発の、「現実を変えよう」世の中はもっと美しくできる!とかそう言うパワーは広がって、その主観による「美しくない存在」を排斥するパワーを、世間へ求めた。

    その果てに、結論で今回の放火犯は世界を追われた、”美しくないから”だ。居られる「余所の世界」を目指すが、何故か無いまま、それはやがて終端に達し、そこに悪魔が待っていた。
    痴呆症に陥った人が、家族の心の隙を突く感じで家を出てしまう様な感じで、不思議な”隙”がそこに発生し、彼はそこをくぐり、その犯行に及んだ。

    或いは、原因に成った数十名を道ずれに、京都アニメーションは大火に見舞われた。


    納得できるだろうか。

    その、世界の90%、特に共産圏なんかは求めただろう、美しくない物が居ない世界、それを目指さんとした果ての結末としては…これは、あまりではあるまいか。世の中はおかしい、何も悪い事をしてない、ただ純粋なだけの人々が、こんな理不尽な。こんな人間のクズに失い難い文化と技術と共に殺される、こんな世界は、変えていかねばならない。

    彼らは或いは再び、世界を変える為の戦いを再開するのだろうか。


    タイムリーかもしれない。

    「その少女を一人救えば、世の中の環境は更に悪く成るけど、それでもその少女を救うのか?」

    生贄を出して幸せを創る様な社会なら、いっそ滅んでしまった方が良い、と言うのは、理屈の上では、正論ではある。そして世の文明もまた、そうやって実際は滅んでいくのだ。「天気の子」その伝え聞くプロットとしては、そう言う事を言う訳だけど。

    その「生贄の少女」それが、実際は今回の放火犯ではある。

    「大賀さん」が有る、時。それが最上位なのだけど。しかし、”彼”は今も、自分をこのままにし続けるし、そして、何かのストレスの後は結局、”こういう”話になる。その向こうに居る壁は、「大賀さん」それが提示する理想、それを拒絶し、自身の夢を優先する。その果てに、如何に今回の被害が出るとしても、だ。「解る」筈でも、彼らは部下数十名の命より、自身の衝動、理想、そっちを優先するし、出来る。自身が前に進まんとすれば、「彼らとの戦争に入る」のだ。その時、周囲へ始まる物を想像する時、選択として正しいのは?

    自分は止まるが、彼らは止まらないのだ。
    そして歪んだ世界を正すまで、或いは彼らの戦いは終わらないのだ、何人死のうとも、だ。
    「カルト」それは実際は、こう言う物かもしれず、そしてそれはでも、世界中からの、首脳レベルでの支持を受けていたのだ。

    世界は、今も、何かが覆っているのかもしれない。

    世界を、美しく変えようと言う。